檀一雄『火宅の人』(上下巻・新潮文庫)を20代や30代、40代で読んで共感できたかどうか。自分が抱え込んでいるのに抜き差しならぬ業を自覚するのは天命を知る50代以降ではないか。

 何ノソノ百年後は塵アクタだ。今の情念を貫くよりほかに、私の生きざまはない=下巻253ページ

 檀一雄の業を燃やす“燃料”はここにあると私は見た。だから人間は自由なのである。と同時に、“燃料”の周辺には無常観が漂う。

 愛に対する思考の複雑骨折は、檀一雄が9歳の時に母親が出奔した影響だろう。母親が檀一雄を生み、業を生みつけたに違いない。だからこそか、檀一雄は女性が常にそばにいてほしい。恐らく数え切れない女性をそばに引き寄せ、あるいは追い求めたのだろう。しかし冷静に人生を計算する女性たちはみんな去って行く。

 私は西村賢太さんの小説も好きなのだが、檀一雄を読むと、彼が小さく見えてしまう。私など逆立ちしても(実は逆立ちできないのだが)近づけない。それほど檀一雄は大きい。