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 瀬戸内寂聴さん死去のニュースは11月11日の午後に流れ、翌朝の新聞制作には十分時間の余裕があった。各紙のお手並み拝見というわけで、朝日、毎日、読売、産経、東京の各紙を読み比べた(ほぼ東京本社13版)。

 非常に精力的かつ独特の切り口で報じたのが『東京新聞』である。1面トップで「命懸け 戦争・死刑・原発に反対」という切り口の4段見出しを置いた。この12日の社説で取り上げたのは『東京』だけで、ここでも寂聴さんの反戦や反原発に言及した。

『読売』は井上荒野さんに、『朝日』は林真理子さんに、それぞれ1面近く割いて寄稿を載せた。『毎日』にはその知恵と紙面がなかったか。日曜版で井上荒野さんに連載を書いてもらったのに『読売』に取られたのが悲しい。とはいえ、ほかにも追悼文の書き手はいるだろう。私なら山田詠美さんに書いてもらう。偶然いま日曜版で連載しているし、山田詠美さんは寂聴さんが大好きだから断るわけがない。万一断られたら高橋源一郎さんだな。高橋源一郎さんも寂聴さん大好きだから。

『産経』は見出しに「作家・僧侶 正論メンバー」って、そこ? この日の1面下のコラムで書かなかったのも『産経』だけで、らしいと言うべきか。

 ほうと見入る写真を載せたのは『読売』だけ。川端康成や円地文子と一緒に雑談するモノクロ写真で、中央公論新社を傘下に置いた強みを発揮した。その写真の下には阿波踊りの姿が2枚。1枚は晴美時代で中央公論新社の提供、もう1枚は寂聴時代のカラー写真という念の入れようだ。寂聴さんが小説やエッセイで繰り返し繰り返し古里徳島を描いてきたことを踏まえると、寂聴さんの思いを掬うような見事な写真選択である。

 さて最後は各社の評伝である。どれだけ寂聴さんの人となりが伝わってくるか。まず落ちるのが『毎日』だ。しかも記事の署名に「元毎日新聞記者」って、取り置きの予定稿を載せたのか?

 次に落ちるのが『東京』だな。寂聴さんが上京すると、食事やお茶をご一緒したという割には中身が薄い。評伝のテーマにならない話に終始しており、何をどう勘違いしたのか、書く方向が最初からズレている。

『読売』は記者が15年ほど前に会って自己紹介したときに寂聴さんから《少し冷めた表情で「つまらない人ね」と言われた》と書く。《自分の無意識の思い上がりをたしなめられたようで、淋しかったけれど、深く胸に染みた》と率直だが、焦点が自分に当たっていて、これが評伝か?

 というわけで、敵失に助けられた面がないわけではないけれど、『朝日』の評伝を1位にする。記者が最近まで寂聴さん担当だったはずで、この点は有利に働いたに違いないが、寂聴さんの人柄や苛烈さが滲む発言を選び抜き、ちりばめた。ただし最後の一文は蛇足というより邪魔。こういう不要な一文を記者は書きたがる。

 見落としがあるかもしれないが、寂聴さんが晩年取り組みを始めた「若草プロジェクト」に触れたのは『読売』だけで、この目配りに拍手を贈る。