「性」というテーマのせいか、すぐに読み終えた。

 性欲旺盛な妻に満足を与えられない夫が、男を妻に近づけて嫉妬することで妻を満足させる情熱を得る。谷崎作品に『蓼食う虫』があるけれど、まさしく「蓼食う虫も好き好き」が隠れたテーマではないか。

 人によって性のあり方はずいぶん異なる。私が知る限りでも、糞尿まみれでないと性欲を催さない人もいるし、緊縛が大好きな人もいるし、ハプニングバーによく行く人もいる(先日あやうく警察につかまりかけた)。どれが正常でどれが異常というような単純な価値観はない。嗜好が合う者同士であればそれは正常でありしあわせなのである。

 谷崎は『鍵』でそういうことを言いたかったのではないか。登場人物の夫婦は性的に不一致のように見えるが、実は合致しているというのが私の見立てである。この小説の最後に夫が亡くなるけれど、私に言わせれば永遠の愛の完結である。

 この小説は中学生でも読み通すことはできるだろう。しかし性に関するいろいろな見聞なり経験なりがないと字面を追うことしかできないはずだ。わっはっはっ。まいったか。

 ところでいま話題の『狂うひと』を連想したのは私だけではないだろう。島尾敏雄は『死の棘』を1960(昭和35)年から小説雑誌で連載を始めた。谷崎の『鍵』は1956(昭和31)年の発表だから、非常に近い。文壇は狭い。どちらかが何らかのヒントを得た可能性があるというのが私の推理である。考えすぎかな。