大学時代に読んだような記憶がある。それなりに恐ろしかった。今読み返し、全く別のところに戦慄した。いろいろな読み方ができることが名作の条件の1つと言われていて、今回読み返して新しい発見をした『こころ』は私ごときが言うまでもないのだが名作なのである(エラソーなことを書いてしまって漱石先生ごめんなさい)。
今回の私の発見は、先生について《他(ひと)を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していた》という記述があることだ。わが車谷長吉さんの『盬壺の匙』を思い出した。車谷さんの自殺した叔父を弔う作品である。この小説の中で叔父は和辻哲郎の『ニイチェ研究』の余白に青インキで「俺は自分を軽蔑できない人々の中に隠れて生きている」と記していた。
『こころ』の先生と『盬壺の匙』の叔父の共通点がここにある。と、ここで書いて気づいた。どちらも主題は「自分の軽蔑」なのである。『こころ』の先生も『盬壺の匙』の主人公も最後に同じ一点に向かうのは当然なのだ。
「自分の軽蔑」は恐ろしいことだが、人間に深みを与える。そこが文学のテーマになるということか。
つい先日、大学時代の友人K(偶然にもK)に会ったときのことだ。『こころ』に「自分を軽蔑」と書いていると話したところ、Kは「そういえば、あったな」と即座に反応したので私は驚いた。私は読んだばかりなのでこの小説の話ができるのは当然として、Kが読んだのは昔昔である。ほー。Kを見る私の目が変わった。私と同じ阿呆だと思っていたら、いやいやとんでもない。それにしてもK(笑い)。