同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

喪中はがき

 今年もまた喪中はがきをいただく季節になった。90代で親を亡くした友人の喪中はがきなら「大往生ですね。おめでとうございます」と思う。長寿で亡くなったのなら決して悪い話ではない。

 もらった私もがっくり来るのが逆縁の喪中はがきだ。取材でお世話になってから年賀状を交わしてきた福島市の知人から息子を35歳で亡くしたという連絡をいただいて絶句した矢先、今日は徳島市立高の1年の担任・松本T先生が10月に亡くなったという喪中はがきを受け取って頭を垂れる。

 まだまだケツの青いガキんちょの私たちを青年として扱ってくれた担任だった。高踏さを感じさせるところに一目置いた。好きな女の子と授業中にぺちゃくちゃしゃべっていて(と書いて驚く。授業中に何をやっていたんだ私は。やっぱり阿呆だったんだな)一喝された記憶がある。そう、一喝が似合う高校教師だった。

 あのときぺちゃくちゃしゃべっていた女の子に携帯メールですぐに伝え、先生のご冥福を共に祈った。


 

ランニングのあとの楽しみ

 寒くなってきた。冬のランニングのあとの楽しみは、湯船にざぶーんと浸かるって「う”−」とうなることである。もともとカラスの行水なので数分だがお風呂を味わう。

 ランニングに出る前にお湯を湯船にため始める。44度に設定しておくと、30〜40分で帰宅したときちょうどいい湯加減になっている。

 8キロほど走って帰宅して、さぁ湯船に……と思ったら水風呂やがな。ガスを付け忘れたらしい。これで2回目だ。

 この失敗を水に流すとするか。という落ちもイマイチだなぁ。

寝床の毛布は

 寒がりなので去年だったかおととしだったか、ものすごく温かいと絶賛されている毛布を買った。

 確かに温かい。掛け布団などいらないくらい温かい。というより熱かった。

 気がつけば毛布を蹴飛ばしていて、薄いタオルケット1枚で震えている。体は冷え冷え。風邪を引くといけないのでまた毛布をかぶって寝るのだが、寒くて目が覚めるとまたいつの間にか毛布を蹴飛ばしているの繰り返し。

 マンション暮らしのおかげで室温がそれほど下がらない。ありがたいことではあるのだが、この環境で温かい毛布をかぶると、毛布の中も体内も熱がこもってしまう。

 夏は冷房をかけて室温を下げて布団にくるまって寝るほうがいいという理屈と同じなのだろう。冬の温かすぎる寝具はかえってよくないとこの年齢になって知ったことにも驚く。


 

抜け漏れに加えてボケも

 朝の5時過ぎに起きて、いつものように仕事をして、時計を見ると電車に乗るまでにまだ1時間も余裕がある。

 コーヒーを挽いて3杯飲んで、それでもまだ時間がある。NHKラジオ『実践ビジネス英語』を聞いて音読して、ようやく時間が来たので出かけた。

 品川駅に着くと9時だ。あれ、9時? いつもなら8時に着いているのに? 

 ここでようやく1時間勘違いしていたことに気づく。慌てた矢先にラインで「今どこですか? まだ来ないんですか?」と仲間から問い合わせが入る。

 今朝は何でこんなに時間が余っているのだろうと不思議だったが、余っていたわけではなかったのだ。

 ふだんから「抜け漏れが多い」と叱責されるワシ。最近は「ボケ」が加わりつつある。抜け漏れボケ。なかなか語呂がいいではないか。などと喜んでいる場合ではない。気をつけなければ。

林芙美子記念館でしのぶ命短き花

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 桐野夏生さんの『ナニカアル』(新潮文庫)を読んで林芙美子という小説家に俄然興味が湧き、東京・新宿区の林芙美子記念館を訪ねた。私は新宿区の何とかいう団体の会員になっているのでここも漱石山房記念館も無料である。

 立派な住宅だ。イベントのときは中に入ることができるそうだが私が訪ねたこの日はそうではなかったので、庭から中を覗き込む。

 家屋の奥に展示室がある。心臓麻痺で亡くなる4日前の元気そうな映像が流されていて、しみじみと見入ってしまった。配偶者と“お子さん”の写真に胸を突かれたのは『ナニカアル』を読んでいたせいだ。

 享年47。好んでしたためたという《花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき》が重なる。

 毎日新聞社が主催した行事(国立公園早回りとか何とか、ワシには意味が分からん古い古い行事)に出た際の写真が展示されていて、帽子を斜めにかぶる林芙美子のセンスのよさよ。沢田研二よりはるか前に林芙美子がやっていたのである。

 林芙美子さんに関する冊子を買う。会員割引きで買うことができた。

 検閲で改稿しまくった今の『放浪記』ではない、最初の版を探して読まなければ。

漱石が垣間見える『彼岸過迄』(岩波文庫)


 去年だったか岩波文庫の漱石全集全27巻をまとめて買ったものの、読むべき活字が多すぎてしばらく放り出してしまった。ようやく手にしたのがこれ。

 高等遊民は出てくるし、親子関係に悩みを抱える人物も出てくるしで、漱石といえども全くの無から小説を書いたわけではないのだな。いや、小説は100パーセント空想の物語だと最近まで思っていたので、漱石でさえ経験を核として周囲を膨らませるのを知って「なーんだ」というか。

 小説は作者と離して読むべきだとは思うものの、チラリズムで姿が見え隠れするところを味わうのも外道かもしれないが面白くないわけではない。

 次は『行人』だが、年内に読み始めるとすると12月末に広島に向かう新幹線の中だろうなぁ。 

 

「カワイソウニ」と『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二』(新潮社)


 晩年の石牟礼道子さんを取材で追いかけ臨終に立ち会うこともできた米本浩二さんによる3冊目の石牟礼さんものは、石牟礼さんと渡辺京二さんとの関係を追いかけた。ある種タブーとも言うべき関係を二人の日記などから文字を拾い、積み上げ、攻めてゆく。

 キーワードは渡辺京二さんの「カワイソウニ」だろう。この意味を米本さんに問われた瀬戸内寂聴さんは瞬時に「男が女にほれた表現です」と断じた、というところが私には圧巻であった。似たようなことを言う友人がいたし、私にもかすかな覚えがあるからだ。そうか、あの女に惚れていたということか、とか。

 私ほどのタイカともなればふたりがどういうカンケイであっても微動だにしないし、そういう下世話なことに対する興味がほとんどない。そこではなく、魂が抜き差しならないくらい織り込まれてゆく人に出逢えていいなぁという憧れに行き着く。などと思うのは棺桶が見えてきたせいかもしれない。

走るぞ別府大分毎日マラソン、のリモート大会

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 年に1回はフルマラソン大会を走ってきたのにこの冬は新型コロナ騒動で大会が激減している。仕方がないので「ひとり皇居フルマラソン大会」をやるかなと思っていたところにこれを見つけた。

 別府大分毎日マラソンのリモート大会である。完走者の中から抽選で2022年の第70回別府大分毎日マラソン大会優先出場権や大分県特産品が当たるし、参加者全員に大会公式Tシャツや公式ナンバーカード(アルファベットの名前を入れることができる)がもらえるし。

 しかも参加料3000円。もちろん申し込んだ。この冬のフルマラソンはこれで決まり。

 

今年のインフルエンザ予防接種は副作用が

 今年のインフルエンザ予防接種を受けた人たちは例年以上に痒みや痛み、腫れ、体のだるさを訴えているという話を東京都内の医療機関で働く看護師から聞いた。

 というわけで、「これからインフルエンザの予防接種を受ける人は、よりいっそう体調のいいときに」だそうです。


 

メールアドレスを考えるというか

 メールアドレスにはいくつかの条件がある。

 まず短ければ短いほどいい。長いメールアドレスをこちらが打ち込まなければならないことがあり、甚だ迷惑である。@以下も短ければ短いほどいい。

 次にガキっぽさは返上するほうがいい。たまにあるのよ。例えばpokochandaisuki@みたいなのが。私は性格が悪いので、メールアドレスを見て「そうか、ぽこちゃん大好きか。死ね」と鼻で笑う。ちと恥ずかしい。仕事で使う場合は最低と言っていいだろう。恥ずかしいことに気づいていないとしたら非常に恥ずかしい。

 3つめは、えーっと、ない。上の2つを守れば問題ない。

 なお私はhero@というのを最初から使ってきた。これを説明するとき「ヒーローのhero」と言わず、「ヘロインのヘロです」と言っているのは恥ずかしさを隠すためである。

ズームの邪魔をするカスペルスキー

 何か触ってしまったらしい。それまでは映像が出ていたのに、ある日突然ズームで映像が出なくなった。私の画面だけ真っ黒。

 あれこれ調べてみたがお手上げ。

 最期の手段としてカスペルスキーを止めてみた。映像が出た。カスペルスキーが邪魔をしていたのか。

 このカスペルスキー、ロシアンだけに強力なのだが裏目に出ることがある。贔屓の引き倒しみたいな。敵を迎え撃つつもりが陣地内で誤爆するような。セキュリティソフトとして性能がいいのかよくないのかどっちだ。

 

首里城炎上をけっこう早く知ったワケ

 首里城が焼け落ちて1年。あの日わたしはずいぶん早い時間に首里城の炎上を神奈川県の自宅で知った。

 その理由はラジオである。NHKラジオが「沖縄放送局から首里城の炎が見えます」と放送するのを聞いた。時計を見ていないので何時か分からないが外は真っ暗だった。

 なぜにラジオで聞いたかというと、怖いからである。夜中に目が覚めて、シーンとしていたら怖い。何か物音がしていても怖い。夜一人で寝るのが怖いのである。自宅でも出張先の宿でも怖いものは怖い。

 シーンという無音も何かの物音も怖いので、出張先ではテレビを付けっぱなし、自宅ではラジオを付けっぱなしで寝る。

 夜中にふと目が覚めてラジオから聞こえてくる音楽が私のよく知る時代だったりすると5曲くらい続けて頭の中で一緒に歌ってしまうことがある。

 戦(おのの)きつつ ひとり寝る夜の NHK いかに楽しき ものとかは知る

冤罪だワン

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 笑ってしまった。警察犬が大脱走という見出しに、その警察犬の顔写真まで載せた記事=10月29日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)社会面=である。

 記事では《捜査員が持つリードを振り切って逃げた》とあるけれど、当の犬にしてみれば逃げた意識はないはずで、山の中に出動して嬉しくなって駆けだしただけに違いない。「犬は喜び庭駆け回る 猫はこたつで丸くなる」と歌われているではないか。犬は駆けるのである。

 人間の勝手な解釈で逃げただの脱走しただのと騒がれている犬のおすまし顔が笑いを誘う。この記事はそういうウケを狙って編集したに違いなく、『朝日新聞』ではお目にかかれないだろう。

 大捜索ののち、リードが樹木に絡まって動けなくなっていた警察犬は無事に保護されたというから、めでたしめでたし。

河井案里さんを捉えたNHKの映像

 さすがというべきか、無駄遣いというべきか、相変わらず金に糸目をつけないなというべきか。テレビは映像がないと仕事にならないので気持ちは分かる。分かるのだが、何かもやもやが残るのはなぜだ。

 河井案里さんが東京拘置所から保釈される映像をNHKが21時のニュースで流した。案里さんに向かって左から、正面から、そして右から、それぞれ撮った映像を順番に何度か報じたのは、NHKのどや顔か、はたまたカメラクルーへのねぎらいか。いったい何人現場に出したんだ?

 NHKはすごいなぁ。いい意味でもそうでない意味でも。案里さんは精神面が不安定のようだから、万一に備えてここで映像を押さえておかなければという読みがあったかもしれないが、それにしても。

林芙美子入門とも言える桐野夏生『ナニカアル』(新潮文庫)


 ノンフィクションと錯覚してしまう。実話を踏まえて戦中の林芙美子の恋愛を描いた小説なのだが読後感が切ない。

 既婚の林芙美子が愛した男は『毎日新聞』の記者だったらしい。毎日新聞社が部数日本一でブイブイ言わせていたころの話である。ほかにも『サンデー毎日』や『朝日』の記者らが登場したり、戦時中の毎日朝日の競争やペン部隊、日本軍の実相を垣間見ることができたりして、林芙美子入門としても破格の女性の物語としても興味深い。

 林芙美子というと肝っ玉母さんの風貌が浮かぶのだが、検索してみたところ若いころの魅力ある写真がネット上にいくつか載っていて、私の林芙美子像が変わった。

 かつて週刊誌で読んだような記憶があり、記憶の断片を手がかりに探してみたらこの本に突き当たった。本書を読んでみると記憶の断片と本書の内容は重なる。ところがだ。私の記憶では『サンデー毎日』編集部時代(1992年秋〜93年春)に編集部のどこかその辺に転がっていた週刊誌でぱらぱらと拾い読みしたはずなのだが、初出は『週刊新潮』2008(平成19)年12月11日号から翌年11月12日号だそうで、私の記憶と完全に食い違う。一体どこで手に取って読んだのか皆目分からない。

 拾い読みした記憶が今こうして本書にたどり着き、「林芙美子すごい!」に始まり、「『放浪記』を読まなければ」や「改稿されまくった今の『放浪記』はダメなんだな」、「林芙美子記念館に行ってみよう」、「林芙美子賞はそういう位置づけか」などと広がり続けている。どこかで1〜2回さらっと目を通した記憶からこういう展開になることがあるわけで、何でも少しでも読んでおくとマイナスになることはないのだな。

 まずは林芙美子記念館だ。

文学とは何かを垣間見る『芥川賞の謎を解く』(文春新書)


 芥川署受賞作が載る『文藝春秋』の読みどころはたぶん受賞作品なのだろう。私は選評のほうが好きだ。手練れの銓衡委員たちが渾身の力を振るってべた褒めしたり筆誅を加えたりする短文はことごとく名人芸なのである。その芥川賞選評を完全に読破してまとめたのが本書だ。著者の鵜飼哲夫さんは読売新聞記者である。取材経験のある小説家のエピソードを交えたところにコクが出た。

 本書を読んであらためてよく分かったことがある。文学には正解がない。銓衡委員同士で意見が対立する。それぞれの文学観に基づいて銓衡するから全員一致は滅多にない。

 正解がない。これが文学の核心なのである。もちろん文章のうまい下手やネタの選択の善し悪しなどはあるけれど別問題だ。

 私が算数に落ちこぼれ、社会の暗記をあほくさと思い、積み上げられた知識でしかない法律に魅力を感じず法学部に6年も在籍したのは、正解が最初から決まっている学問へのギモンが頭の隅っこにあったからである。などと後付けで正当化してはいかんのだが、そういうギモンはずーっと持っていた(たぶん)。

 正解のない学問ほど奥の深いものはないではないか。

 駿台予備学校国語科の名講師・藤田修一師は小説の読み方として「教養読書」と「受験読書」を挙げ、後者の読み方を指導した。後者であれば設問次第では正解を導くことができ得るというわけだ。

 教養読書はあからじめ決められた正解を探す必要はない。正解が最初からないので探しようがないのである。そこに自由を感じる。文学とは自由の営みでもあるわけだ。

 芥川賞選評(だけでなくてもいい)をすべて集めた本があれば読むのになぁ。

太宰治『斜陽』を50代で読む



『走れメロス』を読んだのは中学2年、大阪・岸和田市の光陽中にいたときで、国語の教科書に載っていた。以来太宰治を読んだことはないはずだ。かぶれる若者が多いという話を聞いて距離を置いていたのである。人生経験のないガキに文学が理解できるわけがないという判断もあった。

『小説的思考のススメ』(安部公彦・東京大学出版会)の第1章で取り上げていたのでどれどれと読んでみたのが『斜陽』である。

 若いころ読んでいたら理解できていなかったのは間違いない。50代後半になって読むと染みる染みる(笑い)。

 太宰にかぶれる若者はこれを10代や20代で理解できるのか。理解できているとしたら恐ろしいというか、おみそれしましたと言うほかない。私が40代で読んでいたら理解できない記述がある。いろいろなものを見たり聞いたり感じたりして多少の傷の蓄積があるから染みるのであって、10代や20代が自分の人生の地つなぎとして本書を噛み締めることができるとは思えないのだが、うーん、阿呆な私を基準に考えてはいかんということか。

 私の阿呆さをあぶり出されただけかもしれないが。ついでに『人間失格』を読んでみるかな。

『冒険の森へ 傑作小説大全8 歪んだ時間』(集英社)


 時間軸の歪みはSFの分野だという先入観があったのだが、純文学小説家から大衆文学小説家までが取り入れているではないか。あの芥川龍之介まで。

 特に浅田次郎さんの『地下鉄に乗って』が余韻を残す。「平成の泣かせ屋」と言われる浅田さんが1995(平成7)年にこの小説で吉川英治文学新人賞を受賞したのは当然である。

 地下鉄を舞台にした小説『おもかげ』を浅田さんは2017(平成29)年ごろ『毎日新聞』に連載した。新聞小説は滅多に読まない私が引き込まれたので記憶に残っているのだが、浅田さんには『鉄道員』という小説もあることを思い出した。夥しい人生を乗せて運ぶ鉄道が創作欲を刺激するのかもしれない。そこに時間軸を加えて異界をつくれば小説の舞台になる。


 【長編】
浅田次郎「地下鉄に乗って」
山田正紀「竜の眠る浜辺」

【短編】
芥川龍之介「魔術」
北杜夫「買物」
安部公房「鉛の卵」
式貴士「カンタン刑」
小松左京「哲学者の小径」
筒井康隆「万延元年のラグビー」
清水義範「また逢う日まで」半村良「およね平吉時穴道行」

【掌編】
吉行淳之介「扉のむこう」
原田宗典「時間が逆行する砂時計」
矢野徹「ぼくの名は・・・・・・」
星新一「夢の未来へ」

広島のセブンイレブンでは売られている徳島の

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 広島滞在中に毎日食べたのがセブンイレブンのこの2つ。ほうれん草は以前からあったが、徳島が誇るすだちを使った商品「徳島県産すだちを搾る 焼さばと粗おろし」は最近出た。

 東京のスーパーで1個50円で売られているすだちである。酸味が魅力とはいえ、そのまま食べると顔がシワだらけになってしまうので、何かと“共演”するのが役どころだ。

 この商品、東京や神奈川のセブンイレブンでは見かけない。広島で私が毎日買えば人気商品となって関東に進出できるのではないか。そう思えばこそ毎日買って食べた。

 私一人では非力である。徳島関係者よ、セブンイレブン(たぶん西日本)で見かけたら買って食べようではないか。


  

権力側に付け入る隙を与えるNHKは「ガッテン!」か?

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 総務省の有識者会議でNHKがテレビ設置の届け出義務を課すよう提案した。これが実現したらNHKは国民を敵に回し、権力側にさらにすり寄らざるを得なくなるであろう。記者や制作者ら個人個人が頑張っても組織全体は痛手を負う。

 膨れる営業経費を抑えるための提案だそうだが、その前にNHKがやるべきことがある。

 まず、NHKが最初から映らないテレビの推進である。私はNHK好きだが、世の中にはNHKを必要としない人が大勢いる。恐らく人口の半分くらいは必要としていない。

 次が職員の賃金体系の明示だ。営業経費を抑える前に、その賃金を抑えてはどうだ? 明示すれば日本中からの批判が殺到するだろう。「上級国民」と後ろ指を指されるのは火を見るよりも明らかだ。それでも火の粉を浴びながら進む覚悟があるのならどうぞ。

花房観音さんのノンフィクション『京都に女王と呼ばれた作家がいた 山村美紗とふたりの男』


 出版界では今も触れてはならないとされる山村美紗と男たちについて、小説家の激しい魂で突破した本である。大手出版社から出せるはずがなく、西日本出版社が出版社魂を発揮した。

《これを書かないと、私は悔やむ。それは間違いなかったし、前に進めない》

《仕事を失う恐怖よりも、書かずに死ぬ恐怖が先に来て、筆を進めた》

 このような執念を持った書き手ほど手に負えないものはなく、しかしそれが素晴らしい作品を生む。読者冥利に尽きる。

 山村美紗さんは200冊以上の小説を残し、その多くがテレビドラマになった。にもかかわらずというべきか、文学賞には無縁だった。《美紗について調べて、何よりも印象に残ったのは、彼女の「自信の無さ」だった。あんな有名な作家が、自分と同じ苦しみを抱えていたのかと思うと、胸が痛んだ》というところに観音さんの猛烈な執筆動機が記されている。

 山村美紗さんの元配偶者らにも取材している。日垣親分の企画で西村京太郎さんにお目にかかって一緒に写真に収まったことがあるせいかなおさら興味深かった。巻末の参考文献一覧を見ても本書は小説ではなくノンフィクションである。

 本書を書いた観音さんと本にした西日本出版社を応援するために1冊買おうではないか。

 

 

パティシエ殺害事件で女性がよーく知っておくべきこと

 女性パティシエが元交際相手に23カ所も刺されて亡くなり、その阿呆男は自殺したので書類送検されたという報道を見て、「ああやっぱりそうだったか」と思ったのは、女性が住んでいた部屋である。

 彼女は2階に住んでいた。男は脚立でベランダに侵入し、窓から入って(8月末だったので無施錠だったのかもしれない)犯行に及んだ。

 私は知り合いの女性たちに4階以上の部屋に住むことを強く勧めている。1階や2階は女性が住んではいけない。特に若い女性は絶対に禁止である。狙われたら防げないのが1階2階なのだから。

 不確かながら3階まで侵入した事件があったと記憶しているので、安全を考えると女性は4階以上を強く勧める。

 この事件は男が変質者だったから、彼女が4階以上で住んでいたら外で待ち伏せしていたかもしれない。しかし、不意打ちでない限り、女性は逃げたり、周囲の人が助けてくれたり、という可能性があったかもしれない。

 とにかく女性は4階以上で暮らすことである。1階2階を女性に貸さない条例をつくることができないものか。


読書論と執筆論が記された高橋源一郎『「読む」って、どんなこと?』


 脳天から肛門までまっすぐ斬り降ろされたような読後感(ってどんな読後感?)である。100ページ少々の、1〜2時間で読むことができる冊子と言ってもいいくらいの本なのに、核心を突く記述が次々に出てくるものだから、うなり、目からうろこが落ち、天を仰ぎ、わかったと叫び、読み返し、引用されていた鶴見俊輔『「もうろく帖」後篇』をネットで探して買い、そこから思い立って豸さんの本を数冊買い、と波紋が広がる。

 名著『AV女優』からの引用もあると言えば、通り一遍の読書論ではないことが容易に想像できるだろう。

 本書は読み方の本だが、裏から見れば書き方の本である。そもそも高橋源一郎さんは小説家なのである。

 大事なことは1行で書けとか分かりやすく書けとか、文章の書き方や表現方法を指南する本が数え切れないほど出版されているけれど、源ちゃんはその辺りを一刀両断して「これだろ」と見せてくれた。あまりにも大事なのでここに抜き出すようなことはしない。該当箇所に赤線を引き、そのページの角を折ってあるので、私だけ分かればいい。


 

テレビ朝日開局60周年記念番組の「24 JAPAN」の哀しみ

 米ドラマ「24」の第1シーズン(全24話)にのめり込み、数日で見終えてしまったことがあり、以来第2シーズン以下には近寄らない。中毒性の強さに気づき、怖じ気づいたのだった。

 テレビ朝日が開局60周年記念番組として「24」の日本版を制作した。名づけて「24 JAPAN」。第1話を見てたまげた。心臓が止まるかと思った。

 あらすじも舞台装置もカメラ割りも音楽もほぼ同じ。米国の俳優が演じていたのを日本の俳優が日本語で演じているだけで、あとはほとんど代わり映えしない。小粒感が拭えない。

 テレビ朝日が開局60周年記念番組と銘打ったのがコピードラマだったことに私は驚愕した。コピーしたものをまたコピーしていくと文字が読みにくくなったりして劣化する。コピーとはそういうものなのである。それを60周年記念でやるか普通?

 テレビ朝日のドラマ制作者に誇りがあれば「ワシがオリジナルをつくる」と反対するだろうに、反対しなかったのか? ドラマの視聴率が軒並み落ちているので制作者は減点を恐れて手を挙げなかったのか? 視聴率が伸び悩んでも米ドラマのせいにすればいいと計算したのか? 蜜月時代を築いた石原プロモーションがもはや使えないから万事休したのか?

 コピードラマを流すくらいなら本家本元の「24」をそのまま放送すればいい。こっちが圧倒的に面白いのだから。 

トランプ大統領も言っていた"social distancing"

 日本では「ソーシャルディスタンス」と言うけれど、英語圏では「ソーシャルディスタンシング」が正しい。《ingをつけないsocial distanceはもともと、出身階層・人種・性別に関連して、ほかの人との間に心理的な距離を置くことを指す、まったく別の社会的概念です》=杉田敏先生が書いた『実践ビジネス英語』8月号テキスト「はじめに」から。

 新型コロナに感染したトランプ大統領の報道をテレビで見ていると、彼も"social distancing"と言っていた。差別主義者のトランプさんが“"social distance”と言うとシャレにならんもんな。




目がテンになったこのテンはいったい絶句

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 以前『琉球新報』を読んでいて自社を「琉球新報者」と書いてあるのを見つけてコーヒーカップを落としそうになったことがある。今回はJR東海道線の中で「マジか!」と叫びそうになったというのは大袈裟だが、「えっ」と声は出た。

 校正が得意なのかどうなのか、読む前にその部分が目に飛び込んできた。

 長年いろいろな活字商品を見てきたが、これは初めてだ。活字好きが集まる、しかも比較的質が高いはずの職場の商品がこれとは。読点に目がテンになった。10月1日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)のオピニオン面13版である。

 このテンの前の行はカギカッコとテンがあるので詰めれば入る。と私ごときが言わなくてもガッテンだろうけれど。



NHK「ガッテン!」の英語にガッテン!

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「ソーシャルディスタンシング」という文字を字幕で見て、「ほー」と唸った。さすがNHKというか、番組制作者はNHKラジオ『実践ビジネス英語』を聞いているに違いない。

『実践ビジネス英語』8月号テキストの「はじめに」で講師の杉田敏さんがこう書いている。

《ingをつけないsocial distanceはもともと、出身階層・人種・性別に関連して、ほかの人との間に心理的な距離を置くことを指す、まったく別の社会的概念です》

 これを読んで「ほー」と思ったけれど、以降も日本では「ソーシャルディスタンス」しか見聞きしなかった。「ガッテン」お見事。

 恥も誇りもなく「ガッテン」をパクる記事や番組が非常に多い。今後この「ソーシャルディスタンシング」も真似できるかどうか。いや、パクる人たちはそこまで見ていないだろうなぁ。

またやってしまった同じ本買い

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 本棚の整理をしていて気づいた。今さっきアマゾンで注文した本がここにあるがな。慌てて取り消そうとしたが、配送準備に入っているとか何とか、そんな表示が出て、ああこれは諦めろと言っているわけで、諦めた。

 持っていた本は2002(平成14年)初刷り。取り消しが間に合わず届いてしまったのは2019(令和元)年に17刷。毎年増刷しているのである。すごいな井上ひさしさん。

 出版業界に喜捨したと思えばまぁいいか。とクヤシイから言ってみた。



中国語の電話がかかってきたのでやむを得ず

 ガラケーに中国語の電話がかかってきた。人間が喋っているのか録音の声なのか分からないという以前に意味が分からない。

 切るのも芸がない。そこで歌を歌うことにした。頭に浮かんだのがなぜかサブちゃんだった。

「はーるばる来たぜはーこだてー」

 なかなかいいノドである。

「さーかまく波をのーりこえてー」

 ガチャ。切られてしもた。

 ちょっとクヤシイ。最後まで聞かせたかった。NHKの「のど自慢」でカネ1つはこんな感じか。

『巨匠とマルガリータ』の孤独


 池澤夏樹個人編集世界文学全集(河出書房新社)の1巻から順番に読んでいるだけなのでこんな小説があるとは知らなかった『巨匠とマルガリータ』の奥付を見て驚いた。

 初刷が2008年4月。2018年4月に6刷まで来ているではないか。そんなに有名な小説なのか? 題名も著者のブルガーコフの名前も私は知らなかったので少し焦ったが、珍しい本なので売れているのか? 全面改訳ということでファンが飛びついたのか? 

 奇想小説だとか荒唐無稽だとか言われているけれど、社会主義ソ連政府や当時のソ連文学界に対する皮肉や批判をするのが狙いではないかと感じる小説で、環境がこの小説を生み出したと言っていいのではないか。

 月報に池澤夏樹さんが書いた《結局のところ、彼が信じていたのはマルガリータの無心の愛だけではなかったか》が著者ブルガーコフの孤独を言い当てているように思う。何とも切ない小説である。
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