同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

『新潮45』10月号の読みどころ

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 バブルの特集で「私が会った『闇の紳士』たち」の筆者・一橋文哉さんは、世間のウワサが正しければ私の『サンデー毎日』時代の先輩記者である。大きな仕事をご一緒したことがあり、寿司屋でチーム結成式をしてごちそうになった。そのときは分からなくてもあとで納得してしまう的確な指示に何度か感嘆した。うんうんうなりながら鉛筆で原稿を一気に書き上げる様子を目の前で見る機会があり、その筆力に私は口が開いたままになり、しばらく閉じることを忘れた。

 そういえば一橋さんは葬儀の席に一番乗りして遺影を持って逃げた逃げたと笑いながら話してくれた。そういう自由があったのだなぁ。今そんなことをしたらSNSですぐに叩かれる。

 適菜収さんの右も左も快刀乱麻を断つ連載は今回も面白い。安倍首相を<政治家としての資質以前に、常識がない>や<こうした「幼児」が改憲を唱えているのが今の日本の惨状です>と断じ、三浦瑠麗を<どこの花畑で暮らしているのかは知らないが、妄想だけで原稿を書いているのではないか>とツッコむ。

 連載「のらねこ風俗嬢」の舞台は高知県。高知県人に言わせると四国の4県の中で高知だけは気質が違い、ほかの三県はケチだと。

 小田嶋隆さんの「四国の夏は加計ではなく子規と阿波踊り」にはジャストシステムの話や徳島の阿波踊り無謬性神話が出てくる。<踊るから阿呆になるのではない。阿呆だから踊るのだ>には吹き出した。まさしくその通り。ワシら徳島県民は阿呆の集まりなんよ。

 河谷史夫さんの連載「形影譚」が取り上げたのは門田勲と本田靖春。門田勲の本を大学時代に朝日文庫で読んだ記憶がある。本田靖春もスゴ腕だったが、門田勲はもっと自由自在だったのか。こんな記者が出る時代背景があったのだろう。とすると、もう出ないか。

 『新潮45』、新潮社の看板雑誌なのに、いや看板雑誌だからか、左右両サイドが入り乱れ、けっこう読み応えがある。

とりあえず買った本

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 『毎日新聞』の書評を読んで即決した。アマゾンで見たら在庫がなく、新品が定価より1000円ほど高い値付けで出ている。悔しいので紀伊國屋書店と丸善のサイトで調べたところ新品がある。

 売り切れる心配はなさそうだが、言葉の限界は従来私が関心を持ってきたテーマであり、特にここ数年ずっと疑問に思ってきたことを本書が裏付けてくれそうだという期待もあり、書評が背中を押した。


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 言霊だの何だのとしたり顔でのたまう貧困層への反撃の狼煙になりそうだが、そういう風に考えてしまう私自体が「したり顔」になっちまってる。ああやだやだ。穏やかでありたいものであるな。

『ことばだけでは伝わらない』の感想はあらためて。

お買い得! 出版社の月刊PR誌

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 岩波書店が『図書』、朝日新聞出版が『一冊の本』、筑摩書房が『ちくま』、講談社が『本』、新潮社が『波』、集英社が『青春と読書』。月刊で、年間購読料は送料込みで1000円ほど(新潮社は3年で2500円)。活字好きにはたまらない。定期購読をもっと早く申し込むんだった。

 昔は本屋に山積みされていたが、最近は見かけない。文藝春秋は紙媒体のこれをやめた。そういう状況なのだろう。

 しかし、活字好き本好きにはよだれが出る。

 まず、新刊の紹介記事が面白い。新聞で本の広告を見て、どんな内容かなと興味がわいても、本屋に出かける機会がないとそのまま忘れてしまうことがある。そういうのをカバーしてくれる。新聞の書評で取り上げることができる点数はごくわずかだが、これを読めば自社の新刊はたいてい紹介記事を載せているから概略が見える。

 大雑把に言うと、新潮社の『波』は編集者の意地が伝わってくる。手を抜いていないのだ。144ページものボリュームがすごいし、他社の本も取り上げる器の大きさがある。この本の「新潮社社食の半世紀」を見たテレビマンユニオンがNHK「サラメシ」で取材したに違いない。書体の記事まであって、これはもう総合誌だ。

 朝日新聞出版の『一冊の本』はジャーナリスティック。集英社の『青春と読書』は庶民派。

 印象に残った記事をざっと挙げてみる。

 『ちくま』でのトミヤマユキコさんの連載「夫婦ってなんだ?」や橋本治さんの連載「遠い地平、低い視点」、『図書』での高橋三千綱さんの連載「作家がガンになって試みたこと」、『青春と読書』で鎌田實さんが連載「曇り、ときどき輝いて生きる」で取り上げた柳美里さんの活動、『本』ではあちゅうさんが明かした自分の生きづらさ、と挙げていくとキリがないことに気づくので、もうやめる。

 私は6社から毎月届くことになっていて、これを至福と言わずして何と言う。

土門拳賞受賞梁丞佑さんの新刊写真集『人』

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 横浜・寿町に住む人たちを至近距離で撮影した写真集である。土門拳賞受賞後に出た新刊だ。

 私が知る限りでは寿町の人たちの顔を撮った写真集としては鷲尾倫夫さんがずば抜けて迫力がある。しかし、生活ににじり寄った写真集は梁丞佑さんのこの『人』だろう。

 カメラを持たずに3カ月通い詰め、声をかけられるまで道端に座って酒を飲んだりして過ごしたという。2002年に撮り始め、2017年まで撮った写真から構成したそうだから、15年もかけたことになる。そこまで長期間追いかけたのは人間のナマの姿が目の前に生々しくあったからだろう。あの長倉洋海さんもドヤ街を撮影していたが、ここまで迫った写真はなかったのではないか。

 人間が持つ優しさも弱さも憤怒も暴力性も矜持も諦念も、丹念に焼き付けたモノクロ写真から迫り来る。人が見ようとしない人間を梁さんは静かに観察して一枚一枚に収めた。私が小学6年のころだったか、父に連れられて歩いた大阪あいりん地区の空気を思い出す。

 寿町はずいぶん“きれい”になったと聞く。東京の山谷を先日歩いた時も違和感がさほどなかったから、ドヤ街はどんどん“美化”されているようだ。もっともっと“美化”が進むのだろう。

 ザラザラした空気がよどむ荒涼とした寿町があり、そこで人々が生きていたという貴重な記録でもある。梁さんでなければ撮れなかった。

 

梁丞佑『青春吉日』が切る取る一瞬のキラメキ

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 写真家だからといって闇雲にカメラを構えるわけではない。カメラを構える対象に磁場があるか、写真家のこころの中にカメラを構えさせる動機があるか、だろう。

 梁丞佑さんは写真集『青春吉日』のあとがきにこう明かした。

・・・・・・・・・・
昔の仲間が一人死んだ。
自殺だった。
奴が死んでも何ひとつ変わったことはない。
仲間達はもう奴のことを忘れていく。そして俺も奴のことを忘れていく。
奴の顔が見たくて写真を探してみた。
一枚もなかった。
自分が大事だと思っている仲間だったのに。
いずれは、自分もこの世から消える。
そう思うと、撮りたくなった。
・・・・・・・・・・

 このあとがきを読んだら、買わないわけにはいかない。土門拳賞前の作品である。

 ページをめくると悪ノリともいうべき痴態が次々に出てくる。被写体は梁さんとその友人たち。裸の女性もいる。

 乱痴気の一瞬のキラメキを切り取ったからだろう、映画『アメリカン・グラフィティ』のエンドロールを見終わったときと同じようなかなしみが染みて広がる。時間は止まらない。


 

岩波書店と新潮社のなるほどあるある

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 新聞購読の楽しみの50パーセントは書籍広告にある。そこで思い出した。そうだそうだ、出版社のPR雑誌があるぞ。

 というわけで、とりあえず、と書くとまるでビールと同じ扱いになってしまうが、まぁそんなものだろう、岩波書店と新潮社のサイトから申し込んだ。

 送られてきた振替用紙を見比べると、出版社の姿勢というのか奥ゆかしさというのか教養とは言い過ぎかな、そういうものが見える。まず教養書の牙城岩波書店。送ってきた8月号は無料進呈。振替用紙には1年分でも2年分でも3年分でも自分でかき込むようになっている。

 一方文学の巣窟新潮社。最初から3年分2500円と印刷されている。これ以下は受けつけんぞという堅い意思が迫ってきた。

「なるほど」と言うべきか「あるある」と言うべきか。

アマゾンが帯を大事にしないから

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 アマゾンで買った車谷長吉さんの本に危惧したとおり帯がなく、版元の新書館に問い合わせたところ、送ってもらうことができた。つい先日も車谷長吉全集の月報でお世話になっていたので、たぶん私の名前は覚えていてくれたのではないか。またこいつか、と(笑い)。ありがとう末永さん。

 帯に対して私は2つの態度がある。1つは、なくても全く気にならない。2つめは絶対に必要。車谷長吉さんの本に関して言えば後者である。

 アマゾンの配達料無料やプライムサービスもいいけれど、帯を含む本全体を大切に梱包するところまでは手を抜くな。別の本は帯が破れていた。

 アマゾンよよく聞け。と書いても私の声は届かないだろうが(何のこっちゃ)、帯も本の一部なのである。帯は文化なのである。

車谷長吉全集第2巻の月報届く

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 アマゾンから届いた車谷長吉全集第2巻の月報が見当たらず、版元の新書館編集部に電話して在庫を郵送してもらった。

 車谷さんがご健在の時に第3巻まで出版されている。第4巻は亡くなったあとという約束になっているそうなので、電話した際編集者に「いつごろ出そうですか」と聞いてみた。

 何とメドが立っていないそうな。高橋順子さんのご年齢を考えると10年以内に出さないと、などと無神経なことを口走ってしまったのはただただ読みたいから。

 編集者によると『蟲息山房から 車谷長吉遺稿集』が第3.5巻の位置づけだそうで、だとしたら手元に置く必要がある。プレゼントしてもらおうっと。

本に対するアマゾンの対応と車谷長吉さんの悪いいたずら(?)

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 アマゾンから車谷長吉全集3巻が届いた。プレゼントである。

 ところが、第3巻の帯がない。高価な本なのに。

 アマゾンのカスタマーセンターに電話で問い合わせたところ、
・アマゾンは帯を広告と見ている
・出荷時に帯を外すことがある
・帯がないからといって取り換えることは不可
 だって。

 びっくりしたなぁもう。繊細さのかけらもないアメ公の考えそうなことだ。

 とりあえずセンターの女性はこちらの感情を理解してくれたので、返本に応じてくれた。

 トラブルは続く。

 まさかと思って手元に残った第1巻と第2巻に月報が入っているかどうか確認したところ、第2巻に月報が入っていない。アマゾンの倉庫で仕事をしている誰かが抜いたのかも。もしかしてヤフオクで売っていたりしてね。数千円以内なら、大ファンは買うだろう。

 再びカスタマーセンターに電話して、第2巻は取り換えてもらうことになった。ああ疲れた。アマゾンは本に対する姿勢も管理もよくないぞ。安倍政権と同じで、唯我独尊独走態勢である。怖いものなしなのである。たちが悪い。

 ここでふと思った。そもそもあの車谷長吉さんの全集である。ゆかりの地をきのう歩いたばかりだ。こんな私に車谷さんらしい悪いいたずらを仕掛けてきたのではないか、と。もちろん現実にはそんなのあり得ない。敢えてこう受け止めれば、楽しく見えるなぁと少しは思うことができそうな気がしてね。

 アマゾンが本を大事にしていないことがよく分かった。

『新潮45』6月号

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 一番驚いたのは、「最強空手家はいかに逝ったか」である。え?! 極真空手の黒澤浩樹さんが亡くなったのか。享年54。死因は急性心不全、ということはアレかな。大山倍達館長の器の小ささまで描かれていて、極真空手世代の私には非常に面白い。

 河谷史夫さんの新連載には驚いた。元朝日新聞の編集委員なんだもん。自分を大きく見せたがる人が多くて辟易していただけに、河谷さんがご自身の肩書きを「雑文家」としているところに拍手である。教養と恥じらいはこういうところに出てくるのだよなぁ。事実を丹念に追った記事で、惚れ惚れしてしまう。

 ビートたけしの「達人対談」は毎回すごくいい人選をしている。語る専門分野を持つ人ばかりだから、へぇへぇへぇの連続だ。今回は進化生物学の長谷川英祐北大大学院准教授。私の数ある無知な分野の1つをビートたけしが私に理解できるレベルでインタビューするから、そのレベルで頭に入ってくる。

 若杉編集長によると、取材物を増やしているという。賛成。取材者の肩越しに取材対象を見るのが私は好きなので、どんどんやってほしい。

 というわけで、私が定期購入している雑誌の1つ『新潮45』6月号の紹介でした。

アマゾンになければhontoで探す

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『フォト・ジャーナリストの眼』(長倉洋海・岩波新書)の新品がアマゾンにないのは驚いた。

 もっと驚いたのは、「こんな本誰も買うまい。そのうち買おう」と思ってほったらかしにしていた『分厚い本と熱い本 毎日新聞「今週の本棚」20年名作選 2005〜2011』と『怖い本と楽しい本 毎日新聞「今週の本棚」20年名作選1998〜2004』(いずれも毎日新聞社)がアマゾンではいつの間にか古本しかなく、しかも価格が2倍くらいになっていたりすることだ。

 どうしてもほしい本は古本でも買うけれど、高いのはちと悔しい。ふと思い立ってhontoで検索したら上記の3冊が新品で売られているではないか。おお! 慌てて注文した。

 アマゾン全盛時代だから、hontoは死角になっている。ほんと(←ああ、しょーもないダジャレをまたやってもた)。

又吉直樹劇場だ

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 又吉直樹の第2作を載せた『新潮』4月号が増刷され、本屋にまたまた並ぶようになった。『新潮』は又吉効果でどれだけ増刷したことか。

 この間アマゾンでは古本の『新潮』4月号が2倍の値段で出品されるなど、ちょっとしたバブルが起きていた。重版されたので又吉バブルは弾けたけれど、定価より高く売られるケイケンは『新潮』にとって初めてではないか。

 大城立裕やいしいしんじの原稿も読むことができるので私には非常にお買い得。

 注目の又吉直樹の小説は「劇場」。なるほど、この小説を載せた『新潮』4月号のお祭り騒ぎを見ると、「又吉直樹劇場」であるな。それを予言したかのような題名であるところが絶妙か偶然か。

『新潮』4月号注文す

 作家又吉直樹への期待の大きさだろう、売り切れた『新潮』4月号を新潮社は増刷した。18日に本屋に並ぶようだ。私はアマゾンで『新潮45』3月号と一緒に注文しておいた。

 単行本を買うとその小説しか読めないが、雑誌で買えばその小説だけではなく、ほかの原稿も読むことができる。そこに新発見があったりするので、買うなら雑誌である。

名著『いじめ撃退マニュアル』の復刊を


 

 いじめはなくならず、いじめが原因の自殺も止まらない。

 今こそこの本を復刊するべきだ。『いじめ撃退マニュアル』である。著者の小寺さんがご子息を守るために学校と戦い、その過程で習得した知識と技術を具体的に明かした名著である。

 何を捨てても守るべきは子供である。親が体を張って腑抜けの学校と戦うことで子供の命を守ることができる。髪の毛振り乱し、目を血走らせ、口から血を吐きながら、学校に殴り込みをかけていい。

 腑抜け学校に対する親の控えめな行動は何の解決ももたらさないばかりか、最悪我が子の死を招く。子供の代わりに身をなげうつことができるのが親である。「君のためなら死ねる」というセリフは梶原一騎原作『愛と誠』だが、「子供のためなら死ねる」のが親だ。

 鬼気迫る形相で血反吐まみれで学校になんぼでも突撃していいのである。

 そういう親の基本を本書は教えてくれる。

『新潮45』1月号寸評

 これから雑誌の寸評(というか紹介ね)を随時やっていこうと思いついた。ブログを埋めるネタになる。そこまでしてブログを書くのはなぜなのか私もよく分からない(苦笑い)。

 まずは『新潮45』1月号。

 曾野綾子さんが「人間関係愚痴話」で取り上げた夫の介護や認知症にまつわる話は身につまされる。<今まで温厚な学者だった人が突然卑猥な言葉を使ったり、人困らせな性的行動に出るようになることもよくある>そうな。この点私は普段から下ネタ三昧なので誰も驚くまい。先手必勝なのである。

 話がずれた。とにかく、だ。そうなる前にサヨナラする準備だけは怠るまいと再確認できた。

 石井妙子さんの「小池百合子研究」は読ませるノンフィクションである。はちゃめちゃな父親の血を引いたところが実にいい。こう思うのは私に娘がいるからだろう。

 インベカチリさんの新連載「ドキュメント のらねこ風俗嬢」。全国を売春しながら観光旅行する女性を見つけた勝利。取材対象の魅力が原稿の出来不出来を左右する。2回目以降が気になる。

 山田ルイ53世の新連載「一発屋芸人列伝」も面白い。一発屋芸人に一発屋芸人の話を書かせるところがうまい。

 野坂暘子が書く配偶者野坂昭如についての連載「うそつき」は野坂ファンとして引き込まれる。妹を餓死させた負い目に責めたてられながら一生を終えたであろうその片鱗が見え隠れするのだ。文体のリズムが野坂昭如風なのは合わせ鏡の証拠か。<私はいつだって 何も考えず 女でいられた あなたが男だったから>はこころに染みる。


 

『週刊女性』1月31日号の必読記事は

 1〜2カ月以内に千葉県沖か首都圏直下でM6〜7クラスの大地震が起きる。こう警告するのは、12月28日のM6.3茨城県北部地震を的中した立命館大・高橋学教授であるそうな。

 私が読んでいる有料の地震予測メルマガは南関東の緊急性が高いと言い続けている。当たるも八卦当たらぬも八卦と言えば怒られそうだが、用心するに越したことはない。そして、学者や専門家の科学的な予測はできるだけ広く周知するほうがいい。

 健康オタ君の私にとって「統計データでわかった健康行動41」は読まない理由がない。どこまで科学的なのか分からないが、読み物として目を通す。

 羽賀健二の4億円の不動産がどうのこうのという記事は私にはどうでもいいな。 

『新潮45』1月号寸評

 これから雑誌の寸評を随時やっていこうと思いついた。ブログを埋めるネタになる。そこまでしてブログを書くのはなぜなのか私もよく分からない(苦笑い)。

 まずは『新潮45』1月号。

 曾野綾子さんが「人間関係愚痴話」で取り上げた夫の介護や認知症にまつわる話は身につまされる。<今まで温厚な学者だった人が突然卑猥な言葉を使ったり、人困らせな性的行動に出るようになることもよくある>そうな。この点私は普段から下ネタ三昧なので誰も驚くまい。先手必勝なのである。

 話がずれた。とにかく、だ。そうなる前にサヨナラする準備だけは怠るまいと再確認できた。

 石井妙子さんの「小池百合子研究」は読ませるノンフィクションである。はちゃめちゃな父親の血を引いたところが実にいい。こう思うのは私に娘がいるからだろう。

 インベカチリさんの新連載「ドキュメント のらねこ風俗嬢」。2回目以降が気になる。

 山田ルイ53世の新連載「一発屋芸人列伝」も面白い。一発屋芸人に一発屋芸人の話を書かせるところがうまい。

 野坂暘子が書く配偶者野坂昭如についての連載「うそつき」は野坂ファンとして引き込まれる。妹を餓死させた負い目に責めたてられながら一生を終えたであろうその片鱗が見え隠れするのだ。文体のリズムは野坂昭如風なのは、夫婦は合わせ鏡の証拠か。<私はいつだって 何も考えず 女でいられた あなたが男だったから>はこころに染みる。


 

自分へのクリスマスプレゼント

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 クリスマスや正月の行事にとんと興味がない。しかし、かこつけることは忘れない。クリスマスイブを広島で3年連続過ごすことになった。今年は自分へのクリスマスプレゼントを思い立ち、広島駅前のジュンク堂書店で本と雑誌を計3冊買った。

 丸善広島店に移動し、店内のタリーズでコーヒーと甘い物を楽しみながら、買ったばかりの本をめくる愉悦よ。こういう楽しみを共有できる女性が理想かもなぁ。

「ビューン」より「Dマガジン」

「ビューン」を解約して「Dマガジン」に乗り換えた。理由は1つ。後者なら『週刊新潮』と『週刊文春』を読むことができるからである。

 ただしこの「Dマガジン」は安全性が高いので面倒なことが起きる。私はiPadmini(Wi−Fiタイプ)を使って自宅のWi−Fiで読む。

 ある日のことだ。某所の公共Wi−Fiでログインしたあと、「Dマガジン」のIDとパスワードが消えてしまった。ドコモに問い合わせたところ、公共Wi−Fiで接続したら安全性を確認するためにそういうことが起こりうるという。IDとパスワードを覚えておらず、思いつく限り打ち込んでも入ることができず、トホホの状態に陥った。

 こういう失敗をするたびに「何でメモしとかないの?」と不思議がる長男を思い出した。これ以上親の株を下げるわけにはいかないのでナイショにしておこう。

広島市の本屋は穴場

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 あった。アマゾンでも手に入らない土門拳の本が3冊ジュンク堂広島駅前店の棚に澄ました顔で並んでいるのだ。すぐにレジに持って行く。広島市の本屋は穴場である。

 NHKの『100分で名著』のバックナンバーがズラリと並び、私が持っていないやつを30冊くらいだったか買ったのは丸善広島店など広島市内の本屋だった。土門拳が写真を撮った卒業アルバムの復刻版『写真集 土門拳の早稲田1937』も手に入らず、丸善広島店で見つけて小躍りした。

 広島市は人口が約100万人。だからだろう、大型書店の丸善とジュンク堂、紀伊國屋書店がある。100万の人口めがけて、けっこういい配本をしているのではないか。しかし、都会ほど読書人はいないから売れ残って棚に並ぶ。それを私が見つけて買うわけである。うっしっし。
 

 

 

 

 

古本だけど新品の本

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 アマゾンで買った古本2冊、表も裏も表紙を開けていない新品だった。

『日本歴史地名大系 第35巻 広島県の地名』 (平凡社・1982年)と『角川日本地名大辞典(34)広島県」(角川書店・1987年)である。前者は1494円、後者は2400円。箱入りの立派な辞典を格安で手に入れることができた。

 それにしても一度も開けていないとは。一体誰が買ったのか。それともどこかの在庫を誰かが横流ししたのか。アマゾンにはいろいろな事情を抱えた本が流れているような。そこを取材してみると意外なドラマがあったりして。


 


『考える人』2016年夏号の徳島祖谷

 私にとっては谷川俊太郎さんの特集よりこっちが興味深かった。養老孟司先生の新連載「森の残響を聴く」で訪ねた徳島・祖谷と剣山の写真である。

 平家の落人伝説で有名な祖谷だが、行ったことがない。急峻な祖谷の山間はかつて奥会津で見た光景に似ている。仕事で奥会津には行っているのに、ふるさと徳島の祖谷に行ったことがないというのは何か大きなミスをしてしまったような感が湧く。

 古里を離れて過ごした歳月のほうが圧倒的に長いことを理由にしてはいけないな。行こうっと。一緒に行きたがっている女がいるから連れて行くかな。

土門拳にのめり込んでいい理由

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 新版を持っているのに旧版も買ってしまった。定価2800円の半額だったので安い。

 丸善大手町店の店先で時々売れ残りの古い本を格安で売っている。前を通りかかったらひととおり目を走らせることにしていて、たまに「お!」と叫びそうになる出会いがある。

 この本もそうだ。『土門拳の伝えたかった日本』(毎日新聞社)である。奥付を見ると2000年に第1刷が出て、2006年に第3刷りまでいっている。

 新版に比べると、あまり違いはない。それなら必要ないではないかと思わないではないのだが、私はいったん入れ込むととことんのめり込む悪いクセがある。大学時代の本多勝一本がそうだった。本人に出会うことがなければ私の憧れが崩れることはなかったのだが。

 土門拳は1990年に80歳で亡くなった。会うことは絶対にない。憧れが崩れる心配はないのだ。だから安心してのめり込むことができる。

アマゾンの「残り1点(入荷予定あり)」信ずるべからず

 題名の通りなので、これ以上書くことはないのだが、それでは芸がないので、少し詳しく書く。

 土門拳の本に「残り1点(入荷予定あり)」と表示されていて、そうか入荷予定があるなら急いで買う必要ないなと悠長に構えた。ところがある日ふと見たら「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」と表示されているではないか。

 入荷予定あるんちゃうんかい! とパソコン画面に文句を言うだけ阿呆である。

 アマゾンの「入荷予定あり」は信じないこと。気に入った本はすぐに買う。もちろんそのうち古本で出回る可能性があるので待てばいいのだが、待ちたくない場合は買う。これが鉄則だな。


 

開高健記念館に遊ぶ

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 お隣の茅ヶ崎市に開高健記念館があることは以前から知っていた。にもかかわらず行ったことがない。

 思いついて訪ねたのは、ずっと部屋にこもって仕事をしてきて、アタマに気分転換が必要だとココロが欲したからである。

 私の自宅から10キロあるかどうか。ランニングで行けるくらい近い。しかし汗まみれで入館したらたぶんびっくりされるので、電車と徒歩で訪ねた。

 NHKのインタビュー番組をビデオで流していて、その中で「精神の危機」という表現を開高健が使った。ああ。そうなのか。きわどいところを歩いていたのだな。でも文学の力で切り抜けた開高健は恵まれているなぁ。

 凡人は開高健をウラヤマシく思うのである。

文章で悩むところ

 野口悠紀雄先生は<文章を書く作業で最も難しいのは、文章の最小単位を適切に結合し、全体として説得力のある論述に仕上げてゆくことです>と『話すだけで書ける究極の文章法』(講談社)で指摘している。私が悶絶するのもここである。執筆業者が早死にする理由はここにありそうだ。

 流れがよくないと書き手が思った文章は、読み手にはチンプンカンプンだろう。そこで、一文一文の並べる順番や段落の並べる順番をあーでもないこーでもないと動かしてみる。あるいは論理の不足を補ってみる。文章のパズルをしているような感じとでも言おうか。

 これがピタリとはまらないと文章の流れが悪い。書き手は気持ちが悪い。読み手はもっと気持ちが悪い。

 駿台予備学校の藤田修一師は「前の文の論理を次の文が受けて、それをさらに次の文が受けて流れていく。最後にたどり着くのが筆者のイイタイコト」と言っていた。文章の流れを語っていたのである。

 適切な位置に一文一文が整然と並ぶと書き手は「できた!」と分かる。いや、逆だな。「できた!」と思った文章は結果として一文一文が適切な位置に並んでいるのである。


 

 

 

祝! 編集長ご就任!

 はがきを読んで「おお! 若杉さん、やったね!」。私の原稿を2回担当してくださった若杉さんが某月刊誌の編集長に就任された。

 1回目の原稿は若杉さんの徹底した指導を何度も受けた。2回目の原稿は褒めてもらった。その若杉さんが、である。うれしいではないか。

 はがきをよく読むとこれは「ゲリラ戦」宣言である。いいなぁ。

 ゲリラ戦とは“正規軍”との真剣勝負であり、本音を捉えるまで建て前を剥ぎ取る血みどろの戦いである。私は就職先として新聞社しか考えたことがなかったけれど、新潮社や文藝春秋を受けてみるべきだったと今ごろ思っても遅い。

 これから毎月買わなければ。それが今の私にさっとできる若杉編集長と『新潮45』への貢献だな。

土門拳全集13巻を手に入れた金額は

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 ヤクオフで土門拳全集(全13巻)を売値わずか1万円で見つけたときは疑った。きっと汚れているに違いない。ページが破れたりしているのではないか。月報が入ってないんじゃないか。何か問題があるに違いない。お金を払っても届かないのではないか。でなければ、13巻を1万円で売るわけがない。

 ところが違った。届いた全13巻は帯こそないけれど、一部に2版があるけれど大半が初版で、ざっと見た限りだが本には何も問題がない。いや、これまで単品で買った『風貌』や『ヒロシマ』より状態がいいかもしれない。

 13巻が1万円。福島県いわき市からの送料は1000円少々。

 神田神保町の古本屋で13巻全てそろった土門拳全集はなかった。一般的な古本ならヤクオフで探す時代なのだった。

 あとはしっかり見て読んで、土門拳賞を受賞するだけだな(←その前に写真を撮れっちゅうの)。
 



 

東京・神田神保町の新名所

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 東京・神田神保町の本屋街にいい案内所ができた。「本と街の案内所」という、誰が読んでも間違いようがないほど分かりやすい看板が目印である。

 たまたま通りかかった私はどれどれと入ってみた。

「土門拳の全集を探しているんですが」

 女性がパソコンに向かって打ち込むと、在庫のある本屋が出てくる。

「上位の2書店を教えてください」

 こんな注文にすぐに応えてくれるので、効率的に古本屋を回ることができた。とっても便利である。

土門拳全集『風貌』

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 絶版になった本でも古本で安価に手に入れることができるのでありがたい。今の私は土門拳に熱中しており、人物描写に興味があるので『風貌』をアマゾンで買った。

 長谷川如是閑や和辻哲郎、宮本百合子などの顔を「へー」と言いながらしげしげとながめる。そうかこんな顔なのか。

 写真が見事なのは私ごときが言うまでもない。最も印象に残ったのは志賀潔博士である。同じ写真が『新版 土門拳の伝えたかった日本』(毎日新聞社)に掲載されているけれど、撮影状況の文章は載っていない。本書には撮影したときの模様を記した土門拳の文章が載っており、それがまた読ませる。志賀博士の文章もそうなのだ。

 メガネのツルを自分で補修しなければならないくらいに困窮している志賀博士の表情を土門拳は大きく写した。人間は1つしかない顔にこれだけたくさんの感情を表出できるのか。見ていると苦しくなってくる。

 迫った土門拳はさすがだが、全てを見せた志賀博士の顔にそのお人柄が重なって見えた。

 

男性富裕層に人気ナンバーワンの雑誌はこれ!

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 男性富裕層がどんな雑誌を読むか。ズバリ答えからいく。『レオン』である。男性向け雑誌の中で、集まる広告費がナンバーワンだからだ。

 富裕層はお金があるのに時間がない。人と違うものや珍しいものに興味が向く。そんな需要に対して『レオン』は明快に答えているのである。名物編集長・岸田一郎さんが敷いた路線を踏まえてそのあとの優れた編集者たちが発展させている。

 秘密の(秘密なのか?)学習会でお目にかかった副編集長は若くてかっこいい。その彼がこう言うのだ。

「若いうちは何もしなくても清潔感やこざっぱりした感じがありますが、年齢を重ねるとそういうものを持つためには努力が必要になってきます。でも、お金を出せばすぐに手に入るのです」

 思わず自分の服装や靴を見てしまった。不潔ではないと自分では思うけれど、清潔感あふれているかというとギモンである。ごくごくありふれた服装なのだ。靴は2年間ランニングした黄緑色のやつで、捨てるのはしのびないので普段履きとして余生を送らせてやっている。そんな靴を履くことで「私はスポーツマンなんだよー」ということをそれとなくアピールしているつもり(スポーツマンはモテると思い込んでいるからね)なのだが、法人保険業界の五島師匠から「学校の先生みたいやなぁ」と突っ込まれ、思わず笑いそうになりつつ、それって全然おしゃれではないということやんけとヒソカに涙した靴なのであった。

 話を戻そう。

 富裕層が何に興味を持っているのか、この雑誌を見ればすぐに分かる。医者や経営者、機長などが読んでいる。富裕層向けにビジネスをしている人は定期購読するほうがいいに決まっている。

 

神田の古本屋街恐るべし

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 古本屋のワゴンに入ってこっちを向いている本に「あっ!」と叫んでしまった。まるで私に見つけてもらいたがっているようにこっちを向いているところがかわいい。この本をずっと探していた。毎日新聞東京本社情報調査部編の『戦後の重大事件早見表』(毎日新聞社)である。

 ビニール袋に入っていて、500円。買ったあとさっそく開けてみたら折り目が入っていない。いいねー。

 ただ、私の記憶と少し違う。私が知っているこの本は表紙が黄色だった。ん?

 アマゾンで検索してみたら、私が買ったこの本は1987(昭和62)年の発行で、そのあと1991(平成3)年に改訂版が出ているではないか。あちゃー。

 アマゾンで買い直すか。状態がいいやつは6000円や7000円の値段がついている。

 体力が衰えてきた毎日新聞社だが、平成が終わった段階で新しいのを出すなら待つんだけど。

藤田修一師の写真集『浅草慕情』

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 あの藤田修一師から写真集『浅草慕情』を送っていただいた。かつて駿台予備学校の現代文講師として独自の読解法を編み出し、受験生から絶大な支持を得た人である。三つ揃えのスーツにロマンスグレーの頭部、銀ぶちのメガネ、官能的な声。男から見てもかっこいい先生だった。

 何度も書いていることだが、高校3年の時の夏期講習で藤田先生と関谷浩先生の「早大国語」を受講し、どうにもこうにも伸び悩んでいた現代文が秋以降に一気に開花した。早稲田大学法学部のあのややこしい現代文を解く私に藤田先生が乗り移ってくださった。藤田先生の読解法は今日まで受験現代文の世界で受け継がれている。

 その藤田先生が自由の身になって取り組んだのが写真だった。国際写真サロン入選やキヤノンコンテスト準グランプリなど、写真家としての名声をすでに確立している。写真集はこれで3冊目だ。どれも被写体に真正面から向き合い、美のはかなさや壊れやすさをいとおしむかのようにシャッターを切り続けた。

 浅草を舞台にしたのは「異郷」だからという。異郷ゆえに檀一雄の『火宅の人』や永井荷風の『すみだ川』、川端康成の『浅草紅団』などが生まれたという。肖像権を主張しない人が多いのも異郷だからだろうという。

 異郷浅草の何を撮るか、異郷浅草の人間をどう撮るかといった藤田先生の目線を語った文章も、人間の一瞬を永遠に捉えた写真の数々も、人間の味わい方とでも言うべきものを教えてくれる。

 藤田師の3冊の写真集から吸収することがたくさんある。というわけで、私は藤田師の教え子を今も自称する。


 

 

つまをめとらば

「妻をめとらば」と聞けば「才長けて、見目麗しく、情けあり」と歌いたくなる。この3要素に対抗できるものはないだろうかと過去30年ほどたまに考えてきた。さすが鉄幹、必要にして十分な要素を挙げている。

 しかし、1つだけある。1つだけ鉄幹がカバーできていない分野がある。すなわち「床上手」。あ、突然下品になってしまった。ダメだこりゃ。

 しょーもないことを書いているヒマがあるなら直木賞受賞作『つまをめとらば』を読もうっと。鉄幹の挙げる「書を読みて」くらいは該当しないと。

映画化できる小説を目指して

 衝撃的な事件の案が浮かんだ。自分で言うのも何だが思わず引き込まれる事件である。この事件から小説を書き出せば、どんな解決が待っているのかと読者は気になって本を手放せなくなるに違いない。本は増刷に次ぐ増刷で、映画化間違いなし。印税と原作料ガッポガッポ。

 ところが、である。この事件をどう解決すればいいのか浮かばない。前代未聞の事件の発生は書けても、肝心の最後の着地点が全く見えないのだ。

 何せ印税と原作料ガッポガッポがかかっているので、他人に相談できない。やむなく次女に意見を求めた。

私「事件の解決点が見えたら小説にして印税と原作料ガッポガッポじゃ。どう解決させればええかな。名案ないか?」

次女「私が考えた名案がうまくいったら、印税と原作料の50パーセントは私がもらえるの? 私を共著者にするという約束できる?」

私「何というゴーツクムスメじゃ」

次女「自分の非才を棚に上げて人のアイデアを盗もうとする人こそゴーツクオヤジでしょ」

 た、た、確かに。

郷愁を誘う商品

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 東京駅前の丸善でレジの手前に置いてあるものだからいやでも目につく。あの『怪人二十面相』の表紙そのままのノートである。思わず手にとってしまった。買うしかない。

 ポプラ社の江戸川乱歩全集は全46巻あった。最初に読んだのは小学3年の時、徳島駅前の小山助学館で『宇宙怪人』を父に買ってもらったのが始まりだ。面白すぎてあとは図書館で借りて一気に読んだ。私の本好きが定着するきっかけを与えてくれたのが江戸川乱歩シリーズだった。

 懐かしさあふれる商品が最近目につく。そういう商品に目が向くのはそれなりの年数を生きてきた中高年以上だろう。私が中高年になっている証拠か。

 そういえば私が小学3〜4年のころ、復刻版『少年倶楽部』シリーズを祖父が買ってくれた。「『のらくろ』を読んで育った」と懐かしがる祖父のプレゼントだったのだが、「のらくろ」の連載は1931(昭和6)年スタートだ。時代が違いすぎて読むのが少々ツラかったかも(苦笑い)。

 今の10代20代で「のらくろ」を知る人はめったにいないのではないか。江戸川乱歩シリーズはあとどれくらいの期間にわたって私のような大ファンを獲得し続けるだろうか。

駿台のエロい漢字問題集その3

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 さて問題になった『生きるセンター漢字・小説語句』(駿台文庫)である。朝のワイドショーでは駿台文庫の「回収する」というコメントを伝えていたが、丸善広島店には面出しでどかーんと置いてあった。この際売ってしまうぞという決意のような商魂を感じたのは錯覚だろうか。

 こちらは前著『生きる漢字・語彙力』からずいぶんパワーアップした。エロ系をざっと挙げておく。

 彼女のなだらかなキュウリョウをうっとりと眺めた(8ページ)

 彼女がリズミカルにシめ付けてきた(43ページ)

 ゆっくり奥までソウニュウしてください(51ページ)

 左手を軽くソえてね(同)

 きみのエキスをチュウシュツして飲み干したい(53ページ)

 彼女のユルやかなラインが僕をほっとさせる(100ページ)

 敏感なところは強くシゲキしちゃだめよ(131ページ)

 脱いだもののにおいを嗅ぐシュウカン(132ページ)

 きゃしゃな脚は、見てるぶんにはいいけどな(149ページ)

 息をのんで女子の着替えを見つめる(162ページ)

 おどおどしながらも、言われたように握ってみる(164ページ)

 彼女はきまり悪そうに、少し汚しちゃって……と言った(233ページ)

 全体に例文が面白い。度が過ぎてしまったのが上記のようなエロ系の例文である。女性へのワンパターンな視線を感じてしまうのだが、私が感じすぎか。あふーん。

 含蓄のある例文はある。こういうのを増やしてほしかった。

 葬式にて坊主がコジンを「いい人」に仕立て上げる(10ページ)

 成績がいいだけでイリョウの道に進むとか意味不明(26ページ)

 スウコウな理念とか、うさんくせ(113ページ)

 筆者は藤田修一師の跡を継いだ霜栄先生である。これほど注目を集めたのだから、次作に期待したい。


 

 

駿台のエロい漢字問題集その1

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 駿台予備学校の現代文講師が書いた漢字問題集がエロいと話題になっているので、出張先の広島の本屋に慌てて買いに走った。ブログのネタにするためである(阿呆やなぁ)。

 問題になっているのは『生きるセンター漢字・小説語句』なのに、慌てていたため『生きる漢字・語彙力』を廣文館金座街店で買ってしまった。クヤシイのでパラパラと見てみたところ、こっちもほんの少しだけある。

 例えば――。

 彼にシバられて自分が見えなくなってもよかったのよ(5ページ)

 誰もがセイギョできない欲望を持つんだ(6ページ)

 彼の体のことはジュクチしているから(69ページ)

 僕はその時、彼女にチジョクを与えたいとさえ思った(72ページ)

 講師の趣味なのだろう、例文は斜に構えたものがあり、面白い。私が大笑いしたのはこれ。

 ゲンメツだなんて、期待するほうが悪いのよ(68ページ)

 その昔、高校1年のイタイケなワタシは交際相手のりんごちゃんに「ゲンメツした」と言われてフラれたのであった。あの時「期待したお前が悪い」と反撃したとしても、「私の期待に応えられなかったあなたの限界ね」と一撃を食らっただろうなぁ。とほほ。

野坂昭如さん逝く

 大学時代に野坂昭如さんの小説やエッセイを片っ端から読んだ。当時出版されていた文庫本はほぼ全部読んだ。独特のリズムと句読点、物語の素っ頓狂さ、行間から立ちのぼるすすけたような“におい”にはまった。特に影響を受けたのは独特の句読点で、自分の文章から排除するために相当意識しなければならなかった。

 野坂さんが『鬼門タイムズ』を発行すると新聞記事で読んでリクエストしたら、送ってくれた。封筒の裏に「野坂昭如」と署名してあった。署名入りのあの封筒、どこにやってしまったか。

 権力に対する根本的な懐疑は藤本義一さんと似ているように思う。妹さんを亡くしたあの戦争経験が影のように野坂さんの自意識に終始まとわりついているように見えた。ハチャメチャな行動から照れのような恥じらいのような感情が垣間見えた。

 いまアマゾンで検索してみたら、けっこう多くの著作が今も出版されている。全集としてまとまれば買うかも。

 11日付『毎日新聞』朝刊「余録」の内容がとてもいいのでここに再録。

 「せめて『火垂(ほた)るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持ちが強く、小説中の清太(せいた)に、その思いを託したのだ」▲「火垂るの墓」で直木賞を受賞した野坂昭如(のさか・あきゆき)さんは書いている。小説の妹は4歳だが、野坂さんの妹は1歳半で栄養失調死している。当時14歳の野坂さんは自らの飢えのあまり妹の食いぶちまで手を出し、泣きやまない妹を殴ったこともあったと悔恨を明かしてきた▲「生き長らえる自分の、うしろめたい気持ちに、責めたてられ、あざ笑われ、ののしられつつ、ぼくはぼく自身の小さな文字を書く……五十歩百歩の、その逃げすぎた五十歩の距離、五十歩のうしろめたさが、ぼくを焼跡闇市(やけあとやみいち)にしばりつけている」(アドリブ自叙伝)▲人の暮らしも心も焼き払った戦災、生々しい欲望がタテマエを破って交錯した闇市……それらがすっかり忘れられ、経済成長が新たなタテマエを築き上げた時代に名乗りをあげた「焼跡闇市派」であった。その自己主張は強烈で、タテマエの境界は次々に超えられた▲歌手クロード・野坂、CMソングに早口のテレビ評論、わいせつ文書裁判、参院議員と衆院選落選……八面六臂(はちめんろっぴ)を並べれば、まるで時代のおもちゃ箱をひっくり返したようである。だが、その当時を自分の弱さをごまかす「ボロ隠しに汲々(きゅうきゅう)としていた」とも回想した▲この春まで続けた小紙連載でも妹について「何十年経(た)っても、いたたまれない気持ち」と記した野坂さんだ。連載の最後に「戦後が圧殺されようとしている」の直言を残した焼け跡闇市派だった。

大学生協の本屋で気づいたこと

 私の大学時代、授業にはほとんど出なかったが、大学生協の本屋にはほとんど毎日顔を出した。その生協の本屋にずいぶん久しぶりに行って1時間ほどブラブラ。その結果気づいたことがある。

 30年前は本多勝一さんの文庫本シリーズが平積みされていた。それが今は『日本語の作文技術』だけ。これは名著なので生き残るだろう。

 私がよく回遊する東京駅前の丸善で見つけられなかった興味深い雑誌や本が目についた。前者は広すぎるので1冊1冊じっくり見ることがえきず、見落としが多くなるのだろう。後者は狭いので、1冊1冊に存在感がある。

 買いたいと思っていた本(向田邦子さんのムック本)が20パーセント引きで売られている!

 各学部の教科書や指定書籍の棚がけっこう面白い(教授らが書いたクソ本が高値で売られていたりもするのだが)。特に国際教養学部の指定書籍は買いたくなる本が何冊もあった。思えば大学時代にこの学部コーナーには近寄らなかった。大学で学ぶことなどないと不遜にも思っていたもんね。それが30年の歳月を経て、「面白い本がいっぱいあるなぁ。大学ってこんな面白いことを勉強する場だったのか」と気づいた。

 私の頭は52歳にしてようやく大学生レベルに“成長”したということか。

 大学生協の本屋はその大学の個性が出る。ほかの大学生協の本屋の品揃えが気になってきた。
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