同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

ニシノ書店

写真集『露口茂in太陽にほえろ!』とりんごちゃん

IMG_3045


 復刊ドットコムのメールを見て慌てて買った。写真集『露口茂in太陽にほえろ!』が復刊されたのである。山さんといえば私の高校1年のころを思い出す。何度か書いた話なので今回決定版を書いておく。

 当時りんごちゃんと付き合っていた。河合奈保子のようなかわいい女の子だった。彼女は私の右斜め後ろの席だった。授業中に私を見ないわけがない。そこである日私は山さんを演じてみた。

『太陽にほえろ!』を熱愛していた私にとって山さんの真似事など朝飯前だった。例えば、口を少しすぼめて息を吐く。息を吸いながら口を少しだけへの字に曲げる。右手の人差し指を顔の近くに立てる。右手の人差し指と中指をそろえて先端を口元にやる。少し体を傾けてみる。右手の人差し指を立てて湯飲みを持つ……。これで山さんになることができる。

 大事なのは口元の演技である。露口茂は何かのインタビューで「目ではなく口元で演技をする」と語っていた記憶があった。それらを総動員してみせたのである。

 その日の交換日記か何かにりんごちゃんは書いてきた。「西野君シブいよー!」と。

 そう。山さんは渋いのである。

 しかし私は山さんではない。高校1年のケツの青いガキに渋みがあってなるものか。以来私は山さんを禁じ手にしてきた。こういう手で女性のこころを震わせなくても、私本来の魅力でイチコロにするのが筋ではないか。

 りんごちゃんとの交際は1カ月で終わった。彼女が別の男に走ったのである(涙)。私本来の魅力でイチコロ計画は泡と消えた。あわわ。

 私が山さんになり続けていたら、と想像するのは空しい。セイシュンの思い出が重なる写真集『露口茂in太陽にほえろ!』である。山さんの演技を復活させてみるかな。

めちゃくちゃ面白い『冒険の森へ 傑作小説大全 1 漂白と流浪』(集英社)


 う。おもろい。どの小説もめちゃくちゃおもろい。こんなおもろい小説があったとは。こんなおもろい小説を読んでいなかったとは。人生終盤なのに。何たる迂闊よ。

 収録された小説で私が読んでいたのは「山月記」だけ。江戸川乱歩はポプラ社の全46巻だか47巻だかを小学3年のときに読んだけれど、「白髪鬼」は記憶にない。


【長編】
江戸川乱歩「白髪鬼」
井上靖「敦煌」

【短編】
吉川英治「鬼」
司馬遼太郎「奇妙な剣客」
火野葦平「手」
井伏鱒二「ジョン万次郎漂流記」
野上弥生子「海神丸」
押川春浪「月世界競争探検」
香山滋「緑の蜘蛛」
海野十三「軍用鮫」
橘外男「マトモッソ渓谷」
小栗虫太郎「火礁海(アーラン・アーラン)」

【掌編】
夢野久作「瓶詰の地獄」
小川未明「眠い町」
森鷗外「寒山拾得」
中島敦「山月記」

 これまでの私は気に入った小説家の本やその時々の関心に応じて読んできた。これはこれでいいのだが、広がりを欠く。というわけで、目利きが編む全集を3シリーズ取りかかることにした。そのうちの1シリーズがこれである。このシリーズだけを読むわけにはいかないので、全20巻だから3〜4年はかかりそうだな。


 

ボケを抱えてきた私が読む『恍惚の人』

 50代半ばにもなると棺桶が目の隅に見えるようになり、痴呆だの寝たきりだのうんこ垂れ流しだのの話が他人事ではなくなる。志村けんがコントで老人に扮して「年は取りたくねぇもんだなぁ〜」とやっていたそのせりふを笑えなくなる。

 そういう年齢になって読んだ『恍惚の人』(有吉佐和子・新潮文庫)は格別だった。ボケてゆく親の介護の話である。直接間接に見聞きしてきたが、足腰が頑健でボケると手ごわい。

 実を言うと私はもうボケが始まっている。いや幼少期からボケが続いてきた。色ボケ。

大江健三郎『新しい文学のために』(岩波新書)


 何と言っても大江健三郎さんだかんね。大江さんの小説は難解と言われてきたし、本多勝一さんが大江さんを批判していたし、ということで距離を置いていたのだが、もういいだろう。おずおずと近寄っている。

 その1冊がこれ。カバーの折り返しを見て気づいた。大江さんの『ヒロシマ・ノート』と『沖縄ノート』は大学時代に読んでいた。というわけで、再入門である。

 こういう本を読むと、大学入試の現代文でビジネス文書を読ませる“入試改革”の浅薄さにため息が出る。ビジネス文書などの表面的な文章はそのまま読めば分かるわけで、それが分からないとしたら幼児期から文章を読んできた経験が少ないからだろう。

 ビジネス文書などを読んでも面白くも何ともないし、幼児期に読むものではない。読解力をつけるための導入としては小説に勝るものはないのである。

 子供の受験に有利ですよと言うと目を剥いて取り入れる人が多いので敢えてそういう言い方をする。大学受験に強い子供を育てるなら幼児期から小説を。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

 村上春樹さんもランナーなのだった。それだけで親近感を抱く。神奈川県の二宮町か大磯町に住んでいるようだから、私が住む平塚市のご近所である。

 ランニングやマラソンのことと創作の話が出てくる。肉体行為と頭脳行為の違いはあるけれど、似た面があるのだ。

 私が共感したのはここ。

《職業的にものを書く人間の多くがおそらくそうであるように、僕は書きながらものを考える。考えたことを文章にするのではなく、文章を作りながらものを考える。書くという作業を通して思考を形成していく。書き直すことによって、思索を深めていく》(180ページ)

 パソコンで文章を書き、コーヒーを飲み、パソコンに書いた文章を加筆修正し、トイレに行き、また加筆修正し、部屋の中をぐるぐる歩いて、またまた加筆修正する。この繰り返しで、ほんの少しだけど、いい文章ができる。

 どうでもいい文章は何も考えずに一気に書くけれど、スカスカ(笑い)。頭がスカスカの私にはこっちが向いているなぁ。


 

  
 
 

次は漱石

IMG_2960

 車谷長吉さんの全集を読み終え、再読しつつ、次は夏目漱石だろうということで、岩波文庫の漱石作品集(全27冊)を大人買いした。

 小学生のころ子供向けの漱石小説を何冊か読んだし、高校時代だか大学時代だかにも読んだけれど、人生経験のない若莫迦者の私が漱石を理解できたわけがない。ということで、恐らく人生最後に漱石を読む機会である。

 さっそく読み始めた『吾輩は猫である』、最初の数十ページですでに圧倒された。こりゃすごいわいなと私が言うまでもないのだが。大人かららこそ見えてくるものがあるとあらためて思う。

 全巻読み終えることができるのか、寿命との競争であるかもなぁ。 


 

大江健三郎『私という小説家の作り方』


 ノーベル文学賞受賞の大江健三郎さんの頭の中を垣間見ることができるのが『私という小説家の作り方』(新潮文庫)である。岩波書店と朝日新聞社とどこかにしか書かないと聞いたことがあるので鼻白んで来たけれど、読んでみた。これが面白いというか勇気づけられたというか私の読み方に太鼓判を与えてもらったというか。

《読書には時期がある。本とジャストミートするためには、時を待たねばならないことばしばしばある》(74ページ)には救われた。中学時代に「人生経験のない私が文豪の小説を読んで理解できるわけがない」と思って小説から離れたのは妥当な判断だったのである。

 私は文学部に行きたかったが落ちた(笑い)。しかし20前後で文学部に行っていても、相変わらず阿呆だった私が得るものは少なかっただろう。

《ある詩人、作家、思想家を相手に、三年ほどずつ読むということをすれば、その時どきの関心による読書とは別に、生涯続けられるし、すくなくとも生きてゆく上で退屈しないでしょう!》(103ページ)

 これが私をして岩波文庫の夏目漱石全集(20巻)を買わしめる最後の応援になった。車谷長吉全集を並行して読み返しながら漱石全集に突入した。

 とはいえ、書き手は大江健三郎さんである。全く意味が分からない文章が出てくる。私の知識がないので文章についていくことができないのである。ウイリアム・ブレイクもE・P・トムソンも聞いたことがない私は随所でそこを飛び越えざるを得なかった。






『コルシア書店の仲間たち』を贈られて


 評判のいいこの本がずっと気になっていたが、買わなかった。目の前の本を読むので精一杯だったからである。ところが、運命の出逢いというのはあるもので、『コルシア書店の仲間たち』(文春文庫)を贈られた。

 小説だと思っていたが、実際はノンフクションのエッセイである。ある時代に、ある場所に、ある理想を抱いた人たちが集まり散じた。須賀さんはそういう人たちの生きた証を一人ひとり両手ですくいあげ、刻みたかったのではないか。

 読みながら私は『週刊金曜日』時代を重ね、あとがきの最終段落が途方もなく染みた。

 行き来し、飯を食い、話をして、お互いに相手に深く踏み込む。そういう人間関係に恵まれれば、さらに望むものなどあるだろうか。

全集を読む前に読んだ『池澤夏樹、文学全集を編む』



 池澤夏樹さんが目配りした文学全集なら読んでみたい。というわけで、その前に予告編のような本書『池澤夏樹、文学全集を編む』(河出書房新社)を読んだ。

 世界文学全集は第2次世界大戦以降の文学を集め、そのコンセプトが「移民・移動」「フェミニズム」「ポストコロニアリズム」だそうで、目からうろこの感がある。日本文学全集は古事記から始まり、希代の小説家が現代語に意を尽くして訳したそうで、その理由を読んで腑に落ちた。

 石牟礼道子さんとの対談が収録されていて、石牟礼さんが間違って共産党に入って除名された経緯を語ったところが格別面白い。特に「阿呆ばっかりだなって、わたくしもさすがに思いました」は石牟礼さんのあの声と表情がリアルに想像できて笑えた。

 世界文学全集30巻に日本文学全集30巻の計60巻。今から読み始めないと、生きているうちに読み終えることができなさそう(汗)。


 

『富士山噴火と南海トラフ』が示したのは


 2030年プラスマイナス5年。もうすぐである。カウントダウンはすでに始まっている。東海から近畿、四国で海溝型地震が、それもマグニチュード9クラスが発生する可能性が極めて高い。被害は3・11の比ではない。

 これが京大大学院の鎌田浩毅さんの新著『富士山噴火と南海トラフ』の結論である。早ければ2025年に南海トラフ巨大地震が起きるわけで、該当地域に住んでいる人は引っ越すか、せめて海岸や河川から離れて住むことを行動に移すべきである。

 私は日本各地にあるカルデラ噴火跡が気になっている。再びカルデラ噴火を起こしたらそれこそ一巻の終わり。皆さんお元気で。

防犯カメラと『一九八四年』

IMG_2886

 防犯カメラが街に増えはじめたころ、『一九八四年』を引き合いに警戒感を示す声があった。『オーマイニュース』でデスクをしていたとき私に回ってきた市民記者の原稿もその類で、東京・神田の商店街に防犯カメラが設置されたことへの警戒感を書いていた。その市民記者に電話をかけて、原稿の不備を伝えた。根拠のない一方的な思い込みではないかなどと話したような記憶がある。

 防犯カメラが人権を侵害するとか個人情報を国家が集めているだとかの反応には少し首をかしげてきた。仮に国家が個人情報を集めているとして、だから何? その先の国家の悪意が私には見えなかった。

 撮られても私は全く気にならない。国仲涼子ちゃんや川口春奈ちゃんとヒミツのデートをしていたとしても「別にぃ〜」である。私が無神経なのかもしれない。しかし過剰反応もなぁ。

 防犯カメラへの警戒心を持つのは『一九八四年』の影響が大きいのではないか。そう思っていたので、ようやく先日読み終んだ。今読んで思うのは、『一九八四年』の舞台は今の中国や北朝鮮に近いということだ。日本や米国、西欧ではこの小説が設定した政治基盤と違いすぎる。

 防犯カメラは刃物や拳銃、車と似ている。それ自体が危険なのではい。誰が、どう使うか、なのである。

 その後防犯カメラが犯人逮捕に役に立ったという話ばかりが報じられている。実際そうなのだろう。防犯カメラへの不安や批判を聞かなくなった。

 やっぱり。ね。
 

五木寛之さん『七〇歳年下の君たちへ』


 灘高生との対話をまとめた本である。帯にこう謳う。<超難関校の少年たちへかつてなく深く、やわらかく伝えた人生のピンチからの脱出術>。

「難関」に「エリート」のルビが振られていて、私は首をかしげる。難関校がエリートなのかと疑問を抱かない編集者の凡庸に。ただペーパーテストができるだけの人間を何か全能のごとく「エリート」と喝采するのはもうやめよう。「まえがきにかえて」で五木さんが<エリート高の卒業生が、必ずしもエリートの道を歩むとは限らない。人生は不条理にみちている>と記しているとしても、だ。

 私が編集者なら灘高生ではなく荒れまくっている高校生に五木さんを立ち向かわせる企画を出す。教育から落ちこぼされた子供を五木さんの声がどこまで届くのか、どんな反応が返ってきて、五木さんがどう答えるか、そこを見たい。レールから外されてしまった子供はなかなか発言しないかもしれないが、いろいろな経験をしてきた五木さんならそのこころに分け入ることができるのではないか。ふてくされた顔で「あんた誰?」と突っかかる子供と対峙することで五木さんの中に今までと異なる何かが生まれるのではないか。

 二葉亭四迷の「ふさぎの虫」の話が私には興味深かった。私も1匹飼っているような気がする(嗤い)。

五木寛之さんの『大河の一滴』を今ごろ読んで


 小説家が書く人生相談には深いものがあると気づいている人は読んでいる。と私は気づいた。小説家に限らず、苦労した年長者の話には頷くことさえ忘れてしまう含蓄があるので、私は好んで聞く癖がある。

 ミリオンセラー本なので距離を置いてきたが、今読むからこそ分かるんだろうなぁ。五木寛之さんの『大河の一滴』(幻冬舎文庫)である。

・・・・・・・・・・
 外地での敗戦と引き揚げという大きな体験のなかで、私はいちじるしく自分の人間性を歪めてきたと思わないではいられない。多くの心やさしい人たちの犠牲のうえに、強引に生きのびて母国へ帰ってきたいかさま野郎がこの自分なのである。いま、そのことをまるで忘れてしまったかのように大きな顔をして生きていることを、ふとした瞬間につくづくおぞましく感じることがある。
・・・・・・・・・・

 自分をいかさま野郎と唾棄する魂に私は身震いする。こういう人の言うことは信じることができる。

 五木さんの本は『青春の門』以来ご無沙汰だったので、久しぶりに何冊か読んでみようっと。

瀬戸内寂聴さん『場所』


 寂聴さんのお父さんが奉公に行ったのは徳島市の常三島の指物屋。常三島って実家の目の前やないか。おお。という軽い驚きとともに寂聴さんの「場所」をより身近に感じる徳島市生まれでよかったなぁとしみじみ。今はなき小山助学館という本屋の名前も出てきて、ああ懐かしい。

 寂聴さんの母親は徳島大空襲で亡くなっている。この日このとき焼夷弾の雨の下で私の母(6歳くらい)はその母親らと一緒に助任界隈を逃げ惑った。「この中は安全でよ」と井戸に誘ってくれた近所の人はそこで焼け死んだ。吉野川の北側に住んでいた父(10歳くらい)は屋根に登って「徳島がよう燃えよる」と高みの見物をしていた。

 という個人的な感傷はさておき、この作品はノンフィクションと私小説のハイブリッドと言うべきだろう。寂聴さんが暮らした街を実際に訪ね歩き、そこで起きた出来事と寂聴さんの記憶を重ねる。

 自分が暮らした「場所」を訪ねてみたくなるのはなぜなのだろう。

 私が40代半ばだったか、1970年前後に暮らした大阪市東住吉区西通りを訪ねてみたことがある。しかし1976年ごろ暮らした岸和田市藤井町には未だに再訪していない。「場所」に潜む記憶が好奇心を左右するのかもしれない。 
 

瀬戸内寂聴さん『死せる湖』


 同じ主題をさまざまな角度から書き続け、自分に劫罰を与えてきた瀬戸内寂聴さんである。本書は『花芯』や『夏の終り』とは別の角度から主題に迫った。場面設定の違いの1つとして私が注目したのは、主人公の「夫」に睡眠薬自殺未遂をさせたところである。

 その理由が最初はよく分からなかったが、あるとき「ああ、そういうことか」と気づいた。私の頭の中に転がっているものと重なったので目の覚める思いがした。「夫」の自殺未遂は主人公にとって劫罰であり、つまり瀬戸内寂聴さんは主人公を責め立てたのである。

 にこにこ顔をしている印象の寂聴さんだが、人は見た目では分からない。


 

 

『天人 深代惇郎と新聞の時代』から2冊の『天声人語』

IMG_2428


 後藤正治さんの『天人 深代惇郎と新聞の時代』(講談社文庫)は深代惇郎さんの人となりを追いかけた労作だ。そもそも深代さんと机を並べた人が鬼籍に入っていく状況である。取材は難航し、まとめるのも苦労した様子が窺える。副題にあるように、深代時代の朝日新聞社の空気を伝えた本でもある。

 本田靖春、森恭三、酒井寛、疋田桂一郎、三浦甲子二、富森叡児、松山幸雄、轡田隆史、辰濃和男、田代喜久雄、柴田俊治、石井英夫、柴田鉄治、扇谷正造、斎藤信也、本多勝一、小林一喜、富岡隆夫、浅井泰範、門田勲……。こういう懐かしい名前が次々に出てくる。大学時代を中心に『朝日新聞』や朝日文庫などでこうした記者の記事や本をたくさん読んでいた私は「おおー」と感嘆するわけだ(簡単な男であるな)。

 本書は深代さんの私生活を垣間見せたことで絶賛伝記になるのを避けた。配偶者と長年別居していたことや再婚相手が18歳年下だったこと、その再婚生活が深代さんの死去で1年で終わったことを知り、深代さんが抱えた昏さが何となく想像できるのは私も婚姻を破綻させた経験者だからかもしれない。

 急性骨髄性白血病で早逝することがなければ深代さんの天声人語は10年20年と続いたのではないか。本書を読んでいるうちに、深代さんの天声人語を無性に読みたくなった。飢餓状態がずーーーっと続いているせいだろう、良質の思考を味わいたい干からびた脳みそに栄養を吸収したい脳にへばりつく糞どもをもうこれ以上見たくないという欲望がむらむらとわいてきた。ところがだ。朝日文庫で一連の深代本は全て買って読んだけれど、手元に1冊も残っていない。

 アマゾンで調べたところ、2015年に復刊している。というわけで、疋田さんのやつと合わせて『天声人語』を買った。

 深代惇郎の名前が分かる人と話をしたい。

高橋源一郎『間違いだらけの文章教室』(朝日文庫)


「こんなの書けない!」という章で高橋源一郎さんが紹介したのは、子供と餓死した母親が書き残した文章だ。

 追い詰められてゆく様子を誰に伝えるでもなく綴られた文章を高橋さんはこう解説した。<追い詰められ、気が狂いそうになって、正気でいつづけるために、ノートを、文字で埋めていただけなのかもしれない。その苦しみは、文章に書いて存在させなければ、自分を喰い殺してしまう、と母親は思ったのかもしれない。あまりの苦しみに、意識を失いそうになりながら、母親は、文字通り、一字ずつ、紙の上に刻んでいった>

 書くという行為はそもそもこういうものだったのではないか。今やフェイスブックやブログなどで駄文が巻き散らかされているので文章を書く意味や行為の根っこにある精神が見えにくくなっているけれど。

 もう1つ読み応えのある章がある。子供から「おとうさん、自殺をしてもいいの?」と聞かれたときの鶴見俊輔さんの対応についての解説だ。<人が「深淵」の前に立たざるをえない瞬間には、自分もまた、「深淵」の前に立つしか答えを見つけることができない>に私が「おおお」と叫びそうになったのは、元舞台俳優とのメールのやり取りで同じ「深淵」をのぞき込んでいたからだろう。

 いや、いい本に出会った。



 

瀬戸内寂聴さん『夏の終り』の美


 勧めてくれる人がいて読んだ瀬戸内寂聴さん『夏の終り』(新潮文庫)。

 寂聴さんが自分にへばりついた罪に向き合うてのたうち回っている様子が垣間見えた。凄まじい。書いても書いても収まらない。寂聴さんのこころの中で修羅が暴れ続ける。岩に爪立てて爪剥いで、首絞めて顔真っ赤にして反吐履いて、岩の上をごろんごろん転がってあちらこちらから血が噴き出ている。血を拭おうとしたところからまた噴き出している。

 私がひれ伏す車谷長吉さんと寂聴さんの似ているところとして「乱調」を挙げたのは両方を読んでいる舞台俳優だった。ああ、確かに。そこに美がある。


 

瀬戸内寂聴さん『花芯』の核心


 私は顔がのび太なので癒やし系と勝手に油断してくれるのでシメシメとほくそ笑むのだが、瀬戸内寂聴さんはもっとひどい。ただでさえ御利益がありそうな坊主姿にあの柔和な顔。しかしだまされてはいけない。

『花芯』は寂聴さんの私小説に近い。

 私は車谷長吉さんにひれ伏しているが、車谷さんが近づけないくらいの冷徹さというか、感情が凍り付くようなものを持っているのが寂聴さんだ。あの柔和な顔からは想像できない孤立(独り立つ)の精神とでもいうべきか。すさまじい。

 寂聴さんの内側から皮膚を破って表面に出てきた厳冬があらゆるものを破壊しながら突き進む。それに触れたらこっちまで凍り付く。

 ほれぼれした場面の1つがこれ。

・・・・・・・・・・

「ね、かわいいでしょ」
「いいえ」

・・・・・・・・・・

 しびれた。

 予定調和や気づかい、和、場、忖度、付和雷同、長いものには巻かれろ、しがらみなどなど世の中に蔓延している空気と闘ってきた人なのだった。さらに言えば寂聴さんの文章は美しい。何度も舐めて舐めて舐め尽くしたくなる美しさがある。

 その昔『毎日新聞』夕刊用に電話で寂聴さんの取材をしたことがある。寂聴さんの大ファンに話したらたいそう羨ましがられたが、あの当時に読んでいれば質問が深くなっていたはずで(仮定法過去完了)、質問に阿呆ぶりが出てしまうのであったな。

 徳島市にある寂聴さんの記念館は実家から歩いて10分くらいの近さ。今度帰省したら行かなければ。

今さらながらの太宰治『人間失格』(新潮文庫)だが

 国語の教科書で『走れメロス』を読んで感動したのは中学2年のころだった。以来太宰治に縁がない。林忠彦さんが1946年11月25日に東京銀座のバー・ルパンで撮った写真は有名だが、右端の後ろ姿の人が坂口安吾だと『波』2018年9月号で知った。

 という具合に、55歳になって読むとさすがに太宰治にかぶれることはなさそうだが、小説より実像に興味が湧いてしまう。新潮文庫の『人間失格』は奥野健男の解説が太宰の人物を端的に整理していて読ませる。ここを読んでから小説を読むと理解が深まるのは、作者と作品を完全に切り離すのは難しいということだろう。小説に作者が投影される、そういう読まれ方がある。

 なお『人間失格』を単体で文庫本にしているのは新潮文庫で、ほかの出版社は太宰のほかの小説と抱き合わせ。抱き合わせはいかんな。

 妻の過ちに魂を打ち砕かれた太宰の姿はシェイクスピア『オセロー』に重なる。古今東西、純粋な男の真理なのかもしれない。

『透明人間』は哀しい物語だった

 透明人間になることができたらなぁと思ったことがある一人である。だいたいそういう場合は透明人間になって女湯をのぞいてみたいとか好きな女の子の部屋にしのびこんでみたいとか、ろくなことを考えていないというか人間らしいことを目論んでいたというか。

 このような阿呆なことを想像しながら当時抱いたのは「着ている服は透明になるのか」や「くしゃみをしたら聞こえるのか」、「血が出たら見えるのか」などのギモンである。『透明人間』を読むと解決する。よく練られた小説だ。

 さて。途中休むことなく一気に読んだ。それくらい面白い。しかし話の展開は哀しい。その哀しさに秋葉原事件を起こした加藤智大死刑囚と重なるところがある。今だから読み込むことができるところはあるのだが、もっと早く読んでおくべきだった。

 本書を勧めてくれた日垣親分に謝意を記す。題名は知っている有名な本なのに未だに読んでいないものがまだまだある。どこまで読むことができるか。命との競争が始まった。

いま何をすべきか見える『未来の年表』2冊





 未来を見たい。多くの人が望み、占いに走ったりスピリチュアルにはまったりする。未来を見せてくれる本が『未来の年表』(河合雅司・講談社現代新書)で、だからよく売れている。

 日本の人口が減少しているのは周知の事実だが、これが日本の産業や自治、医療、生活などあらゆる面でボディーブローのように効いてくる。

 2027年、輸血用血液が不足。2039年、火葬場が不足。2040年、自治体の半数が消滅、という塩梅で具体的に示される。そのとき自分が何歳か書いてみると切実さが増す。

 筆者は「戦略的に縮む」という処方箋を示していて、説得力がある。本書を読むと国内のいろいろな動きの背景が分かる。国から地方までの政治家が本気で今すぐ取り組むべきなのに、「戦略的に縮む」は票にならないばかりか下手をすると落選してしまう内容だから、積極的に取り組んでいる人は私の目にはまだ見えない。

 あと30年生きる可能性がある世代や若い世代は必読である。1巻目の22〜23ページは分かりやすいので特に必見だが誤字がある。32刷まで印刷しているんだから直せよ講談社。


 

『狂』雑カン


 飾磨高校の恩師・立花先生に対する愛惜あふれる追悼小説である。

 東京帝大経済漠部を出て三菱商事に入社、陥れてきた上司を殴って退社して教師になった人だという。車谷長吉さんは熱を込めて意義を語る。

<この時、立花先生の生は狂うたのである。この狂うたというのが大事である><恐らくこの時はじめて、先生の中で「精神。」という「物の怪。」が息をしはじめた。精神というものは誰の中にもあるものではなく、一生それを持たずに終ってしまう人の方が多い。世の中にあるのは、うまく立ち廻るための「世間の常識。」だけである>

 立花先生は高校時代に週1回、朝の6時から8時まで「立花塾」を始め、プラトンやアウレリウス、モンテーニュ、デカルト、ヘーゲル、ニーチェ、孔子、老子などを講じ、車谷さんは最後まで受けた。

 学生運動の波に揺れる高校で立花先生は生徒側に立ち、敗れて退職した。45歳で用事専門の学習塾を開いた。

 ストリップ・ショウで老嬢が<両手で懸命に女陰を開いて見せるのを、舞台の袖で見ていて、「先生は「あの女の哀れさは、わしの哀れさや。」と洩らされたとか。特出しに驚喜する、枉枉しい俗衆たちの中での言葉である>。

 70歳で亡くなる前に車谷さんの『盬壺の匙』を手に涙を流して喜んだというから、恩返しが間に合ったのではないか。

 2000(平成12)年の『文學界』5月号に掲載。


 

『武蔵丸』雑カン


 2001(平成13年)に川端康成文学賞を受賞した短編である。

 武蔵丸はカブト虫。1999(平成11)年7月19日に舎人公園で見つけて自宅に連れて帰り、約4カ月生活を共にした。かいがいしく世話を焼く様子が従来の車谷さんの印象をはみ出している。

 毒を刻むことを忘れてはいない。車谷さんが一軒家を買うことになり、その一軒家の所有企業の男性について<鼻はある独特の扁平な形をしたものだった。これは親が梅毒に冒された経験のある場合、その子供に現れる特異な症状である>とやった。

 武蔵丸が車谷さんの指で性行為をする様子、足がなくなった武蔵丸の様子なども丹念に描く。わずか4カ月の命を生きた武蔵丸と70年80年90年生きる人間を織りまぜ、銭に目を血走る人間の欲も加え、武蔵丸の死を迎える。余韻が残る。

 武蔵丸を悼んで一気に書き上げたと車谷さんのエッセイか何かで読んだ。2000(平成12)年の『新潮』2月号に掲載。

『一番寒い場所』雑カン


 虚実皮膜の間というほかない小説である。実在の人物(東北大教授)や車谷長吉さんの近況(浦和の精神病院で精神安定剤などをもらって服用している)、事件(浅沼稲次郎襲撃事件)が出てくるので、実話だと錯覚して読み進んでしまう。私(わたくし)小説の仕掛けなのだろう。

「一番寒い場所」について車谷さんは<心にこれをやらなけれいけないと思い決しながら、ともすればそれが実行できない部分である。行動できない部分である>と書いている。人が見たくもない部分を「ほれ」と差し出してくる車谷小説の核心と言える。

 胸に手を当てると思い当たるものがある。そこは私の弱さと裏表になっているので、うっと悶絶してしまう。

 車谷さんは腰を低くしてこの目線で物語を紡ぐ。怖いもの見たさで読んでしまう私は最後に泥の中に顔を押しつけられて息絶える。

 1999(平成11)年の『新潮』7月号に発表。

『ジキルとハイド』

 有名な本でありながら、日垣親分の課題図書として私が初めて読んだのが55歳。しかし、よほど聡明でもない限り、この小説を小学生が読んで十分に理解できるとは思えない。

 人間が持つ多面性を絞ってこの小説は二面性にした。二重人格の怪奇小説という位置づけが一般的ではあるけれど、悪の面が人間を破滅に導くという意味では寓話だろう。科学の行き過ぎによる人間の悲劇という警鐘として読むこともできる。

 新潮文庫はこの『ジキルとハイド』を名作新訳コレクションというシリーズに位置づけて2015年に初版を出した。奥付を見ると初版以降年に1回以上印刷されている計算だ。いい読者がついているんだなぁ。

『次の震災について本当のことを話してみよう』


 大震災への備えをそこまでやるべきなのか。

・名古屋駅付近は地盤が軟らかいので長居しない
・脱線したら死亡率が高いので新幹線の座席は一番前や一番後ろの車両を選ばない
・東京駅周辺は軟弱な地盤なのでできるだけ品川駅で降りる
・閉じ込められたら怖いのでエレベーターは上りで使うだけで下りはできるだけ階段を使う

 こんな具体的な書き出しなので興味津々で読み進む。『次の震災について本当のことを話してみよう』(福和伸夫・時事通信社)である。筆者は地震工学や建築耐震工学、地域防災を専門とする名古屋大教授。

 水に関する漢字がついている地域に家を建てるなという話は工務店の社長にかつて聞いたことがあるけれど、「鴨」や「鶴」、「亀」、「袋」などがそこに含まれるとは知らなかったし、もっと広げると農耕地の「田」や「野」「稲」、低湿地の「久手」なども「軟弱地盤地名」だとは知らなかった。「良好地盤地名」も知らなかった。

 というわけで、住まいを決める場合や引っ越す際は55ページの「地名で分かる土地の災害危険度」を見て候補地の地名と照らし合わせるほうがいい。

 マンションの基礎杭だが、横の力には弱いので建物自身の耐震安全性が高まったとは言えないという話も「げげげ」である。

 著者がふだん持ち歩いているかばんの中身も参考になる。非常食としてようかんを持ち歩いているとは。重いのに。そこまでやる必要があるのか。

 専門家の目線や一挙手一投足を記しているので、深刻さが伝わってくるし、自分の準備不足もよく分かる。

米原万里さんが遺した『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』

 この本を読んでいる最中にプラハの春50年を偶然迎えた。こんなにも切ないノンフィクションを書いた米原さんがもうこの世にいないんだなぁ。50年を報じる新聞を持ったまま「うーん」とか何とかうなって天井を見上げてしまった。

 私がチェコスロバキアを初めて知ったのは恐らく大阪万博だ。つまり1970(昭和45)年。当時大阪市に住んでいた。父に連れられて何度か出かけた。各国のパビリオンというのか、そこに入ってはスタッフとおぼしき外国人を見つけては手帳とサインペンを差し出して「サインプリーズ」とやっていた。その中にチェコスロバキア館があったはずだ。あとにもさきにも私の人生でチェコスロバキアが出てくるのは大阪万博しかない。

 本書を勧めてくれたのはちょっとおっちょこちょいの美女である。読書家で美女、才気煥発という3拍子そろった女性が私の「恋人」枠ではなく「友人」枠にいるのはありがたい(涙)。

 斎藤美奈子さんが解説に書いているように本書は米原さんの代表作である。歴史が動き、国が揺れ、人が影響を受ける。生きることのすごみともで言おうか。米原さんの姉御肌も熱も伝わってきて、それだけに読後の切なさが染み入る。

『盬壺の匙』雑カン


 自殺した叔父を描いた私小説である。母親ら親族から「書くな」と言われていたのに書いた私小説である。叔父は実名で登場している。こうなるとまさしく虚実皮膜の間を行く。

 小説の中で叔父は和辻哲郎の『ニイチェ研究』の余白に青インキで「俺は自分を軽蔑できない人々の中に隠れて生きている」と記した。ここに魂を打ち砕かれた叔父の危機が示されており、共感できる人は今の時代にも少なくないのではないか。

 1992(平成4)年の『新潮』3月号に発表。85年12月に書き上げていたが、それは編集者に完膚なきまでに叩かれ、全面的に書き換えたようだ。当初、高橋順子の「書肆とい」から私家版として出す計画だった。車谷さんの恋ゆえの計画だったのは間違いない。

 この小説は三島由紀夫賞と芸術選奨文部大臣新人賞を受賞する。後者に対して高橋順子さんから「お上からとは、ちょっと驚きました」などと祝福するはがきが届く。高橋順子さんを想っていた車谷さんがヘラヘラ喜ぶ返事をしており、ほほ笑ましい。翌93年10月、ふたりは結婚する。

 松岡正剛さんのサイト「千夜一冊」で取り上げたのはこの『盬壺の匙』であり、直木賞を受賞した『赤目四十八瀧心中未遂』ではない。

 新潮文庫で解説を書いた吉本隆明さんは<まるで嘉村磯多の再来のようだ>と見抜いた。車谷さんにとって最高の褒め言葉だろう。<性悪なじぶんの振舞いや判断をかくさずに記憶から掘りだして記述してみせる。決して清澄な心境の表白などにゆきつかないようにやってみせると車谷長吉の作品は主張している>は、自分をリッパに見せたがる虚構癖者の虚飾を剥ぎ取る。

『ある平凡』雑カンその2



「どたわけッ」

「あななおなごのどこがええんやッ。気色の悪い東京弁や喋りくさって」

「お父ちゃんの阿呆ッ」

「ド畜生め!」

「親父はくすぼりですよ」

「借金残して亭主に死なれた女はカスみたいなもんや」

「蛇なら僕の家にも主が鴨居からぶら下がっているよ」

 車谷長吉さんの『ある平凡』から登場人物のせりふの一部を書き抜いてみた。普通ではない人たちがくっきり浮かび上がる。泥をすすって生きる人たちの蠢きや不気味さに引き込まれたら、車谷長吉ファンである。

『ある平凡』雑カン



<黒猫は頭がザクロのように割れて即死、肉の中から折れた骨が突き出ていた。あお向けに、歯を剥き出しにした三毛猫の方は、まだ生きていた。頭は同じように割れているのだが、尾はまだ動いている>

<「あなたはおズボンの前のジッパーを外して生きているような方なのね」>

 暗い挿話に、車谷長吉を想像させる主人公である。車谷さんの小説にいったい明るい挿話などあっただろうか。不吉な、呪わしい、気色悪い、そんな挿話しかないと断言できる。そこが車谷長吉さんの世界“感”なのである。容赦ない世界なのである。

 1987年の『文學界』5月号に『雨過ぎ』と題して発表。37歳。

 翌年、坂本忠雄『新潮』編集長の紹介で西武流通グループ広報室に嘱託として勤める。坂本忠雄さんは坂本龍一さんの父である。

「萬蔵の場合」雑カン


<「あたしがのぞんでいることは、あなたが突然死んでくれることなの」>

<「ねえ、萬蔵さん、あなたサラリーマンなんかやってて、自分が恐くないの」>

<「世の中いうたらそんなもんやで」
 という、聞いた風な科白を、私は思い浮かべた。が、あとでもこの「もん」は空恐ろしいと思った。私はこの「もん」を内側から喰い破ることばかりを考えて来た>

 1981年、『新潮』8月号に載る。車谷さん36歳。芥川賞候補になったが、該当作なしで終わる。受賞あいさつを用意していた。82年1月25日付『毎日新聞』姫路版の人物欄に紹介される。

 のちに再び芥川賞候補になって落ちるが、それでよかった。2度の落選が『赤目四十八瀧心中未遂』を生んだのだから。

村西とおる『禁断の説得術 応酬話法』

 村西監督の本である。高く評価することもできるし、批判することもできる。どっちにしようかな。

 まず批判的な視点で。

 私の周囲に「応酬話法」が得意(と本人は全く気付いていない)な女性がいる。銀座のママさんから「あなた向いてる。まず受付からやらない?」と誘われた実績の持ち主だ。彼女の反応の柔軟さを見て私は「要するに脊髄反射だな」と気づいた。

 私が知る限りだが、知性と教養あふれる人に「脊髄反射」はいない。私の言葉を受け止めて、こっちの脳みその程度を測って、どんな言葉を使ってどう表現すればこちらに正確に伝わるかを考えている。そんな人に応酬話法を使ってもあっさり見破られる。お里が知れるのは大変恥ずかしいことであるな。

 応酬話法など使わずに済む仕事と生活を送るほうが心身にいいだろう。

 次は好意的な視点で。

 本書を読めば応酬話法を身につけることができると思ったら大間違いだ。運動神経と同じように持って生まれた能力だから、後学で伸ばすことができるとは思えない。従って、持って生まれた人は幸せ者である。

 本書が提示するのは応酬話法の仕方ではない。もっと大きな、例えば危機の切り抜け方であり、生き方の基本と言っていいだろう。

 人を説得したい場面は意外に多い。例えば親に「あれ買ってー」とねだる。好きな人に「つき合って」と口説く。就職活動で面接官に自分を採用してもらえるよう対応する。仕事で企画を出す。その前に本書を読んでおくと、ずいぶん好転するのではないか。

 そういえばオウムの「ああ言えば上裕」も瞬間的な反射ができる人だった。彼に応酬話法の本を書かせることができる編集者はいないものか。

「白桃」雑カン


<婆さまは鳥のような目をしている。暁夫はその話を、一緒に蛇をなぶり殺しにした遼一に話した>

 車谷さんの小説に登場する人物の目はたいてい不気味である。蛇もよく出てくる。

 最初から最後まですくいがない小説だ。「白桃」という題名にだまされてはいけない。「白桃」にも人間の悪意が描かれているからだ。

 1976年の『新潮』5月号に「魔道」と題して発表。車谷さん31歳。

 このあと転々と漂流しながら旅館の下足番や料理場の下働きをする。次の小説「萬藏の場合」を発表するまで5年余の歳月が流れる。

『科学革命の構造』とパラダイム

 パラダイムシフトという言葉をたまに聞く。その原点が本書の筆者トーマス・クーンで、定義を知らずに使ったら失笑を買う。こんな本が、と無知な私は驚くのである。1971年の第1刷から始まって今年2月に41刷を迎えていたことに。

『銃・病原菌・鉄』の科学史版とでも言うべきか。私は常々「タコを最初に食った人類はエラい」とか「毒キノコと知らずに食べて命を落とした人類の犠牲の積み重ねがこんにちのキノコの分類に役立っているはずだ」とか思ってきたので、ほんの少しだが科学のあり方やその進歩を感じることができた、か。パラダイムの定義をあてはめてみると、近藤誠の「がんと戦うな」はまだその過程に位置することになる、ような。

 訳者あとがきが味わい深い。著者クーンは訳者の旧師だったと明かす。最初の科学史専攻の学生だったであろう訳者に対して当時若い助教授だったクーンは風当たりが強く、訳者は徹底的に鍛えられたと述懐する。

・・・・・・・・・・
 彼の「近代科学発展ゼミ」で、二、三日徹夜して初めて発表したあとで、「非常に失望した」と講評された時は、足許の土地が崩れてゆくような思いがした。しかし(略)英語のノートが取れないで困っていたとき、講義用ノートを貸してくれたのも彼であった。
・・・・・・・・・・

 印象に残ったのはここである。

 クーンなんてカタカナを見たら子犬の鳴き声を想像してしまう私はわれながら阿呆と言うほかなく、この6月の課題図書を何とか読み終えたときオノレの阿呆ぶりに絶望して倒れそうになった。倒れんけど。

沖縄慰霊の日と『私の沖縄現代史』

 今日は沖縄慰霊の日である。本来は沖縄戦や1フィート運動にでも触れるべき日なのだろう。そこで1フィート運動つながりとして新崎盛暉先生の遺作(になるかな?)『私の沖縄現代史――米軍支配時代を沖縄で生きて』(岩波現代文庫)を書こう。東京生まれの新崎先生が米軍支配下の古里沖縄に関心を深めていく過程を縦糸に、沖縄や世界の動向を横糸に、紡いだ。

 沖縄戦研究の第一人者として大田昌秀先生がいて、日米安保と沖縄の最前線には世論をリードする新崎先生がいたのである。その新崎先生、若いころは新聞記者になろうかと思っていたそうだ。しかし沖縄には新崎先生が必要だった。新崎先生がいなければ反基地闘争は迷走した可能性が大きい。

 新聞記者の夢はご子息が叶えている。よほどうれしかったのだろう、2回目の移住をした2011(平成23)年ごろ沖縄大の学長室を訪ねた私に「息子が新聞記者なんだ」と破顔して教えてくれたことを思い出す。当時これといった肩書きを持っていなかった私に「沖縄大学地域研究所研究員の肩書き、使っていいよ」と言ってくださった。お言葉に甘えておくんだった。

 以前も書いたが、『週刊金曜日』で沖縄の特集を組むたびに新崎先生に巻頭論文をお願いした。精緻で力強い原稿を毎回いただいた。著者略歴に「東京生まれ」と私がいつも記していたのだが、あるとき新崎先生から「それ、外せない?」と笑いながら言われたことがあった。周囲は新崎先生を沖縄生まれだと思っているはずで、事情を聞かれるたびに説明するのが面倒だったのだろう。

 私のおじの都庁勤務時代、同僚だった新崎先生とお付き合いがあり、本書に登場している。巻末の人名索引にはカストロと加藤一郎、加藤周一に挟まれて名前が載っている。

 沖縄に静かに流れる通奏低音たる沖縄戦の上に流れる基地問題は不快音が大きくなる一方だ。沖縄世論を引っ張る強力なリーダーシップと明快緻密な理論を積み重ねた新崎先生にはもっともっと活躍していただきたかった。


  

『資本論』入門に『高校生からわかる「資本論」』

 マルクス『資本論』の難しさは文章の屈折ぶりと単語の抽象性にある。「要するにこれを具体的に言えばどういうこっちゃ」といちいち何か思い当たるものに置き換えて読み進めなければ合点がいかないので、手間がかかることかかること。

 そんな私に援軍が。池上彰さんが実際に高校生に語ったことを原稿化した本書である。かみ砕いた語りなので大変分かりやすい。本書を読んでから『資本論』に入ればすんなり読み進むことができる、かも。

 池上さんは確か慶應経済。大学時代にかじったことがあるようだが、この仕事のために初めて最初から最後まで読み通したらしい。この姿勢、見ならわなければ。

「白痴群」雑カン


 伯母と従姉への復讐である。どんな復讐かをここで書いてしまうと推理小説の犯人を書くのと同じになるので、小学生の復讐という程度で止めておく。

 実際小学1年のころの経験をもとに小説に昇華させたようだ。1975年の『新潮』5月号に「贋風土記」と題して載った。車谷さん30歳。

 登場人物に善人がひとりも出てこない。車谷小説に共通する重要な要素がすでに確立している。車谷さんは楽しむための読書や時間つぶしのための読書の対象になることを拒否していたのだろう。

「なんまんだあ絵」雑カン

 1972年に『新潮』3月号に掲載された車谷長吉さんのデビュー作である。当時車谷さんは27歳。運命の出会いというべきか編集者・前田速夫さんの目に留まって掲載された。

 亡くなった祖母への追悼の気持ちを書いたそうだが、登場人物の個性と隠し事が強烈な筆致で描かれている。不穏な空気が流れる。この不穏さはのちの作品群でますます大きくなってゆく。車谷さんの小説の通奏低音である。

 この小説は新潮新人賞候補作になったが、このあと3年近く没が続く。


『北村薫の創作表現講座』とイフ

IMG_2163

 カメラが私を狙っている。私の喜びの表情を撮りたいのである。それが分かったから私も喜びたかった。

 しかし、なかった。早稲田大学第一文学部の合格発表の掲示板。私の受験番号はなかった。今なら残念無念という表情を大げさにつくることくらい朝飯前だが、当時の私はそこまでの芸当をするにはまだ若すぎた。無表情で去るしかなかった。

 私は第一文学部が第一希望だった。一文に入って文芸科に行きたかった。一文より偏差値の高い法学部に引っかかったのでまぁいいかと自分を納得させた。まさか卒業に6年もかかるとは思いもしなかった。法律は面白いけれどデタラメな私には合わない。

 というわけで、未だに一文文芸科に未練がある。どういうわけか年齢が上がるにつれて未練が増してきた。そこで本書『北村薫の創作表現講座』(新潮選書)である。北村薫さんが文学部で授業をしたその録音を再構成した。

 法律は既存の法体系を理解の上で暗記するしかないのだが、文学は自由自在に生み出す行為なのである。私に向いているとあらためて思った。文学部に合格できていれば毎日大学の授業に出て勉強しただろうなぁ。本をもっと読んだだろうなぁ。本多勝一の本にかぶれずに済んだかもしれないなぁ。文学部の女の子と結婚していたかもしれないなぁ。4年で卒業できたかもしれないぞ。

 イフを想像するのは無意味と捉えるか文学行為と捉えるか。どっちでもいいんだが、文学は私に合う。
読者のお言葉
月別分類
略歴

ニシノ説論者

ニシノ書店