数ページ目で「あっ!」と声が出た。折口信夫の『口語万葉集』の「はじめに」が車谷長吉さんにつながったのだ。

 折口信夫はこう書いた。《わたしは、その八十人ばかりの子どもに接して、はじめて小さな世間に触れたので、雲雀のようなおしゃべりも、栗鼠に似たとびあがりも、時々、わたしの心を曇らした悪太郎も、それから又、白眼して、額ごしに、人をぬすみ見た、河豚の如き醜い子も、皆懐かしい》

 河豚の如き醜い子って……。そこまで書くか。わざわざ書かなくてもいいことを刻んだのは、そう書かざるを得なかった何かがあったのだろう。折口の凍り付いた苛烈な業をここに垣間見ることができる。見た瞬間に私が思い出したのはわが車谷長吉さんなのである。

 原典を見つけることができなかったが、村田喜代子さんの本の書評で車谷さんは《鼻が大きい美人》と書いた。読んだ瞬間そこまで書くのかと私はのけぞった。車谷長吉さんの業であろう。それを思い出したのである。

 玄侑宗久さんとの対談で《そういう台詞を書く車谷さんが不気味に見えてしまう》と指摘された車谷さんは《そう言われて意識したんだけど、村田さんの書評を書く場合は、「鼻が大きい」と書かないと成立しないんですね。それによって、他人の世界の中へ村田さんが踏み込む力があるということを表現したいんだ》と釈明している(車谷長吉『蟲息山房から 車谷長吉遺稿集』新書館)。

 車谷さんは折口の本を当然読んでいて、この『口語万葉集』の「はじめに」はもちろん読んだはずで、それが車谷さんの頭のどこかに残っていて、《鼻が大きい美人》になって表れたと私は見る。 

 さて。池澤夏樹さん編集の日本文学全集第2巻は折口信夫の『口語万葉集』と丸谷才一の『新々百人一首』の中からの抜粋と小池昌代さんの新訳『百人一首』で編まれている。

 小池昌代さんは美しい女性で、車谷さんもそう思った(『車谷長吉全集』2巻)というところからも興味を持って読んだ。百人一首は高校時代に古文の授業で習ったけれど、詩人らしい感性で引き直しただけあって読ませる。

 圧巻は丸谷才一の『新々百人一首』だ。博学だとは知っていたけれど、すごい。すごすぎる。丸谷才一に『毎日新聞』書評面の大改革を依頼した齋藤さん(当時主筆か社長か)の目は正しかった。その丸谷才一が『毎日』書評面を池澤夏樹さんにバトンタッチしたのだから、池澤さんの力は推して知るべしだ。

 で、この丸谷才一『新々百人一首』だが、これは高校生か大学生向けの古文の教科書になり得る。決定版と言っていい。私は高校時代に読みたかった。表現とエロスに触れているので高校生が読んだら鼻血ブーかもしれないが、そもそも古典はエロスの世界なのだから仕方ない。見るとか逢ふとか秋とか七夕とかの当時のニュアンスを私は初めて知った。

 池澤さんが本書に載せた『新々百人一首』は20首なので、残り80首を読むためには原典に当たるしかない。ただ、私は先を急ぐ。日本文学全集を読み終えたら『新々百人一首』を最初から読もう。

 しかし、あらためて思う。高校時代に古文を学んでいたときも思った。色に明け暮れていた優雅な暮らしをしていた連中はさておき、一般庶民の暮らしはどうだったのだろうか、と。私の関心はいつもその層に向かう。