同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

食べ放題やーめた

「スイーツ2時間食べ放題」「ランチバイキング」などが大好きで、あちらこちらで食べまくってきた。しかしもうやめた。正確には「やめた」というより「できない」と言うべきか。

 おなかいっぱい食べたあと苦しくなって気分が悪くなることが何度かあり、己の食い意地ぶりが恥ずかしくなってきたのと、量より質に転換する年齢であることから、食べ放題に飛びつくのを自重せざるを得なくなったのである。クヤシイが潮時を自覚しなければなるまい。

 健康ヲタクなので糖質や塩分などを考えて食べ物を厳選している。などと書きながら、嵯峨谷で店の人に「大丈夫ですか」と聞かれるくらいソバを大量に注文していた。

『毎日新聞』紙面改革案その1

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 新聞記者が原稿が上手だというのは幻想でしかない。しかし当の記者が気づいていなかったりする。『毎日』に限らず、『朝日』も『読売』も定期コラムを持つ記者は社内政治で決まる。

 自分の実力を客観的に判断できないまましょーもないコラムを書き続けることは、私のようにお金を払って買っている読者に失礼である。

 今回は指摘せざるを得ない。半藤一利さんの絵本の<戦争だけは絶対にはじめてはいけない>という文にはっとした記者は、コラムの結びで<今も私の頭の中では、「はじめてはいけない」という言葉がぐるぐると回り続けている>と書いた。

 貧血を起こしたのか? 酔っているのか?

 かねがね思うのだが、コラムを社内応募制にするほうがいい。地方にいる1年生記者から老練な嘱託記者まで自由に応募できることにして、掲載するかどうかの審査は社内外の50〜100人くらいの多数決で決めるのである。もちろん記者の名前を伏せて審査する。

 今回わたしが問題視している記者の名前はここには書かないが、写真のとおり、6月14日付夕刊(東京本社版)のワイド面である。

 連載をする才能はない。即刻おりるほうがいい。社内で誰もこういうことを言わないのだろうか。読者を舐めんなよ。





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十割蕎麦の嵯峨谷は大当たり!

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 蕎麦屋の蕎麦が少ないのが私の不満だった。何年か前にべらぼうな分量がある「富士山盛り」の味奈登庵を知り、一時期は毎日のように食べていた。

 しかし最近の私の行動範囲に味奈登庵がない。困ったなぁと思っていたところ、偶然入った新宿京王モールの嵯峨谷という蕎麦屋が大当たりだった。十割蕎麦を出す。

 しかも、である。毎月500円払えば、かき揚げと大盛りを追加料金なしで1日2回まで追加できるサービスがある。

 東京に出る用事があったので、ひと駅歩いて嵯峨谷に行った。

 かき揚げ丼と蕎麦のセットに、250グラムの蕎麦を追加して、さぁ食うぞ。店の人に「大丈夫ですか」と心配されたのは私の外観がショボいからだろう。痩せの大食いと言うではないか。

 ズズズズッと啜って、ムシャムシャ食った。あと250グラムは食えたなぁ。

 蕎麦の何がいいって、ズズズズッという音がいい。「よっ、江戸っ子だねぇ」という感じ。鼻の下に手のひらを持って行って「キーッ。てやんでぃ」と意味不明の見得を切りたくなるのだが、どんどん阿呆がバレるのでこの話はおしまい。

 それにしても嵯峨谷の蕎麦はうまい。新型コロナの影響で10店舗の半分を閉じたそうだが、嵯峨谷がんばれ。キーッ。

学校で大変なことが起きているのに

 学校で子供が投資を強制的に学ばされる。これを批判しない報道機関は完全に終わっているのだが、それはさておき、問題が山積している。

 なぜ投資を学ばされるのか。私の想像だが、日本の年金制度の失敗を隠すための“国策”だろう。年金の受給年齢が上がり、受給額が減っていることに対して国民が激怒しなければならないのにおとなしく受け入れている。

 この状況を背景に、「投資するのが当たり前」という空気を築こうという“国策”である。投資で個人のお金が動くので日本経済は潤う。“国策”としてはそれでいいわけだ。

 よりによって証券会社の人間が学校で投資を教えている。

 いいのか? こんなことをしていいのか?

 覚醒剤の売人が薬物を教えるのと同じだぞ。

 原則としてお金に関する行動は慎重であるべきだし、証券会社のおっさんの代わりに私が話せば全く違う内容になる。

 油断も隙もないことが学校で展開されているのに、疑問の声はほとんど聞こえてこない。

 今後増えるのは投資詐欺に違いない。投資はいいことだと勘違いする人が続出するはずで、詐欺師にとってかき入れ時が始まる。


 
 

あ、あ、当たってしもた

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 当たるわけがない。運試し。

 それが当たってしもた。学生応援プレミアムチケットなので大変な高額なのである。貧乏人の私が1カ月食える金額なのだった。

 高額とはいえ、村上春樹さんのサイン入りの本などをもらえるので競争率は非常に高かったはずだ。当たるわけがないと自信を持っていたのだが(苦笑い)。

 今年の運は使い果たしたと言えるし、吉原孝師匠に教えてもらっている五星学によると私はいま天中殺の真っ只中なのでその影響(効果?)とも言える。

 どうするもこうするも行くしかない。

 

 

池井戸潤さんはニコンを使っている

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『朝日新聞』の日曜別刷『be』で「池井戸潤が撮る日本の工場」という見開きの連載がある。池井戸潤さんと言えば『半沢直樹』の著者として知られる小説家だ。

 池井戸さんがカメラを構えている写真を見て、ニコン派は快哉を叫んだに違いない。D850を手にしており、ストラップを見る限りだがZ50を首にぶら下げているのである。こういうのは見逃さない。

 だから何なんだと言われるとそれまでなのだが、カメラは宗教チックな面があり、ニコン派やキヤノン派などに分かれていて、愛社精神は社員並みに高い。

 私は普段の生活ではキヤノンを、仕事ではニコンを使っていた。キヤノンがマウント径を変える(それまでのレンズが使えなくなる)消費者無視の姿勢に疑問を抱き、ニコンに宗旨を変えた。それからというもの、職人気質なニコンが私の贔屓だ。

 というわけで、池井戸潤さんに勝手に親近感を抱いている。


 

 

映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』と牛肉

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 瀬戸内寂聴さんは年齢を重ねるごとに魅力を増した。若いころは苛烈な顔をしていたが、90代以降の表情、とりわけ笑顔が実にかわいい。映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』を見ながら、寂聴さんの変化をそんなふうに捉えた。

 この映画の監督は、2016年1月にNHKで放送された『瀬戸内寂聴 いのちよみがえるとき』を制作した中村裕さんである。

 寂聴さんは中村さんを気にかけている。寂聴さんは駄目な男が好みだと何かに書いていた。そういう男を寂聴さんが支えて、愛を感じるのかもしれない。表面的な男女平等ではないところに寂聴さんの凄みと説得力があるのだが、お金や名誉の欲を感じさせなかった中村さんに寂聴さんが惹かれたのはそういうことだろう。

 私がこころ動かされた場面は、かつての夫の墓参りで語った寂聴さんの本心である。寂聴さんの小説家としての核心はここにある。

 寂聴さんは映画の中でよく牛肉を食べていた。いや、牛肉に限らない。健啖家なのである。だから長生きしたのか、長生きするほどの体力があったからよく食べたのか、因果関係は分からないが、映画を見終えた私は急に牛肉を食べたくなった。

 ふだん晩飯は納豆以外ほとんど食べないのだが、今夜は例外である。映画館の近くのペッパーランチで200グラムの肉をフンパツした。

 食べながら思った。寂聴さんが食べていた肉と私の目の前の肉は全然違う(笑い)。


 

国語満点の男が塾講師になった

 その昔、センター試験というのか、共通一次というのか、共通テストというのか、名称がころころ変わるので正確に覚えていないのだが、現代文の試験を解いたことがある。現代文が苦手だという舎弟に下位法を示すためだった。

 予備校ごとに“正解”が異なる難関現代文を課す試験を大昔に突破したジッセキがあるし、体力と違って読む力は衰えるものではないというセイロンもあるので、さらさらっと解いてみた。ところが、こういうチャラい人間を神仏は嫌う。正解は半分以下だった。私の根拠なきジシンは木っ端みじんに吹き飛んだ。

 以来、現代文の試験を解かないことにしている。

 私のごとき阿呆を基準にすると罰が当たるのだが、国語で満点を取った男がいる。漢文や古文も含めてのパーフェクトなのである。子供のころから本を読んできたほか、漢文古文は勉強の賜物だと勝因を語る彼は埼玉県内の塾で講師をしている。

 私が親ならこの先生の下に子供を通わせる。ここの水谷先生がその人だ。

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プーチンを油断させる

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 ウクライナ侵略戦争報道でよく見かけるEUのシャルル・ミシェル大統領。テレビで見ると私は楽しくなるのだ。私だけではないはずだ。

 なんで楽しくなるのだろう。不思議だった。

 それがあるとき気付いた。

 パーティーグッズである。

 あのパーティーグッズを付けているようなお顔なのである。

 ロシアでもあのパーティーグッズが知られていれば、ミシェルEU大統領はプーチンとにこやかに対談できるのではないか。相手を油断させることができる顔立ちは政治家にとって最高の“武器”である。

単語が出てこない(涙)

「自首」の二字が出てこなかった。

 警察に自分から行って「こんなことしちまいました」と言うアレである。

 出頭。自白。ゲロ。白状。懺悔。お縄ちょうだい。お代官様。警察訪問。土下座。告白。一件落着。取り調べ。

 いろいろ浮かぶのだがどれも違う。

「自首」は普段使う言葉ではないし、そんな事態を経験したくもないが、知っていて当たり前のはず。それが出てこなかった。

 やむなくネットで検索しようとしても、何と検索すればいいのか分からない。「自分の罪を警察に自分から積極的に伝えること」などと打ち込みながら己の阿呆さに笑ってしまう。

 年齢が上がるに連れて「えーっとアレは何だっけ」が増えるのは、頭の中に貯蔵されるものが増えたから出しにくくなるのだそうだが、原因が分かっても救われない。

私は人を見る目がある

 5月24日付『毎日新聞』朝刊を読んでいたら、某県の新聞社社長就任の記事が目に留まった。社長の名前を見てびっくり。『週刊金曜日』時代に担当した沖縄特集で何度か寄稿してもらった記者なのである。私が取材で沖縄に行ったときは晩飯に付き合ってくれた。

 新社長の経歴を見ると同じ大学ではないか。私は大学にほとんど足を踏み入れなかった(ので卒業に6年もかかった)が、もしかするとどこかですれ違っていたかもしれない。

 沖縄特集で同じように寄稿してもらったこの新聞社のもう一人の記者はその後日本新聞協会賞を2回も受賞している。

 あらためて思う。私は人を見る目があるなぁと。女性を見る目もあるのがワタシの自慢であるが、優れた人を見つけたり見極めたりする才能だけは人並み以上にあるのは間違いない。

 本土復帰50年。まずはおめでとうございます。


 

 

徳島ラーメン東大を食べる

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 徳島を旅行する男性が東大ラーメンを食べる動画をユーチューブで見て、東大ラーメンを無性に食べたくなった。ネットで調べたところ何と冷凍で通販をしているではないか。扱っている会社は私の実家の近所だ。

 嬉しくなってすぐに注文した。帰省しなくても食べることができるのだから便利な時代だ。

 本来はモヤシやネギを加えるのだが、ないので卵だけ加えた。

 バラ肉は味がよく染み渡り、柔らかく、よく煮込んである。バラ肉の汁がスープに絡まって濃厚さを増す。

 麺はもっちり。

 ずずずずずーっとスープを飲み干し、ぷはー。至福至福。もう死んでもええ。

「ポコペンポコペンだーれが突っついた?」

 若い人と話していると“ダイハッケン”が稀にある。

私「ポコペンポコペンだーれが突っついた」

若者「何で知ってるんですか?」

私「?」 

若者「それ、『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王が卵を生むときに使う呪文ですよ」

私「『ドラゴンボール』って漫画だろ。読んでない」

若者「読んでないのに知っているんですか」

私「これはポコペンという遊びで使う台詞で、ワシが大阪の小学生のころによう言いよった」

若者「そんな遊び、知りません」

私「でも、間違いなく出典はポコペンという遊びの台詞よ」

若者「びっくりしたなぁもう」


私のために選ばれた映画

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 DVDで映画を見た。『ゆれる』と『悪童日記』である。映画を見なければと長年思うだけで全然見てこなかったのだが(そのくせ『全裸監督』は見ている)、貸してくれたのが“文学部”の友人なので見た。

『ゆれる』は主演のオダギリジョーより助演の香川照之のほうが圧倒的な演技をしていた。『悪童日記』は今の映画として通用する。

 どちらも全く救いがない。一厘も明るさがない。

 私のためにこの2つの映画を選んだという友人の意図がまっすぐ伝わってきて、私のことをどれだけ理解してくれているんだと感心してしまう。見抜かれる心地よさと恐ろしさよ。

賞味期限切れ4年を食べてみる

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 大震災の対策で備蓄しているアルファ米の賞味期限が4年を過ぎている。ありがたい。実験ができる。

 というわけで、食べてみた。賞味期限内の味を知らないので比べることはしないけれど、まずくはなかったし、食べたあと腹痛になったり下痢になったりすることもなかった。これなら5年経過していても問題ないだろう。

 3週間近い備蓄はできているつもりだが、生来の大雑把な性格ゆえ正確に数えていない。数えろよという話ではある。


 

 

東京最西端の本屋

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 東京都最西端の本屋に行ってみた。最寄り駅はJR青梅線の二俣尾駅である。青梅駅から乗り換える無人駅から徒歩数分のところにある。

 せっかく来たので記念に何か本を買おう。広くない店内を何度も見て回り、養老孟司先生の新刊『ヒトの壁』(新潮新書)を買った。

 近くに一軒ある喫茶店がこの日は休みで、ほかに行くところがない。

 多摩川を渡ってみた。限界集落らしき風景があるに違いないと思いきや、子育て世代の新築戸建てが多いように感じた。意外な発見で、来た甲斐があったというものだ。ほんまかいな。

寂聴さんが「買え」「買え」言うんよ

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 1カ月経っても、その本はまだあった。わが古里の瀬戸内寂聴さんの全集の第1巻である。東京・中野駅北口のブックファーストに1カ月経ってもあるのだった。アマゾンでは売り切れになっていて、諦めた本だ。

 寂聴さんが私の耳元でささやく。

「あんた、買いなさい」

 ほなけんど、ごっつい高いでぇだ。お金ないし。わし貧乏人よ。

「何のためにクレジットカード持っとんで」

 いや、ほれは。

「あんた、私の小説を読んどんだろ。しかも徳島生まれやないで。買わんでどないするん。もう第1巻はほとんど売りきれとんやけん。これもご縁じゃ」

 瀬戸内寂聴全集第1巻を持ってふらふらとレジに。

 本はできるだけアマゾンで買わず本屋で買う原則を立てたため、本屋を見つけたら入ることにしている。ありがたいのか迷惑なのか、東京には本屋が多い(笑い)。そこで見つけてしまったのがこの本なのである。

 本屋に行くと読みたい本がいろいろ目に入って楽しいし、こういう出会いがある。これはアマゾンでは味わえない。しかしアマゾンだけ見ていればこのような衝動買いはない。


 

「だからよー」に笑ってしまうNHK朝ドラ『ちむどんどん』

 ヒロインの兄・比嘉賢秀の子供時代を演じる男の子の「だからよー」に何度も噴きだした。場面場面に応じた微妙な違いをしっかり発声に反映させているのだ。

 演じているのは沖縄の子ではなく、横浜出身の浅川大治さん(13歳)。方言指導は「ちゅらさん」に出演と方言指導をした沖縄の名優・藤木勇人さんなので、その指導がよかったのかもしれないが、私は何度も浅川さんの「だからよー」に笑ってしまった。

 効果的に「だからよー」を盛り込んだ脚本家・羽原大介さんはツボを押さえている。

 というのが本土の人間である私の感想なのだが、さて沖縄の人は「だからよー」をどう見たか。

 この「だからよー」を使う場面だが、私の理解ではこういうときに使う。

「金城さん。大遅刻ですよ。もう13時です。今まで何をしていたの!」
「だからよー」

「あんた熱発したという理由で学校を休んでいるのに、なんでサーフィンやってるの!」
「だからよー」

「西野君。お金ないのに何でそんな高価な本を買ってるの!」
「だからよー」 

生娘をシャブ漬け戦略(笑い)

 吉野家の常務が早稲田大学の社会人向け講座で“脱線”した。「生娘をシャブ漬け戦略」と言ってしまったらしい。

 笑いを取るためだったに違いない。10年前なら実際笑い話で済んだだろう。分かりやすい例えではないか。「生娘」。実にいい響きである。という塩梅で、世の男性の大半の頭の中はろくでもないことを考えているので、「生娘」いいなぁ、なのである。「シャブ漬け」に至っては完全に冗談の世界だ。

 今回の問題点は3つ。今の時代のルールを分かっていなかったのが1つ。もう1つは、同じことを私ごとき馬の骨が言っても屁でもないが、社会的に立場のある人が言うと問題視されるのである。最後の1つは、不特定多数の場で語ったものは外に必ず漏れるという前提で話さなければならない。

 つまり私のような阿呆が親しくなった生娘と二人っきりの場で「シャブ漬けにしてやる」と言っていればどこからのお咎めもなかったのに、という話である。

 世の中は建て前でできている。吉野家はただちに常務を解任したが、この元常務はマーケティングの専門家だそうで、これだけ注目を集めることができたという意味ではさすがマーケティングの専門家である。



 

レジに7人いるのに嗚呼ジュンク堂

 アマゾンで買うより本屋で買うほうがいいと思い至り、1冊の本を探して何軒も本屋をはしごするようになった。アマゾンの便利さがよく分かるのでどうしても見つけられない場合はアマゾンで注文するけれど、まずは本屋を応援しないと。

 というわけで、単行本を2冊手にしてレジに並ぶ。並んでいるのは私だけだ。

 レジには7人。そのうちの1人は客が買う本の代金を受け取ったりしている。残り6人は、2人ずつで何やら話している。もちろん雑談ではなく、レジの打ち方の指導か何か仕事の話をしているように見える。

 西村賢太さんふうに言えば私は根がスタイリッシュなので、ぼけーっと待つのは嫌いではない。しかし私がレジの側にいれば、根が小心者なのでお客さんを待たせるのは苦痛だ。すぐに「こちらにどうぞ」と声をかける。

 しかしこのジュンク堂は、客対応をしていない人間が6人もいるのに、誰もそういうことをしない。私は全く急いでいなかったのでいつまでも待つつもりだったけれど、6人の機転の利かなさというのか愚鈍というのか、客をほったらかして平気な神経が全く解せない。

 というわけで、立川店で買うのは当面やめることにする。

パナソニックのお莫迦な質問

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 パナソニックストアのログイン時などに問われる質問がこれである。

 お、お、覚えていない。どの質問を選んだのか、答えは何にしたのか、全く覚えていない。

 それにしてもよくぞここまで悪質な質問項目を考えたものだ。どの質問も、時間が経つと答えが流動する可能性がある。

 普通なら答えが揺るがない質問、例えば「母親の旧姓は」や「生まれた都道府県は」など、10年後も50年後も変わらない答えを求める質問ではないか。

 パナソニックは大好きなメーカーの1つなのだが、ここにお莫迦ちんと認定する。

 

3回目のワクチン接種の副反応

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 3回目はモデルナを打って免疫力を大いに高めることにした。2回とも地元の市役所で打ったので、3回目は物珍しさで東京の自衛隊大規模接種会場を訪ねた。

 ガラガラでスタッフの人数が10倍以上多いのではないか。目一杯来る前提での人員配置だから仕方がないとはいえもったいない。

 当日夜遅く熱が出始めた。

 私の平熱は35度台後半だと思う。それが翌日は37度4分〜38度1分を行ったり来たり。

 カロナールを2回飲んだが全く効かず、夜になって真打ちロキソニンを飲み、ようやく解放された。

 副反応が嫌だとか何だとかいう意見があるけれど、免疫力を高めるための副反応である。ありがたい副反応なのである。

 病気と闘う人の副作用の苦しみとは根本的に違う。何人かの闘病をこれまで垣間見てきたので、わが副反応を喜びこそすれ、忌避したかったなどとは微塵も思わない。

 熱に弱い私は一日中ひっくり返っていたが、ただただありがたかった。

ゼレンスキー大統領のシャツを製造しているメーカー「5.11」

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 ゼレンスキー大統領が着ているTシャツに注目が集まっている。インターネットで調べると、「5.11」というメーカーの製造らしい。これ以外はまがい物つまり偽物。アマゾンなどで売られていても、「5.11」製でなければ単なる模造品だ。

 この「5.11」は「ファイブ・フィフティーン」と呼ぶ。「3.11」でも「9.11」でもない「5.11」は何の日かと思ったらロッククライミングの用語で、難易度が非常に高いことを示す数字だった。

 そのロッククライミング用のパンツを作ったメーカーが頑丈な作りで信頼を集め、米連邦捜査局(FBI)アカデミーに正式採用されたあと、米中央情報局(CIA)や米海軍特殊部隊、民間軍事会社などが相次いで採用したらしい。

 ウクライナ辺りに「5.11」の工場があり、そこでウクライナ軍が制服を作っていたらしい。

 日本では東京・福生市にアジア最大規模の店がある。足を運んで衣類を触ってみると、非常にしっかりした裁縫を施していた。こりゃ丈夫だろう。細かなところのデザイン性が高いのも魅力で、そのぶん価格は上着が1万円台だった。

 店のスタッフによると、ゼレンスキー大統領が着ているTシャツは日本にまで回ってくることはなさそうだ。防弾チョッキもよく売れているそうだが、戦争ゴッコをする人たちが買っているのかもしれない。平和である。

ワシもロシア企業との取引を停止した

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 ワシもロシア企業との取引を停止してやった。ロシア軍のウクライナ侵略戦争に抗議の意思を示すため、国際社会と歩調を合わせる。

 と書くと何だかたいそうな話だが、カスペルスキーの更新をやめたに過ぎない。いろいろなセキュリティソフトがあるけれど、私が見る限りでは最も評価の高い、つまり性能の良いのがロシア産のカスペルスキーだ。普段使っていると不便を感じることさえあるくらい強力だ。

 ゼレンスキー大統領の政治の失敗ではないかという思いとは別に、民間人への無差別な残虐行為を繰り返すロシア軍およびプーチンの足をわずかでも引っ張るためにカスペルスキーとの取引を止めてやることにした。

 NTTがモタモタしているようだが、ワシはとっくに取引をやめておる。見ならいなさい。えっへん。

『ドライブ・マイ・カー』の小説と映画

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 小説を読んでからその映画を見ると映画の薄さが残念だし、映画を見てから原作の小説を読むと映画の俳優が頭に残っているので自由な創造の邪魔をする。どちらも碌なことはなかった。

 今回、まず村上春樹の原作小説を読み、そのあと映画を見た。村上春樹の原作だけ読んでも今ひとつ意図が分からなかったのは、原作を収めた計6つの短編が『女のいない男たち』という題名の本にまとめられていて、この6編に流れる通奏低音が「女のいない男たち」であることを忘れていたからだろう。

 映画は映画としてしっかり独立していて、含蓄のある台詞や舞台設定の共鳴に私は頷いた。東北の大震災で大切な人を亡くした経験者にも響くはずだ。具体性の高い物語なので、単純な私でも解釈しやすかった。作中劇の役割も分かりやすい。原爆で灰燼に帰した広島を監督が神聖視し、その広島を舞台にした理由は主旋律で流れているから聞き取りやすい。

 能天気に明るい映画ではないので人生経験のない若者は解釈や理解が難しいかもしれない。昏い経験を持つたいていの大人なら「あっ」と震える一瞬に襲われるのではないか。

 チェーホフを買うことにする。恥ずかしながらまだ読んでいなかった。

披露宴での男女平等

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 私は根がスタイリッシュで男女平等主義者なので、ずいぶん前のことだが、長女の結婚披露宴に出たついでに、最後の挨拶のとき新婦側の親として語った。

 通常はなぜか新郎側の親が語り、新婦側は何も語らない。おかしなことではないかと長年疑問を抱いていた。長女を通して新郎側に打診し(というのも奇妙な話だが)、OKを得た(というのも変な話だ)。

 毒舌の次女が「面白かった」と言ってきた。最初から最後まで笑わせてやろうと目論んでいたので目標はとりあえず達成したことになる。

 次の目標は、新郎側の親が語るなら新婦側の親も対等に語る時代の招致である。というか、親の語りは不要ではないかというのが正直なところだ。

石原慎太郎の『昔は面白かったな』(新潮選書)は面白かったな


 石原慎太郎さんの死亡報道のあと、元『新潮』編集長・坂本忠雄さんの死亡記事が新聞に載った。坂本さんが石原さんより数日早く亡くなっていたが、相次いで亡くなったことに何かの縁(えにし)を感じてしまう。

 本書は坂本さんが聞き手になって石原さんの文壇交遊を回想したもので、かなり刺激的な内容だ。「それを明かしていいのか!」とのけ反る暴露もあり、帯の惹句《驚きの逸話が満載!》のとおりだった。

 石原さんは論争好きだったということがよく分かった。都知事時代に記者会見で毎日新聞の記者をやり込めている映像をユーチューブで見たことがあるけれど、毎日記者は反撃すればよかった。石原さんは毎日と朝日を嫌いだったが、筋の通った反撃なら「記者ならあれでいい」と石原さんは喜んだのではないか。

 芥川賞選考でも論争のなさを石原さんは嫌った。

西村賢太さん追悼文で最高によかったのは

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 小説家や学者らが新聞や雑誌に西村賢太さん追悼文を寄せてきたが、どれも西村賢太さんを称え褒めそやしていて、何だかこそばゆい。そんな中で出色だったのが「もらっといてやる」の田中慎弥さんの追悼文だった。

 文学部の仲間に教えてもらって本屋で買った『文學界』4月号にそれは載っている。最後から2段落目で《人間として決して手本になるような人ではなかった》と不穏に書き出し、返す刀で寸鉄人を刺す。本音とはいえそこまで言うか。一読すると痛烈に批判しているようで、何度読み返しても批判にしか読めない(笑い)。

 しかしそれがかえって愛情たっぷりに感じてしまう。田中慎弥さんの腕だろうから難易度は高そうだが、追悼のあり方として《手本になる》。《手本になる》けれど、一歩間違うと亡き人を侮辱してしまいかねないので、凡人は真似できそうにない。

買うなら今だ防塵マスク

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 必要なときには売り切れ。あるとしても人の足元を見てバカ高い価格でふっかけられる。その1つが防塵マスクだ。防毒マスクではなく防塵マスク。

 新型コロナ騒動で引っ張りだこになり、数万円にまで高騰したがようやく価格が落ち着いて、定価で買うことができるようになった。買うなら今である。

 防塵マスクは火山の降灰に備えるためで、私が買ったのは使い捨て。とりあえず20日くらいは大丈夫だろう。使用記念が数年なので、適度に買い替える必要はあるかもしれない。

 防塵マスクのレベルは3段階ある。最低でもランク2(SD2)にしないと役に立たない。最高ランクのスリーエム防塵マスクはちょっと目立つので後まわしにする。北陸にある製薬会社の研究所やウクライナの戦場で装着している人がいた。それくらいすぐに分かるのは、この防塵マスクの一部がピンク色だからだ。なぜにピンク色なのかというギモンはさておき、買うなら今である。


 

メタクソ団のマタンキ! 漫画家とりいかずよしさんの死去を新聞各紙はどう報じたか

 漫画家とりいかずよしさんが75歳で亡くなった。とりいかずよしさんと言えば漫画『トイレット博士』である。メタクソ団という子供のグループが登場し、合言葉は「マタンキ!」だった。小学4年当時の私や同級生は学校で年中「マタンキ!」と声をかけ合っていた。精神年齢は幼児並みなのでウンコやおしっこの話に「げへへへ」と大笑いする豊かな時代だった。

 作中人物にコヤヤシ少年というのがいたはずで、ウンコ絡みの「肥やし」と明智探偵の小林少年をかけていたのだろう。今の私の人格ケーセーに深く寄与した懐かしい漫画である。

 その作者が亡くなったのである。新聞各紙はどう報じたか。残念なのは『毎日』と『サンケイ』だった。何の味わいも、追悼の意もない、砂漠のような訃報記事にガッカリした。

『朝日』はこう書いた。

《ギャグ漫画「トイレット博士」を1969年から週刊少年ジャンプに連載。大ヒットし作中の合言葉「マタンキ」が子どもたちの間ではやった。ほかに「くたばれ!とうちゃん」など。愛知淑徳大創造表現学部教授も務めた》

 マタンキ少年だった私は納得である。ところが上には上があった。それが『読売』だ。

《作中の「メタクソ団」の合言葉「マタンキ!」が子供の間で流行し、連載は約7年続いた》

 おお。「メタクソ団」にまで言及しているではないか。素晴らしい。

 書いた記者かデスクも少年時代に友達と「メタクソ団」を結成して「マタンキ!」と叫んでいたことが想像される。愛情を込めて訃報記事を書くならこうあるべきではないか。『読売』最高!
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