
『大学教授が、「研究だけ」していると思ったら、大間違いだ! 「不人気学科教授」奮闘記』の書評を7月11日付『朝日新聞』読書面で読み、最後の段落で「あーあ」と引いてしまった。
《受験エリートが就職後も開花するとは限らない。大学で受けたはずの訓練で、型通りの成功体験から脱皮できたか否かが、その分かれ目と思えてくる。大学合格は最終目標ではない。教授の奮闘から高校と大学の意義も考えさせられた》
4つの文のうちの最初の3つの文に私は引っかかった。
書いたのは朝日の編集局長補佐。間違いなく「受験エリート」だった人である。朝日新聞社が最難関就職先の1つだった時代に入社したはずで、編集局長補佐にまで出世しているのだから「就職後も開花」したと言える。そういう人が言わずもがなのお説教をしてしまった。これを傲慢とか高慢とか偉そうにとか上から目線とか自慢とか人は言う。
朝日の編集局長補佐ともあろう人が衣の下から鎧がちらつく文章を書いてしまった。この上から目線は朝日社内に蔓延していて誰も問題に気づかないのではないか。
受験エリートなどではないつもりの私も実は例外ではなく、こういう文章を書いたことが絶対にあるはずで、本当に戒めなければならない。自戒させる名文ではあったな。