同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

がんの自由診療について

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 関東在住の20代の女性ががんと闘っているのだが、大学病院の治療で効果がない。本人の希望もあり、家族が自由診療のがん治療の1つを見つけた。1600万円。

 私は医者でも何でもない。これまで見聞きした話を整理してみる。

・がんの専門医はがん研やがんセンターに大勢いる。ここでセカンドオピニオンを受けることができる

・がんについての知識が十分にないのに、がんの自由診療をやっている医者がいる

・新しい手術や薬効などなど医学論文で発表するのが医者の常識

・真っ当な医者は医学論文に目を通している

・金を払えば載せてくれる雑誌やサイトに“医学論文”を発表する阿呆がいる

 自由診療のその治療に関する肯定的な見解を示した医学論文が由緒ある医学雑誌に載っているかどうか。これを目安にするかな、私なら。

 この女性の父親の心中は、同じ父親として分かるつもりだ。しかし、1600万円を個人が借りるためには担保が必要だろうし連帯保証人も求められるだろう。にもかかわらず治療の効果は確約されない。相次ぐ厳しい場面が予想される。言うべき言葉がない。

太鼓の音が聞こえたのでフラフラと

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 とんとことんとこ、風に乗って太鼓の音が聞こえてきた。その音のする方に歩いて行ったら次第に音がはっきり聞こえてきた。東京音頭である。

 境内に入った私の目に飛び込んできたのは櫓とその周囲を踊る人たち。「おー」と感嘆したのは、盆踊りの実物を初めて見たからかもしれない。ドラマか写真で見たことがある、そのまんま。

 同じ阿呆なら踊らにゃそんそんというわけで、さっそく輪に入ってみた。音楽は東京五輪音頭に変わったが、踊り方の難しさは変わらない。阿波踊りで踊ってみたがリズムが違うのでズレてくる。駄目だこりゃ。

 あらためて阿波踊りの長所がよく分かった。

(長所その1)2拍子だからノリノリ

(長所その2)決まった型がないので基本好き勝手に踊っていい

(長所その3)「同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」と歌詞が単純明快

 東京音頭はぼちぼちお蔵入りさせていい。でもってこの際阿波踊りを国踊にしよう。東京オリンピックのフィナーレはみんなで阿波踊りを踊り狂えば外国の人に満足してもらえること間違いない。

 櫓の周りを踊る人と阿波踊りを踊る人で最も違うのは年齢だった。櫓踊りはおばあちゃまが大勢いた。阿波踊りは若者が圧倒的に多い。どちらに未来があるか誰でも分かる。


 

 

北海道雑カン

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 北海道内での宿泊の解約が50万人に上るという=9月15日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)1面。で、北海道の旅館協会のトップが「安全を発信していきたい」と記事で語っている。

 うーん。安全を発信していいのだろうか。そもそも北海道の東部で大地震の可能性が高まっていることを外国人観光客は知っているだろうか。日本人でも知らない人がまだまだ多いのではないか。国内外の観光客に向けた情報発信は地震の危険を含めた内容であるのが正しい。これは諸刃の剣だし該当地域から猛烈な反発が出てくる可能性がある。当事者でしっかり話し合ってからの情報発信がいいと思うぞ。 

 社会面の記事によると、JRタワーホテル日航札幌の今月の稼働率は9割を越えていたのに3割になったそうだ。好機ではないか。このホテルの朝食は最高だ。ワタシの下品さがバレてしまうが、イクラを食べ過ぎてそのあと2時間近く動けなくなったことがある。

 地震の可能性を踏まえたうえで、行くことができる人は今こそ札幌に。私ならここで食べ放題の朝飯を食べて、北海道大を散策して、今にも倒れそうな木造2階建て森彦本店の2階でコーヒーを飲んで、晩飯はミシュランの高評価を得ている三徳六味である。

 

浜尾朱美さんが亡くなった

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 最近周囲でいろいろな人が亡くなったり病気になったりしていて、そのたびに「えーっ」と驚いたり涙がちょちょぎれたりするのだが、これも「えーっ」と声が出た。

 浜尾朱美さんが亡くなった。乳がん。57歳。

 TBSドラマ「おゆう」のヒロインで女優デビュー、筑紫哲也さんの「ニュース23」で筑紫さんの隣に座った。徳島市立高と早稲田大の先輩である。

 浜尾さんに一度会ったことがある。彼女がたぶん早稲田の4年の冬、私は「旺文社の大学受験ラジオ講座」の「蛍雪アワー」に出た。地方から東京に出てくる受験生へのアドバイスを語った。

 ずーっと笑顔を絶やさずおきゃんな感じで、愛くるしい女性だった。

 私は聞いた。「どこに就職するんですか」。ふふふっ。楽しそうに笑って、しかし答えなかった。3月だったか帰省して『徳島新聞』を読んでいたら浜尾さんが顔写真入りで載っていた。TBSドラマに主演するという記事だ。

 ああ、そういうことだったのか。就職先を答えなかった理由がそのとき分かった。以来お付き合いは何もない。一瞬すれ違った程度である。

 市高ではアベケンが担任だったのではないか。「講演をやっれくれんかと頼んだら、事務所を通してと言われたんよ」といつもの口調で言っていた。芸能人は自分で判断できない大変な仕事なんだなぁと思ったものだ。

 そうか。あの浜尾先輩が亡くなったか。うーん。早すぎる。

ボブ・ウッドワード記者75歳

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 75歳で現役の記者というのは米国でも珍しいのではないか。ウッドワードさんだからこそかもしれない。ワシントンポスト紙とどんな雇用形態を取っているのだろう。正社員? 非正規? ちょっと気になる。

 新刊なのにすでに100万部。米中間選挙でトランプ大統領の足をどこまで引っ張るかどうか興味深い。日本のどこの出版社が版権を得ているのかも。

 日本で75歳まで現役の新聞記者をした人はいないのではないか。どんな記者でも定年で「新聞記者」を剥奪される。その昔わたしがまだ本多勝一さんに憧れを抱いていたころ、つまり毎日新聞福島支局2年生のころだったか、福島にやってきた当時の齋藤社長に「朝日新聞社の本多さんが定年になったので、毎日新聞社に引っ張ることはできないのですか」と聞いたことがある。社長は「本多さんに毎日新聞で書いてもらうより、うちの若い記者にもっと書く場をやりたい」というようなことを言っていた。

 本多さんを毎日に招聘しても扱いにくいと今なら分かるけれど、当時は新聞記者に定年があること自体が不思議だった。年齢が上がるほうが人脈が広がり太くなるのに。ウッドワードさんの今回の取材に「年の功」はあったのだろうか。

朝日新聞記事の浅薄

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 9月8日付『朝日新聞』朝刊(東京本社版)で2つの記事に「ん?」と詰まってしまった。

 1つは経済面。スルガ銀行の融資不正に関する論評「視点」で<マジメであるがゆえに銀行を辞めた行員も多く>。なぜカタカナで<マジメ>と書いたのか。カタカナで書くと軽くなったり茶化したりする印象を私は受ける。朝日新聞用語集がカタカナ表記を指定しているとは思えない。「真面目」と漢字で書くべきである。

 もう1つは<行員も多く>の<も>。私は「曖昧のも」と名づけていて、使わないようにしている。<辞めた行員も多く>というのであれば、「それ以外の銀行員が多い」という前提を想定できてしまう。つまり、
・辞めない行員が多い
・辞めた行員も多い
 である。いったいどっちやねん。

 オピニオン面の「記者有論」はもっとひどい。名古屋の百貨店・丸栄の閉店について、記者が思いつきの提案を書き連ねた。ざっくりまとめるとこうなる。
・消費者の地元愛に徹底して応える
・商圏に見合った売上を維持する
・地元ならではの仕入れと品ぞろえにこだわる
・売り場を都市の市場に見立てて生鮮三品や工芸品を扱う
・デザイナーを発掘して地域ブランドを冠した医療品や日用品を扱う
・地元の消費者の心に響く店を作る
 この百貨店の損益分岐点を知って書いているのだろうか。数字の裏付けを踏まえていない提案なら中学生でも考えつく。

 これらの策で<商業の中心地が栄から2キロ離れた名駅に移りつつある>状況でお客さんを取り戻して損益分岐点を超える見込みがあると? こんな原稿を通すデスクらのケンシキをワタシは疑う。そんなにジシンがあるのなら記者が実証してみてはいかが。 

下手の激励黙るに似たり

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 北海道震度7の地震を知り、私が書いているメルマガで北海道の読者に気の利いたことを書こうかと一瞬思った。しかし、死者が出ているので控えた。ご遺族がメルマガを読むとは思えないが、全くの第三者の私が発する言葉はあまりにも空しい。下手をすると失礼に響く。敢えて何も触れないという選択をした。

 一番いいのは道在住の友人知人に「こちらから何か送るものありませんか」と聞くことだろう。次はボランティア活動で駆けつけることだな。しかし、仕事をしていると北海道までボランティア活動に行くのはなかなか難しい。妥当な組織を見つけてせめて寄付するのが3番目の策か。

 知人がフェイスブックで共有していた旭川市の会社の活動は参考になる。以下、転載する。

・・・・・・・・・・
9月6日 8:27

マルマサよりご報告です。

旭川近隣に住んでいる皆様へ
大袈裟で必要ないかもしれませんが、9時頃からお水を無料配布、トイレの貸し出しをします。
必要な方はお湯も無料配布。
ポリタンク持参でお水好きなだけ持ち帰ってください。
お店の水道と、ガスは無事です。

必要な方には、可能な限り商品の販売もします。
街中のコンビニから、徐々に商品が無くなってきました。

後から僕を偽善だなんだと、いくら責めて頂いても構いません。
3.11の震災を経験した店主が言えることは、自分だけは大丈夫、すぐに電気もつくだろうという考えは捨てたほうが無難です。
まずはライフラインの確保を。
車で来る方は十分運転に注意しつきてください
電気がつくか、もう必要がないと判断した場合に終了します。
よろしくお願いします。

マルマサ
住所:北海道旭川市一条通五丁目タカラ市場左
電話:
・・・・・・・・・・

 こういう情報を提供できる人や会社、組織ならどんどん発信するべきだが、そうではない場合何を言っても的外れになる可能性が高い。少なくとも緊急事態を脱して、現地の人から「負けないぞ」などと声が上がるまでは、私は何も言うことができない。

 札幌で暮らす私の家族関係者計3人は無傷だ。私が北海道で暮らしているわけでもない。しょせんひとごとなのである。気楽な立場なのである。こんな私が発する言葉などろくでもないと十分予想できる。お気の毒も大変ですねも祈っていますも頑張ってくださいも明けない夜はないも、口が裂けても言うまい。言えば言うほど現地の人と離れてしまうような気がする。

 冒頭の写真は9月7日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)社会面掲載だ。写真説明は<土砂崩れ現場から家族が見つかり悲しむ親族ら>と記す。このご家族にかける言葉を発する自信が私にはない。私は弱虫なのだが、黙っていてよかったとひそかに思っている。

 

備えあれば憂いなしというほど甘くはないが

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 ここ数日で立て続けに自然災害の被害を受けた日本。いろいろな備えの必要性をあらためて突きつけられた。

 まず海や川、山のそばで暮らしている人はできるだけすみやかに引っ越すほうがいい。命に関わる問題だ。国が低利で費用を貸すなどの施策があるほうがいいけれど、そんなのを待っているうちにどこかで自然災害が起きて命を奪われてしまうかもしれない。特に若い世代はすみやかに。

 次は最低限の飲食物を携帯することだ。閉じ込められた人に関空はビスケットを配ったそうだが、あくまでも非常食。満腹にはほど遠い。ロカボナッツやカロリーメイト、水の入った水筒などを外出時にかばんに入れておくくらいの準備をしておいていい。

 3つめは自宅での備蓄だ。今回の北海道地震で慌ててコンビニやドラッグストアに水や電池、ガスボンベを買いに走る人がいたのは仕方ない。しかし首都直下型地震や南海トラフ大震災の被災想定地域でそれをやってしまうようでは準備不足と言わざるを得ない。水のペットボトル(2リットル)なら1人あたり最低でも20本くらい自宅に置いておく。外出先で被災したら役に立たないけれど、だからといって自宅での備蓄をする必要はないということにはならない

 4つめは明かり。大地震の直後に停電するのだやっぱり。私はおばけが怖いので、停電した部屋で寝るくらいなら駅前の交番の前で寝る。しかし冬は寒いからちとつらい。というわけで、明かりをもっと用意しよう。

 避難用に200佞離丱ぅくらい買ってガソリンを満タンにしておくほうが本当はいいのだろうなぁ。しかし私の助けを待つ麗しい女性が東京千葉埼玉神奈川山梨辺りに大勢いるので、どうやって乗せるかだな問題は。

シミ対策に

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 顔にできたシミを見つけてじぇじぇじぇ(古い)。いや、そのシミではない。丸めておいた敷き布団の上を悠々と行くシミである。便所に出ることはあったが、まさか寝具の上に出るとは予想していなかったので慌てた。私の耳の中に入ったり鼻の穴に入ったりして遊ばれたらちょっとクヤシイ。

 銀色なのでギンギン虫と呼んでいたが、ネットで調べたところ紙魚という正式名称が分かった。適用害虫に紙魚を挙げているのが「アース虫コロリ霧タイプ」だった。出没した6畳間を締めきってシューッ! これでやっつけたはずだが油断ならない。

 あと2カ所シューシューやるぞ。

 しかしみんなやっているのだろうかシューシューと。

戦争証言を残す義務

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 久しぶりに紙媒体に原稿を書く機会をいただいた。毎日新聞福島支局時代に県版に連載して戦争三部作と私が勝手に名づけた取材と記事を中心に、沖縄での経験も加えた。ざっと200行くらい。

 紙面を提供してくださったのは立正佼成会の『佼成新聞』である。30年ほど前に私が沖縄で暮らしていたとき取材を受け、それ以来のお付き合い。30年ぶりの登場となった。ありがたいことである。

 高校時代だったか、「戦争経験者はいずれ皆無になる。そのときまた戦争を始めてしまう可能性がある」と思い至った。田中角栄や後藤田正晴、野中広務などなど自民党の中に戦争経験者がいて「絶対に駄目だ」と言い続けていた時代は安心できた。今後の見通しは暗いと私は見ている。

 記事に書いたことだが、取材に応じてくれた人のほぼ全員がもうこの世にいない。私にできるのは証言を残すことくらいだ。これくらいしかできないが、記者は証言を残す義務を負う。インターネットを使えばいい。

 戦争反対を言い続ける行為は無力感との闘いなのだが、屁の突っ張りごまめの歯ぎしり程度の効果はあると思いたい。


 

 

予想どおりケフィア破産

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 新聞各紙の別刷りの最終面によく全面広告を出していたのがケフィアだった。当時はメープルシロップだったかヨーグルトだったか。元校長という上品そうな女性の顔写真入りだった。元校長が始めた事業に見えたから、「校長先生経験者なら悪いことはしないだろう。変なものは売らないだろう」と信用した人が多いのではないか。

 しかし、10年ほど前に元社員から私が聞いた話では、元女性校長は経営者ではなく広告塔でしかなかった。

 そのころ元社員に経営者から連絡が来て「社長を引き受けてほしい」と頼んできたという。もちろん彼女は断った。断った理由は「お金を集め出しているから危ない」だった。変なことになってその責任を押しつけられる予感があったようだ。

 10年前はまだまだ新聞に全面広告を出していた。疑いの目を向けていた人はごくわずかだった。私はこの話を聞いてすぐに毎日新聞時代の大先輩に伝えている。大先輩から警視庁担当に伝わったはずだが、問題を見抜けなかったのか真面目に取材しなかったのか、取材しても当時は問題なかったのか。大広告主だから手加減したか。

 引っかかるのはたいてい高齢者だ。それなりにお金を貯め込んでいるのに将来の不安を刺激されて、お金を出す。まるでパブロフの犬である。

 大がかりな詐欺事件の1つとして平成最後の歴史に残るだろう。被害と欲は裏表と学ぶ必要がありそうだ。

ニコン大好き集会(ニコンファンミーティング)に駆けつける

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 私が駆けつけたところで屁の突っ張りにもならないが、枯れ木も山の賑わいである。

 ニコンのカメラをぶら下げた人が大勢来ていて、私も負けじとキーミッション170をぶら下げる。ニコンのカメラは新聞記者時代に使ったのがニューFM2。これは機械式だったので雪山遭難の取材現場でもふつうに動いた。手がかじかんでボールペンを握るのに苦戦したけれど、カメラは全く問題なかった。安達太良山の山開きで写真を撮って下山する際に雪解け泥の中で滑って転び、カメラは泥をかぶったが無事だった。ニコンのカメラは強いという印象を得たから信頼している。

 そのあとフィルムカメラの生産をほぼやめると聞いてF100を慌てて買った。ニューFM2とF100は札幌在住の舎弟2号カメラ女子に貸してある。

 というわけで私はニコン派である。近年の低迷ぶりを心配していた。そこに起死回生のZシリーズを持ってきた。レンズ内径55ミリ、フランジバック16ミリという新マウントはSラインレンズを備えることですさまじい解像度を発揮することが分かった。これについては別途書く。

 さて。入場するところでメッセージを書いてと言われて紙を渡された。あとで社員が読むそうな。ざっと見てみると大半が褒めたり激励したりである。私も「ついにやった。うれしくてうれしくて」と書いた。

 そのあと反省した。私がニコンの社員なら褒められたいとは全く思わない。批判を知りたい。欠点を知りたい。厳しい意見がほしい。そこに成長の芽があるからだ。

 来年以降もこういう集会をやるなら、来場者に「褒めないでください」と伝えよう。自信があれば批判ほどありがたいものはない。

 

 

 

 

無免許運転で検挙された経験があるワシが謙虚に語るのは

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 8月の真夜中、徳島大学の前の片側3車線道路を原付バイクで蛇行運転していたら、「そのバイク止まりなさい」。パトカーが後ろを走っていたのだった。

警察官「免許証見せて」

私「持ってません」

警察官「不携帯?」

私「いえ、まだ免許を持ってないんです」

警察官「無免許か!」

私「はい」

警察官「息かけて」

私「ふーっ」

警察官「お酒は飲んでないのか」

私「アルコール弱いんで」

警察官「このバイクは」

私「そこにいる友人のバイクを借りました」

警察官「なんで蛇行運転したの?」

私「前々からこの3車線を全部走ってみたいと思ってまして。夜中なので今なら全部制覇できると思ったんです」

警察官「……」

 別の警察官がパトカーの無線で「無免許を検挙」とどこかに連絡している。

警察官「とりあえず交番に」

 助任交番で、警察官が私の自宅に電話をかける。のちに母から聞いたところ、こういうやり取りがあったそうな。

警察官「お宅の息子さんを無免許でバイクを運転していたので検挙しました」

母「えーっ!? うちの子は免許持ってないんでよ」

 お母ちゃん、それを無免許運転言うんじゃ。大学1年の夏のことであった。

 夏休みが終わって戻った東京の下宿に「清田」姓の人から封筒が来た。誰だ。開けると東京家裁からの呼出状が。指定された日時に訪ねたら数百人くらいの若者が来ていた。そこで裁判官(?)が宣言した。

「みなさんは初犯で未成年なので、罪に問いません。以上」

 この経験から私は順法精神を培った。

 パトカーに追われて逃げた原付バイクの高校生が自爆死した。その原付を盗んだのだとしても、死んで贖うほどの罪ではない。

 死んだら取り返しがつかない。逃げるな。捕まれ。

石原裕次郎展

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 いつだったか小樽の石原裕次郎記念館に行ったところ、閑古鳥が鳴いていた。昭和のスーパースター裕次郎が無残であった。裕次郎ボスで育った私には見たくない光景で、喫茶室で食べたパン(裕次郎お気に入りのハワイのパンだそうで、記念館で作っていた)がうまかったことくらいかな収穫は。老いさらばえた記念館の醜態を放置しておかないほうがいいので閉館と聞いた時に違和感はなかった。

 でもって全国横断だか縦断だかの裕次郎展である。まずは東京の銀座松屋である。星野道夫写真展のほうが人の入りは多いように見えた。小樽の記念館にはなかった裕次郎関連商品が多数並んでいて、裕次郎展用に作ったんだなぁ。星野道夫写真展や岩合光昭ネコ写真展、オードリー・ヘップバーン展のほうが物販もにぎわっていたように感じる。それでも私はクリアファイルを3枚買って裕次郎に敬意を表した。

 裕次郎世代は高齢化していく。これといった楽しみがない地方のほうがまだお客さんは集まるかもしれない。それでも20年以内に裕次郎展は消えるだろう。

先払いさせて学生から稼ぐな早稲田大学

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 プリペイドカードに私は反対している。先払いしたお金の全額を使うとは限らず、そのぶん相手の懐に入るからである。クソ商売だ。

 あろうことか、早稲田大学がそんなクソ商売をやっていることが分かった。

 14号館7階の学生読書室で9枚ほどコピーを取ろうとしたら、1000円のカードを買うしかないのだ。領収書をもらおうとしたが、窓口の担当者が要領を得ないので私はあきらめた。

 何これ?

 小銭をいちいち回収すればいいではないか。両替機を置いておけば窓口の手間はない。

 使用期限はないそうだが、全部使い果たすまで私が生きているかどうか。一歩譲って私は我慢するとしよう。しかし、先払いを学生に強いているわけで、これが大学のすることか。

 学生相手に阿漕である。恥を知れ。

三朝庵女将が『日本経済新聞』に

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 三朝庵の女将だ。8月28日付『日本経済新聞』朝刊最終面で見つけた。「早大生と歩んだソバ屋」だって。

 予告なく店を閉じた理由や今後のこと、これまでの歴史をかいつまんで書いてある。あらためてすごいな。大隈重信は当然として、尾崎士郎に宇野千代、井伏鱒二。雄弁会時代の竹下登に小渕恵三。おおお。馬場下交差点辺りで革マル派と機動隊が衝突したのか。

 女将は「最近の学生は随分おとなしくなった」と嘆く。早稲田に限らない話だろう。それだけ社会が豊かになったのである。全共闘世代の末路を知ると前車の覆るは後車の戒めとなる。集まり参じて人が変われば気質も変わる。

 女将はご子息に<三朝庵復活の夢>を託した。そば屋の復活なら名物になる新メニューがほしい。例えば「大隈重信も食べたかもしれない大隈そば」とか「尾崎士郎と宇野千代にあやかるラブラブかつ丼」とか、「山椒魚もビツクリの天ぷらうどん」とか、うーん、ここまで書いておいて言うのも何だがネーミングでごまかしてはいかんな。

 早稲田の一等地を何に使うか。周囲の店の移り変わりを見る限り、けっこう難しい。鹿児島名物の白熊を食べることができる店なら私は行くんだけどなぁ。京都祇園の辻利のパフェでもいいぞ。これなら糖質制限なんかクソ食らえだ。

能力偏重主義からの脱却を唱える東京大教授と唱えないワシ

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 私と同じ徳島市生まれ。しかしそのあとが全く異なる。天と痴の差と言おうではないか。そもそも東京大大学院で博士号を取った東大教授の本田由紀さんと私では比較にならない。だからこそ、見てきた景色の違いにはちと自信があるのだが。

 8月28日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面の「特集ワイド」。能力偏重主義をどうすれば変えていくことができるかという記者の質問に本田教授はこう言う。

「収入が不安定な人や低賃金の人も、能力主義の考え方を支持する傾向があります。自分の能力が正当に評価されたら、こんなにつらい思いをしなくてすむはずだと考える。全てを能力で説明し、『人間力』や『生きる力』を救世主のように考える発想から抜け出すしかありません。多様性の尊重や再配分の実質化など、制度やシステムのレベルで社会を再設計することによって、次の展望が見えてくるのではないでしょうか」

 まことにそのとおり。なのだが、勉強という能力で東京大学教授になったことは能力偏重主義の賜物ではないか。そこをどう見ているのかワシは興味がある。勉強ができるできないが人に及ぼした影響が決して小さくないことをいろいろな場で見てきたワシには整理がつかない。勝ち組の本田先生の見解やいかに。


 

 

ニコンが本気で作ったミラーレスZシリーズの評価

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 ニコンがミラーレスカメラに革命をもたらすことができるか。ニコンのファンだけではなくソニー派も興味津々だった。

 うわさ通りにZ6とZ7が発表され、ミラーレスで先行するソニーと比べて落胆の声が広がった。瞳オートフォーカスがなく、SDカードが使えず、バッテリーの持ちが悪く、それなのにソニーと比べると高い、という落胆である。

 確かに数値を比べるとニコンが劣る。後発なのになんでやねん。

 ところがここに来て評価が変わってきた。Zシリーズで撮影した写真がインターネット上にいろいろ出てきて、感嘆の声が出始めたのである。

 スペックなど見た目の部分は数値で表すことができ、ソニーに軍配が上がる。ニコンのZシリーズはイマイチだとなる。

 そもそも写真は見る環境の影響が大きい。Zシリーズで撮ったデジタル画像をパソコンで拡大して初めて圧倒的な作画に驚いた人が続出している。職人肌ニコンらしいというか。

 そういう最も大事なことを新製品発表会でほとんど言わなかった。ただ、内径55ミリの新マウントと16ミリのフランジバックは強調していた。そういうことだったのかと発表会数日後にようやく気づかせることを職人肌ニコンが意図してやったとは思えない。宣伝下手やなぁ。そんな無骨さも魅力なんだけど。

 オリンピックに合わせてフラッグシップ機も出るだろうから楽しみである。頑張れニコン。 

 

米原万里さんが遺した『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』

 この本を読んでいる最中にプラハの春50年を偶然迎えた。こんなにも切ないノンフィクションを書いた米原さんがもうこの世にいないんだなぁ。50年を報じる新聞を持ったまま「うーん」とか何とかうなって天井を見上げてしまった。

 私がチェコスロバキアを初めて知ったのは恐らく大阪万博だ。つまり1970(昭和45)年。当時大阪市に住んでいた。父に連れられて何度か出かけた。各国のパビリオンというのか、そこに入ってはスタッフとおぼしき外国人を見つけては手帳とサインペンを差し出して「サインプリーズ」とやっていた。その中にチェコスロバキア館があったはずだ。あとにもさきにも私の人生でチェコスロバキアが出てくるのは大阪万博しかない。

 本書を勧めてくれたのはちょっとおっちょこちょいの美女である。読書家で美女、才気煥発という3拍子そろった女性が私の「恋人」枠ではなく「友人」枠にいるのはありがたい(涙)。

 斎藤美奈子さんが解説に書いているように本書は米原さんの代表作である。歴史が動き、国が揺れ、人が影響を受ける。生きることのすごみともで言おうか。米原さんの姉御肌も熱も伝わってきて、それだけに読後の切なさが染み入る。

高校時代につき合った女の子を思い出す徳島の銘菓

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 徳島の人ならたぶん誰でも知っている銘菓をいただいた。銘菓の名前は敢えて伏せる。この銘菓を見るたびに私の小さな胸が疼くのである。不整脈か心筋梗塞か? いやいや、高校時代につき合った女の子の一人を思い出すからである。

 この銘菓と同じ名前の同じような商品をその女の子の和菓子屋が作って売っていたらしい。銘菓の名称は別の和菓子屋によってすでに商標登録されていたようだ。ある日の『徳島新聞』に女の子の和菓子屋が裁判で負けたと出ていた。そのころ彼女とはすでに別れていたが、つらかった。彼女やご家族のつらさを思うともっとつらくなった。

 それが原因かどうか知らない。いつの間にか和菓子屋は店を畳んだ。私の実家から直線距離で500メートルくらいにあり、徳島駅に行くときはたいてい前を通るからいやでも気づく。

 というわけで、この銘菓を食べるたびに、あるいは宣伝を見るたびに思い出す。

 彼女はいい子だった。にもかかわらず彼女との恋愛はうまくいかなかった。大学受験勉強に真剣に取り組む時期が重なり、自然消滅させた。

 私が若すぎた。人生経験を積んだ今ならうまくいくのだが。苦い苦い思い出である。

「戦争責任言われつらい」?

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 昭和天皇が「戦争責任のことをいわれる」とぼやいていたそうだ。1987(昭和62)年4月7日の発言らしい。当時私は沖縄で暮らしていた。沖縄戦に関心を持ち、沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会で上映活動の手伝いをしていたころだ。

 昭和天皇の真意が分からないものの激しい違和感が残る。

 日独伊三国軍事同盟でトモダチだったヒトラーは自殺し、ムッソリーニは銃殺された。昭和天皇は自殺することもなく、国民に殺されることもなかった。アジア太平洋戦争での日本人の国内外の死者数は310万人。この死者と遺族が昭和天皇の「戦争責任のことをいわれる」をどう受け止めるだろうか。

 ところで、この発言を報じた8月23日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)14新版は見出しを「戦争責任言われつらい」とカギカッコに入れた。しかし、社会面に載せた侍従日記要旨のどこを見ても「つらい」とは書いていない。これは先走り過ぎた。そもそも昭和天皇が「つらい」と思ったかどうか、侍従日記要旨では分からないのに。ミスリードだな。

カウンターの奥行き

 広島市内で飯屋に入った。カウンター席に座ろうとしたら膝小僧がぶつかる。ふつうカウンターは客側に伸ばしてあって、その下に足を収めるようになっているものだが、足を収める奥行きがない。

 私の足が長いのは生まれつきなので仕方ないが、ガパオライスと私の口の距離を縮めるためには大股開きになって体をカウンターに寄せなければならない。私は体が硬いのでとってもつらい。皿を持って食えってか。

 店の人はカウンター内で立って仕事をしているから客側の不都合に気づかないのかな。いずれにしてもよほど気に入らないと2度と同じ店には行かないのでどうでもいいのだが、うーん、柔軟体操しようかな。

直下地震への備え

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 私の場合JR東海道線に乗っているときに直下地震に襲われたらなすすべがない。次につらいのは自宅で夜寝ているか風呂に入っているときかに襲われることだ。停電するだろうから、これはえらいこっちゃ。

 というわけで、最近始めたことがある。机の上などにその日の気分でバラバラに置いてあるスマホと携帯、お金、自宅のカギ、充電池が飛び散る恐れがある。停電すると探すのに時間がかかるし、余震の最中に懐中電灯の明かりで探している場合かという自分ツッコミがある。そこで、寝る前にかばんに詰めることにした。

 詰めるのは上記の5つだから10秒もかからない。朝起きたら取り出す。

 購読している地震予測メルマガによると、富士山や伊豆の辺りで不穏当な動きが観測されているそうなので、気合いを入れる。

新聞は戦争高揚の反省と謝罪を毎年載せるべし

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 全国戦没者追悼式で平成天皇が「深い反省」をここ数年語ってきた。父親である昭和天皇の戦争責任への反省を息子が語っているのだろう。それで済む済まないという問題はさておき、とても大事な姿勢であることは間違いない。

 ドイツだってことあるごとにヒトラー時代の反省を語っているそうだし、第2次世界大戦を念頭に置いたワイツゼッカー大統領の「過去に目をつぶる者は現在にも盲目である」はその反省の典型だろう。

 で、日本はどうなのか。昭和天皇はもちろん責任があった。軍部も責任があった。では新聞はどうだったのか。当時の二大新聞『毎日新聞』と『朝日新聞』はこぞって戦意高揚に勤しんだ。軍部への忖度もあったのではないか。責任がないわけがない。おおありだ。

 ところがこの2紙に限らず、新聞が戦争責任を語ることは少ない。25年くらい前に『毎日』で鈴木健二論説委員が連載「戦争と新聞」を書いた。『朝日』も散発的に記事にしてきた。それでいいとは思えない。今日の『毎日』と『朝日』の朝夕刊を念のために読んだが、反省も謝罪もない。

 新聞が戦争を煽ったことを知らない世代が増えているように感じる。知らないから、人に言われて驚き、「新聞って卑怯」となる。

 そこで提案だ。新聞各紙は戦争責任を毎年反省し謝罪すべきである。戦争の始まりをどこに定めるかで意見が分かれるだろうから、敗戦記念日の8月15日がまとまりやすいだろう。この日に新聞が戦争を煽った反省と謝罪を毎年載せよう。

 私がずっこけた記事がある。1945年8月16日に『大阪毎日新聞』社会面にのちの小説家井上靖記者が書いた「玉音ラジオに拝して」である。結びが「われわれは今日も明日も筆をとる!」。初めて読んだときは「そう来たか」とたまげた。どこにも反省がない。謝罪もない。びっくりしたなぁもう。むのたけじさんくらいではないか、辞めたのは。

 知らんふりを続けないほうがいい。厚顔無恥は信頼を失う。

阿波踊り混乱のハテナ

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 わが阿波踊りが恥ずかしい状況になっている。NHKの「ニュースウォッチ9」が取り上げたくらいだから全国的に注目を集めているのである。しかし、どうもよく分からん。

(1)最初に『週刊現代』だったか別の週刊誌だったかが指摘した不透明な問題は解決したのだろうか。うろ覚えだが、徳島新聞社が有料演舞場のいい座席を独占して金を払っていない問題や関連企業が儲かるようになっている仕組みの問題である。これが最大の問題で、関連企業名まで週刊誌に載っていたから経営者や関係者を追及するのが筋である。

(2)総踊りをやってのけたのは私は正しいと評価する。有料演舞場で踊るのが阿波踊りの全てではないからだ。しかし総踊りに参加した連は半分以下だったという。参加しなかった連にその理由を聞きたい。

(3)総踊り中止を誰がどういう手続きを経てどう決めたのか。遠藤市長の鶴の一声で決まったのだろうか。

(4)総踊りの中止を求めに行った市職員たち(たぶん)は自分の意思で行ったのか、誰かの命令で行ったのか。誰かの命令だとしたら誰の命令なのか。部下にあんなかわいそうなことをさせて自分は出て来ない責任者がいるとしたら、引きずり出す必要がある。

(5)4日間で130万人の人出だそうだが、そのうち純粋な観光客はどれくらいいるだろうか。徳島市を中心とした宿泊施設の収容人数と県外ナンバーの車を追いかければ粗々はじき出せるはずだ。

 阿波踊りは有名連だけがやっているのではない。阿波踊りは有名連だけの祭りではない。有名連がなくても阿波踊りは普通に開催できることを有名連は知っておく必要がある。

 何度も主張するが、早い話有料演舞場を廃止すればいいのである。解放区として指定した範囲内を全ての連が自由自在に踊り歩くことにすればいいのである。阿波踊りが好きな人間はスポットライトが当たっていない場所でも路地でも人が見ていなくても踊る。自分が踊りたいから踊る。そういう原点に戻ればよろし。400年続く地元の祭りでカネ儲けをしようとするからこのざまなのだ。

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 なお念のため、遠藤市長は手腕が非民主的なので政治家に向いていない。1期で終わろう。

小池百合子都知事の差別意識

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 関東大震災のときの流言飛語で日本人に殺された朝鮮人は確か約6000人。殺人に走った背景に朝鮮人への差別意識があったのは間違いない。その反省の1つが都立横綱公園に建立された朝鮮人犠牲者追悼碑である。朝鮮人を殺した事実について復興記念館に展示されてもいる。

 差別意識に基づいた酷い殺人だったのである。だからとりわけ明示する必要がある。

 何の罪もない人を殺していいという法はない。法治国家として許さる行為ではない。しかし、である。そもそも差別意識を根絶するのは難しい。繰り返される危険性がある。日本人の恥辱にまみれた蛮行を反省し続けることは、将来への抑止の一助になりうる。その1つが朝鮮人犠牲者の追悼式典での格別の追悼である。

 ところが小池百合子東京都知事は拒否した。関東大震災の全ての犠牲者に追悼文を送っており、朝鮮人犠牲者はそこに含まれるという趣旨のことを恥もなく言ってのける。震災で亡くなった人と、震災で死なずに済んだのにあらぬ疑いをかけられて日本人に殺された朝鮮人を一緒にできる小池知事の図太さというか無神経さというか差別に対する無感覚というか人の痛みを感じないというか。小池知事と同じ日本人であることが恥ずかしい。こんな人が政治家になってはいけない。

広島市平和宣言と長崎平和宣言を比べる

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 罰当たりかもしれないが、広島市平和宣言と長崎平和宣言を読み比べてみた。どちらも格調高い。内容も似てはいる。しかし長崎平和宣言が一頭地抜きん出る。読み手(聞き手)の魂に揺さぶりをかけてくる。批判が為政者の胸を突く。福島への目配せも忘れない。西暦を先に記す表記は世界に向けて発信する意思の表れだろう。

 長崎平和宣言に関わる中心に芥川賞作家がいるからこそと言えるだろう。芥川賞作家が練りに練り、理知の上に情念を燃やして書いたらこうなるのだ。しかし同じ芥川賞作家でも石原慎太郎さんには書けまいな。 



 広島市平和宣言

 73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。摂氏100万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。「熱いよう!痛いよう!」潰(つぶ)れた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。「水を、水を下さい!」息絶え絶えの呻(うめ)き声、唸(うな)り声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身を蝕(むしば)み続け、今なお苦悩の根源となっています。

 世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂(さくれつ)したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。

 被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい。」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。

 昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。

 同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う。」人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めたとき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。核兵器の廃絶に向けた取組が、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって「継続」するようにしなければなりません。

 核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核不拡散条約)に義務づけられた核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取組を進めていただきたい。

 私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の7,600を超える都市で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。

 日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎、そして世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。



平成30年(2018年)8月6日

広島市長 松井 一實





長崎平和宣言

 73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空に炸裂(さくれつ)した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。

 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。

 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証(あかし)です。

 しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。

 核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。

 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。

 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引(けんいん)してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」

 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。

 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。

 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。

 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。

 被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2018年(平成30年)8月9日 長崎市長 田上富久


よく分からないボクシングの世界

 山根明さんが朝のワイドショーでロンドン五輪金メダリストでWBA世界王者の村田諒太さんに「生意気」と発言し、日本中がひっくり返った。自分の滑稽さが分からない人なんだなとその時は思った。

 しかし、である。9日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)2面の記事に見入った。一部を書き抜く。

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 元組長らによると、01年に大阪市で東アジア競技大会が開催され、AIBAで現在会長代行を務めるガフール・ラヒモフ氏を山根氏らが歓待した際、元組長と親しい元会社経営者が「スポンサー」だったという。ラヒモフ氏は国際オリンピック委員会(IOC)が麻薬の密売疑惑などで懸念を示すほどの人物で、元組長は「山根みたいな人間じゃないと、マフィアみたいな人間と渡り合えない」と言い切る。

 11年に日本連盟会長に就任した山根氏が海外遠征を積極的に行ったことが奏功して、12年ロンドン五輪では村田諒太選手が48年ぶりの金メダルを獲得した。そこで山根氏が「力」を見せつけた場面があった。44年ぶりに銅メダルを獲得した清水聡選手は2回戦で相手を6度倒しながら一度もダウンと認められずに判定負けした。監督・コーチ陣は抗議しない方針だったが、申請の締め切り30分前に山根氏が「やれ」と指示。AIBAによる審議で映像を見た韓国人事務局長(当時)が「どう見ても清水選手の勝ちだ」と口火を切って、結果が覆った。山根氏と事務局長は懇意で、関係者は「山根氏の政治力としか思えない」と振り返る。

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 こういうことがあったとすれば、「生意気」と口走ってしまった心情を理解できないこともない。それにしても、ボクシングの不透明さは五輪でもぬぐえないということなのか。分かりにくい競技であることはよく分かった。


 

 

翁長沖縄県知事の死去で

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 翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。4月に膵がんの手術を受けたが、肝臓に転移しており、7日に急変、8日に亡くなった。思いつくままに3つ。

『鉄の暴風』の著者で沖縄タイムス社相談役だった牧港篤三さんがご存命のころいただいた年賀状に、保守系政治家でも基地反対を唱えるところが沖縄らしい、という趣旨のことを書いてあって、時折思い出す。翁長知事もそうだった。マキャベリストという批判を浴びながら米軍基地と闘った。落ちたらただの人になってしまう政治家の真意は分からないけれど、言葉と行動で推し量るのが妥当だろう。とすれば、翁長知事はまさしく牧港さんが指摘したとおりの、沖縄の歴史を背負った政治家だった。辺野古沿岸部の埋め立てを承認した仲井真弘前知事と違って沖縄の歴史に名前を残す。

 翁長知事の死去を伝える9日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)14新版3面の見出しに私は違和感を抱かざるを得なかった。「移設反対派 絶句」だって。

 どういう意味の絶句か知らないが、翁長知事が長くないことは地元の誰でも分かっていた。「翁長さんでは知事選が危ういけれど、弔い合戦になったら勝てる」という不届きな声が県内にあったことを本土に住む私は沖縄の数人から聞いている。本土の私に届く程度の声だから、よほど世情に疎いか無関心な人でない限り沖縄の人はどこかから何度も聞いたはずだ。というわけで、いくら本土の新聞で沖縄の世情に疎いとはいえ、今さら「絶句」ではあるまい。いや、亡くなって悲しくて言葉が出ないという趣旨の「絶句」なら認めるが、人が亡くなって悲しいのは当たり前やんけ。

 4月に膵がんの手術をしたことの効果を知りたい。恐らく末期だったはずで、にもかかわらず手術をしたのかしなかったのか、どんな治療をしたのかしてないのか、延命に影響を与えたのか与えてないのか、知りたい。黄疸が出ていたとか何か症状があったのだろうか。政治的な意味でしか語られないけれど、末期がんの手術と効果を知りたい。健康ヲタ君の私はね。

 と書いたあと分かったのは、膵がんはステージ2だったそうな。早期発見だったということだが、退院後ガリガリになっていて私はびっくりした。真相は?

 琉球大附属病院に入院していたら結果は違っていた、なんてことはないだろうか。

東大法学部卒

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 橋本治さんの原稿はいつも期待してしまう。『ちくま』6月号は東大法学部卒を取り上げた。橋本さんが挙げる東大法学部卒の特徴は、
・揺るがない
・自分の非を認めて謝るなんてことはしない
・ペラペラと余計なことを喋ったりしない
 である。揺るがない根拠は「俺は頭がいい」だそうな。

 例示されたのは、カジノで100億円以上使ってしまった某製紙会社一族の御曹司で会長(当時)、部下を一人自殺に追い込んだ佐川宣寿・財務省理財局長(当時)、愛媛県職員より記憶力が悪い柳瀬唯夫・首相秘書官(当時)、ちょっとアブノーマルな性癖の福田淳一・財務事務次官(当時)。何だみんな「当時」かよ(笑い)。

 揺るがないといえば日本ボクシング連盟の山根明さんと同じで、要するに「井の中の蛙」や「田舎のプレスリー」などと呼ばれる部類である。無謬性神話を抱いて消えてゆく運命なのか。

 私の周囲を探したが東大法学部卒は一人もいない(笑い)。調べて行くと、東大法学部卒の夫婦がいると分かった。両方弁護士だそうで。東大法学部卒の弁護士夫妻がケンカになったらどうするのだろうか。“観戦”してみたいぞ。余計なお世話だな。
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