大阪・岸和田市で暮らしていたころだから小学6年のときだ、父に連れられて西成を歩いた。当時はまだまだ西成が元気なころで、いたいけな子供(ワタシね)をお守りがわりか盾がわりにしたのかもしれない。

 その西成で80日ほど暮らして日常を描いたルポだという新聞広告に惹かれて読んでみた。最初は物珍しさで興味深いのだが、読み進むうちに不快になってきた。

 若い筆者は西成で起きる表面的な事象を追いかけ、対象を見下し、自分は彼らとは違うのだと節々に伝わってくる記述から差別意識が垣間見えるのに筆者にその自覚がなく、「いったい君は何のために西成のルポを書いたのか」と首を傾げざるを得ない。

 編集者がそこを指示すべきなのに垂れ流したのだから同罪である。何だかなー。

 西成は動物園ではない。警察の留置場でもない。西成のこの人は私かもしれないという哀しみの共感や落ちこぼしてゆく社会や福祉に対する憤りも疑問も取材もない。こんなことなら書かないほうがよかった。