車谷長吉さんの小説を読むきっかけは『人生相談』(朝日文庫)だった。この本を読んで車谷さんに初めて関心を抱き、遅ればせながら小説を読み、のめり込み、全部読み、ついにひれ伏したのである。玉突き衝突とでも言おうか。何が何のきっかけになるか分からない。

『評伝 石牟礼道子』(米本浩二・新潮文庫)を読んだのは、積ん読状態の『苦界浄土』(池澤夏樹編集の世界文学全集)への玉突き衝突になるかもしれないと少し期待したからである。これまでにもNHKが特集した石牟礼道子さんの番組は見てきた。石牟礼さんの魅力が伝わってきたけれど、背中を押されるまでにはならなかった。番組が悪かったわけではない。2段組750ページもある『苦海浄土』があまりにも重いと感じていたにすぎない。

 逃げ回ってきたけれど、『評伝 石牟礼道子』を読み終え、『苦海浄土』をもう読むしかない。年内に読み終えて、水俣に行くしかない。水俣病の爆心地と言われた地域を歩き回るしかない。こう思うようになった。そこまでしてこそ石牟礼さんが好んで用いたと言われる「加勢」の出発点に立つことができるのではないか。

 境界のない世界であちらこちらに行き来する、すなわち漂浪る(され・る)石牟礼道子像を描いた本書から私の何かに引っかかったものを3つ挙げると――。

《いざというとき、人間はあさましいですね》という石牟礼道子さんの声。

《「近代」を根こそぎ問うはずが、金銭の交渉事に終わってしまった水俣病闘争》という米本さんの一文。

 石牟礼道子さんの父親が《もうけを度外視して道を完成させ》たこと。没落した一家を村の人々が支えたこと。石牟礼さんの「加勢」は父親譲りなのではないか。

 悪名高いチッソに絡む雅子さんが皇室に入ったことを石牟礼道子さんがどう受け止めたかなどを含めて、米本さんが書いていない話がまだ膨大に残っているはずで、その発表を待ちながら『苦界浄土』におっかなびっくりで近寄っていくとするか。