同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

「中秋の名月」はいつまでか

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 月を見上げるより、お金が落ちていないかと下を見て歩く私が、そうだそうだ中秋の名月を見ておこうと思って21日の21時前に南の空を見たらいい塩梅に見えた。iPhoneで撮ったのがこの写真だ。

 翌22日の朝5時20分に外に出たら、西の空に月が見えた。中秋の名月を2度味わうことができて何だか得をした気分である。と思った直後に疑問が浮かぶ。この月も「中秋の名月」なのだろうか。いったいどこからどこまでが「中秋の名月」なのか。

 国立天文台のサイトは《2021年の中秋の名月は、9月21日です。「中秋の名月」とは、太陰太陽暦の8月15日の夜に見える月のことを指します》と記す。ということは、22日早朝に見た月は「中秋の名月」ではない、ということになる、のか。もっといえば22日の0時0分0秒になった瞬間に「中秋の名月」ではなくなるのか。

「中秋の名月」という見方は平安時代に中国から伝わったそうだ。日本と中国北京の時差は1時間。ということは、日本の22日0時59分59秒の月は中国では21日の23時59分59秒の月である。日本では「中秋の名月」ではないが、中国ではギリギリ「中秋の名月」なのか。うーん、分からん。


 

財布が見当たらず

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 仕事先で昼飯を食べに出ようとしたら財布がない。いつも放り出すので、その辺にあるだろう。しかし、見当たらない。

 確か1000円札1枚と小銭が少し入っていた。まぁ、なくしても仕方がない。先日JR東海道線の網棚に全財産入れたリュックを置き忘れたのに比べると余裕の裕次郎である。

 ただ、モンベルの希少な財布だったので、残念な気持ちはある。お札と領収証、小銭に分けて入れていた。余った布を使って大阪でごくまれに少数作るそうで、主に西日本の店に流れてくると聞いた。私は5年くらい前に広島店で買ったが、東京や神奈川のモンベルでは見たことがない。そもそも広島店でもその後の入荷がない。

 残念なことではある。1000円ちょっとは貧乏人の私には大金だが、諦めるしかない。年齢のせいか育ちがいいせいか(笑い)諦めが早い。

 しかしどこで落としたんだろう。

 恐ろしいことに、帰宅したら見つけた。外出時に財布を持って出なかったのである。阿呆やなほんまに。

 

ユージン・スミス『MINAMATA』を水俣病センター相思社で買ったワケ

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 映画『MINAMATA』を見越してだろう、ユージン・スミスの写真集『MINAMATA』が“復刊”された。

 いつものようにアマゾンで買うつもりだった。しかし水俣病センター相思社のサイトを読んで笑ってしまったので、送料が余計にかかったが、ここで買うことにした。私が会員ということもあるけれど、支えようと思わせる笑いを誘う涙ぐましい素朴さがとってもいい。アイリーンさんのインタビューを載せた会報をわざわざ同封してくる姿勢も好ましい。水俣病センター相思社の『MINAMATA』キャンペーン



ようやくワクチン接種2回

 ようやくワクチン接種を2回済ませることができた。油断できないとはいえ、気持ちの上では安心感が生まれる。私のような50代後半個人事業主にとってワクチン接種の道は容易ではなかった。

 地元平塚市では50代後半には順番が来ていなかった。市のサイトを見ると自衛隊大規模接種会場でワクチン接種する人には別途接種券を送るという。さっそく申し込んだ。

 ところがだ。自衛隊の大規模接種会場の予約が全くできない。アクセスが殺到しているのだろう、サイトに辿り着くことができないのである。6分くらい経ったころ突然サイトが浮上してきて、予約終了の文字を突きつけてくる。

 平塚市のサイトに戻ってみると、大規模接種会場用に接種券をもらった人はそっちで接種を受けてくれという文言がある。やむなく自衛隊の大規模接種会場の予約を入れようとするのだが、サイトに辿り着くことすらできず以下省略。

 私が感染するのはいいけれど、感染したついでに死んでもいいのだが(笑い)、仕事を一緒にしている人たちに私から感染させてしまったら申し開きができない。

 というわけで、右往左往したあげく、平塚市で2回接種を済ませることができた。ようやく。

 翌日は熱が出たり下がったり、寝たり起きたりだったが、1日経つと元に戻った。ほっ。


 

諦めないための『諦めの価値』(森博嗣・朝日新書)

 私も森博嗣さんの小説は1冊も読んだことがないけれど、エッセイはほぼ読んできた。何となく考え方というのか波長というのか、そういうものが合うのである。「やっぱりそうだよな」と安心できるわけだ。

 とはいえ、本書はあくまでも森博嗣さんだから言える部分がある。どこか(外国?)で悠々自適の暮らしをしている、お金の苦労のない、健康不安もない、功成り銭貯めたポジションからのトークなのである。普通の生活をしている人や貧乏人の私の参考になるのかどうかというのは棚に上げて、私と全く同じ見解を森さんが書いていて、安心できたところがあった。

《どんなに目立つことをしても、あるいは、どんなに人から感謝されることをしても、それが仕事だったら、偉くもなんともない、と僕は感じます》

《それに応じた賃金が支払われているわけですから、そこで帳尻が合っている》

《もし、人に語れるようなことがしたいのなら、ボランティアとして奉仕活動をされるのが適切でしょう。見返りを求めない作業の方が、仕事よりは少し偉いといえます》



 

遺体発見現場映像を午前2時に撮っていたTBS

 女子高生の遺体発見現場を捜索する警察官の映像をTBSが午前4時半の番組で流した。テロップに「午前2時」の文字。ついさっき撮ったばかりの映像である。

 新聞記者になって初めて知ったことの1つに、家宅捜索や遺体捜索について警察は事前に何も公表しないということだった。よく言われたのが、夜の弁当の数を数えておけ(家宅捜索は朝早いので刑事は泊まり込むから)だのスコップの数(遺体はたいてい地中に埋められているのでスコップで掘り起こす)を数えておけ、だのである。しかし、このような“手がかり”が必ず役に立つわけでもなく、最後は警察官とのパイプで決まる。

 テレビで時々見かける「いま家宅捜索に入りました」の映像は、記者の努力の賜物なのである。

 むかし福島支局にいたころ、福島県警から事前に連絡が来たことが1回だけあった。朝の6時か7時ごろの家宅捜索で、現場には各社来ていた。何のことはない過激派のアジトだか何だかに踏み込んだのである。過激派の家宅捜索は当時全国ニュースの位置づけだったようで、夕刊用に記事を書いた。

 現場で見守っていたら報道官が寄ってきて小さな声で聞いてきた。
「これ、東京の新聞に載るかい?」
「はい、夕刊に載ります」

 東京の夕刊に載れば霞が関が読む。警察庁が読む。つまり県警本部長の手柄になるのであるわけだな。本部長を持ち上げなければならない警察も大変だなぁと思わないではなかった。

 話を戻す。極端な話、捜索現場の映像(写真)がなくても新聞記事は書くことができる。しかし映像勝負のテレビは優劣の差が明確に出る。

 この日のNHKとテレビ朝日を見たが、捜索現場の映像はなかった。向島署の建物の外観の映像という何ともツマラナイ映像を流すしかなかった。つまりTBSに完全に抜かれたのである。

 TBSよくやったなぁ。


 

ワクチン接種2回済ませても

 ファイザーのワクチン接種を3カ月前に済ませたAさん(私の知人の同僚)が高熱を発した。その数日前に子供が新型コロナに感染しているので、家庭内感染なのだろう。

 噂では聞いていたが、ワクチン接種を2回済ませていても感染するのだった。しかも高熱とは。

 Aさんと私の知人は職場で近い距離にいた。濃厚接触者になっている可能性が高く、この週末を戦々恐々と過ごしている。

 ワクチン接種2回済ませても油断なさるな。


 

全財産入りリュックを東海道線の網棚に置き忘れ

 横浜での勉強会を終え、JR東海道線で平塚に向かう。21時40分ごろ帰宅するから、22時に寝て、あした4時半に起きて、大量の終活ゴミを出し、5時18分発の東海道線に乗って東京に向かい……と算段する。

 睡眠第一なので、21時にベルソムラを電車の中で飲む。これで22時には眠気が来て熟睡できる。

 平塚駅を出たのが21時20分ごろ。ゴミ出しの段取りを考えながら家に向かって歩いているときに「あ!」と絶句。リュックがない。網棚に置いたままじゃ。どんならん!

 改札に走る。

 ローンが残っているパソコン、通帳、財布の中には運転免許証やクレジットカード。全財産と言っていい。

 改札の窓口で駅員さんにあわあわと訴え、小田原駅で駅員さんが車内を調べ、無事に確保してもらった。

 リュックを受け取りに小田原駅に向かう。ベルソムラが効いてきた。座ると寝てしまいそうだ。飲むんじゃなかった。

 思えばリュックを電車に置き忘れたのはこれで2回目である。2度あることは3度ある。リュックが重いのでつい網棚に置いてしまうのが置き忘れの原因で、今後ますます脳みそがボケていくから、またやってしまうことは目に見えている。そのうち悲劇が来るに決まっている。そうなる前にリュックをやめるしかないのかもしれない。

 リュックが戻り、私が確信したことが1つある。それは、私は意外に幸運の星の下にいるということだ。ほんまかいな。

中公文庫偉い! 車谷長吉さんの『漂流物・武蔵丸』刊行

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 新聞広告で中公文庫が車谷長吉さんの作品を集めた『漂流物・武蔵丸』を出したと知り、すぐにアマゾンで注文した。そのあと駅前のサクラ書店に行ってみたら平積みしてあるのではないか。思わず手に取り、ぱらぱらめくって、そのままレジに。とにかくすぐ読みたい。私にとって車谷長吉さんの小説は覚醒剤みたいなものなのである(覚醒剤はまだ経験がない)。

 なかなかいい編集で、特にいいのは『抜髪』を入れてあることだ。読み終えてガックリくる『三笠山』を入れていれば完璧だが、それは中公文庫の第2弾を期待して待つことして、さっそく駅前のドトールで読み始める。

 巻末に掲載してある高橋順子さんのエッセイも、車谷長吉さんの異様ぶりが好意的(?)に伝わってきて、物書きを配偶者に持つといいなぁ。

 というわけで、中公文庫よくやった。

仁鶴師匠死去の記事読み比べ

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 集合写真を撮るとき、私に続いて声を出してもらったことがあった。あるとき、ウケ狙いで「どんなんかな〜」と叫んでみたのだが、何のことだという顔顔顔。そういえばここは東京だ。仁鶴を知らないのか。

 笑福亭仁鶴師匠死去の新聞記事を読み比べてみた。『毎日』は13版、『朝日』は14版である。

『毎日』は社会面2番手、『朝日』は第2社会面というのか対社面というのか、いわゆる社会面から落ちた面に載せた。

 笑福亭松鶴への弟子入りを『毎日』は1962年とし、『朝日』は25歳と分かりやすい。

「どんなんかな〜」を載せたのは『朝日』。

 配偶者を亡くしてから体調を崩したと書いたのは『毎日』。

 追悼コメントを『朝日』は西川きよしさんの発表文だけ載せたが、恐らく西川きよしさんが一番言いたかった大事なところをあっさり削ってしまっている。一方『毎日』はその大事なところまでしっかり載せており、安定感がある。『毎日』は筆頭弟子と桂三枝さんのコメントも載せたが、西川きよしさんの内容がが圧倒した。

 というわけで、どっちの記事がいいのか、仁鶴師匠に聞いたらこう言うだろう。「どんなんかな〜」
 

“前祝い”で買った車谷長吉さんの100部限定本『抜髪』

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 ヤクオフで見つけたそれは通常より1万円安かった。あることの“前祝い”として、手に入れようと思った。いつもなら競争相手が値をつり上げてくるのだが、夏休みなのか、競争相手が出て来ない。おかげで落札することができた。

 車谷長吉さんの署名と押印がついて100部限定の古本『抜髪』である。もちろん『抜髪』は『車谷長吉全集』に収録されているので何度も読んでいる。何度も読んでいるけれど、車谷長吉さんの署名押印つきの100部限定本なら持っていなければならない。

『新潮』1994(平成6)年8月号に掲載され、白州正子が「敢えて言うなら神さまに対して書かれたものだ」と論評するなど話題を呼んだ作品である。母親が飾磨の方言で息子の勘違いと増長を窘める、そんな作品なのだが、読んだ瞬間に「これだっ!」と思うた(車谷さん風)。

 こんな書き出しだ。

《「あのな。ええことおせちゃる。」
「あんた阿呆(アホン)なっとんなえ。ぼけとんなえ。人の前でわが身が偉い、いうような顔、ちらとでも見せたら、負けやで。それでしまいやで。」》

 母親の窘めは続く。

《「世ン中見てみな。みな自慢しとうて、しとうて、うずうずしとってやが。あれは最低の顔やで。みな自分をよう見せかけたいん。舌(ベロ)まかしたいん。やれプライドじゃ、へちまじゃ言うて、ええ顔したいん。あんたも、ええ顔したいんやな。ほう。」》

 奇妙な光景を見てずっと感じてきた違和感が溶けた瞬間だった。零細企業経営者とその家族が破滅に至る、全く救いのない『三笠山』とこの作品は車谷長吉文学の双璧を成す。

 というわけで、“前祝い”は準備できた。

 ところが、困ったことになった。祝い事が生じなかったのだ。「あれ?」と肩すかしを食らった感じ。

 しかし、長年求めてきたこの本が手に入ったのである。よしとすべきであるな。

 などと書いていると、
「いつも何かにつけて“前祝い”だの“せっかくだから”だのといって散財してますよね」
 鋭いツッコミを受けてしまった。

 祝い事がないのに、“前祝い”で2万円(笑い)。

 

欲しい! でも、じゅ、じゅ、じゅ、じゅうごまんえん!

 探していた本をヤクオフで見つけた。車谷長吉さんの私家本で、『二人の女』である。わずか99部で、市販されていない。それがヤクオフに出てきたのである。

 価格は15万円。

 私はこいつをゼニ儲けの権化と思うた。天誅! 死ねッ。とまぁ、車谷さん風に感想を言うとこうなるのだが、15万円ねぇ。車谷長吉さん命の私でさえ「これは暴利だ」と思うた。

 2万〜3万円なら買うのだが。

車谷長吉『二人の女』



院長が亡くなり患者とスタッフが困った理由

 肝臓がんでステージ4と診断された院長がいた。余命宣告を受けたはずだが、それはスタッフには知らされなかった。酸素を吸いながらも患者を診て、ある日亡くなった。

 院長も家族も死ぬとは思っていなかったので「突然の死」だったが、痩せていく様子などを見てきた看護師らは冷静に「お盆までだろう」と判断していたし、食べることができなくなったと聞いてからは「あと数日」とこれまた冷静に見ていた。

 問題は院長が自分を死ぬと思っていなかったことにある。特殊な病気を診る医院なので、本来なら院長が紹介状を書いて引き継ぎをするべきなのに、何もかもほったらかして逝ったものだから患者は「私はどこの病院に行けばいいのですか」と困り果て、スタッフはその対応でてんてこ舞い。

「余命3カ月と宣告されていたはずで、3カ月もあれば患者さんに紹介状を書いてバトンタッチできたのに、自分の都合で患者さんを抱え続けた結果がこれ。医者として失格」
 看護師らスタッフは厳しく顧みる。

 がんは死ぬ準備期間を与えてくれる。その準備期間を生かして“事業承継”するのは当たり前なのに、生への執着があると判断を間違う。結局自分のことしか考えていなかったことになる。

 後継者を決めていないし、相続でもめそうなので、関西地方にあるこの医院、最悪閉院だろう。


唸りながら見たNHK「精神科病院×新型コロナ」

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 精神疾患を持った人は新型コロナに感染しても治療を受けることができないと私が聞いたのは6月のことだった。「精神疾患の治療や看護の経験がある医者看護師」と「新型コロナの治療や看護の経験がある医者看護師」が同じではないからだと聞いた。

 私が6月に知ったことを、NHKは1年前から取材していた。問題意識を1年前から持っていたのはさすが。いや、新型コロナに限らない。戦争のときも障害者が置いてけぼりにされたことを知っていれば新型コロナ騒動が始まった瞬間に気づいていい。そういう瞬発力がNHKにはあった。捨てたものではない。

 番組は東京都立松沢病院を核としてその周辺の現実を映し出す。

 見終えて違和感がごろごろ残り、同時に偏見差別をお前も持っているではないかと刃を喉元に突きつけられる。視聴者を苦しめる番組として秀逸だった。


 

教養とバランス感覚の『完本 紳士と淑女』(徳岡孝夫・文春新書)

 右寄りの雑誌『諸君』に連載されたコラムのせいか、左寄りの私が見ると右寄りの感があるけれど、教養に裏打ちされた文章は味わい深い。正義の顔をした人や組織への痛罵にバランス感覚の鋭さが光る。

 例えば美濃部亮吉をこう書く。

《貴族院議員を父に、東大総長、文部大臣の娘を母に持ったエリートでいながら庶民の味方。財閥の娘と協議離婚したあと、行政庁統計基準局長だったとき、秘書の女性と交際を始め、二十年間、家にも入れず籍も入れなかったのに女性の味方。いや、こういう書き方は、よくない》

 美濃部さんに肩入れした朝日報道に対して、《独立の新聞社があまり特定の政治家に肩入れするのはいかがなものか》。

 ほかにも《朝日の記者には明治時代から尊大なところがあった》や《他を顧みて批判するのに巧みでありながら、自己への批判を許さない朝日は(略)》、」など、朝日のスター記者と言われたつまり朝日らしさの権化たる本多勝一さんを私は思い出す(笑い)。朝日信仰者は催眠術にかかりやすい人たちだというのが私の最近の分析(というほどのものではない)である。

 一方で、41歳の子持ちストリッパーが駅のホームで酔った高校教師に絡まれ胸を触られ、たまりかねて突いたら線路に落ちて電車にひかれた事件を取り上げ、どの女性団体もどの淑女もストリッパーに手を差し伸べない状況に、抑えた筆致でストリッパーという職業に対する偏見差別を語る。

 拉致問題が日本で話題にもなっていないころ横田早紀江さんらが米政府などを回り、《娘のことを黙っておれと言う外務省の仕打ちを語ったところで、話が突然中断した。不審に思って見ると、通訳(ワシントン在住の日本人学者)が嗚咽しているのだった》とわずか2文で読者に憤怒と悲痛を共感させる。

 言うまでもないことだが、私など死んでも書くことができない。こういう人たちが現役で新聞記者をしていた時代から今を見れば、ずいぶん軽佻浮薄の紙面であることだろう。


  


 

『デジタル毎日』を読んでやっているのに

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 新聞を取りに行く前にタブレットでざっと目を通す。便利な時代になったものだ。『毎日新聞』を購読しているのでデジタル版を無料で読むことができ、案外重宝してきた。

 ところが、である。突然ログインできなくなった。

 タブレットには解約中の文字が出る。解約中? 私は30年以上定期購読しているのに失礼な。お前のところが倒産したのか? 

 資本金を下げて中小企業になった毎日新聞社のこのデタラメぶりは中小企業以下だろう。いや、世の中の中小企業はお客さんをもっと大事にしている。

 いちいち毎日新聞社に電話をかけて、元に戻してもらわなければならない。この手間をどうしてくれよう。アーメン。


 
 

来日したトランプ大統領の昼食の裏側

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 東京・紀尾井町にあるバーガーショップに背広姿の男3人がやってきた。バーガーショップにはあまりふさわしくない服装である。外務省の職員だった。3人は聞いた。

「肉は米国産ですか?」 ← そこか!

 その前に米国産の肉を使ったバーガーの宣伝をしていたので、それを見たのかもしれない。

 当日。ゴルフ場に行った。米軍のチェックと日本の(警察の?)チェックをそれぞれ受けた。準備して待機する。

「はい。今です!」

 という声を聞いてすぐにバーガーを焼き、差し出す。

 最後まで「誰に食べさせるか」は教えてもらえなかったが、ニュースを見ていればトランプ大統領だと分かる。同じバーガーを10食提供したというから、付き添いの人も食べたのだろう。

 トランプバーガーはThe burger shop 393の紀尾井町店と笹塚店で食べることができる。2700円。


 

『谷崎潤一郎 性慾と文学』で納得する谷崎文学

 《精神的にも肉体的にも合致した夫婦と云ふものの有り難味が、四十六歳の今日になつて漸く僕に分つた》と記した谷崎純一郎。この谷崎文学の第一人者による解説である。

 私は丁未子さんをきれいな女性だと思うのだが、谷崎にとってそこは重要ではなかった。《屋外での即興的なセックスに応じてくれず、室内でも白昼は嫌がるなど、谷崎の性的嗜好とは大きく隔たった丁未子に対して苛立ち、困惑を隠しきれずにいる》そうで、ということは谷崎が崇め奉った松子さんはそういう嗜好だったのか、ということになるのだが、それはさておき、いろいろな衝動が芸術として開花するのだなぁ。

 事実、谷崎のこうした嗜好があの佐助をナオミを生んだのである。


 

 

 

初めて夜通し冷房をかけてみた

 写真を撮られたら魂を抜かれる、とまでは思っていないが、冷房は体に悪いと思い続けてきた。汗まみれになって起きる朝は「体調バッチリだー」と感じてきた。夜中に暑さで目が覚めたらタイマーをかけて冷房をかけるか扇風機をかけるかで済ましてきた。そのほうが健康にいいと感じてきたからだ。冷房をガンガンかけて布団をかぶって寝るのは邪道だと笑ってきた。

 この夏あっさり宗旨替えをした。冷房をかけ続け布団をかぶって寝るほうがいいという説を数多く見かけるようになったからだ。健康のためなら宗旨など屁のようなものでしかない。

 冷房のおかげ(せい)で朝起きても汗をかいていない。夏なのに体温調整機能が働かないわけで、これがいいことなのかどうか分からないが、より深く眠ったという実感はあった。ギンギンに冷房をかけることはさすがに遠慮するけれど、27度くらいの室温設定で冷房をかけ続けるなら悪くないようだ。タオルケットなしで寝て体が冷えない程度の室温は、冷房上等の夏である。

 

 

 

ありがとうヤマダ電機徳島本店

 スマホの声が聞こえにくいと以前から古里の母が言っていた。私はてっきり母の耳が遠くなったかと思っていた。

 母からLINEが来た。

《ヤマダ電気で昨日見てもらい音量を大きくしてくれました》

 何と。音量を下げていたのか! 私が用意して送ったスマホなので、私の設定に手抜かりがあったということである。

 スマホの使い方で分からないことがあると母はヤマダ電機に行き、教えてもらっている。ヤマダ電機で買ったスマホではないのに(汗)。

 というわけで、親身に対応してくださっているヤマダ電機徳島本店のみなさまに感謝の意を表します。ありがとうございます。今度帰省したら何か買います。

姫路の喫茶店バークリーは車谷長吉さんの生家の近く

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 車谷長吉さんの生家に通うようになり、通うと言っても前を往復するだけの、どう見ても不審者なのだが、それほど遠くないところにある喫茶店がここバークリーである。

 4月に初めてマスターと言葉を交わし、車谷長吉さんの話をした。7月末、久しぶりに店を訪ねた(もちろんその前に車谷長吉さんの生家の前を往復済み)ところ、注文を取りに来たマスターが「えーっと、以前来てくださった……」と私を覚えていた。私はマスク姿なのに。

 広島の名喫茶店てらにし珈琲のマスターも客といつも注文するメニューを覚えているスゴ腕で、顔と名前を覚えるのが、というよりそもそも記憶力の悪い私はただただ感嘆するしかない。お客さんを覚えるのは商売の基本である。と私がエラそうなことを言う資格は全くない。

 バークリーに立ち寄るのは、車谷長吉さんの同級生に出会えるといいなぁというヨコシマな狙いがあるわけだが、今のところ実現していない。

 外観のおしゃれな、なかなかいい店である。滅多に来ない客の顔を覚えているマスターも立派である。


 

 

トヨタのチョクノリは非常に便利

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 レンタカーを借りるとき面倒くさいのは手続きに時間を取られることだ。免許証を見せて、書類に署名して。順番待ちがあるともっとツラい。もう1つ厄介なのは、営業時間があることだ。朝の5時や夜の11時にレンタカーに乗りたいと思っても店が閉まっている。

 こうした問題を解決するのがトヨタのチョクノリである。初めて使ってみたところ、けっこう便利だった。

 予約から返却まですべてスマホでやる。鍵の開け閉めもスマホだ。ブルートゥースで連携する仕組みなのである。

 私は姫路駅前のチョクノリを使って徳島まで往復した。延長もスマホでできる。返却は同じ場所でなければならないという制約はあるが、最初から最後までスムーズである。私は22時に借りた。無人だから対応できるわけだ。

 チョクノリが増えていくのは間違いない。だって便利だもん。経営側からすれば人件費が少ないのが味噌だろう。


 
 

徳島県立文学書道館で思う「最初で最後」

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 全く興味のなかった徳島県立文学書道館を訪ねたのは瀬戸内寂聴さんの小説を読むようになったからだろう。寂聴さん専用にひと部屋設けられていて、初版本が壁いっぱいに飾られているほか、托鉢していたときの衣類などが陳列されている。時間があればビデオを見るところなのだが、計80分はさすがに。

 驚いたのは、この徳島県立文学書道館が文庫本を何冊か出版していることだった。記念に4冊買ったほか、ポストカードも何種類か買った。「瀬戸内寂聴便箋」とかいう便箋も買った。

 実家から歩いて10分くらいのところにあるとはいえ、実家に帰る機会がそうそうないので、「これが最初で最後」と思っておかないと悔いが残る。だから買う。

「これが最初で最後」と思って取り組むことが増えていくのだろうなぁ。そんなことを思うお年頃になったということである。めでたしめでたし。


 

 

そこまでして阿波踊りをしたいのか(笑い)

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 今年は徳島に帰って阿波踊りを踊るぞーと思っていたのに、(1)会場は「あわぎんホール」、(2)出演者も観客も徳島県内在住者限定、だそうな。新型コロナ対策だと言われると仕方ない。踊り子は声を出すからたちまち感染する。

 これに対して、毎年踊りに来ているホリエモンが「そこまでして阿波踊りをしたいのか」と呆れた。

 確かに。屋内で踊ることができるのは有名連に限られるだろう。大学や企業の連はお呼びではない。有名連の踊りを見るより、私は自分が踊りたい。踊ってなんぼの阿波踊りなのである。徳島の街全体に鳴り物の音が響かない阿波踊りなんて。

 というわけで、ホリエモンが茶々を入れる気持ちは非常によく分かる。

 その一方で、阿波踊りが完全に中止になるよりはましかな、とも思う。音は響いてこないけれど、阿波踊りをやっていると思えば、少しは気が晴れるかもなぁ。

 来年こそ踊りに帰るぞ。


 

酔っ払いとパナソニック

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 酔っ払ってろれつが回らない人が作ったに違いない。

 ついでに「かんれんち」と書いてあればもっとよかったなぁ。

レッツノートが7分の6!

 東京・霞が関の某省記者クラブで会見に出た記者7人のパソコンの6台が何とパナソニックのレッツノートだった。

 おー。カスタマイズ版41万円を36回払いで買った私としてもウレシイ光景であった。

 こういうのをパナソニックがPRできればいいのだが、できないだろうから、代わりに私がここに載せておく。

『彼女は頭が悪いから』(姫野カオルコ・文春文庫)は平成文学の名著の1冊


 2016年に報じられた東大生による強制猥褻事件をヒントにした100パーセント想像の小説である。

 姫野さんが文庫版あとがきで書いているように、世の一般的な東大生を普遍化した小説ではない。強制猥褻事件を起こした5人の若い男が学歴に基づく勘違いをそれぞれ持っていて、それが強制猥褻事件の根っこにあるという見立てで、加害者の男5人の家系まで描いてある(もちろん100パーセント想像)ので説得力がある。加害者の歪みは親の歪みの発露であることがひしひしと伝わってくる。

 被害者の女性ももちろん100パーセント想像の人物だが、どこにでもいるという前提の普通の家庭で育った若い女性で、そういう女性が強制猥褻の被害に遭ったという設定は共感を呼ぶ。

 多目的便所でお手軽セックスをした結果芸能人生命を絶たれた男がいたが、東大だの芸能人だの収入だのというところで何か勘違いする阿呆の話として読むべきだろう。

 姫野カオルコさんは神の視点で登場人物を描き、どちらかに加担することはない。絶妙のバランス感覚に私は驚いた。だからなのか、抑えた筆致から被害女性の哀しみが突き刺さる。

五輪観戦を楽しみにしていた人の怒り?

 五輪の中止(延期含む。補償あり)派の私なので、それみたことかの感染急拡大と4回目の東京緊急事態宣言である。

 緊急事態宣言によって無観客開催になりそうだという報道の中に、チケットを手に入れている人の「腹が立ちます」という声がある。うーん。そこか? そこを言うか? それを報じるか?  

 感染急拡大に伴う緊急事態宣言で死ぬ思いをしている人たちがいるのに、そんな人の「腹が立ちます」って何だ? もちろん「腹が立ちます」自由はある。いろんな立場の人がいるから、そこはそれぞれの思いがあっていい。

 しかし、私なら敢えてそこは報じない。「腹が立ちます」の人を守るためにも。

吉田健一さんの格調高い日本語訳『ハワーズ・エンド』(世界文学全集・河出書房新社)


 吉田健一さんの翻訳である。原文を非常に丁寧に日本語に置き換えていると思われ、まどろっこしい部分がないわけではないが、誤読をしたくても絶対にできない。主語述語修飾語をかっちりと、置くべき位置に置いているからだろう。

 英国が植民地を持っていた時代の“支配層”の考え方や行動が描かれている。彼らが浮世離れしているのは、高等遊民が出てくる夏目漱石の小説と同じか。

 そんな中で経済苦に喘ぐレオナードが小説の定石通りに出てきて光る。光るのだが、解説にあるように、もし著者のフォースターに遺産がなく、もっと生活の苦労をしていれば、深い洞察を持ってレオナードを描いただろう。

 この小説は吉田健一さんの格調高い和訳を楽しむ本なのかもしれない。

オモロい『危険な旅路』(冒険の森へ 傑作小説大全・集英社)

 「冒険の森へ 傑作小説大全」シリーズの魅力はいろいろな作家のいろいろな小説を読むことができるからだ。視野が広がるというか、読まないだろう小説を読む機会を与えられることだ。

 私はこの本で船戸与一さんの小説を初めて読んだ。片岡義男さんも、逢坂剛さんも、初めてである。名前は知っていても、読んだことがなかった。もったいないことをしていたのである。

 1人の小説家の全集もいいけれど、幅広い小説家の作品を強制的に読む機会を得られるこのシリーズのような全集は勝るとも劣らない。



【長編】
船戸与一「夜のオデッセイア」
矢作俊彦「リンゴォ・キッドの休日」

【短編】
石川淳「金鶏」
森詠「わが祈りを聞け」
片岡義男「ミス・リグビーの幸福」
谷克二「サバンナ」
逢坂剛「幻影ブルネーテに消ゆ」

【掌編・ショートショート】
川端康成「顔」
坪田譲治「森の中の塔」
河野典生「かわいい娘」
眉村卓「帰途」
半村良「酒」
阿刀田高「笑顔でギャンブルを」
星新一「もたらされた文明」
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