
小説を読んでからその映画を見ると映画の薄さが残念だし、映画を見てから原作の小説を読むと映画の俳優が頭に残っているので自由な創造の邪魔をする。どちらも碌なことはなかった。
今回、まず村上春樹の原作小説を読み、そのあと映画を見た。村上春樹の原作だけ読んでも今ひとつ意図が分からなかったのは、原作を収めた計6つの短編が『女のいない男たち』という題名の本にまとめられていて、この6編に流れる通奏低音が「女のいない男たち」であることを忘れていたからだろう。
映画は映画としてしっかり独立していて、含蓄のある台詞や舞台設定の共鳴に私は頷いた。東北の大震災で大切な人を亡くした経験者にも響くはずだ。具体性の高い物語なので、単純な私でも解釈しやすかった。作中劇の役割も分かりやすい。原爆で灰燼に帰した広島を監督が神聖視し、その広島を舞台にした理由は主旋律で流れているから聞き取りやすい。
能天気に明るい映画ではないので人生経験のない若者は解釈や理解が難しいかもしれない。昏い経験を持つたいていの大人なら「あっ」と震える一瞬に襲われるのではないか。
チェーホフを買うことにする。恥ずかしながらまだ読んでいなかった。