同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

嗚呼おっさん

 徳島の友人から「サザンのライブの写真送ってこい」と言われたので、ライブTシャツを着た雄姿を送ってやった。マイッタカという勢いで送ってやったのだが、返ってきた感想はひとこと、
「どこからどう見てもおっさんやなぁ」。

 う。痛いところを突いてくる小磯め。

 しかし、反論する気はない。反論できないのだ。

 私の頭の中に浮かんでいた私のさっそうとした顔かたちと、スマホで撮った私の顔かたちのギャップがありすぎて、なんじゃこりゃ。わしはこんな初老風のおっさんだったのか。

 男は自分の顔を鏡に映してしみじみ見ない生き物である。ある日突然自分の老いに驚く男が全国各地に生まれているかと思うとうしししし。

映画『赤目四十八瀧心中未遂』は駄作

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 車谷長吉さんの直木賞受賞作『赤目四十八瀧心中未遂』を私は恐らく100回以上目を通していて、映画を恐る恐る見た。ひとことで言えば駄作である。

 この小説につきまとう不気味な通奏低音を、人形と暮らす老夫婦に仮託したのは名案だと思う。しかし、この仕掛け以外はすべて期待を大きく下回った。映画にも文学にも詳しく批評能力の高い友人に聞いたが同じ感想だったので私は自信を持って言う。駄作である。もう少し具体的に言えば中途半端。谷崎の『卍』の映画も冒頭数分で欠伸が出たが、そもそも名作を映画化するのは無理があるのだ。

 俳優も無理があった。アヤちゃんはぞっとする美しさを持つ女優が演じなければならないのに脱ぎっぷりのいい寺島しのぶを持ってきた。壇蜜か亡き夏目雅子か、背筋が寒くなるくらいの美しさを持つ女優でなければ務まらないのがアヤちゃんなのに。

 主役の生島を演じた男優はハンサムすぎて合わない。トレンディードラマ向きなのになんで? セイ子ねえさん演じた大楠道代を私は買うが、大阪弁が下手だと友人は言う。この友人は「なぜ大阪の俳優を使わないのか」と言っていて、思わず納得した。眉さんが内田裕也というのも、その意気は買うが大きな溝を感じた。内田裕也は線が細すぎる。

 小説ではドキドキする場面(電話ボックスに5万円取りに行く場面と拳銃を事務所に持っていく場面)を映画ではあっさり描いてしまい、あーあと言うほかない。

 この映画はいろいろな賞を与えられた。例えば、第58回毎日映画コンクールは日本映画大賞、女優主演賞(寺島しのぶ)、女優助演賞(大楠道代)、撮影賞(笠松則通)、スポニチグランプリ新人賞(大西滝次郎)だって。

 きみたち原作読んでないな。

 

歯医者でのレントゲン

 定期検診で歯医者に先日行った。「1年撮ってないのでレントゲンを」と歯科衛生士に言われ、まずレントゲン。

 そのあと歯科衛生士によるチェックとクリーニング。最後にレントゲン写真を見せられて「問題ありません。今度は半年後に」と言われておしまい。

 歯医者は出て来なかった。

 歯科衛生士だけで4500円稼いだわけで、これが歯医者として正しいのか金儲けに走っているのか私には判断できない。

 マスクをした歯科衛生士の顔の上半分がかわいかったからよしとする、か?

逃走者をかくまった男に侠気あり

 横浜地検が収容しようとして逃走した小林容疑者を自宅アパートかくまったとして逮捕された知人の男、私は好きだな。どういう理由でかくまったか知らないが、かくまうことで自分も罪に問われると分かった上でそうしたのなら、ますます好きになる。

 法律に反していいと言っているのではない。しかし、そういう気風(きっぷ)には拍手を贈る。

 私ならどうするだろう。友人が「かくまってくれ」と逃げ込んできたら、とりあえずかくまうわな。そのあとで自首を勧めるだろうが、本人が自首したくないと言えば次の場所に逃がす手伝いをするだろうなぁ。

 ただし、(1)年賀状のやり取りをしているくらい近い友人知人、(2)無期刑を科される犯罪ではない、くらいを条件にするかな。

 かくまったとして逮捕された男は沖縄の名字なので気になるけれど、その侠気やよし。

沖縄県慰霊の日の『琉球新報』特報と1フィート運動

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 iPadでニュースを見ていて「おー!」と声が出た。沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会が制作した記録映画『沖縄戦・未来への証言』に写っていたぶるぶる震える子供が誰か分かったというのである。

 昭和の終わりの2年ほどを沖縄で暮らした私は1フィート運動の会に出入りし、上映活動を手伝った。会場からため息や悲鳴などの反応が出る場面の1つがこれ、不安げな表情でぶるぶる震えている子供のシーンだった。

 那覇市小禄在住の女性(81歳)が私ですと名乗り出たという。那覇市小禄なら友人が住んでいる。

 報じた『琉球新報』によると女性が名乗り出たと書いてある。しかし『沖縄タイムス』には載っていない。『新報』の記者に女性が何かで出会って話したのか。いずれにしても特報である。

 1フィートの『未来への証言』には米軍によって井戸から子供らが助け出されるシーンがあり、その場所はどこかと探していた記者もいた。30年以上前の話だが、場所が特定できたという話はまだ聞かない。

 ジグゾーパズルであればピースをすべて埋めることができるのだが。

 今日は6・23。沖縄県慰霊の日。

宇宙人に出会っていいのか

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 NHKでこんなのをやっていた。

 今までの私なら賛成していた。かつてセチアットホームに参加したし。

 しかし、先日何で読んだか、あのホーキンス博士は宇宙人に出会うことを否定していた。宇宙人に出会っても顔を合わせないほうがいいという趣旨の発言も残していたはずだ。

 その理由は、宇宙人が善意の生命体とは限らないからだという。言われてみればそのとおりで、野蛮な生命体だったら地球人はおしまいになる危険がある。宇宙人との出会いはロマンで片付けるわけにはいかないのではないか。

 その辺のことを専門家はどう考えているのだろうか。と書いたけれど、宇宙人の専門家、いないよなぁ。

ウェブテスト、カンニングされてまっせー

「お父さん、ちゃんと働けよ!」

 次女に叱られた。私に似て性格がきつい。カリカリしているわけは、次女が就職か見習い志願のためにウェブテストを受けるのに私がのらりくらりしていたからである。私は何も関係ない、はずだった。ところが……。

 パソコン画面に出てくる問題文の一部を次女が読み上げ、私が別のパソコン上のエクセルだかワードだかに打ち込むと答えが出る。それを次女に伝える。

 答えが出ない場合もある。そんなとき次女は「捨て問だ」と叫んで次の問題に進む。

 どういうことだ? ウェブテストのあと全体像がうっすら見えた。

 ウェブテストを作る会社があり、企業はそこからウェブテストを買う。ウェブテストはアットランダムに出るのかもしれないが詳細は不明。

 一方で大学生は正解を割り出して問題文と正解をデータベース化する。

 問題は読解力を問う分野や数学的処理を求める分野などがあり、国公立大の大学生と私立大なら理系が間違いなく有利だ。私立大の文系は明らかに不利(笑い)。

 つまり、ここで大学の選別が自然に行われる。大学名ではなくウェブテストで落としたという言い訳を企業は主張できる。大学生がこういうデータベースを持って対応していることくらい企業は承知しているだろう。しかし企業はそれでいいのである。

 国公立大や理系の学生はいいなーと思ってしまいそうになるが、その先がまだある。

 例えば九州大法学部の学生ならみんな同じデータベースを手に入れることができる、というわけではなさそうなのである。そのデータベースはサークル内で伝わったり友人間で伝わったりと少数の学生に細々と伝わる。なぜなら、同じ大学の学生同士で競争になるからだ。例えば巨大製薬会社の1つの部門(採用数2〜3人)を慶應大薬学部の学生だけで100人くらいが受ける。

 ここでもう1つ分かったことがある。売り手市場と言われるけれど、それは中小企業の話であって、いわゆる大企業は激戦なのである。

 何だかなー何だかなー何だかなー。疑問符が相次いで浮かぶ。

 なお大手商社は試験場に来させてテストを受けさせるという。このほうが公平ではある。

「お父さん、ブログに書いちゃ駄目だよ」

 すまん。書いてもた。

 そんなしょーもないテストを課す企業に行く価値はないのである。そもそも大企業に入っても定年まで安泰ではない。IBMがパソコン部門を切り離して台湾企業に売ったりシャープが身売りしたり三洋電機が消えたり、パイオニアも東芝もブリヂストンもパナソニックも確か社員に退職を迫って嫌がらせをしたりした。大企業であればあるほど、箱に詰め込まれて外から揺さぶられ、しみじみと無力を味わう。

 渡り歩くことができる能力がこれからの社会人に必須ではないか。それがどんな能力なのか、自分で考えたまえ。ワシには分からん。

サザンオールスターズ40周年ライブで「くわたー!」と叫ぶまで

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 歌い手が豆粒くらいにしか見えないライブに行くよりDVDを見るほうがいいという長年の考えが覆ったのは数年前の桑田佳祐の徳島ライブである。いろいろなライブに行っている次女が徳島までくっついてきた理由がよく分かった。あの一体感や高揚感はDVDでは味わえない。

 サザンオールスターズのファンクラブに入会し、満を持して迎えた40周年ライブである。札幌は遠いので辞退したが、西武ドームと名古屋ドーム、東京ドームでのサザンオールスターズ40周年ライブに行き、ライブの楽しみ方を習得した。

 まず服装である。ツアーTシャツとオープンカラーシャツ、リストバンドを買って、外見でサザンのファンだぞ宣言をした。サザンのシャツを着ている人に目が行く。ビビビと通じ合うのである。服装は簡単だ。着ればいい。

 最も大事で難しかったのは「くわたー!」だった。徳島ライブで「くわたー!」という叫び声は聞いた。しかし自分が叫ぼうとは思わなかった。

 西武ドームのアリーナ席で2人隣の男が「けーすけー」と1回叫んだ。ふーんと思った。

 名古屋ドームはアリーナ席で、後ろのほうから「くわたー!」という男の声や「くわたさーん!」という女の声が時々聞こえた。拍手や手拍子をするだけではもの足りないと感じた。しかし、四捨五入したら60歳になる私が叫ぶのもなぁというためらいがあった。

 東京ドーム初日、1階席で1回だけ「くわたー!」と叫んでみた。ちょっと恥ずかしさがあった。しかし拍手や手拍子をするだけではやっぱりもの足りないのである。できるならステージで踊りたいがそんなの無理だし。阿波踊りの教訓であり私の人生訓である「同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」が頭をよぎる。

 東京ドーム2日目はライブ千秋楽である。もうあとがない。1曲歌い終わるたびに「くわたー!」と叫んだ。3回くらい叫ぶところまでは周囲から「やかましい」という苦情が来るのではないかとジェントルマンの私は気を使ったが、何のクレームも来ない。あとは慣れの問題だったが、3回叫んでいたのでもう慣れていた。

 それからは曲が終わるたびに「くわたー!」。原由子が歌ったときは「はらぼー!」。最高潮に達した『勝手にシンドバッド』のときは「くわたー! くわたー! くわたー!」と3回。

 2階の上のほうの席なのでステージに届くわけがない。そんなの最初から分かっている。要は自分がどうすれば参加感の手応えを得るかなのである。

 よしっ!

 私より7歳ほど年上の桑田佳祐を呼び捨てにするのもなぁと思いつつも、まぁ許してくれるだろって誰が?


 

 

 

田辺聖子さんの思い出

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 芥川賞作家の田辺聖子さんが近くにいるのを見つけて声をかけた。

「あの、記念写真を一緒に撮りたいんですが、あそこに動いていただけますか」

「いやや」

 そう来たか(笑い)。

「ほな私たちがここに動いて来てええですか」

 無事に許可をもらい、みんなを移動させて撮った1枚がこれ。一緒に踊っていた国立音大の女の子たちが画面の多くを占めたのは、カメラマンをさせていた弟(当時高1くらいか)が色気に目を奪われたせいだろう。

 1984(昭和59)年8月だから、私は21歳直前か。若いなぁ(しみじみ)。

 当時の田辺さんは「かもかのおっちゃん連」とかいうのを作って毎夏踊りに来ていたはずだ。

 享年91。ご冥福をお祈りいたします。


 

個体差はDNAの仕業

 カメラなどの工業製品でさえ個体差があるのだから、生物である人間の個体差はいったいどれだけあることかと感じてきた。NHKスペシャル『人体供戮聾賃虜垢鮖覆襭庁裡舛力辰鮠綣蠅砲泙箸瓠個体差の原因を説明してみせた。

 たまたま養老孟司先生が6月9日付『毎日新聞』朝刊書評欄で『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』(紀伊國屋書店)を取り上げて<生物学はワトソンとクリックによるDNA分子構造の決定以降、ほとんど遺伝子系に関する生物学になった。遺伝子系は情報系であって、神経系は遺伝子系が生み出す別な情報系である。つまり生物学は神経科学を含め、情報系の学問になった>などと書いていて、『人体供戮判鼎覆襪箸海蹐ある。

 40年ほど花粉症に苦しんできた私はビラノアのおかげで完全に抑えることができ、身近な人たちに勧めたところ、私と同じように完全に抑えることができた親子もいれば、全く効かない人もいて、これはきっとDNAレベルの反応なのだろうと薄々感じていた。

 DNAが完全に解明されて人間に応用できる日がいずれ来るのだろう。難病に苦しむ人に適用されて治療できれば安楽死希望者は激減するのではないか。身内や友人らに難病を抱えている人たちが数人いるので、祈るような気持ちになっている。

父の日禁止令

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 自分の子供たちには折に触れて伝えてきたが、1カ月ほど前にあらためて念を押した。「母の日に君たちの母親には各位プレゼントを。なお、何遍も言うてきとるように、父の日プレゼントは今後も絶対に無用。そんな金があるなら例えば国境なき医師団にでも寄付し」

 子供に「ありがとう」と言われたいか? 感謝されたいと思って子供を育てたか? 子供からプレゼントが欲しいか? 多くの父親は「まさか」と首を横に振るだろう。

 全国一律で子供に親への感謝を求める風潮への烈しい違和感もあるけれど、子供を手塩に掛けて育てて「はよ家から出て行け。戻って来るのは罷り成らん」と追い立てて自立したら「終わりッ」が父親だと私は確信している。


 

人間は自分が見えない


 あるクリニックで。

患者「最近は高齢者が運転する車の事故が多くて、ぼーっと突っ立ってられない。いやになるよ」

看護師「ほんとだよね。巻き込まれないように気をつけないとね」

患者「俺の運転ならあんな事故は起こさない」

 患者さん83歳。

看護師「まだ運転してるんだ」

患者「俺はあいつらと違う」

 看護師は「そういう慢心が事故を起こすんだよ」とは言えなかった。


 ある施設で。

お年寄り「ここは年寄りばっかりでたまったもんじゃない。腰曲げてよちよち状態で歩いているのは見苦しい」

家族「おばあちゃんも年とってんだぞ」

お年寄り「あしたしは違うわよ」

 おばあちゃん93歳。このあと97歳まで生きた。

 人間は自分が見えない生き物なのかもしれない。

懐かしいダンゴムシ

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 50年ほど前だからもう半世紀か、当時住んでいた徳島市の家の庭でダンゴムシをつかまえて遊んだ記憶がある。そのダンゴムシである。いやぁ懐かしいなぁ。

 よーく見ていると、あちらこちらにダンゴムシがいる。アリもいるしムカデみたいな虫もいる。大賑わいの土である。造園業者が消毒液や殺虫剤を撒いてない賜物だな。

 マンションに花壇を新設した。理事長の率先垂範ということで花摘みや枯れ葉拾いを時々やるようになった。これが何とも楽しい。無心になって世話をするだけで手軽な気分転換になる。こころ洗われるとまでは言わないが、和むなぁ。

 何も考えない時間が自然に生まれるところが土いじりの魅力だとするとランニングに似ている。


  

性犯罪者は宮刑に処す

 強姦や準強姦、痴漢などを冒した男への手ぬるい刑をどうすればいいか考えていて、思いついた。そうだ宮刑にしよう(どこかで聞いたようなリズムだが)。

 実現不可能なのは承知の上。しかし、それくらいの刑を科していい。強姦は逮捕1回で、準強姦は逮捕2回、痴漢も逮捕2回で宮刑である。

 ある意味で死刑よりえぐい。だからいいのである。

 殺人1人も宮刑送りでいいのではないか。

 ウィキペディアによると、米国では一部の州で性犯罪者に対して本人の希望などで実施されているそうな。日本でも昔々ペニスを切断する刑があったとか。なんまんだぶなんまんだぶ。


『富士山噴火と南海トラフ』が示したのは


 2030年プラスマイナス5年。もうすぐである。カウントダウンはすでに始まっている。東海から近畿、四国で海溝型地震が、それもマグニチュード9クラスが発生する可能性が極めて高い。被害は3・11の比ではない。

 これが京大大学院の鎌田浩毅さんの新著『富士山噴火と南海トラフ』の結論である。早ければ2025年に南海トラフ巨大地震が起きるわけで、該当地域に住んでいる人は引っ越すか、せめて海岸や河川から離れて住むことを行動に移すべきである。

 私は日本各地にあるカルデラ噴火跡が気になっている。再びカルデラ噴火を起こしたらそれこそ一巻の終わり。皆さんお元気で。

現代の“極限の民族”

 打越正行さんの『ヤンキーと地元』が話題になっているると知って、数年前に土門拳賞を受賞した写真集『新宿迷子』を思い出し、さらに本多勝一さんの極限の民族三部作が頭に浮かんだ。すべて同じジャンルとして串刺しにできる。そのジャンルは“極限”である。「極限」ではなく“極限”ね。

 内部のことを外に向けて発信することなど考えたこともない人々が棲む狭い世界がある。その狭い世界に棲む人々は外に向けて伝える言葉やカメラなどの手段を持っていない。持っていたとしても外に向けて伝えようとは思わない。

 その狭い世界に外部から言語やカメラなどの手段を持った人が入っていき、そこから記事や本、写真にして外に向けて発信したのが上記の作品に共通する。

 その狭い世界に棲む人たちは「え? わしらの日々が珍しいんか?」とびっくりする。「これ、わしらには普通なんやけど」と言ってこちらを不思議そうに見る。

 狭い世界は知識教養嗜好階層の餌あるいは慰み物になる。

 本多さんの極限の民族三部作の現場に今では誰でも行けるぶん価値が落ちてしまった。知識教養嗜好階層は日々に飽きるのが早いので、いつも新しい“極限”を探す。その網に引っかかったのが『新宿迷子』や『ヤンキーと地元』などが見せてくれる狭い世界なのである。

 これは小説の世界にも当てはまる。書くべき対象はもうほぼ書き尽くされている。古くは『太陽の季節』がそうだ。あの時代の最先端の湘南の若者の世界に慎太郎が入って行って「こんな若者いてまっせー」と小説にして向かって発信した。

 次はどの世界が餌食になるのか。

 表現者は日々探している。自分のために。

防犯カメラと『一九八四年』

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 防犯カメラが街に増えはじめたころ、『一九八四年』を引き合いに警戒感を示す声があった。『オーマイニュース』でデスクをしていたとき私に回ってきた市民記者の原稿もその類で、東京・神田の商店街に防犯カメラが設置されたことへの警戒感を書いていた。その市民記者に電話をかけて、原稿の不備を伝えた。根拠のない一方的な思い込みではないかなどと話したような記憶がある。

 防犯カメラが人権を侵害するとか個人情報を国家が集めているだとかの反応には少し首をかしげてきた。仮に国家が個人情報を集めているとして、だから何? その先の国家の悪意が私には見えなかった。

 撮られても私は全く気にならない。国仲涼子ちゃんや川口春奈ちゃんとヒミツのデートをしていたとしても「別にぃ〜」である。私が無神経なのかもしれない。しかし過剰反応もなぁ。

 防犯カメラへの警戒心を持つのは『一九八四年』の影響が大きいのではないか。そう思っていたので、ようやく先日読み終んだ。今読んで思うのは、『一九八四年』の舞台は今の中国や北朝鮮に近いということだ。日本や米国、西欧ではこの小説が設定した政治基盤と違いすぎる。

 防犯カメラは刃物や拳銃、車と似ている。それ自体が危険なのではい。誰が、どう使うか、なのである。

 その後防犯カメラが犯人逮捕に役に立ったという話ばかりが報じられている。実際そうなのだろう。防犯カメラへの不安や批判を聞かなくなった。

 やっぱり。ね。
 

おいしさを求めてコーヒードリップ追究

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 私の舌に合うコーヒーを飲みたい。いろいろ試行錯誤している中で最近注目しているのがドリップである。極端なことを言うと1杯分のコーヒー粉より5杯分のコーヒー粉で淹れるほうがうまい。コーヒー粉の膨らみ具合が全然違うのだ。1杯分と5杯分では単純に5倍の違いがあるので膨らみ具合が違うのは当たり前ではあるが、銀座の有名なコーヒー屋(名前忘れた)のカウンターで見ていると客の注文以上の分量を淹れているし、多めのコーヒー粉で淹れることを勧めるコーヒー屋もあるので、私の感覚を裏づける。

 私はふだん3杯分淹れる。ところが自宅にあるドリッパーのすべてが1〜4杯のドリッパーで、3杯分のコーヒー粉で淹れようとすると膨らみが大きくなってドリッパーからあふれそうになる。これでは十分に膨らませることができない。

 というわけで4〜8杯分のドリッパーを買った。これで3杯分を淹れると、十二分に膨らませることができる。満足である。

 味? うまいような気がする。正確な比較はできないのであくまでも私の感覚だが。


 

大地震の危険性に全く触れない奇妙な新聞記事

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 影響が大きいからとか地価を下落させてしまうからという言い訳をするのだろう。しかし、新聞が書かないのはある種の嘘情報を流すことになるという自覚が……ないのだろうなぁ。

 選手村のマンションは買いか否かという27日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面の特集記事だが、埋め立て地のマンションなんか買ったらあかんでしょ。首都直下地震や南海トラフ地震の影響を受ける可能性が高いんだから。

 命に関わる話を避けてあーだこーだ書く記事に何の意味があるのだろう。傾きでもしたらその後のローンの支払いどうすんの。危険性を書かないと加害者だぞ。

立木義浩写真展で見た小説家の素顔

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 徳島が生んだ写真家・立木義浩さんの写真展はおびただしい写真を見ることができる。その中で「あー! うまい!」と感嘆した写真が2点あった。1つは開高健さんがいたずら小僧のような顔で写っている写真で、確か本人が大のお気に入りと書いていたような。そうか、立木さんが撮ったのか。

 もう1つは瀬戸内寂聴さんの写真である。寂聴さんの写真は5点。引き延ばされた写真が真ん中にある。寂聴さんが焦点を定めたような定めていないような目で何かを見つめているようないないような、そういう顔をしている。寂聴さんは笑顔のおばあちゃんという印象が一般的だが、実はこの昏さが寂聴さんだと私は思う。ずっと抱えて藻掻いて藻掻いてしてきた修羅をじっと見つめて自分を切り刻む顔である。

 ほかのも有名人の写真が数多く展示されていて、有名人というだけで写真の価値に下駄を履かせてもらったようなものだからそこは評価の対象にしないが、開高健さんと瀬戸内寂聴さんの2点だけは見た甲斐があった。

 
 

阿波踊りはムズカシイ


 私は阿波踊りが大好きだが、自己流である。いわゆる有名連の踊りと私の踊りと何か違うように感じるのだが、何が違うのか分からない。というわけで40年近く自己流で踊ってきた。

 そこに救世主が現れた。上京してきた小磯である。職場の上司か何かが娯茶平連の踊り手で、折に触れて教わったという。「わしに今すぐ教えてくれ」とすがりつき、東京・品川の雑居ビルの1階フロアで即席講習をしてもらった。

 手の動きと足の運びに基本型があると知った。およそ二拍子ごとに小さな小さな“決め”を一瞬するのである。この基本を知らないので私の踊りはダラダラしたものに見えてしまうようだ。

 音楽に合わせなければならないのだが、ノークラッチの車に初めて乗るのに似た難しさがある。足の運びを意識してしまうとうつむき気味になって手の動きがちぐはぐになってしまい、手の動きを意識すると足の運びがメロメロ。それでも必死こいて踊っていると、小磯が時折「うまい」と言う。実際は私の踊りが「うまい」わけはなく、私の手と足が阿波踊りの基本型にたまたま重なったのだろう。つまり、そういうことなのである。手の動きの基本型があり、足の運びの基本型があるのだ。

 腰を落とすとけっこう苦しい。足がもつれてよろける。ランニングとは使う筋肉が違うのであるから仕方がないというのは言い訳だが、姿勢は苦しい。しかし楽しそうな顔にしなければならないと小磯の厳しい指導が続く。自分が基本型で踊ってみて初めて難しさがよく分かる。

 今から思うと人通りのあるあんな場所でよくまぁ1時間も練習してしもた。阿波踊り愛である。毎日でも踊りたい。

 こうなったら(どうなった?)姿見を買わなければ。

マンションの防犯カメラが役に立った

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 過失運転致死傷事件の裏取りで茅ヶ崎署員が道路添いの防犯カメラ映像をしらみつぶしに調べていた。私が住むマンションの防犯カメラに当該バイクが映っていたそうで、このような役に立つとは。

 警察官の仕事を間近に見るのは久しぶり。何とも地道な仕事をしていることに敬意を表せざるを得ない。貴い仕事だ。だから警察は繰り返しドラマになるのだろう。

 私は子供のころお巡りさんになりたかった。三つ子の魂百までだなぁと思う今日この頃である。

五木寛之さん『七〇歳年下の君たちへ』


 灘高生との対話をまとめた本である。帯にこう謳う。<超難関校の少年たちへかつてなく深く、やわらかく伝えた人生のピンチからの脱出術>。

「難関」に「エリート」のルビが振られていて、私は首をかしげる。難関校がエリートなのかと疑問を抱かない編集者の凡庸に。ただペーパーテストができるだけの人間を何か全能のごとく「エリート」と喝采するのはもうやめよう。「まえがきにかえて」で五木さんが<エリート高の卒業生が、必ずしもエリートの道を歩むとは限らない。人生は不条理にみちている>と記しているとしても、だ。

 私が編集者なら灘高生ではなく荒れまくっている高校生に五木さんを立ち向かわせる企画を出す。教育から落ちこぼされた子供を五木さんの声がどこまで届くのか、どんな反応が返ってきて、五木さんがどう答えるか、そこを見たい。レールから外されてしまった子供はなかなか発言しないかもしれないが、いろいろな経験をしてきた五木さんならそのこころに分け入ることができるのではないか。ふてくされた顔で「あんた誰?」と突っかかる子供と対峙することで五木さんの中に今までと異なる何かが生まれるのではないか。

 二葉亭四迷の「ふさぎの虫」の話が私には興味深かった。私も1匹飼っているような気がする(嗤い)。

五木寛之さんの『大河の一滴』を今ごろ読んで


 小説家が書く人生相談には深いものがあると気づいている人は読んでいる。と私は気づいた。小説家に限らず、苦労した年長者の話には頷くことさえ忘れてしまう含蓄があるので、私は好んで聞く癖がある。

 ミリオンセラー本なので距離を置いてきたが、今読むからこそ分かるんだろうなぁ。五木寛之さんの『大河の一滴』(幻冬舎文庫)である。

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 外地での敗戦と引き揚げという大きな体験のなかで、私はいちじるしく自分の人間性を歪めてきたと思わないではいられない。多くの心やさしい人たちの犠牲のうえに、強引に生きのびて母国へ帰ってきたいかさま野郎がこの自分なのである。いま、そのことをまるで忘れてしまったかのように大きな顔をして生きていることを、ふとした瞬間につくづくおぞましく感じることがある。
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 自分をいかさま野郎と唾棄する魂に私は身震いする。こういう人の言うことは信じることができる。

 五木さんの本は『青春の門』以来ご無沙汰だったので、久しぶりに何冊か読んでみようっと。

湘南国際マラソン地元枠に応募し忘れ

 ああ何てこった。さっき原爆ドーム周辺をランニングしながら「そういえば湘南国際マラソンの募集、ぼちぼちちゃうか。ホテルに戻ったらパソコンで確認しよ」と思ったのに完全に忘れていた。

 いま(22時45分ごろ)思い出してパソコンで調べてみたところ、地元枠の申し込みは今日の20時から。先着順なので、もう締め切っていた。あっちゃぁー。20時に私はホテルの部屋で晩飯を食ってた。再び何てこった。せっかく思い出したのに。

 最近は三歩歩いたら忘れる鶏頭。6キロほど走ったらそりゃ忘れるわなと自虐で慰めるしかない。

 こうなったらあしたの地方優先枠や25日の一般枠を狙うしかない。

車谷長吉さんの飆風忌

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 2015年5月17日の朝、車谷長吉さんは搬送先の日本医科大病院高度救命救急センターで亡くなった。配偶者で詩人の高橋順子さんが千葉の朝日カルチャーセンターで先日「飆風忌にしようと思う」と明かし、今日が初の飆風忌である。

 どこも報じていないようなので、これは文学界のささやかな特ダネだ。

 この日のその時間帯、偶然だが『車谷長吉全集』第3巻を読んでいて、残っていた最後の「私小説」と「現代の隠者」という短いエッセイを読み終えたことで全3巻の全集を読み終えた。1週間ほど前から「もしかして」と思っていたのでこの時宜に驚きはなかった。しかし、車谷さんふうに書けば、この奇縁は何ごとかではある。こじつけだが。

 車谷長吉さんの飆風忌。自作である。自然に五七五になっている。据わりがいい。

 

祝! スポニチ常務

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 人事は人がやることなので恣意が入ると三和総研のナンバー2がよく言っていた。恣意が入った人事でもうれしい人事が時々ある。

 私のフリー時代にお世話になった石井さんがスポニチの常務になった。ナンバー3である。社長は毎日新聞社から来るので、生え抜きとしてはナンバー2だ。

 石井さんから学んだことがいくつかあり、一番どうでもいい思い出を挙げておくと、私は生まれて初めて石井さんに指摘された。

「西野さん、気短いでしょ」

 打ち合わせをする直前のことだった。私ほど温厚で気の長い人間はあまりいないと当時は本気で思っていたので、実は大変驚いた。打ち合わせに来る人が遅れるという連絡が入り、早めにスポニチに来ていた私は「打ち合わせに何で遅れる?」と顔に出たのかも知れない。

 スポニチのデスクから電話がかかってきて不愉快な気持ちになったことがある。それを横で聞いていたのだろう、部長だった石井さんがすぐに電話をかけてきて「いやな思いをさせてすみません」とすくってくれたことを刻んでおきたい。

 こころからお祝い申し上げます。


 

『失言防止マニュアル』自体が失言なのに

 いや、嗤うてもた。自民党が議員らに『失言防止マニュアル』を配ったことがバレたわけだが、そんなしょーもいないもん作ってバレたこと自体が失言やないか。阿呆やなぁ。わしを含めていろんな阿呆を見てきたけど、これは筋金入りの阿呆やな。

 そもそも、やがな。こんな内容で失言食い止めることができるわけがないがな。発言は頭の中で生まれる考えや思いから編み出すもんであって、その頭入れ替えるならまだしも、おんなじ頭乗っけとって何が変わる?

 どこぞのPR会社か記者上がりが作ったんだろけど、阿呆丸出しやないか。イタイな。自民党は小学生の集まりか。


 

今こそ第3第4第5の慶應ミスコンを立ち上げて

 三田の色魔慶應がミスコンで揉めている。それを見て私は思うわけだ。ミスコンなんぞなんぼでもやればええがな、と。

 例えば私が「ミス慶應グランプリ」とか「慶應プリンセス」とかでっち上げて主催するのはアリだろう。これをネタに慶應の女の子とお近づきになることができるのではないか。ふふふ。

 あるいはこう迫ってもええな。「きみは世界一かわいいね。僕が主催者だからきみを優勝させてあげる。就職のときの履歴書に書けるよ」。相手が興味を示したら「100万円ね。もちろん僕はバラさないから。きみが慶應プリンセスのチャンピオンだって死ぬまで自慢できることを考えたら安いでしょ」

 こうして20でも200でもミスコンをやればええのである。

 そういうもんに出ようが出まいがどうでもええけんど、出る女を私は門前払いする。なんて書いても、「なに寝ぼけたこと言ってるの?! その前にこっちがアンタを門前払いよ」と言われるのだろうなぁ。

瀬戸内寂聴さん『場所』


 寂聴さんのお父さんが奉公に行ったのは徳島市の常三島の指物屋。常三島って実家の目の前やないか。おお。という軽い驚きとともに寂聴さんの「場所」をより身近に感じる徳島市生まれでよかったなぁとしみじみ。今はなき小山助学館という本屋の名前も出てきて、ああ懐かしい。

 寂聴さんの母親は徳島大空襲で亡くなっている。この日このとき焼夷弾の雨の下で私の母(6歳くらい)はその母親らと一緒に助任界隈を逃げ惑った。「この中は安全でよ」と井戸に誘ってくれた近所の人はそこで焼け死んだ。吉野川の北側に住んでいた父(10歳くらい)は屋根に登って「徳島がよう燃えよる」と高みの見物をしていた。

 という個人的な感傷はさておき、この作品はノンフィクションと私小説のハイブリッドと言うべきだろう。寂聴さんが暮らした街を実際に訪ね歩き、そこで起きた出来事と寂聴さんの記憶を重ねる。

 自分が暮らした「場所」を訪ねてみたくなるのはなぜなのだろう。

 私が40代半ばだったか、1970年前後に暮らした大阪市東住吉区西通りを訪ねてみたことがある。しかし1976年ごろ暮らした岸和田市藤井町には未だに再訪していない。「場所」に潜む記憶が好奇心を左右するのかもしれない。 
 
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