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 赤ふん姿で「青年の主張」のようなことを大学生が叫んでいた。去年の早稲田祭である。面白いことをやっているなぁと思って立ち止まり、少し聞いていたのだが、そのとき学生の一人が叫んだ話は忘れられない。

 大震災で先生も友達も好きだった女の子も死んでしまったというような内容だった。大震災のとき小学生か中学生くらいか。

 東北全体を大まかに見て復興だの再建だのという前向きな単語で語られることが多い。しかし、新聞やテレビで取り上げられる人で、大事な誰かを亡くした経験があると、「生きていたら××は今年何歳だ」とか「助けられなかった」とか、呻きながら絞り出す苦しみが私の目の前に零れ落ち、胸が詰まった私は「う」という音だけが出る。

 赤ふん姿の学生の一人の“主張”もそうだった。聞いてしまった私は何も言えない。何も付け加えずに、こんな話を聞いたと何かの機会にぼそっと伝えるしかない。

 さっきNHKで見たのだが、取材に応じた男性は30代の息子を亡くしたという。未だに見つけられず、そのうちひょいと帰ってくるのではないかというようなことを語っていた。それを聞いて思いだし、重なった話がある。

 あの日の広島。土橋(という地名がある)に勤労奉仕に出ていた娘が原爆で姿形を消された。母親は戦後ずっと、自宅の玄関に足音が聞こえたら娘が帰ってきたと思って駆けだし、本通りで娘に似た後ろ姿を見たらまた駆け寄って、顔を見て落胆していた=元広島銀行役員(母親の息子で、娘さんの弟)が私に話してくれた内容。

 深い深い苦しみを聞いてしまったからには伝えなければなるまい。こんなことしかできないのだが。