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 手持ちの『広辞苑第5版』などに載っていない自己責任。由来は何だろうと思っていたところにいい記事が出た。10月28日付『毎日新聞』(東京本社版)2面である。

 記事によると、リスクのある金融商品に投資する消費者に対して1980年代後半に使われたという。英語のresponsibilityが自己責任と訳されたそうで、語感がずいぶん違ってしまった。

 戒めの経済用語が他人の行動の批判や自分を追い詰める際に用いられるようになったわけで、言葉は生き物だから今後の広がりを警戒してしまう。例えば「成績が悪いのは自己責任だ」などと使われたら、家庭や学校の責任が棚上げされる。私は塾や予備校で偏差値の低い子供を見てきたので、常々そういう子供たちを基準に世の中を見る傾向があるのだが、私が見た限り、子供たちが勉強ができなかったのは決して自己責任ではなかった。家庭の状況があったし、学校の無責任があった。そういう外的要因に翻弄されていた子供に「自己責任」を突きつける時代が早晩来る。

 あるいはまた、速度の出し過ぎで交通事故を起こして障害を負った人や亡くなった人にまで「自己責任」を押しつける日が来る。肺がんになった喫煙者に対しても、アル中患者にも、露出度の高い衣服を着ていた女性が強姦されても、戸締まりを忘れた家に強盗が入っても、「自己責任」という言葉が襲いかかって当事者の口を封じる日が来る。そういう恐ろしさがある。

 記事の中で江川紹子さんが「迷惑をかけないことをよしとする日本人の精神性が強まっているようだ」と喝破したように、あらゆることに対して迷惑をかけないようにしなければと人を萎縮させてしまう恐ろしさがある。社会保障や福祉に救いを求めることができる人がその手を引っ込めてしまうことにつながりうる。

 少し前までは「自業自得」という言葉を世の中は使っていた。しかし「業」という漢字の響きゆえか全体に語感が強いからか、使うのにためらいがあったように感じる。

 自己責任は使わないほうがいい。使う場合は自己責任で(という蛇足のオチは真面目な原稿に書かないほうがいいのだが、われながらオモシロいので自己責任で書いておく)。