同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

石原裕次郎没後30年の出版物

 
 石原裕次郎没後30年を記念して『石原裕次郎シアター 嵐を呼ぶ男』(朝日新聞出版)と『週刊朝日ムック 没後30年 永遠のスター石原裕次郎』(朝日新聞出版)が届いた。

 裕次郎は52歳で亡くなった。私は今年54歳になるので、裕次郎がどれほど若く亡くなったか、皮膚感覚で実感する。70歳80歳の裕次郎を見てみたかった。先日見た慎太郎は足が不安定でグラグラしていたが、裕次郎なら。

 裕次郎を知る世代が高齢化してきた。この世代が消えれば、裕次郎の映画DVDや写真集を買う人も裕次郎記念館展示物の全国巡回に行く人も激減するだろう。残念だが裕次郎最後の稼ぎ時なのである。

 川端康成コレクションは50年後も人を集めるだろうが、裕次郎記念館巡回に50年後行く人はほとんどいないだろうなぁ。

米原万里『心臓に毛が生えている理由』


 ハズレがない。安心して買うことができる。米原万里さんの本なら。今回は角川文庫の『心臓に毛が生えている理由』を手に入れた。

「頭の良さとは」という短いエッセイでオオカミと犬の脳の大きさを挙げてこう結論づけた。

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 身の安全や日々の食事など根源的で切実な問題を自分の知能と体力をフル回転させて懸命に生きている野生動物の方が、その全てを人間任せにして、そのために頭脳も身体も使わない家畜よりも、脳が発達しているのは当たり前なのだ、と。
 そして、それは人間についても当てはまる。過保護で従順な人よりも、独立独歩で自力で生きる人の方が頭を使わざるを得ず、それだけ頭脳も優秀になるはずだ、と。
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 前段に異論はないが、後段はうーん、どうだろう。米原さんはいい人ばかり見てきたからそう言えたのかもしれない。幸か不幸か私はそうではない人をけっこう見てきたから、「頭脳も優秀」より「ずる賢い」と感じることが多かった。頭脳優秀な人はみんな魅力があるかというとそうではないし、でも、ずる賢い人は面白いけれど私は信用しないし。まぁ、こういう話はひとくくりにできないなといつも思う。

 後段は米原さんが自分のことをうっすら想定して希望的観測として書いているように読めるので、 それならOKだが。と私ごときが言うと偉そうだが、強かな米原さんならそんなこといちいち気にしないだろう。

水を運ぶ容器

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 ペットボトルの水を買うと、(1)冷たい=体によくない、(2)ボトルが残る=環境によくない、(3)お金がかかる=財布によくない、ということで、モンベルで常温の水を運ぶ容器を買った。

 500ミリ入る。余った水は捨てて、くるくると丸めれば軽く小さくなるので、カバンに入れて持ち帰ることができる。室内の洗濯干しに洗濯ばさみで底をつまんで口を下にして干せば翌朝には乾いている。

 念のためにこの容器を覆うカバーを買ったが、残量が見えないので不要かも。

 数日使ってみたが、上記の3点でけっこう便利だ。

幸せでは満足できないのが人間です

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 お寺の前にかかっている言葉を読むのが好きである。これは深い。

 一読して「どういうこっちゃ」と疑問を抱いたが、しばらくすると合点が行く。幸せが続くと気怠くなってきて毎日に倦む。欲の深さを知れ、と言いたいのだな。

 坊さんも自分の欲深さを自覚しているのだろうか。

 

谷崎『陰翳礼讃・文章読本』


 沖縄の米軍基地の中にある住宅を金網の外から夜見ると、薄明るい光が漏れている。暗いなぁというのが私の印象であり、夜中までパソコンに向かって仕事をする私は目をもっと悪くしてしまいそうだ。出張先で泊まる宿の電気が暗いと「仕事に差し障りがある」とガッカリしてしまうし、そもそも怖いがな。

 というわけで、おじみそ(怖がりの意味の徳島弁)の私は「陰翳礼讃」というわけにはいかない。

「文章読本」も、うーん、本多勝一さんの『日本語の作文技術』のほうが私には役に立った。特に句読点の入れ方を<そこで一と息入れて貰いたい場所に打つ>というのは、本多さんの説明の方が圧倒的に論理的だ。分かりやすい語を選べという助言は我が意を得たりの思いで読んだが、略語は品がないと言われてしまうと、今の携帯略語を見たら谷崎は悶絶するかもしれない。

 解説を引き受けた筒井康隆は<谷崎の文章は音読すれば味があり、朗読にも適している>と絶賛した。リズムがあることは喜んで認めるとしても、「文章読本」を読んだからと言ってたちまち文章が上手になることはないだろう。

 ウンコとおしっこについての賢察である「厠のいろいろ」はすごく笑えた。これは谷崎が書くから笑えるのである。

恐怖の夫婦・夫婦の恐怖

 50代男が言う。「家に帰りたくない。なんで自分の家に帰りたくないと思ってしまうのかというと、妻がいるから。話もしたくない」

 40代女が同じマンションの女友達の部屋を訪ねてきて言う。「朝からずっとリビングに夫がいて、息が詰まる。外に出て行けばいいのにああ腹が立つ。しばらくここで過ごしていい?」

 かと思うと50代妻の人間ドックについて行く50代夫がいて、金魚の糞なのかシンジツの愛なのか。少なくとも妻は嫌がっているのだが、夫に「ついて来ないで」と言えないので喜々としてついてくる状況は夫婦の危機か夫を毀棄する好機か。

 我慢比べのニッポンの夏は暑い。

文書の出所を聞かれて答えなかった前川さんを見て思い出したコト

 出回っている文書の出所を問われた前川さんは答えを避けた。ネット上では数学理論を用いて得意げに書いている人がいたが、その見方は甘いなぁ。

 もちろん出所の1人は前川さんだろう。しかし、前川さんだけではないのよ。彼が「いろいろな文書が」というような言葉を使ったのを私はテレビで聞いている。前川さんが黙った理由はここにある。つまり、ほかの人を守るためなのだ。

 正確に語りたい前川さんだから、「この文書は私です」などと答えたいはずで、しかしそうすると、ではほかの文書は誰が漏らしたかということになる。質問者の狙いの1つはそこにあったはずで(なかったとしたら頓馬だぞ)、前川さんはそれを見抜き、自分に非を集中させた、犯人捜しの端緒を与えなかった、というのが私の読みである。

 こんな読みをするのは、かつての自分が重なるからだ。

『週刊金曜日』編集部の内紛を雑誌に書かれたことがある。当時本多勝一さんと全面戦争状態になっていた私が真っ先かつ唯一疑われた。

 私が漏らしたのかなぁと最初自分を疑った。しかし、記事をよく読むと私が知らないことが書かれているではないか(笑い)。あ、そうか! 全部見えたので、以来私は「西野が外部に漏らした」という批判を100パーセント甘受した。私にしておけば、ほかの部員は批判されずに済む。矢面に立つのは私だけでよかった。

 話を戻す。

 前川さんはそういう判断をして口をつぐんだというのが私の見立てである。

アマゾンが帯を大事にしないから

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 アマゾンで買った車谷長吉さんの本に危惧したとおり帯がなく、版元の新書館に問い合わせたところ、送ってもらうことができた。つい先日も車谷長吉全集の月報でお世話になっていたので、たぶん私の名前は覚えていてくれたのではないか。またこいつか、と(笑い)。ありがとう末永さん。

 帯に対して私は2つの態度がある。1つは、なくても全く気にならない。2つめは絶対に必要。車谷長吉さんの本に関して言えば後者である。

 アマゾンの配達料無料やプライムサービスもいいけれど、帯を含む本全体を大切に梱包するところまでは手を抜くな。別の本は帯が破れていた。

 アマゾンよよく聞け。と書いても私の声は届かないだろうが(何のこっちゃ)、帯も本の一部なのである。帯は文化なのである。

あの大臣が同級生?!

 大学の同級生と電話でしゃべっていてびっくりしたの何の西野松野。

友人「松野は文科大臣だし」

私「え? 松野って最近国会で追及されれるあの松野?」

友人「そうだよ。同じ学年じゃなくて、同じクラスだった松野だよ」

私「えええええーーー!!」

友人「(大爆笑しながら)西野、大学に全然来なかったからなぁ。知らんのだなやっぱり。わっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ」

 どんだけ笑うねん。

 というわけで、いま話題の文科省で大臣をしている男は1年4組にいたそうな。私は彼を知らんし、彼も私を知らんだろう。わずか20人くらいのクラスだが、話をしたことないと思うぞ。

 なお念のため私の名誉のために修正しておくが、私は大学には毎日行っていた。授業に出なかっただけである。なぜ大学に行っていたかというと、生協食堂で安い昼飯を食うためだ。

仕事上の当たり前は当たり前でしかなく

 九州豪雨で自衛隊が救助活動をしている写真が多数アップされ、「もっと大きく報道してほしい」などと書かれたページをネットで見た。身内に自衛隊員がいるのでその気持ちは分かる。しかし、だ。

 自衛隊が災害時に活動するのは仕事上当たり前である。医者が患者を助けるのもそれが仕事なのだから当たり前。保険会社がお客さんに保険金を払うのもそれが契約なのだから当たり前。飯屋がお客さんにうまい飯を食わせるのも、教師が生徒を教えるのも、警察官が犯人を追いかけて必死になるのも、それで収入を得ている以上当たり前の域を出ない。

 この当たり前を下回る、例えばかつての保険金未払いのような事態が発覚すると保険会社は批判を浴びるし、当たり前を上回る、例えばミシュラン3つ星を獲得したシェフの店にはお客さんが殺到する。

 自衛隊の任務が拡大した中で、災害派遣で冒頭のように褒められるのだから平和なんだな。海外派兵されて人を殺しても「もっと大きく報道してほしい」とお褒めの声が上がるだろうかと私はいつも思うわけである。


 

 

結婚すると言われて

「生存確認の電話です」と長男が電話してきた。失礼なヤツだ。話すのはおよそ1年半ぶりか。

長男「結婚するから」

私「相手は? 男か女か?」

長男「そこ聞くか?!」

私「リベラルの神髄よ」

長男「女」

私「女か」

 私は25歳で結婚した。長男は27歳。いや、違うかな? よく分からんが私が結婚した年齢を超えているのは間違いない。7年程前に事実上自立しているし、私の“痴”を引く長男が女を追いかけないわけがない。

 というわけで、「結婚するから」報告が突然来るのは想定の範囲内だった。子供の結婚に対して親に拒否権などあり得ないし、私が結婚するのでもないから、まぁ、実はどうでもいい。

長男「今度会わせるから」

私「ふむ。性格のええ女だったらええんちゃうか。もう決めとるんやけん、それ以上のことは言わん。まぁ、結婚は簡単じゃ。続けるのが大変じゃ」

長男「経験者は語るってやつだな」

私「説得力あるだろ」

長男「そこ自慢するところか?」

私「徳島のおじいちゃんおばあちゃんに早く連絡してやってくれ。結婚披露宴までは生きるぞとエネルギーがわくはずやけん」

長男「そうするわ」

私「お前の結婚生活がどれくらい続くか分からんけど、とりあえずおめでとう」

湯上がりには普通のタオル

 ビジネスホテルに泊まるたびに思う。湯上がりにバスタオルは使い勝手がよくない、と。

 ふだん湯上がりで普通の大きさのタオルを数枚使って体を拭く。バスタオルは厚みがあって持ちにくいし、かさがあるから小回りがきかない。非常に使いにくいと感じるのは私だけ? 

 別の用途のホテルで湯上がりの女性が体に巻いてベッドまで来るという場面ではバスタオルが便利だ。あくまでも想像だが。

 浴衣のようなものを着ていたらいちいち脱がす(脱ぐ)のに手間取るが、バスタオルならベッドの上でハラリとほどけば済む。あくまでも想像であるぞ。

 というわけで、ビジネスホテルはバスタオルより普通のタオルを。

実践ビジネス英語の杉田先生による『成長したければ、自分より頭のいい人とつきあいなさい』


 NHKラジオ「実践ビジネス英語」講師としてつとに知られる杉田敏さんの『成長したければ、自分より頭のいい人とつきあいなさい』(講談社)は、題名通りにみんなが一斉に行動したら成立しないという摩訶不思議な世界を持ってきた。

 帯には<世界で活躍するためのキャリア・アドバイス>とあるが、世界で活躍できない私が読んでも役に立つ。

 杉田さんのラジオ講座の目標は「英語で雑談ができるようになること」だそうで、なるほどだから幅広いネタなのかと納得した。例えば最近ようやく注目されている大型コインランドリーだが、この原型は米国にある。杉田さんは「実践ビジネス英語」で昨年か一昨年に取り上げ、ニューヨークでコインランドリーがある理由まで教えてくれた。日本の大型コインランドリーを取り上げるテレビ番組で杉田さんのように米国でのコインランドリー事情や歴史まで言及したものは私が見た限りなかった。

 大学生くらいが読めば近い将来の仕事を決める上で刺激を受けるだろう。杉田ファンなら「順風満帆に見えるけど、意外にそうでもないんだな」など、別の角度から楽しむこともできる。

 

彼女の予定

 私の教え子が言う。「定年退職したら私の経験をもとに相談のボランティアをしたい」

 彼女は非情な経験をしており、だからこそ経験者として相談に乗ることができるというのだ。ふだんから人と濃密な人間関係を築いて世話を焼く仕事をしているし、自分を突き放して笑いを取るなど意思疎通をする能力に長けているし、そういう相談は普通の人には絶対にできないし、彼女は適材であり逸材である。

 彼女がそのボランティアを始め、なおかつ諸条件が整えば、彼女は顔を出すことをためらわないだろう。そうなれば私が取材して発表しよう。彼女の歩みがどれほど大勢の人の魂を救うことか。

 彼女を育てた恩師(ワタシね)は偉いなぁ。というお約束の冗談はさておき、こういう人にまれに出会うと、そのたびに私は自分を見てしまう。で、お前は何をするのか、と。

 結局聞いて書いて光を当てることしかできそうにないか。相変わらず全然成長がないなぁ。

ナーベラは俺のことかとナーベーラー言い

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 東京・御茶ノ水駅そばで見つけた看板にイツワリあり。

「ナーベラ」と記したのは沖縄の人ではないだろう。沖縄の人なら「ナーベーラー」と記すはずだ。実際「ナーベラ」の下に「ナーベーラー」の文字が見える。こっちが正しい、

 私は「ナーベーラー」についてウルサイ。那覇高等予備校で教えていたころ(1987年から88年)、私は「ナーベラ−」と発音していた。そのたびに「西野さん、違う。ナーベーラー。はい、言ってみて」と教え子に繰り返し指導してもらった。

 というわけで、今度は私が指導する側に回っているのであった。

東京都議選

 東京の某区議をしている知人から私の携帯に着信履歴が数日前にあったので、今日電話してみた。間違い電話だそうで(笑い)、ついでに少し話した。何年ぶりだろう。どこで出会ったのかさえ覚えていない。

 区議をしていたのに今回都議選に出ているという。道理で声がガラガラなわけだ。

 どこから出ているのと聞くと「民進党」と言う。

 民進党。あ。

 先日このブログで「民進党はなくていい」と書いてしまったあの民進党である。しまった。

 ここでまた思い出した。民進党から都議2期目を目指す知人がいることを。その選挙参謀は私の畏友である。ブログでオチを見つけられず苦し紛れに変なことを書いてしまった。読まれていないことを祈るしかない。

 祈りながら選挙速報を見たが、2人とも当選に届かなかった。台風並みの風が吹いた。この風は民進党だけではなく安倍さんも襲いそうだ。

金子恵美議員の公用車問題

 金子恵美議員の公用車問題を『週刊新潮』がスクープした。文科省に倣って、安倍さんに対する総務省官僚の逆襲が始まったのだろうか。

『週刊新潮』は<もちろん、忙しい朝につい公用車で子どもを保育園に送ってしまうこともある。だがこの日以降も公用車での送迎は続き、さらには母親を駅に送り届けるのに使うなど、私的使用は常態化しているのだ>と書く。

 眞鍋かをりさんは金子さんをテレビで援護し、三浦瑠麗さんは<政務官をするためには子供を保育園に預けるしかない。保育園はタイムカード勤務ではない拘束がある政務官の仕事上、職場隣接型が必要。公務をサポートする保育園の送り迎えに公用車を使って何が悪いのか。公私混同というマジックワード自体本質を見失っている。公務と政務の混同をしないべきなだけ>とツイートしたようだ。

 テレビでの眞鍋かをりさんの発言は短いので私には真意が分からないが、聞いた限りでは全面的な擁護だった。批判記事に対して単に脊髄反発しているように見えたので、ここでは触れない。

 三浦さんの見解は文字になっているので受け止めやすい。「政務官ならいいのか」や「徳島県庁職員が同じことをしたらダメなのか」、「平塚市役所職員ならどうだ」、「私を東京駅まで乗せてくれと言ったら受け入れてくれるのか」などの問いかけをしたいし、「政務は公務でしょ」とツッコミを入れたい。

 弁護士・元衆議院議員の早川忠孝さんがブログでこんなことを書いている。2009年2月20日付けである。

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公務とは法務大臣政務官としての職務に従事しているときのことを言い、政務とは衆議院議員としての用務を行っているときのことを言う。

公務に従事している時は政務官車を使用し、その他の時は自分の車に乗る。

一日に何回も車を乗り換える。
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 これを読む限りでは、金子さんの分が悪いし、三浦さんムチャクチャやんけ。

 女性というだけで擁護する女性が時々いて、フシギだなぁと私は思うわけである。

 子育てをしながら仕事をするのは大変だろう。娘を持つ親として金子さんには頑張ってほしいと思うが、年収数千万円もらえる職業だもんな。権力もついてくるし。住職大接近だし。配偶者には恵まれなかったけれど、世間の働く女性たちに比べていろいろ恵まれているのは間違いない。

 そもそも公用車を私用に使うことができる女性が世の中に何人いるだろうか。世の中の女性たちが「金子さんOK」と認めるのであれば、私は右に倣う。認めるのであればね。

冷房怖い

 落語の演目のような題名であるが、落語のようなひねりはない。そのまんま西野である。

 お年寄りが「冷房は苦手」と言うのを私は理解できなかった。それがあなた、今では同じことを言っている。お年寄りの気持ちがよーく分かるようになった。なぜだか素直に喜ぶことができないのだが。

 窓を開ければ風が吹き抜けるのに、東京・品川の雑居ビルは窓を閉め、冷房を効かしている。ワシを殺す気か。汗腺が閉じて体温がこもると体調が崩れる。ワシを殺す気か。

 夏になるたびに書く話だが、夏は汗まみれで過ごすほうが食欲は増えるし夜は爆睡する。気が満ちるというか、明らかに体調がいいのである。私にとって冷房が効いた室内は「快適」ではなく「体の敵」なのだ。

 夜だって汗まみれで寝るほうが体調がいい。防犯上やむを得ないけれど、一軒家で窓を閉め切って冷房をがんがんかけて布団をすっぽりかぶって寝るのが体にいいとは思えない。

 冷房が苦手と言うお年寄りの気持ちが分かるようになるんだからわれながら成長著しい、のか。

クローズアップ現代プラスで生命保険を取り上げたが

「保険値上げで家計直撃! 賢い見直し術とは」という番組で取り上げられた独立系ファイナンシャルプランナーとかいう女性が、お客さんの保険を見ていろいろアドバイスしていた(笑い)。

 今後二十数年間のうちに解約したら元本割れを起こすのですぐに解約しろとか終身保険で貯蓄はできないとか就業不能保険がいいとか、好き勝手なことを言っていた(笑い)。

  恐ろしい番組である(笑い)。

 保険屋なら誰でもこのファイナンシャルプランナーの手の内が見え見えだ(笑い)。

 生命保険に100点満点はない。人によって状況が異なるからだ。

 見直しする必要は必ずしもない。6〜7年くらい前だったか、終身保険をお預かりした私のお客様がつい先日「結局西野さんに勧められた保険が一番よかった。追加で入りたい」と言ってきた。

 保険の見直しを主張するファイナンシャルプランナーに私はウタガイの目を向けている。その人が生命保険を扱っていないのならいい。生命保険を扱っているファイナンシャルプランナーが「今の保険はよくないので、この保険がいいです」と言う場合、その人はそういうやり方で保険を売って手数料をいただく商売をしているわけで、公平性は全くない。

 クローズアップ現代プラスに出た女がそういう商売をしているのなら、公平そうに見せかけて自分の商売をするのだから詐術である。保険業界の手の内を知っていて冷静に距離を置く私のような人間に聞くのが一番いい。

 見抜けよNHK。

世界報道写真展2017開催中

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 東京周辺で暮らしていてよかったと思うのは、このような催しがいろいろなところであることだ。古里徳島ではこうはいかない。

 というわけで今年も恵比寿の東京都写真美術館に行って「世界報道写真展2017」を見た。今回の大賞は、在トルコ・ロシア大使が非番の警察官に射殺された現場の組み写真である。亡くなったロシア大使には衷心から弔意を表すが、カメラマンにとっては現場に居合わせた幸運がスクープ写真と大賞をもたらした。人様の不幸で飯を食い名誉を得る仕事なので地獄に墜ちるほかないだろうが、彼らは喜んで墜ちるだろう。

 報道写真を見ると、「これなら私でも撮ることができる」と報道写真記者なら誰でも(こんな私でさえも)思うものだが、現場に居合わせるのが最も難しい。だからこそ長倉洋海さんは戦場を回って「現場」を追い求めたのだった。

 買い求めた図録にはこの1年間の世界各地で起きた悲しみがたくさん収まっている。「だってにんげんだもの」と悠長なことは言えない現場の数々だ。

 東京都写真美術館は8月6日まで。そのあとこの写真展は各地を回る。

酢にんにくで元気回復?!

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 酢にんにくを初めてつくった。にんにくの皮をむいて、切って、容器に入れて、酢で漬けただけだが。1カ月もすれば食べることができそうだ。

 ここ数日どういうわけか体が重い。けだるい。頭も回らないのだがこれは物心ついたころからずっとなので心配ない。村西とおる監督が「酢にんにく」を勧めていたことを思い出し、決行を決めた。けっこうなことである。

 できるだけいい原材料を使いたいので、青森産にんにく3個と京都・飯尾醸造の富士酢1本をスーパーで買った。合計1000円少々。これで元気が回復するなら安いものだ。

 単に倦んでいるだけなのかもしれないが、そこは敢えて見ない振りをする。

 
 

政党のここがいい

 知人がこう言った。

「共産党は頭がいい。公明党は人がいい」

 うまいこと言うなぁ。というわけで残りを考えてみた。

 自由党はキレがいい。

 自民党は今こそ衆院解散するがいい。

 民進党はなくていい。

麻央ちゃん報道の陰で

 麻央ちゃんが亡くなったという報道に驚いたのと同じくらい、蓮實重臣さんの死亡記事に驚いた。あの蓮實重彦さんのご子息なのである。享年49。がんだった。蓮實先生が小説『伯爵夫人』の三島由紀夫賞受賞を嘆息と渋面で迎えたころ、ご子息は闘病中だったのかもしれない。

 いま80代前半の蓮實先生には最も重い死なのではないか。一休禅師だったか「親死子死孫死」は。

 幼少のご子息を亡くした親や二十歳のご息女を亡くした親がいる。身を裂くような痛みや苦しみと共に奈落に落ちていた。

 照明は当たらないし、当てないほうがいいのだが、麻央ちゃんの親や蓮實先生の塗炭の苦しみを思う。

圭ちゃんとのりこ

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 圭ちゃんへ アタシの広い広い青空でいてネ のりこ

 のりへ いつでもそばにいるよ あんちゃん

 1999(平成11)年10月1日の落書きである。この二人が当時20歳だとすると今37歳か。まだ若いな。

 東京・神保町の喫茶店さぼうるの地下フロアの奥の壁に残る落書きを見て、この男女は果たしてうまく行ったかと想像する。

 女がちょっとだけポエジーに甘えているのに、男は気の利いた言葉を残していない。せめて「まぶしく楽しく咲き誇れ 僕の向日葵」くらい書けなかったものか。男のセンスのなさに辟易して女が飽きたんじゃないかというのが私の推測であり期待である。

 あるいはこうだな。圭ちゃんは広い広い青空をさらに広げて、いろんな女の頭上にも青空を広げた。で、この女の頭上から滝のような大雨が落ちて溺れて瀕死の重体。

 この二人がしあわせになっていたらぜ〜んぜん面白くない。苦労してこそ、さぼうるのコーヒーのような深みや渋みが出るのであーる。

沖縄県慰霊の日に

 6月23日を新聞各紙は日本軍の組織的戦闘が終わった日と記す。表面的には確かにその通りだが、違和感がある。

 実際は牛島満中将や長勇参謀長らがその日(22日という説がある)摩文仁で自殺して後は野となれ山となれ。「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と戦闘続行を指示し、鉄血勤皇隊千早隊には「軍ノ組織的戦闘終了後ニ於ケル沖縄本島ノ遊撃戦ニ任スヘシ」と命じ、泥沼化させた。

「組織的戦闘が終わった」という平和的な状況ではなく、「司令官が勝手に自殺して沖縄戦をさらに泥沼化させた初日」という説を私は支持する。

 この慰霊の日の根拠は「沖縄県慰霊の日を定める条例」=1974(昭和49)年10月21日=に遡る。沖縄県の本土復帰から2年後の制定である。わずか2条で成る。

第1条 我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため、慰霊の日を定める。

第2条 慰霊の日は、6月23日とする。

 沖縄戦という通奏低音が流れ続けているのが沖縄なのである。沖縄戦 → 戦争反対 → 基地反対 → 辺野古への新設反対、という流れは当然だろうし、私は理解できる。
 
 ところが、だ。辺野古沖への基地新設に抗議する行進をしていた沖縄県内各地の自治体の首長たちに「売国奴売国奴」の声が飛ぶ映像をNHKが報じた。売国奴となじる連中がいることに私はがく然とした。沖縄戦を知らないのか何らかの思い込みか愉快犯か。

 NHKがとてもいいものを公開している。売国奴と的外れなことを叫ぶ連中こそ見るべきなのだが、そういうのに限って見ないんだよなぁ。NHKスペシャル「沖縄戦全記録」

横浜マラソン当選!

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 横浜マラソンの地元枠抽選に落ち、一般枠の抽選はもう終わっているのに結果連絡メールが来てないなぁと思って念のためにゴミ箱を漁ったところ、あった。見ずに捨ててしまったらしい。しかも当選しているではないか。危ない危ない。気づいてよかったなぁ。

 私が初めて参加したマラソン大会が横浜マラソン10キロの部だった。距離計測が不正確とかで幻の大会に終わったやつである。恐る恐る10キロの部に参加したものの簡単に走ることができたから悪戦苦闘も痛みものどの渇きも喜びも悲しみも疲労も何もなく、以来満足感を得られるフルマラソンに参加してきた。

 死なない程度の早さで完走しよう。  

 残るは札幌マラソンと東京マラソン、京都マラソン、大阪マラソン、ホノルルマラソン、そして100キロウルトラマラソンか。

 何かアテを用意しないと私は倦む。横浜マラソン参加が決まったので、しばらくは倦むことから離れることができそうだ。

1000円散髪屋曰く

「うちの店は洗髪しないのに、神奈川県が洗髪設備の設置義務を課してきた。既存団体のインボーだろう」

「ある土曜、茅ヶ崎市内の既存団体の人たち10人くらいがうちの茅ヶ崎店の前に集まった。何でも、理髪店にお客さんがゼロだったとかで、うちを見に来たそうな」

 こんな話を聞いて思いだしたことがある。もう時効だから明かしていいだろう。

 1000円カットの店が登場した記事を某スポーツ紙に書いた。ところが、その既存団体からスポーツ紙に抗議が来た。新聞取るのやめるぞ、と。

 で、その某団体のお偉いさんがたの理髪店を尋ねて取材して何回かそのスポーツ紙にヨイショ記事を書いた。

 あれから20年ほど経つ。この間に格安散髪店は激増した。結局、価値を決めるのは客側なのだ。洗髪設備の設置義務を課すよう働きかけたり、スポーツ紙に脅しをかけたりする体質があまりにも古いし、どこを見て仕事をしているのろうと言わざるを得ない。

 徳島の岡田が再起したら再び通いたいと思っているが、それまではとにかく早く終わる散髪屋がいい。私の場合1時間もじっと座っているのは拷問以外のなにものでもないのよ。

森彦本店限定森の雫を私の屍に

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 私の舌に合うコーヒーは渋めの味である。私に似ているのは仕方ない。東京神田神保町のさぼうると札幌円山公園の森彦本店限定森の雫が現時点までに辿り着いた私の好みである。

 私はパソコンのキーをガシガシ打ちながらコーヒーをガバガバ飲む、と言っても1日に4〜6杯以内と決めている。先日買い求めた5袋がなくなったので、また入手した。1袋200グラム入りだが、1杯で10グラムほど挽くから、5杯飲めば50グラム。1袋が4日で消える計算だ。5袋買っても20日で飲み終える。私は酒を一滴も飲まないので、これくらいは許されるだろう。嗜好品と言うより仕事の燃料なのだ。

 この森の雫を私の棺桶に入れてもらおう。花を入れられてもなぁと思っていたので、これは名案だぞ。コーヒーのいい香りが焼き場の周辺に漂ったら、それは私からのおすそ分け。

 棺に詰めるとなると50袋や100袋はほしいところだ。予約できればいいのだが、こればかりは。

偉い紀文糖質0グラム麺

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 夏が近づいてきたので、というのはウソだが、体重をあと1キロ少々落としたいので、紀文糖質0グラム麺を使ってスパゲティを食べている。

 原材料がこんにゃくなら腹持ちするのだが、おからパウダー(こんにゃく粉含む)なので全然腹持ちしないし、歯ごたえが全くない。1袋180グラムのこれを2袋分食べても3袋分食べても糖質ゼロ。食えば都である。

 ファミリーマートではつゆ入りが売られているようだ。私が買う相鉄ローゼンはつゆ入りではない。どっちでもいい話だが、つゆが入っていない方が自由に使えるので私には向いている。

 ゆでる必要はない。水でさらっと洗うだけ。そばつゆで食べてもうまいだろうし、レトルトのカレーをかけてもいけるだろう。

 糖質ゼロは私の腹回りから贅肉を奪う。

父の日ハンタイ

 父の日も母の日も私はハンタイである。親に対する報恩感情を(国家に)介入されるのはきわめて不自然であり、私には不快である。

 ほらほら今日は父の日だからお父さんに感謝しましょうね、母の日だからお母さんに感謝しましょうね、何かプレゼントをしましょうね、などと(国家や)商売が笛太鼓をたたいても私は踊らない。

 私は自分の子供たちに「何もせんでええ。お金があるなら自分に投資せよ」と申し渡してある。子供ごときに気を使われたくない。私はね。



【追伸】敬愛する山崎さん(とお名前をあげても分からない人には分からないでしょうが)から、父の日も母の日も日本の国が決めたものではないとご指摘をいただきました。国家に対する冤罪であり、国家に対して深くお詫びするものであります。そこで、最初の文章は残しつつ、冤罪を晴らすために(とハンニンである私が言うのも何だが)誤記の部分をカッコに入れました。
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