同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

東京最西端の本屋

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 東京都最西端の本屋に行ってみた。最寄り駅はJR青梅線の二俣尾駅である。青梅駅から乗り換える無人駅から徒歩数分のところにある。

 せっかく来たので記念に何か本を買おう。広くない店内を何度も見て回り、養老孟司先生の新刊『ヒトの壁』(新潮新書)を買った。

 近くに一軒ある喫茶店がこの日は休みで、ほかに行くところがない。

 多摩川を渡ってみた。限界集落らしき風景があるに違いないと思いきや、子育て世代の新築戸建てが多いように感じた。意外な発見で、来た甲斐があったというものだ。ほんまかいな。

寂聴さんが「買え」「買え」言うんよ

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 1カ月経っても、その本はまだあった。わが古里の瀬戸内寂聴さんの全集の第1巻である。東京・中野駅北口のブックファーストに1カ月経ってもあるのだった。アマゾンでは売り切れになっていて、諦めた本だ。

 寂聴さんが私の耳元でささやく。

「あんた、買いなさい」

 ほなけんど、ごっつい高いでぇだ。お金ないし。わし貧乏人よ。

「何のためにクレジットカード持っとんで」

 いや、ほれは。

「あんた、私の小説を読んどんだろ。しかも徳島生まれやないで。買わんでどないするん。もう第1巻はほとんど売りきれとんやけん。これもご縁じゃ」

 瀬戸内寂聴全集第1巻を持ってふらふらとレジに。

 本はできるだけアマゾンで買わず本屋で買う原則を立てたため、本屋を見つけたら入ることにしている。ありがたいのか迷惑なのか、東京には本屋が多い(笑い)。そこで見つけてしまったのがこの本なのである。

 本屋に行くと読みたい本がいろいろ目に入って楽しいし、こういう出会いがある。これはアマゾンでは味わえない。しかしアマゾンだけ見ていればこのような衝動買いはない。


 

「だからよー」に笑ってしまうNHK朝ドラ『ちむどんどん』

 ヒロインの兄・比嘉賢秀の子供時代を演じる男の子の「だからよー」に何度も噴きだした。場面場面に応じた微妙な違いをしっかり発声に反映させているのだ。

 演じているのは沖縄の子ではなく、横浜出身の浅川大治さん(13歳)。方言指導は「ちゅらさん」に出演と方言指導をした沖縄の名優・藤木勇人さんなので、その指導がよかったのかもしれないが、私は何度も浅川さんの「だからよー」に笑ってしまった。

 効果的に「だからよー」を盛り込んだ脚本家・羽原大介さんはツボを押さえている。

 というのが本土の人間である私の感想なのだが、さて沖縄の人は「だからよー」をどう見たか。

 この「だからよー」を使う場面だが、私の理解ではこういうときに使う。

「金城さん。大遅刻ですよ。もう13時です。今まで何をしていたの!」
「だからよー」

「あんた熱発したという理由で学校を休んでいるのに、なんでサーフィンやってるの!」
「だからよー」

「西野君。お金ないのに何でそんな高価な本を買ってるの!」
「だからよー」 

生娘をシャブ漬け戦略(笑い)

 吉野家の常務が早稲田大学の社会人向け講座で“脱線”した。「生娘をシャブ漬け戦略」と言ってしまったらしい。

 笑いを取るためだったに違いない。10年前なら実際笑い話で済んだだろう。分かりやすい例えではないか。「生娘」。実にいい響きである。という塩梅で、世の男性の大半の頭の中はろくでもないことを考えているので、「生娘」いいなぁ、なのである。「シャブ漬け」に至っては完全に冗談の世界だ。

 今回の問題点は3つ。今の時代のルールを分かっていなかったのが1つ。もう1つは、同じことを私ごとき馬の骨が言っても屁でもないが、社会的に立場のある人が言うと問題視されるのである。最後の1つは、不特定多数の場で語ったものは外に必ず漏れるという前提で話さなければならない。

 つまり私のような阿呆が親しくなった生娘と二人っきりの場で「シャブ漬けにしてやる」と言っていればどこからのお咎めもなかったのに、という話である。

 世の中は建て前でできている。吉野家はただちに常務を解任したが、この元常務はマーケティングの専門家だそうで、これだけ注目を集めることができたという意味ではさすがマーケティングの専門家である。



 

レジに7人いるのに嗚呼ジュンク堂

 アマゾンで買うより本屋で買うほうがいいと思い至り、1冊の本を探して何軒も本屋をはしごするようになった。アマゾンの便利さがよく分かるのでどうしても見つけられない場合はアマゾンで注文するけれど、まずは本屋を応援しないと。

 というわけで、単行本を2冊手にしてレジに並ぶ。並んでいるのは私だけだ。

 レジには7人。そのうちの1人は客が買う本の代金を受け取ったりしている。残り6人は、2人ずつで何やら話している。もちろん雑談ではなく、レジの打ち方の指導か何か仕事の話をしているように見える。

 西村賢太さんふうに言えば私は根がスタイリッシュなので、ぼけーっと待つのは嫌いではない。しかし私がレジの側にいれば、根が小心者なのでお客さんを待たせるのは苦痛だ。すぐに「こちらにどうぞ」と声をかける。

 しかしこのジュンク堂は、客対応をしていない人間が6人もいるのに、誰もそういうことをしない。私は全く急いでいなかったのでいつまでも待つつもりだったけれど、6人の機転の利かなさというのか愚鈍というのか、客をほったらかして平気な神経が全く解せない。

 というわけで、立川店で買うのは当面やめることにする。

パナソニックのお莫迦な質問

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 パナソニックストアのログイン時などに問われる質問がこれである。

 お、お、覚えていない。どの質問を選んだのか、答えは何にしたのか、全く覚えていない。

 それにしてもよくぞここまで悪質な質問項目を考えたものだ。どの質問も、時間が経つと答えが流動する可能性がある。

 普通なら答えが揺るがない質問、例えば「母親の旧姓は」や「生まれた都道府県は」など、10年後も50年後も変わらない答えを求める質問ではないか。

 パナソニックは大好きなメーカーの1つなのだが、ここにお莫迦ちんと認定する。

 

3回目のワクチン接種の副反応

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 3回目はモデルナを打って免疫力を大いに高めることにした。2回とも地元の市役所で打ったので、3回目は物珍しさで東京の自衛隊大規模接種会場を訪ねた。

 ガラガラでスタッフの人数が10倍以上多いのではないか。目一杯来る前提での人員配置だから仕方がないとはいえもったいない。

 当日夜遅く熱が出始めた。

 私の平熱は35度台後半だと思う。それが翌日は37度4分〜38度1分を行ったり来たり。

 カロナールを2回飲んだが全く効かず、夜になって真打ちロキソニンを飲み、ようやく解放された。

 副反応が嫌だとか何だとかいう意見があるけれど、免疫力を高めるための副反応である。ありがたい副反応なのである。

 病気と闘う人の副作用の苦しみとは根本的に違う。何人かの闘病をこれまで垣間見てきたので、わが副反応を喜びこそすれ、忌避したかったなどとは微塵も思わない。

 熱に弱い私は一日中ひっくり返っていたが、ただただありがたかった。

ゼレンスキー大統領のシャツを製造しているメーカー「5.11」

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 ゼレンスキー大統領が着ているTシャツに注目が集まっている。インターネットで調べると、「5.11」というメーカーの製造らしい。これ以外はまがい物つまり偽物。アマゾンなどで売られていても、「5.11」製でなければ単なる模造品だ。

 この「5.11」は「ファイブ・イレブン」と呼ぶ。「3.11」でも「9.11」でもない「5.11」は何の日かと思ったらロッククライミングの用語で、難易度が非常に高いことを示す数字だった。

 そのロッククライミング用のパンツを作ったメーカーが頑丈な作りで信頼を集め、米連邦捜査局(FBI)アカデミーに正式採用されたあと、米中央情報局(CIA)や米海軍特殊部隊、民間軍事会社などが相次いで採用したらしい。

 ウクライナ辺りに「5.11」の工場があり、そこでウクライナ軍が制服を作っていたらしい。

 日本では東京・福生市にアジア最大規模の店がある。足を運んで衣類を触ってみると、非常にしっかりした裁縫を施していた。こりゃ丈夫だろう。細かなところのデザイン性が高いのも魅力で、そのぶん価格は上着が1万円台だった。

 店のスタッフによると、ゼレンスキー大統領が着ているTシャツは日本にまで回ってくることはなさそうだ。防弾チョッキもよく売れているそうだが、戦争ゴッコをする人たちが買っているのかもしれない。平和である。

ワシもロシア企業との取引を停止した

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 ワシもロシア企業との取引を停止してやった。ロシア軍のウクライナ侵略戦争に抗議の意思を示すため、国際社会と歩調を合わせる。

 と書くと何だかたいそうな話だが、カスペルスキーの更新をやめたに過ぎない。いろいろなセキュリティソフトがあるけれど、私が見る限りでは最も評価の高い、つまり性能の良いのがロシア産のカスペルスキーだ。普段使っていると不便を感じることさえあるくらい強力だ。

 ゼレンスキー大統領の政治の失敗ではないかという思いとは別に、民間人への無差別な残虐行為を繰り返すロシア軍およびプーチンの足をわずかでも引っ張るためにカスペルスキーとの取引を止めてやることにした。

 NTTがモタモタしているようだが、ワシはとっくに取引をやめておる。見ならいなさい。えっへん。

『ドライブ・マイ・カー』の小説と映画

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 小説を読んでからその映画を見ると映画の薄さが残念だし、映画を見てから原作の小説を読むと映画の俳優が頭に残っているので自由な創造の邪魔をする。どちらも碌なことはなかった。

 今回、まず村上春樹の原作小説を読み、そのあと映画を見た。村上春樹の原作だけ読んでも今ひとつ意図が分からなかったのは、原作を収めた計6つの短編が『女のいない男たち』という題名の本にまとめられていて、この6編に流れる通奏低音が「女のいない男たち」であることを忘れていたからだろう。

 映画は映画としてしっかり独立していて、含蓄のある台詞や舞台設定の共鳴に私は頷いた。東北の大震災で大切な人を亡くした経験者にも響くはずだ。具体性の高い物語なので、単純な私でも解釈しやすかった。作中劇の役割も分かりやすい。原爆で灰燼に帰した広島を監督が神聖視し、その広島を舞台にした理由は主旋律で流れているから聞き取りやすい。

 能天気に明るい映画ではないので人生経験のない若者は解釈や理解が難しいかもしれない。昏い経験を持つたいていの大人なら「あっ」と震える一瞬に襲われるのではないか。

 チェーホフを買うことにする。恥ずかしながらまだ読んでいなかった。

披露宴での男女平等

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 私は根がスタイリッシュで男女平等主義者なので、ずいぶん前のことだが、長女の結婚披露宴に出たついでに、最後の挨拶のとき新婦側の親として語った。

 通常はなぜか新郎側の親が語り、新婦側は何も語らない。おかしなことではないかと長年疑問を抱いていた。長女を通して新郎側に打診し(というのも奇妙な話だが)、OKを得た(というのも変な話だ)。

 毒舌の次女が「面白かった」と言ってきた。最初から最後まで笑わせてやろうと目論んでいたので目標はとりあえず達成したことになる。

 次の目標は、新郎側の親が語るなら新婦側の親も対等に語る時代の招致である。というか、親の語りは不要ではないかというのが正直なところだ。

石原慎太郎の『昔は面白かったな』(新潮選書)は面白かったな


 石原慎太郎さんの死亡報道のあと、元『新潮』編集長・坂本忠雄さんの死亡記事が新聞に載った。坂本さんが石原さんより数日早く亡くなっていたが、相次いで亡くなったことに何かの縁(えにし)を感じてしまう。

 本書は坂本さんが聞き手になって石原さんの文壇交遊を回想したもので、かなり刺激的な内容だ。「それを明かしていいのか!」とのけ反る暴露もあり、帯の惹句《驚きの逸話が満載!》のとおりだった。

 石原さんは論争好きだったということがよく分かった。都知事時代に記者会見で毎日新聞の記者をやり込めている映像をユーチューブで見たことがあるけれど、毎日記者は反撃すればよかった。石原さんは毎日と朝日を嫌いだったが、筋の通った反撃なら「記者ならあれでいい」と石原さんは喜んだのではないか。

 芥川賞選考でも論争のなさを石原さんは嫌った。

西村賢太さん追悼文で最高によかったのは

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 小説家や学者らが新聞や雑誌に西村賢太さん追悼文を寄せてきたが、どれも西村賢太さんを称え褒めそやしていて、何だかこそばゆい。そんな中で出色だったのが「もらっといてやる」の田中慎弥さんの追悼文だった。

 文学部の仲間に教えてもらって本屋で買った『文學界』4月号にそれは載っている。最後から2段落目で《人間として決して手本になるような人ではなかった》と不穏に書き出し、返す刀で寸鉄人を刺す。本音とはいえそこまで言うか。一読すると痛烈に批判しているようで、何度読み返しても批判にしか読めない(笑い)。

 しかしそれがかえって愛情たっぷりに感じてしまう。田中慎弥さんの腕だろうから難易度は高そうだが、追悼のあり方として《手本になる》。《手本になる》けれど、一歩間違うと亡き人を侮辱してしまいかねないので、凡人は真似できそうにない。

買うなら今だ防塵マスク

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 必要なときには売り切れ。あるとしても人の足元を見てバカ高い価格でふっかけられる。その1つが防塵マスクだ。防毒マスクではなく防塵マスク。

 新型コロナ騒動で引っ張りだこになり、数万円にまで高騰したがようやく価格が落ち着いて、定価で買うことができるようになった。買うなら今である。

 防塵マスクは火山の降灰に備えるためで、私が買ったのは使い捨て。とりあえず20日くらいは大丈夫だろう。使用記念が数年なので、適度に買い替える必要はあるかもしれない。

 防塵マスクのレベルは3段階ある。最低でもランク2(SD2)にしないと役に立たない。最高ランクのスリーエム防塵マスクはちょっと目立つので後まわしにする。北陸にある製薬会社の研究所やウクライナの戦場で装着している人がいた。それくらいすぐに分かるのは、この防塵マスクの一部がピンク色だからだ。なぜにピンク色なのかというギモンはさておき、買うなら今である。


 

メタクソ団のマタンキ! 漫画家とりいかずよしさんの死去を新聞各紙はどう報じたか

 漫画家とりいかずよしさんが75歳で亡くなった。とりいかずよしさんと言えば漫画『トイレット博士』である。メタクソ団という子供のグループが登場し、合言葉は「マタンキ!」だった。小学4年当時の私や同級生は学校で年中「マタンキ!」と声をかけ合っていた。精神年齢は幼児並みなのでウンコやおしっこの話に「げへへへ」と大笑いする豊かな時代だった。

 作中人物にコヤヤシ少年というのがいたはずで、ウンコ絡みの「肥やし」と明智探偵の小林少年をかけていたのだろう。今の私の人格ケーセーに深く寄与した懐かしい漫画である。

 その作者が亡くなったのである。新聞各紙はどう報じたか。残念なのは『毎日』と『サンケイ』だった。何の味わいも、追悼の意もない、砂漠のような訃報記事にガッカリした。

『朝日』はこう書いた。

《ギャグ漫画「トイレット博士」を1969年から週刊少年ジャンプに連載。大ヒットし作中の合言葉「マタンキ」が子どもたちの間ではやった。ほかに「くたばれ!とうちゃん」など。愛知淑徳大創造表現学部教授も務めた》

 マタンキ少年だった私は納得である。ところが上には上があった。それが『読売』だ。

《作中の「メタクソ団」の合言葉「マタンキ!」が子供の間で流行し、連載は約7年続いた》

 おお。「メタクソ団」にまで言及しているではないか。素晴らしい。

 書いた記者かデスクも少年時代に友達と「メタクソ団」を結成して「マタンキ!」と叫んでいたことが想像される。愛情を込めて訃報記事を書くならこうあるべきではないか。『読売』最高!

新聞記事を写真に撮ってそのままネットにアップしたら著作権法違反になる

 河北新報社のネット記事を写真に撮ってインスタグラムにアップしていた男性が著作権法違反の疑いで書類送検された。河北新報社からの警告を無視したのは「いいね」が欲しかったからだという。以上は2月18日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)社会面13版から。

 このあと男性は河北新報社から損害賠償を求められるかもしれない。

 文章を書く商売の人なら「そりゃそうなるわな。商品だからな」と受け止めるはずだが、そうではない人にとっては全く想定外かもしれない。

 新聞記事は記事だけではなく見出しもレイアウトも著作権がある。それを一部引用して、出典を明示して、自分の文章に取り入れる通常の使い方なら問題はないが、丸ごとそのまま勝手に無断で使うと著作権侵害になる。

 フェイスブックを見ていると、新聞記事を読むことができるようにアップしている人が少なくない。

 気をつけましょう。

悠仁さん作文疑惑には無理がある

『週刊新潮』の特ダネ「悠仁さまのコンクール入選作文に疑惑浮上 複数箇所がガイドブックの記述に酷似」を読んであらためて自戒した。ひとごとではない。

 文章を書く商売の人がこの書き方をしたら信用を失墜する。宮内庁が参考図書として書き落としたとか釈明しているが、それは違う。

 悠仁さんが書いたときまだ中学生だった。将来天皇になる人なのだから、教師が文章作法などをしっかり教えておくべきだったのではないかと今でこそ思わないではないが、彼がルールを知らなかったこと自体は仕方がないし責められることでもない。私がそんなルールを明確に自覚したのは新聞記者になってからだし、会社はそんな大事なことを教えなかった。世間の盗用騒ぎを見て、「なるほどそうか」と学んだに過ぎない。

 文章を書く仕事をしている人でも本や資料などの活字に引っ張られてしまうことがある。私の記者時代、原稿を書く際に本や資料を見るのが嫌だったのは、油断すると文言や言い回しに引っ張られるからだ。今気づいたのだが、本や資料を書いた人はしっかり考えて文章を組み立てているから完成度が高く、自分が文章を書く際の誘惑度も高いのである。

 ではどうすればいいか。そのまま引用し、カギカッコに入れるなどして引用が明確に分かるよう表示した上で、出典も表示する。この方法が一番いいのではないか。こういうことは小学校高学年辺りで教えておくべきだろう。

ある男性の死と『おひとりさまの老後』(上野千鶴子・文春文庫)

 上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』(文春文庫)を読んでいるあいだに知り合いの70代男性が亡くなった。両方を照らし合わせると『おひとりさまの老後』は理想的過ぎる死に方だと言わざるを得ないというか、そんなにいい流れで死ぬことができるのかなと疑問を抱く。

 70代男性はがん治療を受けていた途中で全く別の部位の末期がんが判明した。人工肛門を着け、自宅に戻った。本人は人工肛門を自分で取り替える体力がもはやなく、便がベッド上にどっぺりと流出したときは大騒ぎになったほか、末期がんの痛みで苦しみ続けた。家族は夜中も起こされ、ずっと当たり散らされ、わがままに右往左往し、持て余して音を上げ、一刻も早く男性を病院に追いやることで一致した。救急車で運ばれる男性を見送りながら家族はほっとした。

『おひとりさまの老後』で描かれている今際は、激しい体力消耗や痛み、人工肛門など柊末期に襲ってくる事態を全く前提としていない点で理想に過ぎる。私が間接的に見てきた70代男性の死から言うことができるのは、「在宅ひとり死」は口で言うほど容易な道ではないということだ。 

 


  

 

買淫を記す西村賢太さん『一私小説書きの日乗』(角川文庫)

 小説家が亡くなると、その人の本が再版されずに消えていくもので、西村賢太さん急逝を知って慌てて買い漁っている。西村賢太さんの全集が編まれるようには思えないし、アマゾンで古本が高値で売り出されたりしている状況にあるが、アマゾンで売り切れでも書店には置いてあったりするし、大手書店のオンラインでは売り切れでも店舗には置いてあったりするので、足で稼ぐのが一番だ。というわけで、東京・立川市のジュンク堂書店で見つけたのがこの本を含む5冊だった。

《夜、買淫》などと平気で書いてあるのでのけ反る(笑い)。恥を恥ともしない人は無敵だろう。と同時にこの人は芥川賞受賞の小説家なので、どこまで事実なのかというモンダイもある。面白おかしく書くのが商売の人だから、書かれていることを鵜呑みにしたら「罠に引っかかったな」と笑われてしまいそうで。

 私が行ったことのある早稲田鶴巻町の「砂場」が何度も出て来て嬉しい。赤羽と鶯谷の大衆食堂の名前が挙げられていて、こちらは行ったことがないので今度鎮魂を兼ねて行ってみよう。

 それにしても暴飲暴食としか言いようのない食事である。これが寿命を縮めたのではないか。かといって健康な食事ばかりする西村賢太さんは想像しにくいし。それでも愛読者としては健康長寿で作品を書き続けてほしかった。死んだらそれまでよ。

 
 

死去記事が各紙に出た編集者・坂本忠雄さん

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 石原慎太郎さんの死去(2月1日)の前、1月29日に編集者が亡くなっていた。新潮社の坂本忠雄さんである。編集者の死去が新聞で報じられることは珍しい。

 訃報を伝える2月9日付朝刊各紙によると、1981年から95年まで『新潮』編集長を務めた。川端康成や小林秀雄、石原慎太郎らを担当した。

 私は数年前に評判を聞いて『文学の器』(扶桑社)を古本で手に入れ、少しずつ少しずつ読み進み、つい最近読み終えたところだったので、訃報を知って腰を抜かしそうになった。瀬戸内寂聴さんに始まり、石原慎太郎さん、西村賢太さんと来て、坂本忠雄さんである。私が仰ぎ見る人たちがこうも相次いで亡くなると、人を仰ぎ見ないほうがいいのではないかとジンクスを考えてしまう。逆に、早く死んで欲しい人を仰ぎ見るか(笑い)。

 この本は坂本さんがインタビュアーとして石原慎太郎や長部日出雄、吉井由吉、高樹のぶ子、車谷長吉、黒井千次ら蒼々たる小説家を迎え、読むべき文庫本について論じ合った希有の書評本と言うことができるだろう。扶桑社の季刊文芸誌『エンタクシー』に連載し、扶桑社が出版した。あの扶桑社がこんな優れた仕事をしていたことに敬意を表する。

西村賢太さん死去報道読み比べ

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 西村賢太さん急逝の翌日6日付各紙朝刊(東京本社版、13版)を読み比べた。3紙とも第2社会面の掲載。

 石原慎太郎さんの追悼文を西村賢太さんに寄稿してもらったばかりの『読売』が、予想通り担当デスクによる「評伝」を添えて報じた。短い評伝だが西村さんの横顔を端的に書き込んだ。写真もいいねぇ。

『毎日』は無難に2段、本文34行。『朝日』は冷たく1段、本文実質23行。

 

何てこった西村賢太さんまで

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 ユーチューブに上がっている西村賢太さんの映像を見た直後、友人からのLINEで亡くなったことを教えられ、絶句した。瀬戸内寂聴さん、石原慎太郎さん、そしてここに来てまだ若い西村賢太さんまで。私の好きな小説家がこれだけ集中して亡くなるとさすがにガックリ度が重い。

 父親の性犯罪を知ったことが西村さんに宿痾を招き、以来自分の中の顰蹙と闘ってきた人である。つい先日、2日付の『読売新聞』文化面で石原慎太郎さんの追悼文を載せた3日後にあとを追うように亡くなるとは何てこった。あしたの『読売』がどう報じるか。石原慎太郎さんの追悼文を西村賢太さんに注文した記者が書かなければなるまい。

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 私が西村賢太さんを実際に見たのは、村西とおる監督の映画とトークの場だった。ふたりともサービス精神旺盛と見たが、村西監督は口先が軽妙でも目が全く笑っていない。西村賢太さんは目に感情がなかった。

 死去を報じるNHKは、西村賢太さんの書く姿勢を切り取った。まことに的確なところを切り取った。

「自分のみっともないこととか屈辱的なこととか考えただけでも腹立つようなことじゃないと書いても意味がないと思いますし」

 だから大勢の読者の共感を得たのである。

 それにしてもまいったな。



 
 

検証してみた冬季用インナー厚手モンベル「スーパーメリノウールエクスペディション」とミズノ「ブレスサーモアンダーウエアEXプラス」

 登山に限らず、健康のために、肌着というのか下着というのか知らないが、冬の普段着は大事である。というわけで、モンベル「スーパーメリノウールエクスペディション」とミズノ「ブレスサーモアンダーウエアEXプラス」という2社の最厚手の製品を数人で実際に1カ月ほど着て比べた。

 結論から言うとモンベル「スーパーメリノウールエクスペディション」がいい。

 理由は簡単、ミズノのほうは体がかゆくなる人がいたのである。ミズノのサイトによると、ポリエステル85%、合成繊維(ブレスサーモ)15%で、完全に化学繊維である。ミズノのサイトでも体がかゆくなる人がいる旨の但し書きがあったが、買ってみてかゆくなったので返品するというわけにはいかないだろう。

 一方モンベルのこの商品はサイトによるとウール79%、ポリエステル18%、ナイロン2%、ポリウレタン1%とウール率が非常に高い。これが肌への変な刺激を減らしているのだろう。

 モンベルのこの商品やこの系統の靴下は冬期登山用としても使われることを想定している。というわけで、モンベルの店のスタッフによると「5日くらいは(汗などが)におわないようになっています。3日は大丈夫です」ということだ。

 実際におわない。ここ1カ月ほどクンクン嗅いできたから言える。3日程度ではにおわない。そこで、3日続けて着用したあと洗濯することにした。ほつれるきっかけの1つが洗濯なので、その回数を減らすことで(もちろん洗濯も洗剤も他と分ける)長持ちさせようという狙いである。

 補足しておくと、モンベルのスタッフによると、大きめのサイズはなく体にぴったり合う(隙間がないくらいの)サイズを買うべきだとのこと。

新聞各紙の石原慎太郎死去報道

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 石原慎太郎死去を新聞各紙はどう報じたか。2月2日付朝刊(東京本社版)13版を読み比べた。

 結論からいくと、『読売』が最もよくできていた。文化面が連日あるのかどうか知らないが、この日の文化面に西村賢太さんが書いた追悼文を載せ、子会社の中央公論新社が持っている谷崎潤一郎と談笑する石原慎太郎の写真を載せ、さらには新潮社から写真を借りて載せた。この新潮社の写真は大江健三郎と開高健、江藤淳、石原慎太郎の座談会の模様で、これは確か開高健を除く3人が盛り上がった座談会ではなかったか。

『読売』のこの文化面に匹敵する紙面が他紙になく、そういえば『読売』は瀬戸内寂聴さん死去のとき林真理子さんが追悼文を寄せ、中央公論新社所有の写真も載せ、愛読者を納得させる紙面展開だった。

『読売』社会面では文学系を専門にする鵜飼哲夫編集委員が過不足のない評伝を書いた。

 次に光ったのは『朝日』だ。第2社会面の評伝は今ひとつだが、社会面で中村真理子記者が書いた囲み記事は、石原慎太郎の行動を「退屈への反動」と分析し、「大衆の欲望」で締めくくる見事な論考だった。このようなひと太刀で対象を倒す記事を書く記者がいるのが『朝日』なのである。

『毎日』社会面で評伝を書いた記者はもしかすると私の同期かもしれないが、うーん、掘り下げがあと一歩だったかも。

 異彩を放つのが『産経』で、4紙の中で唯一1面トップに置いた。そう来ると思っていたので違和感はないが、右翼政治家の面を強調しすぎだな。左右は違えど寂聴さんの反戦反核運動にばかり焦点を当てた『東京』と同じことをやっている。

 石原慎太郎は小説家なのである。政治家としてたびたび物議を醸したが、根っこにあるのは文学なのである。大学時代に『一橋文学』を復活させるほどの熱意を持っていたし、文学者としての思考や発言を政治の場に持ち込んでいたし、頭の先から爪の先まで文学の人なのである。この視点がないと、石原慎太郎報道は上滑りする。

小説家石原慎太郎死す

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 石原慎太郎が89歳で亡くなった。私の高校から大学時代にかけて当時の慎太郎の小説をほぼすべて読んだはずなので、慎太郎ファンだったと言っていいだろう。

 大学2年のときドイツ語の講師が学生一人ひとりに「どんな本を読むか」と聞いてきた。私は野坂昭如と石原慎太郎の名前を挙げた。
「短編? 長編?」
「長編です」
 というやり取りがあった。実際は短編も長編も読んでいたが、マッチョ系純文学の短編よりエンタメ系痛快無比の長編のほうが私には単純に面白かった。

 石原さんは16年ほど芥川賞の選考委員をしていた。誰だったか、山田詠美さんだったような気がするが、あれほどの重鎮が口角泡を飛ばす勢いで文学論を闘わせていた、文学青年だ、というようなことを何かに書いていた。

 現代作家と語る昭和文学の光芒と帯に記された『文学の器』(坂本忠雄・扶桑社)は、石原さんを引っ張り出して、福田和也さんとともに伊藤整の『変容』を語らせた。石原さんの基準である「身体性」に基づいてけっこう踏み込みつつ、縦横に文学を語った。

 当たり前だが石原さんはものごとを自分で考えているから、政治家になっても縦横無尽に語っている。それに比べれば(比べるのはかわいそうな気もするが)安倍晋三や菅義偉のようなギクシャクした、不自然な間を置く、言い間違うのではないかと聞く側が緊張して肩が凝る、そんな話し方は全くしていない。

 ようやく実物を見ることができたのは2019年6月24日である。広島の信治さんに声を掛けられ代理で出席したのが石原さんと亀井静香さんの対談だった。そのときかろうじて撮ったのが上の写真である。立つと足腰がフラフラしていて、背丈があるので余計にフラフラと不安定に見えた。亀井さんと手を取り合って数段の階段を降りるのがあの石原慎太郎かと呆然と見送った。

 死去のニュースを見て、この機会に石原さんの純文学を読み直そうと思い、アマゾンで新刊本をお気に入りに登録し、少し時間を置いたら全部売り切れになっていた。私のような往年の愛読者が大勢いるのだろう。石原文学の愛読者だった私としては、もっと作品を残して欲しかった。
 

興味深く読んだ酒井法子さんインタビュー記事

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 覚醒剤の所持と使用、そのうえ逃亡と派手な事件を起こした酒井法子さんのインタビュー記事=2022年1月28日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面「コロナ時代の幸福論」=は、響いてくるものがあった。それは酒井さんの本音と素顔を引き出したところにある。建て前やよそ行きの顔を紹介する記事だったら酒井さんに対する印象はよくならなかったはずで、本音と素顔に紙幅を割いたのは酒井さんにとって良いことになった。取材した記者に誠実な姿勢があったのだろう。

 酒井さんは事件と今を行きつ戻りつしながら率直に語り、図らずも苦悩を垣間見せた。そこがとても良い。人間誰でもいろいろな失敗をするもので、間違って人を死なせてしまうこともある。恥辱としか言いようのない過去の経験を自ら舐める酒井さんを見ると、私はのりピーのファンでも何でもなかったが、応援したくなる。

 敢えて1つだけ注文をつけるとすれば、福祉や介護の仕事をしなかったことについての説明が弱い。もう少し説得力のある内容にすべきだろう。正直に率直に語ればいいのである。そして謝ればいい。批判を浴びるかもしれないが、これ以上墜ちることはあるまい。周囲で支える人たちの力を借りて、説明を紡ぎ上げればいいのである。正直に語る人ほど強い人はいない。


 

 

腰が抜けるほど驚いた

 耄碌が始まったぞという自覚はあったものの、ここまで来たとは。

 ある日、本を読んでいて、ふと振り返って台所を見るとコンロから火が出ている。薬缶でお湯を沸かしたあと消し忘れているのだ。恐ろしいことをしてしまった。

 と反省した矢先、同じことをしでかした。ふと、何気なくコンロを見ると火が上がっているのである。

 ここに至って腰が抜けた。こんな不注意を繰り返した自分を信じられない。あっと驚くタメゴローである。

 私の不注意はそのうち火事を引き起こすに違いない。火事ほど恐ろしいものはない。一切合切持って行く。終活をほぼ済ませているので金目のものはなく、燃えて困るのは山を成す未読の本くらいだが、消防にご近所など大勢の人に迷惑をかけてしまうことは避けたい。

 私の親はガスの火の消し忘れをするようになってただちにIHに替えたが、それは70代の話だ。

 ガスコンロの火が出ているあいだは音が出る装置があればいいのに。あるいは荷重装置を備え物が載っていないときは火が出ないガスコンロとか。


 

 

 

『瀬戸内寂聴全集』19巻と残りの24冊

 寂聴さんが文学に関する考え方を記した随筆を読みたくて、思い切って買ったのがこの19巻だ。この本とコーヒーのおかげで2022年の正月三が日は三昧だった。しあわせとはこういう環境を言うのだろう。コーヒーを啜る音とページを繰る音しか聞こえない空間ほど、しみじみと極楽を感じるところはない。

 寂聴さんの文学観は、やはりというべきか車谷長吉さんや山崎豊子さんのそれとほとんど同じで、峻烈だった。昨年12月15日付『毎日新聞』朝刊「仲畑流万能川柳」に載った《寂聴さん笑顔の下のマグマかな》(鶴岡 ゆう坊)は言い得て妙である。

 交流のあった芸術家らの横顔を書いた随筆は、「そんなことを書いていいのか」と私がためらってしまうような言及を随所でやってのけている。本人にとってはごく普通の描写なのかもしれないが、書かれた人は火傷を負うのではないか。寂聴さんの《マグマ》のなせる業(ごう)だろう。だから面白いのだが、マグマに襲われる人は大変かも知れない。

 この機会に全集を読み切りたいのだが、そんなことをしているとほかの小説家の作品を読む時間が減る。おぼろげに残り時間が見えてきた今、いくら興味があると言ってもさすがに25巻全部、つまり残りの24冊を読むのはちょっとなぁ(笑い)。









 

『私が見た未来』とトンガ沖海底火山噴火

 『毎日新聞』の連載で山田孝男特別編集委員(どうでもいいことだが、外部の読者には「特別編集委員」とか「専門記者」とか全く意味が分からないし興味がない。「記者」でいいんじゃないか。定年後の肩書きとそれに付随する処遇はひいきで与えられるという説があるくらいだから、ますますどうでもいい)が取り上げなかったら、読まなかった。

 山田さんは人格高潔と聞く。私が福島支局を離れたあと山田さんはデスクとして福島支局に来たので、残念なことにお会いしたことはない。しかし、福島在住の第一生命の女性がわざわざ私に電話をかけてきて、山田さんはすごい人だと繰り返し繰り返し熱心に言うのである。これは一体どういうことだと驚いた。山田さんの下で働いた支局員の評判も高く、下劣な私としては爪の垢を煎じて飲む機会がなかったことが残念でならない。

 話がそれているのでもとに戻す。

 そういう理由で注目していた山田さんが東京に戻って連載を始めた。政治記者だった岩見隆夫さん(晩年は「特別顧問」)の後継者的な位置づけかなと思ったが、記事にはバランスがあり、ギリギリまで記事に手間暇をかけている様子を噂で聞いたこともあり、私は信頼して読んできた。

 前置きが長すぎるのだが、そういう記者が連載で取り上げた『私が見た未来』だから読まないわけにはいかなかった。

 ここで詳細は書かない。よほどのことがない限り本は身銭を切って読むべきだと思うからだ。

 1つだけ書いておくのは、最初読んで「どういうことだろう」と腑に落ちなかった記述が、トンガ沖海底火山噴火を見て、「あ、そういうことか!」と合点がいった。

 予言が外れるに越したことはない。いずれにしても準備をしておく必要はある。まだ少し時間があるので、着々と準備を進める。


アガサ・クリスティ『春にして君を離れ』

 友人に教えてもらう本はありがたい。なぜならそういう本は自分なら買わない=読まない=世界が広がらないからだ。

 アガサ・クリスティというと私のイメージは推理小説なので、こんな本を書いていたとは意外だった。教えてくれた友人と感想を交わしたところ、お互いに目の付けどころが異なっていた。主人公の主婦ジョーンに対してさえ食いつく点が違った。それぞれの着眼点の背景にそれぞれの人生があるんだなぁ。

 アガサは小説家になったあと失踪したり離婚・再婚したりしている。そういう経験が肥やしとなってこのような小説を書いたかなと想像する。


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