
手間がかかることを厭わなくなった。ひと手間ひと手間が楽しい。何でや?
従来コーヒーはパナソニックの全自動を使ってミルから抽出までボタン1つで飲んでいた。自分でコーヒー豆をガリガリ挽く手間がもったいないと感じた。コーヒー用のドリップポットと濾過布を買ったけれど、数回使っただけで投げ出した。
それが何という変わりようだろう。ミルのネジを真剣に微調整し、無心になってコーヒー豆をガリガリ挽き、ドリップポットからお湯を丁寧に落とし、盛り上がるコーヒー粉を愛でるようになった。
せっかちな性格が変わるものではあるまい。変わったとしたら年齢と、加齢に伴う何か、なのだろう。
手を動かす行為と時間が精神の安寧をもたらしてくれると言うと大げさか。
コーヒーに限らない。レンジファインダーのライカMに魅了されたのは、撮るのにひと手間もふた手間もかかるからだ。シャカシャカと連写してその中から偶然写ったいい写真を選ぶより、失敗してもいいから1枚1枚丹精を尽くしてシャッターボタンを押す行為で得られる写真のほうがはるかに貴く価値があると感じる。
人の手間がかかることへの敬意が52歳にしてようやく分かってきたということか。成長したなぁ(ほんまかいな)。