同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

河合議員夫妻の記者会見の時間

 事務所に広島地検が家宅捜索に入った夜、河合議員夫妻が個別に会見に応じたのだが、その時間が不可解というか、意図的に見えた。

 地検は午前中。会見は22時過ぎ。

 これ、会見が遅すぎないか。そこで「ははーん」と思った。

 私の邪推はこうだ。地元広島の『中国新聞』の早版の締切時間が22時(私の完全な推測)をやり過ごして、NHKの21時のニュースの時間帯を避けて、当日の報道をできるだけ減らそうと狙ったのである。

 邪推ではあるものの、核心を突いているとヒソカに思っている。私が相談を受けたら「会見は23時に設定しましょう」と耳打ちするもんね。だから同じ手の内だなと思ったわけ。

 河合議員夫妻の報道は翌朝から一斉に始まったから、夜遅くの会見がどれだけ効果を上げたかは別問題だが。

大地震の時の通電火災を防ぐために

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 ようやく買った。大地震の時の通電火災の心配はこれで消えた(はず)。震度5強か6弱の揺れを自分で選び、それが来たらブレーカーが落ちる装置だ。

 テストボタンがあるので押してみたら瞬時に真っ暗になった。よしよし。

 しかし、これが夜の夜中だったら怖いなぁ。怖がりの私は心臓が止まるかもしれないが、火事になるよりはましだ。

 マンションの住民に広めるかどうか管理組合で検討しよう。管理会社が数万円もする配電盤交換を提案してきたことがあるが、これは数千円と格安で良心的だ。問題はお年寄り世帯が自分たちで取り付けるのは難しいことだろう。理事会がやればいいか。

 ここだけの話だがアマゾンで買うよりヨドバシドットコムで買うほうが安い。

最後のセンター試験の最後の国語の最後の小説

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 おおおー。出題者の魂を見た思いがした。出題者の「小説を舐めるなよ」という怒りが聞こえてきそうだ。最後のセンター試験の最後の国語の最後の小説は何と原民喜ではないか。やったなぁ。やりおった。ほんまようやった。

 選択肢もよく練られていて、これで思考能力を試すことができないわけがない。

 当てずっぽうで解答しても20パーセント得点できるという批判が当初あったけれど、20パーセント程度得点したところでどこにも合格できんっちゅうの。

 考える力を養うのは大学入試で制御できるものではないし、どうしても記述式に固執するなら2次試験で課せばいい。私大なら自分の大学でそうすればいい。

 国の試験制度を検討しているという大谷大学の教授が「最近の大学生はノートの取り方を知らない」と嘆いていたけれど、出題方式を変えればノートの取り方が上手になるのか? 小説をやめればメモを取る力がつくのか? 

 そもそも本や新聞を読まない人間が増えている影響ではないのか。あるいはネット時代の弊害ではないのか。文字を書く機会が激減していることが影響していないか。

 記述式問題を課したとことで採点基準が絶対に必要で、なぜなら採点者によってばらつきが出たら揉めること必定だから(笑い)。どこかの大学の先生が「こちらが考えてもいないような解答を期待したい」みたいなことを語っていたけれど、それ、どうやって採点するんだ? 採点に恣意が入ってはいけないことくらい分かるだろうに。最終的に「選択肢問題がいいね」に落ち着く。

 たかだか試験にそこまで期待すること自体が間違っている。

 

25年前の1・17

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 あの日、出勤前にJR平塚駅近くの立ち食いそば屋に寄った。朝飯を食べたあとだったのに、なぜまた食べたのか分からない。後にも先にもあのそば屋に行ったのはあの日だけだ。

 店の中でテレビかラジオが流れ、刻々と変わる状況を伝えていた。被害の様子は最初は小さく、全体像が少しずつ把握できるようになるにつれて大きくなっていくものだから、これはどこまで被害が広がるのかと思った。

 現地に行ったのは1カ月くらい経ったころだろうか。当時『週刊金曜日』編集部にいた私は、震災の連載を黒田ジャーナルにやってもらう企画を立てた。ゴーサインが出たので大阪の黒田ジャーナルを訪ねることにし、その前に現地に立ち寄ったのだった。

 カメラを持って行ったものの1枚も撮ることができなかった。報じるには時期がずれていたし、撮った写真を載せる予定もなかった。カメラを持って行ったのに撮らなかったのは後にも先にもこのときだけだ。

 あれはどこだったか、福島時代の同業他社だった共同通信の福ちゃんにばったり出くわし、その場にいた共同の先輩に福ちゃんと一緒に昼飯をごちそうになった。その人の名前を覚えていないだけに、時々思い出す。

 大阪読売社会部で腕をふるった黒田さんと大谷さんをはじめとする黒田ジャーナルの皆さんと打ち合わせをして、といっても黒田さんが指揮する原稿だから編集者としての私は特に何をするでもない。その連載が本になって、私は1冊持っている。

 もう本屋には並んでいないけれど、読み継がれるべき本である。

杉田敏先生が『毎日新聞』で語った英語教育に賛成!

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 おおおお。NHKラジオの『実践ビジネス英語』講師・杉田敏先生のインタビュー記事が大きく掲載されているではないか。1月14日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)オピニオン面である。

 今春小学3年生から始まる英語の授業についての見解を語っていて、ほぼ同感だ。唯一違ったのは、《最も難しいのは、やはり「話す」ことでしょう》。杉田先生が言う意味は分かるけれど、それでも私は「聞く」が最も難しい。

 英語は中学に入ってから勉強を始めても遅くないと私も思う。ディズニーの英語とかいう教材を30年ほど前に長男に買い与えたことがあり、当時50万円もしたけれど、数年後に長男は「このお皿エンプティーだね」と言っただけ。これで50万円(笑い)。阿呆の子は阿呆なのである。ヤクオフで売った。

 私は自分の子供でいろいろ実験をしてきた。私の予想に反する結果が出たものもあるけれど、幼少期の英語は必要ない。ましてや全ての子供に英語が必要なわけでもない。

 日本語に不自由している日本人を大勢見てきたので、幼少期から日本語を習得する時間を充実させるほうが賢明だ。日本語を「書く」「話す」=発信、「読む」「聞く」=受信は案外難しい。私自身そう感じることがよくあるので、杉田先生の「実践ビジネス英語」をやっている場合ではないのかもしれないが。

10キロおじさんは病気では?

 世の中の困った人をテレビが面白おかしく取り上げるけれど、病気ではないかと思うことが時々ある。血相変えて近所の人にイヤガラセをしていたオババとか、最近の10キロおじさんとか、どう見ても変ではないか。

 10キロおじさんは私には痴呆に見える。私は医者ではないので何の診断をする知識も技術もないのだが、言っていることがおかしいかどうかくらいは何となく何となく感じる。

 精神科医に取り上げていいかどうか意見を聞いてからテレビ放送の可否を考えているのだろうか。それくらい慎重であっていい。

 

喫茶店で書評面だけ見た男

 40代くらいの男が私の隣の席に『毎日新聞』を持って来てめくり始めた。私はたいてい1面から読む。この男は1面を飛ばしてどの面を読むのだろうかと盗み見したところ、その男が開いたのは何と書評面だ。

 次の面(見開きの書評面)をさっと見て、閉じて、新聞置き場に返した。

 東京・高田馬場駅前にある喫茶店カンタベリーで早朝に見たのがこれだった。70代くらいの父親らしい男と一緒で、父親は『産経』を見ている。男は『毎日』のあと『日経』を持って来た。

 いやしかし。いきなりステーキ……じゃない、いきなり書評面を開いたこの男は何者なのだろう。『毎日』の書評面がそれなりにいいと知っている上での行動に見えたから、出版関係者か? 

 そういえば30年近く前、JR東海道線で『サンデー毎日』を読む男性がボックス席で私の前にいた。当時『サンデー』編集部にいた私は、「次はワシが書いた記事や」と思ってワクワクして盗み見していたら、あっさり飛ばされ、その次のページにめくられた。

 良きにつけ悪しきにつけ読者の興味に抗うことはできないのである。今度また書評面を最初に見る男に会ったら声をかけてみよう。「もしもし、どうして書評面だけ見るんですか? あなたは何者ですか?」と。

 ワシが怪しまれる?

 

『いのちの初夜』と徳島

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 北條民雄が日本占領下の京城で生まれ、その後徳島県阿南市下大野町で育ったとは。私は徳島生まれなのに迂闊にも知らなかった。というわけで慌てて『いのちの初夜』をアマゾンの青空文庫で買った。昭和の最後2年を沖縄で暮らしていたとき伊波敏男さんの『花に逢はん』などを読んだ際『いのちの初夜』を読んでいないわけがないのだが、全く記憶にない。というわけで、ここは潔く買うことにした。アマゾンの青空文庫はありがたい。

 一度聞いたら忘れられない峻烈な美しさを持つ『いのちの初夜』という題名は川端康成の命名だそうで、あの当時であるにもかかわらず川端康成は癩への偏見を持たなかったという。孤独な幼少期を過ごした川端は偏見のおぞましさと屈辱を知っていたのかもしれない。もちろん北條民雄の文学を高く評価したからこそだろうが。

 私は友人と話すとき川端康成を「康成」と呼び捨てにすることがあるけれど、北條民雄を「民雄」とは言えないなぁ。


 

 

 

選ばれなかった『日本経済新聞』のなぜだ

 選ばれると不名誉だが、選ばれないのもちとクヤシイ。ゴーンさんの会見を日本の報道会社が見るとこんな感じだろうか。

 選ばれたのが『テレビ東京』というのは納得だ。あの会社はジャーナリズムなどないもんな。次に『小学館』というのは正直よく分からない。『週刊ポスト』がへつらってきたのだろうか。まぁ、ジャーナリズム体質は弱い会社だからな。

 しかし一番分からないのが『朝日新聞』だ。「ゴーン被告、レバノンに逃亡」という見出しでも分かるように報道は厳しかったし、バリバリのジャーナリズム体質なのになぜ。

 一方、歯噛みしたのが『日本経済新聞』だろう(笑い)。「ゴーン元会長、無断出国」という見出しは『朝日』に比べるとゴーンさんに180度甘い。それなのに、子会社の『テレビ東京』が選ばれて何でうちが選ばれなかったのかと憤まんやるかたない思いになっているはず。「日本の経済ならうちが一番」という自負もあるだろう。それだけに外野としては面白いのだが。


 

ゴーンさんから学ぶ「逃げるに如かず」

 ゴーンさんの日本脱出に対して、いろいろな意見が出ているのだが、私は学ぶべきだと思う。すなわち三十六計逃げるに如かず、と。

「へぇーほぉー」と呆れられるかもしれない。しかし、である。逃げていいのである。つらいとき、苦しいとき、もがいているとき、自分が壊れそうなとき、死にそうなとき、逃げていい。

 逃げるのは恥でも何でもない。生きるための第一歩だ。

 武士道だの騎士道だのの時代はとっくの昔に終わったし、私たちは武士でも騎士でもない。恥だの卑怯だのという罵倒に怯む必要はない。

 逃げて、逃げて、逃げていい。自分の魂のために。自分の愛する何かのために。学校からも、職場からも、地域からも、家庭からも、恋人からも、友人からも、他人からも、逃げていいのである。

 ワシはそう思うな、うん、いやほんま。

年賀状あわわわわ

 今年も年賀状がとんでもないことになっている。理由は分かっている。ひとことで言えば「全部私が悪い」。具体的に言えばこうなる。

(1)諸悪の根源は去年の年賀状を整理していない私の手抜きにある

(2)筆まめのデータが古いまま

(3)去年の年賀状が散逸していて、誰から来たか全体像が分からない

 しかし、こういう混乱は私だけではなさそうで、例えば去年転居先不明で年賀状が戻ってきた大阪の青井さん。切れたなーと悲しんだのだが今年年賀状が来た。同じ町内で引っ越していた。

 逆に毎年私の年賀状を見てから送ってくる人で、その人に私が今回送っていないことさえ気づいていない場合、切れたはず。

 去年届いた年賀状が行方不明で筆まめのデータが非常に古い北海道の名取さんには送りたくても送ることができず、彼女からも今年の年賀状が来ていないので、切れたかもなぁ。

 何せ私が年賀状の全体像を把握できていないので泡を食うばかり。とはいえ、大事な人たちからは来ているし、駿台の藤田修一師はお元気だし、年賀状が来ていなくてもメールが来たりしているので、特に困ることはない。年賀状のやり取りの自然消滅は案外いいかも。

 実はおととい、某県内の某機関およそ200が載ったエクセルの住所データをラベル印刷することに成功した。私にとっては月面着陸に近い成功で、大きな自信になった。やってみたらめちゃくちゃ簡単なのだ。

 今年の年賀状は必ずエクセルに載せて、ラベル印刷に備える。来年の年賀状に生かす。これが私の新年の誓いだな。しょぼい誓いであることよ。


 

『天声人語』は和歌が分からん

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 人工知能(AI)が俳句を作っていることを紹介して《成長が楽しみでならない》という陳腐な結びをしたのが1月4日付『朝日新聞』の「天声人語」だった。この結びを読んでがっかりしたのは、俳句や和歌(短歌)への底の浅い視座が見えたからだ。

 AIが作った俳句(やたぶん三十一文字)に(も)好感を寄せるこの姿勢はダッチワイフを抱いて射精するのに近い。

 性癖はいろいろあっていいけれど、恋愛や性交は人間相手にしたい。私はね。目の前にダッチワイフを置かれても興味は湧かない。なぜなら人間ではないからだ。

 俳句や短歌が面白いのは、技巧に凝ったり架空の話を作ったりしながらも作者の素顔がほんの一瞬見え隠れするからではないか。先日読み終えた池澤夏樹編集の『日本文学全集』第2巻のどこかでも誰かがそういうことを書いていた。

 AIが技巧に凝った俳句を作れば人間のにおいをさせることができるだろう。人間が作ったのかAIが作ったのか判断できないだろう。しかし、なのである。私はダッチワイフを抱きたくない。俳句を製造するAIの成長が楽しみとも思わない。そこに生身の人間がいないからだ。

 ダッチワイフではなくアニメのキャラクターでも私には同じ。人間が生む感情にしか私の感情は動かない。

ヤクオフの落札価格を上げる性悪のワシ

 ヤクオフに車谷長吉さんの色紙が出品されていた。最低入札価格は5000円。出品者の落札希望価格は4万5000円。

 説明に「本のサインはあるけれど色紙は見たことがない」と書いてあるが、それは違う。車谷長吉さんの色紙は3万円くらいで古書店で売られている。4万5000円はさすがに暴利のトンチキ野郎である。

 というわけで、私がまず入札した。5000円。誰も気づかなければこの価格で私が落札できるわけで、大変安い買い物になる。

 しかしオークション最終日に見たら、5700円になっていた。私の他に2人が入札したようだ。

 車谷長吉さんの色紙をこんなに安い価格で終わらせるわけにはいかない。タイムリミットの15分前、私は入札した。6000円7000円8000円と入札するが、私が最高価格にならない。車谷長吉さんの色紙は2万円でも安いので、入札価格を上げてゆく。

 1万5000円で私がトップに。しかしすぐに追い抜かれた。おお、来たな。安い落札価格になることを好まない出品者が釣り上げている可能性がないではない。そのウタガイを抱きつつも、車谷長吉ファンの私は落札価格を少しでも上げることにした。

 車谷長吉さんの色紙を不当に安い価格で私以外の人間に落札されるのは許せない。ワシは性格悪いノダ。

 2万円。2万1000円。2万2000円……。2万6000円。2万7000円。この辺りから私は慎重になった。競争相手の入札価格を上回るのはいいが、そのあと競争相手が私を上回る入札をしなければ、私が買わなければならない(笑い)。

 2万8000円。競争相手の入札価格のほうが上らしい。2万9000円。これでも相手が上。恐る恐る3万円入札する。相手が上。ほっとする。

 3万1000円の入札はやめた。私の猛攻で車谷長吉さんの色紙は3万円にまで価格が上がり、これなら妥当な価格だ。落札者がどう感じたか知らないが、車谷長吉さんの市場価格を守ったワシはマンゾクである。やっぱり性格悪いな。


 

日経VS朝日毎日読売産経東京

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 どうもよく分からない。ゴーンさんの肩書きである。『日本経済新聞』だけが4日付朝刊でも「元会長」としている。他紙は「前会長」だ。

「元」と「前」の違いなど読者にはどうでもいい話だろう。しかし、これを間違えると普通は死ぬほど怒られるところだし、位置づけもずいぶん変わってくるから、私は気になる。『日経』は「前」を「元」に含む表記ルールなのだろうか。


 

池澤夏樹編集『日本文学全集』第2巻で学ぶ古典の楽しい読み方



 数ページ目で「あっ!」と声が出た。折口信夫の『口語万葉集』の「はじめに」が車谷長吉さんにつながったのだ。

 折口信夫はこう書いた。《わたしは、その八十人ばかりの子どもに接して、はじめて小さな世間に触れたので、雲雀のようなおしゃべりも、栗鼠に似たとびあがりも、時々、わたしの心を曇らした悪太郎も、それから又、白眼して、額ごしに、人をぬすみ見た、河豚の如き醜い子も、皆懐かしい》

 河豚の如き醜い子って……。そこまで書くか。わざわざ書かなくてもいいことを刻んだのは、そう書かざるを得なかった何かがあったのだろう。折口の凍り付いた苛烈な業をここに垣間見ることができる。見た瞬間に私が思い出したのはわが車谷長吉さんなのである。

 原典を見つけることができなかったが、村田喜代子さんの本の書評で車谷さんは《鼻が大きい美人》と書いた。読んだ瞬間そこまで書くのかと私はのけぞった。車谷長吉さんの業であろう。それを思い出したのである。

 玄侑宗久さんとの対談で《そういう台詞を書く車谷さんが不気味に見えてしまう》と指摘された車谷さんは《そう言われて意識したんだけど、村田さんの書評を書く場合は、「鼻が大きい」と書かないと成立しないんですね。それによって、他人の世界の中へ村田さんが踏み込む力があるということを表現したいんだ》と釈明している(車谷長吉『蟲息山房から 車谷長吉遺稿集』新書館)。

 車谷さんは折口の本を当然読んでいて、この『口語万葉集』の「はじめに」はもちろん読んだはずで、それが車谷さんの頭のどこかに残っていて、《鼻が大きい美人》になって表れたと私は見る。 

 さて。池澤夏樹さん編集の日本文学全集第2巻は折口信夫の『口語万葉集』と丸谷才一の『新々百人一首』の中からの抜粋と小池昌代さんの新訳『百人一首』で編まれている。

 小池昌代さんは美しい女性で、車谷さんもそう思った(『車谷長吉全集』2巻)というところからも興味を持って読んだ。百人一首は高校時代に古文の授業で習ったけれど、詩人らしい感性で引き直しただけあって読ませる。

 圧巻は丸谷才一の『新々百人一首』だ。博学だとは知っていたけれど、すごい。すごすぎる。丸谷才一に『毎日新聞』書評面の大改革を依頼した齋藤さん(当時主筆か社長か)の目は正しかった。その丸谷才一が『毎日』書評面を池澤夏樹さんにバトンタッチしたのだから、池澤さんの力は推して知るべしだ。

 で、この丸谷才一『新々百人一首』だが、これは高校生か大学生向けの古文の教科書になり得る。決定版と言っていい。私は高校時代に読みたかった。表現とエロスに触れているので高校生が読んだら鼻血ブーかもしれないが、そもそも古典はエロスの世界なのだから仕方ない。見るとか逢ふとか秋とか七夕とかの当時のニュアンスを私は初めて知った。

 池澤さんが本書に載せた『新々百人一首』は20首なので、残り80首を読むためには原典に当たるしかない。ただ、私は先を急ぐ。日本文学全集を読み終えたら『新々百人一首』を最初から読もう。

 しかし、あらためて思う。高校時代に古文を学んでいたときも思った。色に明け暮れていた優雅な暮らしをしていた連中はさておき、一般庶民の暮らしはどうだったのだろうか、と。私の関心はいつもその層に向かう。

四国八十八カ所参りに行けないので走り初め

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 年末の30日に「そうだ、四国八十八カ所参りがあった!」と思いついた。あのとき必死こいて一番札所に飛んで行っていたら1週間弱は歩くことができたはずで、今ごろ徳島のどこかをさまよい歩いていた。知識も準備も何もないからと一瞬ためらったのは不覚だった。かっこうの取材場所だったのに。しかも年末年始だからパソコンもスマホも置いて歩くことができたのに。寒い時期だが寝袋持参で適当に野宿すればなおさらいい取材ができたのに。

 とりあえず「るるぶ」の最新版『四国八十八カ所』を買って自宅で静かに目を通していたときに「そういえば」と気づいた。わが車谷長吉さんの『四国八十八ケ所感情巡礼』(文藝春秋)とお連れ合いの高橋順子さんの『お遍路』(書肆山田)をヤクオフか何かで買って持っているではないか。

 さっそく元日から読み始め、2日で読み終えた。車谷さんは徳島県がゴミだらけだと執拗に書く。うんこの話が続出する。アマゾンのレビューを見ると深い解釈ができない人が愚かな感想を書いていたけれど、生きるということは物やうんこを排泄することと表裏一体なのである。

 車谷さんは高橋順子さんをネタに悪口雑言を並べる。寺の名前を具体的に挙げて批判する。御利益を求めない人ほど手ごわい人はいない。車谷さんが吐く毒は人を的確に刺す。

 高橋順子さんの『お遍路』はさすがに品がある。しかし、点と点を車や観光バスで楽をして繋ぐお遍路さんに対しては車谷さんと同じように厳しい懐疑の目を向ける。もとより私は歩くつもりだったので何度も深くうなずいた。

 八十八カ所を歩く絶好の機会を逸したので、やむなく走り初め。

 

 

恒例元日紙面比べ

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 元日の楽しみはこれ。

【ゴーンさん編】
 ゴーンさんのニュースが各紙の元日紙面(全国紙は東京本社版の13から14版)を制覇したのは面白みに欠けた。見出し別に分けてみた。下に行くほどゴーンさん擁護が強まる。

・ゴーン被告、レバノンに逃亡=朝日新聞

・ゴーン被告、レバノン逃亡=毎日新聞、産経新聞

・ゴーン被告、海外逃亡=東京新聞

・ゴーン前会長海外逃亡=神奈川新聞

・ゴーン元会長、無断出国=日本経済新聞

 ちなみにNHKは「ゴーン元会長出国」だった。

 新聞業界では「前」と「元」を使い分ける。『神奈川』が「前会長」と打ったのは何かの勘違いか?


【独自ダネ編】
・「日米で月面着陸」NASA長官が提案=毎日1面肩
 夢がある話だが、日本から金を取ろうということだな。

・「国会議員5人に現金」 IR汚職 中国企業側が供述=朝日1面頭
 政治家とカネの醜聞。疑獄が始まった。

・中国製機器制限へ新法 5Gなど ファーウェイ念頭=読売1面肩
 そこまでやる必要がある証拠を政府は持っているということか。

・銀座の高架道路廃止へ 30年にも 跡地に空中公園=東京1面頭


【注目編】
 多和田葉子さんに朝日賞。
 次のノーベル文学賞を狙う多和田さんに朝日が先に授与しておいたと私は見る。

 毎日芸術賞特別賞に今野勉さん。NHK「宮沢賢治 銀河への旅」演出などで。
 NHKで放送されたこの番組を私はたまたま見た。宮沢賢治が密かに抱えてきた苦しみを追究した結果、見えたもの。私はため息が出た。


【西野賞特別お笑い賞】
 産経1面で論説委員長が「政権長きゆえに尊からず」と珍しい見出しの記事を書いたのでチラッと見たら「6年も参拝しないのは…」だって。そこかよ! 


【西野賞大賞】
 朝日の神奈川面の連載(なのか?)「ともに」の記事。最首悟先生夫妻と星子さんを取り上げた。見出しは「頼り頼られ生きてゆく」。今こそこの地点からの発信が重要だ。繰り返し繰り返し、手を変え品を変えてこういう記事を出していくのは朝日ならでは。

 日経が「逆境の資本主義」という連載を始めた。大所高所から資本主義に焦点を当てるしかないのだろうが、ツマラナイな。朝日は「志エコノミー」という切り口の面白い連載を始めた。ブレディみかこさんと福岡賢一先生の対談も読ませた。朝日は本紙のこういう気骨が地域面の記事にも及ぶのだろう。

大晦日に響く

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 そうだ、天ぷらにしよう。

 スーパーをふらふら歩いていて目に付いたのが天ぷらだった。年末なので天ぷらを食べようと思いついた。なぜ年末=天ぷらなのかよく分からんが、半額になっていたので買った。

 冷えた天ぷらは体に毒である。トースターで温めることにした。タイマーをかけて、しばらくして覗いたら、うっ。焦げとるがな。

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 焦げはがんを招く。天ぷらは食いたし命は惜しし。というわけで焦げを削いで食べてみた。ガリガリと音がする。衣が硬いのだ。ガリガリ。ガリガリ。天ぷらの食感はまるでなく、諸行無常の響きあり。


 

金正恩の写真の“手ぶれ”の理由

金正恩の写真はここから

 ひと目見て「うまい」と思った。特に背景がいい。緑と赤、黄色を写し込んで、ぼかしている。しかし、気になったのが金正恩の両手である。文字通り“手ぶれ”を起こしているではないか。

 私はこの写真の“手ぶれ”を気に入らないけれど、この写真を公表したということは、金正恩の手の動きの勢いを強調するのが狙いなのだろうなぁ。会場は照明がよく効いているだろうから、F8くらいに絞って撮ったか。被写体はデブ男だから、カメラマンにはぶよぶよの右手のひらをぼかす意図もあったかもしれない。

 ここで視点を変えて、この“手ぶれ”がアクシデントだった可能性を推測してみる。

 最近のデジカメは高画素だ。高画素になればなるほどわずかなブレが写ってしまう。撮影者の手ぶれのほか、被写体が動くことで生じる被写体ぶれがある。デジカメ側にブレを補正する装置が組み込まれていても被写体自体の動きを完全に止めるのは難しい。自然の光景なら風で木々が揺れるし、人間ならなおさら「微動だにしない」は死人以外無理というものだ。高画素であればいいという話ではないのである。

 背景のぼけ具合を見ると、開放値1.4クラスのいいレンズを使っていないのではないか。というわけで、この金正恩の“手ぶれ”は、高画素ゆえのアクシデントの可能性を私は排除しない。

 何でもそうだが、見えすぎるとあまりいいことはないのである。適度に見えるくらいがちょうどいい。高画素を追求する先にある光景は「見たくなかった」ものだったりすることがままあるもんなぁ。

東京・日本橋の下で修行僧が

 東京・日本橋の下で修行僧(たぶん)をよく見かける。仏教の“メッカ”なのかもしれない。

 ある日も修行僧がいた。前を通ると「高野山を走り回り」という男の声が聞こえてきた。ほーそうかーと思って通り過ぎた。約1時間後、逆方向からその修行僧の前を通った。すると――。

「オーマイガー!」

 彼は小さな声で怒っていた。喜捨がないので頭に来たのかもしれない。

 修行が足らんな。

読みやすい青空文庫の大活字版

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 大きな字は青空文庫の大活字版、小さな字は漱石の『三四郎』(岩波文庫)である。大活字が老眼にどれだけ優しいことか。

 私は眼鏡をかけているので文庫の字も読むことはできる。たとえそうであっても、大活字のほうが脳に深く刻まれるような気がする。気のせいか?

 読者の好みで大活字版を用意するアマゾンの仕組み、恐るべし。

 出版社が大小2種類の大きさの活字の本を出す……のは難しいのだろうなぁ。


 

新幹線の荷物の置き方に異議アリ

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 外国人旅行客(インバウンドとかいう阿呆な言い方を私はしない)はひかりとこだまを格安で乗ることができるので、始発駅以外から乗ると大変な事態になる。すなわち、棚が大型スーツケースでいっぱいで、私の小型スーツケースとリュックを置く隙間がないのである。

 と同時に、小型や中型のスーツケースの置き方にも問題がある。私は縦に置くのだが、ほとんどの人は横に置く。横に置くとほかの人のスーツケースを置く空間が減ることが分からないようだ。

 上の写真は珍しいので撮った。縦に置いたスーツケースが3個並び(これは私が推奨する置き方)、手前のスーツケースが横置き(配慮ができない人の置き方)。通常はこの横置きのスーツケースがぎゅうぎゅう詰めに並んでいるので私はいつもがっかりする。

 スーツケースの置き方をJRが指導するしかない。私がこんなところでぼやく前に気づけよJR。

年賀状がワケワカメ

 舎弟を3人抱えていたころ、住所録が充実していた。紙の住所録(1人1枚)のほか、ソフトに年賀状のデータを入れて、送ったとか、相手からも来たとか、喪中なので今年は送らないとかとか、そういう分類をさせて、私は年賀状の文言を練るだけでよかった。

 舎弟3人みんなが家を出て、私ひとりで年賀状の準備をせざるを得なくなり、途端に大混乱に陥った。紙の住所録もソフトのデータも更新しておらず、去年誰に送って誰から来たかの把握が不十分で、今年もまた出張先の広島に年賀状の束を持って来ているのだが、そもそも不備だらけなので勘で出すしかない。勘?

 去年も同じ時期に「住所録のソフトを今度こそ整備しよう」と誓ったのに年賀状の季節が終わると完全に忘れてしまって今日に至る。今度こそは(ほんまかいな)。


 

『三四郎』に記された漱石の通奏低音

 岩波文庫の漱石全集が案外サクサク進むのは文庫本なので持ち歩いているせいだな。

 さて『三四郎』である。去年だったかおととしだったか東京大の三四郎池に行って蚊に食われたことを思い出しながら読んだ。

 漱石の通奏低音は美禰子が言った「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」ではないか。1908(明治41)年の『三四郎』に始まり、1909(明治42)年の『それから』、1914(大正3)年の『こころ』を貫く主題に見える。姦通罪があった時代だし、「一盗二婢」などとうそぶく堕落が漱石になかったのか蛮勇を持ち合わせていなかったのか機会がなかったのか相手がいなかったのか知らないが、文学としてはこれで十分成り立つ。

 この小説でも漱石の蘊蓄が遺憾なく発揮されていて、登場人物に《それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはない》と語らせ、偽善を突く。こんな表現は私には思いつかないけれど、全く同感だ。前述の通奏低音とここは通じる気の流れがあり、漱石は人間の昏くて深いところを掘るんだなぁ。

駆けつけたのに(涙)

 横浜の献血ルームから電話がかかってきた。
「A型が足りないので、400娶シ譴僕茲討曚靴ぁ

 急いでいるというので数日後に駆けつけた。受付でいつもの手続きをして、薬の服用を問われた。
「昼は飲んでいませんが、今朝は飲みました」
「何という薬ですか」
「×××です」
「ちょっと調べますね」

 スタッフがパソコンで調べてこう言う。
「アレルギーの薬はセレスタミンなどを除けばOKなんですが、その薬は前日までの服用なんです」

 平塚横浜往復の電車賃と時間が何の役にも立たずに消えた。がっくり。

 サラ金ではないけれど、献血は計画的に。

芸人KKの目は大丈夫か

 目にレーザーを当てて近視を治すとかいうレーシックは手術が簡単に済むと言われるけれど、ズレることがあると言う医療関係者は少ない。

 レーシックの手術を受けるために某クリニックに来た芸人KKさん。レーザーを当てる位置が微妙にズレた。医者が下手だったのだろう。

 しかしKKさんはこのことを知らない。目の調子が悪かったら来院するだろうし、来たら来たで医者は適当なことを言って(まさか「実はズレましてね」とは言えまい)、再手術をするのかな。KKさんが気づかなければそれでよし。

 知っているのは医者と看護師4人だけ。

 しかし人の口に戸は立てられぬ。こうして私の耳に入るわけだ。

 もう何年も前の話だが、最近のレーシックはどうなのだろう。

 一般の手術室は感染が怖いのでメスなどを徹底して消毒する。しかしこのクリニックの場合は完璧な清潔操作をしていなかった。病院のオペ室ナースだった看護師がこのクリニックに転職して来て消毒のアバウトさに驚いたそうだけど、レーシックの手術はそれでいいのかな?

元農水相事務次官の長男殺人と『子供たちの復讐』

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 元農水相事務次官が長男を殺した事件の報道を見聞きしてすぐに浮かんだのが『子どもたちの復讐』(朝日新聞社、1986年)だった。

「開成高校生殺人事件」(1977年)と「祖母殺し高校生自殺事件」(1979年)を上下巻でまとめた本多勝一さんのこの単行本を私は今も持っている。下巻には祖母を殺して自殺した早稲田高等学院高校のAが書いた遺書が載っていて(文庫本化されたときは削除されていた)、「学歴」だの「エリート」だのに対して異様に負荷のかかる家庭環境や青年になった男に対して家族が距離の取り方を誤ると人間の人格を破綻させうると知った。

 元農水相事務次官の殺人事件はお嬢さんの自殺という衝撃的な話が裁判で出てきたこともあり、何となく世間の同情を誘った。

 しかし、それでいいのだろうか。長男が適応障害になったという理由で事件の幕を下ろすのではなく、何がどうなってなぜ間違ったのかを報じる記者はいないのか。本多さんが取材したころと違って今はプライバシー保護がやかましく言われるけれど、元事務次官に同情する前に殺された長男に同情を寄せるのが筋ではないか。似たような惨劇を何度も繰り返さないよう、家庭で何が起きてきたのかを共有する価値はあると私は思うのだが。

合意の有無は「薮の中」だが

 元TBS記者の会見を見る限り、私は“合意”があったのではいかと思う。女性が酔っていたのでその記憶が飛んでいるのではないかと思う。芥川龍之介ではないが真相は「薮の中」と言わざるを得ない。

 問題は合意の有無ではない。

 問題その1。就職活動中の女性を元TBS記者は気に入ったのである。だから寿司屋に誘ったのである。これが男性だったら寿司屋に誘っただろうか。

 問題その2。酔いつぶれた女性をホテルの同じ部屋に連れ込むのは私の感覚では絶対にあり得ない。客観的に申し開きできないではないか。李下に冠を正さず。自分の身を守る基本なのに。

 問題その3。TBSへの就職の相談に来た女性のTBSへの熱意を元TBS記者は自分に気があると勘違いした。その気持ちは分からないではないが、男が陥る勘違いの典型例だ。

 元TBS記者が女性を真正面から口説いていれば、女性から拒否されるなどしただろう。

 飲まずに口説け。


 

 

 

夜郎自大

 就職活動中の次女が志願書を見てくれとLINEで送ってきた。こういうときだけすり寄って来る。私の指示は「全面書き直し」と「問いに対する回答を明確に」「語尾の統一を」の3つ。

 数時間後に書き直してきた内容は概ね良好だった。

私「オッケー!」

次女「オッケー!」

私「何でお前がオッケーと言う? ついでに細かいことを言うと、《しかなれない」大好きな》ではなく、《しかなれない」。大好きな》」

次女「細かすぎるな」

私「挑戦していきたい → 挑戦してゆく」

次女「その案採用したる」

私「何でお前が上から目線。ブログでネタにしたる」

次女「まだ見てる人いるの?」

私「失礼なやっちゃなぁ。誰も見てないわ」

次女「南無南無」

 

マンション管理費詐欺が始まった

電話の主「管理会社ですが、管理費が2カ月間、7万円ほど未納です」

住人「そんなはずはない。いま通帳を確認してみます」

 これは私が住むマンションの住人にかかってきた詐欺電話である。マンション管理費詐欺と命名する。

 なぜ管理会社名を名乗ってピンポイントで電話できたか。

 実はゼンリンの住宅地図にはマンション名と部屋番号、住人の名前が載っている。これと電話帳を照らし合わせればピンポイントで電話できる。犯人はこの手口で対象を絞って電話をかけているのではないか。

 それにしても管理費の数カ月分の未納となると金額が小さい。そのぶん詐欺が成功しやすいのかもしれないが、いずれにしてもご用心を。 
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