東京拘置所に入る検察官らの映像を撮ったのはNHKだけではなかったか。朝の7時。張っていたわけだ。潤沢な取材費があるとはいえ立派である。

 さて。松本智津夫ら死刑である。どうしてこんなことが起きたのかという大雑把な命題を立てる前に、巨大化し粗暴化していったオウム真理教をなぜ警察が見逃したかという命題を解決したい。オウム事件に関して警察の責任は大変大きい。内部で主導権争いがあったとか何とか聞いたが、そんな言い訳を言われても。特に地下鉄サリン事件を防ぐことができなかったのは大失態以外の何ものでもないが、結局誰か責任を取ったっけ。

 オウム真理教を今振り返ると、どんな組織にもある忖度をオウムにも垣間見る。官僚でさえヒラメになって舞う。大企業の建設会社で談合が繰り返されるのも同じ構図だろう。麻痺するのか抗っても無駄とあきらめるのか積極的に引き受けるのか、それぞれ異なるだろうが、根っこにある忖度は共通するのではないか。オウムのような“中小企業”では権力を持つトップとそれ以外の人の距離が近い。ヒラメになるのは避けがたかったのではないか。

 今では誰もが知る有名企業がまだ無名だったころ、ある催しの反省会で私が「あんな催しは」と言ったところ、「あんなとは何だ」と同世代の人からお叱りを受けた(笑い)。こういう人は会社のために悪事でも働くことができるのだろうなぁと感心したものだ。

 自分が関わる対象からの距離の取り方は少々難しい。関わる対象へのちょっぴりの誇りとともに突き放して冷ややかに論評する両天秤を上手に操ることができればいいのだが。