IMG_3443

 夏目漱石の『それから』(岩波文庫)は何について書かれた小説か。この問いに端的に答えるのは私には難しい。

 この小説が書かれた1909(明治42)年の時代背景を前提に見る必要がある。姦通罪がある時代に全てを失う覚悟をして愛を貫こうとする生き方が縦線で、大地や海から食べ物を得てきた長い時代のあとにやってきた職業を持って働く時代に対する懐疑が横線で、家父長制下での父と息子の関係が斜め線で、という具合に当時の状況の上にいろいろな話が絡み合っている。

 駿台で藤田修一師から現代文を学んだ人なら、「君はさっきから、働らかない働らかないといって、大分僕を攻撃したが」(91ページ)で往年の名講義を懐かしく思い出すのではないか。



 私の読み解きでいけば小説の最後が最も興味深い。すなわち「職業を探して来る」と言って家を飛び出した代助の先に見えるのは、新聞社に籍を置いた平岡の背中なのである。まるで輪廻のような風景ではないか。最後の場面で漱石が言いたかったのは、人は代われど職業から逃れることはできないということではなかったか。現代に通じる話であるところがこの小説の味噌でもある。

 ところが、あろうことか『それから』を《まごう事なき不倫小説》と書いてしまった(3月15日付『毎日新聞』書評面「昨日読んだ文庫」)のが古幡さんという人だ。NPO法人本屋大賞実行委員会理事という肩書きを持っているが、失礼ながらこの古幡さんは小説を読めない人だと私は思う。本来ならデスクが「この読み方は浅薄すぎますよ」と原稿を差し戻すべきなのだが、それをせずに、あるいは疑問を感じなかったのか、荒っぽい原稿を垂れ流してしまった。古典を知っていれば《よくぞ教科書に載せたものだと思う》こともなかっただろう。

 漱石の研究者は大勢いる。これを読んだら絶句するわな。いや、毎日新聞書評面の“総監督”である池澤夏樹さんが読めばあまりの事態に新聞を手から落とすのではないか。

 小説はいろんな読み方をしていい。それだけに大変怖い。私のような浅はかな人間が「なんぼ何でもこの読み方は間違っている」と思うのだから、さらに私のこの文章を読んだ人が「なんぼ何でもこの読み方は間違っている」とあきれ返る可能性があり、そうなったら代助と平岡みたいだな。