右寄りの雑誌『諸君』に連載されたコラムのせいか、左寄りの私が見ると右寄りの感があるけれど、教養に裏打ちされた文章は味わい深い。正義の顔をした人や組織への痛罵にバランス感覚の鋭さが光る。

 例えば美濃部亮吉をこう書く。

《貴族院議員を父に、東大総長、文部大臣の娘を母に持ったエリートでいながら庶民の味方。財閥の娘と協議離婚したあと、行政庁統計基準局長だったとき、秘書の女性と交際を始め、二十年間、家にも入れず籍も入れなかったのに女性の味方。いや、こういう書き方は、よくない》

 美濃部さんに肩入れした朝日報道に対して、《独立の新聞社があまり特定の政治家に肩入れするのはいかがなものか》。

 ほかにも《朝日の記者には明治時代から尊大なところがあった》や《他を顧みて批判するのに巧みでありながら、自己への批判を許さない朝日は(略)》、」など、朝日のスター記者と言われたつまり朝日らしさの権化たる本多勝一さんを私は思い出す(笑い)。朝日信仰者は催眠術にかかりやすい人たちだというのが私の最近の分析(というほどのものではない)である。

 一方で、41歳の子持ちストリッパーが駅のホームで酔った高校教師に絡まれ胸を触られ、たまりかねて突いたら線路に落ちて電車にひかれた事件を取り上げ、どの女性団体もどの淑女もストリッパーに手を差し伸べない状況に、抑えた筆致でストリッパーという職業に対する偏見差別を語る。

 拉致問題が日本で話題にもなっていないころ横田早紀江さんらが米政府などを回り、《娘のことを黙っておれと言う外務省の仕打ちを語ったところで、話が突然中断した。不審に思って見ると、通訳(ワシントン在住の日本人学者)が嗚咽しているのだった》とわずか2文で読者に憤怒と悲痛を共感させる。

 言うまでもないことだが、私など死んでも書くことができない。こういう人たちが現役で新聞記者をしていた時代から今を見れば、ずいぶん軽佻浮薄の紙面であることだろう。