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 あー。声が出た。あの石原さんが亡くなった。福島選出の元国会議員で、私の福島時代の思い出深い人物の1人だ。

 国連平和維持活動(PKO)協力法案に反対して自民党の離党を表明したのは1992(平成4)年6月22日。その日県政記者会に来て「国際貢献について私と自民党の考えには大きな隔たりがある」と切り出した。会見の最中に自民党県連職員が来て外に連れ出そうとするなど、全国ニュースに発展した。

 デスクに「インタビューしろ」と言われ、「マジかよ」と思ったが早朝に某所で見つけて一緒に新幹線に乗った。突然の厚かましいお願いにもかかわらず誠実に応じてくださった。JRの車掌さんの理解も得て、東京に着くまでの間じっくり話を聞くことができた。

 福島に戻って福島版に記事を書いた。その記事を今読み返しても石原さんの生き方に魅力を感じる。権力や地位に恋々としない政治家だった。

《自民党より日本国の進路の方が大切だと思う。私は自民党員の前に、日本国民だから……》

《事務所から県庁に記者会見に行こうとする私を、長男(地元秘書)がドアに立ちふさがり泣き顔で行かせまいとした。でも、息子のために政治家をやっているのではないから》

 ウィキペディアで興味深いのは《慶應義塾大学法学部卒業後は日本勧業銀行に入行するが、1年足らずで退職。北海道大学農学部研修生になり、福島県福島市荒井に入植して酪農業を営んだ》の記述だ。牧場をしていたことは知っていたが、当時の私はそこに関心がなかったから質問が浮かばなかった。今なら「それはなぜですか?」「これはなぜですか?」とたくさんの質問が浮かぶのに。

 あのとき石原さんは54歳。今の私とさほど変わらない。この年齢になると見えて来る光景がある。石原さんにも見えていたのかもしれない。

 今日付の『毎日新聞』(東京本社版)は淡々と。
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 石原健太郎さん 82歳(いしはら・けんたろう=元衆院議員)5日、内臓疾患のため死去。葬儀は9日午後1時、福島市八木田神明5の1のJAホールまごころ。自宅は福島市荒井中町裏35の5。喪主は長男信市郎(しんいちろう)さん。

 80年の衆院選で新自由クラブから出馬し、旧福島1区で初当選。衆院議員を3期、参院議員を2期務め、03年に政界引退した。自民党や自由党にも所属した。
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 いっぽう『福島民友新聞』はさすが。大事なところを書き抜く。
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 自民党参院議員時代に通産政務次官を務めた一方、1993年には国連平和維持活動(PKO)法案を強行採決する姿勢に反対して議員辞職した。また自由党衆院議員時代に務めた国会等移転特別委員長としても、期限を切った移転先候補地絞り込みができない国会情勢を批判して委員長を辞任するなど、政治家としての信念を貫いた。自由、民主両党が合併した2003年に引退した。
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 確かに《政治家としての信念を貫いた》のだろうが、実はもっと大きな、根本的なもの、生き方というか、自分が生きている理由というか、自分の魂を貫いた人と言うべきだろう。福島に行く機会があれば弔問したい。

 どうやら私は清廉潔白な人に魅力を感じるようだ。私が腹黒だからだな。