同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

恋愛論

44歳女性教師が中学男子をデートに誘い


 男子中学生にキスなどをしたとして、担任だった市立中の女性教諭(44歳)が懲戒免職処分を受けた。新聞によると抱きしめてキスをしていたそうな。場所は校舎内や千葉ディズニーランド、葛西臨海公園。

 私が感動したのは女性教諭の「いけないことだと分かっていたが、気持ちを抑えられなかった」という発言である。建て前の兜を脱ぎ捨てた人間の魂がそこにある。既婚者だそうだが、そういうものを突き破って進んでこそ「好き」と言っていいのである。

 セックスまでは至っていないようだ。健全な心身なら教え子とセックスしたかったはずで、にもかかわらずキスで止めたのだから、蛇の生殺しのようなつらさではなかったか。

 車谷長吉さん式に言えば、生が破綻したときに人生が始まる。私が先生と知り合いなら車谷長吉さんの『人生の救い』(朝日文庫)を贈るのだが。

 夫は深く傷ついただろうが、世の中ではよくある出来事の1つに過ぎないし、誰かの命が奪われたわけでもない。人を好きになるこころには烈しさが宿るというお手本を示してくれた先生に幸あれ。


隠しておきたい記録データの隠し方

 
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 婚外恋愛をしていた男性が亡くなり、デジタル遺品を家族が見つけ、交際相手の女性フリーアナウンサーが全てのレギュラー番組を降板させられたという。かわいそうに。とばっちりである。

 記憶を何か残そうとするのは男のクセだろう。「男の恋愛は犬の小便」と言われるように、何度もクンクンにおいを嗅ぐ習性がある。自分が墓穴を掘るなら笑い話だが、交際相手に迷惑をかけるようでは彼氏失格と言うほかない。この男性は自分が死ぬとは思っていなかったに違いない。そこに油断があった。

 ではどうすればいいか考えてみた。

(1)クラウドに保管して、男女とも入ることができるよう暗証番号などを共有しておく。どちらか片方が死んだら、生きているほうがさっさとデータを自分のパソコンにダウンロードしてクラウドを閉鎖するかクラウドをすぐに削除する。

(2)年齢の若いほうが保管する。基本的に若い方が余命は長いので、安全度は高い。

(3)紙焼きにして独身のほうが保管するか、両者を知っていて理解がある第三者に保管してもらう。しかし第三者が持っていると見たいときに見ることができないなぁ。

(4)DVDなどの記憶媒体に移して銀行の貸金庫などに保管する。これならバレる確率は非常に低くなる。そこまでやるかという話ではあるけれど。

あの上野千鶴子先生が

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 毎日新聞社にちょっと気になる名前の女性記者がいた。他人に思えなくて、かつての同僚・有ちゃんに尋ねてみたことがある。

「ニシノさん、彼女は東大の上野ゼミ出身ですよ。腕をかる〜く捻られますよ」

 ヨコシマなワタシのココロを察した有ちゃんは上野ゼミという虫除けを私の顔の前に示したのであった。軟弱なワシはかる〜く腕をひねられれてアタタタタ。想像して手を引っ込めた。

 その上野千鶴子先生が10月20日付『朝日新聞』Be版「悩みのるつぼ」で、母の不倫に戸惑う男子高校生の相談に答えている。母親に一生「女」を封印せよという権利は息子にもないと喝破した。

 おお。これならワシと話合うと思うぞ。念のために万一に備えて両腕を後ろに隠して会ってみたいな某女性記者に。

自己チュー女をいい男は相手にしない

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 恋愛のカミサマであるワシのところにたくさんの相談が寄せられる。ある女が嘆き節と恨み節をワシにぶつけてきた。

「彼と一緒に映画に行きたい。散歩したい。ご飯を食べたい」

「彼は仕事ができる職場の女性にベッタリ。その女性は私と同世代なのに私は無視される」

「彼の奥さんは怖い人なのに週末はいつも一緒に出掛けてる」

「私だけをみてほしい」

「彼は職場の女性みんなに優しい。私だけに優しくしてほしい」

「寂しい」

 ワシは次第に腹が立ってきた。

「おまえね、さっきから聞いとったら自分の都合しか考えてないやんけ。彼をこうしてあげたいとか彼にあんなことをしてあげたいとか、彼最優先の考え方が全くない。自分の都合ばっかりや。そんな女にええ男が寄っていくわけがない。ええ男ほどおまえのような女は避ける。ええ男にはええ女がなんぼでも寄っていくんじゃ。ええ男は女に困ってないんじゃ。意味分かるか?」

 9月15日付『朝日新聞』Be版「悩みのるつぼ」で美輪明宏さんがワシと同じような助言をしておったので、記事を女に送ってやった。

 女から返事はない。

 50前後からかな、ワシは本気で他人に注意をするようになった。それまで遠慮して何も言わなかったのだが、考えを変えて、きちんと関わる人には率直に苦言やら注意やらを伝えるようになった。袖すり合うも多生の縁という思いがあるんじゃな。

 それで嫌われたらワシの不徳の致すところでござりまする。しゃーないな。

自宅への誘いを受け入れたらセックスOKの合図?

 うーん。こりゃムズカシイわい。

 交際3カ月のカップル。男の子が家に女の子を呼び、一緒に勉強しているうちに男の子からキスをしたら女の子が泣き出した――。

 「は? 女の子が男の子の家に行ったらセックスOKの合図ダロ」と疑問を抱いたが、中学生のカップルの話だった。中学生ならちと早すぎる。では高校生は? 大学1年生は? 2年生は? 3年生は? 4年生はと考えていくと、確固とした区切りがないんだな。今ごろ気づいた。

 私が交際相手の家に行ったのは高校1年の秋だった。彼女の部屋にも行ったけど、邪なコトは全く頭に浮かばなかった。彼女と一緒にいるだけでシアワセだったのでつい長居してしまうという失敗をやってしまったが、神に誓って性の「せ」の字も頭になかった。当時はジュンボクだったのである。

 今日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)くらし面によると、性的同意を考える動きが大学生を中心に広がっているそうな。

 同意のないセックスは強姦だが、同意のないキスはセクハラ行為なのか。いちいち「キスしていい?」とか「セックスしよう」とか同意を取り付ける必要があるのか。それはそれで無粋なように思わないではない。ここは既成事実が必要だという場合もあるし。ないか。あるよね。ない? 一人でぶつぶつ。

 同意は言葉に限るまい。相手の態度や表情で見抜くのが基本だし、その際に「ノー」を突きつけられたら相手の気持ちの読み名違いということで引くことができればいいんじゃないか。

 相手との間合いとでもいうのか、忖度できる能力は大事だぞ。お互いにね。難しいかな。

おっさんよく聞ーけよ♪

 平塚駅前のコメダ珈琲で本を読んでいたら隣の席で恋バナが始まった。ちらっと見ると20代前半の娘さん3人組。

 彼女たちの発言を列記しておく。特におっさんはよく読むように。

「おっさん、若い子に来る。40代(の女性)がいるのに(そこには)行かない。で、自分の話だけする」

「マッチングアプリでいいねしてくるの50、60のシワシワのおっさん」

「質感的に42(歳)は筋肉なくなってくる。タルンとなってくる。スポーツしてないとね」

 ここで私が立ち上がって「ワシはランニングやっとるで。タルンとなってないで。どや」と胸を張っていたら、この平塚市で50年は語り継がれただろうなぁ。

 その勇気がワシにはなかった。無意味な恥じらいを捨てるのがワシの課題やな。

財務事務次官とワシ

 東京・早稲田の喫茶店。席に座った私に、育ちの良さそうな若い女性が来て「いらっしゃいませ」とニコッ。コーヒーを注文したら「ブレンドですね」と優しく復唱してニコッ。コーヒーを持ってきてまたまたニコッ。

 こりゃ私に気があるな。というわけで、ここで私が「胸触っていい?」「手縛っていい?」「抱き締めていい?」などと声をかけたらダンディニシノが財務次官と同じセクハラ野郎になってしまうわけよ。

 財務事務次官は緊縛の趣味があるようで、どんな性癖でも自由だけれど、財務事務次官という立場に魅力を感じて仕事で寄ってきたに過ぎない女性であることが分からなかったのだろうか。男あるいは人間として魅力があるから寄ってきたと思っていたのならおめでたい。

 いやそもそもこういう迫り方は女性に失礼でしょ。若いころ何を勉強してきたのか。真剣に本気で一生懸命に人生を賭けて迫っていればこんなことにはならなかっただろうに。

眞子ちゃんを彼氏と別れさせてはいけない

 秋篠宮の眞子ちゃんと彼氏は別れさせられそうだと週刊誌が報じている。別れさせてはいけない。なぜか。

 彼氏と母親の側に諸問題があるようだが、別れさせるほどの問題ではない。

 週刊誌に登場しまくっている元婚約者は恨み骨髄に徹す状態というかコノウラミハラサデオクベキカの魔太郎状態というか江戸の敵を長崎で討つ状態というか、端的に言えば変である。交際時に渡したお金を婚約解消したから返せというのは解せないというかケチやなぁ。「もってけ泥棒」と鷹揚にしていればかっこいいのに。お金を渡した自分の判断を呪うならまだしも。

 ここで立ち止まるべきは、元婚約者の話ばかりを書く週刊誌である。彼氏は何か言いたくても言えない立場になっていることを理解する必要がある。

 恋愛や結婚の多くが一時的な錯覚や誤信に基づく行動だが、そこには若い魂がある。当事者以外の力で強引に別れさせるということは若い魂を引き裂くということなのである。魂は無傷では済まない。

 子供がいっちょまえになったら親に拒否権などないのである。追認するのが親の唯一の仕事なのである。先日札幌から東京に数日滞在した長女と会った際、長女の隣に短髪の男が座っていたけれど、長女がいいなら私もそれでいいのである。

 若い魂はもろい。壊したら元に戻らない。誰が責任を取るのだ?

富岡八幡宮惨殺事件犯の手紙を読んで

 写真に撮ってここで公開してもいいかなと読む前は思っていた。しかし、読み進むうちに「これはダメだ」とあきらめた。テレビのワイドショーが一部を報じていたが、残りの大半はとても報じることはできまい。なぜなら禁忌に触れる内容だからだ。報道目的であってもこれはさすがに尻込みしてしまう。

 ほんの少しだけ踏み込んでおくと、手紙には家族の“血”にまつわる話を書いている。差別表現てんこ盛り。

 そんなことより、犯人に刺殺された配偶者に私は関心を抱く。連れ合いである犯人と一緒に人を殺め、自分も殺され、人生を賭けて一生を終えた。差別されていた恨みがあったのかもしれないが、一途な愛を愚かに貫いた女と私は解釈したい。こういうの、私は嫌いではない。一途さのない“愛”をたくさん見てきたせいかもなぁ。

人生は祭り

 ラブホテルで会社員男性(52歳)が意識を失い呼吸が止まったことに気づいたにもかかわらず、不倫の発覚を恐れて男性を放置して部屋を離れた女性(51歳)が保護責任者遺棄容疑で逮捕された。命に関わる事態なのに自分の身の安全を考えて逃げる薄情な女を選んだ男の見識の低さは合わせ鏡だろう。男性は亡くなったので後は野となれ山となれだが、女性はそういうわけにはいかないから逃げたくなった気持ちは同情に値するが、いずれにしてもお悔やみ申し上げる。

 機械的に日焼けしたような浅黒い肌に金のネックレス、どう見てもあっち系のご職業(?)の服装をした70代の男性がバイアグラを某クリニックの某医者によくもらいに来ていた。

 ある日の昼、心臓が苦しくなってその某クリニックの某医者のところに駆け込んできた。聞けばきのうバイアグラをのんで一戦交えたという。苦しみながらその男性は「妻には連絡してくれるな。代わりにここに連絡を」と言って電話番号が記された紙を某医者に渡した。

 すぐに駆けつけてきた女性はこれまたゴージャス系のいでたちで、「私がそばにいていいの?」「もちろんさ。お前にいてほしい。妻には内緒だと医者にも口止めしてあるから」

 男性の心臓の動きがよくないので救急車を呼び、某医者も乗って連携病院に行った。その後亡くなったという話は聞いていないので、無事だったのだろう――。という話を聞いたことがある。

 いや、婦人科の医者ならもっとすさまじい“患者”を当たり前のように診ている。平日の昼間に来た女性が「夫が帰ってくるまでに堕ろして」などと診察室で医者に言うのは日常茶飯事で、医者は「またか」と思うだけ。

 尻に蒙古斑のある年齢をとうに過ぎた私は人間の性を否定しない。覚悟さえあれば人生全是祭である。

頑張れ山尾志桜里さん蛇足の補足

 山尾さんがホテルで一夜を過ごした弁護士と親しいのは疑う余地がないけれど、もし万一何かの間違いで肉体関係に至っていない場合、それは私にとって何とも味気ないツマラナイ関係である。一線を超えていない男女など、私にはどうでもいい。私には積極的に支持する以前の問題で、どうでもよくなる。

 私の期待通りふたりが肉欲関係にあるのなら、私は山尾さんの今回の判断を激しく応援する。世間の批判や冷笑を浴びながら愛を守るために地獄を行く山尾さんの気迫を誰が否定できようか。

 ふたりが一線を超えているという前提があるからこそ山尾さんの判断は貴いのである。げすな質問に対して「お答えしない」と毅然と断る彼女の凜々しさよ。

 平成時代の終わりに燦然と輝く愛である。平成を代表する愛である。恋愛できない若者が増えているそうだが、山尾さんを見ならうがよい。これが愛なのである。

 世の中で婚外恋愛をしている人は数多いが、ここまで毅然と立つことができる人はほとんどいないのではないか。性的な妄想を含んだ冷笑を投げつけられても動じない山尾さんは女性の中の女性である。

 愛を知る人だけが山尾さんを応援できるので、世の中の大半が敵に回るのは仕方ない。世間体を気にする人に、世間の大半を敵に回す愛を育む経験も精神もない人に、山尾さんをあれこれあげつらう資格はないし、その言葉は空(くう)をさまようだけだ。

 自ら反みて縮くんば千万人と雖も吾往かん。孟子だって応援しているではないか。山尾さんの精神を私は徹底して支持する。熱い肉欲で燃え尽きてよし。

フランス人あんちゃんの”腕”を盗む

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 いつまで常盤貴子に触っとんじゃ。はよ離さんかい!

 NHK教育テレビ『旅するフランス語』で「久しぶり」と常盤貴子と言葉を交わしたアルノ・ル・ギャルという男、常盤貴子が丁寧語で話すので「友達言葉で行こうよ」と提案するのだが、そのたびに常盤貴子の腕をつかむ。ニャロメー。って古いな。ニャロメを知らない世代のほうが多いかもしれない。いや、ニャロメはどうでもいい。問題はこのギャルだ。男のくせにギャルか。ふふーんだ(鼻でせせら笑う音)。

 日本でモデルや俳優をしているそうで、常盤貴子とは顔見知りのようだ。しかしだからといって触っていいのか。ワシがもし常盤貴子と顔見知りで「久しぶり」と言って「ひろちゃんと呼んでくれよん」と提案しながら常盤貴子の腕を何度も触ったらゼッタイに「ヤメテクダサイ」と叱られるだろう。

 ちゃらいギャルに質実ゴーケン日本男児のワシは負けるのであるな。負け惜しみついでに言うと、日本にはこのような軽いタッチの習慣がない。ハグもしない。したがって日本人同士がこういうことをすると違和感が生じる。

 土壌がないところに花は咲かない。柳の下のドジョウである。

キンモクセイをよく見てみる

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 人でも花でもよく見てみろ、細部が見えてくるから――という趣旨のことを語ったのは小林秀雄だった。私の高校時代、模擬試験に頻出の難解な文章を書く爺様だったが、今振り返ると案外いいことを言っていた。

 というわけで、私が今秋よく見たのがキンモクセイである。トイレの芳香剤と言う人もいるけれど、私には青春時代の甘酸っぱい記憶が蘇る。高校時代につき合っていた女性の1人が手紙に添えていたのがキンモクセイで、以来キンモクセイの香りをかぐたびに彼女を思い出す。パブロフの犬である。

 彼女は今どう過ごしているだろう。元気だろうか。などと振り返ってくんくんニオイを嗅ぐのは男の阿呆な性で、当の女性は後ろ足で砂をかぶせて立ち去り、過去の男など思い出しもしない。「男の恋愛は犬の小便、女の恋愛は猫の小便」と言われるゆえんであるな。

 というわけで、私は砂まみれである。いったいこれまでに何百人の美女に砂をかけられたことか。と盛ってみる。

恋文は夜書くべし

 たまたま小学校受験の願書を何通か読む機会があり、そのほとんどに何の魅力のかけらもなく、ただ自分の子供がどれほど賢いかを競うように書いている。阿呆どもめ。

 文章は夜の夜中に書くといい。愛情を表現する願書や恋文は夜書くに限る。

 夜書いた恋文はすぐに出すな。昼間読み返すと恥ずかしくて汗が出るから書き直せ、という話を昔聞いたものだが、50代半ばになって、いろいろな願書をそこそこ読んできて、「それは違うな」と思い至った。

 夜書くと感情がほとばしるのでよくないと言われるけれど、そのほうがいいのである。相手への思いや情熱を死に物狂いで書くほうが相手に伝わりやすい。昼間の冷静な頭で書いた「1+1は2」みたいな文章より、あなたを得るためなら(あるいは入学できるなら)どうなってもいいという情念を込めた「1+1は1億」みたいな文章のほうが確実に伝わる。

 『スタンフォード式最高の睡眠』によると、23時ごろには寝るほうが脳みそにはいいそういで、それはそうなのだろうが、願書や恋文のような自分の思いの丈をぶつける文章を書くときは23時就寝の枷を除くほうがいい。

「しかし何だな。お前のブログがつまらんのは夜の夜中に書いているからだな」と言いながら、抜いた鼻毛を口から吐いた息でその辺に吹き飛ばす人には私は負けを認めよう。

上原多香子さんの件に思う

 ごくたまにこういう悲惨な、では到底済まない出来事が起きる。上原多香子さんの配偶者が自殺した事情を遺族が『週刊女性』に明かした。明かしたところで誰も救われない。しかし、遺族が明かしたやむにやまれぬ思いは十分理解できる。配偶者がいながらの上原多香子さんの気持ちと行動も理解できると書くと誤解を振りまきそうだが、よくある話である。

 恋愛絡みであってもなくても、自殺はいたたまれない。私が知る限りでは、岡田由希子さんの飛び降り自殺がある。その翌日に佐野と一緒に現場を見に行ったところ、ファンらしい人たちが沈痛な面持ちでたたずんでいた。

 男が自殺する例としては荻野目慶子さんと藤あや子さんの事例が有名だ。荻野目慶子さんの憔悴しきった様子を当時テレビで見た記憶があり、怨念をかけるかのような自殺の仕方を当時ガキだった私は理解できなかった。今も理解できないのはガキから進歩していないからだな。

 自分が取り上げたネタだが、まとめが難しい。

 まぁ、1つ言えるとするとあれだな、スマホはロックしておくことと配偶者のスマホをのぞき見しないこと。これに尽きる。特に後者は基本中の基本だと私は断言する。

 のぞき見して何かあればつらいし、何もなくてものぞき見した自分の卑しさに悶絶する。だから絶対にのぞき見しないこと。のぞき見しようと思った時点でその関係は終わりだ。

車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』への共感


 車谷長吉全集を持っているのだが、まず文春文庫で読んだ。

 こころの奥深くに棘が刺さって血みどろでうめいている男と女が、二人の間に横たわっていて到底乗り越えられない深い溝の底で一瞬の手応えを得る恋愛小説である。駿台現代文・藤田修一師ふうに言えば「一瞬のキラメキ」ということになるだろうか。

 本書は車谷さんの経験を下地にしている。窒息しそうな腐臭漂う地底で裸になり、言葉をつかみ取り、紡いだ。

 今さらながらだが、車谷長吉さんに魅了される理由が本書で初めて分かった。共感する表現を見つけるたびに私は驚き喜びうめきながら線を引いた。

 芦屋の高級住宅街に住む人を<ピアノの上にシクラメンの花が飾ってあって、毛のふさふさした犬がいる贋物西洋生活>と斬りつけた。虚飾や虚栄心を忌み嫌う人なのである。だからだろう、本書の女アヤちゃんは虚飾や虚栄心のかけらもない。

 思えば私も虚飾や虚栄心を見せる女にはいつも鼻白んできた。相手は得々としているから、辟易する私の心中に気づかないんだなこれが(笑い)。

 この文庫本は第1刷が2001年2月。16年7月には20刷である。車谷ファンが増えるのはうれしいことである。

「オレとつき合いたいんだったら、ドストエフスキーくらい読めよ」


 私が一番ウケたのは「オレとつき合いたいんだったら、ドストエフスキーくらい読めよ」である。出典は『新版 安売りするな「価値」を売れ!』(藤村正宏・日本経済新聞出版社)。

 こう言われた女性はドストエフスキーを読み、ロシア文学の大ファンになったそうな。愛の力はすごいねぇ。

 そういえば以前ある職場で今どんな本を読んでいるかという話になり、当時40代後半だった私は大変恥ずかしいと思いながらドストエフスキーの『罪と罰』を挙げたところ、「おー」というどよめきが返ってきて面食らったことがある。

 というわけで、私なら何と言うだろうかと考えてみた。谷崎潤一郎はちょっと違う。最終的に2人の作家が残った。

「ワシとつき合いたいんだったら、車谷長吉くらい読めよ」

「ワシとつき合いたいんだったら、日垣隆さんを読めよ」

 あん? お前ごときとつき合いたいと思う女なぞおらんってか? 確かに(汗)。

車谷長吉さんの助言と松居一代さん

 松居一代さんについて藤沢数希さんはメルマガで<統合失調症などの精神の病の可能性が高いと思います>と書いた。そうか?

 私はそうは思わない。

 車谷長吉さんの助言を思い出す。浮気を繰り返す夫に悩む妻に対して<まず反省すべきはあなたです。自分の世間体など捨ててしまえばよいのです。恥をかいて、醜態をさらせばいいのです。道の真ん中で、夫とその女に怒鳴り散らせばよいのです。泣きわめけばよいのです。そして近所の人たちに事実を知ってもらえばよいのです。その女の家へ怒鳴り込んでいき、女の夫にも知ってもらえばよいのです。そうすれば気が楽になりますよ。しかし多くの女は虚栄心が強いので、それが出来ません>と“助言”した。『人生の救い』(朝日文庫)97〜98ページである。

 車谷さんの助言をなぞるように松居さんは行動しているではないか。もっとやれーとつい声援をおくってしまうのは、他人のトラブルを見るのは楽しいからだろうなぁ。すまん。この案件に興味は全くないけれど、松居さんの行動にブンガクを感じるので私は買う。

 この調子で周囲を破壊していくことで、松居さんの新しい人生が始まるのではないか。新しい道を切り開くのではないか。ブンガク的存在になった松居さんには興味がわく。

圭ちゃんとのりこ

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 圭ちゃんへ アタシの広い広い青空でいてネ のりこ

 のりへ いつでもそばにいるよ あんちゃん

 1999(平成11)年10月1日の落書きである。この二人が当時20歳だとすると今37歳か。まだ若いな。

 東京・神保町の喫茶店さぼうるの地下フロアの奥の壁に残る落書きを見て、この男女は果たしてうまく行ったかと想像する。

 女がちょっとだけポエジーに甘えているのに、男は気の利いた言葉を残していない。せめて「まぶしく楽しく咲き誇れ 僕の向日葵」くらい書けなかったものか。男のセンスのなさに辟易して女が飽きたんじゃないかというのが私の推測であり期待である。

 あるいはこうだな。圭ちゃんは広い広い青空をさらに広げて、いろんな女の頭上にも青空を広げた。で、この女の頭上から滝のような大雨が落ちて溺れて瀕死の重体。

 この二人がしあわせになっていたらぜ〜んぜん面白くない。苦労してこそ、さぼうるのコーヒーのような深みや渋みが出るのであーる。

高橋順子『夫・車谷長吉』

 <この世のみちづれとなって――>。帯の惹句に魅了されてすぐにアマゾンで取り寄せた。詩人高橋順子さんが配偶者の軌跡の断片を丹念に拾い集め、穏やかに、愛惜を込めて書いた『夫・車谷長吉』(文藝春秋)である。

「みちづれ」の意味を辞書で引くと単に「同行する」と説明されている。しかし、車谷長吉さんに対する私の先入観か、「地獄に道連れだ」や「お前を道連れに死んでやる」というような負の印象をまとう。そこが私の興味の発端だった。

 帯の惹句は高橋順子さんの言葉だろうと想像しながら読み進む。と、<もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され>という車谷長吉さんの恋文に出くわした。高橋順子さんはこの言葉に応じる覚悟があったのだから、編集者が惹句として呼応させたのだろう。

 「して下さい」と車谷長吉さんがへりくだっていたのは意外だったが、野坂昭如さんにしても配偶者をあがめていたから、そういうことかもしれない。

 さて。今回も思った。カップルの相性はそれぞれが用いる思考と言葉の深さが合うかどうかで決まる、と。車谷長吉さんには高橋順子さんでなければならない必然があった。本書の活字を追うと、そのことが目に見えて分かる。ずれを感じたり離婚したりするカップルはそもそも思考と言葉の浅深が異なっているのである。

 車谷長吉さんは突然亡くなった。何の根拠もないが、車谷長吉さんはそれを自ら選んで実行したのではないかと私は考えてしまった。積極的ではないにせよ、その可能性が脳裏をかすめて行動したのではないか。「恥の多い生涯を送ってきました」と書いた太宰治が重なるのは私の出過ぎた想像だろうが。

 最愛の女性からこれだけ愛されたのだから、車谷長吉さんはしあわせな生涯だったに違いない。
 

柴門ふみ『東京ラブストーリー 25年後』


 わが徳島市立高校の先輩・柴門ふみさんの『東京ラブストーリー 25年後』(小学館)である。

 抜群のストーリーテラーだけあって、物語展開に今回も魅了された。「巡り合わせ」をキーワードに、中年まっただ中になった登場人物を描いた。私が感情移入できる登場人物は1人もいないけれど、同じ時代に呼吸して、同じように年齢を重ねた同世代への共感は身に染みて分かる。

 高校時代に付き合ってフラれた経験があってよかったなぁとしみじみ思うわけである。この経験があるから、登場人物への共感につながるんだから。私が交際相手を振っていたら今の共感につながらない。フラれたから強烈な思い出になって、セイシュンのキラメキの尊さをまぶしく振り返ることができるわけで、そこに意味がある。

 柴門ふみさんは基本的に良妻賢母なのだろう、物語の通奏低音に暗さがなく、人生賛歌が流れる中で物語の幕を閉じた。ラストは睫擇里峪辧悗修虜戮道』のラストを彷彿させる。柴門さんは『その細き道』を意識したのではないか。

 柴門さんが70代半ばになったときに登場人物の50年後を描いてほしいなぁ。ぜひ読みたい。私が生きていればだけど。

お金と愛

 婚外恋愛を週刊誌に暴露するのはルール違反である。しかし、女にルール違反をさせた男に何かの問題がある。夫婦が合わせ鏡なら、そういう恋愛も合わせ鏡だ。

 渡辺謙さんはケチだったそうで、交通費から食事代まで女が負担していたという。お金と愛は同じ重さではないけれど、愛を証明する1つではある。相手に費やすお金がゼロなのだとしたら、私の電卓で弾く限り、愛はゼロだ。

 それでいて男がテレビでええかっこしいをしていれば、女に「化けの皮をはがしてやれ」という気持ちが生まれるのはやむを得ない。

 お金は愛の潤滑油なのであーる。
 

 
 

講談社編集者殺人事件で思い至った恋愛が長い続きしない理由

 講談社の編集者が配偶者を殺した容疑で逮捕された報道を見て私は首をかしげた。なんで離婚しなかったんだ、と。相手の人生を消滅させるほど憎かったのか。子育てや子供の教育で意見が合わなくなったのだろうけれど。

 逮捕された編集者も亡くなった配偶者も恋愛中はまさかこういう事態に発展するとは想像していなかっただろう。すなわち、恋愛中は「今」しか見えない。恋愛中のカップルが今見えるのは、私に「好きだ」と言ってくれる彼とオレに「愛してる」と甘えてくる彼女だけ。だからこんなに「合う」のはウンメイだとか相性がいいとか勘違いし、いや、確信し、結婚する。

 しかし、一緒に暮らしているといろいろなズレが出てくるものだ。子供の教育をどうするか、親の介護をどうするか、転職した、病気になった、浪費癖があるなどなど、かつての「今」の段階には全くなかったいろいろな出来事に次々と直面する。価値観の違いが1つや2つは出てくる。必ずしも「合う」ことばかりではないのである。そんなときにどちらかが必ず相手に合わせる性格なら齟齬が生まれたり対立に発展したりすることはないだろうが、普通はズレが生じる。

 恋愛とはそういうものだ、今は見えても先は見えないものだ、今は「好き」と言っていても、いずれかみ合わなくなることがある、そうなると「好き」は消える、などと最初から諦念があれば恋愛に過度な期待はしないだろう。しかし、ここまで達観してしまうとかえって結婚から遠ざかるかもしれないが。

 好き好き愛してるは今限定の感情なのだ。その先の長い長い時間に、この感情を殺すズレが生じる出来事がいくつも待ち構えている。こう諦めておくのが正しい恋愛の仕方かもしれない。

 というようなことを次女に先日話した。私が言うから説得力は相当あるのだが(笑い)、恋愛に夢を見る小娘である。受け入れがたかったかもしれないなぁ。
 

情熱に触れる方法

 情熱に触れたいだから抱きしめて

 10月14日付『毎日新聞』の「仲畑流・万能川柳」欄で「一日指定席」を獲得した「北九州・智鈴」さんの3作品の中に1つである。強烈と言うほかない。

 長年欠かさず読んできた「仲畑流」の中で歴史に残る作品になるだろう。

 作者は全共闘世代か。あの世代の熱さを感じる。

 百人一首の「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」にも通じる情念がある。藤原道信朝臣の時代には「情念」という言葉はまだなかったかもしれないが。

 もっと言えば藤原一首より血のたぎりがある。一路だ。

 愛はこうでなくては。


 

 
 

三代目中村橋之助の記者会見を採点する

 桂三枝師匠よりはマシな記者会見だった。人気芸妓との交際が話題を呼んだ三代目中村橋之助である。

 あろうことか桂三枝師匠は記者会見で配偶者に対する謝罪の言葉を何度も述べた。配偶者への気づかいを見せれば見せるほど、交際相手に失礼である。その後交際相手がもっと過激に暴露に走ったのは当然だ。

 橋之助は「不徳の致すところ」と何度も表現した。これは交際相手への配慮である。交際相手である芸妓は橋之助が背負うものの重さを分かっているから、最初から結婚は期待していない。ただ愛がほしいだけだ。そんな彼女にとって「不徳の致すところ」は悪くない表現なのである。

 って、ワタシが芸妓の気持ちを知ったふうに言うのも何だが、男と女の基本はそんなもんだ。

 というわけで、三枝師匠が5段階評価の2として、橋之助には4を差し上げよう。

 そういえばほとぼり冷めぬ6月ごろ、大阪・難波花月で三枝師匠はそれをネタに落語をしてオオウケだったそうだから、元は取っているのである。グゥ〜!(←グッドの意味。桂三枝のネタね)。

失恋は名作を生む

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 永六輔さん作詞の「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」は中村メイコさんへの失恋が生んだという特報が7月19日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面に出た。

 仲よしの中村メイコさんが「高津善行さんと婚約する」と伝えたら、永さんは<ポロポロべそをか>いたという。メイコさんから相談を受けた父親は「上を向いて帰りなさい。涙がこぼれないように、とでも言うんですな」とアドバイスし、メイコさんは永さんにそのまま伝えたというのだ。

 いい話だなぁ。

 従来この歌詞は60年安保挫折の歌だと言われてきただけに、これは特ダネだろう。

 こういう話は少なくないのではないか。例えば康成もそうだった(川端康成への親近感から私は「康成」と呼んでいる)。「非常」の伊藤初代さんとの別れが昇華されて『伊豆の踊子』が生まれたのだから、何がよくて何がよくないか分からない。康成が初代さんと結婚していたら『伊豆の踊子』は果たして生まれたかどうか。

 谷崎潤一郎はいい女が創作欲をかきたてた。森鴎外は『舞姫』辺りか。芸術家の影に女あり、なのである。女が芸術家の創作欲を刺激するのである。

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 偉大な芸術家と並ぶつもりは全然ないけれど、広島・宇品でこんな店名(上の写真参照)の喫茶店を見つけてつい入ってしまうワタシである。でもって、店のおばちゃんに「高校時代に初めて付き合った女の子のあだ名が『りんごちゃん』で、かわいい子だったんですよ。それでこの店に興味を持ちました」などと、聞かれていないのに語ってしまうのだった。

 私見だが、男の場合振るよりフラれるほうが絶対にいい。なぜならフラれたら相手を美化するからだ。スタンダール先生ではないが、絶望の失恋が相手への思いを結晶化して名作になる。

 そういえばワタシがりんごちゃんにフラれた日は帰宅するなり寝込んだ。ゼツボーしたのである。自慢するわけではないが、彼女は同じクラスのほかの男に走ったのだからワタシのゼツボーは深かった。かわいそうなワシ。

 ということはワシは名作を生み出すのかもしれない。「りんごかわいや かわいやりんご」という歌詞が今ひらめいたが、誰かに先に書かれたっけ?

「いい相性」の定義

 恋愛で最も重要な要素は「いい相性」である。

 長年の研究の結果、私が到達した「いい相性」は、相手と一緒にいると自分のいい面が引き出される関係である。お互いにいい面を引き出し合う組み合わせを「いい相性」と私は呼ぶ。

「いい面を引き出し合えるのがいい関係」と考えついたのは私が人類初だと思っていた。ところが、蜷川幸雄さんが似たようなことを言い、インタビュアーの黒田あゆみさん(当時の名字)が賛成の意を示していた。なーんだ。

 しかし、私の説は何の説得力もなけれど、世界のニナガワが似たようなことを言っているとなると、世間は「おお、確かにそうだ。さすが蜷川さんだ」と大いに首肯するのである。

 いい相性の女性が何人いたか、指折り数えようとしてみたが……。

「キレる妻」と「すれ違う夫婦」は別問題

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 出張先の宿でテレビをつけたら、こんな文字が。NHKがどこまで真面目に取り込んだのか知らないが、2つの問題をごちゃ混ぜにしている。

「キレる妻」もいれば「温和な妻」もいるはずで、これは大半が性格に由来する。キレる妻が好きという酔狂な男がいないとは言えず、好きならそのまま、いやなら別れれば済む。以上。おしまい。

「すれ違う夫婦」はそもそも相性がぴったりではないのに性欲で結婚してしまっただけの話であるというのが私の最近の説である。性欲は目を曇らせ判断を間違わせることが多い。以上。おしまい。


 

柴門ふみ『解剖恋愛図鑑』

 どんな職業に就きたいか。これは個人の性格で決まると私は見てきた。職業性格論と名づけよう。

 柴門ふみさんは職業と女性について別の角度から見た。すなわち<女性が就職を考える時、仕事内容、収入面はもちろん大切であるが、その仕事に就くとどのような男性に出会い、恋愛、結婚できるのか、ということも重要なのでは?>と考えたのである。なるほど。これを職業結婚論と命名しよう。男はあまり考えない視点ではあるまいか。

 そんな柴門さんがインタビューを重ねて『サンデー毎日』に連載し、『解剖恋愛図鑑』(毎日新聞社)としてまとめた。柴門さんはわが徳島市立高校の先輩である。読まねばなるまい(というほど大げさな話ではないか)。女性客室乗務員やデパートガール(死語じゃないかこれ?)、舞台女優、商社ウーマン、女性銀行員、新聞記者、受付業務、オネエなど16の職業(?)の生々しい話が満載である。

 男も男なら女も女という当たり前のような、そこまでやるかーとのけぞるような、アンタも好きねぇと加藤茶ふうに突っ込みたくなるような、泥沼の人生を這いずり回るような、たくましいというか、人間はこんな生き物なんだよなぁと共感を覚えるような、ああ面白い。

 生まれて、食べて、排泄して、死ぬ。いい恋愛ができた人はしあわせである。

つまをめとらば

「妻をめとらば」と聞けば「才長けて、見目麗しく、情けあり」と歌いたくなる。この3要素に対抗できるものはないだろうかと過去30年ほどたまに考えてきた。さすが鉄幹、必要にして十分な要素を挙げている。

 しかし、1つだけある。1つだけ鉄幹がカバーできていない分野がある。すなわち「床上手」。あ、突然下品になってしまった。ダメだこりゃ。

 しょーもないことを書いているヒマがあるなら直木賞受賞作『つまをめとらば』を読もうっと。鉄幹の挙げる「書を読みて」くらいは該当しないと。

Having sex with her is like what?

In the movie "WALL STREET", Bud Fox said, "having sex with her was lile reading the Wall Street Journal". It is so humorous expression and it is often the case with a beginner.

In my humble opinion, it is a little difficult for a young lady how well to react at an early stage. So this is for a man to guide his lover.

Also in my humble opinion, it is depends on both man and woman that they create a great sex. So they cooporate with and talk with each other seriously.

This is my third humble opinion,if a lady is like reading the Wall Street Journal while having sex with him, all the responsibility is his. Maybe he is like a mosquito or an encyclopedia.

寂しいからバイバイは角っこで

「ニシノさん、全然振り返らないんだから」。ナナちゃんに呆れられて「なぬ? バイバイしたあと振り返るの?!」と驚いたのは私がウブな大学生だった時のことである。

 以来いちおう気をつけている。特に女性とバイバイした時は。

 念のために同性の諸先輩たちとバイバイしたあと、敬意を表してその後ろ姿を見送るようにしてきたが、これまでに振り返ったのは1人しかいなかった。男はそんなもんである。

 話を戻すと、気をつけるべきなのは女性だ。私はバイバイしたあと振り返る習慣がそもそも備わっていない。何で振り返らにゃならんのかというギモンを抱きつつ、ナナちゃんに言われて以来、気合いを入れて振り返ることにしてきた。

 しかし、一本道の場合、いったい何回振り返ればいいのだというギモンがつきまとう。首の筋が違ってしまうがな。年齢とともにバランスを崩しやすくなるから、振り返った時につまずく危険性もある。

 こんなギモンに対して、妙齢の女性がこう教えてくれた。「バイバイするときは角がいい。だってバイバイは寂しいから」

 なーるほど! そういうことなのか。バイバイは寂しい。だから振り返るのだ。別れがたい。だから相手の姿をもう一度見たくなるのだ。後ろ髪を引かれる思いだから、振り返るのだ。私は頭髪が短いので後ろ髪を引っぱられないという話ではない。

 振り返って相手の姿を確かめる。そのために振り返るのだ。なるほどなー。情の深さだなぁ。愛だなぁ。自己弁護するつもりはないが、このセンス、大半の男にはないだろう。

 たぶん世の中の男の大半は私と同じで振り返る習慣がない。それでは女性に失礼ではある。だからこそバイバイは角っこがいい。角っこでバイバイすれば、男は左に、女性は右に。これなら振り返っても相手の姿は見えない。

 バイバイするために角っこまで行こう。

白川道さん逝く

 キンキンが亡くなったことが注目されているが、私にとっては白川道さんが69歳で亡くなったことのほうが重大ニュースだ。

 恥ずかしながら『毎日新聞』の「人生相談」の回答者として白川さんを知った。回答に垣間見える白川さんの底の深さ(の闇)に私はシビレた。声を聞いたことは一度もないが、にもかかわらずドスのきいた白川さんの声が行間から立ちのぼるのだ。

 私など逆立ちして世界一周しても真似できない無頼だ。「無頼派」と呼ばれたようだが、「無頼」そのものである。こう言うほうが白川さんへの敬意になるだろう。

 うかつにも1冊も読んでいないので、とりあえずエッセイを3冊注文した。そのあと小説に入っていく。

 白川さんが恋愛について答えた文章がある。

 この年齢になって分かったことが一つあります。恋愛には正解などというものはなく、その恋愛が長く続くかどうかどうかというのは、相手の容姿や経済力、性格とかではなく、相性なのだ、ということです。(略)恋愛で一番大事なのは相性だと言いました。自然体の自分をさらせる相手が最上の恋愛相手です。

 白川さんの人生相談の回答を緊急出版すべし。

 

アランの『幸福論』を恋愛に引き直すと

 アランの『幸福論』の言葉を読んで、思った。あら、アラン、やるねぇ。ああランランラン♪(←このダジャレつまラン)。相変わらず前置きが長いな。

 NHKの『100分de名著』シリーズにアランの『幸福論』を取り上げた2011年11月号がある。そこにアランのこんな言葉が載っている。

 幸福はいつでも私たちを避ける、と言われる。人からもらった幸福についてなら、それは本当である。人からもらった幸福などというものはおよそ存在しないものだからである。しかし自分でつくる幸福は、けっして裏切らない。

「ゴンドラの歌」で言えば「命短し恋せよ乙女」である。茨木のり子で言えば「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」である。ジョン・F・ケネディで言えば「アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えよう」なのである。

 自分が主体になって行動せよということだろう。それなら失敗してもうまくいっても満足感は残る。最近の肉食女子は正しい。

 幸福を求めるすべての人にアランの言葉を捧げよう。ってワシは詩人かっちゅうの。

愛に言葉はいらない、のか?!

 ドイツ人男性と日本人女性のご夫婦にお会いした。一緒にドイツ料理のレストランを営んでいる。

 ドイツ人男性の日本語力は高くない。日本人女性のドイツ語能力もそれほど高くなさそうだ。それなのにお二人には小さなお子さんが2人いる。

 ビビビと通じ合うカップルには言葉はいらないのだろうか。なまじ共通の言葉を駆使して伝え合えるカップルより、意思疎通に手間取るカップルのほうが以心伝心なのだろうか。いくら愛があるといっても「イッヒ・リーベ・ディッヒ」や「愛してる」だけを100万回繰り返すだけで愛が育まれるとは思えないのだが。

 双方が言葉を尽くさなければならない時期がいずれ来るだろう。そうなったときに真価が問われるのかもしれない。

 言葉を尽くして口説き落とす愛しか知らない私には、このドイツ人日本人夫妻の愛が奇跡に見える。

愛と死『さようならと言ってなかった』

 突然こみ上げてきて参った。『さようならと言ってなかった』(猪瀬直樹・マガジンハウス)である。日垣親分の課題図書でなければ手に取ることはなかっただろう。

 無情というか神は死んだというか、こんな仕打ちがあるのかというか。

 夫を好きで好きでどうしようもなく好きで、夫を信頼しきった妻と、その夫本人の物語である。

 うらやましいなぁ。「愛する」ばかりで「愛される」経験が少ない私は、猪瀬さんがうらやましい。

 週刊誌の記事をふと思い出す。こんな素晴らしい妻に恵まれた夫は、慢心しなかったのだろうか。いや、慢心があったから「わが愛 わが罪」という副題をつけたのだろうか。

 猪瀬さんが初めての単行本を出版した時の妻ゆり子さんの仕草を猪瀬さんは一文で表現した。出版をこころから喜び、本を出した夫を敬愛し、夫が書いた本を慈しむ、純白の愛がある。

 私も本を何冊か出したけれど、こんな光景は一度もなかったぞ。

 猪瀬さんがどれほど恵まれていたか本当によく分かる。それだけに喪失感の大きさも。

オウィディウス『恋愛指南』から学ぶこと

 『恋愛指南』(オウィディウス・岩波文庫)の第1刷は2008年と日が浅いが、原本が書かれたのは2000年前である。男尊女卑の視点や女性への人権のなさなど、今読むと無茶苦茶な記述が多々あるところは到底肯んじることはできない。しかし、女性の上腕部について<これを眼にすると、私はむき出しになっている肩のどこにでも接吻したくなるのだ>などと自分をあらわにしている辺りは「おぬしやるのう」と拍手を送ろう。くそ真面目なアウグストゥスの時代にこんな放埒な本を書いた男は信用できる。

 信用できる男が書いた本ではあるものの、軟派な題名に引かれて読み出さないほうがいい。ギリシャ神話を縦横無尽に引用して恋愛の幅広さや技術を語る本書は、それなりに覚悟を決めて対面しないと2ページ目辺りで挫折するに違いない。

 それにしても男と女の関係は2000年前からほとんど何も変わっていないことがよく分かる。「女はお金についてくる」とか言ってひんしゅくを買ったホリエモンより2000年も前にオウィディウスが<金持ちだというだけで、異国の蛮人でさえも(女たちに)好かれるのだ>と喝破していた。

 第3章は女性向けのアドバイスである。私が大賛成したのは<伊達男ぶりと美貌に得々としている男や、髪をきちんとなでつけているような男は避けることだ>(121ページ)で始まる段落だ。隙のない外見に固執するのは詐欺師と相場は決まっている。 

林真理子『野心のすすめ』に見る女性の美醜のトラウマ

 平凡なことを書いても話題にならないから売れないという基本法則を熟知する林真理子さんだから、意図的に地雷を仕掛けたと思われる記述が満載である。こんな本が売れないわけがない。講談社現代新書の『野心のすすめ』である。

 本書で垣間見る林さんのトラウマは自分が容姿に恵まれていないという自覚とそれゆえにいろいろな苦い経験をしてきたという歴史である。だからか林さんは「美人」を過大評価する。例えばこんなふうに――。

<高校時代のクラスでいちばんの美人だった子が、市役所の人と結婚してごくごく平凡な人生を送っていたり>

 市役所の人に失礼だっちゅうの。

 私は高校時代に美しいと言われる女性やかわいいと言われる女性を何人か見てきたが、話してみると白痴に近かったりした。白痴の美人に食指が動く男は白痴なのである。

 書いているうちにどうでもよくなってきた。ま、好きにやってくれ。

男と女のアレと同じ渡辺喜美とDHC会長

 みんなの党の渡辺喜美さんとDHCの会長が痴話げんかをしている。どう見ても正しいのは会長だろう。そして、どう見ても男と女のアレに見える。

 ズブズブの関係だった男と女が仲違いして、意趣返しに女が全部ばらして男が慌てるの図である。女に冷たくなった男に対して腹立ち紛れに全部ばらして困らせるの図である。

 男の器が小さく、女が根に持つタイプという2つの条件が揃うと、たまにこういう喜劇が勃発して世間を楽しませてくれる。男は女を見る目がないし、女はルールを守れないトンチンカンだ。どっちもどっちという意味ではお似合いだろう。

 渡辺喜美の釈明を信じる人はいない。政治家としておしまいだ。秘密を守らないDHC会長の信頼も落ちた。これだからぽっと出の会社はアカンと老舗企業に笑われる。

 2人ともお粗末である。

ラブホテルから別々に出るでない

 ラブホテルから歩いて出る男女を見かけることがある。先に男が出て、数秒遅れて女が出る。2人は少し離れて歩くのだが、10秒くらいで女が男においついて、2人は並んで歩き出す。

 ばればれやんけ! 

 たまたまラブホテル周辺を歩いている人には2人の関係は一目瞭然である。そもそもいったい何のために別々に出るのだ? どうあがいてもばればれなのだから、一緒に手をつないで堂々と出ればいい。

 私は思う。ホテルを出る時に男と別々の行動をさせられる女はかわいそうだなぁと。
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