同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

沢木耕太郎さんご乱心?

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 あの沢木耕太郎さんが11月24日付『日本経済新聞』に「午後の異邦人」と題するエッセイを書いていて、それをノンフィクション作家・中原一歩さんが目に涙を溜めて抗議している=12月2日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)文化面「このごろ通信」。

 何でも田園調布に向かうバスの外国人の多さを見て《非白人に対する警戒心と防衛本能のようなものが発動されているように感じられるのだ》とし、《バスに残っていた二人の日本人が途中の停留所で降り、運転手がバックミラーでちらりと車内を見る。すると、そこには外国人しか乗っていないことに気づき、愕然とする……》でエッセイを締めくくったそうな。

 中原さんは《最後の「愕然」という言葉に、沢木さん、それはないよと、憤慨してしまった》と記す。

「愕然」の意味は『広辞苑第7版』によると《ひどくおどろくさま》、『新明解第5版』によると《意外な知らせを受けて(事実を知って)ひどく驚く様子》だ。これだけを見ると、沢木さんの「愕然」に違和はない。

 しかし『深夜特急』という名著を記した沢木さんの表現だからこそ中原さんは驚いたのである。つまり、かつて異邦人だった沢木さんなら日本で見かける異邦人に対してただ驚くという反応以外の反応があってしかるべきではないか、ということだろう。日本に来た外国人に対する温かい目が全く感じられない、ということでもあるだろう。

 原文を読んでいないので(『日経』を探して読めよ)これ以上踏み込めないが、沢木さんが言葉足らずだったのか年老いたのか。いずれにしても、沢木さんの不十分な表現を取り上げた中原さんの感覚が素晴らしい。こういうコラムを書くことができる社員記者がなぜいないのだろうか。高給を食むと動きが鈍るのかもしれないな。

『毎日新聞』で沢木さんに取材を申し込むなどして追究すれば面白い記事になりそうだ。

湘南国際マラソン完走の感想

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 湘南国際マラソンは地元なので何かと便利だった。スタート地点とゴール地点に徒歩や自転車で行き来できるマラソン大会は本当に助かる。

 午前4時起床。この日のためにベルソムラ20ミリで睡眠を統制してきた。軽く朝飯を食べて、5時45分に自転車で家を出る。駐輪場が混雑すると大会要項に書いてあったからである。6時10分に着いた駐輪場はガラガラ。しまった、早く来すぎたか。早く来すぎたとガックリきたのは開場時間が6時45分だと知ったときである。寒い中、じっと並ぶ。

 この日の横浜の気温は14〜15度と予想されていた。湘南地方は1度くらい高いから、走っているうちに汗をかくだろうと考え、荷物を減らす意味もあり、薄着で来たのが失敗ではあった。足踏みしながら寒さに耐える。

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 9時スタート。大磯町から隣の平塚市に入る。5キロ辺りか。この辺から汗をかき始める。太陽が当たり、体温が上がる。寒さ対策で厚着をして走っているランナーはつらいだろう。脱ぐことができないもんね。半袖の大会シャツで走る私はほくそ笑む。このあと路上にたくさんの手袋が落ちているのを見る。捨てたのではなく落としてしまったのだろう。こうして日本経済は循環する。

 湘南大橋を超えて茅ヶ崎市に入る。ホテルパシフィックという名前のラブホテルを見つけて笑ってしまう。このホテルに入ったらサザンの「ホテルパシフィック」の振り付けを踊りたくなるのではないか。そういえばランナーの中にサザンの「ホテルパシフィック」でダンサーチームがまとう「オー! モーレツ!」の服装の人(性別不明)がいた。沿道から「オー! モーレツ!」の声がかかる。サザンの音楽を流している男性がいて、「江ノ島が見える」と桑田佳祐の歌声。茅ヶ崎らしくていい。湘南を走るのだからサザンの世界があって当然だ。

 衝撃的だったのは「欅坂46」と書かれたタオルを掲げて無言で応援している(のだろう)初老の男性だった。なぜに欅坂46?

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 江ノ島入り口付近で折り返す。快調である。1カ月前に皇居を30キロ余裕の裕次郎で走ったのだから、この調子で行けば十分だ。江ノ島を見たあと5時間切りも見えてきた。

 ところが復路は海岸の防砂林で太陽が遮られているせいか体が冷えてくる。そのせいかトイレに並ぶ人が多い。30キロ辺りだったか、トイレに並ぶ列がなかなか減らない。便座なので手間取るのだった。男性用小便器だけ分ければいいのに。

 再び茅ヶ崎市。応援者から「がーががががー」の声が飛ぶ。笑ってしまった。分かる人は笑うだろう。こいつもサザンオールスターズのファンなんだな。茅ヶ崎らしくていい。

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 復路の湘南大橋。箱根駅伝の中継ヘリから「湘南大橋が見えてきました」とアナウンサーが必ず絶叫する地点である。思えば箱根駅伝で走者がいろいろなものを背負って駆け抜く道を私たちも走っているのだ。箱根駅伝の走者は私のように自分のタイムと自分の完走だけ考えていればいいわけではない。どれだけ重く複雑なものを背負っていることか。ということも、自分が同じ道を走ることで初めて見えてくる。かつて早稲田の競走部で箱根駅伝を2年走った神能さんの精悍な顔が浮かぶ。

 大橋の上から富士山が見える。UFOのような雲が浮かんでいる。あしたは雨だな。

 再び平塚市に入る。もう走りたくなくなってきた。コースを外れてこの角を右に曲がれば自宅に10分で着くぞというユーワクにかられる。

 35キロでトイレに向かう。ところがこの地点のトイレは西湘バイパス本線と一般道を結ぶアプローチ道の下にあるではないか。アプローチを降りながら「これを今度は上がるのか」とがく然とする。きれいな洋式便座だったので脱糞する。座ると足の疲れが和らぎ、しばしうっとりしてしまった。洋式便座は臭くはなかったが曲者である。

 コースに戻る。笑ってしまったのが大会関係者の激励だ。「湘南国際マラソン大会ですよ。ウオーキング大会ではありません!」だって。実際歩いている人が多い。

 この辺りから「何で42キロも走らんといかんのよ」「今後はマラソン大会にはもう絶対に出ない」などの反省が聞こえてくる。ましてや100キロウルトラマラソンなんかぜーったい無理だ。100キロウルトラマラソンやトライアスロンを完走した人が身近に3人いるので、その顔と名前を思い浮かべて敬意を表する。

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 歩いてなるものか。よたよたしながらも最後まで走る。ゴール前の坂道、沿道からの拍手が飛んでくる。何回走ってもゴール直前、込み上げてくるものがある。35キロ辺りからヨレヨレになって(笑い)、それでも走ってきたからこその感動だろう。

 自宅に戻ってシャワーを浴びて2時間爆睡。5時間も体を揺らし続けたのだから胃腸がめまいを起こしていると想像し、日清チキンラーメンに生卵を落として汁まで飲み干して晩飯を軽く済ませた。21時すぎに寝た。

 次はどこのマラソン大会に出よう。

電話相談受付サービスはパナソニックがソニーに勝る

 ソニーとパナソニックのビデオカメラにライン入力できる機種があるかどうか、両方のメーカーに電話で聞いた。

 結論から言うと、電話受付のサービスはパナソニックが上だった。すぐに電話番号が分かり、ライン入力できる機種があったので疑問がすぐに解決した。

 一方ソニーは人工知能が出てきて邪魔をする。なかなか電話をかけさせてくれない。ようやく電話番号が分かったと思ったら今度は携帯はつながらない。ケチなソニー。

 人件費を削るとこういうことになるのだろう。私はどっちのメーカーも好きだが、こうなるとパナソニックに軍配を上げることになる。

アルコール消毒ではインフルエンザウィルスを退治できない

 鼻水やたんなど粘液に含まれるインフルエンザウイルスはアルコール消毒だけでは効果がないに等しく、ウイルスを洗い流す手洗いをする必要があると新聞各紙に出ていた。

 なーんと。手ピカジェルを買って使っているのに、それだけでは駄目なのか。

 あらためて看護師数人に聞くと、医療従事者が入念にやっているのは「手洗い」であって「手ピカジェルを塗り込む」ではないのだった。似て非なる、いや、全然違うがな。

 というわけで、外出から戻ったときは「手ピカジェル」のあと「石けんでの手洗い」をすることにした。これでインフルエンザ対策はバッチリだ。たぶんね。
 



風邪予防に今年も手洗いするぞ

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 風邪やインフルエンザの季節がやってきた。インフルエンザの予防接種はすでに済んでいるので抗体が定着したことになっている。しかし油断はできない。

 というわけで薬局で見つけたのがこれ。去年はピンク色の容器を買ったが、今年はこれにした。約1000円。どこまで効果があるか分からないが、看護師や医者に聞くと総じて「患者さんひとり診たら手洗いをする」と言うので、手洗いなのだ。

 私の母は風邪もインフルエンザもかかったことがないというア×なのに、私は風邪やインフルエンザにかからない冬はないというくらいの虚弱体質である。母と違って私は×ホではないのかもしれないな。

 というわけで、今冬も神経質なくらい体調管理をして、といっても睡眠と栄養と手洗いくらいだが、それでも風邪やインフルエンザにかかったら潔く謝る(誰に?)。

厳冬地に住む長女に念を押したこと2つ

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 厳冬期はマイナス30度になるという。熊が出て牛を10頭ほど襲い(味を占めたのだろう)、外で飼われている犬も5匹ほど襲ったという。札幌市からものすごく辺鄙な場所に引っ越した物好きな長女と何年ぶりかでお茶をした。

私「新聞読んどるか?」

長女「地元の町内新聞みたいな新聞しかなくて」

私「1日遅れでも送ってもらえるけん『朝日新聞』を購読しなさい。古い新聞でも価値は落ちん」

長女「分かった」

 長女の職場周辺の写真を見せてもらった。湖と山しかない。

私「この大自然を写真に撮って、サイトを立ち上げて発信してみ。まず日本語。次はそれを英訳して英語版のサイト。そういう技術を磨け。でな、写真を撮るんだったらニコンのZ50を買え。あるいは職場の社長にZ7を買うてくれとリクエストすればええ」

長女「お父さんはZ7を使ってるんでしょ」

私「いかにも」

長女「ということはライカは防湿庫で寝てるの?」

私「(ギクッ)お前オソロシイこと言うなぁ」


 





 

 

スプリングボクスのトップファンになったぞぉ

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 フェイスブック上でスプリングボクスのトップファンに認定された。おおー。えへんえへんえっへぇぇぇぇぇぇんへんへん。変?

 要するにもっとコメントを書き込め、盛り上げろということだな。英語で書かなければならないのでちと敷居が高いけれど、復習を兼ねて書き込むことにしよう。

 ほかにもナショナルジオグラフィック日本版とニコンと琉球新報からもトップファンのバッジをもらった。こういうの、案外うれしい。

ベネッセはなーんも悪くない

 ベネッセが袋だたきに遭っているけれど、それは違う。

 ベネッセは企業だ。企業は金儲けをする組織である。金儲けをするために金のにおいがするところに行き、金儲けをするために人脈を築き、金儲けをするために先手を打ち、金儲けをするために伏線を張り、そして金を儲ける。これはベネッセに限らない。

 国公立大学を中心にした受験という重大業務を企業に投げたこと自体が間違いなのである。ベネッセを叩くのではなく、こんな大事な業務を企業に投げた奴を叩くのが筋だ。

 ベネッセを叩く新聞や雑誌の記者は自分で金儲けを直接やっていないだけで、社内の別の人が金儲けをするために上記と同じようなことをしていることを知らないのだとしたらあまりにもめでたい。

令和になって皇室が根づいた?

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 これも時代の流れか。天皇の代替わりを祝う一連の行事の過程で過激派によるゲリラが全くなかったではないか。拍子抜けしたというかガッカリしたというか「え? まじ?」というか。いや、期待していたわけではない。今回はどうかなと興味を持って見ていただけだ。

 即位の礼の早朝、皇居近くで黒煙が上がり、すかさず生中継したのはTBSだったかフジテレビだったか、私は「来た!」と思ったが、単なる交通事故だった。

 30年ほど前には数十件起きたのに今回はゼロ。警察の長年の取り締まりがあったのは間違いない(1990年ごろ、確か中核派のアジトのガサ入れをするからと福島県警が事前に電話をしてきて各社を現地に集めたのにも、広報官が「これ、東京の夕刊に載る?」と全国紙の報道をものすごーく気にして聞いてきたのにも笑ってしまった)が、過激派自体が“事業承継”できなかったのが最大の原因だろう。

 普通の労働組合さえ組織率が下がり続けている社会でゲリラをやったところで反感を買うのが落ちだと判断したのかもしれないし、適用障害を起こすほど皇室に抗った雅子ちゃんを見て、爆竹を車列に投げて驚かせる程度のことしかできない自分たちを恥ずかしく思ったのかもしれない。

 あるいはここは勝負する場所ではないとして体力を温存し、来年の東京オリンピックを狙っているのかもしれないな。
 

英語民間試験の断念は正しいというかそもそも論

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 何も大学受験英語で無理して「聞く読む話す書く」を問わなくてもいいではないか。英語の必要性があれば勉強すればいい。米ニューヨークの国際連合で働く人とニューメキシコ州で日本レストランを開業する人とマサチューセッツ工科大学で工学を学ぶ人と沖縄のホテルで外国人観光客を相手にするのとでは「聞く読む話す書く」の内容が激しく異なる。にもかかわらず大学受験英語の程度で慌てて何を身に付けることができるというのか。

「読む」を中心の従来の英語で英語の基礎を築くことができないならまだしも、しっかり身に付ければ基礎はできる。

 中学高校(大学)と6年以上英語を勉強しているのに話せないし聞けないと下村文科大臣が批判していたが、「6年」はあまりにもデタラメすぎて笑えない。英語は学校で週に3〜4時間程度しかやらないのだから「6年」はあり得ない。デタラメを言うにもほどがある。そもそも前提がデタラメだったのに、そこを修正せず突っ走ったらアカンがな。

 英語の「聞く読む話す書く」の力をつけさせたいなら、授業でどんどん積極的に手を挙げる子供を育てるのが先だし、何かの講演会があったら最前列から席が埋まっていくような積極性を養うのが先だし、とはいえこういうのは国民性だろうから、そうそう育てたり養ったりできるとも思えない。

 私は塾で英語の出来の悪い子供たちを教えたことがあるので余計に思うのだが、英語ができる子供は放っておいても自分で「聞く読む話す書く」を身に付けるし受験で高得点を出す一方、英語ができない大勢の子供たちは混乱を増すだけだ。

 民間試験業者の中には1回の受験料が2万5000円というふざけたのがあった。最初からやる気がないのである。

 絶対に必要だと言うのなら、大学入試センターで問題を作ればよろし。


 

 
 

分からないことだらけの英語民間試験導入

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 何も大学受験英語で無理して「聞く読む話す書く」を問わなくてもいいではないか。英語の必要性があれば勉強すればいい。米ニューヨークの国際連合で働く人とニューメキシコ州で日本レストランを開業する人とマサチューセッツ工科大学で工学を学ぶ人と沖縄のホテルで外国人観光客を相手にする人とでは「聞く読む話す書く」の内容が激しく異なる。にもかかわらず大学受験英語の程度で慌てて何を身に付けることができるというのか。

「読む」を中心の従来の英語で英語の基礎を築くことができないのか?

 中学高校(大学)と6年以上英語を勉強しているのに話せないし聞けないと下村文科大臣が批判していたが、「6年」はあまりにもデタラメすぎて笑えない。英語は学校で週に3〜4時間程度しかやらないのだから「6年」はあり得ない。デタラメを言うにもほどがある。そもそも前提がデタラメだったのに、そこを修正せず突っ走ったらアカンがな。

 英語の「聞く読む話す書く」の力をつけさせたいなら、授業でどんどん積極的に手を挙げる子供を育てるのが先だし、何かの講演会があったら最前列から席が埋まっていくような積極性を養うのが先だし、とはいえこういうのは国民性だろうから、そうそう育てたり養ったりできるとは思えない。

 私は塾で英語の出来の悪い子供たちを教えたことがあるので余計に思うのは、英語ができる子供は放っておいても自分で「聞く読む話す書く」を身に付けるし試験内容がどう変わっても高得点を出す一方、英語ができない大勢の子供たちは混乱を増すだけだということだ。


 

 
 

ワシも歩けば本に当たる

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 週末に東京・神田の古本まつりをぽっくりぽっくり歩いていたら、おお。『逆引き広辞苑』があるではないか。

 最新版は『広辞苑第5版』対応の『逆引き広辞苑』(1999年発行)だ。これは約5000円。一方私が見つけたやつは1992(平成4)年11月の発行で、たったの1000円。しかも使用感がない。

 1992年の9月ごろだったか、私が『サンデー毎日』にいたころ誰かからいただいた。開けた瞬間よくまぁこんな面白い辞書を考えたなと見入った記憶がある。週刊誌の見出しや前文づくりに重宝する辞書(ではないな)なので、大勢の編集者やコピーライターが活用したはずだ。

 毎日新聞社を辞めた際『サンデー毎日』編集部に置いてきたが、時々思いだしてはいた。それが目の前にあって、「買ってぇ−」と私にささやく。というわけで全く迷うことなく買った。

 ここで一句。『逆引き』で言葉の海に戯れる





 

 

南アフリカ共和国からスプリングボクスのウェア届く

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 DHLで本当に届くんだなぁと感心した私は時代遅れではある。南アフリカ共和国からスプリングボクスのウェアが届いたのである。10月末日夜の注文で6日に届いたのだから1週間もかかっていない。

 スプリングボクスが勝ち進んでいるのか敗退したのかさえ全く知らず、いや、そもそも日本でラグビーの試合をしていることさえよく知らないまま注文したのは、映画『インビクタス』でチームとマンデラ大統領にのめり込んだからである。

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 スプリングボクスのサイトで商品を選び、サイズを選ぶ。背中に名前と願望を入れるのは別料金だが、迷うことなく「6」を入れると決めた。問題は名前だ。NISHINOと入れても意味がない。CAESARもちょっと違う。MANDELAは気恥ずかしい。

 何にするか。ふとLWTFが浮かんだ。おお。マンデラ大統領ならこれだ。分かる人なら握手を求めてくるだろう。それくら重要な頭文字だ。背中にこの4文字を入れる南アフリカの人は「こいつ、よっぽど好きなんだな」と呆れて笑ってくれるだろう。

 というわけで、ウェアの2つとも「6」と「LWTF」を入れた。

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 さて、買いたい人のために情報を共有しておきたい。輸入関税が700円、輸入内国消費税が700円、立替納税手数料が1100円余計にかかった。DHLから商品を受け取る際に計2500円を払った。

コーヒーの結論

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 東京・神田のコーヒーフェスティバル(だったかな?)でコーヒーを計10種類飲んできた。90ミリリットルずつ紙コップで飲むイベントに押すな押すなの大賑わい。

 スペシャルティーだったのだろうけれど、しみじみ思う。自分の舌と相性のいいコーヒーが一番だ、と。

「値段が高ければおいしいわけではない。高いのは手に入りにくいからであって、味は別」と教えてくれたのは広島市のニシナ屋珈琲の専務(当時)。ジャコウネコのコーヒーが高いのは、その糞から豆を採るからだった。

 これまでに私の舌が気に入った味は札幌市の森彦本店限定の「森の雫」と徳島市のアアルトコーヒーのブラジル、広島市宇品のカフェノートのブラジルくらいだ。

 札幌も徳島も広島も遠い。できれば東京か神奈川で手に入れたい。いや、東京や神奈川に私の舌に合うコーヒー豆がないわけがない。

 というわけで、相性抜群のコーヒー豆を探し歩く日々である。というのはウソだが、人間も女も仕事もコーヒー豆も趣味も得意科目も相性に落ち着く。

軽く30キロ皇居周辺をランニング

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 湘南国際マラソンの準備で30キロ走ってみた。2日(土曜)9時に走り出し、景色を楽しめる皇居を中心にぐーるぐる。

 あと2周して40キロ走ってみようかと思ったが、フルマラソンを完走する感動が減るし午後は神保町の古本祭りなどに行くことにしていたので、予定通り30キロでやめた。途中2回トイレに行って、3時間39分。

 マラソン大会のシャツを着ているランナーがちらほら。一番多く見かけたのが湘南国際。次がなんとかASAHI。別府大分を2人見た。那覇マラソンが1人いた。袖に糞エネオスの目立つ宣伝を張りつけた横浜マラソンはゼロ。東京マラソンはどんなシャツなのだろう、見たことがないので分からないのだが、少なくとも背中にそう記したシャツは見かけなかった。

 約500ミリリットルのスポーツドリンクを2回のトイレ休憩で飲み干し、30キロ走ったあと竹橋駅の自販機で買ったアクエリアスを飲み干し、そのあとスダチを搾った水200ミリリットルを2杯。

 翌3日は大腿部の筋肉痛で階段を降りるのにぎくしゃくしたけれど、4日朝起きたときにはほぼ解消していた。よし。

スプリングボクスの優勝とマンデラ大統領を新聞各紙はどう報じたか?

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 スプリングボクスのファンになった私は各紙がマンデラ大統領をどう報じたか気になった。

 1面で報じたスポーツ紙の『日刊スポーツ』には見当たらず。

『読売』はスポーツ面で《アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、初出場で優勝した一九九五年W杯に象徴されるように、南ア国民にとってラグビーは特別なものだ》と素っ気ない。

『朝日』は国際面で《南アが自国開催の95年に初優勝した際、人種の融和を訴えた故マンデラ大統領は背番号「6」のジャージーを着て優勝カップを手渡した。時を経て、同じ背番号をつけたコリシ選手が、黒人初の主将としてカップを頭上に掲げ、仲間たちと喜びを分かち合った》。

『毎日』は社会面で《南アフリカが初めてW杯に参加したのは95年のことだ。人種融和を目的に自国開催を実現させた同国で黒人初の大統領、ネルソン・マンデラ氏(故人)が背番号「6」のジャージーを着て優勝杯を手渡すシーンは、多くの人の記憶に刻まれた。24年の時を経て、同じ「6」を背負うコリシ主将がチームの精神的支柱になり、優勝杯を誇らしげに掲げた》と書いた。

 似たような記述だが、『朝日』に比べると『毎日』のほうが臨場感というか、書き手の感動が伝わってくる。

 珍しいことに『毎日』はスポーツ面でも触れている。

《南アフリカにとって「ラグビーは国技」(プロップ・コッホ)。精鋭が集まる代表チームは強い影響力を持つ特別な存在だ。アパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、W杯の舞台に初めて立ったのは自国開催の1995年。「ワンチーム、ワンカントリー」のスローガンを掲げて初出場初優勝を成し遂げたチームは、融和を体現した。プラウドフット・コーチは「たくさんの希望や期待を与えてくれた」と振り返る》

 さて。背番号の「6」に注目したい。

 『毎日』『朝日』ともマンデラ大統領が「6」のジャージーを着ていたと記したが、その理由に触れていない。

 映画『インビクタス』を見ていないのか、見たけれど裏を取れなかったのか。映画が正しいとすると、当時の主将の背番号が「6」なのである。そこまで書いてあるほうが読者には親切な記事になっただろう。

 と、たかだか数日前に課題として映画を見て知ったばかりの私が知ったかぶりをする話ではないのだが。

【追伸】書き終わって気づいたことがある。11月3日付以前の紙面に書いてあった可能性があるのではないか、と。だとしたらすまぬ。


 

祝スプリングボクス優勝と映画『インビクタス』


 ラグビーに全く興味がなかった私は数日前からスプリングボクスのファンなので、優勝がうれしい。実況中継していた日本テレビのアナウンサーがマンデラ大統領に触れていたのは映画『インビクタス』を見たからではないか。

 鬼才・日垣親分の10月の課題がこの映画だった。南アフリカ共和国のアパルトヘイトは知っていたけれど、映画もスプリングボクスもマンデラ大統領の関わりも数日前に初めて知った。これを知ってしまうとスプリングボクスを応援する以外の選択肢はない。

 マンデラ大統領の人間としての器の大きさや政治家として未来を見る確かな目や寛容の精神など、その魅力にしびれる。映画では同時に家族との関係がうまくいっていない様子を垣間見せ、決して万能の人間としては描いていない。マンデラ大統領を思えばどんな苦難でも、いや、私は腰砕けだからそれは無理だが、せめてこの映画を見直して爪の垢を煎じて飲みたい。

 私がのめり込む性格であることはさておき、感動のあまりスプリングボクスのサイトに行ってウェアを2つ注文しただけでは済まず、この映画をアマゾンビデオで見たのにディスクを買ってしまった。さらに『マンデラ』と『遠い夜明け』も。子供たち(といってももうみんなほとんど自立しているし、会うこともほとんどないけれど)に見せなければならない。

 それにしても、まるでスプリングボクスの優勝を見越したかのような親分の『インビクタス』指定に驚く。


 

 

NHKラジオ『実践ビジネス英語』でも出てきた立ち机が安い

 NHKラジオ『実践ビジネス英語』11月号テキストでstanding deskが登場した。言わずと知れた立ち机である。《高さの調節ができず、ずっと立って仕事をするための机と、調節が可能で仕事を座ってすることも立ってすることもできる机がある》とやけに詳しく解説しているのは杉田先生もこういうのが好きなのだろうか。

 私が自宅に立ち机を導入して数年経つ。ヤクオフでただみたいな値段で落札した。健康にいいそうだが、そういう実感はない。しかし、座ったり立ったりは気分転換になるとは感じるし、動物は足腰から弱るのでその対策になるのだろうという期待はある。

 大企業を中心に立ち机の導入が増えていて、しかしそれが高額だ。確か60万円するのではなかったか。ありえん。暴利だ。中小零細企業はどうすればいいんだよ。段ボール箱を積み上げるのもいいけれど、少々不安定だから長時間は向かない。

 そこで(かどうかは知らないが)登場したのがこの立ち机である。あの厳しい『モノクロ』が勧めているからいいのだろう。

 これ → 立ち机

首里城焼失に敢えて祝いを

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 たまたま午前3時40分に目が覚めて便所に行き、寝床に戻ったのになぜか寝つけず、すると付けっ放しのNHKラジオから「首里城から炎が上がっているのが沖縄放送局からも見えます」という速報が流れた。

 朝のテレビで燃える首里城を見ていると悲しくなってきたが、同時にこれは好機ではないかとも思った。お祝いしようではないか。

 かつて沖縄で暮らしていたとき本土から友人が来るたびに首里城を「現代建築の粋を集めた建造物」と説明し、嫌がられた(笑い)。沖縄戦で消失し(その前の10・10空襲でも無傷だったとは思えない)、1992(平成4)年に“復元”された。私が住むマンションより新しい建物なのである。

 しかも「復元」とはいうものの元祖首里城の設計図など残っていないので厳密な復元では全くない。相当程度想像が入っているし、今回消失した築30年弱の2代目首里城と先日燃えたノートルダム大聖堂とは歴史的古さが比べようがないくらい違う。2代目首里城が世界遺産に入っていないのはそういうわけさね。

 幸いなことに2代目首里城の設計図はある。時間はかかるかもしれないが、再建できる。

 もう1つ幸いなのは、死者がゼロなのだ。元祖首里城が焼失した沖縄戦では夥しい県民が犠牲になったが、2代目首里城焼失では人の命が奪われていない。誰ひとり死んでいない。これ、特に沖縄ではものすごく大事なことではないか。

 さらに言えば、3代目首里城の建築に向かう沖縄県内では建設業を中心にお金が動く。沖縄経済が活発になるわけだ。悪い話ではないだろう。

 火災保険がどれだけ出るか分からないが、県民を中心に募金活動を始めるに違いない。基地問題はいつも分裂するけれど、これなら沖縄が久しぶりに1つにまとまる。

 というわけで、私は祝いたい。灰燼に帰した沖縄で人々を励まして回った小那覇舞天さんと照屋林助さんの「ぬちぬぐすーじさびら」を今ここに再び。

誠品生活日本橋はうまくいくか

 台湾の大型セレクトショップ誠品生活日本橋が東京・日本橋に出店したのでさっそく見に行った。

 肝心の本屋の部分に人がいない。がらがら。本の選び方はそれなりの工夫があるのだが、日本の本だから既視感がある。かといって台湾の本を持って来ても私たち日本人は読むことができない……。

 台湾の炊飯器が売られていて、昭和30年代の日本の製品を思わせる懐かしさがある。映画『ALWAYZ三丁目の夕日』の世界は若い人には新鮮に映るかもしれないが。台湾茶や台湾の雑貨なども売られているのだが、どうだろう。

 正直な話、家賃や人件費を上回る売上が出るかどうか微妙な感じがした。親日国と言われる台湾の期待に日本人が応えることができるかどうか、なんてことを気にする人はほとんどいないはずで。

 従来日本人は西欧ばかり見てきた。漱石が嘆いていたではないか。この風潮が明治時代からあまり変わっていないとすると、英米仏辺りの店なら生き残る可能性は高くなるだろうに。

 私はかろうじて猿田彦珈琲で関わることができるけれど、焼け石に水だろうなぁ。

森博嗣さん『道なき未知』は考え方の役に立つ

 森博嗣さんの小説を読んだことはないけれど、エッセイは好きだな。で、この『道なき未知』(KKベストセラーズ)である。

 一番印象に残ったのは死に対する姿勢だ。野垂れ死にが本来の死だ、長生きしたいと思っていない、苦しみたくはない、健康診断不要、延命治療不要、安楽死で死にたい、と森さんは言う。私は自分で死を統制したいのでそれまでは健康を維持しなければならないと思っているけれど、健康診断にギモンが生じて以降行っていない。

 本書が自己啓発本として大勢の読者を獲得することを期待したい。得るもの、というか私の場合は「やっぱり」と再確認することが多かった。若いころに読んで、時々読み直す価値のある本だ。

漱石が『草枕』で書きたかったこと

《智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を張れば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい》で知られる漱石の『草枕』。この部分は今で言う生きづらさに似ているけれど、有名な冒頭に期待して読み進むとけっこう単調な物語だった。

 途中で気づく。主人公は画工で、芸術としての画についての見解を随所で語るのだが、この画を小説に置き換えれば主人公は小説家となり、漱石を垣間見ることになる。

 冒頭に述べた生きづらさは別の表現で何度か登場する。例えば《善は行いがたい、徳は施こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい》(153ページ)といった塩梅だ。漱石がこの小説で描いたのは、生きづらい世の中から逃げた画工(自分の投影)とそんな世の中でしっかり生きている狂ったとされる女の対比である。と思ったら巻末の解説で重松泰雄先生が同じようなことを格調高く書いておられるではないか(笑い)。まぁ私ごときが思い至る程度のことは専門家には常識以前の話なのだわな。

 ただし、漱石が書きたかった視点に則ってさらっとでも再読してみるとあら不思議、身近に迫ってくる。そうか、漱石先生あんたもか。薄々感じてはいたけれど、本書で漱石を初めて身近に感じたかもしれない。

 大学時代に読んでいたらこの核心部分が私には理解できなかったのは間違いない。今よりもっと阿呆だったもんなぁ。年齢を重ねるのは悪いことではないと思うのはこういうときだ。

『古事記』を池澤夏樹訳で読む


『古事記』を読むことができたのは、池澤夏樹個人編集の日本文学全集の中に入っていて、池澤さんが担当したからだろう。読み通すための助っ人が多い本なのだ。

 最初に「この翻訳の方針」を池澤さんが書いていて、「そうか翻訳なのか」と気づかされる。脚注は丁寧だし、月報(内田樹さんと京極夏彦さん)は読み方の手助けになったし、巻末に三浦佑之さんが書いた解題は鳥瞰する助けになった。

 大勢が寄ってたかって助けてくれるまことに親切な編集なのである。門外漢が『古事記』を読むならこれだな。

 古典の中の古典なので身構えて読み出したが、殺し合いとセックスしか描かれていないと言ってもいいだろう。スマホもテレビも映画も本もない時代の人間の本性が垣間見えて安心できる。

何も祝日にしなくてもよかったのに

 即位礼の日とかで祝日になっていたとは知らなかった。

 広島市内に滞在中で、てらにし珈琲で朝飯を食べて宿に戻る途中、いつもならごった返す中国電力本社前の歩道が閑散としているのが不思議だったのだが道理で。閑散としているのは私の頭の中だったのだな。

 即位礼とかいうものをやると知ったのは1週間ほど前。しかし祝日になると新聞やテレビで見聞きした覚えがない。私の手帳やカレンダーは平日のままだし。気づく機会がないまま当日を迎えてしもたがな。

 一体いつ決まったのか。1年前には決まっていたとか言われると困るのでこれ以上の追及は避けるけれど、まぁ冷静に考えると私の仕事は平日も休日もあまり関係ないので、まぁいいか。

10年後のマンション大規模修繕工事で実行できたらいいこと

 暑いときも寒いときも現場で仕事をする職人が一番偉い。

 私は小学生のころプラモデルをよく作った。作ったけれど、戦車は動かず、戦艦は沈む。何でやねん! 私は図画工作が本当に駄目なのだった。

 だからだろうか、手に職を持つ職人の世界に昔から憧れてきた。ニコンが好きなのも職人肌を感じるからだ。

 そんな職人に敬意を払う最もいい方法は対価をしっかり受け取ってもらうことだ。ところが、である。マンションの大規模修繕工事の場合、業者が請け負い、職人を集めて仕事を進める。私たちが業者に払った大金の何割か中抜きされて、少ない金額が職人に渡る。

 これをなんとかできないものか。例えば朝(落とすといけないので仕事が終わった夕方でもいい)現場でお金を職人に直接渡すとか。

 高所恐怖症の私はかつてマンション10階の足場で足がすくんでしまって二進も三進もいかなくなったことがある。職人が足場をひょいひょい歩くので何も考えずに降りたから大変だった。もう二度と足場に行くもんか。

 というわけで、現場で直接お金を受け取ってもらうやり方ができないかと考えているのだが、次の大規模修繕工事となると私は70歳くらいか。この世にいないかもなぁ。

タワーマンションの停電断水はひとごとではない

 大雨の影響で地下の配電盤が壊れて停電したタワーマンションが話題になった。しかし、マンション住人ならひとごとではない。

 私が住むマンションも地下に電気設備がある。防水対策をしてあるけれど、排水が間に合わないくらいの雨水の流入があれば被害が出るというか停電する。土嚢を買って積み上げれば雨水の流入を遅らせることができるのだろうが、根本的な解決策ではない。これはタワーマンションだけの問題ではないのである。

 屋上には給水タンクが普通置いてある。これからは電気設備も屋上に置くほうがいいのではないか。雷を呼ぶ可能性が高く危険というのであれば2階や3階辺りに設置するしかない。

 自然環境が変わってきたのだから、電気設備の設置場所も変えていかないと。

子供には分からない『坊っちゃん』の通奏低音

 たぶん小学生のころ子供向けに書かれた『坊っちゃん』を読んだ。岩波文庫の漱石作品集20巻だか25巻だかを化粧箱買いしなければあらためて読もうと思わなかったはずで、強制的に読む環境を設けてよかった。

 たまたまつい先日、坊っちゃんと老女・清の関係を論じた『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』(市川真人・幻冬舎新書)に目を通していたのでそこを意識して読んだ。活劇風の主旋律に目が向くけれど、漱石が書きたかった通奏低音は清だと私は見る。恋愛関係ではない。清は坊っちゃんの疑似母なのである。

 坊っちゃんの父親は坊っちゃんを全くかわいがらなかった。母親は兄を贔屓していた。その母親が早逝する。お前のために母親は早く死んだと兄が坊っちゃんに言う。

 このような経験をした坊っちゃんは“母親”を求めていたのである。清は坊っちゃんをいつも温かく見守り、期待した。清の側も母のような態度と姿勢なのだ。自然と疑似の母子関係が生まれたと見るのが妥当である。

 漱石は早くに養子に出され、実母と別れさせられた。このときに抱え込んでしまった母への思いや欠落感を坊っちゃんに投影したのは間違いあるまい。

『坊っちゃん』を「母を恋うる小説」だと読み込むのは子供には無理だろう。56歳になって読んで良かったと思うゆえんであるな。

台風被害に思う変わってゆく大地

 台風19号で堤防が決壊したり水が出たりした。住民が「ここに50年住んでいるけれど、こんなの初めて」などと落胆している。国の支援を期待したい。

 ここにきて治水の重要性が言われ始めた。しかし、そもそも自然の猛威がもたらす大地の変形を人間ごときが治めることができるのだろうか。こう思うのはNHKの「ブラタモリ」を思い出すからだ。

 この番組で私が気づいたのは、数万年数十万年数百万年数千万年の長さで地形が変わってきたことだ。川が氾濫し、火山が噴火し、雨が降り、地震が起き、こうした地球環境の変化によって気の遠くなるような長い期間をかけて地形が変わってきたのだった。今の地形は途中経過であり、今後も地形は変わり続けてゆく。

 そういうことを前提に、治水も住む場所も見直すほうがいいのだろうなぁ。

力尽きた毎日新聞社

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 今朝郵便受けをのぞくと、『毎日新聞』の日曜版とこの紙が入っていた。海老名印刷工場の停電とトラック運転手の安全確保のため、きょうの朝刊はあしたの朝刊と一緒に配達するというお断りである。

 停電したら仕事にならないのだから、対策として電源を備えてあるものだと思っていたが、なかったのだろうか。だとしたら次善の策として竹橋の本社か越中島のスポニチで印刷した紙面をこちらにトラックで運べば済む話だ。23時ごろには台風の中心は東京を過ぎていたから無理ではなかったと思う。

 手を抜いたとは思えないので、人の手配がつかなかったのか、印刷直前に停電して時間的に間に合わなかったのか。

 念のために平塚市内のコンビニなどを回ってみたが、『毎日新聞』だけがなかった。『産経』や『日経』『東京』でさえ(産経さん日経さん東京さんごめんなさい)あったのに。近未来の光景かもなぁと思ってしまった。

クレージーでビートな『オン・ザ・ロード』を池澤夏樹編集の世界文学全集で読む

 ロードノベルという言い方があるのかないのか知らないが、映画ならロードムービーといったところだ。池澤夏樹編集の世界文学全集第1巻に置いたのは『オン・ザ・ロード』。主人公は北米を東西に3往復したあとメキシコまで南下する道中の物語だ。

 読みながら思い出したのは、大学時代の友人が数人でレンタカーを借りて横断したという話だった。夜どこかで車を止めて寝ていたら窓をノックされて、それが警官だったと聞いた。

 もう1つ、読みながら浮かんだのは畏友ジョニーだ。クレージーでビートな男で、主人公ディーンに半分くらい重なる。

 大学時代に沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだとき沢木さんの真似をしたいと私は思わなかった。なぜだか分からない。しかし、この『オン・ザ・ロード』を読み終えて、車での米国の横断ならやってみてもいいと思っている。生きていれば、だが。

 全集なので大切に扱おうと思っていた。線を引かず折り目をつけずに読むつもりだったが、無理だった。ビートな文章を挙げておく。ディーンの言葉だ。

「前にいるやつらがどういう連中かわかるか。悩みごとが大好きなやつらよ。マイルを計算して今夜はどこに泊まろうかと計算して、ガソリン代や天気や目的地にどうやって着くかをせっせと考える――そんなことしなくたって、どっちみち着くってのによ」=291〜292ページ

 同じ池澤夏樹編集の日本文学全集第1巻『古事記』が待っている。
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