「忘れない」とNHKがしきりに言っているけれど、私は忘れたことはない。私が立派だからではなく、福島で3年半暮らしたことがあるからだろう。知人の顔が何人も浮かぶ。だから、忘れられるわけがない。たぶん毎日1回は福島を思ってきた。
とはいえ、私にできることはきわめて限られている。機会を見て福島で途中下車して沖縄料理店パイナップルハウスでたらふく食べることや知り合いのくだもの農家からくだものを買うこと、スーパーで優先的に福島産の食材を買うこと、うーん、この程度しかできていない。あとは寄付をすることと新聞報道を読んでこころを寄せる傍観者の役割を務めるくらいだ。
人口が減る一方の福島への引っ越しを考え、福島の人に相談したことがあるけれど、仕事の面で難しかった。
福島をはじめとする被災地の人と違ってのんきな生活をしている私でさえ、「3・11」は3月11日だけではない。毎日が「3・11」なのである。
とはいえ、私にできることはきわめて限られている。機会を見て福島で途中下車して沖縄料理店パイナップルハウスでたらふく食べることや知り合いのくだもの農家からくだものを買うこと、スーパーで優先的に福島産の食材を買うこと、うーん、この程度しかできていない。あとは寄付をすることと新聞報道を読んでこころを寄せる傍観者の役割を務めるくらいだ。
人口が減る一方の福島への引っ越しを考え、福島の人に相談したことがあるけれど、仕事の面で難しかった。
福島をはじめとする被災地の人と違ってのんきな生活をしている私でさえ、「3・11」は3月11日だけではない。毎日が「3・11」なのである。