同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

あ、あ、当たってしもた

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 当たるわけがない。運試し。

 それが当たってしもた。学生応援プレミアムチケットなので大変な高額なのである。貧乏人の私が1カ月食える金額なのだった。

 高額とはいえ、村上春樹さんのサイン入りの本などをもらえるので競争率は非常に高かったはずだ。当たるわけがないと自信を持っていたのだが(苦笑い)。

 今年の運は使い果たしたと言えるし、吉原孝師匠に教えてもらっている五星学によると私はいま天中殺の真っ只中なのでその影響(効果?)とも言える。

 どうするもこうするも行くしかない。

 

 

映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』と牛肉

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 瀬戸内寂聴さんは年齢を重ねるごとに魅力を増した。若いころは苛烈な顔をしていたが、90代以降の表情、とりわけ笑顔が実にかわいい。映画『瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと』を見ながら、寂聴さんの変化をそんなふうに捉えた。

 この映画の監督は、2016年1月にNHKで放送された『瀬戸内寂聴 いのちよみがえるとき』を制作した中村裕さんである。

 寂聴さんは中村さんを気にかけている。寂聴さんは駄目な男が好みだと何かに書いていた。そういう男を寂聴さんが支えて、愛を感じるのかもしれない。表面的な男女平等ではないところに寂聴さんの凄みと説得力があるのだが、お金や名誉の欲を感じさせなかった中村さんに寂聴さんが惹かれたのはそういうことだろう。

 私がこころ動かされた場面は、かつての夫の墓参りで語った寂聴さんの本心である。寂聴さんの小説家としての核心はここにある。

 寂聴さんは映画の中でよく牛肉を食べていた。いや、牛肉に限らない。健啖家なのである。だから長生きしたのか、長生きするほどの体力があったからよく食べたのか、因果関係は分からないが、映画を見終えた私は急に牛肉を食べたくなった。

 ふだん晩飯は納豆以外ほとんど食べないのだが、今夜は例外である。映画館の近くのペッパーランチで200グラムの肉をフンパツした。

 食べながら思った。寂聴さんが食べていた肉と私の目の前の肉は全然違う(笑い)。


 

東京最西端の本屋

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 東京都最西端の本屋に行ってみた。最寄り駅はJR青梅線の二俣尾駅である。青梅駅から乗り換える無人駅から徒歩数分のところにある。

 せっかく来たので記念に何か本を買おう。広くない店内を何度も見て回り、養老孟司先生の新刊『ヒトの壁』(新潮新書)を買った。

 近くに一軒ある喫茶店がこの日は休みで、ほかに行くところがない。

 多摩川を渡ってみた。限界集落らしき風景があるに違いないと思いきや、子育て世代の新築戸建てが多いように感じた。意外な発見で、来た甲斐があったというものだ。ほんまかいな。

寂聴さんが「買え」「買え」言うんよ

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 1カ月経っても、その本はまだあった。わが古里の瀬戸内寂聴さんの全集の第1巻である。東京・中野駅北口のブックファーストに1カ月経ってもあるのだった。アマゾンでは売り切れになっていて、諦めた本だ。

 寂聴さんが私の耳元でささやく。

「あんた、買いなさい」

 ほなけんど、ごっつい高いでぇだ。お金ないし。わし貧乏人よ。

「何のためにクレジットカード持っとんで」

 いや、ほれは。

「あんた、私の小説を読んどんだろ。しかも徳島生まれやないで。買わんでどないするん。もう第1巻はほとんど売りきれとんやけん。これもご縁じゃ」

 瀬戸内寂聴全集第1巻を持ってふらふらとレジに。

 本はできるだけアマゾンで買わず本屋で買う原則を立てたため、本屋を見つけたら入ることにしている。ありがたいのか迷惑なのか、東京には本屋が多い(笑い)。そこで見つけてしまったのがこの本なのである。

 本屋に行くと読みたい本がいろいろ目に入って楽しいし、こういう出会いがある。これはアマゾンでは味わえない。しかしアマゾンだけ見ていればこのような衝動買いはない。


 

レジに7人いるのに嗚呼ジュンク堂

 アマゾンで買うより本屋で買うほうがいいと思い至り、1冊の本を探して何軒も本屋をはしごするようになった。アマゾンの便利さがよく分かるのでどうしても見つけられない場合はアマゾンで注文するけれど、まずは本屋を応援しないと。

 というわけで、単行本を2冊手にしてレジに並ぶ。並んでいるのは私だけだ。

 レジには7人。そのうちの1人は客が買う本の代金を受け取ったりしている。残り6人は、2人ずつで何やら話している。もちろん雑談ではなく、レジの打ち方の指導か何か仕事の話をしているように見える。

 西村賢太さんふうに言えば私は根がスタイリッシュなので、ぼけーっと待つのは嫌いではない。しかし私がレジの側にいれば、根が小心者なのでお客さんを待たせるのは苦痛だ。すぐに「こちらにどうぞ」と声をかける。

 しかしこのジュンク堂は、客対応をしていない人間が6人もいるのに、誰もそういうことをしない。私は全く急いでいなかったのでいつまでも待つつもりだったけれど、6人の機転の利かなさというのか愚鈍というのか、客をほったらかして平気な神経が全く解せない。

 というわけで、立川店で買うのは当面やめることにする。

『ドライブ・マイ・カー』の小説と映画

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 小説を読んでからその映画を見ると映画の薄さが残念だし、映画を見てから原作の小説を読むと映画の俳優が頭に残っているので自由な創造の邪魔をする。どちらも碌なことはなかった。

 今回、まず村上春樹の原作小説を読み、そのあと映画を見た。村上春樹の原作だけ読んでも今ひとつ意図が分からなかったのは、原作を収めた計6つの短編が『女のいない男たち』という題名の本にまとめられていて、この6編に流れる通奏低音が「女のいない男たち」であることを忘れていたからだろう。

 映画は映画としてしっかり独立していて、含蓄のある台詞や舞台設定の共鳴に私は頷いた。東北の大震災で大切な人を亡くした経験者にも響くはずだ。具体性の高い物語なので、単純な私でも解釈しやすかった。作中劇の役割も分かりやすい。原爆で灰燼に帰した広島を監督が神聖視し、その広島を舞台にした理由は主旋律で流れているから聞き取りやすい。

 能天気に明るい映画ではないので人生経験のない若者は解釈や理解が難しいかもしれない。昏い経験を持つたいていの大人なら「あっ」と震える一瞬に襲われるのではないか。

 チェーホフを買うことにする。恥ずかしながらまだ読んでいなかった。

西村賢太さん追悼文で最高によかったのは

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 小説家や学者らが新聞や雑誌に西村賢太さん追悼文を寄せてきたが、どれも西村賢太さんを称え褒めそやしていて、何だかこそばゆい。そんな中で出色だったのが「もらっといてやる」の田中慎弥さんの追悼文だった。

 文学部の仲間に教えてもらって本屋で買った『文學界』4月号にそれは載っている。最後から2段落目で《人間として決して手本になるような人ではなかった》と不穏に書き出し、返す刀で寸鉄人を刺す。本音とはいえそこまで言うか。一読すると痛烈に批判しているようで、何度読み返しても批判にしか読めない(笑い)。

 しかしそれがかえって愛情たっぷりに感じてしまう。田中慎弥さんの腕だろうから難易度は高そうだが、追悼のあり方として《手本になる》。《手本になる》けれど、一歩間違うと亡き人を侮辱してしまいかねないので、凡人は真似できそうにない。

何てこった西村賢太さんまで

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 ユーチューブに上がっている西村賢太さんの映像を見た直後、友人からのLINEで亡くなったことを教えられ、絶句した。瀬戸内寂聴さん、石原慎太郎さん、そしてここに来てまだ若い西村賢太さんまで。私の好きな小説家がこれだけ集中して亡くなるとさすがにガックリ度が重い。

 父親の性犯罪を知ったことが西村さんに宿痾を招き、以来自分の中の顰蹙と闘ってきた人である。つい先日、2日付の『読売新聞』文化面で石原慎太郎さんの追悼文を載せた3日後にあとを追うように亡くなるとは何てこった。あしたの『読売』がどう報じるか。石原慎太郎さんの追悼文を西村賢太さんに注文した記者が書かなければなるまい。

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 私が西村賢太さんを実際に見たのは、村西とおる監督の映画とトークの場だった。ふたりともサービス精神旺盛と見たが、村西監督は口先が軽妙でも目が全く笑っていない。西村賢太さんは目に感情がなかった。

 死去を報じるNHKは、西村賢太さんの書く姿勢を切り取った。まことに的確なところを切り取った。

「自分のみっともないこととか屈辱的なこととか考えただけでも腹立つようなことじゃないと書いても意味がないと思いますし」

 だから大勢の読者の共感を得たのである。

 それにしてもまいったな。



 
 

小説家石原慎太郎死す

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 石原慎太郎が89歳で亡くなった。私の高校から大学時代にかけて当時の慎太郎の小説をほぼすべて読んだはずなので、慎太郎ファンだったと言っていいだろう。

 大学2年のときドイツ語の講師が学生一人ひとりに「どんな本を読むか」と聞いてきた。私は野坂昭如と石原慎太郎の名前を挙げた。
「短編? 長編?」
「長編です」
 というやり取りがあった。実際は短編も長編も読んでいたが、マッチョ系純文学の短編よりエンタメ系痛快無比の長編のほうが私には単純に面白かった。

 石原さんは16年ほど芥川賞の選考委員をしていた。誰だったか、山田詠美さんだったような気がするが、あれほどの重鎮が口角泡を飛ばす勢いで文学論を闘わせていた、文学青年だ、というようなことを何かに書いていた。

 現代作家と語る昭和文学の光芒と帯に記された『文学の器』(坂本忠雄・扶桑社)は、石原さんを引っ張り出して、福田和也さんとともに伊藤整の『変容』を語らせた。石原さんの基準である「身体性」に基づいてけっこう踏み込みつつ、縦横に文学を語った。

 当たり前だが石原さんはものごとを自分で考えているから、政治家になっても縦横無尽に語っている。それに比べれば(比べるのはかわいそうな気もするが)安倍晋三や菅義偉のようなギクシャクした、不自然な間を置く、言い間違うのではないかと聞く側が緊張して肩が凝る、そんな話し方は全くしていない。

 ようやく実物を見ることができたのは2019年6月24日である。広島の信治さんに声を掛けられ代理で出席したのが石原さんと亀井静香さんの対談だった。そのときかろうじて撮ったのが上の写真である。立つと足腰がフラフラしていて、背丈があるので余計にフラフラと不安定に見えた。亀井さんと手を取り合って数段の階段を降りるのがあの石原慎太郎かと呆然と見送った。

 死去のニュースを見て、この機会に石原さんの純文学を読み直そうと思い、アマゾンで新刊本をお気に入りに登録し、少し時間を置いたら全部売り切れになっていた。私のような往年の愛読者が大勢いるのだろう。石原文学の愛読者だった私としては、もっと作品を残して欲しかった。
 

正月は瀬戸内寂聴さんと過ごす

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 正月の準備ができた。寂聴さんと迎える。思い切って『瀬戸内寂聴全集』19巻を買ったのである。「文学への問い」としてまとめられた36の文章を読みたいからだ。第一志望だった文学部に落ちた私が、目に見えて減ってきた残り時間を費やすのは文学なのだった。社会人入学で文学部に入り直すという道もあるのだろうけれど、女子大生にうつつを抜かすに違いないので、ひとり文学部が無難だろう。

 あした朝起きたら日めくりを破り、朝飯を済ませ、コーヒーを飲みながらこの全集のページを繰る。想像しただけでこころが阿波踊りを始めてしまう。

 早く来い来いお正月。

 

ヤクオフで落札してしもた瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』全4巻セット

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 ふるさとが徳島が生んだ瀬戸内寂聴さんの謦咳に接することはもはやできないのでせめて形骸にと思い、『奇縁まんだら』を探していたところ、ヤクオフで見つけた。新品未使用というので1万円で入札しておいた。

 2日後に抜かれた。入札履歴を見ると私を含めて3人が競っている。アマゾンで見ると新品未使用は2万8000円くらいだから、1万円で落札できるわけがないのだ。

 1万2000円で入札したが最高値にならない。1万4000円でも駄目。1万6000円でも届かない。いったいどこまで行けば私が最高値になるのか。2万円を恐る恐る入札してみても駄目だった。この辺りで手を引くべきだったのかも知れない。

 2万1000円2万2000円2万3000円と好奇心から入札価格を上げていく。あるところで私が最高値をつけたと表示された。「やった!」と思うと同時にすぐに不安が襲う。

 競う2人が私より高値を入札してくれなければ私が買わなければならない。祈るような思いで1日待った。終了時間間際に入札してきて、最高値をつけて油断している私から本をかっさらう競合もいるので最後まで待つ。お願いだから最高値で入札してくれ。

 ヤクオフからメールが届いた。おめでとうございますだって。私が落札してしもた。こんなお金ないのにどうすんの。

 すぐに新品未使用の『奇縁まんだら』全4巻セットが届いた。確かに包装ビニールが破られていない正真正銘の新品未使用である。やっちまった。

 こうして手に入れたこの本も私の“奇縁まんだら”とするか。

 

瀬戸内寂聴さん死去を新聞はどう報じたか

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 瀬戸内寂聴さん死去のニュースは11月11日の午後に流れ、翌朝の新聞制作には十分時間の余裕があった。各紙のお手並み拝見というわけで、朝日、毎日、読売、産経、東京の各紙を読み比べた(ほぼ東京本社13版)。

 非常に精力的かつ独特の切り口で報じたのが『東京新聞』である。1面トップで「命懸け 戦争・死刑・原発に反対」という切り口の4段見出しを置いた。この12日の社説で取り上げたのは『東京』だけで、ここでも寂聴さんの反戦や反原発に言及した。

『読売』は井上荒野さんに、『朝日』は林真理子さんに、それぞれ1面近く割いて寄稿を載せた。『毎日』にはその知恵と紙面がなかったか。日曜版で井上荒野さんに連載を書いてもらったのに『読売』に取られたのが悲しい。とはいえ、ほかにも追悼文の書き手はいるだろう。私なら山田詠美さんに書いてもらう。偶然いま日曜版で連載しているし、山田詠美さんは寂聴さんが大好きだから断るわけがない。万一断られたら高橋源一郎さんだな。高橋源一郎さんも寂聴さん大好きだから。

『産経』は見出しに「作家・僧侶 正論メンバー」って、そこ? この日の1面下のコラムで書かなかったのも『産経』だけで、らしいと言うべきか。

 ほうと見入る写真を載せたのは『読売』だけ。川端康成や円地文子と一緒に雑談するモノクロ写真で、中央公論新社を傘下に置いた強みを発揮した。その写真の下には阿波踊りの姿が2枚。1枚は晴美時代で中央公論新社の提供、もう1枚は寂聴時代のカラー写真という念の入れようだ。寂聴さんが小説やエッセイで繰り返し繰り返し古里徳島を描いてきたことを踏まえると、寂聴さんの思いを掬うような見事な写真選択である。

 さて最後は各社の評伝である。どれだけ寂聴さんの人となりが伝わってくるか。まず落ちるのが『毎日』だ。しかも記事の署名に「元毎日新聞記者」って、取り置きの予定稿を載せたのか?

 次に落ちるのが『東京』だな。寂聴さんが上京すると、食事やお茶をご一緒したという割には中身が薄い。評伝のテーマにならない話に終始しており、何をどう勘違いしたのか、書く方向が最初からズレている。

『読売』は記者が15年ほど前に会って自己紹介したときに寂聴さんから《少し冷めた表情で「つまらない人ね」と言われた》と書く。《自分の無意識の思い上がりをたしなめられたようで、淋しかったけれど、深く胸に染みた》と率直だが、焦点が自分に当たっていて、これが評伝か?

 というわけで、敵失に助けられた面がないわけではないけれど、『朝日』の評伝を1位にする。記者が最近まで寂聴さん担当だったはずで、この点は有利に働いたに違いないが、寂聴さんの人柄や苛烈さが滲む発言を選び抜き、ちりばめた。ただし最後の一文は蛇足というより邪魔。こういう不要な一文を記者は書きたがる。

 見落としがあるかもしれないが、寂聴さんが晩年取り組みを始めた「若草プロジェクト」に触れたのは『読売』だけで、この目配りに拍手を贈る。

 

追悼・瀬戸内寂聴さん

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 あー! 瀬戸内寂聴さん死去のニュースを朝日新聞のLINEで見てヘナヘナヘナ。たまたま2日前に「寂聴さん大丈夫かな」と心配したばかりだったので、その日に亡くなっていたと知り、納得というのか、ああやっぱりというのか、しかし残念極まり、仕事にならず(これはいつものことか)、追悼の日を過ごした。

 今から思うと非常に幸運だった。取材で寂聴さんに電話をかけたらすぐに取り次いでもらえたのである。偶然ご自宅におられたわけで、忙しい寂聴さんを何の苦労もなく電話口まで引っ張り出せた僥倖は今だからこそ分かる。

 四国八十八カ所巡りがブームになっていたことへのコメントをもらい、1997(平成9)年11月11日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)特集ワイド面で掲載した。

 数年前だったか寂聴文学の愛読者である友人にこのことを話したらずいぶん羨ましがられたが、当時の私はその重みが全く分かっていない阿呆だった。徳島が生んだ大先輩という親近感を抱いていた程度で、のちに己の浅はかさを何度悔やんだことか。今も覚えているが、電話口の寂聴さんは本当に気さくだった。

 その友人の影響で遅ればせながら寂聴文学を読みはじめ、凄まじさに圧倒された。以来愛読者の末席を汚している。

 愛読者になったころヤクオフで瀬戸内寂聴さんの晴美時代の生原稿12枚を見つけた。「絶対に落札してやる」と決めたら勝負はついたも同然だ。事実私が競り勝った。20〜30万円くらいまでなら出すつもりだった。寂聴さんの魂のこもったお守りとして見れば安すぎる。調べたところ、この原稿は『ミセス』の1964年4月号掲載だ。私が生まれて半年ほど経ったころの執筆である。

 午後からのニュースで寂聴さんの死去が報じられる中、黒柳徹子さんの「みんなの味方だった」という温かいコメントが的を射ていた。今夜は日本中が寂聴さんを偲んでいるに違いない。


 

 

“前祝い”で買った車谷長吉さんの100部限定本『抜髪』

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 ヤクオフで見つけたそれは通常より1万円安かった。あることの“前祝い”として、手に入れようと思った。いつもなら競争相手が値をつり上げてくるのだが、夏休みなのか、競争相手が出て来ない。おかげで落札することができた。

 車谷長吉さんの署名と押印がついて100部限定の古本『抜髪』である。もちろん『抜髪』は『車谷長吉全集』に収録されているので何度も読んでいる。何度も読んでいるけれど、車谷長吉さんの署名押印つきの100部限定本なら持っていなければならない。

『新潮』1994(平成6)年8月号に掲載され、白州正子が「敢えて言うなら神さまに対して書かれたものだ」と論評するなど話題を呼んだ作品である。母親が飾磨の方言で息子の勘違いと増長を窘める、そんな作品なのだが、読んだ瞬間に「これだっ!」と思うた(車谷さん風)。

 こんな書き出しだ。

《「あのな。ええことおせちゃる。」
「あんた阿呆(アホン)なっとんなえ。ぼけとんなえ。人の前でわが身が偉い、いうような顔、ちらとでも見せたら、負けやで。それでしまいやで。」》

 母親の窘めは続く。

《「世ン中見てみな。みな自慢しとうて、しとうて、うずうずしとってやが。あれは最低の顔やで。みな自分をよう見せかけたいん。舌(ベロ)まかしたいん。やれプライドじゃ、へちまじゃ言うて、ええ顔したいん。あんたも、ええ顔したいんやな。ほう。」》

 奇妙な光景を見てずっと感じてきた違和感が溶けた瞬間だった。零細企業経営者とその家族が破滅に至る、全く救いのない『三笠山』とこの作品は車谷長吉文学の双璧を成す。

 というわけで、“前祝い”は準備できた。

 ところが、困ったことになった。祝い事が生じなかったのだ。「あれ?」と肩すかしを食らった感じ。

 しかし、長年求めてきたこの本が手に入ったのである。よしとすべきであるな。

 などと書いていると、
「いつも何かにつけて“前祝い”だの“せっかくだから”だのといって散財してますよね」
 鋭いツッコミを受けてしまった。

 祝い事がないのに、“前祝い”で2万円(笑い)。

 

徳島県立文学書道館で思う「最初で最後」

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 全く興味のなかった徳島県立文学書道館を訪ねたのは瀬戸内寂聴さんの小説を読むようになったからだろう。寂聴さん専用にひと部屋設けられていて、初版本が壁いっぱいに飾られているほか、托鉢していたときの衣類などが陳列されている。時間があればビデオを見るところなのだが、計80分はさすがに。

 驚いたのは、この徳島県立文学書道館が文庫本を何冊か出版していることだった。記念に4冊買ったほか、ポストカードも何種類か買った。「瀬戸内寂聴便箋」とかいう便箋も買った。

 実家から歩いて10分くらいのところにあるとはいえ、実家に帰る機会がそうそうないので、「これが最初で最後」と思っておかないと悔いが残る。だから買う。

「これが最初で最後」と思って取り組むことが増えていくのだろうなぁ。そんなことを思うお年頃になったということである。めでたしめでたし。


 

 

部屋の真ん中に置く本棚としては

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 終活の一環で本の整理をしている。問題は本棚だ。私の“奇策”はラックである。これを部屋の真ん中に置いた。両側から入れることができるし、風通しがいいからカビは生えにくい(たぶん)。棚の間が高いので大型本から文庫本まで収容できる。問題は両端に衝立がないことだ。私は荷造り用のラップを巻いて衝立代わりにしている。ラックにラップ。

 すでに部屋の壁際には本棚を置いてあるのでラックを真ん中に置くしかなかったのだが、そもそも両側から取り出すことができる利点を生かすには部屋の真ん中が定位置だろう。

 ラックはいろいろなメーカーが作っているが、五島さんお勧めのアイリスオーヤマ製を選んだ。以前買った「錆びない」と謳うドウシシャの製品を買って、予想通り見事に錆びたので、ドウシシャは絶対に買わない。

 というわけで、本棚がぎゅっと詰まったこの部屋で死んでいけるといいなぁと思いながら、終活を進めている。


 

 

『性慾』は誤解なのか

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 東京・笹塚の十号通り商店街で昼飯を食べて店を出たところで、声をかけられた。
「落としましたよ」

 店を出たところに本が落ちている(上の写真のように落ちていた)。あれ? 店を出るときに左肘で挟んでいた私の本である。

 取ろうとしたら、さっと手を伸ばして拾い、私に渡してくれるではないか。

「あ、ありがとうございます」

 深い感動に包まれながら、万感の思いを込めて感謝の言葉をフルオーケストラの声で伝えた。

 清楚で美しい、若い人であった。目元が涼しい。軽く会釈して駅に向かうその人の後ろ姿を呆然と見送った私の手元の本をあらためて見ると『谷崎潤一郎 性慾と文学』。

 げげげ。この本の題名を見られたかもしれない。汗が噴き出す。

「いや、違うんです。誤解です。ひーん」

 叫んで追いかけそうになった。何が違うのか、何が誤解なのか、ワタシにも分からない。



本棚の基本は著者別とテーマ別

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 本があふれ、床に積み上げた未読本に足をひっかけて転倒しそうになるキケンな事態が何度も起き、意を決した。本を捨てるぞ捨てるぞ捨てるぞ。(1)あくまでも今の時点で、(2)将来読み返すことはない、という条件で本をふるいにかけて、捨てまくる。

 本の整理をしていて出てきたのが、同じ本を複数買っていることだった。高橋源一郎さんの『小説教室』は3冊もある(笑い)。うち1冊は敬愛する女性からのプレゼントなので自分が買ったのは2冊だが、ほかの本と違って深刻度が大きい。というのはこの本を私は読んでいる。読んでいるのにまた買ってしまったのは、読んだことを忘れてしまっているからだ。

 同じ本を複数買った事例はほかにもあるけれど、ほかの本はまだ読んでいない。本棚に入らないのでその辺に適当に置いてしまい、買ったことを忘れてまた買ってしまうわけだ。わけだって、おい!

 こういう事態を避ける方法で私の頭に浮かんだのは1つだった。著者別テーマ別に置くしかない。あっちこっちにバラバラに置くから、チェックできないし、頭に残らないのである。

 もちろん私の頭が腐ってきているというのが最大の原因だが、ドライアイスで冷やすわけにもいかない。

 というわけで、本棚から本を全部出し、不要な本は捨て、あとは著者別テーマ別に並べていく。長倉洋海さんの場合大型写真集と新書があり、大きさが全く異なるのだが「著者別テーマ別」のルールに従うと並べるしかない。こうして集約していけば、同じ本を複数買う失敗は今後避けることができる、のではないだろうか。

 この集約整理に問題があるとすれば、いったん全部出した本をルールに基づいて本棚に並べるのは時間がかかるということである。取り組んで数カ月経つのに未だに本棚に収まっていない本が多い。パズルのように並べ替えをしなければならないので時間がかかるのである。何をやってんだか。

本のカバー裏に生じたシミだかカビだかの退治法

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 書籍のツルツルしたカバーを何と言うのか私は知らない。そのカバーの裏側に茶色いシミだかカビだかが生えているので、退治法をネットで探した。

 紙やすりで研ぐとか消しゴムを使うとか出てきたので試してみたが、カバーの紙がポロポロこぼれる。あかん。これでは穴が開いてしまうがな。エタノールで拭くという方法も試したが全く効果がない。無水エタノールは1000円もしたのにどないしてくれる!

 最後に思いついたのが台所用漂白剤の泡キッチンハイターである。茶色いシミだかカビだかに噴射して、しばらく置く。

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 泡が消えると、シミだかカビだかも消えているではないか。泡のあとが残っているので、濡れシートで拭う。これできれいさっぱり。

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 カバーとはいえ紙だから多少ふやけるけれど、衛生上も精神衛生上もよくなる。

 以上の写真は『告白の記 逢いたい』(石原まき子・主婦と生活社、1993年7月)のカバー裏。

 下の写真は『ザ・フォトグラフス』(日経BP出版センター、1997年)のカバー裏と表である。泡を拭かなかったせいか、カバー裏にはおねしょのあとのような色が残っている。薄い茶色なので溶け出したシミかカビの色か? しかしカバー表には何の影響も出ていない。

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またやってしまった同じ本買い

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 本棚の整理をしていて気づいた。今さっきアマゾンで注文した本がここにあるがな。慌てて取り消そうとしたが、配送準備に入っているとか何とか、そんな表示が出て、ああこれは諦めろと言っているわけで、諦めた。

 持っていた本は2002(平成14年)初刷り。取り消しが間に合わず届いてしまったのは2019(令和元)年に17刷。毎年増刷しているのである。すごいな井上ひさしさん。

 出版業界に喜捨したと思えばまぁいいか。とクヤシイから言ってみた。



最終日に駆け込み「井上ひさし展」

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 いつまでやっていたかとネットで調べたら9月6日までって今日やんけ! 時計を見たら13時。今から向かえば間に合う。電車を乗り継ぎ、千葉県市川市の市川市文学ミュージアムに駆け込む。

 井上ひさしさんは『週刊金曜日』編集委員だったが、寄稿はほとんどなかった。その理由は友人である大江健三郎さんを本多勝一さんが批判し続けているからというものだったが、だったら何で編集委員になったのよという疑問は残った。断るのが苦手な人なのだろう。編集長予定者だった男にうまく丸め込まれた可能性もある。

 小さな展覧会だったが、真面目な文字で書き残した原稿などを見ていろいろ得るものがあった。永井荷風が暮らした街ということで市川市に住んだという話が新鮮だった。永井荷風と井上ひさしを戴く市川市は手を替え品を替え展覧会をしていくのだろう。財産だなぁ。

 井上ひさしの本を何冊か読んでいるけれど、それほどたくさん読んだわけではない。この際全集で読みたいと思って検索してみたが、井上ひさしの全集が出版されていないとは。没後10年、出版界は何をしてきたのか。

瀬戸内寂聴さんの本を買った理由

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 読んだはずだ。読んでないわけがない。しかし、ない。寂聴さんの本を並べた棚にも、あちらこちらの本の山にも、見当たらない。

 人間の記憶などアテにならない。ましてやこのワシの記憶じゃ。というわけで、買い、広島に向かう新幹線の中で読み出して、「これ、読んだがな」。

 前向きに受け止めることにした。これぞ仏縁ではないか。寂聴さんが私に何か訴えかけたいのかもしれない(←んなわけない)。

 というわけで、NHKのドキュメンタリーなどをまとめたDVDつきの本を買った。このドキュメンタリーはたぶん見たことがある。見たとき私は寂聴さんの小説を1冊も読んでいなかった。今は何冊か読み終えていて、寂聴文学がほんの少しだけ見えているから、そのぶん深くドキュメンタリーを見ることができるだろう。

 最近は笑顔の印象が強い寂聴さんだが、私に言わせれば寂聴文学は「火を、火に、火で書く」。鬼の文学である。般若の文学である。



世田谷邪宗門と森茉莉さん

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 ふと思い立って東京・世田谷区の住宅街にある喫茶店・世田谷邪宗門に行ってみた。何の予備知識もなく、ただ有名な喫茶店というだけで訪ねたのがよかった。

 暑いのでアイスクコーヒーを頼むと決めていたのだが、メニューの「森茉莉ティー」に目が行く。なぜに森茉莉さんの名前がここに?

 店のママさん(?)がすぐに話しかけてきた。

「その窓際の席は森茉莉さんがいつも座っていたんです」

 え? 森茉莉さんが来ていたんですか!

 ママさんは店内にあるいろいろな本や資料をテーブルに持って来てくれて、説明をしてくれる。この喫茶店をまるで自分の応接室のように朝から晩まで四六時中使っていたらしい。

 森茉莉さんといえば新潮文庫『日本文学100年の名作』収録の『贅沢貧乏』を私はかろうじて読んでいた。お父さん大好き娘であり、お父さんと同じように気高い生き方を貫いた。とりわけ(1冊しか読んでいないのに「とりわけ」もないものだがw)『贅沢貧乏』は新型コロナウィルス感染騒動のあとの生き方暮らし方を示唆する小説でもある。

 森茉莉さんの逸話を思い出しながら、そうか、ここに座っていたか、と想像する。秘めた恋の現場でもあったらしい。

 ママさんに『下北沢文士町文化地図』をもらい、森茉莉さんが住んでいたアパートを見に行く。世田谷邪宗門から歩いて10分もかからなかった。「倉運荘」の名前に似た4階建てか5階建てのマンションの表札を見つけた。ここだな。はるか前に建てかえたようだ。

 私がひれ伏す車谷長吉さんは鷗外の文体を真似することを決意したと書いているので、私と森茉莉さんが全く何の関係もないとは言えない。いや、言えるか(笑い)。

 ほかの邪宗門も行きたいのだが、この世田谷邪宗門にはまた来なければ。

 

広島市の丸善で探していた本を発見

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 おー。こんなところにこの本が。安田登さんのこの本はアマゾンで売り切れていて、楽天ブックスにはあったので注文したのだが「売り切れてました」と間の抜けたメールが来たばかり。それが広島市の丸善にあったのだ。

 この丸善広島店では過去に何度も「おー! あった!」と叫ぶ経験をしていたのでほんの少し期待してはいた。恐るべし丸善広島店。人口100万人程度の地方都市にある大型書店は探しものに打ってつけなのである。品ぞろえがいい一方でこういう本を買う人が少ないのだろう。

 帯を見ると松岡正剛さんがお墨付きを与えていたことが分かる。であればなおさら安心だ。『論語』を訳した本は多いが、デタラメな本が大半だと聞いた。セイゴー先生のお言葉が帯に載っているなら大丈夫だな。

 というわけでレジに持って行って、店員さんにお金を払いながら「なかなか手に入らない本なんですよこれ」と興奮気味に語ってしまったが、私の感動を理解してもらえたかどうか。

 この本の良さは孔子の時代を踏まえた検証にある。「四十にして惑わず」と言われるが、孔子の時代には「惑」という漢字がなかったそうで、だとすると「不惑」は成り立たない。こういうところから説き起こして、孔子が語った本意を考えてゆく。

 渋沢栄一の『論語と算盤』を読む前の下準備の1冊として頼もしい。

那覇高等予備校で同僚だった女性の名前が

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 おぼろげな記憶なのだが、私が那覇高等予備校で講師をしていたころだから1987年2月から89年3月までだが、講師室で先生たちから祝いの言葉を受けている小柄な女性がいた。何かの文学賞をもらったのだと聞いたような気がする。当時私はその方面に全く興味がなく、立ち入らず、お祝いの言葉さえかけなかった。

 その光景を時々思い出してきたのだが、あの女性講師の肝心の名前が出て来ない。私は人の顔と名前を覚えるのが苦手なので、この女性に限ったことではないのだが。

 それが6月20日付『朝日新聞』読書面を見て「あ、この人だ」。崎山多美さんである。

 今も小説を書いているのだった。検索してみると、パソコンに崎山さんの顔写真が出てきて、私の記憶とほぼ重なる。

 ウィキペディアによると、《1979年「街の日に」で新沖縄文学賞佳作、1988年「水上往還」で九州芸術祭文学賞受賞、1989年「水上往還」で第101回芥川賞候補、1990年「シマ籠る」で第104回同候補。2017年、『うんじゅが、ナサキ』で第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞》ということだから、私が予備校で見たのは88年の九州芸術祭文学賞を受賞したときだったのだろう。

 その後芥川賞の候補に2回という実力ある書き手なのだった。すごいじゃいないですか崎山さん! 
 それが今回の芥川賞は本土の小説家が沖縄を舞台に書いた『首里の馬』。前回だか前々回だかの直木賞の『宝島』も沖縄が舞台で、本土の小説家が書いていた。

 受賞したから偉いとか受賞しないから偉くないとかそういうことでは全くなく、沖縄でずっと書いている崎山さんの小説が受賞を機に内外で広く読まれることになればいいなぁと元同僚は思うわけである。

 そうかー。崎山さん頑張って書いているんだなぁ。そのことに私はこころ動かされた。

アマゾンで本の在庫が払底

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 アマゾンのお気に入りに入れてある本が軒並み在庫なしと表示される。私の読書計画が揺らぐ。ミランクンデラ『存在の耐えられない軽さ』を読みたかったのだが、積ん読本からガルシアマルケス『百年の孤独』を引っ張り出して読み始めた。

 この機に乗じて業者が価格を釣り上げたり高い送料にしたりしてアマゾンでしょーもない商売をしているから、間違って買ってしまったことがある。その場合わたしは返品する。そういう阿漕な商売に金を払うわけにはいかんざき。

 自粛騒ぎで日用品の発注が増えており、アマゾンはそれを優先しているらしい。輸送配送に限界があるから、書籍より日用品が優先されるのは仕方がない。

 しかし本を注文しても、アマゾンプライム会員なのに到着までに3〜5日かかったりしていて、まぁ、これも仕方がない。翌日届くのが異常だったのである。以上。

丸善150周年記念で復刊された車谷長吉さんの本

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 丸善やるなぁ。見る目があるなぁ。よしっ!

 丸善150周年記念で復刊した本が25冊ほどある。その1冊が車谷長吉さんの『銭金について』(朝日文庫)なのである。2005年3月に出版されている。その復刊なのだった。こんな事情などつゆ知らず、JR広島駅前のジュンク堂で見つけた瞬間手に取ってレジに走った。慌てて買わなくてもよかったとあとで知る。復刊された本書は丸善広島店にも面出しで何冊もあった。

 もちろん私は全集ですでに読んでいるし、ヤフオクかメルカリで手に入れた車谷長吉さんのサイン入りの本書も持っている(←これが自慢)。

 丸善150周年記念で復刊する本のリストを丸善のサイトから転載するとこうなる。

2019年1月10日復刊タイトル
『無気力の心理学』波多野 誼余夫(中公新書)
『日本語の個性』外山 滋比古(中公新書)
『詩経』白川 静(中公新書)
『県民性』祖父江 孝男(中公新書)
『印度放浪(合本)』藤原 新也(朝日文庫)
『銭金について』車谷 長吉(朝日文庫)

2019年2月10日復刊タイトル(予定)
『日本異界絵巻』(ちくま文庫)
『ベスト・オブドッキリチャンネル』(ちくま文庫)
『妖女のねむり』(創元推理文庫)
『賢者の石』(創元推理文庫)
『黒衣の花嫁』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『赤い収穫』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『数学する精神』(中公新書)
『カラスはどれだけ賢いか』(中公新書)
『科学的方法とは何か』(中公新書)

2019年3月10日復刊タイトル(予定)
『奥羽越列藩同盟』(中公新書)
『アドルフ・ヒトラー』(中公新書)
『天皇誕生』(中公新書)
『日本怪談集 上』(河出文庫)
『日本怪談集 下』(河出文庫)
『中国怪談集』(河出文庫)
『イギリス怪談集』(河出文庫)

2019年11月復刊タイトル
『スキズマトリックス』(ハヤカワ文庫SF)
『故郷から10000光年』(ハヤカワ文庫SF)

 そうそうたる書籍の中からわれらが車谷長吉さんの『銭金について』がなぜに選ばれたのかサイトから詳細は分からない。だが、帯の裏側にはジュンク堂池袋本店の《銭金に惑い踊らされることもまた人生》と丸善名古屋セントラルパーク店の《今の時代を乗りきるヒントになるのか?! やっぱり気になる「銭金」のお話》という推薦の惹句が載っているので薄々分かる。正直に言えばもう少しキレキレの惹句を書けなかったかと思わないではないが、車谷長吉さんの本を復刊したのだからよしとしよう。

 そんなことより、復刊されて1年以上も経つのに知らなかったというのはどういうこっちゃ。東京駅前の丸善をくまなく歩かなくなった証拠だなぁ。

 復刊に小躍りした。車谷長吉さんは忘れられてはいけない小説家なのに、大半の本が古本でしか手に入らなくなっている状況を憂慮していたからだろう。あまりにもうれしいので久しぶりに飾磨に行くとするか。

水俣病センター相思社の会員になる

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 石牟礼道子さんの『苦海浄土』(河出書房新社)を読み出したのが運の尽き、一般財団法人水俣病センター相思社の維持会員になった。石牟礼道子さんふうに言えば「悶え加勢」か。

 池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集を読み切るつもりなのに、まだ数冊なのに、どんどん不知火山脈に入ってしまう。私の性格上こうなることを最初に見通しておくべきだった。

 こうなると次はアレだな。きっと水俣市周辺をほっつき歩くに決まっている。知れば知るほど奥が深い。森閑とした不知火山脈で立ち尽くす。文学からどんどん離れていく(汗)。



これを不知火山脈と私は呼ぶ

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 まさかこうなるとは。池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集(河出書房新社)に収録された石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読み始めたとき想像すらしていなかった。冷静に今振り返ると私がこうなるのは道理ではあったのだが途方に暮れる状況に陥った。

『苦海浄土』に始まり、石牟礼道子さんへの激しい関心に飛び火し、当然のこととして水俣病にも飛び火して猛火になってしまった。水俣病に冠する本や写真集をアマゾンで相次いで買ってしまう。

 あくまでも文学作品として読みだした『苦海浄土』である。池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集と日本文学全集、岩波文庫の漱石全集を読み切るのに逆立ちしても(できんけど)20年以上かかるのは間違いないのでひたすら先を急ぐ。ここで水俣病に走っていく時間はない。ところが水俣病に走らざるを得ない。この世の理不尽や矛盾、悪、救い、鎮魂、怒り、諦念、赦しなどが凝縮されているからだ。文学があり、今も続く現実がある。

 何かに取り憑かれたように深く分け入る森のような昏くて深いこの山々を何と呼ぶか。石牟礼道子山脈と名づけるのは石牟礼道子さんに迷惑だろう。水俣病山脈もちょっと違う。なぜなら山脈の中には私がいずれ“逢い”に行くことになるだろう宇井純さんや高群逸枝さんも田中正造もいるからだ。

 ここで思いついた。不知火だ。不知火山脈だ。小学生のころだろうか、不知火という名称を知ったときゾクゾクした記憶が蘇った。何とも魅力あふれる名前ではないか。今年中に見に行くぞと誓った不知火がぴったりはまる。しかも不知火に「山脈」をつけるこのセンスのよさ(←自分で言うな)。

 というわけで、引きずり込まれた不知火山脈をどう歩くのか。そもそも3つの全集を読み終えることができるのか。『苦海浄土』はやっぱり危険だった。

NHKラジオの配信を見つけたのは石牟礼道子さんの加勢?

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 自己啓発書によく出てくる「引き寄せの法則」などを私は全く信じない。単なる確率の話だからだ。しかし、何かいいタイミングを感じることがある。今回のいいタイミングの出来事を石牟礼道子さんの加勢だと受け止める。

 上下2段組で700ページを超える河出書房新社の世界文学全集『苦海浄土』を読破するための加勢がさらに必要だと思い、アマゾンで注文した文藝別冊の『追悼 石牟礼道子』が届いた。

 そういえば何年か前にNHKで石牟礼道子さんを特集する番組をいくつか見たなぁと思って「NHK+石牟礼道子」で検索してみたところ、NHKラジオのアーカイブスで、「声でつづる昭和人物史」というページが引っかかった。開けてみると、「自作を語る 苦海浄土」の第1回と第2回だ。石牟礼道子さんのインタビュー音声が30分ずつ。第1回の配信は3月31日15時終了と記されている。あと数日。絶妙の時宜と言うほかない。石牟礼道子さんから「頑張って読みなさい」と背中を押されていると受け止めた。

 世界文学全集の『苦海浄土』には水俣病3部作(苦海浄土、神々の村、天の魚)すべてが収められていて、もうすぐ第1部の『苦海浄土』を読み終える。いつの間にか200ページほど読み進んでいたわけだが、まだ500ページ以上残っている。先は長い。

3・11に読み始める石牟礼道子さんの『苦海浄土』

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 あした3月11日に石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読み始める。すでに露払いとして『評伝 石牟礼道子』(米本浩二・新潮文庫)を読んである。でも、これ1冊だけでは途中で息切れしそうなのでカンフルとしての『不知火のほとりで』(米本浩二・毎日新聞出版)も用意した。あとはおそるおそる1ページ目を開くだけだ。

 3月11日は2011年に東北を中心とした大震災が起きた日である。と同時に石牟礼道子さんの誕生日なのだった。石牟礼さんは1927(昭和2)年の、3月11日の生まれなのである。このことはたまたま数週間前に『評伝 石牟礼道子』で知り、『苦海浄土』を読み始めるなら3月11日しかないと決めたのだった。

“水泳”の前の“準備体操”が長すぎたような気がしないでもないが、こうでもしなければ途中で力尽きて溺れそうだし、積ん読本から『苦海浄土』を抜き出すことはできなかった。

 あしたは1行でも10行でも読めばいい。まずは一歩を。この小説が東北と「加勢」でつながりうると思う。


根本先生『毎日新聞』に登場!

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 根本先生をひとことで言うと、古今東西の小説の世界地図が頭に入っている編集者、ということになるだろうか。その世界地図に当てはめるから、出てきた小説が斬新なのか二番煎じ三番煎じなのかすぐに区別がつく。編集者でも小説家でも対等にできる人はいないのではないか。

 原稿用紙500枚分を1時間だか2時間だかで読むことができると言っていた。この特異な才能が編集者として大きな“武器”になったのは間違いない。

 半可通をかなり嫌う。よく知りもしないことを知った風に言うなと叱責する姿を何度か見たことがある。恥を知れということなのかもしれない。半可通の世界に片足を置く私など犯罪者並みである。恥知らずなのだろう。いやそもそも恥知らずでなければ表現できるわけがないではないか。などと開き直ったらおしまいだな。

 さて、そんな根本先生が2月21日付『毎日新聞』夕刊(東京本社版)2面に登場した。根本先生の言葉(考え、思い、感じ、などが昇華した模糊としたもの)の海から何らかの塊を引き出そうとインタビューしたのは藤原さんだ。開高健ノンフィクション賞受賞の記者で、言葉や表現に対して人一倍腐心してきた。そういう藤原さんが周到な準備をして、根本先生に何を投げかけて、どんなことを引っ張り出して、そこからどれをすくい上げて、どんな反応を示しながら記事にするか。読みどころがここにある。

 仲間に配るため、毎日新聞社5階の販売局に行ってとりあえず10部買った。1部たったの50円。10部買っても500円。何と安いのだろう。
 

 
 

 

『苦海浄土』への助走





 水泳の前に準備運動をするのは心臓麻痺を起こさないようにするためだと小学生のころ先生に言われた。その準備体操というか助走というか、それを石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読む前に必要だなと感じてあれこれかき集めている。

 で、ユーチューブで2つ見つけた。便利な時代だ。

 石牟礼さんが言う「重荷」を読むことが「加勢」につながるのではないか。加勢する対象は水俣病に限らない。

石牟礼道子さんを読むことになる(苦笑い)

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 読売文学賞を受賞した『評伝 石牟礼道子』が早くも新潮文庫になった。数年前から興味を持ってきたものの分厚いので後回しにしてきた池澤夏樹編集世界文学全集『苦海浄土』と併せて読めと言われているような気がする。

『苦海浄土』はれっきとした日本文学であるにもかかわらず池澤夏樹さんの判断で河出書房新社の世界文学全集に唯一入れられた。そういう小説だと知って慌てて買ったけれど、ほかの本を読むことができなくなるので積ん読本にしてきたのに。

『評伝 石牟礼道子』を書いた米本浩二さんの経歴を見て驚いたのは、私と重なる場所が3つあるからだ。1つは生まれたのが同じ徳島県であること。2つめは同じ大学。3つめは、就職したのが同じ会社だった。私の2歳上なので、どこかですれ違っている可能性がないわけではない。

 私のような外道と異なり、米本さんは恐らく大学を4年で卒業しただろうし(私は6年かかった)、今も毎日新聞社で記者を続けている(私はとっくの昔に中退)。まばゆいばかりの王道を歩いている人なのだった。

『評伝 石牟礼道子』が『苦海浄土』を読む際の船頭になることを期待して、まずは1ページ。

 

 

25年前の1・17

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 あの日、出勤前にJR平塚駅近くの立ち食いそば屋に寄った。朝飯を食べたあとだったのに、なぜまた食べたのか分からない。後にも先にもあのそば屋に行ったのはあの日だけだ。

 店の中でテレビかラジオが流れ、刻々と変わる状況を伝えていた。被害の様子は最初は小さく、全体像が少しずつ把握できるようになるにつれて大きくなっていくものだから、これはどこまで被害が広がるのかと思った。

 現地に行ったのは1カ月くらい経ったころだろうか。当時『週刊金曜日』編集部にいた私は、震災の連載を黒田ジャーナルにやってもらう企画を立てた。ゴーサインが出たので大阪の黒田ジャーナルを訪ねることにし、その前に現地に立ち寄ったのだった。

 カメラを持って行ったものの1枚も撮ることができなかった。報じるには時期がずれていたし、撮った写真を載せる予定もなかった。カメラを持って行ったのに撮らなかったのは後にも先にもこのときだけだ。

 あれはどこだったか、福島時代の同業他社だった共同通信の福ちゃんにばったり出くわし、その場にいた共同の先輩に福ちゃんと一緒に昼飯をごちそうになった。その人の名前を覚えていないだけに、時々思い出す。

 大阪読売社会部で腕をふるった黒田さんと大谷さんをはじめとする黒田ジャーナルの皆さんと打ち合わせをして、といっても黒田さんが指揮する原稿だから編集者としての私は特に何をするでもない。その連載が本になって、私は1冊持っている。

 もう本屋には並んでいないけれど、読み継がれるべき本である。

喫茶店で書評面だけ見た男

 40代くらいの男が私の隣の席に『毎日新聞』を持って来てめくり始めた。私はたいてい1面から読む。この男は1面を飛ばしてどの面を読むのだろうかと盗み見したところ、その男が開いたのは何と書評面だ。

 次の面(見開きの書評面)をさっと見て、閉じて、新聞置き場に返した。

 東京・高田馬場駅前にある喫茶店カンタベリーで早朝に見たのがこれだった。70代くらいの父親らしい男と一緒で、父親は『産経』を見ている。男は『毎日』のあと『日経』を持って来た。

 いやしかし。いきなりステーキ……じゃない、いきなり書評面を開いたこの男は何者なのだろう。『毎日』の書評面がそれなりにいいと知っている上での行動に見えたから、出版関係者か? 

 そういえば30年近く前、JR東海道線で『サンデー毎日』を読む男性がボックス席で私の前にいた。当時『サンデー』編集部にいた私は、「次はワシが書いた記事や」と思ってワクワクして盗み見していたら、あっさり飛ばされ、その次のページにめくられた。

 良きにつけ悪しきにつけ読者の興味に抗うことはできないのである。今度また書評面を最初に見る男に会ったら声をかけてみよう。「もしもし、どうして書評面だけ見るんですか? あなたは何者ですか?」と。

 ワシが怪しまれる?

 

『いのちの初夜』と徳島

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 北條民雄が日本占領下の京城で生まれ、その後徳島県阿南市下大野町で育ったとは。私は徳島生まれなのに迂闊にも知らなかった。というわけで慌てて『いのちの初夜』をアマゾンの青空文庫で買った。昭和の最後2年を沖縄で暮らしていたとき伊波敏男さんの『花に逢はん』などを読んだ際『いのちの初夜』を読んでいないわけがないのだが、全く記憶にない。というわけで、ここは潔く買うことにした。アマゾンの青空文庫はありがたい。

 一度聞いたら忘れられない峻烈な美しさを持つ『いのちの初夜』という題名は川端康成の命名だそうで、あの当時であるにもかかわらず川端康成は癩への偏見を持たなかったという。孤独な幼少期を過ごした川端は偏見のおぞましさと屈辱を知っていたのかもしれない。もちろん北條民雄の文学を高く評価したからこそだろうが。

 私は友人と話すとき川端康成を「康成」と呼び捨てにすることがあるけれど、北條民雄を「民雄」とは言えないなぁ。


 

 

 

読みやすい青空文庫の大活字版

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 大きな字は青空文庫の大活字版、小さな字は漱石の『三四郎』(岩波文庫)である。大活字が老眼にどれだけ優しいことか。

 私は眼鏡をかけているので文庫の字も読むことはできる。たとえそうであっても、大活字のほうが脳に深く刻まれるような気がする。気のせいか?

 読者の好みで大活字版を用意するアマゾンの仕組み、恐るべし。

 出版社が大小2種類の大きさの活字の本を出す……のは難しいのだろうなぁ。


 

でかくて分厚いマンデラさんの『Long Walk to Freedom』を前にして汗

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 でかっ! マンデラさんの『Long Walk to Freedom』ハードカバーである。ペーパーバックは丸善にあるのだが小さくて読みにくい。ハードカバーはアマゾンでは売り切れ状態だったので紀伊國屋書店経由で手に入れた。

 古典コテン講座で映画『インビクタス』を見てスプリングボクスの衣類を南アフリカ共和国から送ってもらったりした流れの1つがマンデラさんへの傾倒だった。まるでドミノ倒しだ。私の性格をよく知る友人は、マンデラさんが27年間投獄されたロベン島の刑務所跡を「見に行きたいと思っているだろ」と見抜いた。そのとおり。スプリングボクスの衣類を着て訪ねたい。

 本書の冒頭の2ページ、クリントン米大統領(当時)の献辞を読んでみる。本人が書いたわけではないだろうが、マンデラさんがクリントンさんに語ったことを紹介していて、いきなり魂をつかまれた感じ。

 地名が出てくるたびにiPadのグーグルマップに打ち込むと、写真とともに表示される。おー、こんな地域でマンデラさんは生まれたのか。iPadもグーグルマップも便利だなぁ。

 日本文学全集(河出書房新社)と並べたのが上の写真である。この本の大きさと分厚さが少しは伝わるだろうか。

 私にとってLong Walk to Finishの始まりなのだが、そもそも私が生きている間に最後まで読み終えることができるのか。

ワシも歩けば本に当たる

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 週末に東京・神田の古本まつりをぽっくりぽっくり歩いていたら、おお。『逆引き広辞苑』があるではないか。

 最新版は『広辞苑第5版』対応の『逆引き広辞苑』(1999年発行)だ。これは約5000円。一方私が見つけたやつは1992(平成4)年11月の発行で、たったの1000円。しかも使用感がない。

 1992年の9月ごろだったか、私が『サンデー毎日』にいたころ誰かからいただいた。開けた瞬間よくまぁこんな面白い辞書を考えたなと見入った記憶がある。週刊誌の見出しや前文づくりに重宝する辞書(ではないな)なので、大勢の編集者やコピーライターが活用したはずだ。

 毎日新聞社を辞めた際『サンデー毎日』編集部に置いてきたが、時々思いだしてはいた。それが目の前にあって、「買ってぇ−」と私にささやく。というわけで全く迷うことなく買った。

 ここで一句。『逆引き』で言葉の海に戯れる





 

 
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