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『般若心経』を読んでいる。音読? いや、読経と言うのか。

 原体験には徳島に遡る。私が高校生だったか中学生だったか小学生だったか、親戚が亡くなり、そのたびに家に坊さんが来て読経するのを後ろで正座して聞いた。喉を鳴らして朗々と読経する様子に「楽しそうやな」と思った。そこに始まる。

 この10月に人気数学塾を40年近くやっている友人四宮のお世話になった。その際に『般若心経』を勧められたのである。変な空気が一掃されると聞き、飛びついた。四宮の車で沖洲の喫茶店に向かっていたのだが、急きょ一番札所に向かい、そこで買ったのが『般若心経』である。450円くらいだったか。安いなぁと思ったが原価を考えると坊主丸儲けだろう。

 偶然にも瀬戸内寂聴さんの『寂聴 般若心経――生きるとは』(中公文庫)を買ってあったので、それを参考書にして、『般若心経』に解説を書き込む。そうすることで理解が深まり、面白い。

 寂聴さんはさすが得度しただけのことはあり(って何だかエラそうな書き方だが)、説明が詳しい。詳しすぎるのでこの本を通読したらかえって混乱するというかあとに残らない。しかし『般若心経』に書き込むことで内容がぐんと整理されて頭に入る。

 聖書より圧倒的に薄いし、昔から身近だったし、変な空気を追いやる効果があるようだし、わが車谷長吉さんも仏教に言及した作品があるし、『般若心経』はいずれ通る道だっだように感じる。親が死んだときに私が読経すれば親孝行になるだろうからそのあと「お前は親不孝もんじゃー」と化けて出てくることはあるまいという期待もある。

 少し前にヤクオフで格安で落札した寂聴さんのCDに寂聴さんが読経する音声が入っていて、私は小躍りした。寂聴さんに合わせて読経できるではないか。

 というわけで、1日に1回は摩訶般若波羅密多と唱えている。エセ仏教徒であるが、なーにこの世はエセだらけ。