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 スプリングボクスのファンになった私は各紙がマンデラ大統領をどう報じたか気になった。

 1面で報じたスポーツ紙の『日刊スポーツ』には見当たらず。

『読売』はスポーツ面で《アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、初出場で優勝した一九九五年W杯に象徴されるように、南ア国民にとってラグビーは特別なものだ》と素っ気ない。

『朝日』は国際面で《南アが自国開催の95年に初優勝した際、人種の融和を訴えた故マンデラ大統領は背番号「6」のジャージーを着て優勝カップを手渡した。時を経て、同じ背番号をつけたコリシ選手が、黒人初の主将としてカップを頭上に掲げ、仲間たちと喜びを分かち合った》。

『毎日』は社会面で《南アフリカが初めてW杯に参加したのは95年のことだ。人種融和を目的に自国開催を実現させた同国で黒人初の大統領、ネルソン・マンデラ氏(故人)が背番号「6」のジャージーを着て優勝杯を手渡すシーンは、多くの人の記憶に刻まれた。24年の時を経て、同じ「6」を背負うコリシ主将がチームの精神的支柱になり、優勝杯を誇らしげに掲げた》と書いた。

 似たような記述だが、『朝日』に比べると『毎日』のほうが臨場感というか、書き手の感動が伝わってくる。

 珍しいことに『毎日』はスポーツ面でも触れている。

《南アフリカにとって「ラグビーは国技」(プロップ・コッホ)。精鋭が集まる代表チームは強い影響力を持つ特別な存在だ。アパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、W杯の舞台に初めて立ったのは自国開催の1995年。「ワンチーム、ワンカントリー」のスローガンを掲げて初出場初優勝を成し遂げたチームは、融和を体現した。プラウドフット・コーチは「たくさんの希望や期待を与えてくれた」と振り返る》

 さて。背番号の「6」に注目したい。

 『毎日』『朝日』ともマンデラ大統領が「6」のジャージーを着ていたと記したが、その理由に触れていない。

 映画『インビクタス』を見ていないのか、見たけれど裏を取れなかったのか。映画が正しいとすると、当時の主将の背番号が「6」なのである。そこまで書いてあるほうが読者には親切な記事になっただろう。

 と、たかだか数日前に課題として映画を見て知ったばかりの私が知ったかぶりをする話ではないのだが。

【追伸】書き終わって気づいたことがある。11月3日付以前の紙面に書いてあった可能性があるのではないか、と。だとしたらすまぬ。