『週刊新潮』の見出しが独特の味を出している理由がよく分かった。ひと味もふた味も捻った見出しを読むたびに、いったいどれほどの時間をかけて単語と表現を生み出しているのだろうかと思ってきた。週刊誌の見出しは編集長権限だと思っていたが、『週刊新潮』の場合は齋藤十一が長年その権限を握っていたのだった。

 その齋藤十一は『週刊新潮』で文学をやりたかったらしい。

《キミは何を言ってるんだっ、小説家というものは、自分の恥を書き散らかして銭をとるもんだ。それがわからないで小説を書くバカがいるかっ》と瀬戸内晴美さんを叱りつけた齋藤十一は、『週刊新潮』で「カネ・女・権力」に狂奔する人間を取り上げ、例の捻りに捻った見出しをつけた。なるほど文学である。

 本書では齋藤十一の離婚と再婚にもしっかり触れていて、齋藤十一の「カネ・女・権力」を遠慮なく描いた。齋藤十一への最高の敬意ではないか。

 知性あふれる人が斜に構えるから「俗物」と自称できたのだろう。《筆という武器を手にする物書きが、司法の場に訴えでて身を立てるという手段を嫌った》という辺りにも覚悟を決めた俗物性を垣間見ることができる。

 テレビ局のインタビューに応じた映像を見て「老醜だ、もう死ぬべきだ」とつぶやいた翌朝、お茶を飲んで意識を失い亡くなる美しい終焉よ。

《誰だって人殺しの顔を見たいだろ》

《僕は忙しいんだ。毎日音楽を聴かなくちゃならないから》

《キミたちは、僕が読みたい本をつくればいいんだよ》

《僕の墓は漬物石にしておくれ》

 破格と言うべき齋藤十一の語録には斜が見え隠れする。

 そのとおり、漬物石を墓にしたというから、鎌倉の建長寺で探してみるか。