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 『毎日新聞』福島版や『週刊金曜日』で署名入りの小さな文章を書いてきた際ここまで違和感を覚えなかったのは、私がマスコミ側だったからだろう。マスコミを離れて新聞や雑誌の書名入り記事を読むと、「筆者は熱があるんじゃないか?」と思うことがある。

 その例が『朝日新聞』(東京本社版)で立て続けにあった。1つは9月14日付朝刊2面「日曜に想う」を書いた星浩特別編集委員の「事実と正直に向き合いたい」で、もう1つは20日付朝刊14面「ザ・コラム」を書いた大久保真紀編集委員の「記者の仕事 無償の巧妙主義こそ」である。

 星さんは退社を迎えて感傷的になったのかもしれないし、朝日新聞問題を何か書いておきたいと思ったのかもしれない。大久保さんは連載最後なのでやはり同じような心境になったのかもしれない。

 私は新聞が好きだし、新聞記者の仕事も大好きだったから、お二人が書いている内容は実によく分かる。うんうん、そうです。本当にそうですよね、と頷くし、死語になった「記者魂」とでもいうべき熱を感じる。

 でもね、こういうの、新聞記者賛歌は社内報に書けばよかろう。

 読者にはいろいろな職業の人がいる。塾の先生もいれば銀行員もいれば公務員もいる。商社マンもいる、専業主婦も大学生も八百屋も散髪屋も美容師もいる。そんな人たちに「私たち記者の仕事はね」と熱く語っても、「実感が湧かないだろうな」「もしかしてこれって自画自賛?」「めちゃくちゃ恥ずかしいことやってる?」と気づくのが教養ではないか。

 塾の先生が、銀行員が、公務員が、商社マンが、専業主婦が、八百屋が、散髪屋が、美容師が、「私の仕事はすんばらしいだよん」と熱く語るのを記者は聞くだろうか。自分の仕事を特別視することへの客観的な目線を持てないのなら、こんな話は社内報限定で書かないと「何様?」と突っ込まれる時代であることに未だに気づかないのだろうか。