同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

大相撲の土俵がケガの原因

 大相撲、何であんな高い土俵でやるのだろう。あんな高さでやるから転がり落ちてケガをするのである。

 柔道や空手は平らな床でやっているし、ボクシングは高い場所のリングでやるけれど周囲をロープで囲まれているから転げ落ちることはない。プロレスラーはよく転げ落ちるけれどあれは演技だから数えない。

 土俵づくりの職人さんの仕事を奪わないための土俵なのかもしれない。だとしても、あれだけ高低差をつけなくていいのではないか。転げ落ちる場所にふかふかのマットを敷くなどしておけばケガ人は減る。稀勢の里も引退せずに済んだ可能性がある。

 私が知る限り土俵の上でのケガは少ない。ほとんどが変な体勢で転げ落ちてケガを負う。

 引退会見で「ケガに強い力士を育てたい」と語った稀勢の里だが、その前に土俵を改善しようではないか。ケガは確実に減る。

やむなく「オフィス365」

 去年の暮れからエクセルが開かなくなっていたのだが、何の根拠もなくそのうちに開くだろうと思っていたという辺りがユルユルの文系の特徴の1つかもしれない。

 仕事をする上でどうしてもエクセルを使わなければならなくなって、ところがやっぱり開かない。ワードは開くのにエクセルだけが開かない。検索して調べてみたら、マイクロソフトのサイトを見つけ、その通りやってみたがエクセルはウンともスンとも言わずに私をあざ笑っている。

 パソコンを金槌で叩いてやりたい短気を抑え、オフィス365を契約した。月額900円くらいで1年契約。するとエクセルを開くことができた。ワンノートやパワーポイントなどふだん使わないソフトまで押しつけられ、納得しがたい感情が頭に残るものの、結果オーライとするしかない。月額900円とか1000円とかで油断させるマイクロソフトは曲者だが、パソコン弱者はマイクロソフトに勝てないのである。 

岩国署でカツ丼を食う

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 岩国署でカツ丼を食べた。2階に食堂があるのだ。市民も利用できる。

「日替わりですか」と聞かれ、「カツ丼ください」。

 市民らしい女性2人が先客にいて、私のあとから胸に山口県警の文字、背中にPOLICEの文字が入った濃紺の制服を着た女性。

 食堂の女性が大きな声で「カツ丼おまちどおさま」と言いながら席に持ってきたのは想定外だった。警察で食べるならカツ丼だという短絡貧相が周囲にバレるじゃないか(汗)。

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 肉は軟らかく、案外うまい。

 外部の人間の出入りを嫌う警察に食堂があるのは珍しいのではないか。30年前だが1年通った福島署にはなかった。最近の傾向なのだろうか。地元の警察担当記者はここで昼飯を毎日食べて顔を売るのが第一歩かもしれない。

 2階に上がる手前に警備の職員がいてにこやかに誰何してくるし、1階のフロアが見渡せないよう衝立が並ぶ。手間を掛けて市民を迎えている様子が分かる。

 どのような議論を経て警察食堂が生まれたのか調べていないが、楽しい食堂である。


 

『週刊金曜日』倒産へ?

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 創刊当時5万部の安定部数を誇った『週刊金曜日』が1万3000部まで落ち込み、危機を迎えているという。『創』12月号で知った。

 トンデモ本『買ってはいけない』で何億円もの内部留保ができ、それを食い潰しながらやってきた。しかし、社員の自然減を補強せず、賃金も下げて凌いでいる状態だとか。

 創刊から5年くらいの組織が最も不安定な時期を過ごしたのはいい経験になった。もっと早く廃刊すると思っていたので、25年も続いているのかという驚きのほうが私には大きい。

 当時の仲間はまだ頑張っている。それを思うと迂闊なことは言えない。しかし、私は買わない。私を目の敵にして追い出しを画策した元朝日新聞編集委員本多勝一さんが完全に降りて、資本金回収をあきらめるとなれば話は別だが。

 
【追伸】内部留保が潤沢だったころに資本金分は回収したよなきっと。

本を贈りあう

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 車谷長吉さんの『赤目四十八瀧心中未遂』と日垣隆親分の『脳梗塞日誌』『折れそうな心の鍛え方』を差し上げたら、お返しにこの3冊をもらった。

『コルシア書店の仲間たち』は読みたいと思っていた本なので歓喜したし、ふるさと徳島出身の瀬戸内晴美寂聴さんの小説も関心を持っていたところ。本を選ぶのも才能と相性がある。

 女性と本のプレゼントをしあうのは1つの夢だった。と日記には書いておこう(←古いな)。

水が生臭い喫茶店や飲食店はアカン

 コップの水が生臭い店がある。かつては週刊金曜日創刊時に合宿した伊豆のどこかの宿が生臭かった。私は店の女性とこんなやり取りをした。

「(思わず)この水!」
「(自信を持って)おいしいでしょう!」
「生臭い!」

 その後も生臭い店に時々出くわす。東京・有楽町の有名店ストーンもクサかった。東京・神楽坂の建物の2階にあって本屋を併設している店(店名失念)も店内は上品で接客も申し分ないのに、コーヒーは高いのに、生臭かった。

 もちろん水が生臭いのではない。コップが生臭いのである。洗い方が不十分なので先客の口のニオイやリップ・口紅が残っていたり先客の食べかすがコップに逆流して残ってしまったりして生臭いニオイを発するようだ。食洗機を使って洗っているのかもしれない。飲食店が食器を食洗機で洗うのは手抜きと言うべきだろう。

 というわけで、喫茶店や飲食店を経営している人は自分が客になって飲食してみよう。私が敬愛する沖縄の有名ラブホテル経営者は客の立場で自分のラブホテルに泊まり、客の目線でチェックしている。


 

車谷長吉さんと西村賢太さんの両方を読むという人は

 年賀状に「車谷長吉さんにひれ伏している」と書いたらその翌年の年賀状に「車谷長吉さんも西村賢太さんも全部読みました」と書いてきた女性がいて、それは私と異なる。一緒にされたくないのである。

 作風も書いていることも全く違う。風俗に行きまくってきた西村賢太さんとその辺は案外禁欲的な車谷長吉さんという点でも激しく異なる。育った環境も全然違うから、そこから生まれる世界“感”が似ているわけがない。一緒くたにするのは双方に失礼だろう。

 それぞれの個性が屹立していて、相性が抜群の読者はピンポイント攻撃を受ける。というわけで、私は西村さんの小説には惹かれない(きっぱり)。何冊か読んだけれど。いいやつだと思うけど。ま、そういうことである。

8紙読み比べの結論

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 1月1日の楽しみは新聞各紙の読み比べである。朝日毎日読売産経日経東京神奈川スポニチ。大きな特ダネは見当たらない。平和、ということにしておく。

 私が注目したのは『東京新聞』の新連載「メディアと世界 揺らぐ報道の自由」である。米国内ではこの15年で20パーセントに当たる1779紙が廃刊、部数は40パーセント減ったという。そんな「ニュース砂漠」の実情を報じた。日本の新聞関係者が注目する連載になるだろう。敢えて言えば表層的な動きだけではなく、どこか1社をモデルにして経営の数字にまで踏み込む必要がある。

 ニューヨークタイムスだったかワシントンポストだったかはインターネットでの収益が増えて経営を支えていると何かで読んだことがある。容易ではないが同じようにネットでの収益を増やすか何か副業を増やすか合併していくか。生き残りそうな新聞社と廃刊した新聞社に何か違いがあるのかどうか。生き残りのヒントを探る連載になることを期待しよう。

 新聞がなくなったら世の中大変なことになると危機感を抱いている少数の人と新聞の息の根が止まってゆく様子を黙って見ながら「うっしっし」とほくそ笑む少数の人の間で、大半の人にとってどうでもいい話なのである。新聞社が抱える問題はここにある。


 

車谷長吉さんに始まり車谷長吉さんで終わった2018年

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 一時期狂ったように車谷長吉さんの署名本を漁った結果がこれ。同じ本でも構わず落札したり買ったりした。ざっと20冊。

 車谷さんに首根っこをつかまれて連れて行かれるのは賽の河原か奈落か。

 さかしらに反吐が出る私には阿呆がよく似合う。2019年は愚かしさを追求して、阿呆を極めるノダ。

社員証の電話番号が「使われていません」て

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 社員証を拾った。大手商社のそれである。裏に電話番号があったので電話してみたところ、「この電話番号は現在使われていません」だった。何じゃこりゃ。

 天下の旧財閥系商社がこれ? 仕方ないのでインターネットで住所を調べて、総務部宛に送ることにする。封筒の表には「社員証拾いました」と赤字で書いておくかな。

年賀状地獄変

 ああ滅茶苦茶やんけ。どないなっとんじゃ。もうアカン。

 年賀状用に住所をラベルに印刷したまではよかった。そのラベルの住所が古いものに差し替わっているばかりか、すでに亡くなった人や年賀状を送っていない人などまで印刷されているのである。目をつぶってラベルを貼れば済んだ去年と違って、ひとつひとつ確認しなければならない。

 同一人物で別住所のラベルが並んでいるのを見つけたときは頭の中が真っ白になってあわわわわ。

 年内に投函するのをあきらめた。

衆院沖縄3区補選は屋良さんが制する

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 屋良朝博さんが野党候補になる。自由党にしてはやるじゃないか。最適の人だ。沖縄の一定年齢以上の人なら「屋良朝」でピンと来る。琉球政府主席や県知事を務めた屋良朝苗さんの末裔だと。

 屋良さんが沖縄タイムスの基地担当記者時代に私は『週刊金曜日』編集者で、沖縄特集の原稿を依頼した。確か英語がペラペラで、それなら米軍基地取材もお手の物だと羨ましく思った記憶がある。残っていれば間違いなく編集幹部になったのにその後フリーに転じて基地問題を取材し続けた。屋良朝苗さんのDNAなのだろう。

 屋良さんなら間違いない。

広島・十日市茶房のサービスに驚嘆

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 素晴らしい! 思わず声が出た。いろいろな喫茶店を回ってきたけれど、これは初めてだ。あっていいのに今まで一度も出会わなかった。なぜやらないのだろうと不思議だった。

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 寒い寒い朝、広島市中区の十日市茶房を訪ねた。コップが運ばれてきて、これがお湯なのだ。で、叫んだわけ。素晴らしい! トレビアン!(とは叫ばなかったが)。 

 寒いのに氷を入れた水しか出して来ない飲食店ばかりで、客のことを考えていないのがアリアリだった。しかし十日市茶房は違った。100以上の飲食店でコーヒーを飲んできて、お湯を出してきたのはこの十日市茶房が初めてだ。

 体を冷やすのはよくないのである(出た健康ヲタ!)。冬の朝に氷水なんか飲んだら体温が下がって体が凍る。心臓麻痺まっしぐらであるかどうかは知らないが、体は冷やさないほうがいいのである。ママさんらしい女性によると冷たい水を希望するお客さんもいるそうで、まぁそういう人の健康がどうなろうと私は知ったこっちゃない。

 私が総理大臣なら総理大臣表彰をお渡しするのだが、一般市民なのでニシノ賞をお渡ししたい。いらん?

階段の上から落ちそうになって

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 ランニングをしているので足腰には自信がある、とは言えない。

 JR広島駅。新幹線に乗るために階段をのぼった。当たり前だがエスカレーターはよほどの場合以外乗らない。

 普通に歩いて、あと2歩で一番上というところで体勢を崩して後ろにそってしまい、あやややや。後ろに転倒しそうになった。ああああああびっくりした。『蒲田行進曲』の階段落ちは名場面だが、私がここで落ちたら単なる「中年男性階段で転落、大けが JR広島駅で」である。

 エスカレーターに乗ろうかな。

来春の衆院沖縄3区補選で自民党が島尻さんを出してきたけど

 島尻さんに貧乏くじを引かせるのだな。

 よほど状況が変わらない限り、自民党への逆風は収まらない。誰が出ても落ちるとなると、最も傷が浅い人を出すことになる。これで落ちれば島尻さんも納得するだろう。

 という程度のことは自民党県連などが考えたはずだ。

 もともと本土の人間だし、沖縄の通奏低音が分かっていない人が沖縄から選出されることが私には不思議だった。というわけで、来春の衆院沖縄3区補選は島尻さんの墓場になるというのが私の見立てである。

ワシが階段踏み外すとは

 階段を1つ踏み外し、体勢が崩れる。盛大な音が出た。しかし、足は無傷で済んだ。1つ踏み外したものの、その下が地面だった。両足が歪むことなく地面を平らに踏んだ。モンベルの靴で足首が半固定されていたのもよかったのかもしれない。広島市大手町のダイコクドラッグでの出来事である。ケガをせずに済んだのはサンタさんのプレゼントか?

 ぼけーっと階段を降りていたのは間違いないが、まさか、よもや、このワシが階段を踏み外すことなどあり得ないというか完全に想定外だった。だってまだ55歳だぞ。

 足首をケガして松葉杖をつくなどしたらシャレにもならん。今後階段を降りるときは気をつけよう。ああショック。まだ55歳やのに(←しつこい)。

霊に歓迎されるの巻

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 広島市の定宿の夜。霊の対策として守り本尊とお清めの塩を枕元に置いて寝た。目が覚めたのが午前3時ごろだったか。

 天井の四隅から順番に音が……。今回はけっこう盛大(汗)。以前は申し訳なさそうな音だったのに。

 というわけで霊に詳しい友人に聞いてみたところ、「帰ってきた!と大歓迎されてるんだろうね」だって。

 私を大歓迎するなら女性の霊だな。

「必ずしもそうとは限らない」

 ま、どっちでもええけど、私を大歓迎する気持ちがあるなら静かにしてくれ。


 

加湿器の電線が見当たらず

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 インフルエンザ対策として必須の湿度は加湿器でやってきた。この冬はインフルエンザが猛威をふるっているので加湿器をフル回転させなければ。

 と思って取りだしたのに、電線がない。電線がないとコンセントにつなぐことができず、加湿器は何の役にも立たない。

 加湿器本体と分けて置くわけがないのでその辺を探してみたが、ない。電線がないだけで買い替えるのは悔しい。電線だけ買えばいいのだろうが、どこかから出てきたらそれも悔しい。

 というわけで、この冬は加湿器なしである。加湿器と我慢比べだ。何のために?

「先生」と呼ばれることを嫌う五木寛之さん

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 川端康成や井伏鱒二、稲垣足穂、深沢七郎、カシアス・クレイ、ヘンリー・ミラー、フランソワーズ・サガン、フランシス・コッポラらの名を挙げ、新潮社の中瀬ゆかりさんが五木寛之さんにこう言う。

「今日はわたくし如きで申し訳ないのですが、先生は……」

 遮って五木寛之さんが言う。

「あの、ぼくはどんな方と対談しても<さん付け>なんですけど。(略)できれば「中瀬さん」「五木さん」でお願いします。>

 新潮社の『波』11月号に載った記念対談のひとこまである。

 五木さんを見直した(と私如きが言うのだが)。五木さんの考え方が分かる人はすぐに分かる。分からない人にはいくら説明しても恐らく腑に落ちないだろう。先生と呼ばれることに快感を感じる人もいれば、五木さんのような人もいる。ワタシのように「先生と呼ばれるほどの莫迦でなし」と思っている底意地の悪い人間もいる。

 某大手建設会社では1級建築士を先生と呼んでいて、先生と呼ばれる1級建築士たちはまんざらでもなさそうな顔をしているのだが、社員の大半が内心「この薄ら莫迦め」と嗤っている。医者や教師同士がお互いに「先生」と呼び合って疑問を抱かないのは脳みそが爛れているのだろうなぁ。小説家を先生と呼ぶのも激しい違和がある。ヨイショの裏声が聞こえてくるのは私だけだろうか。

『鉄の暴風』を書いた沖縄タイムス社の牧港篤三さんとは沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会でお目にかかり、以来長くお付き合いさせていただいたが、相手がどんな人であっても「先生」と呼ばなかった。大田昌秀・琉球大教授(当時)にも「大田さん」だった。五木さんと同じ「さん」付け。そういう敬意の示し方があるのである。固有の名前を呼ぶほうがどれだけ敬意が込もるか、やってみれば分かるはずなのだが。

 先生と呼んでいいのはお世話になった学校の教師くらいだろう。高校生くらいになると教師をあだ名で呼ぶけれど。

 先生と呼ばれている人は考え直してみるほうがいいだろうし、先生と呼んでいる人は「さん」付けで呼ぶほうが敬意を込めることができると気づくはずだ。と書いている私も時々「先生」と呼ぶけれど、その人の名字が出て来なくて焦ることがある(笑い)。


   

麻原彰晃の最期を伝える記事

 麻原彰晃こと松本智津夫はどんな最期を迎えたのか。

 巷間伝えられているのは概ねこんな内容だ。以下は『AERA dot.』から。

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 (前略)死刑執行を告げた。

「麻原元死刑囚は、暴れたり、声を発することはなかった。だが、前室で目隠しをされ、両足を固定されたときには死刑が現実のものとわかったのか、顔がやや紅潮してみえたそうです」(前出・法務省関係者)

 そして、麻原元死刑囚は刑場へと消えたという。
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 新聞各紙も当時似たような内容を報じていた。そんなに粛々と消えていったのだろうか、信者への影響を考えると麻原がもし暴れていたとしても当局はこう言うしかないだろう、などと疑問を抱いたが、それ以上の報道はなかった。

 ここに来てようやくと言うべきか、麻原の全く異なる最期を伝えた記事が出た。

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 「何をする。バカやろう」と泣き叫ぶなど動揺著しい麻原の身体を、刑務官が後ろから羽交い締めにしてアイマスクで目隠しし、後ろ手に手錠をかけた。四人がかりで抱き上げるように死刑台の上に立たせ、ロープを首に巻き付け、足をひざ下で縛る。
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 一橋文哉さんの連載「もう時効だから、すべて話そうか」である。小学館の『本の窓』の10月号だったか9月号だったか。

 これが本当の話だとしたら、麻原らしい最期なのだが、意外なくらい話題になっていないのが不思議。

東京駅丸の内北口で美しい女性に声を掛けられ

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 JR東京駅の丸の内北口改札を出たところで「エクスキューズミー」と声をかけられた。振り返ると美しい女性2人が立っている。

 彼女たちはスマホを私に示した。のぞき込むと「南口」と出ている。あ、そこに行きたいわけね。「ジス・イス・ノース・サイド」と説明し、「OK。カモン」。さっそうと歩き出すワシ。ふだん『ラジオ英会話』と『実践ビジネス英語』を聞いているので堂々としたものである。

 中国から来たそうな。日本語を全く話せない様子。いやいや、別にいいんだよ、日本人だって中国語ができないんだからと伝えようと「ディフィカルト」という単語を使ったのだが、これが通じない。「ディフィカルト?」。ワシの発音が悪いのか? 『ラジオ英会話』と『実践ビジネス英語』のせいにしておこう。

 彼女たちは中国語で何やら話している。きっと私を褒めているのだろう。日本の素敵なおじさまとか南京大虐殺をした同じ日本人とは思えないとか。このおじさまと一夜を過ごしたいとか。いやいや、さすがの私でも2人は無理だす。

 南口でお別れ。彼女たちは名残惜しそうに「シェーシェー」と何度も言いながら手を振ってくれた。日中友好であるな。

「デュアラー」はないな

 2つの生活拠点を持つのが「デュアラー」だそうで、来年はやるとリクルートが予想し、NHKがうれしそうに報じている。

 はやるかね、これが?

 若者は車を持たない。身分と収入が不安定な若者が増えた。どうやって都会と田舎暮らしをするのか? ヒマとカネがある爺様婆様ならまだしも。

 空き家対策を狙った国の姑息な策にリクルートが乗っただけではないかと私は疑う。

辺野古への土砂投入は確かに問題だが

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 この手の報道、よく分かる。よく分かるのだが、うーんと唸ってしまうのはなぜだ。政府批判は簡単なのだが、新聞が批判すべきは見て見ぬふりをする都道府県の姿勢と、その前提である日米安保の議論がないことではないか。

 そんなことしたら地方で部数が減る? ごもっとも。でもね。

 沖縄の米軍基地問題はそもそも日米安保に始まる。踏みにじられてきた沖縄にまだ米軍基地を押しつけるのかと沖縄は政権を批判しているように見えるけれど、「ほかの自治体は無視かよ」「私らを放置プレーかよ」と思っている。事実沖縄県知事だった大田昌秀さんは「ちむぐりさ」という沖縄の方言を使ってやんわりとそういう意味の発言をしていた。

 私が思うに第一候補は鹿児島県。次は熊本県辺りか。いずれにしても九州の県が他人事のように動かないのは問題である。「いや、沖縄にお願いするしかない」というのなら、政見も都道府県もそういう発言をしなければ。もちろん日米安保についての議論も含めて。

 いじめられ続けている沖縄君を政見先生も各都道府県同級生もだまーって見て、知らんふりしている教室が今の日本だな。

一字で1年を表せるわけがない

 賞味期限はとうに過ぎた。にもかかわらず、いつまで報じるのだろう。今年を示す漢字を1字で表せるわけがないのである。報じる価値があると思っているのか、去年も報じたから今年も報じると何も考えずに流れ作業でやっているのか。どちらにしてものんきと言うほかない。

 これから大きな地震や火山の噴火がたびたびあるはずで、そのたびに「災」なのだとしたら工夫も芸もない。やめたら? 報道機関がこれほど阿呆に見えるときはない。

同じ『毎日新聞』紙上で又吉直樹さんの小説を一刀両断した川柳

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 よくぞ載せたなぁ。『毎日新聞』で連載中の又吉直樹さんの『人間』への端的なである。

 又吉さんゴメンなんだかわからない 浜松 よんぼ =12月13日付朝刊「仲畑流万能川柳」

 又吉さんの2作を読んだことがあるので、期待してこの3作目を読み始めたものの、芥川賞受賞の『火花』が最もよくできていて、2作目の『劇場』が次点、3位がこの『人間』と、どんどん落ちている。『人間』が観念論に陥っているのにそれを指摘して修正する編集者に恵まれなかったのが原因かな。細切れに読む新聞連載には向いていないネタでもあった。

 それにしても、である。新聞に連載中の小説などを読者が投稿で褒めているのは時々見かけた。そういう投書を担当記者が選んで載せるのは、作者への応援の意味もあるだろう。ところが、これは違う。同じ紙面で投稿者が芥川賞作家を批判しているのである。よく載せたなぁ。

 寸鉄人を刺すと言うが、刺された又吉さんは悶絶しているに違いない。

沿岸津波の事前避難の前に

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 南海トラフ地震で起きる津波などの対策が政府でまとまったという。来ることが確実な大地震に対して何かしなければならない気持ちは分かるし、整備しておく必要性も分かるし、こういう報道が出ることで防災意識を高める効果があることも分かる。

 分かるけど、何か腑に落ちんは何でや?

 20年後辺りに来ると言われている南海トラフ地震だが、そもそも第一撃の予測ができない。第一撃でやられるのは仕方ないので、第二撃からは逃げようということか。奥歯に何か挟まったような違和感があるのは、第一撃を見ないようにしているからだな。

 地価に大きな影響を与えることになるから国は言わないけれど、海や川の近くに住んでいる人に引っ越しを促すのが一番ではないか。日本は空き家が増えているのだから、その空き家を引っ越し先として活用できればなおいいのだが。

 人の生き死にに関わる問題だけにもっと踏み込めないものか。


 

森田芳光監督『失楽園』から学ぶ男の愚かしさ

『日本経済新聞』を最終面から読ませたと言われた渡辺淳一さんの『失楽園』は小説だけ読むと単なるエロ小説だろう。そのテレビドラマは荒唐無稽にしか見えなかった。以来、私は『失楽園』をそういう作品と決めつけていた。

 しかし、「森田芳光監督が撮った『失楽園』は見るべきだ」という助言をつい先日得た。男の愚かしさを趣味で追求している私に必要な映画だと言うのである。数多くの小説を読み、映画を見てきた元舞台俳優の助言なのですぐに見た。幸いにもアマゾンプライム会員は無料で見ることができる。便利なことこの上ない。

 私が年齢を重ねたせいか経験や想像力が増したせいか、男が愚かしく追い詰められていく模様がじんわり伝わってくる。こんなふうに墜ちてゆくのだな男は。ああ、なるほど、そういうことか。阿呆やなぁ。多くの啓示を得た。そもそも私は愚かしいが、役所広司演じる男性はもっと愚かしい。そうか、ここまで墜とせという示唆か。

 元舞台俳優の指摘で気づいたのは森田監督が水を暗喩にしていることだ。滝の映像が何度か出てくる。男と女が出逢った日は大雨。男と女が永遠に1つになった日は大雪。しんしんと降り積もる深い雪の中を静かに行く男と女――。「水」の解釈を踏まえて映画を見るよう森田監督は観客に求めたのである。

 ときには暴力的に。ときには静かに。ときには形を変えて。ときには荒々しく。ときにはひっそりと。ときには人間の皮膚を覆い。ときには極寒の象徴として。絶えず落ち。

 森田監督は原作を凌ぐ映画を撮ったのではいか。


 

「人生100年時代」の嘘

「人生100年時代」は嘘である。さまざまな意図を持った国家が批評精神のないPR会社に金を払って広めさせているめくらませだというのが私の解釈だ。

 平均寿命は男女ともまだ90歳にも達していない。年金制度はとっくに破綻している。もっと働けもっと働けと定年を引き上げる動きが明確にある。西山事件で「情を通じて」をひねり出し国民感情を動かした知恵者は検察官佐藤道夫だった。ゲッペルスを意味ありげに挙げた副総理が今もいる。

 こういう点と点をつなぐと、「人生100年時代」を安易に追従しないほうがよさそうだ。批評力を発揮していい数少ない組織報道機関ならなおさらね。

今さらながらの太宰治『人間失格』(新潮文庫)だが

 国語の教科書で『走れメロス』を読んで感動したのは中学2年のころだった。以来太宰治に縁がない。林忠彦さんが1946年11月25日に東京銀座のバー・ルパンで撮った写真は有名だが、右端の後ろ姿の人が坂口安吾だと『波』2018年9月号で知った。

 という具合に、55歳になって読むとさすがに太宰治にかぶれることはなさそうだが、小説より実像に興味が湧いてしまう。新潮文庫の『人間失格』は奥野健男の解説が太宰の人物を端的に整理していて読ませる。ここを読んでから小説を読むと理解が深まるのは、作者と作品を完全に切り離すのは難しいということだろう。小説に作者が投影される、そういう読まれ方がある。

 なお『人間失格』を単体で文庫本にしているのは新潮文庫で、ほかの出版社は太宰のほかの小説と抱き合わせ。抱き合わせはいかんな。

 妻の過ちに魂を打ち砕かれた太宰の姿はシェイクスピア『オセロー』に重なる。古今東西、純粋な男の真理なのかもしれない。

東名自動車道あおり運転致死は殺人罪でしょ

 あおり運転されて停止させられた車がトラックに追突されて夫婦が亡くなった痛ましい事件。加害者は自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪で裁判を受けている。

 報道を見る限りだが加害者には未必の故意があった。殺人罪で起訴できなかったか(できなかったんだろうけど)。2人殺しているから無期懲役か死刑。これが妥当ではないか。

 赤色灯をつけて高速道を走っていたパトカーにもあおり運転したそうだから、私の理解を超える凶暴性と幼児性を垣間見る。無期懲役にして治療する必要がありそうだ。

 罪を憎んで人を憎まずと言うけれど、ご遺族の心中を察するとこんな言葉を使うことなど到底できない。


 
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