同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

フロッピーディスクに換算する『毎日新聞』

 今フロッピーディスクを使っている人はどれくらいいるだろう。ワープロ全盛時代なら記憶装置としてフロッピーディスクが中心だった。しかし、パソコン時代の今日ではフロッピーディスクは容量が小さすぎるので、もはや過去の遺物に近い。

 にもかかわらず、『毎日新聞』はフロッピーディスクが好きらしい。海上自衛隊や岡山県警の重要資料がウィニーのネットワークに流出したことを報じた際、「フロッピーディスク約290枚分に相当する膨大なもの」(2月23日付朝刊)や「フロッピーディスクにして約44枚分に相当する膨大なもの」(3月4日付朝刊)と書いたのである。

 CD-ROMならこれ1枚にフロッピーディスク500枚以上が記録できる。わざわざフロッピーディスクに換算する辺りが時代遅れというか「膨大」さを強調しようという魂胆が見え見えというか、何だかなぁと思ってしまう。

 CR-ROMよりフロッピーディスクのほうが知られているからこれで換算したのだという反論を受けそうだが、フロッピーディスクを知っている人ならたいていはCD-ROMだって知っている。

 とはいえ、「流出した極秘資料はCD-ROM1枚分に相当する膨大なもの」と書かれても膨大さが実感できない。むしろ単行本何ページ分とか新聞何ページ分という換算をしたほうがより実感できるのではないか。

 こんなことで情報技術(IT)系の概念に振り回されるべきではない。

 

駒大苫小牧センバツ辞退

 駒大苫小牧高の野球部に所属する3年生10人が卒業式後に飲酒・喫煙して警察に補導されたことで、同高は今春のセンバツ出場を辞退した。

 卒業式を終えた開放感があったのだろう。気持ちは分からなくもない。私の場合は高2の時に同級生の家に男子生徒が10人近く集まった際に飲酒した記憶がある。ほろ酔い気分でフラフラと出歩いた。だから、補導された彼らを批判する立場にはない。私の場合たまたま補導されなかっただけである。

 それにしても、センバツ出場が決まっていたこの時期にどうしてそんなことをしたのか、監督や部長は彼らに羽目を外さないよう注意喚起をしなかったのかという疑問は残る。

 とはいえ、やってしまったことは仕方ない。大切なのはこれからである。センバツに出られなくなった後輩たちにどう贖罪するか、母校の名誉を傷つけたことにどう対応するか、答えを出すのは容易ではないけれど、罪に向き合うしかない。

 民主党の偽メール事件で前原誠司代表が語った「生き恥をさらす」という覚悟を私は気に入っている。「生き恥」なら私も持っている。私の場合は「生き恥」を日々思い、その絶望感から脱出しようと努力することにつながる。補導された10人も持てばいいのだ。「生き恥」の苦さをかみしめることは決して悪いことばかりではない。

 まだ10代の若者たちである。「生き恥」に向き合って、そこから立ち上がることを期待したい。

ウンコを持って西新宿を走る

 「ま、ま、待ってくれー」。うまい具合に赤信号で止まった集荷業者のバイクにもう少しというところで信号が青になり、バイクは走り去ってしまう。

 どうしよう。私の左手にはウンコが握られている。ウンコは採取用容器に入っているのだが、容器に入れるまでが一苦労だった。カップうどんの容器のような器に大便だけを入れ、その便のいろいろな部分をすくって採取したのである。

 米国の検査機関で腸内細菌叢を調べてもらうための採取で、私が信頼するアンチエイジング・ドクターの上符先生の指示を受けての仕事だった。上符先生の命を受けたほかの数人のウンコは無事にバイク便で集荷されて行ったのに、私のウンコだけがたまたま置いてけぼりを食ったのだ。

 大変な苦労をして採取したのだからあきらめるわけにはいかない。もう2度としたくない。携帯で問い合わせたところ、海外への輸送の集荷を請け負う店が近くにあることが分かった。午後5時前に届ければ今夜の米国行き飛行機に“乗る”ことができる。時計を見ると5時寸前ではないか。ウンコを手に再び走る。

 採取したウンコはよくかき混ぜるようにという指示があった。走る時は両腕を振るから自然にシェイクしている。よかったよかった。

 ここは東京・西新宿の高層ビル街である。最初に走ったのは「太陽にほえろ!」の刑事たちだった。マカロニ、ジーパン、テキサス、ゴリさん、長さんたちが走ったこの場所を、まさか私がウンコを持って走ることになろうとは。京王プラザホテルの前で転びそうになりながら必死に走る。周囲の人は激走する私を不思議そうな目で見てくれる。どこかで銀行強盗をして逃げている容疑者ではない。自分のウンコを米国に送るために走っているのだ。

 店に着いたのは5時ちょうどだ。間に合った。そう思ったのもつかの間、今日は集荷が多いとかで、ついさっき出発してしまったという。思わず「クソ食らえ」と叫びそうになる。「クソ食らえ」を実行しようと思えば可能なのだ。手に持っているのだからね。

 それにしても私のウンコは運が悪かった。荒い息を整えながらウンコの代わりにつぶやく。「クッソー」

 こうして私は引き替えに貴重な笑い話をひとつ手に入れた。

捨てられた消しゴム

 小さな会社で部長職をしている友人が沈痛な表情でやって来た。「消しゴムが捨てられてしまった」

 ん? 誰の消しゴム?

 「部下の女性に先日消しゴムを借りたんだが、それを彼女は捨てたんだとさ」。友人の携帯電話の着信拒否をしていたという女性社員である。

 「ワシが使ったから嫌になったみたい。彼女が教えてくれた。あの消しゴムは捨てましたって」。何じゃそれは。開いた口がふさがらない。

 「消しゴムに罪はないよなぁ。ワシにも何の罪もないはずなんだが……。捨てられた消しゴムと自分が重なってしまうんだ。ワシが使ったのが嫌になって消しゴムを捨てるかね普通。消しゴムにだって尊厳ってもんがある」。友人は憔悴している。

 捨てたことを友人にわざわざ伝える辺りに愉快犯の性向が垣間見える。ただ、この女性は法的には何の問題もない。消しゴムの所有権と占有が彼女にあったのだから、煮て食おうが焼いて食おうが捨てようが自由なのだ。

 「何だか真綿で首を絞められるような、アリ疑獄にはまってしまったような、そんな不気味さを感じる」。友人はヨタヨタと帰っていった。

パイロットの賃金

 日本航空がお家芸の内紛をやっている。その報道でよく引き合いに出されるのが操縦士の賃金の高さである。一説によると3000万円だそうな。

 操縦士と一般職社員との間に雲泥の差があるのは当たり前である。操縦士の賃金は社長より高くてもいい。

 能力のあるごく一握りの人しか旅客機の操縦桿を握れない。ここでいう「能力」は三半規管の強さや体力、精神力、頭脳、自己管理力などを含む。類いまれな恵まれた資質の持ち主で、なおかつ努力を怠らない人なのである。

 客室乗務員の仕事なら私でもできる。しかし、操縦士の仕事は逆立ちしてもできない。高度な能力と資質が求められるのだ。その能力と資質は誰でもが真似できるものではない。

 厚遇しないでどうする。

脳が火を噴く

 仕事が終わらない。東京・九段南のWAVE出版の会議室で編集者・面代さんと一緒に黙々とゲラと闘う。

 午前2時か3時には終わるだろうと思っていたのに、午前4時になっても終わりが全く見えない。午前5時、6時が過ぎてもまだ終わらない。脳が火を噴く。

 赤色のボールペンを握る手に力が入らない。いつの間にか仕事が雑になっているのに気づく。少しでも早く終えようと無意識に手抜きが始まっていたのだ。危ない危ない。

 午前7時過ぎ、宿泊の予約を入れておいたビジネスホテルに行き、10分ほどシャワーを浴び、着替えをして、ドトールでブレンドコーヒーを買い、WAVE出版に舞い戻る。さすがに少しは目が覚めた。気合いでゲラの海を突き進む。再び脳が火を噴く。

 ようやく終了したのは午前10時前だった。たまにはこんな日があっていい。ただしこの日の脳は使いものにならない。ヘロヘロなのだ。締切を目前にしたやむを得ない場合を除いて、完全徹夜はしないほうがいい。でも、たまにやると面白い。

アサッテ君に登場したサプリメント

 イソフラボンにコンドロイチン、フコイダン、カルニチン、メラトニン、グルコサミン、アントシアニン――。今日付の『毎日新聞』に掲載された四コマ漫画「アサッテ君」に登場したサプリメントの名前である。

 知っておくといいのはイソフラボン(女性ホルモンと構造が似ている)とカルニチン(抗酸化)、メラトニン(睡眠のためのホルモン)、グルコサミン(関節の痛みの緩和)だ。

 いろいろなサプリメントが販売されているけれど、先走りしてはいけない。

10年間同じコート

 中国の温家宝首相は「1枚のコートを10年間も着用する首相」としてその庶民性に人気が出ているという(今日付『毎日新聞』外信面)。

 私が今も使っているハーフコートは1989年3月に那覇市内で買った。16年も着用していることになる。

 袖がすり切れるたびに店に出して修繕してもらってきた。色が落ちている部分はそのままにしてある。よほどひどくなったら黒色のマジックで塗ればいい。ここまで来たので、20年の着用を目指そうと思っている。

 特にこのハーフコートがいいというわけではない。ただ、捨てる理由がないので使い続けているだけだ。

 

要領がいい

 「あいつは要領がいい」という言い方は、褒めている場合と軽蔑している場合の両方に使われる。

 ただ、仕事に関して「あいつは要領がいい」と言う場合は完全な褒め言葉の意味で使うべきである。

 今までいろいろな人の仕事を見てきて痛感するのは、仕事に要領は欠かせないということだ。例えば、どうでもいいことにやたら熱心に時間を割く人がいて、そのことの無意味さに本人が気づいていない場合、「要領が悪い」ということになる。本人はたいそうな仕事をしたつもりになっているから始末に悪い。周囲も気づいていない場合はご愁傷様と言うほかない。

 「要領」というのは「判断能力」のことである。ある作業が仕事に必要か否か、必要としてもどの程度必要なのか、その度合いに合わせて何をどの程度こなせばいいのか、といったことを勘案して、その作業にかけるべき時間や内容を決めるのが正しい。

 この一連の過程のひとつひとつに判断能力が欠かせないのだ。

 『受験は要領』という題名の本がある。これを文字通り「要領」と受け止めてはいけない。合格のためにはどんな勉強をすべきかという判断能力が受験には必要だと言っているのである。

 「要領」という言葉を軽んじてはいけない。

 

 

茨木のり子さん死去

 茨木のり子さんが先日亡くなった。思い出すのが「自分の感受性くらい」である。

 「ぱさぱさに渇いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて」「初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった」「わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」

 今はやりの言葉で置き換えるなら、この詩のテーマは「自己責任」である。それが徹底しているから、自分を甘やかしている時はハッとさせられる。

 茨木さんの詩が大勢の心に響くのは、詩の中に確固たる生き方が示されているからだろう。いかに生きるか、その具体的な姿勢が描かれているので分かりやすい。

 この詩は茨木さんの芯の強さの表れだと考えるのは早計である。茨木さんが自分を奮い立たせるために自分に向かって発した言葉ではないか。私がよく使う手法なので、茨木さんの手の内が見えてしまう。

 もちろん、意図的に読者を挑発している面もある。ただし、単なる挑発ではない。この詩は「私の言葉にたじろぐな。負けるものかと立ち上がれ」という応援歌なのである。

3時間睡眠

 ナポレオンは4時間しか眠らなかったと聞いて、「すごいなぁ」と思ったことがある。当時私は大学生で、一人暮らしをいいことに惰眠をむさぼっていたから、4時間の睡眠は信じられなかったのである。

 しかし、今日は3時間睡眠である。平日は4時間睡眠だ。いつの間にかナポレオンと同じことをしているではないか。ただし、ナポレオンと同様に10分程度の居眠りは不可欠だ。

 睡眠を削らざるを得ないくらい忙しい時期が人生にたまにあってもいい。私の場合そんなふうになるのは何らかの目的に向かって必死に努力している時である。時間を凝縮して必死に生きる時期は人生に彩りを添えてくれる。

最悪の言葉

 最悪の言葉は何だろう。「大嫌い」「死ね」「アホ」「莫迦」「間抜け」「とんま」「お前の母ちゃんでべそ」――。相手を罵倒する言葉はいっぱいある。その中で最悪の言葉は「あなたを信じない」ではないか。

 信じる信じないは相手の主観の問題である。「あなたを信じない」と言う人に「私を信じて」と返しても何の解決にもならない。堂々巡りをするだけだ。「信じない」という言葉はコミュニケーションの一方的断絶を意味するからだろう。

 ただし、「信じたくない」や「信じられない」となると、「信じない」という断崖絶壁状態とはニュアンスがやや異なる。かすかながら希望の光が見えなくもない。

 以上は人間関係の基礎は「信頼」にあるというのが大前提であり、そうではないと思う人、例えば「人間関係の基礎は金である」と思う人や「人間関係の基礎は古里である」と思う人などには通用しない。

 「勝ち組」「負け組」などの言葉が氾濫して経済的価値観が有位に立つ今日、「信頼」という言葉を重視する人は少数派なのかも知れない。そうすると、私が上に書いてきた内容は、多数派には「何のこっちゃ」という程度に過ぎないことになる。わはは。

最近のメガネ

 メガネは「ものをよく見る」ためにある。にもかかわらず、この目的を忘れたメガネが増えている。

 上下幅の狭いメガネがそれである。一昔前ならヤーさんやチンピラがつけていたようなやつである。上下幅がないので視野が狭い。特に足下がおぼつかない。足下を見るためにいちいち顔を下に向けなければならない。

 かつてと比べてメガネの値段が全般に下がっているけれど、メガネレンズの面積を減らして値段を下げたのだとしたら本末転倒である。

 安売りのメガネ屋に置いてあるのはレンズの面積が狭いメガネばかりだ。面積が狭いぶん原材料費がかからないわけで、値段が下がるのは当たり前である。しかし、メガネの本来の目的を忘れたメガネを買う気にはなれない。

着信拒否

 小さな会社で部長職をしている友人が苦笑いをしながらやってきた。「部下の女性がワシの携帯電話に対して着信拒否をしていることが分かってね」

 その女性自らが友人に明らかにしたという。「まぁ、そいつに電話をかけることはほとんどないから実害はないんだが、そんなことより、着信拒否されるとどんな状態になるなのか知りたくて、さっそく彼女の携帯にかけてみた」。好奇心旺盛なやつである。

 友人がかけてみたところ、「こちらはauお留守番サービスです」という音声が流れ、留守番電話対応になった。なるほど、「あなたからの電話は受け付けません」という音声が流れると角が立つ。留守電が対応することで、やんわり拒否できるのだ。よくできている。

 しかし、ちょっと待てよ。知り合いの携帯に電話をかけて留守番電話サービスにつながったら、ひょっとして着信拒否されているのかと少し考えてしまうかも知れない。

 電話をかけたらいつも留守番電話になっているという人がいたら、自分と相手の人間関係を振り返ってみたほうがいいかも知れない。
 

トイレットペーパーの色

 ピンク色のトイレットペーパーがある。

 脱糞したあとの肛門の汚れを拭き取るためにトイレットペーパーは存在する。白色のトイレットペーパーなら、わずかでも便の色がつけば分かる。

 便の色である黄色系はピンク色になじんでしまうから、肛門がきれいになっかたどうか分かりにくい。

 「私の便はキレがいいからトイレットペーパーが何色でも問題ない」と胸を張る人がいるものだ。肛門をいつも清潔にしている私は、そういう過信や誤信ができる人をソンケーするしかない。

 便の状態は日々変わるのである。人生と同じで晴れの日もあれば土砂降りの日もあるはずではないか。

 トイレットペーパーの色は白色に限る。

遠距離恋愛

 女友達が札幌に異動することになった。北海道といえば石原裕次郎記念館があるではないか。それにイクラやカニ、ラーメンなど、うまそうな食べ物がいっぱいある。うらやましい。

 ところがこの友人はしょげかえっている。交際している男性と離れ離れになってしまうというのだ。札幌―東京は確かに遠い。

 遠距離恋愛が続くかどうかは当事者の意志次第である。離れていることが理由で破局するなら、その程度の恋愛に過ぎなかったということである。結婚前に「その程度に過ぎなかった」ことが分かったのだから喜んだ方がいい。

 彼女は毎月1回は東京に戻ってくる決意である。

 先が読めないから人は努力する。結果がどうであれ、ひたむきに努力する姿は美しい。

新人研修

 小さな企業で部長職をしている友人がフラフラとやってきた。「新入社員向けの研修があってね、15分ほどワシの仕事について話したんだが」

 何だか不服そうな表情である。「そりゃそうだ。そもそも全く関係のない職種の人たちにワシの仕事を話してもどうなるもんでもない。相手はずっと座りっぱなしで疲れている。だから、こう話し始めた。研修は修行である。できればそんなもんやりたくないもんだが、給料のうちだと思え、とね。あとは国仲涼子ちゃんの話や恋愛論をして適当に時間をつぶした。少なくともワシがしゃべっている間は眠気が飛んだだろう。わはは」

 確かに。私自身、研修にろくな記憶がない。17年ほど前の毎日新聞社の研修でどんなことを“学んだ”かほとんど覚えていない。

 早友学院とかいう塾を少し手伝った時の研修では、社長の真横に座ったにもかかわらず、社長の言葉を全くメモしなかった。周囲はメモを取っている状態だっただけに私は目立ったようで、社長から「キミはなぜメモをしない」と言われた。「はい」とだけ答えて相変わらずメモはしなかった。あの時「メモを取るほど内容のある話とは思えないので」と答えていたらどうなっただろう。

 友人は言う。「研修を受ける側に立って考えれば、その研修の必要性と相当性くらい見当がつくはずなんだが、現実にはその見当がつかない“上司”が多すぎる。研修の講師役をするのがよほどうれしいんだろうか」

 “上司”の自己満足のための研修は時間の無駄である。世の中ヒマな人が多すぎる。

東京・新宿のホテル

 締切のある仕事が終わらない。終電に乗るのをあきらめた。

 午後11時半ごろから、東京・西新宿の職場で夜中にビジネスホテル探しを始める。

 パソコンで検索したホテルに片端から電話を入れていく。しかし、どこもかしこも「申し訳ごさいません。あいにく本日は満室で」と来る。「それはよかったですね」と返しながら、次のホテルに電話をかける。

 念のために歌舞伎町にあるあの東横インにも電話をかけてみた。丁寧な女性の声が返ってくる。やはり満室だ。社長が愚かでも会社はもうかるのである。

 東横インのサービスは悪くないし、価格は妥当である。苦境に立つ会社がそれでもお客さんからの支持を集めることができるかどうかは、その仕事がお客さんから評価されているかどうかにかかっているということだ。いったんその評価を確立した企業は強い。

ラブレターの基本

 ありがたいことに、バレンタインチョコをもらった。私が通う組織でピカイチの美しさを持ち、なおかつ妖艶な雰囲気を持つ女性がくれたのだから、「生きててよかったなぁ」としみじみ思うわけである。

 チョコに添えられた手紙を読むと、珍しいことに私の“よさ”を理解してくれている。希少な女性である。思わず何度も読み返す。そうか、私はこんなに立派なんだなぁ。胸を張りたくなってくる。42歳の私が不覚にも20代の女性の言葉に踊っている。

 もちろんこれはラブレターではない。しかし、ラブレターの基本ができている。つまり、「あなたの素晴らしい面を私は分かっている」ということが示されているのである。

 ラブレターの書き方にはツボがある。自分の相手への思いを書くのもいいけれど、それ以上に相手のいい面への理解や共感を示すのである。後者にラブレターの80パーセントくらい費やしていい。

 恋愛は相互理解である。「いやいや恋愛は相互誤解だ」という主張がないわけではなく、それなりの説得力を持ってはいるけれど、原則として相互理解であるべきだ。ということは、まず自分から相手に理解や共感を示すべきなのである。何に対して理解・共感を示せばいいかというと「いい面」「長所」「素晴らしい面」に尽きる。

 本気で好きになったら精神的な余裕がなくなるから、ついつい自分を相手に売り込むことに必死になってしまいがちだ。それはそれで初々しくもあるしやむを得ない面もあるのだけれど、ラブレターの基本は相手のいい面をすくい上げてそれに対する理解や共感を伝えることである。

 いい恋愛をしている男女の会話には常にこのラブレターの基本が含まれている。

最近のバレンタインデー

 中学1年の長女と小学5年の二女がせっせとチョコを作っていた。友達に配るのだという。バレンタインデーは同性の友達とチョコを交換する日なのだそうな。そのチョコを「友チョコ」と呼ぶ。

 渡したのに相手からもらえなかったり、用意していないのに相手からもらったりするとお互いにばつが悪い。そこでそのような事態を避けるため事前に打診し合う。本来のバレンタインチョコではないから、意外性は必要ないらしい。

 長女の場合、吹奏楽部の憧れの先輩(女性)からもらったと言って感涙にむせんでいた。疑似恋愛のようなものとすれば同性からもらっても感動するのだろう。私には理解できないが。

 思えば私が初めてチョコをもらったのは徳島市立助任小4年の時だった。チョコをもらってバレンタインデーの存在を知った。今でもその女の子の氏名を覚えている。元気かな、八重山さん。

 なお、アンチエイジング・ドクターの話によると、ブラックチョコはアンチエイジングにいい。空腹を紛らわせるためにせんべいやラーメンを食うくらいなら、ブラックチョコをひとかけら食べるほうがはるかに理にかなっている。そういう意味で、仕事に追われてまともに食事ができないという多忙な男性にはブラックチョコが現実的なプレゼントである。ゴディバのチョコと同じくらい喜ばれるに違いない。 

 

銀を飲む

 小さじ一杯ほどの銀を飲んだ。恐らく生まれて初めてである。

 無味無臭だが、水とは粘りが違う(ような気がした)。体内で吸収されないから、そのまま排出されるそうだ。

 米国の医師向けに流通している液体のサプリメントである。銀は免疫を高めるらしい。

 頑丈ではないという自覚がある私にとって、サプリメントは興味深い。事実、平日は毎日4時間少々の睡眠時間なのに、未だに風邪を引かない。咳き込むこともない。

 この睡眠時間では従来の私ならとっくに高熱を出して引っくり返っていたはずだ。高濃度のマルチビタミンを毎日取っているおかげとしか思えない。

 体力や健康に不安がある人は試す価値が十分ある。 

『ダカーポ』の間違い

 早稲田塾が大喜びしている。マガジンハウスの雑誌『ダカーポ』増刊号の「価値ある現役合格のための塾・予備校ランキング」で再び1位になったらしい。

 早稲田塾のチラシによると、10項目中7項目で1位になり、総合的に1位になったようだ。

 ところが、である。10項目を見てみると、「生徒ケア」や「環境」「進路指導」「新時代入試(推薦やOA入試)対応カリキュラム」「顧客対応」「大学との連携」「保護者フォロー」など、どうでもいい項目がずらりと並んでいるではないか。

 塾や予備校で唯一絶対に重要なのは「講師」である。講師がよければ教材が充実するし、生徒の実力向上に直結する。この項目で1位になっているのは河合塾だった。このあとを駿台と代ゼミが追う。つまり、3大予備校がいいということだ。

 『ダカーポ』増刊号が立てた項目には根本的な欠陥があると言わざるを得ない。

リクルート株

 リクルートの縁故株が入ったので1口50万円(1株5万円)で譲渡しますよ、という手紙が届いた。

 5〜6年前に取材した人からのお申し出である。1回しかお会いしたことがなく、その後今日まで何のやり取りもない。私のことを覚えてくれていて、さらに上場前の極めて優良な株を私に、というのは感動的である、のかもしれない、と言っていいだろうか。

 さて、どうしよう(笑い)。

柴門ふみさんのインタビュー

 昨年暮れに行なった漫画家の柴門ふみさんのインタビューを、私が関わっているNPO法人のサイトで連載中である(詳細はここ→http://www.anti-ageing.jp/cafe/hito/)。

 柴門さんの話を聞くと、年齢を重ねることが楽しくなってくる。例えば、上等なものを着こなせるようになる。人を見る目が養われる。

 「人を見る目」は非常に重要である。ただし、柴門さんが言っていたことだが、これはいろいろな経験を積んでいないと養われない。

 確かに「痛い目に遭う」ことと引き替えに「見る目」が養われていくように思う。「痛い目に遭う」ことを恐れていては人は成長できないということだ。経験が人を形成すると言ってもいいだろう。

 その最たるものが恋愛相手である。高校時代に好きだった人に同窓会などで会って「こんなのを好きだったのか」とガックリしたという話を聞く。それは、こちら側に「見る目」ができたということだ。

 成長した証しなのだから、相手に対してガックリするより、自分対して喜んだほうがいい。

買ってはいけない『飲んではいけない!サプリメント』

 サプリメントの人気が高まるにつれて、サプリメント叩きをする人が出てくる。それが正確な指摘であれば世の中の役に立つ。ところが、むちゃくちゃなものがある。笑えるので紹介しておこう。

 石堂徹生という人が書いた『飲んではいけない!サプリメント』(PHP研究所)がそれである。天災莫迦本である。

 メラトニンに関するページに、メラトニンのサプリメントで自殺を図ったという女性の話が出てくる。彼女は自殺するために3ミリグラム入りのカプセルを50粒飲んだそうな。

 結論。50粒も飲むな。

 私は3ミリのカプセル入りメラトニンを毎晩1粒飲んでいる。何の問題もない。彼女は自殺志願者だそうだから50粒飲んだのである。1粒程度なら気持ちよく眠れるだけで、死ねるわけがない。

 筆者は<メラトニンを一度に大量に摂取した場合にはどうなるのか。実はよくわかっていないようだ>と書いた直後に<しかし、彼女は意識障害を起こしていた。病院で治療を受けていなければ、命を失った可能性は高い>と結論づけた。

 <よくわかっていない>のに、なぜ<命を失った可能性は高い>のか? それに50粒も飲めば意識障害(当然眠るから意識はなくなる)くらい起きるってば。

 筆者は<サプリメントのメラトニンで自殺ができるのか。物騒な話だ>とも書いている。一方で<よくわかっていない>としながら、自殺できるかのようなニュアンスを記して、<物騒な話だ>と感想を書いた。もうめちゃくちゃ。

 50個も飲む女性のほうが物騒だし、そういうことを無視してメラトニンの不安をあおるだけの書き方こそ物騒な話だ。

 かつて莫迦売れした『買ってはいけない』系のお粗末本である。PHP研究所はこんな天災莫迦本を出すんだなぁ。

「風の息づかい」は非科学的か

 JR羽越線転覆事故について昨年12月27日付『毎日新聞』社説の「風の息づかいを感じていれば、事前に気配があったはずだ」という指摘が問題視されたため、『毎日』は2月7日付紙面で取り上げた。

 この事故は、毎秒約20メートルの風が吹く中、橋梁を時速約100キロで渡ったことが転覆につながったと見られている。

 社説の「風の息づかい」は非科学的だというのが批判の内容である。そうだろうか。

 風は呼吸をする。強くなったり弱くなったりする。登山をする人なら知っていることだし、日本海側を走る列車の関係者なら当然体感しているはずである。実は科学的な話なのである。

 風速計が示す数字に問題がなくても、冬の列車運行では風の呼吸に神経を使うべきではないか。ましてや時速100キロで橋梁を通過するのだから、突風が吹けば転覆する可能性があるという認識くらい持っているべきである。その程度の繊細さを持っていないのであればそれこそ問題だ。そういう目配りが関係者になかったから今回の事故につながったと言いうる。

 風速計に責任の一切を預けてしまっていいわけがない。

 

恋愛のハウツー

 恋愛に関するハウツーを売り物にしたメルマガなどがある。そのノウハウを有料で販売している人さえいる。しかし、そんなものを買うだけ阿呆である。

 人によって趣味も考え方も育ち方も異なる。Aさんに通用した恋愛のノウハウがBさんにもCさんにも通用する、と考えるのは浅薄としか言いようがない。

 ただ、ハウツーと言うべきかノウハウと言うべきか、ひとつだけ言えることがある。相手に真正面から向き合うことだ。この原則さえ守ればいい。相性がよければ前進できるし、相性がよくなければそこでおしまいである。相性のよくない相手に奮闘しても時間の無駄である。それなりの人生経験にはなるかも知れないが。

 恋愛を難しく考えてはいけない。しかし、ハウツーのような軽薄なものが役立つほど甘いものではない。

成績の上げ方

 高1の長男が共通テストの英語を学校で解かされた。結果は169点だった。リスニングはすべてできたという。高1ならまずまずの得点だろう。

 この点数が取れた理由ははっきりしている。私の指導がよかったからである。私自身の大学受験と予備校講師の経験を踏まえて、英単語と英文法、英文解釈の勉強に関して、具体的に「これを使え」と教材を指示した。つまり、長男は最善の教材を使ったから一直線に実力がついたのである。これは私の指導が適切だったことの証明にもなる。

 私は自慢話をしているのではない。

 成績が上がらずに悩んでいる生徒は、いい指導者やいい教材に出会うべく最大限の努力をした方がいいと言っているのである。いい指導者やいい教材に出会えば、確実に力はつく。

 その証拠に、私が小学校以来苦手で高1の3学期以降はほとんど0点を維持した数学には、長男も悪戦苦闘している。理数系の科目は私自身が勉強をしていないから、本屋で参考書を見てもよしあしが判断できない。したがって長男を指導できない。

 理数系については本人が道を切り開くしかない。実は子供にすべてを与えて楽々と近道させることは子供自身にとっていいことではない。自分で開拓していく経験は将来仕事で活きてくる。子供を悪戦苦闘させるのも親の仕事なのだ。

人を大切にしないとこうなる

 駿台予備学校講師である化学の鎌田・橋爪、日本史の野島の名前を知らない受験生はもぐりである。それくらい有名な実力講師たちが今春から東進ハイスクールで講義をすることになった。

 受験生は大騒ぎをしている。そりゃそうだろう。予備校は学校名ではなく講師が命なのだから。

 それにしても駿台予備学校からは人材の流出が止まらない。最近の若手講師には組織への忠誠心が欠けるのかもしれないが、それ以上に駿台予備学校の人心掌握に問題がありそうだ。優秀な講師に格別の待遇をしていないとしか思えない。

 人は石垣、人は城。武田信玄の言葉を持ち出すまでもあるまい。人材流出はじわりじわりと経営面をむしばんでゆく。受験界随一の講師陣を誇った駿台予備学校は崩れてゆくのだろうか。

上司と部下

 小さな企業で部長職をしている友人が浮かぬ表情でやってきた。「部下の女性社員を怒らせてしまってね。取りつく島がない。これで何度目のことか」

 私は友人に聞いた。その部下をお前はどう見ているんだ?

 「必要な仕事仲間だよ、もちろん。だから、そいつを育てたいと思っているんだけどね」

 部下を育てようという積極的な意識と意欲、余裕が上司には最低限必要である。その根底には部下に対する信頼感や善意がなくてはならない。

 その昔、私が『週刊金曜日』を発行する会社で勤めていたころの話である。仕事でワープロを打っていたところ、近くにいた上司(元朝日新聞論説副主幹)が「ニシノ君のワープロを打つ音がやかましくて新聞を読めない」と怒鳴られた。確かに私がキーを打つ音は小さくない。ただしそれには理由がある。私は両手両指を駆使してキーを打つことができない。両手の人差し指だけでキーを打つのでどうしても強く叩くことになり、音が大きくなるのである。

 余談ではあるがあえて記録しておくと、当時その会社の社長だった本多勝一さん(元朝日新聞記者)はこの「上司」を全面的に擁護していたものである。

 話を戻そう。この上司が私に対して信頼感や善意を持っていれば、このような怒り方は絶対に出てこない。部下に対して憎しみや嫌悪があるから些細などうでもいいようなことに過剰反応するのである。

 「私は部下に対して憎しみや悪意は持っていないんだがなぁ。そもそも彼女を憎んだり悪意を抱いたりする理由がない。仕事仲間なんだから」。そう言って友人は笑う。

 人の感情は計り知れないものがある。友人の部下の真意は私にも分からない。それでも、上司である友人が部下に対して憎しみや悪意などのマイナスの感情を全く抱いていないのだから、実は彼女は幸せ者である。ただ、肝心のそのことに気づかないのは不幸と言うしかない。根底に横たわる感情さえ見極めることができれば、このような行き違いは生じないはずだし誤解は氷解するはずである。ということは友人はいっそう奮起して誤解を氷解させる努力をするしかない。

 「何? もっと私が努力する必要があるのか? 仕方ないなぁ。それにしても人間てのは面白い生き物だ」。友人は笑いながら帰って行った。
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