冒頭「光市母子殺害屍姦事件」の話が出てくる。死刑反対論者である社会民主党議員の大島令子さんを<阿呆、としか言いようがない。この手の女がのさばっているところに、いまの日本の根深い病巣がある>と主人公の「私」は切り捨てる。
光市の残忍な事件も大島さんも現実だ。小説ではなくノンフィクションを読んでいるような気がしてくるところに<昔、私の女友達も強姦殺人の憂き目に遭った>と繋ぐ。これが仕掛けなのだろう。つまり、小説への入り口に一気に誘うのがここ。
市立飾磨高校(これも本当にある車谷さんの母校)の同級生である彼女と偶然古墳で会う。古墳デートという淡いデートのあと、彼女は強姦されて殺される。小説の最後は、その女友達のために飄塚古墳の天辺で祝詞を読み上げるところで終わる。
2003(平成15年)の『群像』2月号に発表された小説である。前年の2002(平成14)年8月に車谷さんは姫路市内にある飄塚古墳などを訪ねて回り、本当に祝詞を上げたという。こんな背景を知ると、どこまでが虚構でどこまでが現実なのか読者は分からなくなる。もしかしてすべて本当の話、ノンフィクションではないかと錯覚してしまう。この小説の凄みはそこにある。