パソコンのキーボードをガシガシ叩いていると、iPhoneから流れていく音楽がいつの間にか聞こえなくなっていて、ふと我に返った途端に音楽が聞こえてくることがよくある。

 ラジオをつけたり音楽を聞いたりしながら勉強をしているといつの間にか音が聞こえなくなっていて、ふと我に返った途端に音が耳に入ってきた経験をした人は少なくないだろう。

 集中力の特集をしている雑誌をたまに見かけるが、何かに没頭したら自然に音が消えるというか聞こえなくなる経験は大勢が経験しているはずだ。そういう雑誌の特集ではたいていオリンピック選手や有名な人の集中力を紹介しているが、中距離マラソンのような大学受験生や社会人に必要な集中力と超短期決戦型とも言うべきオリンピック選手に必要な集中力は根本的に異なると私は推測する。 

 全く集中できない人は声を出せばいい。『毎日新聞』夕刊にずいぶん前に載っていた記事なのでうろ覚えなのだが、「確かに!」と合点がいったことがある。瞑想していると頭の中に雑念が生じるが、声を出したら雑念が消えた、雑念を消すために声を出すのだ、というような内容だった。藤原記者の記事である。黙っているから頭の中に雑念が生まれるわけで、歌を歌うとか声を出すとかすればそこに意識が行くから雑念が消えるという趣旨の記事は私の経験からも納得した。

 受験勉強をしていたとき私はほとんど声を出していた。英文を読むときも音読、政治経済を暗記するときも声を出し、現代文の参考書の解説も音読し、古文や漢文も音読し、という塩梅で、黙っているのは問題を解いているときだけだったはずだ。ついでに書いておくと、私は狭い部屋の中をうろうろ歩きながら音読していた。あのころからスタンディング・スタディ(私が今でっち上げた造語。立って勉強するという意味)の効果を薄々感づいていたのかもしれない。じっと座って勉強するなんてこと、私にはできない。

 というわけで話を戻すと、仕事でも声を出せばいいのだ。私は小さな雑用が一気に押し寄せたときなどは自然と小さな声を出している。「まずAをやって、それからBをやって、Cはそのあとで」という具合に。

『週刊金曜日』時代にワープロのキーボードをガシガシ叩いていたら、近くにいた元朝日新聞論説副主幹サマに「ニシノ君のワープロを打つ音がやかましくて新聞が読めない」と難癖をつけられたことがあった(笑い)。集中するということはなりふり構わぬ状態になるわけだ。今もガシガシ叩いて「やかましい」と呆れられることがあるのだが、そう言われると自分が集中していたと分かるからまんざらではない。

 50代半ばになり、いろいろな老化を感じるけれど、集中力はまだ衰えていないように思う。気のせいかもしれないが。