田舎で育った私は「東京山の手の上層中産階級」を一度見てみたいものだと思ってきたが、とうとう出会うことがないまま人生の終わりを迎えている。大地から5センチくらい浮いた人々の考えや普段の暮らしを見てみたいという興味である。ツチノコを見てみたいとか雪男を見てみたいとか、そういう関心の持ち方と変わらない。

 そういえば知人の妹さんが恐ろしいほどの別嬪で、その女の子が高校生のときに彼女の家で会ったのだが、私には不釣り合いだとすぐに思った。彼女と結婚したら目が潰れるとも思った。田舎者は田舎者らしく土にまみれて生きるのが気楽である。あれでは屁ひとつこけない。その女の子は東京・銀座の有名貴金属会社御曹司と結婚した。玉の輿である。美貌に恵まれた女は私のような無名地方銀行サラリーマンの莫迦息子など歯牙にもかけないのである。もちろん私はそれでいいのだが、こんな私では小説にならない。

 車谷長吉さんの『神の花嫁』は主人公の貧乏男性が「東京山の手の上層中産階級」の女性たちとの交流と片思いを描いた小説である。ここに出てくる女性は世の中を頭の中だけで分かったつもりになっている、でもものすごい美人なのだった。主人公は女性に好意を寄せるのだが……。主人公の代わりに車谷さんが悪意を込めて呪いながら女性に復讐するかのような書きっぷりのこの小説には鬼気迫るものがある。

 2002(平成14)年の『群像』2月号に発表。車谷さん57歳。