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 人工知能(AI)が俳句を作っていることを紹介して《成長が楽しみでならない》という陳腐な結びをしたのが1月4日付『朝日新聞』の「天声人語」だった。この結びを読んでがっかりしたのは、俳句や和歌(短歌)への底の浅い視座が見えたからだ。

 AIが作った俳句(やたぶん三十一文字)に(も)好感を寄せるこの姿勢はダッチワイフを抱いて射精するのに近い。

 性癖はいろいろあっていいけれど、恋愛や性交は人間相手にしたい。私はね。目の前にダッチワイフを置かれても興味は湧かない。なぜなら人間ではないからだ。

 俳句や短歌が面白いのは、技巧に凝ったり架空の話を作ったりしながらも作者の素顔がほんの一瞬見え隠れするからではないか。先日読み終えた池澤夏樹編集の『日本文学全集』第2巻のどこかでも誰かがそういうことを書いていた。

 AIが技巧に凝った俳句を作れば人間のにおいをさせることができるだろう。人間が作ったのかAIが作ったのか判断できないだろう。しかし、なのである。私はダッチワイフを抱きたくない。俳句を製造するAIの成長が楽しみとも思わない。そこに生身の人間がいないからだ。

 ダッチワイフではなくアニメのキャラクターでも私には同じ。人間が生む感情にしか私の感情は動かない。