40年ほど前に大学受験生だったとき、小林秀雄の小論で苦しんだ、というより内容が半分i以上理解できず、よくある例えだが、トンネルを出たかと思ったらまたトンネルに入る列車のような、暗闇から出て少し見えたと思ったらまた暗闇に入るという程度の理解で、途切れ途切れに少し見えた光景をつないで全体を無理矢理把握しようとした。小林秀雄の何がいいのか皆目理解できず、新潮社から出ている小林秀雄全集も3巻目で止まっている。

 それなのに、いや、それだからこそ、というべきなのだろうか、買ってしまった『小林秀雄の眼』(中央公論新社)である。この本は小林秀雄の小論の理解を深く手助けしてくれた。著者の江藤淳のおかげだ。小林秀雄の文章が短く載り、その数倍の江藤淳の随想解説があるから、「ほー。そういうことか」と頷く。江藤淳の文章がなければ、40年前と変わらずトンネルの中の暗闇で身動き取れなくなっていたのは間違いない。

 江藤淳の文章を読んでようやく「ほう、小林秀雄はええこと書いとるがな」と少しだけ思う。江藤淳の文章は小林秀雄から大きくはみ出していて、私には江藤淳のほうがいいのではないかという結論になった。

 結果として数ページおきに赤線を引きページの角を折った。これほど唸らせてもらった本は久しぶりかもしれない。最低でも赤線を引いたところは読み返して脳みそに沈めたいのでこの本は読み返す。

 いつものようにカバーを外し、東海道線で読んでいたら、少し離れたところにいた初老の男性が(って私も初老だよな)私の本をじっと見ていて、背表紙に記された題名を読み取ったらしい瞬間満足そうな顔をした。大船駅で降りたので、誰か関係者だったりして。

 そういえば小林秀雄の墓を友人と一緒に鎌倉の寺で探し回ったのはいつだったか。日暮れとの競争だった。ようやく見つけたのは小さな小さな墓石で、ああさすがだと感嘆した。

 もう一つそういえば、江藤淳はわが車谷長吉さんを高く評価していた。『江藤淳は甦る』を読まんといかん流れになってきた。文庫本になってくれるとありがたいのだが。