P1170132

 美貌の女性から「ぜひニシノさんに」と招待券をいただき、東京日本橋の高島屋に飛んでいった。主催は朝日新聞社で、世界報道写真展といいこれといい、報道写真への注力に頭が下がる。余力のない毎日新聞社はそのうち土門拳賞も朝日新聞社に持って行かれるかもしれないなぁ。

 閑話休題。

 ピュリッツァー賞を受賞したあまりにも有名な写真のほか、ベトナム戦争の写真が数多く展示されている。

 私がベトナム戦争を初めて知ったのは小学生のときだった。「ベトナム戦争じゃ」と言いながら父が週刊誌のグラビアを私に見せたのを今もよく覚えている。軍国少年だった父にとって戦争は遠い世界の話ではなかったから、何か感じるものがあったのだろう。ただ、私のように言葉にする人ではなかったから、グラビアで何を伝えたかったのか私は今も分からない(笑い)。メッセージ性が皆無な父親だった。おしゃべりな私がなぜ生まれたのかナゾである。

 閑話休題。

 沢田さんが使ったライカを展示してあった。M2だったかM4だったか。M3でないことだけは間違いない。「おおライカだ」と感動した割には頭に刻む能力に欠けている。年のせいにしておこう。

 石川文洋さんの文章がパネルになっていて、報道写真家の衰退とその背景をベトナム戦争当時と比べていた。その中で印象に残ったのは、編集まで自分で手がける映像に可能性が残っているという趣旨の指摘だ。いい映像ならテレビが高額で使うから、生計を立てることができるという意味だろう。報道写真家もカネの問題から逃れることはできないのである。

 沢田さんは私の父より1歳年下だ。あの時いつものように慎重に行動していれば、午前中に引き返していれば、狙われなければ、81歳くらいか。

 そのせいか、ベトナム戦争を知る世代の高齢化か、60代以上のお客さんが多いように見えた。『戦場の村』や『サイゴンのいちばん長い日』、『ベトナム戦記』などを読んだのは私の世代が最後かもしれないなぁ。