数学はセンスが必要だと言われる。本当だろうか。
駿台の夏期講習で出会った藤田修一師の読解法に目から鱗が落ちた私は、それまで停滞沈滞していた現代文の得点が急上昇した経験がある。現代文読解に必要なのはセンスではなく、読解方法を知ることだった。
数学にはセンスが必要だとして、そのセンスを形成する方法論があるのではないか。数学が得意な人が無意識に解いているその頭の働きを意識的に詳細に“因数分解”することで、センスと言われてきた曖昧模糊としたものが汎用性を持つ技術論になるのではないか。
私は数学の落ちこぼれなのであくまでも想像だが、数学が得意で言語能力の高い人ならセンスの中身を解き明かしてくれるのではないかと期待してしまう。木を見て森を見ない勉強法ではなく、森を俯瞰しながら木を見て木の葉を一葉一葉整理していくような技術論の明確な言論化はできないものか。
駿台の夏期講習で出会った藤田修一師の読解法に目から鱗が落ちた私は、それまで停滞沈滞していた現代文の得点が急上昇した経験がある。現代文読解に必要なのはセンスではなく、読解方法を知ることだった。
数学にはセンスが必要だとして、そのセンスを形成する方法論があるのではないか。数学が得意な人が無意識に解いているその頭の働きを意識的に詳細に“因数分解”することで、センスと言われてきた曖昧模糊としたものが汎用性を持つ技術論になるのではないか。
私は数学の落ちこぼれなのであくまでも想像だが、数学が得意で言語能力の高い人ならセンスの中身を解き明かしてくれるのではないかと期待してしまう。木を見て森を見ない勉強法ではなく、森を俯瞰しながら木を見て木の葉を一葉一葉整理していくような技術論の明確な言論化はできないものか。