駿台予備学校の現代文講師だった藤田修一師は「すでに誰かが書いたことをなぞっては自分の存在感を示せないから、書き手は誰も書いていないオリジナルを書くしかない」という趣旨のことを語っていて、坂口安吾の『堕落論』はそういう文脈で読むべきだし、敗戦後の混乱期という文脈で読まないと筆者がなぜこんなことを主張したのか分からない。今風に言えば「だってにんげんだもの」か。
本書に収録された信長の最期に関する諸説を紹介した「ヨーロッパ的性格、日本的性格」が、そういう方面も無知な私には面白かった。
<むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります>という記述が「文学のふるさと」にある。藤田師なら熱を帯びた説明をするだろうなぁと思いつつ、やっぱり私は法学部ではなく文学部に行くべきだったとあらためて思う。でも落ちたもんなぁ一文。