同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

日本生き残り計画

 九州での巨大カルデラ噴火が過去12万年間に10回発生していることを踏まえ、人口減少の現実も踏まえ、西日本の住民に東日本、できれば北関東以北への移住を促す告知を政府はすべきである。東日本も安穏としていられないので住む場所はしっかり調べる必要があるのは言うまでもない。噴火の可能性が高い富士山の麓なんぞに住んではいけないし、その火砕流や火山灰に襲われそうな場所も避けないといかん。

 移住しろと言われてはいそうですかと実行できる人はそれほど大勢いない。お金がかかるからね。でも、告知しておけば人は意識する。何かの機会を見つけて移住しようとする人は間違いなく増える。

 火山灰が道路に5センチ積もったら車は動くことができなくなる。鉄道の場合は10センチ。飛行機は滑走路に50センチたまったらもう飛べない。1センチ積もったら停電や断水、呼吸障害を招く。などと神戸大の巽好幸教授が言っている。先生も神戸で教えている場合ではない。

 移住先としてどこがいいのか分からない。でも、とりあえずビールのノリで挙げるととりあえず札幌辺りか。秋以降身を切る寒さだから私は行きたくないけど。


 

例えば富士山が噴火したとして

 富士山が噴火したら、上りの東海道新幹線はその場でいったん止まり、下りの新幹線になる(大阪方面に向けて走る)ことはできるのだろうか。

 下りの新幹線で東京熱海間辺りを走っている場合、急きょ東京駅に向かうことはできるのだろうか。東京駅から東北新幹線の線路に入って北海道まで走ることができればいいのだが、JR東海とJR東日本では軌道の幅が違う?

 購読しているメルマガ「MEGA地震予測」が先週今週と気になることを書いているので、数日後に広島から神奈川に戻る私は、命が惜しいわけでは決してなく、富士山が噴火した際の新幹線の動かし方を決めているに違いないと興味を持った。

芥川賞を『美しい顔』が受賞する理由

 2回書いたので最後にまとめを。芥川賞を受賞するのは『美しい顔』である。根本先生はずいぶん前からそう言っていたし、私も読んで納得した。ほかの候補作を読んでいないが、この小説がどうしても受賞しなければならなくなったのは幸か不幸か。

(1)読者を引きずり込んで押し倒すほどの表現力がある

(2)ノンフィクション派からの批判に対して、文学派は反発バネを抱かざるを得ない。選考委員は小説家の集まりだから、文学派の誇りにかけて受賞させる

(3)批判にさらされたことで話題性が出て、受賞したら作品の良さもあってよく売れると選考委員が考えないわけがない

 身体性の強い『美しい顔』だが、終わり方は高樹のぶ子さんの『光抱く友よ』を彷彿させる。名著として後世に読み継がれる文学だ。

快晴なのに災害現場でヘルメット?

 台風が近づいていると伝えるためにわざわざ波しぶきでびしょ濡れになるような場所に立ったり暴風に抗ったりしながらマイクを握る人たちをテレビで見て面白そうな仕事だなぁと思ったのは小学生のころである。

 そこには違和感はなかった。今もない。

 しかし、快晴なのに災害現場でヘルメットをかぶっているテレビの人には「なんで?」と思ってしまう。どこからも車は来ないのに赤信号というだけでじーっと待っている人たちよりも私には違和感が強い。

 NHKも民放各局も示し合わせたようにヘルメットをかぶっているから、そういうルールがあるのだろう。しかし、何回見ても変である。

 その後ろで自衛隊員や警察官らがヘルメットをかぶって作業をしていたりするから気を使っているのだろうか。テレビも自衛隊員も警察官も消防も、ヘルメットが不要な場所では脱ぐなり腰にぶら下げるなりそばに置くなりするほうが熱中症対策にもなるのではないか。

 丸刈りの強制を連想してしまう。

 

彼女、がんなの?

『科学のミカタ』という本の書評に<最終章は記者として、家族として、患者としてのがん体験記だ><診断から術後までうろたえながらも克明に記すのは科学記者ならでは>とある。7月15日付『毎日新聞』である。

 え、がんなの?

 この本の筆者と私は同期入社である。入社前に私は沖縄に住んでいたので入社前研修は西部本社に集められた。のちに開高健賞を受賞する藤原さんもそこにいて、福岡に住んでいたらしい彼女もそこにいた。今から思えば優秀な人材が西部本社にそろっていたのだなぁw。

 当時の編集局長白根さん(?)のひと声で研修としてヘリコプターに乗ることができた。確か彼女と一緒に関門海峡の上空を飛び、門司を見下ろし、小倉の上空でホバリングされてビビッた。そういえば編集局長が私の隣にいてはしゃいでいた。

 この書評を読む前に、親しい女友達から「しばらく入院します。退院したら連絡します」と携帯メールが来ていた。まさかと思うが、真っ先にうかぶのはがん。 

 そういう年齢だと私が開き直る立場ではない。今どき全然珍しくないと平然と言ってのける度胸(無神経さ?)もない。ただおろおろ。ワシは宮澤賢治かっちゅうの。

「一病息災と言うではないか。死ぬにはまだ早い。絶対死ぬなよ」と同世代の友人誰彼となく言って回りたくなる今日このごろ。

目黒区立駒場公園で出会った男の子

 図書館や美術館、博物館など「館」を称する組織が日曜に休むことなどこの日本ではあり得ないという先入観を覆された。中島敦の『山月記』展をやっているので見に行ったのに、おい日本近代文学館め。何で休むよ日曜に。

 仕方なく駒場公園をうろついてみたところ、何かかゆくなってきた。ヌカカだかユスリカだかが宙を舞っている。自然を残すとこうなるのは仕方ない。私がランニングをする平塚の公園には蚊一匹いないので、どれだけ殺虫剤を撒いていることやら。小さな生物が集団で飛んでいる場所は殺虫剤を撒いてないか撒く量が少ないか。東大の本郷キャンパスを訪ねた際三四郎池に近寄ってすいぶんかゆい目に遭ったけれど、自然の中に入るのはこういうことだからむしろ楽しい。

 かゆい話を書きたいのではない。

 駒場公園をウロウロしていて出口が分からなくなり、小学6年生か中学1年生くらいの男の子2人組に出口を教えてもらった。この男の子たち、さっき何かを素手でつかまえてハイタッチしていた。虫かごを持っている。

「何を捕ったの?」

 教えてくれたが、虫の名前は私の頭の中に残らなかった。虫かごを見せてもらうと黄緑色のトカゲとカナブンみたいなのが入っている。網を持っていないから素手で捕ったのだ。

「エサはどうするの?」

「エサもこの公園に捕りに来ます」

「エサやり大変だろ。お父さんお母さんの大変さが分かるねぇ」

 つい説教めいたコトを言うてしもたが、男の子らしい男の子に出会ってうれしくなった。東京はコンクリートジャングルという印象をずーっと抱いてきたが、こういう公園があるのだ。駒場いいなぁ。住む場所として考えたこともなかったのがちょっと悔しい。帰りは渋谷駅まで歩いてみたが、あっという間に着いた。

 渋谷駅からわずか数キロ離れた公園に自然が残っているとは。東京、意外にいいのかも。
  
 男の子たちによると駒場公園にはカブトムシやチョウなどもいるそうで、カブトムシという言葉に「おおー」と叫んだ私はまだショーネンのようなココロを持っているということか。女性も好きだがカブトムシもまだまだ大好きなのである。

芥川賞候補作『美しい顔』は報道の敵?

 芥川賞候補作の問題作『美しい顔』で主人公の女子高生は被災地に写真を撮りに来た報道カメラマンを理詰めと感情を駆使してこころの中で完膚なきまでつぶした。ぐうの音も出ない。「よくぞそこまで突き詰めたな。おっしゃるとおりです」と言うほかない。

 今回の豪雨の被災者の記事や写真に『美しい顔』の理と感情が重なってしまう。文学と報道は異なる面があるけれど、芥川賞を取ったら報道への影響は避けられないかもしれないなぁ。


 

芥川賞候補作『美しい顔』盗用問題を乗り越えて

 芥川賞候補作『美しい顔』は純文学である。その純文学が参考にしたのがノンフィクションだった。問題がこじれた原因はここにある。活字で表現するという点では同じだが、純文学とノンフィクションは“文法”や作法が大きく異なる。かみ合うわけがない。

 それにしても、だ。北条裕子さんの筆力よ。圧倒された。ぐいぐいぐい。すごい力で引っ張られた。本書が芥川賞を受賞するという根本先生の予言に100パーセント同意する。

 芥川賞は純文学に授与する。『美しい顔』は授与されるべき価値がある。

 北条さんは辞退すべきではないし、選考委員は盗用問題を棚に上げて本来の姿勢で検討すべきだ。そういうことも含めて文学なのだから。

ナポレオンは1日に11時間も寝ていた!

 いつのころかナポレオンは3時間睡眠だとか4時間睡眠だとか言われ、そういう短時間睡眠は誰でも真似できるというデタラメを吹いて短時間睡眠を教える詐欺商人が時々出てくる。

 世の中に短時間睡眠で済む人もいればそうではない人もいるので、自分の普段の睡眠時間を見れば自分がどちらか分かる。私は1日7時間以上寝ないと翌日ずーっと眠気がつきまとって一日を棒に振るから、必死になって7時間睡眠を確保する。「賢者の快眠」や「ピースナイト」を買うのはそういう理由である。

 眠れないとフェイスブックで嘆く友人に解決策を示すならまだしも「私もそういうことがある」とか「大丈夫」とか無責任なことを言うのがいて、そういう無責任な意見を読むたびに私は殺意を覚えて眠れなくなる。

 閑話休題。

 さて、諸悪の根源ナポレオンである。

 7月8日付『毎日新聞』書評欄が取り上げた『歴史と人生/歴史と戦争』(半藤一利・幻冬舎新書)によると、イタリア戦役で総大将になったときナポレオンは1日11時間も寝ていたという。

 わはは。

 ナポレオンは3〜4時間しか眠らない時でもちょっと時間があれば短時間眠っていたという話もある。でもってここに来て11時間睡眠である。ナポレオンの短時間睡眠神話はぼちぼち終わりにしよう。

松本智津夫ら死刑と忖度

 東京拘置所に入る検察官らの映像を撮ったのはNHKだけではなかったか。朝の7時。張っていたわけだ。潤沢な取材費があるとはいえ立派である。

 さて。松本智津夫ら死刑である。どうしてこんなことが起きたのかという大雑把な命題を立てる前に、巨大化し粗暴化していったオウム真理教をなぜ警察が見逃したかという命題を解決したい。オウム事件に関して警察の責任は大変大きい。内部で主導権争いがあったとか何とか聞いたが、そんな言い訳を言われても。特に地下鉄サリン事件を防ぐことができなかったのは大失態以外の何ものでもないが、結局誰か責任を取ったっけ。

 オウム真理教を今振り返ると、どんな組織にもある忖度をオウムにも垣間見る。官僚でさえヒラメになって舞う。大企業の建設会社で談合が繰り返されるのも同じ構図だろう。麻痺するのか抗っても無駄とあきらめるのか積極的に引き受けるのか、それぞれ異なるだろうが、根っこにある忖度は共通するのではないか。オウムのような“中小企業”では権力を持つトップとそれ以外の人の距離が近い。ヒラメになるのは避けがたかったのではないか。

 今では誰もが知る有名企業がまだ無名だったころ、ある催しの反省会で私が「あんな催しは」と言ったところ、「あんなとは何だ」と同世代の人からお叱りを受けた(笑い)。こういう人は会社のために悪事でも働くことができるのだろうなぁと感心したものだ。

 自分が関わる対象からの距離の取り方は少々難しい。関わる対象へのちょっぴりの誇りとともに突き放して冷ややかに論評する両天秤を上手に操ることができればいいのだが。


 

朝日新聞が日本で最も信頼できないという調査の愚

 英オックスフォード大ロイター・ジャーナリズム研究所が毎年行なっている国際的なメディア調査レポートの最新版『Digital NEWS REPORT 2018』によると、日本の新聞で読者の信頼度が高いのは1位日本経済新聞、2位地方紙、3位読売新聞、4位産経新聞、5位毎日新聞、6位朝日新聞だったとか。

 報道機関関係者なら間違いなく違和感を抱く。新聞を読んでいない人や全体像を見えていない人が投票したらこういう結果になるのだろう。

 そもそもこの調査はインターネットでのアンケートである。大変偏る。しかもトーシローだ。『科学革命の構造』(トーマス・クーン、みすず書房)の192ページに記された<科学者グループの決断以上に、科学の進歩を保証する良い規準が、他に存在するだろうか>を踏まえるなら、新聞の信頼度調査は本来全国の報道記者を対象にやるのが筋だ。科学ではないが科学に近づく調査にはなる。

 印象調査でしかない結果をうれしそうに書いた週刊誌のお里が知れる。

『科学革命の構造』とパラダイム

 パラダイムシフトという言葉をたまに聞く。その原点が本書の筆者トーマス・クーンで、定義を知らずに使ったら失笑を買う。こんな本が、と無知な私は驚くのである。1971年の第1刷から始まって今年2月に41刷を迎えていたことに。

『銃・病原菌・鉄』の科学史版とでも言うべきか。私は常々「タコを最初に食った人類はエラい」とか「毒キノコと知らずに食べて命を落とした人類の犠牲の積み重ねがこんにちのキノコの分類に役立っているはずだ」とか思ってきたので、ほんの少しだが科学のあり方やその進歩を感じることができた、か。パラダイムの定義をあてはめてみると、近藤誠の「がんと戦うな」はまだその過程に位置することになる、ような。

 訳者あとがきが味わい深い。著者クーンは訳者の旧師だったと明かす。最初の科学史専攻の学生だったであろう訳者に対して当時若い助教授だったクーンは風当たりが強く、訳者は徹底的に鍛えられたと述懐する。

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 彼の「近代科学発展ゼミ」で、二、三日徹夜して初めて発表したあとで、「非常に失望した」と講評された時は、足許の土地が崩れてゆくような思いがした。しかし(略)英語のノートが取れないで困っていたとき、講義用ノートを貸してくれたのも彼であった。
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 印象に残ったのはここである。

 クーンなんてカタカナを見たら子犬の鳴き声を想像してしまう私はわれながら阿呆と言うほかなく、この6月の課題図書を何とか読み終えたときオノレの阿呆ぶりに絶望して倒れそうになった。倒れんけど。

世界報道写真展の写真説明へのギモン

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「写真説明」と書けば誰でも分かるし少ない文字数で済むのに「キャプション」と書く『毎日新聞』はよほど英語が好きらしい。

 というわけで、ここから本題である。

 世界報道写真展2018である。大賞を取ったのは火だるまになった人の写真である。説明は「ベネズエラのカラカスで、ニコラス・マドゥロ大統領への抗議行動中に機動隊との激しい衝突が起こり、火だるまになるでも参加者」。

 ほー。すごいシャッターチャンスだ。

 しかし、実際はちょっと違う。デモ参加者が国家警備隊に投石や放火で対抗し、どういうわけかオートバイの燃料タンクが爆発して、その火がデモ参加者の着衣に引火したのである。実際一連の流れの組み写真と説明文も会場に展示されている。

 激しい衝突で起きたというより、デモ参加者の投石や放火が原因の可能性が高いのではないか。だとしたら写真は迫力があるけれど、ちょっと締まらない。


 

大地震でエレベーターに閉じ込められた場合

 エレベーターの保守点検をしてもらっている会社に電話した。

――大震災で箱の中に閉じ込められる可能性ありますか?

「感知したら最寄りの階に止まります」

――では閉じ込められることはない?

「建物が歪んだりしたら、箱自体が動かなくなる可能性はあります」

――げげげ。映画でエレベーターの天井を開けて脱出する場面を見たことがありますが?

「天井は外からは開きますが中から開きません。安全のためです」

――映画は嘘をついているわけですね(笑い)

「箱の扉は手でこじ開けることができます。しかし、エレベーターは二重扉になっていますよね。箱の扉を開けても、外側の扉は手で開きません」

――マジっすか。どうすればいいんですか?

「管理員は訓練をしていますので」

――管理員さんが不在の週末や夜間は?

「建物が歪んで箱が上下に動かなくなった場合と同じで、レスキューを待つしかありません」

――レスキューって救急の?

「はいそうです。レスキューは病院や老人施設などを優先して回ることになっています」

――ってことは、大地震で閉じ込められたら大変なことになるわけですね

「マンションでそういう訓練をしませんか。私どもが行って外側の扉の開け方を住民の皆さんにお教えできます」

 やるかな訓練。箱の中にトイレの設置も必要だな。その前に、エレベーターを使うのを止めて階段で上り下りすることにしよう。

地盤の弱さを知るための新データが追加された地震ハザードステーションって長いか

 200メートル四方と聞いていたのに、250メートル四方になったのはなぜだ。間に合わなかったか。

 それでも見ないより見るほうがいい。いや、絶対に見るべきだ。地震ハザードステーションである。

 使い方の説明が大変不親切なので、私が親切に説明しておく。

(1)まずこのサイトに行く → 地震ハザードステーション

(2)左上に「地名」を入れる欄があるので、調べたい住所を最後まで入れる

(3)「場所を検索」をクリック

(4)検索結果が出てくる。入力した地名と一致していることを確認してその地名をクリック。「close」をクリックして閉じる

(5)クリックした地名が右側の地図上に示される

(6)地図の上の「表層地盤」をクリック

(7)その斜め左下の下向き矢印を押して「微地形区分」を選ぶ

(8)地図の左上にある+印を押して地図を拡大する

(9)青丸で示されているところの色を見る

(10)地図の下の詳細をクリックすると左側に凡例が出る

(11)青丸の色と凡例の色が一致するところが、その場所の地盤である

(12)凡例は上から下に地盤が緩い


 複数の地域を調べるのであれば、(6)と(7)を先にやってから(1)(2)と続けていくもよし。

 このサイトも参考になる → 政府地震調査研究推進本部

 私の実家は三角州。私の住まいは砂丘。どっちも揺れまくるなこりゃ。

 みなさんお元気で!

サザン「ちょっとエッチなラララのおじさん」ライブビューイングでルールを考えた

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 不完全燃焼というべきか欲求不満が残ったというべきかイケそうでイケなかったというべきか。サザンオールスターズのキックオフライブ2018「ちょっとエッチなラララのおじさん」ライブビューイングの話である。東京の映画館で見た。

 ポップコーンやビールなどを持って席に着くおっさんおばはん大勢。邪魔になるやろ。何でライブに。まさかね。

 そのまさかが起きた。立って盛り上がるものだと私は思っていた。ところが、だーれも立たない。ライブビューイングって着席して見るのか。スクリーンいっぱいにサザンオールスターズが写り、桑田佳祐が歌い踊っているのに、こっちは座って見るこの落差よ。

 座った状態での手拍子、「ホテルパシフィック」では座ったまま手だけ前に出す、うーん。

 着席して見るようにという注意はされなかった。盛り上がってみんな総立ちになっても会場側は黙認するつもりだったのではないか。

 岡山では総立ちだったと聞く。いいなー。

 7万人がライブビューイングを見たそうな。そのほとんどが座って見たのだろうか。私の場合ライブビューイングが初めてなので勝手が分からなかった。すり鉢状だったから立っても邪魔になるまいと思ったものの、それは後ろの人も立てばの話であって、座ってビールを飲んでいる人の前で立ち上がったらスクリーンが見えまい。立つなら立つで全員がイッチダンケツする必要がある。

 この不完全燃焼感を解消するためにはライブに行くしかない。応募しまくるぞ。と同時にライブビューイングは起立オッケーという規律をつくるべきだ。

NASAの天体写真に感嘆す

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 宇宙の写真は見ていて飽きない。飽きないのでずーっと見ていると、いろいろなことを思い出す。

 宇宙が好きな女性がいた。頭が切れて元気いっぱい。でもいろいろ大変。ああいう女性に活躍の場を与えたら世の中すいぶん変わるのに。

 もう1つ。地球物理学だか天文学だかを専攻している夫婦がいて、女性が『週刊金曜日』を購読し始めたので男性が「そんな本を読んだらキャリアに悪影響が及ぶ」と注意した。確かに科学者が読む雑誌ではない。『週刊金曜日』が扱うテーマにはパラダイムがない非科学の世界なのだ。

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 NASA60周年とかで「138億光年大いなる宇宙の旅」と題する写真展をやっている。これが何とも美しい。見惚れるという感じ。私は特に土星の写真を気に入った。1畳以上ある大きさで、これが1万円くらいなら買うのになぁ。NASAも商売をすればいいのに。写真集が出たようだが、宇宙の写真を写真集に収めてはいかんのではないか。

 高校時代の私は理数系が苦手で嫌いだったが、地学は得意で大好きだった。教える教師が上手だったせいもあるが、地球や宇宙に興味を抱いたのが大きい。

 東京は7月11日まで。大阪は7月27日から8月8日まで。いずれも富士フイルムフォトサロンで。会場内の撮影とSNS発信を奨励している。

沖縄戦と黄金森の思い出

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 私の子供たちの母親の生まれた集落が6月23日付『朝日新聞』朝刊be版の「みちものがたり」で紹介された。6・23に合わせた記事である。

 この記事で取り上げられた黄金森(くがにむい)には陸軍病院壕がある。ここでの阿鼻叫喚を元ひめゆり学徒の宮城喜久子さんから初めて聞いたのは30年も前に遡る。南風原文化センターなどには、足手まといになった負傷兵を軍医が殺した証言がいくつも残っている。住民をスパイ視して殺したり、避難壕を追い出したりした証言は腐るほど残っている。沖縄戦の話はこんなんばっかり。沖縄でこうなのだ。中国大陸で陸軍が中国人相手にどう振る舞ったか容易に想像できる。

 さて。

 黄金森には地元集落民の亀甲墓がある。私の子供たちのオジイとオバアもそこで眠っている。納骨というのか、そういうのを一族郎党が集まって儀式の手順に基づいてやった際私も一員として参加したのは貴重な経験になった。ビデオを回しておくべきだったと反省するのは罰当たりか。

 鬱蒼と生い茂る雑木の奥に亀甲墓があり、昼間のこととはいえ木の上からハブが落ちてくるのではないかなどと心配して本土の人間である私は落ち着くことができなかった。夜になったらハブの大宴会が亀甲墓の前で開かれていそうだった。そういう森に陸軍病院の壕があったのだ。ハブを心配する私の戯言など一顧だにされない状況だっただろう。

 記事には知り合いが2人登場しており、私の子供たちはその母親から沖縄のDNAを引き継いでいるだけに「記事をしっかり読め」とLINEで念を押した。

 既読スルー。ま、こんなもんか。

沖縄慰霊の日と『私の沖縄現代史』

 今日は沖縄慰霊の日である。本来は沖縄戦や1フィート運動にでも触れるべき日なのだろう。そこで1フィート運動つながりとして新崎盛暉先生の遺作(になるかな?)『私の沖縄現代史――米軍支配時代を沖縄で生きて』(岩波現代文庫)を書こう。東京生まれの新崎先生が米軍支配下の古里沖縄に関心を深めていく過程を縦糸に、沖縄や世界の動向を横糸に、紡いだ。

 沖縄戦研究の第一人者として大田昌秀先生がいて、日米安保と沖縄の最前線には世論をリードする新崎先生がいたのである。その新崎先生、若いころは新聞記者になろうかと思っていたそうだ。しかし沖縄には新崎先生が必要だった。新崎先生がいなければ反基地闘争は迷走した可能性が大きい。

 新聞記者の夢はご子息が叶えている。よほどうれしかったのだろう、2回目の移住をした2011(平成23)年ごろ沖縄大の学長室を訪ねた私に「息子が新聞記者なんだ」と破顔して教えてくれたことを思い出す。当時これといった肩書きを持っていなかった私に「沖縄大学地域研究所研究員の肩書き、使っていいよ」と言ってくださった。お言葉に甘えておくんだった。

 以前も書いたが、『週刊金曜日』で沖縄の特集を組むたびに新崎先生に巻頭論文をお願いした。精緻で力強い原稿を毎回いただいた。著者略歴に「東京生まれ」と私がいつも記していたのだが、あるとき新崎先生から「それ、外せない?」と笑いながら言われたことがあった。周囲は新崎先生を沖縄生まれだと思っているはずで、事情を聞かれるたびに説明するのが面倒だったのだろう。

 私のおじの都庁勤務時代、同僚だった新崎先生とお付き合いがあり、本書に登場している。巻末の人名索引にはカストロと加藤一郎、加藤周一に挟まれて名前が載っている。

 沖縄に静かに流れる通奏低音たる沖縄戦の上に流れる基地問題は不快音が大きくなる一方だ。沖縄世論を引っ張る強力なリーダーシップと明快緻密な理論を積み重ねた新崎先生にはもっともっと活躍していただきたかった。


  

自宅への誘いを受け入れたらセックスOKの合図?

 うーん。こりゃムズカシイわい。

 交際3カ月のカップル。男の子が家に女の子を呼び、一緒に勉強しているうちに男の子からキスをしたら女の子が泣き出した――。

 「は? 女の子が男の子の家に行ったらセックスOKの合図ダロ」と疑問を抱いたが、中学生のカップルの話だった。中学生ならちと早すぎる。では高校生は? 大学1年生は? 2年生は? 3年生は? 4年生はと考えていくと、確固とした区切りがないんだな。今ごろ気づいた。

 私が交際相手の家に行ったのは高校1年の秋だった。彼女の部屋にも行ったけど、邪なコトは全く頭に浮かばなかった。彼女と一緒にいるだけでシアワセだったのでつい長居してしまうという失敗をやってしまったが、神に誓って性の「せ」の字も頭になかった。当時はジュンボクだったのである。

 今日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)くらし面によると、性的同意を考える動きが大学生を中心に広がっているそうな。

 同意のないセックスは強姦だが、同意のないキスはセクハラ行為なのか。いちいち「キスしていい?」とか「セックスしよう」とか同意を取り付ける必要があるのか。それはそれで無粋なように思わないではない。ここは既成事実が必要だという場合もあるし。ないか。あるよね。ない? 一人でぶつぶつ。

 同意は言葉に限るまい。相手の態度や表情で見抜くのが基本だし、その際に「ノー」を突きつけられたら相手の気持ちの読み名違いということで引くことができればいいんじゃないか。

 相手との間合いとでもいうのか、忖度できる能力は大事だぞ。お互いにね。難しいかな。

南海トラフ巨大地震のシミュレーション



 こういうシミュレーションをNHKが作ってユーチューブに置いている。臨場感あふれ、激震に見舞われる予定の徳島出身者としてはシミュレーションと分かっていてもオロオロしてしまうというか、心臓が止まりそうな気持ちに陥る。

 京大大学院の鎌田教授によると、南海トラフ巨大地震は20年後辺りだそうなので、まだ時間の余裕はある。その間に何ができるか、だな。20年後なら両親はこの世にいないはずなので、その心配は不要だ。

 しかし近藤や小磯、四宮、稲垣ら私の阿呆仲間はまだ70代で生きているはずだ。どうしよう。というか、私が考えるべき問題ではない。阿呆仲間が自分で考えないと。でも考えんだろうなぁ。みんなそろって阿呆やもん。

『資本論』入門に『高校生からわかる「資本論」』

 マルクス『資本論』の難しさは文章の屈折ぶりと単語の抽象性にある。「要するにこれを具体的に言えばどういうこっちゃ」といちいち何か思い当たるものに置き換えて読み進めなければ合点がいかないので、手間がかかることかかること。

 そんな私に援軍が。池上彰さんが実際に高校生に語ったことを原稿化した本書である。かみ砕いた語りなので大変分かりやすい。本書を読んでから『資本論』に入ればすんなり読み進むことができる、かも。

 池上さんは確か慶應経済。大学時代にかじったことがあるようだが、この仕事のために初めて最初から最後まで読み通したらしい。この姿勢、見ならわなければ。

阿波踊りを巡るゴタゴタはさておき

 阿波踊りを巡るゴタゴタの全体像がどうも見えない。徳島の伝統がカネで揉めたというのが何とも情けない。

 そもそもほんまに阿波踊りが好きな人はこのゴタゴタなどどうでもいいはずで、踊ることができれば幸せなのではないか。事実、阿波踊りまでまだ2カ月もあるのに練習という名目でもう踊っている。薄暗いというか、全然光がない徳島城址公園の狭いところで2つの連が少しだけ離れて、それぞれが鉦や太鼓を打ち鳴らし、三味線を弾き、笛を吹き、踊り手が黙々と踊っている。顔さえ見えないような暗いところで。

 これが本来の阿波踊りなのである。ただただ踊りたい。踊る場所があればどこでも踊る。ほかに何が必要だと言うのか。

 人の目を意識した見せるショーの“美しさ”より、踊り子が自己陶酔している自己満足の阿波踊りのほうが圧倒的に美しい。

当たったライブビューイング「ちょっとエッチなラララのおじさん」

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 やったー! 当たったー! 横浜マラソンでも宝くじでも当たると叫びたくなる(宝くじは買わないので単なる想像)。今回はサザンオールスターズ40周年ライブの露払い的ライブ「ちょっとエッチなラララのおじさん」のライブビューイングである。

 人混みが苦手だし、遠すぎて見えないし。あとでDVDを買えばこの2つの問題は解決する。ということでライブを避けてきた。

 はまったのは桑田佳祐の「がらくた」徳島ライブだった。たまたま徳島出身の私がチケットを譲っていただき、女子大生を誘ってみたら二つ返事でついてきた。

 会場「アスティとくしま」でびつくりぎようてん。舞台でひょこひょこ踊っている桑田佳祐の指まで見えたのである。会場は四国一の収容人数らしいが、それでも東京ドームなどに比べると恐ろしく小さい。ライブに慣れている女子大生は「狭い」と驚いていたが、そのおかげで指まで見えるくらい近かった。

 このライブ経験を基準にすると巨大会場でガックリ来るのは間違いない。しかし、私もいつ死んでも不思議ではない年齢に突入しているし、がんをやっている桑田佳祐はもっとそうだろう。ライブの面白さを知ってしまったので後戻りできない。というわけで、サザンオールスターズのファンクラブに入り、ライブビューイングに申し込んだら大当たり。

 もちろん今回も若い女性を連れて行く私はかなりエッチなデレデレのおじさんなのである。

バレたら負け

 加計学園事務局長が5月31日に愛媛県庁で同県幹部と面会した際、取材は冒頭の数分間だけしか許可されなかったので、共同通信大阪社会部記者が録音を促し、後輩の松山支局記者は従わざるを得ないと考えてレコーダーを会議室の椅子に置いて退出したことが発覚した。共同通信は県に謝罪し、総務局長は「極めて不適切な行為で深くおわびします。記者教育を徹底し再発防止に努めます」と発表、記者はけん責の懲戒処分や厳重注意処分になったという。

 流出という点で毎日新聞の西山事件や朝日新聞の辰濃記者を思い出したが、幸いなことにこれは比べものにならないくらい軽いし質が異なる。

 それでも発覚したら当事者は処分を免れない。報道機関は謝罪せざるを得ない。余裕のない世知辛い時代になっているのでネットで批判されるのもやむを得ない。発覚したら放置しておけないのが社会のルールだ。

 では、こういう取材法をやめるべきかというと、そうは思わない。あの手この手で事実を追求するのが仕事なので、考え得る方法で情報を手に入れていい。お金が絡まない仕事の良さである。

 ただし、バレたら負け。バレたら白旗を揚げるしかないだから、着手する前に「バレないで済むかどうか」を検討しないと。会議室の椅子に置くなよ、という話である。それなら最初からやるなよ。中途半端。それから先輩の社会部記者が自分でやらないと。後輩を“実行犯”にさせるヤツは先輩ではない。

 いずれあらためて書くけど、世間が注目する判決文をすっぱ抜いた朝日記者から聞いた方法は一歩間違えたら逮捕されるものだった。勝てば官軍負ければ賊軍。でも賊軍になるのがイヤだと思って最初から潔癖を貫くのはちょっと違う。

 私ならどうするだろう。ドアと床の間に隙間があればそこにケーブル式のマイクを入れてみるとか、隠し録音できる機材を使うとかするだろうなぁ。県幹部の取材をするのは当然だが。

目の前でお年寄りが転んで頭を打って

 駅ビルを歩いていたら5メートルくらい先でお年寄りがよろけて後ずさりした。ちょうど看板が置いてあり、その土台の鉄板にかかとを引っかけたように見えた。踏ん張りがきかず、尻餅をつき(尾てい骨から落ち)、そこで止まらず後頭部を床に打ち付け、ゴンという音が響いた。

 ありゃりゃ。慌てて駆け寄る。90歳くらいに見えるおばあさんだ。

 意識はある。

「気分悪くないですか?」という問いかけに「悪くない」と返ってきた。

「救急車呼びましょうか」

「いえ呼ばないで。どこに連れて行かれるか分からないから」

 ドラッグストアの湘南薬品の人も駆けつけてきた。

 おばあさんは起き上がることができない。腰の辺りに手を添えて痛そうにしている。

「念のために行きましょう。救急車なら最優先で見てもらえますし」

 私の頭にはフェイスブックへの島村先生らの書き込みが浮かんでいた。見知らぬ人のお節介で父親が助かった。救急車を我慢して母親が亡くなった。そんな書き込みを思い出したのである。ダンコとして救急車を呼ばなければ。

「自分の母親なら救急車を呼んでほしいと私なら思う」という点で湘南薬品の人と意見が一致し、あとは任せることにした。

 それにしても、だ。人は老いて足腰が弱くなるとあんなふうによろけるのである。ひとごとではない。ランニングをしている今は3時間くらいノンストップで走り続ける自信があるけれど、必ずやってくる老い。厳しい現実を見せてもらった。おばあちゃんありがとう。


 

新幹線殺傷事件に思う

 痛ましく腹立たしい事件である。毎月乗っているのでひとごとではない。

 新幹線の通路は狭い。人がすれ違う場合は体を傾けるなどしなければならないくらい狭い。逃げるルートは前か後ろしかない。犯人は30センチくらいの長さのなたと果物ナイフを持っていた。

 私が現場にいたらどうするだろう。まず犯人と向き合う位置にいる場合、丸腰の私に勝ち目はない。刃渡り30センチを持っている犯人に素手では勝てない。

 私が犯人の後ろにいる場合、勝ち目が出てくる。しかし2人ほしい。理想的には後ろから2人で飛びかかって、それぞれが片手で犯人の髪の毛をつかみ、もう一方の手で犯人の手首をそれぞれがつかむ。と同時に犯人の髪の毛に力を込めて押し倒してうつ伏せにする。と想像するのは簡単だが、狭い通路でこんなことが実際にできるかどうか。

 犯人が凶行に及んでいる最中でこちらに背中を向けていれば、後ろから消火器で犯人の頭を殴るとかスタンガンを押しつけるとかできる可能性はあるけれど、新幹線の中で消火器を見かけたことがないし、スタンガンなど持っていない。そもそも逃げるルートが前か後ろなので、犯人が振り向いて私に向かってきたらさすがに怖い。

 新幹線の乗務員は警察官ではない。闘う訓練などしていないだろう。乗務員に頼るのも無理がある。

 亡くなった男性は正義感の強い人だったのだろう。しかし、刃物を持った犯人と向き合っているとき、助っ人がほしかったに違いない。パニック状態の車内で現場に向かうのは相当怖いけれど、同じ車両にいて状況を把握できる位置にいれば、何かできないか。亡くなった男性の無念を思うからこそ、同じような事件が目の前で起きた場合どう対応すればいいのかと考えてしまう。

 スタンガンをいまネットで調べてみたけど、安いねぇ。

JR東労組の衝撃

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 私は腰が抜けるほど驚いた。JR東日本最大の労働組合であるJR東労組のスト予告に反発して組合員の70パーセントが3カ月間で脱退したという。上の写真は6月7日付『毎日新聞』夕刊(東京本社)社会面3版である。

 裏に何があるのか何もないのか分からないが、これが本当にスト予告に反発しての脱退だとしたら幹部は頭を抱えてうなっているだろう。

 時代が変わったということか、純情組合員が大半を占めるということか責任感旺盛な社員が増えたということか、あるいは真意を読むことが苦手な世代が増えたということか。

 JR東労組に限らない話ではないか。この大事件にほくそ笑む人たちが私の目に浮かぶ。

初老は何歳から?

<現在八十四歳の田原総一朗氏は、平成元年のいまごろ、初老の五十五歳だった>に引っかかった。『一冊の本』(朝日新聞出版)5月号巻頭の猪瀬直樹さんの随筆である。

 55歳は初老なのか。

 手元の『広辞苑第五版』で引くと<]袈に入りかけた年ごろ。∋諭産个琉枉痢笋噺靴靴ぁ手を差し伸べてくれたのが『新明解国語辞典第五版』で、<肉体的な盛りを過ぎ、そろそろからだの各部に気をつける必要が感じられるおおよその時期。(もと四〇歳の異称。現在は普通に六十歳前後を指す)>と詳しい。

『精選版日本国語大辞典』は範囲が広い。<四〇歳の異称。また、老人の域にはいりかけた年頃。寿命がのびた現在では、五〇歳から六〇歳前後をさすことが多い。女性では月経閉止期、男性では作業能力が衰えはじめたときから老化現象が顕著になるまでの期間>

『精選版』では私も初老に入れられてしまうが、『新明解』ならギリギリ入らない。というわけで、私は『新明解』を推す。

 以下余談だが、『精選版』で<女性では月経閉止期>というのなら、「男性は気がついたら1週間くらい朝立ちしていないぞと思った年ごろ」くらい書かないと不釣り合いではないか。個人差があるから難しいか。

自宅での転倒は柔道の足払いだな

 あ。足が引っかかった。体勢が戻らない。たたたた倒れる。腰の高さの本棚に手を突く。並べている辞書類とサプリメント類がどどどどどと雪崩を打って床に落ちる。あーあ。

 本や雑誌、箱などが積み上がっている床は慎重に足を進めるのだが、つい油断してぼけーっと歩いて何かに引っかかってしまった。

 教訓を得た。私は足腰が弱いわけではない。ランニングをしているので自信がある。

 しかし、今回倒れそうになったのは、上げた足が何かに引っかかったからである。上げた足は不安定なのである。その不安定な足の行く手を何かが邪魔をすると、小さな邪魔であっても体の均衡が崩れるのだ。

 これは柔道の足払いに似ている。どういうことか。

 両足を床に置いている場合、組み手の相手が左右どちらかの足を払って倒そうとしてきても、両足が床に均等に着いている限り難しい。しかし、人が動けば足が必ず浮く。床から浮いた足を相手が引っかけてきたら体の均衡が容易に崩れる。

 床の何かに足を取られて転倒しそうになるのはそういうことだ。決して足腰が弱ったわけではない(←ここ大事)。

 というわけで、上げた足が何かに触れなければ体の均衡は崩れないのである。そこだけ気をつければいい。床を片付けるよりどれだけ簡単なことか。
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