P1300864

 1989(平成元)年毎日新聞社入社の私が福島支局1年生の時の上司や先輩たちと久しぶりに集まった。福島会である。

 怖い園木支局長は相変わらず鋭い眼光を保ち、恐ろしい椎名デスクは相変わらず風格がある。出来の悪い私は雷を落とされ続けたのに、顔を見るとうれしさと懐かしさがこみ上げる。私にとって両親のような存在なのだ。

 アントニオ猪木が講演中に暴漢に襲われた1989年10月14日。入院先は警察のガードが堅い。病室の前に警察官が見張っている状況だった。にもかかわらず「そこを突破してコメントを取れ」と園木支局長は無茶を言い(笑い)、会津若松通信部の山本さんは手を尽くした。

 自民党県連を二分する1988年の激しい県知事選。佐藤栄佐久さんが勝つと読んでずっと追いかけた唯一の記者が行友さんだ。知事選紙面は『毎日』の圧勝だった。私が本社に異動するさい佐藤知事にあいさつに行ったら、「行友さんは元気にしてる?」と聞かれたほどだから、佐藤知事にとって最も印象に残っている記者なのである。

 福島時代から異動希望に「バンコク支局」と書き、それを本当に実現してアジア総局長になった西尾さんは、私の記者初日に昼飯をごちそうしてくれた先輩である。当時の支局のエースで今は局長に出世している岩沢さんに「雪山遭難の取材で、車の中で西尾と夜を明かしたんだけど、俺は寒くて眠れないのに西尾はグーグー寝てた。あの神経はどうなってんだ」とかつて言わしめた西尾さんの頭には白いものが増えた。

 県警時代はいつも地元紙の『福島民報』に抜かれまくった。県警キャップ野島さんと私は図書館汚職の取材合戦で後手に回り、ある日の午後、椎名デスクからレストランに呼び出された。椎名デスクは周囲を気にせずひとしきり私たちを怒鳴り、「さぁ食え!」。激しい叱責に私たちはヘロヘロになっている。胸が詰まって食えんがな(涙)。しかし、私たち県警コンビは阿呆ではない。1回だけだが抜いたことがある。福島署の八巻副署長に「珍しい」と褒められた(苦笑い)。そういえばあのころから野島さんはベトナムが好きだった。毎日新聞社内で随一のベトナム専門家である。

 椎名デスクと電話で口論になって受話器を壁に投げつけた澤さんは仕事で欠席。「現地に飛べ」と指示を受けたにもかかわらず、効率を考えてこっそり自宅に戻って電話取材をした知能派ケンちゃんも欠席。反原発で一貫し、全舷で園木支局長と衝突して宿を飛び出した柴田大先輩も欠席。ジャニーズ事務所のタレントのような甘いマスクの高橋さんは大阪本社勤務で来ることができず。つかみどころのない佐藤さんは今回の件で幹事の野島さんが電話をかけても相変わらずつかまらなかった。

P1300851


 こうして振り返ると、すさまじく個性ある人たちが毎日新聞福島支局に集まっていた。記者を放し飼いにしながら、きっちり束ねたのは園木支局長と椎名デスクの手腕である。

 その園木支局長は県警も県庁も記者以上によく回るのでわれわれ記者には“困りもの”だった。しかし支局員の異動希望先をかなえる人だった。椎名デスクは電話で警察官相手に怒鳴りあげ、相手を半泣きにさせた。私も電話で叱責されて県警記者クラブで涙を落としたことがある。それほど怖かった。西尾さんは「怒鳴られて、頭の中が真っ白になって、取材に急いだら高速道で140キロ出してしまって、止まれという警察の指示を無視して走り続けて……」というすさまじい体験(笑い)を明かした。

 駆け出し記者時代は目の前の仕事にいっぱいいっぱいで気づかなかったけれど、あの人たちがいた毎日新聞福島支局はめちゃくちゃ面白い職場だったんだなぁ。

 ふるさとは遠きにありて思うもの――。