同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

魔女の一撃にマンボNo.5「う」

 今までは予告編だったかと思うくらい今回の魔女一撃は重い。

 日曜の朝、東京・品川でチクッと小さな一撃を食らった。月曜に違和感を残しつつも不自由はしないので普通に過ごしたのがよくなかった、のか。サポーターを腰に巻いて椅子に2時間座ったあと、立ち上がって小さく笑った瞬間に鈍い一撃。う、う、動けない。

 火曜朝、寝床から起きるのに30分かかった(笑い)。脂汗まみれ。なんでそうなるの! 10分おきに鈍痛と「う」が出て壁や家具にしがみつき、そんな自分に笑ってしまう。

 水曜。恐る恐る買い物に出る。目指すは徒歩数分のセブンイレブンだ。そういえば亡くなる数日前にマンションの先輩が痩せ衰えた姿でこの横断歩道を渡ってセブンイレブンに行っていたなぁ。末期だったあの先輩と違って私は単なるぎっくり腰なので、痛いとか動けないとか言ったら笑われる。あの先輩から学んだことである。などと思いながら横断歩道を渡るために一歩踏み出したところで段差に足を取られて「う」。

 木曜になっても悪化している感じがするのでやむなく医者に。呼ばれてレントゲン室に向かう廊下でも「う」と唸って手すりにしがみつく私を見た技師さんが「大丈夫ですか!」と駆けてくる。ああ恥ずかしい。忌まわしいこの腰め。

 どう身体を動かしても腰に負荷がかかることがよく分かる。立っていても少しバランスを崩すと「う」。

 連休がありがたい。

  

トップファンに認定してくれた水俣病センター相思社

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 これも嬉しい。水俣病センター相思社が私をフェイスブック上のトップファンに認定してくれた。

 石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んで今ごろ水俣病にのめり込み、この水俣病センター相思社の維持会員になった。止まらなくなるのはいいことである。転ばぬ先の杖、じゃない、えーっと何だっけ、そうだそうだ、転石苔むさず、ローリングストーン・ギャザー・ノー・モス(だったかな?)と言うではないか。

 新型コロナ騒動でローリングストーンになることができないのが悔しいけれど、待つしかない。先日水俣病センター相思社が送ってきたりんごの注文書でりんごを買うとするか。

 これまでに琉球新報社やスプリングボクス(南アフリカのサッカーチーム)、ニコンなどが私をフェイスブック上のトップファンに認定してくれており、こういうものならフェイスブックで堂々と自慢していいだろうというか、ほかに自慢するものがないだけなのだが(笑い)。






 

角田光代『紙の月』はオーケストラ演奏に似て


 41歳の主婦が銀行でパートを始め、お客さんのお金に手を付けて、狂っていく。複数の主題が織り成す長編小説で、柴田錬三郎賞を受賞した。角田光代さんの小説を読んだのはこれが初めて。数年前に勧められて本は買ってあったのだが、ぎっちり詰まった読書計画の隙間に押し込んでようやく読み終えた。めちゃくちゃ面白いという月並みな感想をまず書いておく。

 主題を思いつくままに挙げてみると、
・お金
・若い男
・夫婦関係
・女友達

 破滅に向かって速度を上げる終盤は本から目を離せなくなった。角田さんうまいなぁ(ってお前は何様じゃ)。

 この本を勧めてくれたのはチャーミングな知子ちゃんだ。女性心理について聞いていたとき挙げてくれたのがこの小説で、なるほど女性心理が細やかに描かれていて、がさつ大王の私でも理解できるところと首を傾げてしまうところがあった。この小説を読み終えても女性は依然として難しい生き物だが、だから小説になるのだなぁ。

 

何と言っても「淵」が素晴らしい『文学の淵を渡る』(新潮文庫)


 大江健三郎さんと古井由吉さんによる6回にわたる別々の主題での対談を活字化した。「文学の淵」というのがいい。とりわけ「淵」がいい。『広辞苑第7版』によると、「淵」には《\遏沼・湖などの水が淀んで深い所。古今和歌集(雑)「きのふの―ぞけふは瀬になる」⇔瀬。浮かび上がることのできない境涯。「絶望の―に沈む」》という意味がある。いやぁ、いいなぁ。

 私が注目したのは嘉村礒多が章を超えて何カ所かに出てきたことだ。わが車谷長吉さんが絶賛した私小説家なので私も読んでいるが、苦しい。ただただ苦しい。車谷長吉さんの名作で私が大好きな『三笠山』も救いがまったくないけれど、だから「淵」なのであるな。

 JR山口駅の近くに生家が保存されているので、水俣に行く機会があれば途中下車しよう。ってほぼ嘉村礒多の感想で終わってしまった。

危険な車が走る!

 白内障で視野がいつの間にか半分欠けた80歳の男性が車を運転している。妻を病院に連れていくためだという。

 この男性は地元の日枝神社で木に車をぶつけたことがあるそうな。視野が欠けていたから見えないのである。

 にもかかわらず今も車を手放さない。徳島と鳴門を往復している。

 そのうち人や自転車、バイクを引っかけるのではないか。助任本町は要警戒である。

誕生日の公開が基本になっているのは怖いな

 誕生日おめでとうございますと連絡してきた人がいた。残念ながら男である。私は生年月日を非公開にしているつもりだったので驚いた。

 何で知ってるの?

 友人が言うには、LINEに出ていたそうな。

 なにそれ? フェイスブックはずいぶん前に非公開に設定し直した。LINEで生年月日を入力した記憶は全くないのだが、慌ててLINEの中を見て生年月日を非公開に設定し直した。

 IDやパスワードと同じように、登録サイトのログインなどで生年月日が問われることがある。ということは、生年月日をネット上に出すことはIDやパスワードに近い情報を悪意を持つ人を含む不特定多数に対して無防備に公開するのに似ているのではないかと最近思い至った。

 フェイスブックもLINEもほかの何かも、生年月日は原則非公開にして、公開の危険性を本人にしっかり確認したうえで、本人が自分の意思でもって手動で公開する、という仕組みがいいな。

最終日に駆け込み「井上ひさし展」

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 いつまでやっていたかとネットで調べたら9月6日までって今日やんけ! 時計を見たら13時。今から向かえば間に合う。電車を乗り継ぎ、千葉県市川市の市川市文学ミュージアムに駆け込む。

 井上ひさしさんは『週刊金曜日』編集委員だったが、寄稿はほとんどなかった。その理由は友人である大江健三郎さんを本多勝一さんが批判し続けているからというものだったが、だったら何で編集委員になったのよという疑問は残った。断るのが苦手な人なのだろう。編集長予定者だった男にうまく丸め込まれた可能性もある。

 小さな展覧会だったが、真面目な文字で書き残した原稿などを見ていろいろ得るものがあった。永井荷風が暮らした街ということで市川市に住んだという話が新鮮だった。永井荷風と井上ひさしを戴く市川市は手を替え品を替え展覧会をしていくのだろう。財産だなぁ。

 井上ひさしの本を何冊か読んでいるけれど、それほどたくさん読んだわけではない。この際全集で読みたいと思って検索してみたが、井上ひさしの全集が出版されていないとは。没後10年、出版界は何をしてきたのか。

そこにいなくてもそこにいると嘘をつくことができるフェイスブックの位置情報って長いな

 フェイスブックの位置情報は自由自在に嘘をつくことができると聞き、さっそく試してみた。東京都内にいるのに、まずはロンドン、その数秒後にニューヨーク、さらにその数秒後に高野山と瞬間移動できるフェイスブックの位置情報は一体何のためにあるのか分からない。

 嘘をつくことができるので、嘘をつかない私はフェイスブックの位置情報を使わない。という嘘をつく。

 旅行をした気分になるわけではないが、想像の翼を広げるひとときにはなったかもしれない。

階戸瑠李さんが残した文章から垣間見た感覚や考え方、視点

 早逝した女優の階戸瑠李さんが書き綴ったノートの中の「痛いということば」を読んで「おっ!」と感じた。彼女と私は話が噛み合う。

 彼女は文章を書く仕事もしていこうと思っていたようで、「痛いということば」を書いたこの感覚や考え方、視点の持ち主なら伸びたに違いない。

 8月5日にアップした「痛いということば」が絶筆である。後世に残したい。

 階戸瑠李「痛いという言葉」





 

ががががじゅまるがぁ

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 がじゅまるが枯れ果てた。ただごとではない。私の未来を暗示するかのような無残な姿を見て、恐れ戦いた。

 これを買ったとき上杉さんに言われた。

「何もしなくても、どこでも育ちますから。でもね、私の知り合いに配ったり買ってもらったりしたんですけど、離婚騒動で悶着が起きている家とかトラブルを抱えている人とか、そういうところのがじゅまるだけは幹がシワシワになって形が崩れて、『これ、なに?』状態(笑い)。がじゅまるはその家の悪い気を吸うんです」

 ワシの家に悪い気が流れていたということか! 




 

階戸瑠李さんを悼む

 階戸瑠李という名前に見覚えはなかったが、死亡記事で『全裸監督』で監督の妻の役を演じたという一文を見て、「あの子か!」。

 ネットフリックスで上映された『全裸監督』で階戸瑠李さんが演じた場面を私は2回見た。2回目はその美しさを確かめるためである。妖艶な美しさを備えた階戸さんの濡れ場に見入りながら、プロだなと感心した。あの演技で「いい女優さんがいるじゃないか」と注目されて『半沢直樹』に出演したのではないかな。

 濡れ場を演じた理由を私は知らないので単なる想像だが、『全裸監督』の撮影は29歳か30歳のころだから、女優としての自分の未来に不安がなかったわけではあるまい。『全裸監督』に声がかかって短い時間の濡れ場に一か八か賭けたのではないか。

 彼女はてんかんの持病があったそうだ。20年くらい前だったか渋谷を歩いていたら後ろでバチーンという激しい音がして、振り返ったら人が仰向けに倒れていた。あれがてんかんの発作で、近くの派出所からお巡りさんが駆けつけていたので私はその後を見ていないが、てんかんと聞くとあの音を思いだす。後頭部が地面に打ち付けられたすさまじい音だった。

 てんかんは薬の服用で統制できると聞く。いったい何があったのか。

 ここでどんな結論を書けばいいのかよく分からないが、持病がある人は薬を軽視してはいけないとは言える。

 

安倍さんを応援していたところ

 いろいろな理由で私は安倍さんを評価しないが、1つだけ応援する理由があり、その点においてだけ応援していた。

 それは安倍さんが潰瘍性大腸炎を抱えていたことにある。

 私の身近な友人や親戚、知人に潰瘍性大腸炎の人たちがいる。どれだけ大変な病気であることか。

 安倍さんが首相をやっていること自体が同じ病気の人に対する励ましになる部分がある、と私は受け止めてきた。潰瘍性大腸炎でも激務の首相を務めることができるのだ、と前向きに見た人が私のほかにもいたはずで、そういう意味に限って今回の降板は残念である。

 健康第一。安倍さんにはしっかり養生してほしい。


 

 

繊細さに驚愕せざるを得ない池澤夏樹個人編集日本文学全集『中上健次』(河出書房新社)


 いかつい顔の印象しかない中上健次だが、凄まじい小説を書いていたことは薄々知っていた。いつか読まなければと思いながら読まずに終わるかも知れない、私にとって中上健次はそんな小説家だった。池澤夏樹個人編集日本文学全集に入っていなければ、私は読むことなく死んだだろう。危ないところだった。

 収録されている『鳳仙花』は中上健次三部作の前史である。『鳳仙花』を読んで複雑な大勢の人間関係を基本知識として飲み込んでから三部作に取りかかるほうがいいという池澤さんの配慮である。

 あのいかつい顔(しつこいか)でよくぞこんな繊細かつ重厚な文章を書いたものだと最初の数ページで怖じ気づいた。中上健次の磁場である「路地」で生きる主人公(モデルは中上健次の母親)は時代や地域の流れに翻弄されながら自分がその場その場で下した判断を真正面から引き受ける。そんな主人公の性交の場面も文学的な筆致で刻まれていて、自分の母親の性交を小説とはいえ書いてしまう業に唸るしかなかった。

 広島から新大阪に向かう新幹線の中でも読んでいたところ、新大阪駅の手前で乗り継ぎの案内が放送され新宮駅と耳に入ってきて、おおと声が出た。

 決して読みやすい文体ではないのだが、丁寧に頭から読んでいけば破綻はない。つまりよく計算された文体なのである。読み飛ばすことができない緻密な文体のせいだろう、中上健次は読者にのめり込むことを求めているように感じた。

 


 

瀬戸内寂聴さんの本を買った理由

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 読んだはずだ。読んでないわけがない。しかし、ない。寂聴さんの本を並べた棚にも、あちらこちらの本の山にも、見当たらない。

 人間の記憶などアテにならない。ましてやこのワシの記憶じゃ。というわけで、買い、広島に向かう新幹線の中で読み出して、「これ、読んだがな」。

 前向きに受け止めることにした。これぞ仏縁ではないか。寂聴さんが私に何か訴えかけたいのかもしれない(←んなわけない)。

 というわけで、NHKのドキュメンタリーなどをまとめたDVDつきの本を買った。このドキュメンタリーはたぶん見たことがある。見たとき私は寂聴さんの小説を1冊も読んでいなかった。今は何冊か読み終えていて、寂聴文学がほんの少しだけ見えているから、そのぶん深くドキュメンタリーを見ることができるだろう。

 最近は笑顔の印象が強い寂聴さんだが、私に言わせれば寂聴文学は「火を、火に、火で書く」。鬼の文学である。般若の文学である。



夏目漱石『門』(岩波文庫)を今ごろ読む


 この小説を私が10代や20代で読んでも意味が分からなかっただろう。いや、50代の今だって十分に分かったと言えるのかどうか。

 そもそも今の時代に『門』の深刻さがどれほど現実味を帯びて伝わるだろう。時代と背景が変わるとなかなか難しいものがあるのではないか。

 自業自得の人生に打ち摧かれた宗助と御米が慎ましやかに寄り添い息を殺してひっそりと崖の下で暮らす様子は、車谷長吉さんが惚れ込んだ嘉村礒多の『崖の下』に酷似していると感じた。『門』が1910(明治43)年、『崖の下』が1928(昭和3)年だから、そうなのかもしれない。ちなみにアニメ『崖の上のポニョ』は2008年の公開である。

 宗助と御米を描くことで漱石は人間の愚かしさを抉(えぐ)り、愚かしさに罰を与え続けた――と私は読んだ。この二人を、愚かしさを、自信を持って嗤うことができる人がこの世に一体何人いるだろうか。

JR東海道線で初めてしゃがみ込み

 それは突然襲ってきた。なんか変。何かムカムカする。怒っているのではない。吐きそうな気分の悪さなのである。汗がどっと出てきた。

 読んでいた『文藝春秋』9月号の芥川賞受賞作『破局』から目を上げる。JR東海道線がちょうど川崎駅に着いて、ドアが開いたところだ。降りるか? しかし、網棚に上げたリュックがここからはちと遠いし、今のこの体調では降ろす自信がない。次の品川駅で降りる予定だから、そこまで我慢できるか? ためらっているうちに無常のドアが閉まる。

 めまいがしてきていよいよ立っていられなくなった。恥ずかしいけどしゃがみ込む。私の定位置は最後尾車両の一番後ろの角、つまり車掌室の前である。壁に背中を預けて、ううううう。

 こういうとき、なぜか私はこれまでの悪業を思い出しては反省する。苦しみは私の過去の言動に対する報いだという考えが昔からあるからだろう。

 あのときあんなことをしたのは悪かったごめんなさい。あのときあんなことを言うたのはほんまに暴言だったごめんなさい。あのときあの子にあんな態度を取ったのは人格を軽んじたも同然でああもうほんまにほんまにごめんなさい。私はどこまでひどいやつなんだ。

 品川駅で降り、ホームのベンチに座り込む。自販機で買ったりんごジュースなどを飲んでようやく人心地ついた。

 原因は熱中症。熱中しやすいタチではあるものの、この熱中症は辛かった。以後、心配になって1時間をおかずにアクエリアスや麦茶や水や自作の経口補水液などを飲んでいる。これは熱中症の後遺症なのかもしれないな。





 
  

安倍さんのカルテ

私「安倍さんのカルテ、見えんか?」

某「見てどうするの?」

私「特ダネを書くんじゃ」

某「一定の人のカルテには鍵がかかっている」

私「鍵? パスワードか?」

某「そう。だからごくわずかの人しか見えない」

私「そのパスワード、誰が知っとるかお前は知っとる?」

某「知らん」

私「役に立たんなー」

某「ニシノさんと同じだね」

ギリギリまで一人暮らした先輩

 築30年も経つマンションだし何年も理事会に自発的に参加してきたし住人同士でよく立ち話をするのでそれなりに顔見知りが増えた。

 何度か「死」もあった。私より若い友人の突然死も経験したし、病気になった先輩の生活のあり方も見たし、今回の80代の男性の死の間際の騒動も経験した。特に今回の件は非常に参考になった。

 男性は一人暮らしだった。カウントダウンの状態だった。木曜朝、郵便受けに新聞を取りに来た男性を別の住人が見かけて挨拶をしている。亡くなったのは翌日、それも病院に搬送されたあとだった。

 つまり、ギリギリまでお一人で暮らしたのである。亡くなる数日前に私も横断歩道でお会いしている。骨と皮だけになっていたが、お一人でコンビニに買い物に出かけていたのだった。

 見事と言わずして何と言う。

 だいたい、あの伊丹十三監督の『お葬式』が悪い。大勢の子供や孫に取り囲まれて息を引き取る場面が終盤にあり、理想的な臨終のように見せた。あれは理想でも何でもなく、数ある臨終の1つなのである。亡くなって2日後に発見された森茉莉さんや、胃潰瘍で吐血して一人亡くなった永井荷風のような死こそ、尊い死だという見方があっていい。

 

大発見があった『冒険の森へ 傑作小説大全7 牙が閃く時』(集英社)

 お盆に楽しく読んだのがこれ。どの小説も動物が出てくる。そういう括りの巻である。動物小説なら戸川幸夫さんだろうと思っていたが、意外に大勢の小説家が作品を書いている。

 この巻で特筆すべきは西村寿行さんの『滅びの笛』と宇能鴻一郎さんの『鯨神』だろう。

 前者はカミュの『ペスト」や韓国映画『新感染』に勝るとも劣らない。山梨県がドブネズミの大群に襲われ、東京都を救うために政府から捨て駒にされる。東京から帰省した人が近所の人から嫌がらせを受ける昨今の新型コロナ騒動と重なる場面があり、いい小説は時代を超えるんだなぁと納得した。西村寿行さんの名前はよく本屋で見かけたが1冊も読んだことがなかった。文明批判とも言うべきこのような作品を書いていたとは知らなかった。

 細部を緻密に調べてあるので作品にリアリティがあり、ドブネズミが人間を襲うと言われても、甲府市が壊滅したと言われても、荒唐無稽と思えない。すごい小説家だな。

 この作品の最後のほうで、子供と女性、老人、けが人を守るために大勢の男が円陣を組む場面がある。私は「あ!」と興奮してのめり込んだ。ずーっと頭の中で転がしてきた理屈が繋がる。私にとって大発見の場面なのだった。相模原市の「やまゆり園」での障害者殺傷事件や新型コロナ倒産をまっすぐに結ぶことができる場面なのである。どこかでまとめて書くことにする。

 宇野さんといえば川上宗薫さんと並ぶ大家だとばかり思っていた。1962年に芥川賞を受賞したこの『鯨神』のような作品を書いていたとは。己の不明を恥じるばかりである。

【長編】
西村寿行「滅びの笛」

【短編】
宮沢賢治「猫の事務所」
岡本綺堂「虎」
椋鳩十「片耳の大シカ」
新田次郎「おとし穴」
戸川幸夫「咬ませ犬」
宇能鴻一郎「鯨神」
豊田有恒「火星で最後の……」
藤原審爾「狼よ、はなやかに翔べ」
井上ひさし「冷し馬」
中島らも「クロウリング・キング・スネイク」

【掌編】
広津和郎「狸」
嵐山光三郎「岡野の蛙」
北杜夫「推奨株」
川田弥一郎「青い軌跡」
星新一「不満」

救急・救助がマンションに来て分かったこと

 訪問看護の人たちが呼び鈴を押すと、どんなに遅くても5分くらいで玄関先に出てくる高齢男性が出て来ない。もしかして、ということで管理員さんが救急に電話し、救急・救助が駆けつけた。

 ここから先が大変なのだった。うちのマンションはマスターキーはないし、個人宅のカギを管理事務室で預かることもしていないので、入ることができないのである。7階なのだが、電線が邪魔をしてはしご車が届かない。

 救急隊は斜め上の住居からベランダに出て、避難はしごを降ろして下の階のベランダに行き、そこから仕切り板を乗り越えて、当該住居のベランダに。そこで窓ガラスを割って進入したときには1時間ほど経っていた。

 救急隊長に聞いたところ、ベランダ伝いの進入はよくあることだという。しかし、住人が不在だったり、面倒な住人だったりするとそこで時間を食う。このマンションには高齢で一人住まいの人が何人もいるし、私だって高齢者予備軍だからひとごとでは済まされない。

 せっかく救急隊長が目の前にいるので、対策を聞いてみた。

 第一の問題はメインのカギである。問題の第二はチェーンやバーなどの補助カギだ。この補助カギで興味深いことを教えてくれた。チェーンは切断できる。バーは切断できない。しかし、なのである。

「このタイプなら消防で外せます。電話をいただくときにこういう補助カギだと言ってもらえれば準備をして来ます」

 何と!

 ということは、極端な話、メインのカギをかけずに、補助カギだけかけておけば、万一のときでも救急・救助がすぐに進入できるということだ。理事会で今後の対策を検討することになるのだが、希望者のメインのカギを何らかの場所で預かることも前向きに考えなければならないときに来ているなぁ。

 追伸。一人暮らしならメインのカギを分かりやすいところに置いておくほうがいい。搬送されたあと、玄関が無施錠になるからだ。私の部屋のように盗まれるものが何もないのであれば無施錠でもいいのだろうけど。


 

 

冷房をかけて寝てみたところ

 夏の朝は汗びっしょりで起きるのが一番だと思っていた。水を絞ったタオルで体を吹けばああ爽快、と。

 ところが最近あちらこちらで冷房をかけて寝ることを勧める声が上がっている。NHKでさえ熱中症対策として冷房をつけて寝るようにと言い出した。冷房を効かせすぎて喉をやられるのが怖いのだが、暑さで夜中に何度か目が覚めたり眠りが浅かったりして翌日支障が出たとなれば、考え直すべきなのかもしれない。

 というわけで、28度に設定して、風量は一番少なくして、扇風機を回して、エアコンの隣の部屋で寝た。ふすまは半分締め、寝る部屋の窓は網戸にして開けた。

 あまり冷えないなぁとエアコンをよく見たら約20年ほど前の製造だった。寝るときに付けっぱなしにするのだからあまり冷えないほうがいいのだが、20年かよ。喜んでいいのかどうか分からない。

 結論。前夜の暑さで睡眠が不十分だったという前提はあるけれど、10時間近く寝た。寝て4時間半ほど経ったころトイレに1回起きただけで、あとは熟睡だった。ぐっすり寝るとはこういうことだった。

 健康の基本は睡眠だと信じている私にこの結果は大転換を迫る。悔しいけれど、今夜も冷房をかけて寝ることになる。


 

読売新聞社のナベツネを見直したが

 読売新聞社の妖怪ナベツネのインタビュー番組をNHKが放送した。大変興味深い内容で、ナベツネに中曽根首相、そして中曽根内閣の後藤田正晴官房長官が戦争経験という地下水脈でつながっていたことがよく分かった。

 最初のころ『朝日』や『毎日』に批判されていた政治家が晩年に見直され、左派筑紫哲也さんの「ニュース23」にゲストで呼ばれる事例をいくつも見てきた。中曽根さんや後藤田さんのほか、野中広務さんもその一人ではなかったか。もしかするとナベツネもそうなるか。

 それにしても、である。あの当時の新聞(私が読んでいた『朝日』は特に)は中曽根さんや後藤田さんを正確に報じていなかったのではないかという疑いを抱かざるを得ない。

 とても面白い番組だったが、1つだけ未解決の疑問が残った。私だけだろうか不思議に思うのは。90歳をとうに過ぎた爺様がなぜに未だに読売新聞社の主筆に居座っているのかという謎である。そこまでインタビューできていれば満点を差し上げたのだが、こういう下世話な疑問を抱かなかったのだろうなぁ。


 

世田谷邪宗門と森茉莉さん

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 ふと思い立って東京・世田谷区の住宅街にある喫茶店・世田谷邪宗門に行ってみた。何の予備知識もなく、ただ有名な喫茶店というだけで訪ねたのがよかった。

 暑いのでアイスクコーヒーを頼むと決めていたのだが、メニューの「森茉莉ティー」に目が行く。なぜに森茉莉さんの名前がここに?

 店のママさん(?)がすぐに話しかけてきた。

「その窓際の席は森茉莉さんがいつも座っていたんです」

 え? 森茉莉さんが来ていたんですか!

 ママさんは店内にあるいろいろな本や資料をテーブルに持って来てくれて、説明をしてくれる。この喫茶店をまるで自分の応接室のように朝から晩まで四六時中使っていたらしい。

 森茉莉さんといえば新潮文庫『日本文学100年の名作』収録の『贅沢貧乏』を私はかろうじて読んでいた。お父さん大好き娘であり、お父さんと同じように気高い生き方を貫いた。とりわけ(1冊しか読んでいないのに「とりわけ」もないものだがw)『贅沢貧乏』は新型コロナウィルス感染騒動のあとの生き方暮らし方を示唆する小説でもある。

 森茉莉さんの逸話を思い出しながら、そうか、ここに座っていたか、と想像する。秘めた恋の現場でもあったらしい。

 ママさんに『下北沢文士町文化地図』をもらい、森茉莉さんが住んでいたアパートを見に行く。世田谷邪宗門から歩いて10分もかからなかった。「倉運荘」の名前に似た4階建てか5階建てのマンションの表札を見つけた。ここだな。はるか前に建てかえたようだ。

 私がひれ伏す車谷長吉さんは鷗外の文体を真似することを決意したと書いているので、私と森茉莉さんが全く何の関係もないとは言えない。いや、言えるか(笑い)。

 ほかの邪宗門も行きたいのだが、この世田谷邪宗門にはまた来なければ。

 

『太平洋の防波堤/愛人ラマン/悲しみよ、こんにちは』(池澤夏樹個人編集世界文学全集4巻・河出書房新社)


『愛人ラマン』も『悲しみよ、こんにちは』も題名は知っていたが読むのはこれが初めて。若いころ読んでいたら途中で投げ出した可能性が高い(笑い)。

 デュラスの『愛人ラマン』は『太平洋の防波堤』を下敷きにした小説なのだった。詩的で夢想的な記述が夏の空にむくむくと湧き起こる雲のように連ねた作品なので、『太平洋の防波堤』を先に読んでいないと難儀する。『愛人ラマン』は映画になっているようだが、原作を読むよりは『太平洋の防波堤』のほうが理解の助けになるはずだ。両方の小説を収録した池澤夏樹さんに感謝である。

 サガンの『悲しみよ、こんにちは』も有名な作品だが、この小説が発表されたのが1954年だということを踏まえないとなぜこれほど高く評価されたか分かりにくい。石原慎太郎の『太陽の季節』はあの時代だから衝撃を与えたという話に少しだけ似ているか。アランドロンの出世作『太陽がいっぱい』(1960年)の空気感に似ていると私は感じた。小説の断片を生み、積み上げて小説の形にしたのがサガンの10代後半と知ると、早熟さに驚く。

 照れくさそうな顔をしたサガンの写真がカバーの折り返し部分に載っているのだが、これは何歳ごろだろう。なかなかかわいい。


 

8月6日の過ごし方

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 派手だなぁ。少しためらった。しかし、着てしまえば私の目には触れない。というわけで、今日はこのシャツを着て地元をうろつく。

 戦争体験の継承をどうすべきか。広島でも沖縄でも問題になっている。聞いた人がバトンタッチのように伝えていくのも1つの方法だろうと思い至り、私も機会があるたびに繰り返し繰り返し言うしかない。

 中沢啓治さんに会ったことがある。『週刊金曜日』編集者時代、表紙を依頼したのである。当時中沢さんは所沢市に住んでいた。

 自宅を訪ね、そのとき聞いた話が忘れられない。ご家族が焼け死んでいく場面の話になり、中沢さんはこう言った。

「部屋を閉め切って、泣きながら描きました」

 もう1人。配偶者が「初めて聞いた」と驚く横で、私に話をしてくれた元広島銀行役員がいた。

 あの日のあの時間、土橋(広島市の地名)に勤労奉仕に駆り出されていたお姉さんが跡形もなく消えた。

 戦後。「足音が聞こえた」と言っては玄関に走り、本通りで「(娘が)いた」と前を歩く女性を追いかけては顔を見て落胆したのが、古田さんの母親だった。

 オバマ大統領の広島訪問の感想を問う手紙を出したら「空疎」と返事をくれた古田さんはつい先年亡くなった。広島市の本通りを歩くたびに古田さんの話を思い出す。

 悲しいとか号泣とか苦しいとか、どんな言葉でもこれっぽっちも表現できない8月6日。




広島の平和記念公園のレストハウスで

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 広島市の平和記念公園にあるレストハウスの改装工事が終わり、営業を再開した。地下室を見ることができる。

 あの日のあの時間、朝礼が終わったばかりで37人が建物の中にいた。ちょっとした偶然で地下室に降り、資料を見つけるのに偶然ほんの少し時間を食った野村さんだけが生き残った。

 レストハウスは冷房がよく効いていて、十日市町付近を炎天下に歩き回った私は吸い込まれるように10分ほどうたた寝した。静かなひとときが心地よかった。

 写真はレストハウスから原爆ドーム方面。



 

広島8・4

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 準備が進む平和記念公園である。距離を取る椅子は仕方がない。沖縄の慰霊の日もそうだが、式典の場が必ずしも鎮魂の場ではない。

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 今年の夏は広島も閑古鳥が鳴いている。ビジネスホテルも空いていて格安の価格で泊まることができる。好機到来、今年こそ8月6日の広島を早朝から見て回ることができそうだと前のめりになったのだが、よくよく考えると都合で5日に神奈川県に戻る必要があった。残念。

 というわけで、4日に平和記念公園を見ておいた。


 

無農薬の玄米を買う

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 ふだん玄米を好んで食べるのは栄養の豊富さと歯応えのよさが理由だが、残留農薬だけは問題だった。玄米食べたし命は惜ししというと大袈裟だが、農薬を体内に入れたい人はいないだろう。

 思い立って、「玄米」や「無農薬」で検索したところ、あったあった。しかもアイガモの栽培米だ。さらにはわが福島県の会津若松市の農家ではないか。もう言うことなし。すぐに2キロを注文した。

 今までインターネットで検索しなかった不明を恥じるしかない。

 すとう農産。興味がある人はどうぞ。


 
 

 

 

意思のある金額表記

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 友人のスマホケースを見て驚いた。これは大変珍しい。金額の表記である。

 一般的に3桁ごとにカンマを打つ。日本の場合4桁ごとに打つほうが圧倒的に読みやすいのに、恐らく何も考えずに西洋から3桁カンマ方式を持ち込み、今も使われている。

 これに本多勝一さんが異議を唱えたように4桁のほうが日本の金額表記には適しているにもかかわらず。

 銀行員だった父に話してみたことがあるが、「4桁にしたら読みにくい」と一蹴された。これは銀行員という、頻繁に銭勘定をする特殊な職業ゆえだろう。

 そんな4桁でカンマを打ったスマホケースがあったとは。制作者が誰なのか知らないが、明確な意思を持って4桁で打ったとしか思えない。拍手を贈る。

 できることなら本多さんに見せてあげたいものだが(笑い)。



広島アンデルセン再開業

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 きのう7月31日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)社会面に記事が出ていたので、広島市の本通りに見に行った。広島アンデルセンである。

 被爆建物だった旧帝国銀行広島支店が広島アンデルセンとして生まれ変わり、パン屋やレストランとなった。耐震性や安全性を強くするために数年前から建て替えに乗り出し、8月1日に営業を再開した。

 というわけで、見に行った。三密を避けるために入店者を制限しており、行列ができている。「今」の光景だなぁ(写真はスーパーのユアーズ前から撮影)。

 私を含むみんなが騙された佐村河内守さんの「HIROSHIMA」の広島での演奏会の日(2013年ごろか)、会場に行く前に奮発してここで昼飯を食べたものである。分量が私には少なかったので以来昼飯をここで食べることはないけれど、一回行ったレストランのブッフェについては最大級の賛辞を惜しまない。東京なら人気爆発、連日大混雑するに違いない。こんな店が近くにある広島市民が羨ましい。

『毎日新聞』によると、爆心地から約360メートル。あの日あの時に支店にいた行員20人ほど全員が犠牲になったようだ。

 そんな場所が数え切れないほどある。



 
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