昭和初期の上方における“上流”家庭のありさまを描いた長編小説である。中巻と下巻では天衣無縫の妙子と純和風の雪子を対比させることで後者を浮かび上がらせた。雪子の奥ゆかしさが印象に残る仕掛けである。谷崎にとっての聖女は雪子のような女性なのだろう。そうでなければここまで書き込むまい。

 小説なので架空の名称が出るかと思いきや、実際にある固有名を多用した。「ライカ」や「サンデー毎日」など私に縁のある固有名詞が出てくるのはうれしいものだし、「志賀菌」が出てきたときは土門拳撮影の志賀潔博士の写真と文章が浮かび、志賀先生よかったですね先生の功績は谷崎の代表作に永遠に刻まれましたよとこれまたうれしくなった。

 一方で、奈良ホテルは災難だろう。南京虫にかまれた話が出てくるのだ。『細雪』が売れ続ける限り、奈良ホテルは南京虫の不名誉を背負い続ける(笑い)。谷崎は奈良ホテルに対して何かのウラミがあるのかもしれない。

 全編を通して特段何か大きな出来事があるわけではない。『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』のような冷え冷えとした陰鬱さもない。にもかかわらずこの小説は読者を飽きさせない。そこが谷崎作品のすごみなのである。