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 東京大の入学式で語った上野千鶴子名誉教授の祝辞が“話題”になっている。珍しい現象が起きているのは、東大名誉教授が東大入学式で新東大生に語った内容がインターネットなどを通じて無関係な人まで知ることになったせいだろう。

『毎日新聞』は報じず『朝日新聞』は報じた。『毎日』が単に上野祝辞を知らなかっただけならガックリだが(笑い)、知っていて報じなかったとしたら庶民の集まりである『毎日』らしい判断だと言える。一方で東大や高学歴が昔から大好きな『朝日』が報じたのは当然で、やっぱりね。

 さて。

 初めて読んだとき私は上野先生の祝辞をどちらの立場で受け止めるかなと考えた。受け止める立場が変わると感想が変わるのである。

<あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください>を「上から目線だ」とか「手を差し伸べられたくない」とか言っている痛い人がいるけれど、上野先生はそういう人を想定していない。悲鳴さえ上げることができない人たちがいることを念頭に置いている。

 何かに恵まれた人が率先して手を差し伸べる社会は健全ではないか。それは学歴でも職業でも収入でも健康でも時間でも体力でも知識でも何でもいい。自分のことしか考えない風潮に棹さすのが上野先生の狙いの1つだと私は読んだ。

 一方で、まぁ、これは入学式での“ご祝儀”だから目くじらを立てることではないのかもしれないが、違和感がないわけではない。車谷長吉さん風に言えば「インテリの猥談」なのである。社会の8〜9割は上野祝辞を知らないか知ったとしてもどうでもいいと思っている。

 違和感は祝辞の冒頭にあった。<激烈な競争を勝ち抜いて>である。私は東大ではないが、世間的にはその一人だったから自分を棚上げせずに言うのだが、単にペーパーテストができただけなのである。<激烈な競争を勝ち抜いて>難関と言われる大学に入っても、農作できんわマグロ釣りもできんわ戦闘機操縦もできんわ糞尿回収作業もできんわ下水道管理もできんわ大型トラックやバスの運転もできんわ家建てることもできんわ洋服作れんわ介護やったことないわ林業できんわ……。

 自分のできないことが多すぎてトホホと途方に暮れるしかないのである。世の中の皆さんにご迷惑をかけながら、お世話になって生きているのである。

 この視点が上野祝辞にはない。泥の中で死にかけた経験がなければ気づかないのかもしれないが、ひとこと「勘違いするなよ」と注意を促しておけばもっとよかった。