同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

台風被害に思う変わってゆく大地

 台風19号で堤防が決壊したり水が出たりした。住民が「ここに50年住んでいるけれど、こんなの初めて」などと落胆している。国の支援を期待したい。

 ここにきて治水の重要性が言われ始めた。しかし、そもそも自然の猛威がもたらす大地の変形を人間ごときが治めることができるのだろうか。こう思うのはNHKの「ブラタモリ」を思い出すからだ。

 この番組で私が気づいたのは、数万年数十万年数百万年数千万年の長さで地形が変わってきたことだ。川が氾濫し、火山が噴火し、雨が降り、地震が起き、こうした地球環境の変化によって気の遠くなるような長い期間をかけて地形が変わってきたのだった。今の地形は途中経過であり、今後も地形は変わり続けてゆく。

 そういうことを前提に、治水も住む場所も見直すほうがいいのだろうなぁ。

力尽きた毎日新聞社

IMG_3113
 今朝郵便受けをのぞくと、『毎日新聞』の日曜版とこの紙が入っていた。海老名印刷工場の停電とトラック運転手の安全確保のため、きょうの朝刊はあしたの朝刊と一緒に配達するというお断りである。

 停電したら仕事にならないのだから、対策として電源を備えてあるものだと思っていたが、なかったのだろうか。だとしたら次善の策として竹橋の本社か越中島のスポニチで印刷した紙面をこちらにトラックで運べば済む話だ。23時ごろには台風の中心は東京を過ぎていたから無理ではなかったと思う。

 手を抜いたとは思えないので、人の手配がつかなかったのか、印刷直前に停電して時間的に間に合わなかったのか。

 念のために平塚市内のコンビニなどを回ってみたが、『毎日新聞』だけがなかった。『産経』や『日経』『東京』でさえ(産経さん日経さん東京さんごめんなさい)あったのに。近未来の光景かもなぁと思ってしまった。

クレージーでビートな『オン・ザ・ロード』を池澤夏樹編集の世界文学全集で読む

 ロードノベルという言い方があるのかないのか知らないが、映画ならロードムービーといったところだ。池澤夏樹編集の世界文学全集第1巻に置いたのは『オン・ザ・ロード』。主人公は北米を東西に3往復したあとメキシコまで南下する道中の物語だ。

 読みながら思い出したのは、大学時代の友人が数人でレンタカーを借りて横断したという話だった。夜どこかで車を止めて寝ていたら窓をノックされて、それが警官だったと聞いた。

 もう1つ、読みながら浮かんだのは畏友ジョニーだ。クレージーでビートな男で、主人公ディーンに半分くらい重なる。

 大学時代に沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだとき沢木さんの真似をしたいと私は思わなかった。なぜだか分からない。しかし、この『オン・ザ・ロード』を読み終えて、車での米国の横断ならやってみてもいいと思っている。生きていれば、だが。

 全集なので大切に扱おうと思っていた。線を引かず折り目をつけずに読むつもりだったが、無理だった。ビートな文章を挙げておく。ディーンの言葉だ。

「前にいるやつらがどういう連中かわかるか。悩みごとが大好きなやつらよ。マイルを計算して今夜はどこに泊まろうかと計算して、ガソリン代や天気や目的地にどうやって着くかをせっせと考える――そんなことしなくたって、どっちみち着くってのによ」=291〜292ページ

 同じ池澤夏樹編集の日本文学全集第1巻『古事記』が待っている。

スダチはランナーに売れる!?

IMG_3110

 徳島の名産スダチがどかーんと届いた。徳島市立高の恩師伝さんが今年も送ってくださったのである。

 ランナーにとってスダチは大変ありがたい。ランニングのあとスダチを水に搾って飲むとうまいのなんの。200佞曚匹凌紊縫好瀬舛鬘押腺蓋頂颪襦4世鬚いたぶん体が水分を求めるのだろう、ランニングのあと計5杯(計1000奸砲曚桧むので、1回のランニングでスダチを計10〜15個搾っていることになる。水に溶けたスダチはうまいのだ。

 12月のフルマラソンに向けて走り込む時期なのでこのスダチは本当にありがたい。ビタミンCたっぷりだし、人工的な飲み物より消化吸収に優れているだろうし。ランナー向けにPRしたら爆発的に売れると思うんだけどなぁ。


 

 

梶田眼科でメガネの処方をしてもらったところ

IMG_3116

 メガネをかけたり外したりを1日に50回以上やってきた。文庫本を読むときはメガネを頭に載せた。そのうちメガネを頭に載せたまま「メガネがない」と探し回る醜態をさらすことになるんだろうなぁと思っていた。

 この問題が解決した。見事によく見える。メガネを外すことがなくなった。パソコンの文字も文庫本の文字も新聞の文字もちょうどいいあんばいに見えるのだ。

 東京・芝浦の梶田眼科のおかげである。

「遠くが見えればいいというものではないんです。近くが見えないとね」

 今まで受けたことがない検診をされ、梶田先生の診察を受け、仮のメガネをかけて30分ほど過ごし、また診察を受け、処方箋を出してもらった。プリズムを組み込んだレンズの処方が特徴らしい。

 処方箋には「眼鏡店様へ」の欄があり、《この処方箋には、決して変更を加えないで、本処方箋に忠実に製作してください》などと記されている。処方箋を見るなりイワキの店長は「梶田先生ですか!」と表情を引き締めた。そういう位置にいる眼科医らしい。

 この梶田先生はNHKの「ガッテン」に登場した。それで私は知っているのである。テレビで見たのと同じ顔だった(当たり前)。

 でね、処方箋どおりに製作されたメガネのよさったらもう。手元がよく見える。生活にも仕事にも不自由がなくなった。

 メガネやコンタクトをしているのに「見えない」と嘆いている友人がいるのだが、なんだ、要するにそのメガネやコンタクトが合っていないのである。合っていないまま放置しているのである。目が商売道具ではない人は少ないだろうから、合うものにすみやかに変えるべきだろう。

 梶田眼科で眼鏡の処方箋を出してもらう場合は電話で予約を。

電車の中で病人が出て

 15両編成のJR東海道線が横浜駅の手前で止まった。11号車で乗客が倒れたという。車掌室にいた2人があれこれ連絡を取り、しばらくして電車は走り出した。車掌の1人は11号車に向かった。車内放送で医療関係者の応援を2回呼びかけたから倒れた人の状態はよくなかったのではないか。

 ここで思い出したのは、同じマンションに住んでいた友人である。横浜線に職場の仲間と一緒に乗っていて突然倒れた。横浜駅前は車が渋滞していたため救急車のサイレンの音は聞こえるのになかなか近づいてこないので焦れったかったとのちに聞いた。友人はそのまま意識が戻ることなく亡くなった。

 人が倒れたら基本的に一刻を争う。電車を止めたのはそういう規則があるのだろうけれど、一律に止めていいとは思わない。近くに併走する道路があればそこに救急車を要請できるけれど、そういうことができない場所なら最寄り駅に突っ走るほうがいいはずだ。

 そこまで踏み込んだ規則を作ってあるようには思えなかった。そもそも電車内にAEDを置いていないのではないか。

東須磨小にないもの

 資本主義社会でお金を触らずに済む数少ない職業の1つが公立の学校の先生である。だからこそ理想を語ることができる。人間かくのごとしではなく人間かくあるべしと語ることができる。

 きれいごとを胸を張って言うことができる仕事の価値を踏みにじったのが今回の教師いじめの最大の汚点だと私は思う。

 理想を判断基準にできる職場を根底から穢したのは4人の教師だけではない。見て見ぬふりした同僚がいたらそれも加害者と同じである。小指の痛みは全体の痛みなのである。

 公務員に解雇制度を導入するべきだな。


どちらに分がある?

 A子さんとB子さんは同じ職場で勤めている。A子さんはB子さんをバーベキューに誘った。そのバーベキューはA子さんの母とその再婚相手が毎年やっていて、30人くらいの人数が集まる。B子さんは彼と一緒に参加した。

 後日、A子さんがぼやくこと。

「B子さんは手ぶらで来た」
「B子さんと彼氏はひたすら食べ続けた」
「帰りがけにバーベキューを詰めて渡したのも持って帰った」
「B子さんの彼氏は人見知りが激しくてひたすらB子さんのあとを追いかけ、あいさつひとつなかった」
「私は親戚に恥ずかしい思いをした」

 B子さんは大山倍達のような体格で、ふだん職場でも恐ろしくよく食べることをA子さんは知っている。

 以上から、どちらに分があるか?

 どっちもどっちという説がないわけではないが(笑い)、私はB子さんに分があると思う。

 そもそもバーベキューに誘ったのはA子さんだ。「どんどん食べて」「死ぬほど食べて」と勧める立場ではないか。食べまくったA子さんと彼氏を詰るのはお門違いだし、詰れば詰るほどA子さんはケチだなぁと思えてくる。

 某中小企業(当時)で社長の誕生日に従業員がお金を出し合って贈ったのは5万円のサンダルだった。こういうお金の使い方が正しいと思う。

 人に物を贈ったりプレゼントしたり(同じか)ごちそうしたりするときにケチるくらいなら最初から何もしないほうがいい。自分には始末していいけれど、他人には始末してはいけない。中途半端は恥ずかしいと私は思うんだけどな。

 

毎日新聞社の早期退職募集に対して弟の判断は

 かつて毎日新聞社を「難破船の上で盆踊りをしている」と喝破したデスクが30年前にいた。その毎日新聞社が200人の早期退職希望を募っている。私の弟(51歳)も年齢的に対象である。

 ある日その弟が電話をかけてきた。破格の退職金を示されて驚いたのだった。中小零細企業の10倍くらいもらえると知ってココロが動いたようだ(笑い)。

 しかし、弟は辞めるという判断ができるわけがないのである。大学を出てずーっとこの会社にいる。一般消費者向けの商品を出している会社なのでとりあえず会社の名前はどこでも通じる。本人は否定するだろうけれど、盆踊りをしている能天気な一人なのである。

 弟の心配はここ数年で業界全体が急激に縮小していることだ。早期退職して破格の退職金を手にしてウハウハと優雅な暮らしをするか、定年まで頑張るか。定年まで頑張ろうとしても会社の状況がさらに悪化したら給料は減るだろうし退職金も減るだろう。そこを弟は心配していた。

 弟は出世するタイプでは全くないし、内勤なので会社外に人脈がない。こういう人間は早い時期に辞めるべきなのである。51歳ならまだ転職先があるからだ。気力や活力もまだ残っている。莫大な退職金をもらって次の一歩を踏み出す好機なのである。

 しかし、1つの会社にずーっといたから、辞める勇気がない。ベルトコンベアに乗って定年退職というゴールまで進むのは判断ではなく思考停止なのだが、そこに気づいていない。

 30年も盆踊りをしてきた難破船だからまだまだ沈むまいと思う毎日社員は、「人間は自分が見たい現実しか見ない」と喝破したわがカエサルの本を読むべきかもしれない。


 

落ちてほっとした東京マラソン

 東京マラソンに今年も落ちた。しかし今回ばかりは落ちてほっとした。

 そういえば東京マラソンの当落の結果メールが来ていないなぁと気づいたのが10月1日の17時45分。まさかと思ってゴミ箱を検索したら、あった。9月20日に届いていたのに気づかず、ゴミ箱に捨ててしまったようだ。

 慌ててメールを見てみた。入金締切は10月1日17時までと記されている。もう過ぎている。げげげ。10年に1回くらいしか当選しないので、万一今回当選していたら泣くに泣けんがな。

 落ちてますように落ちてますようにと変なコトを祈る。

 結果は冒頭に書いたとおり、落ちていた。よかったなぁ。

岩波文庫の『吾輩は猫である』に難渋した

 岩波文庫の夏目漱石作品集を箱買いしたものだから読まざるを得ない。ようやく1冊目の『吾輩は猫である』を読み終えた。

 読み出してすぐに驚嘆した。猫の目線でここまで細かく書くのか、と。行間を詰め詰めにしても500ページ少々ある。博学ぶりを発揮した記述が少なくないし、巻末にまとめられた注釈をいちいち参照しないと単語の意味が分からないし、最初の数ページで前途多難を覚悟した。

 読み進むうち、駿台予備学校の藤田修一師が漱石を教材によく使っていたことを思い出した。当時の西洋文化への盲従に対する漱石の疑義は『吾輩は猫である』にも出ているんだななどと思ったのは藤田師の教えの賜物である。

 1905(明治38)年に『ホトトギス』に連載を始めたとき漱石は38歳だった。これを40前に書いたとは(絶句)。


 

つまずかない方法を見つけた!

 ランナーなので足腰は弱くないはずなのに、なぜ自宅の床でつまずくのか。床に置いた本やかばんに数え切れないくらい足を引っかけ、「ととととー」と叫びながら体勢を崩して家具に突進してきた。そのうち大けがをする。

 危機を避けるのは無理だとあきらめていたのだが、ある日思い立って実行してみたらそれ以降全くつまずかなくなった。おお。やればできるじゃないか。

 というわけで、おすそ分け。

 床を見ながら歩く。

 以上。

 私は床を見ずに歩いていたのだった。そりゃ視野に入っていないものに足を引っかけるわな。視野は年齢と共に狭まるのだからなおさら。

「下を向いて歩こほほほ」と歌いながら歩くことにしている。貧乏人の自宅なので下を向いて歩いても1円も落ちていない。代わりにほこりやゴミが目につくようになった。掃除せんといかんなぁ。

大地震対策用に最も評価の高い耐震柱を買ったけれど

IMG_3089

 大地震で本棚が倒れても、本が破れたり変形することはあっても壊れることはない。紙だもん。

 と気楽に見ていたのだが考えを変えた。本棚が倒れたら片付けるのが面倒だ。その面倒を予防するために最も評価の高い耐震柱を買って、とりあえず大型の本棚2箱に取り付けた。

 しかし、なのである。やっぱり、と言ってもいいか。

 私が住むマンションの天井は石膏ボードを吊り下げてあるだけなので、耐震柱を本棚と天井の間に置いて突っ張らせようとすると天井が浮くのである。無理に突っ張らせると天井を抜いてしまうだろう。これでは十分な突っ張りにならない。

 天井がコンクリートか梁なら十分な突っ張りができるのだが、そんなちょうどいいところにコンクリートも梁もない。これは私だけではないだろう。

 よかったことがないわけではない。本棚の上に長年置きっぱなしにしてあった本やファイルなどをひとつずつ見て、不要なものは捨てることにしたのでずいぶんすっきりした。これでよしとするか。よし。


 

ワシもネタをつぶされたぞ

IMG_3080
 
 かんぽ生保のムチャクチャ販売問題を追及していたNHKが日本郵政側から抗議を受けての「クローズアップ現代+」の続編を延期したと9月26日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)が報じた。報道の自由を自ら歪めるNHKよお前もか。

 お前もか?

 そう、だって『毎日新聞』も抗議を受けて記者の取材にストップをかけたではないか。当事者の私が言うのだから間違いない。

 福島支局時代のことだからもう30年近く前の話だ。社会面に売り込もうとデスクに相談のうえ県内の某洗濯企業の問題を取材していた私に当時の石川支局長が「相手も反省していることだし、もういいんじゃないか」と事実上の取材中止を求めてきた。

 社会面に載ったかどうかは分からない。しかし、一石を投じるネタだと私は思っていたので張り切った。それをつぶしたのは、浅間山荘事件のときに刑事の寝床で話を聞き取って特ダネを連発したとかいう誠支局長だった。

 反省したからといって報じないなら報道機関はいらないのである。福島面に広告を出していようが社会人野球にその会社のチームが出ていようが関係ないのである。本来は。

 だから舐められる。

 私の反省は、『毎日』が駄目なら、親しい記者がいた共同通信か河北新報か読売新聞か産経新聞にネタを持ち込んで報じてもらうべきだった。あるいは労組に持っていってもよかった。半日サボタージュして抗議の意思を示す程度の弱腰しか持っていなかった私にも非がある。

 

金ピカ先生の死に方

 代ゼミの人気英語講師だった金ピカ先生こと佐藤忠志さんがなくなった。私は駿台派だったし、私が大学に入ったあと世に出てきた先生なので参考書を読む機会は一度もなかったが、名前くらいは知っている。

『朝日新聞』は《都内の自宅で遺体が見つかっていたことが25日、わかった。警視庁は遺体は佐藤さんの可能性が高いとみている。関係者によると、佐藤さんは都内で一人暮らしをしていたが、以前から糖尿病などを患い体調を崩していた。24日、地域包括支援センターの職員が訪問したが返事がなかったため、警察に通報し、遺体が見つかった》と報じた。

 脳梗塞や心筋梗塞に何度も倒れ、にもかかわらず現役時代並みに車に莫大なお金をかける金ピカ先生に配偶者は愛想を尽かして家を出た。生活保護を受けながら酒とたばこの生活を続けた様子から、緩慢な自殺を目指したように見える。

 こころに闇を抱えていたとしか思えない。

 年収2億円を稼いでいた金ピカ先生の貧困孤独死を美しいと感じるのは私だけではないだろう。死ねばあちらに何も持って行けないのである。

 享年68。

『言葉はこうして生き残った』の愉悦


 読み終えるのがもったいないと思う本だった。『言葉はこうして生き残った』(河野通和・ミシマ社)である。

 河野さんの文章を初めて読んだのは新潮社のメルマガ『考える人』だった。淡々とした文章の味わい深さは一体どこから来るのだろうと感じて、以来ファンになった。季刊誌『考える人』の休刊にあわせて河野さんは新潮社を離れ、メルマガで読むことができなくなった。

 そんな河野さんの約300本のメルマガの中から選りすぐった37本をまとめたのがこの本だ。河野さんが紹介した本はどれも魅力いっぱいなので(紹介の仕方も非常にうまい)、手を伸ばしたくなるから困る。私にはもうこれ以上読む時間がない。でもアマゾンで注文するだけはするかもしれない。例えば『日本語 語感の辞典』(岩波書店)や『感情表現辞典』(東京堂出版)、『S先生のこと』(新宿書房)と書き出すとキリがない。特に『五衰の人 三島由紀夫私記』(文春学芸ライブラリー)は読みたい。三島由紀夫に指名されてその場に近づき遺言を手にした徳岡孝夫さん。当時『サンデー毎日』デスクだったというから先輩なのである。

 野坂昭如の本は大学時代にほぼ全部読んだはずなので野坂昭如ファンと自任しているのだが、その野坂さんから原稿をもらうための攻防を明かした章は傑作だった。

 河野さんは1953年生まれ。東京大文学部ロシア語ロシア文学科を卒業して中央公論の編集者になって文化を紡いできた。効率だの経済合理性だの成長だの儲けだのが重視される昨今だが、人間の精神を紡ぐ文化を軽んじるとしっぺ返しを食らうと私は思う。

 この本を出したミシマ社はさすが。

「りんごちゃん」やめてくれぇ!

IMG_3072

 テレビを見ていてひっくり返りそうになった。小太りの男が「りんごちゃん」を名乗っているのである。ああ、何ということだ。

 私の十八番に「りんごちゃん」がある。知る人ぞ知る、高校1年のときの交際相手のあだ名である。それはそれはかわいい女の子で、河合奈保子のような愛くるしい笑顔に私はメロメロになって溶けたものだ。付き合って1カ月で「幻滅した」と言われたときは溶けてこの世から消えてしまったけれど、それはそれ、「高1のときに付き合ったりんごちゃんが」などと話すだけで今でも笑いを取ることができるのである。

 恐らく「りんごちゃん」のあだ名がほほ笑ましいのだろう。50を過ぎたおっさん(ワタシね)が「りんごちゃん」と言う違和感も笑いを誘うのかもしれない。

 この私の十八番とセイシュンの清い思い出がこの小太りの男によって壊されるのは由々しき事態である。そういえば、ガレッジセールのゴリもけしからん話で、ゴリさんと言えば『太陽にほえろ!』で竜雷太演じたゴリさんしかあってはならないのである。ゴリさんは永久欠番なのである。ガレッジセールのゴリが出てきたときも私は目を剥いたが、今回のりんごちゃんの登場に私は歯茎も剥きだしにして抗議する。

 とにかくやめてくれ。りんごちゃんは僕のものダ!

消えてゆくのはなぜ

 数日前にボールペンが消えた。

 今日気づいたのは、財布が消えていることだった。昨夜スーパーのレジでお金を払うときまではあったのだが。スーパーを訪ねたが、ないと言われた。広島のモンベルで買った珍しい財布なので大変惜しいのだが、貧乏人なので昨夜は確か数百円しか入っていなかったのは不幸中の幸いであるな。

 なぜ消える? 私の脳みそが溶けているのだとすれば納得するけれど(するんかい!)、この調子ではさらにいろいろなものが消えていきそうだ。手品師なら芸になるのだが。

 しょぼーん。

コンビニでセクハラ?

P1260162

 外を歩きながら、広島の立藤さんとLINEでやり取りをしていたときのことである。ついでにローソンに寄って低糖質パンを買うことにした。

 レジにパンを持っていき、そこで誤ってLINEのスタンプを押してしまった。加藤茶の声で「あんたも好きねぇ」が響く。レジには20前後の女性が。慌ててしまった私はスマホをポケットに入れようとしてまた押してしまい、「あんたも好きねぇ」。

 うーーーーー。

 私が店を出たらあの女の子は店長に相談するだろう。「短髪のキモいおっさんが『あんたも好きねぇ』って何回も嫌がらせをするんです」。店長はこうアドバイスするに違いない。「遠慮せずに110していいからね」。こうして私は迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されるのであるな。

 あの女の子は家族に言うだろう。「しょぼいおっさんがセクハラしてきたの」。家族は心配し、目を剥いてアドバイスするだろう。「痴漢ですって叫んじゃいな」。こうして私は周囲の人に取り押さえられるのであろうなぁ。なんまんだぶなんまんだぶ。

 歩きスマホはやめましょう。


 

『伯爵夫人』(蓮實重彦・新潮文庫)と白日夢?

 この小説で三島由紀夫賞を受賞し蓮實重彦先生が不機嫌そうに記者会見をしたのが今も印象に残っている。そりゃそうだろうな(笑い)。

 読み終えたのは出張先の広島市の広島電鉄の中だった。読み終える数分前、妙齢の麗しい女性が座っているのに気づいた。そこでふと思いついた。彼女がこの本の題名を見せて、「蓮實重彦先生の本を読んでるんだんわ。あらステキ」と思わせよう、と。彼女も読んでいればぷへーと言うかもしれない、と。

 さっそく彼女の目の高さに本を持って言ったり、右手から左手に本を渡したり、いろいろ工夫してみた。が、全く目を向けない。彼女はゆめタウン広島店の電停で降りて行き、私の努力は潰えた。

 あれれ、何でそうなるかな。私ならいちいち何の本か気になって確認しようとするのに。

 私の場合、カメラを持っている人を見たらメーカーが気になる。ニコンなら親近感を抱く。新聞も気になる。『毎日新聞』ならうれしい。アウトドア系の衣類も気になる。モンベルならやったーと思う。サザンファンなら一緒に歌いたくなる。

 ここで気がついた。彼女は恐らく本に興味がない人なのだ。本を読まない人なのかもしれない。人は自分が関心のあるものにしか関心を示さないのである(当たり前か)。

 この本を見て「あら!」という表情をする女性がいたら私と気が合うんだけどなぁ。120度に入って行って、帝国ホテルでお茶するんだけどなぁ。

 真面目な感想というか疑問を1つだけ書いておくと、この終わり方でいいのか? 小説の禁忌の1つなのに。


 

今ごろ読んでよかった五木寛之『他力』

 クレド仲間に勧められて買って読んだ『他力』(五木寛之・講談社文庫)。今ごろ読むのかと笑われるかもしれないが、今の私の考えを援護してもらうために引用したいドンピシャリの文章を見つけて「おお」と唸った。読書の神様がいるとすれば(絶対にいないけどね)、思し召しだろう。

 帯には《困難な時代を生きる100のヒント》と惹句があって、さらさらっと読み進むことができそうに見えるが、実際は五木さんが「考えてみろ」と投げかけてくるものが100あるから、さらさらっとはいかない。ヒントはヒントでも考えるヒントだ。

 アマゾンで買ったこの文庫本、2018年1月9日の24刷だった。日本の古典的宗教家の思想を解きほぐした本にしては予想以上に売れている。もしかすると日本人は自分に都合のいい「他力」が好きなのかもしれないと思ってしまうのは私の“斜視”ゆえか。

五木寛之『運命の足音』


 小説家には昏い核心がある。五木寛之さんの昏い核心は、第2次世界大戦末期にソ連兵によって母を家族の前で蹂躙された光景なのだった。

 この記憶を文章に記すまでの逡巡の長さを見ると、いやいやそうではなく、私が五木少年の立場だったら、五木少年の父の立場だったらと想像するだけで、どうしようもない無力と脱力に沈む。無間地獄で虚ろな目をして息をするだけの生ける屍になっていても不思議ではない。

 12歳の五木少年の悪夢を単行本で明かした際(単行本は2002年8月出版)、新聞が報じた記憶がある。話題になったのだろう。しかし、文庫本は売れていないように見える。アマゾンで買ったこの文庫本、2003(平成15)年8月5日の初刷だ。

「五十七年目の夏に」と題した40ページ弱の作品を読むために買う価値がある本なのに。

アマゾンの配達をクロネコヤマトが降りて

 まぁ別にいいんだけど、クロネコヤマトの人には顔に表情があった。

 最近アマゾンの荷物を配達してくれる運送会社の人の顔は仏頂面だったり渋面だったりする。私は優しいので6階まで運ばせるのは悪いと思って「宅配ボックスに入れておいてください」と言うことが多い。

 その新しい運送会社の人間は大きくて重い荷物の場合まで、私にインタホンで声をかけることなく、宅配ボックスに入れて帰った。私はその日ずっと自宅にいた。エントランスから私の部屋のインタホンは一度も鳴らなかった。

 クロネコヤマトの質はよかったなぁ。

写真集『露口茂in太陽にほえろ!』とりんごちゃん

IMG_3045


 復刊ドットコムのメールを見て慌てて買った。写真集『露口茂in太陽にほえろ!』が復刊されたのである。山さんといえば私の高校1年のころを思い出す。何度か書いた話なので今回決定版を書いておく。

 当時りんごちゃんと付き合っていた。河合奈保子のようなかわいい女の子だった。彼女は私の右斜め後ろの席だった。授業中に私を見ないわけがない。そこである日私は山さんを演じてみた。

『太陽にほえろ!』を熱愛していた私にとって山さんの真似事など朝飯前だった。例えば、口を少しすぼめて息を吐く。息を吸いながら口を少しだけへの字に曲げる。右手の人差し指を顔の近くに立てる。右手の人差し指と中指をそろえて先端を口元にやる。少し体を傾けてみる。右手の人差し指を立てて湯飲みを持つ……。これで山さんになることができる。

 大事なのは口元の演技である。露口茂は何かのインタビューで「目ではなく口元で演技をする」と語っていた記憶があった。それらを総動員してみせたのである。

 その日の交換日記か何かにりんごちゃんは書いてきた。「西野君シブいよー!」と。

 そう。山さんは渋いのである。

 しかし私は山さんではない。高校1年のケツの青いガキに渋みがあってなるものか。以来私は山さんを禁じ手にしてきた。こういう手で女性のこころを震わせなくても、私本来の魅力でイチコロにするのが筋ではないか。

 りんごちゃんとの交際は1カ月で終わった。彼女が別の男に走ったのである(涙)。私本来の魅力でイチコロ計画は泡と消えた。あわわ。

 私が山さんになり続けていたら、と想像するのは空しい。セイシュンの思い出が重なる写真集『露口茂in太陽にほえろ!』である。山さんの演技を復活させてみるかな。

表現の不自由展の中止をどう見るか

「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の実行委員会が企画展「表現の不自由展・その後」を中止した。場外乱闘や内紛のような状況が続いていて、賛否両論あり、どちらも一理ある。

 感じたことをいくつか挙げておく。

 警察に警備してもらっても続けるべきだという主張を聞いたが、それは滑稽であると言わざるを得ない。国家に対する批判の芸術を主張しながら国家機関の1つである警察に守ってもらえばいいという性根と考え方が私にはよく分からない。

 津田大介さんの名前はよく聞くけれど何者なのか私は全く知らなかった。検索してみると、インターネットの分野に詳しい人なのだった。この難しい分野を任せたのがそもそも間違っていたのではないか。ネットに精通していれば愉快犯から嫌がらせが数多く寄せられることくらい想定の範囲内でなければなるまい。想定の範囲でなかったとしたら、そもそも津田さんが芸術監督をするのは力不足だった。

 河村たかし名古屋市長が「表現の自由は憲法21条に書いてあるが、なにをやってもいいという自由ではなく、一定の制約がある」と語っている。表面的に捉えればその通りで、表現の自由は私人間において一定の制約を受ける。小説のモデルになった人から訴えられた小説家が負けるのは、私人間には無制限の表現の自由はないという視座ゆえである。

 とはいえ、憲法は対国家規定である。憲法21条が定める表現の自由は国民が国家に対して批判を含めて自由に発言できるというのが本来の趣旨であり、河村市長の発言はズレている。

 これ、収拾がつく日は来るのだろうか。

冬の布団で寝ることにした

 今年の夏はエライ目に遭った。7月上旬に気温が上がってきたとき2夜続けて薄着で畳の上で寝たせいで体を冷やし、風邪を引いてしまった。熱も出た。

 咳がようやく止まったのは8月下旬。薄着と畳の上睡眠を1夜でやめておけばバランスを崩さずに済んだ可能性があっただけにゲホゲホ。

 というわけで、朝晩の気温が少し下がったので冬の布団を引っ張り出した。これで体を冷やすことはない。

 私の経験では、体を冷やしたら風邪を引くけれど、朝起きたら汗びっしょりは風邪など引かないし、かえって体調がいい。秋の空気の訪れは冬の布団の始まりだ。



 

パソコンのデータが一部消えた(涙)

「ユーザープロファイルを読み込めません」とエラーメッセージが出てパソコンを立ち上げることができない。

 幸いにもiPadがあるので検索して復旧法を調べることができた。パソコンしか持っていなかったら検索する術がないわけで、あらためて複数の端末を持っておく必要性を感じた。

 で、おずおずと順番に試し、レジストリをいじくって解決した……かに見えた。そうは問屋が卸さない。

 どこかのサイトが書いてあったとおり、デスクトップに置いてあった大事なデータが一部消えている。うっ。バックアップはとっていない。悶絶である。

 デフラグを3年くらいやっていなかったようなので、昼間やってみたところ12時間近くかかった。デフラグの前に比べるとサクサク動く。これならまだ数年は使えるかな。


 


大推薦! 根津神社そばの「三間堂」

「以前いらっしゃったときは『陰翳礼賛』の話をしましたね」

 私と同じくらいの世代のマスターが静かに微笑む。もう半年以上前である。谷崎潤一郎の話などで話が弾み、何かを感じる店だったので深い関心を抱いた。その後何度も店の前を通っているのだが、開いていなかった。

「開くの11時なんです」

 道理で。私が通るのは朝の8時9時ごろだから開いているわけがない。根津神社の近くにあるコーヒーとワインの店「三間堂」である。

「最近『コルシア書店の仲間たち』を読みましてね」

 私の投げたボールをマスターはしっかり受け止める。

「冒頭にサバの詩が載っていますね。生きることが人生の疲れを癒やすというような。ミラノという詩で。たまたまですけど、ウンベルト・サバの詩集、ここに持って来てて」

DSC_1932


 谷崎の『陰翳礼賛』(1949年刊だったかな)とともにウンベルト・サバの詩集を見せてくれた。須賀敦子さんの翻訳である。

DSC_1934

DSC_1939


 店内をあらためて見回し、マスターの世界観に浸る。谷崎だけではなく乱歩も垣間見える。

DSC_1951


「店の前に結界を張っているので今日はお客さんが少ない」と静かに笑うマスターと話して店を出たら2時間も経っていた。

 静かに過ごすこともできるし、マスターと話が合えば時間があっという間に過ぎる。マスターの何がすごいかって、出てくる言葉(つまり思考)が文学なのである。マスターの口から文学が転がり出るたびに私は何度も「あ」と小さく叫んでいた。すごい人がいる。

 根津神社と日本医大病院の間の道を上がって行くと左側にある。歩いて数分。金曜休み。

 ぜひ!


 





 

天文館むじゃきの白熊に隙なし

IMG_3036

 白熊は白熊でも、天文館むじゃきの白熊だけが白熊である。あの浅田次郎さんが2杯食べたというほどの惚れ込みようで、私も憧れた。しかし鹿児島はあまりに遠い。

 しかし、である。その天文館むじゃきの白熊を食べる日が来た。夢のようであった。持って歩いたらすれ違う人たちが羨望の眼差しで白熊を凝視した。

 トッピングの種類も色も分量も違う。練乳のまろやかさや濃くも違う。バランスの良さは天文館むじゃきの白熊だけ。最初から最後までうまいのも天文館むじゃきの白熊だけ。

 これを食べずに死ぬのは惜しいな。

新聞記者OBを再雇用するとしたら

 本多勝一さんは外信部で北京特派員。

 鳥越俊太郎さんは社会部で東京都政。

 ナベツネは政治部で首相官邸。

 西山太吉さんは政治部で外務省。

 大谷昭宏さんは社会部で大阪府警。

 長谷川熙さんは学芸部で朝日新聞などのメディア担当。

 いわゆるスター記者でご存命の人を挙げてみたが、こんなに少ないのか。それとも私が知らないだけ? 
読者のお言葉
月別分類
略歴

ニシノ説論者

ニシノ書店