映画は「何をテーマにして」と「どう表現するか」で決まる。映画の感想を語る者は「そのテーマについての知識の幅や深さ」と「どこに評価基準を置くか」が感想を左右する。

 大雪の広島市で映画『この世界の片隅に』を見た。きのうも今日も満席である。呉市や広島市を舞台にしているので当然と言えば当然か。

 感想を正直に言うと、広島には『はだしのゲン』という金字塔がある。これを超える作品は今後もないだろう、ということだった。なぜ『はだしのゲン』が金字塔なのか。なぜ『この世界の片隅に』がそうでないのか。冒頭の話に戻る。

 この映画を大きく分類するとテーマは「戦争」だ。しかし、「戦争」をテーマにした優れた作品としてすでに『はだしのゲン』がある。広島に原爆が落とされ、地獄絵図と化した当時の様子や主人公一家の過酷な歩みを筆者の意経験に基づいて描いた。王道である。音楽で言えば主旋律であり、楽器で言えばリードギターである。

 この映画は広島市から呉市に嫁いだ女性の普段の生活を戦前から敗戦直後まで描いたので、音楽で言えば通奏低音であり、楽器で言えばベースである。地味になるのは仕方ない。

 もちろんこの映画を作る意義はあった。最近の日本の戦争映画はバタ臭い顔の俳優たちが軍人を演じ、本来なら醜悪嫌悪嘔吐極まる戦争をお涙ちょうだいの感動ものにしてしまう点で私は大きな違和感を抱いてきた。これに対するアンチテーゼとして、この映画の役割は小さくない。

 当時の町並みを細部まで再現したという努力も多とする。能年玲奈の声も別に悪くない。しかしこの映画で話題を呼んだのはこの2点でしかないことをわざわざ指摘しておく必要はあるだろう。敢えて言うと、この映画で描かれたことは当時の日本各地で起きていたことなのである。

 例えば私の古里徳島も大空襲を受けており、母や祖母は逃げ惑った。近所の人が「ここに来な」と誘ってくれた井戸だか防空壕だかに逃げ込まなかったおかげで母と祖母は死なずに済んだというような話を私は何度も聞いている。祖母などは「B29の操縦士と目が合った」と言っていた。祖母がびっくりして立ち上がって逃げ出したあと、近所に爆弾が落ちた。B29が爆弾を投下したときすでに祖母の家を通り過ぎていたのだった。

 海軍の拠点だった呉市が空襲に何度も見舞われたというこの映画の描写は見逃すべきではない。基地は狙われるのである。沖縄県民が基地に不安を抱く理由の1つがここにある。

 全体としては従来地味すぎて描かれることがほとんどなかった一般市民、特に女性を描いた、というところにこの映画の持ち味がある。私は過大評価しないけれど、こういう映画が高く評価されるのは悪いことではない。

 私は『はだしのゲン』のような作品が沖縄から生まれることを期待したい。福島を舞台にした深い深い作品が生まれることも期待したい。沖縄と福島には主旋律になる金字塔がまだ建てられていない。