
それは私の頭の中に全くない言葉だった。私が見た限りだが、数多くの報道でもこの言葉はなかった。「空疎」――。オバマ演説をこう言うのである。
歴史上の出来事で具体的な人が思い浮かぶことはけっこう重要なことかもしれない。私の場合8月6日は2人浮かぶ。1人は取材でお目にかかった中沢啓治さん、もう1人は仕事で出会った元某銀行重役の被ばく者Fさんである。Fさんが配偶者にも家族にも語ったことがなかったという被ばく体験を私に話してくださって以来、お会いしたり手紙を交わしたりしている。
そのFさんがオバマ演説をどう受け止めたか私は関心があった。Fさんの手紙は言う。謝罪と弔意を表すならトルーマンだ、オバマは71年前に生まれていなかった、と。
あの日8時15分、Fさんのお姉さんは勤労奉仕先で消えた。
戦後。
Fさんの母親は玄関に人の気配がすると娘が帰ってきたと駆けてゆき、本通り商店街で女性の後ろ姿を見て娘がいると駆け寄り、違うと分かるたびに落胆した。
そんな母親を支えてきたFさんが表現した「空疎」という無念の二文字に、私は静かに思いを重ねるしかない。そんな8月6日である。