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 時々しょーもないコーヒーカップに出くわす。例えばこれ。コーヒーカップの取っ手が小さくて、私の指が入らない。このデザインをした人は飲む人のことを全く考えていない。

 取っ手に指が入ってもコーヒーカップ本体に指が接触してしまって熱くてたまらない。そんなのもあった。

 人差し指をぐりぐり押し込んでいるうちに、指の角度次第で少しだけ入ることが分かった。

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 と思った途端、コーヒーカップのバランスが崩れてこぼしてしもうたがな(←写真を撮っている場合か)。あーあ。指が中途半端にしか入らないので取っ手をがっしり握ることができなかった。

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 あれは教科書だったか何かの本だったか。主人公は織田信長であったかもしれないし豊臣秀吉であったかもしれないし全然違うかもしれない。その辺りは不明確なのだが、私が容器の使い勝手に固執するのは、こんな小話を小学生のころ読んだからだ。

 有名な陶器職人が薄い薄い湯飲みを作って殿様に献上した。ところが薄いのでお湯の熱さが伝わってきて殿様は持っていられない。ある日、ぼてっとした湯飲みでお茶を飲んだ殿様はお湯の熱さが全く伝わってこないことに感心して、この湯飲みを作った職人に褒美を与えた、というような、おおよそそんな内容である。

 この小話が頭に刻まれた私は、どんなにデザイン性に優れていても人に苦痛や難儀を強いる物は下等品だと決めている。下等品を使う店も下等であるのは言うまでもない。「お前、このコーヒーカップで飲んでみろ」とまでは言わないが、客としてコーヒーを飲んだことがないのではないかという疑いを抱く。客目線に立つためには客と同じ動きをしないと見えてこない。