同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

無理して年内に時間を割かない

 12月になると「年内に一度会っておこう」と思うことがあった。しかし、よく考えなくても12月の次は普通に1月が来る。

 ただでさえドタバタしている人は年内に無理して時間を割く必要はないと気づいた。そもそも本当に必要に迫られていたらその人にもう会っている。

 こう思うと、無理をせずに済む。来月か再来月会おうと先延ばしして、そのときになって会おうとしなければそれはそれでいいのである。

土佐犬の困惑

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 交通事故の衝撃で檻が壊れ、中にいた土佐犬3匹が逃走したという。

土佐犬その1「え? ワシら逃走したの?」

土佐犬その2「いやいやいやいや、ごっつい衝撃があってさすがのワシらもビックリしたところ、檻が開いたから外に出ただけじゃがな」

土佐犬その3「そうそう。狭いとこに詰め込まれて運動不足になっとったから身体を動かしただけやで」

土佐犬その1「逃走いうのは人聞きが悪い」

土佐犬その3「ほんまや。オスばかり3匹詰め込まれたこっちの身になって考えてほしいわ」

土佐犬その2「遠くまで行ってないもんなワシら。その辺をちょっと散策してみただけで」

土佐犬その1「そやのに逃走って、それ違うわ。散歩しただけやのに。せめて一時行方不明とかにしてほしいな」

土佐犬その3「なめたらいかんぜよ」

土佐犬その2「お前映画の見過ぎ」

石原裕次郎がいた歌舞伎町2−25

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 東京は新宿の「歌舞伎町2−25」。石原裕次郎が撮影で立った場所を探してみた。検索したら今もこの番地がある。スマホの誘導で簡単にたどり着いた。とはいえ「2−25」はビルがいくつも建つ区画。『太陽にほえろ!』355話「ボス」(1979年放映)で撮影された建物を私は見つけることができなかった。

 番組では死刑囚(遠藤征慈さん)が共犯とされた男の無実を叫ぶ。裕次郎ボスをはじめとする捜査1係の面々がもちろん解決する。私がこころ動かされたのは、「生きてるっていいよな」という台詞に渾身の演技を尽くした遠藤さんと、汚名をそそいでくれたボスの前で落涙する名演技を見せた俳優さん(残念なことに俳優名が分からない)だった。この355話は過去に何度か見たことがあり、今回はこの2人の俳優のわずか数秒の演技に見入ってしまったところに私のこころの成長がある。ほんまかいな。

 それにしても朝の7時半ごろの歌舞伎町は夜の部がまだ残っていてちょっとだけ面白い。

平成最後と言われても

 元号で時代を区切ることに違和感があるというか、もうおなかいっぱい。NHKのアナウンサーまでが「平成最後の12月」とか「平成最後の大晦日」とか言う。確かに事実だが、大安売りのしすぎである。

 こうなると、平成最後の日は「平成最後の朝」「平成最後の朝メシ」「平成最後のコーヒー」「平成最後の通勤」「平成最後の仕事」「平成最後のオナラ」「平成最後のウンコ」「平成最後のセックス」「平成最後の晩飯」などといちいち言及せざるを得なくなることに気づいているだろうか。

 行く年来る年のノリがあるのかもしれないが、もうやめといたほうがいい。そもそも西暦で見れば「なんのこっちゃ」だし、時代は少しずつ少しずつ気づかない変化の積み重ねで変わっていくのだから、平成狂騒曲に対して「平静になれ」と言いたいぞワタシは。



 

ワシの張り紙に文句がついて

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 マンションの理事にとって音の問題は悩ましい。生活音や子供が発する音などをどう受け止めるか。正解はないのだが、天井を棒で突く人まで出てきて、その上階の家族は引っ越した。棒で突いた爺様婆様を見かけるたびに私の頭に鬼が浮かぶ。般若のような顔で突いたのかと想像して背筋が寒くなる。

 さて。洗濯機のモーター音に悩む人がいた。朝の6時台から音が聞こえることがあって悩んでいた。理事会で相談し、あくまでも目安だが午前7時から午後10時の中でと張り紙をした。それが写真である。

 この張り紙に文句がついた。住民ひとりが管理員さんに「子供に悪影響が及ぶ」と言ってきたのだ。最後の段落が気に入らないらしい。「どこがどう悪いんスか」と私は喜んで話しあうのだが、相手が名乗り出たくないということで(笑い)、そのまま終わった。だったら最初から言うな。

 この黒い諧謔が分かる子供は優秀だとワシは思うぞ。


 

車谷長吉さんを追いかけて見つけた『とい』と『三田文学』

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 いろいろな単語で検索すると、それまで未発見のものを見つけることがある。その1つが『とい』第5巻第1号(書肆とい・1991年3月発行)である。奈良の古本屋にあったので送ってもらった。

 この数カ月前(1990年12月31日)に高橋順子さんは車谷長吉さんの訪問を受け、曙橋駅近くの喫茶店で向き合っている。何も語らず不気味だった車谷長吉さんと店を出たとき「こんな澄んだ目の人は見たことがないと思った」のだった。車谷長吉さんの存在を明確に意識した時期の『とい』である。

 もう1冊は車谷長吉さんの没後1年過ぎての『三田文学』127号(2016年11月発行)だ。三田文学会のサイトで注文した。慶應義塾大で車谷さんの後輩だった前田富士男さんと新潮社編集者として育てた前田速夫さんの対談は車谷長吉さんの死が事故かそうでないかというすさまじい話から始まる。私は前田富士男さんの見解に近い。

 というわけで、車谷長吉さんと高橋順子さんを追いかける読書が続く。

『評伝小室直樹』の著者に敬意を表する理由

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 外連味があるせいかそういう見方をしていたけれど、私の先入観が間違いだった。正真正銘の学者だったのだ小室直樹さんは。

 その評伝を書いた村上篤直さんは弁護士。小室さんの本を古本屋で買い漁ったそうだ。同じ本でも買い集め、同じ本が20冊くらいに達したこともあるとか。

 そこに私はうなった。そこまでやるかと。執念だ。

 私は車谷長吉さんの署名本を買い漁ってきて、署名本だけでいつの間にか20冊近くになっているけれど、同じ本は3冊計6冊しかない。同じ本は買わないようにしているからだ。

 しかし本書の著者は同じ本でも買い集めた。ということは(というのも変だが)私も見ならう、ことになるのか?

ちょっとだけうれしい話

 その道の専門家に褒められた。褒められるわけがないと思っていたので本当にびっくりした。え、まさか、ほんまに?と。

 これからもっと自分の首を絞めていって、死ぬ寸前まで自分の首を締め続けなければならないことになるのだろうが。それで死ねば死んだでいいのである。この世に思い残すことはすでにない。

 しみじみとうれしくて、寝つけなかった。

やっぱり聞こえるラップ音

 パキ。

 コン……コン……コン……コン……コン……コン。

 コト。

 カタッ。

 広島市中区大手町の定宿。時計を見ると午前1時半だったり3時半だったりする。私が起きているときは全く音がしないのに、夜中に目を覚ますと壁や天井からラップ音が聞こえてくる。ゾゾゾゾゾと寒気がして、血が逆流し、発汗に次ぐ発汗、耳はレーダーのようになってさらに音を探知しようとしてしまう。寝れんがな。

 それだけと言えばそれだけ。私の首に長い黒髪がまとわりついたり、誰かが乗ってきたりするわけではない。しかし怖がりの私にはとってもつらい。

 ラップ音の歓迎が毎月っすよ毎月。部屋を変えても音は聞こえてくるので、私は完全に狙われている。霊感の強い友人に相談したら「遊ばれている」ということだが、勘弁してくれ。

 お札を持っていったが、効果が落ちてきた感じがする。手ごわいなぁ。

 広島の定宿を変えてみたほうがいいのかもしれないが、定宿はレンタル自転車があるので重宝しているし、ラップ音に負けるのも悔しいし。

 せめて寝るときだけでも24時間営業のスーパー銭湯に行きたいのだが、かなり遠い。さて来月の出張をどうするか。


 

 

 

中村文則さんと又吉直樹さんのトーク

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 中村文則著『あなたが消えた夜に』(毎日文庫)創刊記念の又吉直樹さんとのトークに行って驚いたのは会場の男女比である。ざっと見た感じだが女性が85〜90%を占めた。先日の村西とおる監督の比率の逆である。

 これだけ大勢の女性のお目当ては中村文則さんなのか又吉直樹さんなのか? あるいは両方なのか?

 この2人を見た瞬間に私の脳に浮かんだのは車谷長吉さんだ。芥川賞候補になること2回。圧倒的な小説なのに落とされ、こころを病んだ。『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞をもらったのは53歳ごろだった。『赤目』はもとより、車谷さんの芥川賞候補作2編が中村又吉作品より劣っていたとはどうしても思えない。車谷長吉派(派なのか?)としては「あんたらラッキーやったね」という複雑な思いで2人を見た。

 さて。質疑応答の時間である。つい「はい!」と元気な声を出して手を上げたのは私だけだった。ほかの人は黙って手を上げている。手を上げるとき「はい!」と声が出てしまう私は小学生並みの頭なのかもしれないな。

 司会の女め、私を指さなかった。4〜5人指されたのは通路側に座っていてマイクを渡しやすい座席にいた人ばかり。私は20人席の真ん中だったので、マイクの受け渡しの時間を考えて避けたのだろう。

「登場人物にどれくらい実在のモデルがいますか。自分の経験をどれくらい使いますか」「新潮社や文藝春秋に比べると毎日新聞社には文芸の編集者がほとんどいないと思うのですが、新聞連載で編集者が役立たずで困るのではありませんか」「又吉さんの連載『人間』は観念論に陥っていると思うのですが、又吉さんはそう思っていないのですか」。この3つを聞きたかったんだがなぁ。

流行語大賞に安易に乗りすぎ

 テレビも新聞も流行語大賞という宣伝に見事に引っかかっている。流行語の候補とやらまで出して悪ノリするユーキャンに引っかかり、宣伝に努める愚かさに気づいてないとしたらどうしようもない。特に民間テレビは。

 報道機関なら自前で流行語を決めることくらい朝飯前だろう。まず社内の記者で決定する。読者でも決定する。この2つで各社の個性が出るだろう。

 必ずしも流行語である必要もない。あとで振り返ったときに「あの時代はあれがあった」と思い起こさせるニュースでもいいし、ニュースの中の単語でもいい。

 ユーキャンに頼るのはもうやめよう。

差別的投稿が発覚した青森市議が反省すべきは

 青森市議の山崎さんがツイッターに匿名で差別的な投稿をしていたことで猛攻撃を受けた。

「年金暮らしジジイを舐めすぎ 平日の役所窓口で罵声叫んでるのだいたい爺さん 君にそんなエネルギーあるんかい」

「そういえば、デリー行きの電車に乗った時、おかまの物乞い来たな〜 札束めっちゃ持ってたけど」

「片腕落として障害者雇用」

 行き過ぎの感は大いにあるけれど、もしこれが気の置けない友人とのやり取りだとしたら山崎さんが反省すべきは、(1)市議という公人なのでノブレスオブリージュが適用される、(2)SNSでの匿名はバレる可能性がある、(3)実名で言えないことは言わない、という辺りか。

 私などもっとひどいことを友人に話しているけれど、チンケな私人だし、実名で書いているからSNSでの発言は自然に自制する。

 私は聖人君子ではないので失礼無礼差別的なことがどんどん頭に浮かぶ。それを信頼できる友人に口頭でぼそっと漏らして一緒にヒヒヒと笑うだけである。

 よかったら私が山崎さんの話し相手になってやるで。一緒にヒヒヒと闇に向かって暗く笑おう。

隠しておきたい記録データの隠し方

 
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 婚外恋愛をしていた男性が亡くなり、デジタル遺品を家族が見つけ、交際相手の女性フリーアナウンサーが全てのレギュラー番組を降板させられたという。かわいそうに。とばっちりである。

 記憶を何か残そうとするのは男のクセだろう。「男の恋愛は犬の小便」と言われるように、何度もクンクンにおいを嗅ぐ習性がある。自分が墓穴を掘るなら笑い話だが、交際相手に迷惑をかけるようでは彼氏失格と言うほかない。この男性は自分が死ぬとは思っていなかったに違いない。そこに油断があった。

 ではどうすればいいか考えてみた。

(1)クラウドに保管して、男女とも入ることができるよう暗証番号などを共有しておく。どちらか片方が死んだら、生きているほうがさっさとデータを自分のパソコンにダウンロードしてクラウドを閉鎖するかクラウドをすぐに削除する。

(2)年齢の若いほうが保管する。基本的に若い方が余命は長いので、安全度は高い。

(3)紙焼きにして独身のほうが保管するか、両者を知っていて理解がある第三者に保管してもらう。しかし第三者が持っていると見たいときに見ることができないなぁ。

(4)DVDなどの記憶媒体に移して銀行の貸金庫などに保管する。これならバレる確率は非常に低くなる。そこまでやるかという話ではあるけれど。

『功徳』雑カン


 車谷長吉さんの小説は人間が生きる鬱屈を拡大鏡で見せてくれる。

 長嶋茂雄がしくじることを期待してラジオを聞いて自己嫌悪。安アパートであきらめきったように息を潜めて生きている人。哀れな企業戦士の日々。息子に死なれた貧相な身なりの母親。職場の後輩を連れて出張に行った先で女を与え「あいつはまだ童貞やったが。わしはええ功徳を施した」と得意顔で喋る俗物。

 小さな挿話なのだが、ひとつひとつの衝撃が大きいのは、自分の中にある何かと微かに触れあうせいかもしれない。

 2000年、『一冊の本』9月号に発表。

狙われるリュックのチャック?

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 リュックを背負う人が増えて、チャックが開いたままになっているのに気づかないで歩いている人も増えた。目が後ろについていないので気づかないのは仕方ない。しかし、である。開いたチャックは単なる締め忘れなのか?

 開いたチャックの何割かは腕利きのスリがチャックを開けて何か盗もうとした形跡ではないか。何度かここに書いたけれど、ロンドンの地下鉄でリュックのチャックを開けて盗もうとしている現場を私の目の前数十センチの辺りで見たことがある。背負っている若いアジア系女性は全く気づかず、盗んでいる若い黒人も私が目の前で見ていることに気づかない(笑い)。「ビーケアフル!」と女性に呼びかけたら犯人が驚いて次の駅で降りていった。背中は死角なのだとロンドンの地下鉄で学んだ。

 というわけで、チャックが開いていることに気づかないでリュックを背負って歩いている女性には「チャック開いてますよ」と声をかけている。ん? 何か?


 

 

恩師伝さんのスダチを搾って

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 スダチのおいしい食べ方を見つけた。焼き魚に搾りかけるのが一般的だろう。最近は味噌汁に入れるという提案を地元がやっているけれど、要するに生産者側は用途を増やしたいわけだ。しかし邪道であるな味噌汁に入れるのは。何にでも搾りかければいいというものではない。

 私が見つけたのは水に搾って入れて飲む。これが最高。水か冷水をコップに入れ、そこに半分に切ったスダチを搾る。タネも入れていい。あとで吐き出せばいいのだ。2個搾ってもいい。酸っぱくない。爽やかである。

 とりわけランニングのあとの一杯は五臓六腑に染みわたる。横浜マラソン用に水筒にスダチ水を入れて行き、帰りに飲み干した。気のせいか(気のせいだが)回復が早かった。

 このスダチは徳島市立高の恩師伝さんが送ってくれた今年2回目のぶん。1回目にスダチ水を編み出し、そのうまさに気づいた私は伝さんに福島の梨をワイロに送って2回目のスダチをせしめたのであった。というか、そもそも恩師がスダチを先に送ってくださって不肖の教え子が慌てて福島の梨で返礼したというのが正しい事情なのだがそれではオモロないのでちょっと話を変えてみた。

 色の付いたビニール袋に入れて冷蔵庫で保管すると長持ちすると伝さんが教えてくれた。さすが生物の先生である。

 恩師の顔を見に帰省せんといかんなぁ。

「自己責任」という言葉の危険性

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 手持ちの『広辞苑第5版』などに載っていない自己責任。由来は何だろうと思っていたところにいい記事が出た。10月28日付『毎日新聞』(東京本社版)2面である。

 記事によると、リスクのある金融商品に投資する消費者に対して1980年代後半に使われたという。英語のresponsibilityが自己責任と訳されたそうで、語感がずいぶん違ってしまった。

 戒めの経済用語が他人の行動の批判や自分を追い詰める際に用いられるようになったわけで、言葉は生き物だから今後の広がりを警戒してしまう。例えば「成績が悪いのは自己責任だ」などと使われたら、家庭や学校の責任が棚上げされる。私は塾や予備校で偏差値の低い子供を見てきたので、常々そういう子供たちを基準に世の中を見る傾向があるのだが、私が見た限り、子供たちが勉強ができなかったのは決して自己責任ではなかった。家庭の状況があったし、学校の無責任があった。そういう外的要因に翻弄されていた子供に「自己責任」を突きつける時代が早晩来る。

 あるいはまた、速度の出し過ぎで交通事故を起こして障害を負った人や亡くなった人にまで「自己責任」を押しつける日が来る。肺がんになった喫煙者に対しても、アル中患者にも、露出度の高い衣服を着ていた女性が強姦されても、戸締まりを忘れた家に強盗が入っても、「自己責任」という言葉が襲いかかって当事者の口を封じる日が来る。そういう恐ろしさがある。

 記事の中で江川紹子さんが「迷惑をかけないことをよしとする日本人の精神性が強まっているようだ」と喝破したように、あらゆることに対して迷惑をかけないようにしなければと人を萎縮させてしまう恐ろしさがある。社会保障や福祉に救いを求めることができる人がその手を引っ込めてしまうことにつながりうる。

 少し前までは「自業自得」という言葉を世の中は使っていた。しかし「業」という漢字の響きゆえか全体に語感が強いからか、使うのにためらいがあったように感じる。

 自己責任は使わないほうがいい。使う場合は自己責任で(という蛇足のオチは真面目な原稿に書かないほうがいいのだが、われながらオモシロいので自己責任で書いておく)。

3つのマラソン大会で思ったこと

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 徳島と那覇、横浜の各マラソン大会を走って見えたことを思いつくままに。

 今回意識して見たからだろう、ボランティアの存在の大きさが横浜マラソンで初めてよく分かった。早朝からの交通整理や誘導、給水所、沿道、トイレなどなどどこを見てもボランティアの姿があった。給水所付近の道路に散乱する紙コップの回収やそのほかのゴミ掃除もボランティアの皆さんがやってくれる。ボランティアの人たちが完璧にお膳立てしてくれた中を私は単に走ったに過ぎない。仕事とはいえ早朝からかり出された神奈川県警も含めて、感謝の言葉しかない。

 今回の横浜マラソンで初めて気づいたのだが、場所によってはトイレが男女別になっていた。男女共用は女性に大変つらい思いをさせるので、とってもいいことだ。今後男女別のトイレが常識になるだろう。

 横浜マラソンは給水所がたくさんあった。どの給水所にもアクエリアスと水が分けて置かれていたので、アクエリアスは飲み、水は頭からかぶる、というふうに使うことができた。徳島マラソンは大塚製薬のお膝元なのでポカリなどがどこの給水所でも飲み放題だった。これらに対して運営者が給水所のあり方を再考すべきなのが那覇マラソンだ。地元の人たちの善意に頼るあまり、給水所の大半が文字通り水しか用意していなかった。ランナーが熱中症で倒れる原因は給水所のしょぼさにある。

 横浜マラソンも那覇マラソンも給水所が道路の片側にしかない。徳島マラソンは両側に設置していた。位置をずらして両側に設置すれば道路が狭くなることはない。徳島マラソンを見ならうべし。

 最大の疑問は走る順番である。あらかじめ自己申告したタイムに応じて順番に並ぶ。走るのが早い人は先に出発し、遅い人はあとから出発する。横浜マラソンは3万人近くが走ったから、最初に出発した早い人と最後に出発する遅い人で、出発に30分ほどの差が生じる。そのうえ関門がある。走るのが遅い人があとから出発するのだから関門に引っかかる可能性は高くなる。本来走るのが遅い人こそ先に出発させていい。そうすれば関門に引っかかる人が少しは減るだろう。時間だからと関門でランナーの前に立ち塞がるのではなく、遅いランナーこそ応援して完走を支えるという考え方のほうが私は好きなんだけどな。

 横浜マラソン参加賞のシャツの袖にまたまたエネオスの巨大なシールが。着るたびにエネオスの宣伝を私に強いるわけだ。エネオスのイメージがどんどん悪くなる。そこまで目立ちたいのかエネオスよ。どうしようもない企業だな。エネオスでは給油しない。


横浜マラソン完走記

 台風の影響で中止になった去年のウラミを晴らすべく、横浜マラソンをヨタヨタと走り抜いた。

 
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 ようやくスタート地点が見えてきた。私のスタートまでに30分近くかかった。次回のマラソン大会では自己タイムを1時間くらい早めて書くしかないか。そういえばパンフレットに載っていた剛力彩芽さんが来ていなかったぞ。

 
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 左手に山下公園、右手にホテルニューグランド。この道路は2年前も走った。当時はフルマラソンを走る自信がなくて10キロの部に出た。簡単に完走したが、何の感動も達成感もなく、それがフルマラソン出場の動機になった。

 この辺りはランナーが多くて私のペースで走ることができない。前に出たいのに出ることができない。

 
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 首都高入口。電光掲示板に「首都高にようこそ」。

 
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 首都高の改札。いや違うか。何と呼ぶんだここは。

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 首都高を自分の足で走ることができるのが横浜マラソンの自慢。しかし、このルートはふだん交通量が少ないのだろうなぁ。景色が平凡で(苦笑い)。東京の首都高なら面白いのだが。

 大石先生から「首都高が一番つらい。沿道の応援はないし、はるか彼方に横浜のビルが見えて、あそこまで走るのかと」と聞いていたおかげで、淡々と走る。

 
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 ようやく戻ってきた。

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 ゴール。私の腕時計では5時間39分。3回目のフルマラソンだが、タイムは足踏み状態に終わった。

 1カ月以上前から少しずつ朝型にしていった。1週間前から朝飯を5時ごろ食べ、前日は昼飯を11時、晩飯を18時に食べて、マラソン大会用に調整した。

 ただ、1週間くらい前から食べ過ぎの感があった。横浜マラソンの15キロ辺りから便意を催し、まぁ大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、首都高ののどかな光景とランナーが走る足音が私の副交感神経を刺激した。これが私の“快足”を引っ張った。

 ゲストの谷川真理さんは「マラソンは30キロから」と呼びかけていたが、その意味の理解を便意が邪魔した。首都高を走っている間に「どこでウンコしよう」が頭を支配する。できればホテルニューグランドで脱糞したい。トイレがきれいだからね。ウオシュレットもあるし。しかし、走れど走れどホテルニューグランドは遙か彼方だ。仕方なく、待ち人が少なかった36キロ地点辺りのトイレに駆け込んだ。というわけで、15キロから36キロにかけての約21キロ、フルマラソンの半分ほどをウンコのことを考えながら走るというお粗末な内容だった。食べ過ぎ注意という反省が残った。

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 今年の完走メダルに加えて、中止になった去年の横浜マラソンのメダルも手に入れた。並べて見て気づいたのはカモメと海。港町ヨコハマの象徴なんだな。

 これで横浜マラソンはおしまい。あとは東京マラソンだ。なかなか当選しないけど。

 (写真はニコンのキーミッション170で撮った)

免震不正の深層

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 深層と書いたが深い話ではない。阪神大震災のとき首都高の柱が崩れ、そこに埋め込まれていたタバコの箱だか空き缶だかのゴミが明らかになった。そういうことをした人の心情を想像して私は寒気を覚えた記憶がある。

 大きな建造物だしコンクリートで密閉されるし壊れることはないだろうから発覚しない、発覚しても誰の仕業か分からない。そういうふうに判断してゴミを首都高の柱に詰め込んだのだろう。バレるわけがないと考えた薄ら寒い人心は矜持の問題か道徳の問題か。

 最近も神戸製鋼や日立化成、スズキ、フジクラ、日産などが不名誉な“犯罪行為”を報じられている。免震・制震装置の不正も似たようなものではないか。大地震で壊れても「想定以上の負荷がかかった」で言い逃れることができると見くびったのだと私は見る。もう1つの可能性として、これだけ不良品が出ていたということは免震や制震は机上の技術でしかないのではないか、という疑問が残る。

 このような問題は例えばカメラ業界では起きない。ニコンのZ7に対して宗教戦争かと呆れるくらいソニー派やキヤノン派も入り乱れて性能批判が飛び交っている。消費者に近い商品は目の肥えた消費者がいるから品質管理が厳重だ。

 10月27日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版14新版)社会面は「品質より納期」と見出しを掲げた。その通りではあるのだろうが、会社は会社で現場の品質管理の重要性を知らず、現場は現場でバレるわけがないという見くびりがあったと私は見る。一般消費者の目に触れる商品やサービスではないから、ニコンやソニーのような緊張感や厳しさを持っていなかったと私は見る。

 現場で手抜きされたらおしまいだ。最後の関門として機能するためにはどうすればいいのか。私に名案があるわけがない。ただ、矜持の問題だとは思う。

安田純平さん無事帰国の受け止め方

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 内戦下のシリアで武装勢力に拘束されたフリージャーナリスト安田純平さんが3年5カ月ぶりに解放されて帰国したことをどう受け止めるかで侃々諤々喧々囂々である。考えが止まってしまうので「自己責任」という批判はここでは使わない。以下思いつくままに。

 まず無事で良かった。命だけは取り返しがつかない。無事の帰国をまずは喜びたい。ご家族にもお祝い申し上げたい。

 解放の背景には日本政府やカタール、トルコの尽力があったとされる。日本の外務省が頑張って邦人保護の結果を出したことに、それが仕事だとはいえ、やっぱり拍手を送っていいだろう。

 私の周囲では厳しい声が聞こえてきた。テレビを見ると、抑え気味ながらやんわり批判的なニュアンスを伝えるコメンテーターがいたし、横田めぐみさんの母親が「なぜあの人は帰ってきて、大勢の拉致被害者は帰ってこないのか不思議だ」という趣旨の発言をしたようだし、安田さんの過去の発言がブーメランのように戻ってきているようでもある。

 安田さんのご家族はお詫びや感謝を繰り返し語っているようだ。お詫びや感謝の言葉にはニュース価値がないから新聞やテレビは省略しがちだが、報道は省略すべきではない。受け止める側の感情を左右するからだ。

 安田さんの配偶者深結さんを取材した10月25日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)「夕刊ワイド」によると、ご家族は精神的に追い詰められていた。そんな中で深雪さんは今年7月から首相官邸に毎日電話をかけたという。

 安田さんは帰国時にこういうことを知らない。身代金を払うなと配偶者に釘を刺していたようだし。もしかすると日本政府やカタールなどの国家が救出に動いたことを知らず、「おれは耐え抜いた」と思っているかも知れない。だとすると、配偶者やご両親からよく聞いて事態を把握したうえで考え方の軌道修正をするほうがいい。

 私が安田さんなら、と考えた。シリアに行くような人と安全地帯にいる私とでは精神構造が違うので想像の域を出ないが、上記の状況を知ったうえでという前提で想像すると、あまりにも恥ずかしい。身の置きどころがない。政府批判などできなくなる。何を発言しても「政府に助けられたくせに」という目で見られているだろうなぁと思ってしまう。それでも、首相官邸や外務省などにお礼に行く。頭を下げて感謝の言葉を伝える。それを報道されてもいいというか仕方ない。

 日垣隆親分が昔から指摘していた「自分がニュースになってはいけない」の戒めが胸に刺さる。


 

 

アマゾンのプライム会員サービスが劣化した?!

 NHKのラジオ講座テキストをアマゾンで買う場合、プライム会員でも合計2000円以上でないと買うことができなくなった。

 ラジオ講座テキストは安いからかと思ったが、どうやら違う。例えば400円ほどの新潮文庫なら従来通り1冊から注文できる。

『ラジオ英会話』と『実践ビジネス英語』を毎月買っているけれど、1000円にさえ満たない。NHK出版とアマゾンの間で何かあったのか?

頭がブラックアウトした新聞

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 大規模停電は5字。ブラックアウトは7字。2字の差がある。文字が大きくなって収容量が減っている新聞がなぜ字数の多いブラックアウトを使うのか。

 阿呆な『毎日新聞』は初出時に「大規模停電(ブラックアウト)」と記したり「ブラックアウト(大規模停電)」と記したりして迷走中。私が読んだ限りだが、にもかかわらずそのあとの記事で全てブラックアウトを使っている。

 ブラックアウトにはいくつか意味がある。報道管制という意味さえある。そんな英単語を使わずに日本人なら誰でも分かる大規模停電で必要十分である。

 それなのになぜ。そもそもブラックアウトを使う必然性がない。

 私の邪推だが、大規模停電と言うと電力会社が横に浮かぶ。電力会社の責任を避けるためにブラックアウトという横文字で煙幕を張って電力会社を守ろうとしているように見える。報道管制でないことを祈る。




 

読書の秋に積ん読本を数えてみたら

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 次女が怒っている。「何で畳の上に本の山ができてるの!」「何で食卓に本の山ができてるの!」

 知らんがなと言いたいところだが、まだ読み終えていない本を置いてあるだけである。

「読み終えてから買えばいいのに」とご立腹の次女。

 読書の秋という惹句があるけれど、読書は一年中するものであって、秋の特権ではない。だから本がたまる。「読み終える本」より「読みたい本」が多いからこうなる。

 念のために(?)積ん読本を数えてみた。雑誌類を除くとたぶん80冊くらい。古本を加えたら100冊を超えることが分かった。げげげ。そんなにあるのか。数えてよかった。数字で把握するのは大事だなぁ。

 読む時間が足らないのもたまる原因である。

「お父さん、火をつけたらこの部屋はよく燃えるよ」

 <父親の積ん読本を嫌悪><娘が放火><父親焼死>。こんな見出しの記事が目に浮かぶ。読書週間に放火すれば社会面トップか?

いかがわしいワシ

 インターネットで調べ物をしていたら私の名前が挙がっていて、「少々いかがわしい人物」とか何とか推測されていたのが目に入った(笑い)。『週刊金曜日』時代の内幕ものを『新潮45』に書いた私に対する批評の中だった。

 それにしても「いかがわしい」とは何と素敵な褒め言葉よ。今までこの賞賛だけはなかったので、うれしい。しかし、不満がないわけではない。「少々」どころか「全身いかがわしい」のである。遠慮なくそう書いてええんやでぇ。

『透明人間』は哀しい物語だった

 透明人間になることができたらなぁと思ったことがある一人である。だいたいそういう場合は透明人間になって女湯をのぞいてみたいとか好きな女の子の部屋にしのびこんでみたいとか、ろくなことを考えていないというか人間らしいことを目論んでいたというか。

 このような阿呆なことを想像しながら当時抱いたのは「着ている服は透明になるのか」や「くしゃみをしたら聞こえるのか」、「血が出たら見えるのか」などのギモンである。『透明人間』を読むと解決する。よく練られた小説だ。

 さて。途中休むことなく一気に読んだ。それくらい面白い。しかし話の展開は哀しい。その哀しさに秋葉原事件を起こした加藤智大死刑囚と重なるところがある。今だから読み込むことができるところはあるのだが、もっと早く読んでおくべきだった。

 本書を勧めてくれた日垣親分に謝意を記す。題名は知っている有名な本なのに未だに読んでいないものがまだまだある。どこまで読むことができるか。命との競争が始まった。

あの上野千鶴子先生が

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 毎日新聞社にちょっと気になる名前の女性記者がいた。他人に思えなくて、かつての同僚・有ちゃんに尋ねてみたことがある。

「ニシノさん、彼女は東大の上野ゼミ出身ですよ。腕をかる〜く捻られますよ」

 ヨコシマなワタシのココロを察した有ちゃんは上野ゼミという虫除けを私の顔の前に示したのであった。軟弱なワシはかる〜く腕をひねられれてアタタタタ。想像して手を引っ込めた。

 その上野千鶴子先生が10月20日付『朝日新聞』Be版「悩みのるつぼ」で、母の不倫に戸惑う男子高校生の相談に答えている。母親に一生「女」を封印せよという権利は息子にもないと喝破した。

 おお。これならワシと話合うと思うぞ。念のために万一に備えて両腕を後ろに隠して会ってみたいな某女性記者に。

警察密着番組は面白い

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 福島県庁内の社会記者クラブで共同通信の福ちゃんと話したので1990(平成2)年ごろだと思う。話題は警察密着番組の問題点だった。ふだん警察取材をしている記者にとって警察密着はあり得ず、その手の番組は警察のたいこ持ちにしか見えなかった。事実、警察の批判は皆無で権力監視を放棄していた。

 放送局には報道系と娯楽系の組織があり、後者が警察密着番組を作っている。放送局だからこそ作ることができるのであって、娯楽系がほとんどない新聞社には逆立ちしても無理である。警察密着番組が時々問題になるけれど、放送局の構造を踏まえなければ的を外す。

 実は私は警察密着番組を嫌いではない。番組を見ると警察に共感してしまう。だからこそ手ごわい。

ハズキルーペは使いにくい

 美しい女性に「きゃ」と言われて踏まれたい。ハズキルーペのテレビ宣伝を見た男の過半数がこう思ったはず。

 そのハズキルーペを使った人が2人いて、使い心地を聞くと2人とも「よくない」と言う。横浜のヨドバシカメラで試しにつけてみたが、確かに使いにくい。ピントの位置が固定されているので、顔が動いたり手元の物が動いたりすると焦点がぼける。でもって三半規管が敏感な人は酔うかめまいがする。

 私の母が新聞を読むときに使っている大きなルーペのほうがいい。

 というわけで、テレビ宣伝はいいけれど、ハズキルーペ自体が良くないので、早晩売り上げは落ちる。

すべすべもちもちつるつるの肌に感動したぞ

 若いっていいねー。高校生かなー。半袖から伸びたしなやかな腕に私ともう1人の男性が見入ってしまった。

 すべすべもちもちつるつる。くちづけしてみたいという欲望が一瞬よぎった。あとで、もう1人の男性とともに「最高でしたね」と言い合った。

 若い男の子(そう、男の子だった)の肌に目を奪われたのは初めてのケイケンである。こんな思いを抱く日が来るとは。
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