同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

ニシノ書店

『富士山噴火と南海トラフ』が示したのは


 2030年プラスマイナス5年。もうすぐである。カウントダウンはすでに始まっている。東海から近畿、四国で海溝型地震が、それもマグニチュード9クラスが発生する可能性が極めて高い。被害は3・11の比ではない。

 これが京大大学院の鎌田浩毅さんの新著『富士山噴火と南海トラフ』の結論である。早ければ2025年に南海トラフ巨大地震が起きるわけで、該当地域に住んでいる人は引っ越すか、せめて海岸や河川から離れて住むことを行動に移すべきである。

 私は日本各地にあるカルデラ噴火跡が気になっている。再びカルデラ噴火を起こしたらそれこそ一巻の終わり。皆さんお元気で。

防犯カメラと『一九八四年』

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 防犯カメラが街に増えはじめたころ、『一九八四年』を引き合いに警戒感を示す声があった。『オーマイニュース』でデスクをしていたとき私に回ってきた市民記者の原稿もその類で、東京・神田の商店街に防犯カメラが設置されたことへの警戒感を書いていた。その市民記者に電話をかけて、原稿の不備を伝えた。根拠のない一方的な思い込みではないかなどと話したような記憶がある。

 防犯カメラが人権を侵害するとか個人情報を国家が集めているだとかの反応には少し首をかしげてきた。仮に国家が個人情報を集めているとして、だから何? その先の国家の悪意が私には見えなかった。

 撮られても私は全く気にならない。国仲涼子ちゃんや川口春奈ちゃんとヒミツのデートをしていたとしても「別にぃ〜」である。私が無神経なのかもしれない。しかし過剰反応もなぁ。

 防犯カメラへの警戒心を持つのは『一九八四年』の影響が大きいのではないか。そう思っていたので、ようやく先日読み終んだ。今読んで思うのは、『一九八四年』の舞台は今の中国や北朝鮮に近いということだ。日本や米国、西欧ではこの小説が設定した政治基盤と違いすぎる。

 防犯カメラは刃物や拳銃、車と似ている。それ自体が危険なのではい。誰が、どう使うか、なのである。

 その後防犯カメラが犯人逮捕に役に立ったという話ばかりが報じられている。実際そうなのだろう。防犯カメラへの不安や批判を聞かなくなった。

 やっぱり。ね。
 

五木寛之さん『七〇歳年下の君たちへ』


 灘高生との対話をまとめた本である。帯にこう謳う。<超難関校の少年たちへかつてなく深く、やわらかく伝えた人生のピンチからの脱出術>。

「難関」に「エリート」のルビが振られていて、私は首をかしげる。難関校がエリートなのかと疑問を抱かない編集者の凡庸に。ただペーパーテストができるだけの人間を何か全能のごとく「エリート」と喝采するのはもうやめよう。「まえがきにかえて」で五木さんが<エリート高の卒業生が、必ずしもエリートの道を歩むとは限らない。人生は不条理にみちている>と記しているとしても、だ。

 私が編集者なら灘高生ではなく荒れまくっている高校生に五木さんを立ち向かわせる企画を出す。教育から落ちこぼされた子供を五木さんの声がどこまで届くのか、どんな反応が返ってきて、五木さんがどう答えるか、そこを見たい。レールから外されてしまった子供はなかなか発言しないかもしれないが、いろいろな経験をしてきた五木さんならそのこころに分け入ることができるのではないか。ふてくされた顔で「あんた誰?」と突っかかる子供と対峙することで五木さんの中に今までと異なる何かが生まれるのではないか。

 二葉亭四迷の「ふさぎの虫」の話が私には興味深かった。私も1匹飼っているような気がする(嗤い)。

五木寛之さんの『大河の一滴』を今ごろ読んで


 小説家が書く人生相談には深いものがあると気づいている人は読んでいる。と私は気づいた。小説家に限らず、苦労した年長者の話には頷くことさえ忘れてしまう含蓄があるので、私は好んで聞く癖がある。

 ミリオンセラー本なので距離を置いてきたが、今読むからこそ分かるんだろうなぁ。五木寛之さんの『大河の一滴』(幻冬舎文庫)である。

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 外地での敗戦と引き揚げという大きな体験のなかで、私はいちじるしく自分の人間性を歪めてきたと思わないではいられない。多くの心やさしい人たちの犠牲のうえに、強引に生きのびて母国へ帰ってきたいかさま野郎がこの自分なのである。いま、そのことをまるで忘れてしまったかのように大きな顔をして生きていることを、ふとした瞬間につくづくおぞましく感じることがある。
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 自分をいかさま野郎と唾棄する魂に私は身震いする。こういう人の言うことは信じることができる。

 五木さんの本は『青春の門』以来ご無沙汰だったので、久しぶりに何冊か読んでみようっと。

瀬戸内寂聴さん『場所』


 寂聴さんのお父さんが奉公に行ったのは徳島市の常三島の指物屋。常三島って実家の目の前やないか。おお。という軽い驚きとともに寂聴さんの「場所」をより身近に感じる徳島市生まれでよかったなぁとしみじみ。今はなき小山助学館という本屋の名前も出てきて、ああ懐かしい。

 寂聴さんの母親は徳島大空襲で亡くなっている。この日このとき焼夷弾の雨の下で私の母(6歳くらい)はその母親らと一緒に助任界隈を逃げ惑った。「この中は安全でよ」と井戸に誘ってくれた近所の人はそこで焼け死んだ。吉野川の北側に住んでいた父(10歳くらい)は屋根に登って「徳島がよう燃えよる」と高みの見物をしていた。

 という個人的な感傷はさておき、この作品はノンフィクションと私小説のハイブリッドと言うべきだろう。寂聴さんが暮らした街を実際に訪ね歩き、そこで起きた出来事と寂聴さんの記憶を重ねる。

 自分が暮らした「場所」を訪ねてみたくなるのはなぜなのだろう。

 私が40代半ばだったか、1970年前後に暮らした大阪市東住吉区西通りを訪ねてみたことがある。しかし1976年ごろ暮らした岸和田市藤井町には未だに再訪していない。「場所」に潜む記憶が好奇心を左右するのかもしれない。 
 

瀬戸内寂聴さん『死せる湖』


 同じ主題をさまざまな角度から書き続け、自分に劫罰を与えてきた瀬戸内寂聴さんである。本書は『花芯』や『夏の終り』とは別の角度から主題に迫った。場面設定の違いの1つとして私が注目したのは、主人公の「夫」に睡眠薬自殺未遂をさせたところである。

 その理由が最初はよく分からなかったが、あるとき「ああ、そういうことか」と気づいた。私の頭の中に転がっているものと重なったので目の覚める思いがした。「夫」の自殺未遂は主人公にとって劫罰であり、つまり瀬戸内寂聴さんは主人公を責め立てたのである。

 にこにこ顔をしている印象の寂聴さんだが、人は見た目では分からない。


 

 

『天人 深代惇郎と新聞の時代』から2冊の『天声人語』

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 後藤正治さんの『天人 深代惇郎と新聞の時代』(講談社文庫)は深代惇郎さんの人となりを追いかけた労作だ。そもそも深代さんと机を並べた人が鬼籍に入っていく状況である。取材は難航し、まとめるのも苦労した様子が窺える。副題にあるように、深代時代の朝日新聞社の空気を伝えた本でもある。

 本田靖春、森恭三、酒井寛、疋田桂一郎、三浦甲子二、富森叡児、松山幸雄、轡田隆史、辰濃和男、田代喜久雄、柴田俊治、石井英夫、柴田鉄治、扇谷正造、斎藤信也、本多勝一、小林一喜、富岡隆夫、浅井泰範、門田勲……。こういう懐かしい名前が次々に出てくる。大学時代を中心に『朝日新聞』や朝日文庫などでこうした記者の記事や本をたくさん読んでいた私は「おおー」と感嘆するわけだ(簡単な男であるな)。

 本書は深代さんの私生活を垣間見せたことで絶賛伝記になるのを避けた。配偶者と長年別居していたことや再婚相手が18歳年下だったこと、その再婚生活が深代さんの死去で1年で終わったことを知り、深代さんが抱えた昏さが何となく想像できるのは私も婚姻を破綻させた経験者だからかもしれない。

 急性骨髄性白血病で早逝することがなければ深代さんの天声人語は10年20年と続いたのではないか。本書を読んでいるうちに、深代さんの天声人語を無性に読みたくなった。飢餓状態がずーーーっと続いているせいだろう、良質の思考を味わいたい干からびた脳みそに栄養を吸収したい脳にへばりつく糞どもをもうこれ以上見たくないという欲望がむらむらとわいてきた。ところがだ。朝日文庫で一連の深代本は全て買って読んだけれど、手元に1冊も残っていない。

 アマゾンで調べたところ、2015年に復刊している。というわけで、疋田さんのやつと合わせて『天声人語』を買った。

 深代惇郎の名前が分かる人と話をしたい。

高橋源一郎『間違いだらけの文章教室』(朝日文庫)


「こんなの書けない!」という章で高橋源一郎さんが紹介したのは、子供と餓死した母親が書き残した文章だ。

 追い詰められてゆく様子を誰に伝えるでもなく綴られた文章を高橋さんはこう解説した。<追い詰められ、気が狂いそうになって、正気でいつづけるために、ノートを、文字で埋めていただけなのかもしれない。その苦しみは、文章に書いて存在させなければ、自分を喰い殺してしまう、と母親は思ったのかもしれない。あまりの苦しみに、意識を失いそうになりながら、母親は、文字通り、一字ずつ、紙の上に刻んでいった>

 書くという行為はそもそもこういうものだったのではないか。今やフェイスブックやブログなどで駄文が巻き散らかされているので文章を書く意味や行為の根っこにある精神が見えにくくなっているけれど。

 もう1つ読み応えのある章がある。子供から「おとうさん、自殺をしてもいいの?」と聞かれたときの鶴見俊輔さんの対応についての解説だ。<人が「深淵」の前に立たざるをえない瞬間には、自分もまた、「深淵」の前に立つしか答えを見つけることができない>に私が「おおお」と叫びそうになったのは、元舞台俳優とのメールのやり取りで同じ「深淵」をのぞき込んでいたからだろう。

 いや、いい本に出会った。



 

瀬戸内寂聴さん『夏の終り』の美


 勧めてくれる人がいて読んだ瀬戸内寂聴さん『夏の終り』(新潮文庫)。

 寂聴さんが自分にへばりついた罪に向き合うてのたうち回っている様子が垣間見えた。凄まじい。書いても書いても収まらない。寂聴さんのこころの中で修羅が暴れ続ける。岩に爪立てて爪剥いで、首絞めて顔真っ赤にして反吐履いて、岩の上をごろんごろん転がってあちらこちらから血が噴き出ている。血を拭おうとしたところからまた噴き出している。

 私がひれ伏す車谷長吉さんと寂聴さんの似ているところとして「乱調」を挙げたのは両方を読んでいる舞台俳優だった。ああ、確かに。そこに美がある。


 

瀬戸内寂聴さん『花芯』の核心


 私は顔がのび太なので癒やし系と勝手に油断してくれるのでシメシメとほくそ笑むのだが、瀬戸内寂聴さんはもっとひどい。ただでさえ御利益がありそうな坊主姿にあの柔和な顔。しかしだまされてはいけない。

『花芯』は寂聴さんの私小説に近い。

 私は車谷長吉さんにひれ伏しているが、車谷さんが近づけないくらいの冷徹さというか、感情が凍り付くようなものを持っているのが寂聴さんだ。あの柔和な顔からは想像できない孤立(独り立つ)の精神とでもいうべきか。すさまじい。

 寂聴さんの内側から皮膚を破って表面に出てきた厳冬があらゆるものを破壊しながら突き進む。それに触れたらこっちまで凍り付く。

 ほれぼれした場面の1つがこれ。

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「ね、かわいいでしょ」
「いいえ」

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 しびれた。

 予定調和や気づかい、和、場、忖度、付和雷同、長いものには巻かれろ、しがらみなどなど世の中に蔓延している空気と闘ってきた人なのだった。さらに言えば寂聴さんの文章は美しい。何度も舐めて舐めて舐め尽くしたくなる美しさがある。

 その昔『毎日新聞』夕刊用に電話で寂聴さんの取材をしたことがある。寂聴さんの大ファンに話したらたいそう羨ましがられたが、あの当時に読んでいれば質問が深くなっていたはずで(仮定法過去完了)、質問に阿呆ぶりが出てしまうのであったな。

 徳島市にある寂聴さんの記念館は実家から歩いて10分くらいの近さ。今度帰省したら行かなければ。

今さらながらの太宰治『人間失格』(新潮文庫)だが

 国語の教科書で『走れメロス』を読んで感動したのは中学2年のころだった。以来太宰治に縁がない。林忠彦さんが1946年11月25日に東京銀座のバー・ルパンで撮った写真は有名だが、右端の後ろ姿の人が坂口安吾だと『波』2018年9月号で知った。

 という具合に、55歳になって読むとさすがに太宰治にかぶれることはなさそうだが、小説より実像に興味が湧いてしまう。新潮文庫の『人間失格』は奥野健男の解説が太宰の人物を端的に整理していて読ませる。ここを読んでから小説を読むと理解が深まるのは、作者と作品を完全に切り離すのは難しいということだろう。小説に作者が投影される、そういう読まれ方がある。

 なお『人間失格』を単体で文庫本にしているのは新潮文庫で、ほかの出版社は太宰のほかの小説と抱き合わせ。抱き合わせはいかんな。

 妻の過ちに魂を打ち砕かれた太宰の姿はシェイクスピア『オセロー』に重なる。古今東西、純粋な男の真理なのかもしれない。

『透明人間』は哀しい物語だった

 透明人間になることができたらなぁと思ったことがある一人である。だいたいそういう場合は透明人間になって女湯をのぞいてみたいとか好きな女の子の部屋にしのびこんでみたいとか、ろくなことを考えていないというか人間らしいことを目論んでいたというか。

 このような阿呆なことを想像しながら当時抱いたのは「着ている服は透明になるのか」や「くしゃみをしたら聞こえるのか」、「血が出たら見えるのか」などのギモンである。『透明人間』を読むと解決する。よく練られた小説だ。

 さて。途中休むことなく一気に読んだ。それくらい面白い。しかし話の展開は哀しい。その哀しさに秋葉原事件を起こした加藤智大死刑囚と重なるところがある。今だから読み込むことができるところはあるのだが、もっと早く読んでおくべきだった。

 本書を勧めてくれた日垣親分に謝意を記す。題名は知っている有名な本なのに未だに読んでいないものがまだまだある。どこまで読むことができるか。命との競争が始まった。

いま何をすべきか見える『未来の年表』2冊





 未来を見たい。多くの人が望み、占いに走ったりスピリチュアルにはまったりする。未来を見せてくれる本が『未来の年表』(河合雅司・講談社現代新書)で、だからよく売れている。

 日本の人口が減少しているのは周知の事実だが、これが日本の産業や自治、医療、生活などあらゆる面でボディーブローのように効いてくる。

 2027年、輸血用血液が不足。2039年、火葬場が不足。2040年、自治体の半数が消滅、という塩梅で具体的に示される。そのとき自分が何歳か書いてみると切実さが増す。

 筆者は「戦略的に縮む」という処方箋を示していて、説得力がある。本書を読むと国内のいろいろな動きの背景が分かる。国から地方までの政治家が本気で今すぐ取り組むべきなのに、「戦略的に縮む」は票にならないばかりか下手をすると落選してしまう内容だから、積極的に取り組んでいる人は私の目にはまだ見えない。

 あと30年生きる可能性がある世代や若い世代は必読である。1巻目の22〜23ページは分かりやすいので特に必見だが誤字がある。32刷まで印刷しているんだから直せよ講談社。


 

『狂』雑カン


 飾磨高校の恩師・立花先生に対する愛惜あふれる追悼小説である。

 東京帝大経済漠部を出て三菱商事に入社、陥れてきた上司を殴って退社して教師になった人だという。車谷長吉さんは熱を込めて意義を語る。

<この時、立花先生の生は狂うたのである。この狂うたというのが大事である><恐らくこの時はじめて、先生の中で「精神。」という「物の怪。」が息をしはじめた。精神というものは誰の中にもあるものではなく、一生それを持たずに終ってしまう人の方が多い。世の中にあるのは、うまく立ち廻るための「世間の常識。」だけである>

 立花先生は高校時代に週1回、朝の6時から8時まで「立花塾」を始め、プラトンやアウレリウス、モンテーニュ、デカルト、ヘーゲル、ニーチェ、孔子、老子などを講じ、車谷さんは最後まで受けた。

 学生運動の波に揺れる高校で立花先生は生徒側に立ち、敗れて退職した。45歳で用事専門の学習塾を開いた。

 ストリップ・ショウで老嬢が<両手で懸命に女陰を開いて見せるのを、舞台の袖で見ていて、「先生は「あの女の哀れさは、わしの哀れさや。」と洩らされたとか。特出しに驚喜する、枉枉しい俗衆たちの中での言葉である>。

 70歳で亡くなる前に車谷さんの『盬壺の匙』を手に涙を流して喜んだというから、恩返しが間に合ったのではないか。

 2000(平成12)年の『文學界』5月号に掲載。


 

『武蔵丸』雑カン


 2001(平成13年)に川端康成文学賞を受賞した短編である。

 武蔵丸はカブト虫。1999(平成11)年7月19日に舎人公園で見つけて自宅に連れて帰り、約4カ月生活を共にした。かいがいしく世話を焼く様子が従来の車谷さんの印象をはみ出している。

 毒を刻むことを忘れてはいない。車谷さんが一軒家を買うことになり、その一軒家の所有企業の男性について<鼻はある独特の扁平な形をしたものだった。これは親が梅毒に冒された経験のある場合、その子供に現れる特異な症状である>とやった。

 武蔵丸が車谷さんの指で性行為をする様子、足がなくなった武蔵丸の様子なども丹念に描く。わずか4カ月の命を生きた武蔵丸と70年80年90年生きる人間を織りまぜ、銭に目を血走る人間の欲も加え、武蔵丸の死を迎える。余韻が残る。

 武蔵丸を悼んで一気に書き上げたと車谷さんのエッセイか何かで読んだ。2000(平成12)年の『新潮』2月号に掲載。

『一番寒い場所』雑カン


 虚実皮膜の間というほかない小説である。実在の人物(東北大教授)や車谷長吉さんの近況(浦和の精神病院で精神安定剤などをもらって服用している)、事件(浅沼稲次郎襲撃事件)が出てくるので、実話だと錯覚して読み進んでしまう。私(わたくし)小説の仕掛けなのだろう。

「一番寒い場所」について車谷さんは<心にこれをやらなけれいけないと思い決しながら、ともすればそれが実行できない部分である。行動できない部分である>と書いている。人が見たくもない部分を「ほれ」と差し出してくる車谷小説の核心と言える。

 胸に手を当てると思い当たるものがある。そこは私の弱さと裏表になっているので、うっと悶絶してしまう。

 車谷さんは腰を低くしてこの目線で物語を紡ぐ。怖いもの見たさで読んでしまう私は最後に泥の中に顔を押しつけられて息絶える。

 1999(平成11)年の『新潮』7月号に発表。

『ジキルとハイド』

 有名な本でありながら、日垣親分の課題図書として私が初めて読んだのが55歳。しかし、よほど聡明でもない限り、この小説を小学生が読んで十分に理解できるとは思えない。

 人間が持つ多面性を絞ってこの小説は二面性にした。二重人格の怪奇小説という位置づけが一般的ではあるけれど、悪の面が人間を破滅に導くという意味では寓話だろう。科学の行き過ぎによる人間の悲劇という警鐘として読むこともできる。

 新潮文庫はこの『ジキルとハイド』を名作新訳コレクションというシリーズに位置づけて2015年に初版を出した。奥付を見ると初版以降年に1回以上印刷されている計算だ。いい読者がついているんだなぁ。

『次の震災について本当のことを話してみよう』


 大震災への備えをそこまでやるべきなのか。

・名古屋駅付近は地盤が軟らかいので長居しない
・脱線したら死亡率が高いので新幹線の座席は一番前や一番後ろの車両を選ばない
・東京駅周辺は軟弱な地盤なのでできるだけ品川駅で降りる
・閉じ込められたら怖いのでエレベーターは上りで使うだけで下りはできるだけ階段を使う

 こんな具体的な書き出しなので興味津々で読み進む。『次の震災について本当のことを話してみよう』(福和伸夫・時事通信社)である。筆者は地震工学や建築耐震工学、地域防災を専門とする名古屋大教授。

 水に関する漢字がついている地域に家を建てるなという話は工務店の社長にかつて聞いたことがあるけれど、「鴨」や「鶴」、「亀」、「袋」などがそこに含まれるとは知らなかったし、もっと広げると農耕地の「田」や「野」「稲」、低湿地の「久手」なども「軟弱地盤地名」だとは知らなかった。「良好地盤地名」も知らなかった。

 というわけで、住まいを決める場合や引っ越す際は55ページの「地名で分かる土地の災害危険度」を見て候補地の地名と照らし合わせるほうがいい。

 マンションの基礎杭だが、横の力には弱いので建物自身の耐震安全性が高まったとは言えないという話も「げげげ」である。

 著者がふだん持ち歩いているかばんの中身も参考になる。非常食としてようかんを持ち歩いているとは。重いのに。そこまでやる必要があるのか。

 専門家の目線や一挙手一投足を記しているので、深刻さが伝わってくるし、自分の準備不足もよく分かる。

米原万里さんが遺した『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』

 この本を読んでいる最中にプラハの春50年を偶然迎えた。こんなにも切ないノンフィクションを書いた米原さんがもうこの世にいないんだなぁ。50年を報じる新聞を持ったまま「うーん」とか何とかうなって天井を見上げてしまった。

 私がチェコスロバキアを初めて知ったのは恐らく大阪万博だ。つまり1970(昭和45)年。当時大阪市に住んでいた。父に連れられて何度か出かけた。各国のパビリオンというのか、そこに入ってはスタッフとおぼしき外国人を見つけては手帳とサインペンを差し出して「サインプリーズ」とやっていた。その中にチェコスロバキア館があったはずだ。あとにもさきにも私の人生でチェコスロバキアが出てくるのは大阪万博しかない。

 本書を勧めてくれたのはちょっとおっちょこちょいの美女である。読書家で美女、才気煥発という3拍子そろった女性が私の「恋人」枠ではなく「友人」枠にいるのはありがたい(涙)。

 斎藤美奈子さんが解説に書いているように本書は米原さんの代表作である。歴史が動き、国が揺れ、人が影響を受ける。生きることのすごみともで言おうか。米原さんの姉御肌も熱も伝わってきて、それだけに読後の切なさが染み入る。

『盬壺の匙』雑カン


 自殺した叔父を描いた私小説である。母親ら親族から「書くな」と言われていたのに書いた私小説である。叔父は実名で登場している。こうなるとまさしく虚実皮膜の間を行く。

 小説の中で叔父は和辻哲郎の『ニイチェ研究』の余白に青インキで「俺は自分を軽蔑できない人々の中に隠れて生きている」と記した。ここに魂を打ち砕かれた叔父の危機が示されており、共感できる人は今の時代にも少なくないのではないか。

 1992(平成4)年の『新潮』3月号に発表。85年12月に書き上げていたが、それは編集者に完膚なきまでに叩かれ、全面的に書き換えたようだ。当初、高橋順子の「書肆とい」から私家版として出す計画だった。車谷さんの恋ゆえの計画だったのは間違いない。

 この小説は三島由紀夫賞と芸術選奨文部大臣新人賞を受賞する。後者に対して高橋順子さんから「お上からとは、ちょっと驚きました」などと祝福するはがきが届く。高橋順子さんを想っていた車谷さんがヘラヘラ喜ぶ返事をしており、ほほ笑ましい。翌93年10月、ふたりは結婚する。

 松岡正剛さんのサイト「千夜一冊」で取り上げたのはこの『盬壺の匙』であり、直木賞を受賞した『赤目四十八瀧心中未遂』ではない。

 新潮文庫で解説を書いた吉本隆明さんは<まるで嘉村磯多の再来のようだ>と見抜いた。車谷さんにとって最高の褒め言葉だろう。<性悪なじぶんの振舞いや判断をかくさずに記憶から掘りだして記述してみせる。決して清澄な心境の表白などにゆきつかないようにやってみせると車谷長吉の作品は主張している>は、自分をリッパに見せたがる虚構癖者の虚飾を剥ぎ取る。

『ある平凡』雑カンその2



「どたわけッ」

「あななおなごのどこがええんやッ。気色の悪い東京弁や喋りくさって」

「お父ちゃんの阿呆ッ」

「ド畜生め!」

「親父はくすぼりですよ」

「借金残して亭主に死なれた女はカスみたいなもんや」

「蛇なら僕の家にも主が鴨居からぶら下がっているよ」

 車谷長吉さんの『ある平凡』から登場人物のせりふの一部を書き抜いてみた。普通ではない人たちがくっきり浮かび上がる。泥をすすって生きる人たちの蠢きや不気味さに引き込まれたら、車谷長吉ファンである。

『ある平凡』雑カン



<黒猫は頭がザクロのように割れて即死、肉の中から折れた骨が突き出ていた。あお向けに、歯を剥き出しにした三毛猫の方は、まだ生きていた。頭は同じように割れているのだが、尾はまだ動いている>

<「あなたはおズボンの前のジッパーを外して生きているような方なのね」>

 暗い挿話に、車谷長吉を想像させる主人公である。車谷さんの小説にいったい明るい挿話などあっただろうか。不吉な、呪わしい、気色悪い、そんな挿話しかないと断言できる。そこが車谷長吉さんの世界“感”なのである。容赦ない世界なのである。

 1987年の『文學界』5月号に『雨過ぎ』と題して発表。37歳。

 翌年、坂本忠雄『新潮』編集長の紹介で西武流通グループ広報室に嘱託として勤める。坂本忠雄さんは坂本龍一さんの父である。

「萬蔵の場合」雑カン


<「あたしがのぞんでいることは、あなたが突然死んでくれることなの」>

<「ねえ、萬蔵さん、あなたサラリーマンなんかやってて、自分が恐くないの」>

<「世の中いうたらそんなもんやで」
 という、聞いた風な科白を、私は思い浮かべた。が、あとでもこの「もん」は空恐ろしいと思った。私はこの「もん」を内側から喰い破ることばかりを考えて来た>

 1981年、『新潮』8月号に載る。車谷さん36歳。芥川賞候補になったが、該当作なしで終わる。受賞あいさつを用意していた。82年1月25日付『毎日新聞』姫路版の人物欄に紹介される。

 のちに再び芥川賞候補になって落ちるが、それでよかった。2度の落選が『赤目四十八瀧心中未遂』を生んだのだから。

村西とおる『禁断の説得術 応酬話法』

 村西監督の本である。高く評価することもできるし、批判することもできる。どっちにしようかな。

 まず批判的な視点で。

 私の周囲に「応酬話法」が得意(と本人は全く気付いていない)な女性がいる。銀座のママさんから「あなた向いてる。まず受付からやらない?」と誘われた実績の持ち主だ。彼女の反応の柔軟さを見て私は「要するに脊髄反射だな」と気づいた。

 私が知る限りだが、知性と教養あふれる人に「脊髄反射」はいない。私の言葉を受け止めて、こっちの脳みその程度を測って、どんな言葉を使ってどう表現すればこちらに正確に伝わるかを考えている。そんな人に応酬話法を使ってもあっさり見破られる。お里が知れるのは大変恥ずかしいことであるな。

 応酬話法など使わずに済む仕事と生活を送るほうが心身にいいだろう。

 次は好意的な視点で。

 本書を読めば応酬話法を身につけることができると思ったら大間違いだ。運動神経と同じように持って生まれた能力だから、後学で伸ばすことができるとは思えない。従って、持って生まれた人は幸せ者である。

 本書が提示するのは応酬話法の仕方ではない。もっと大きな、例えば危機の切り抜け方であり、生き方の基本と言っていいだろう。

 人を説得したい場面は意外に多い。例えば親に「あれ買ってー」とねだる。好きな人に「つき合って」と口説く。就職活動で面接官に自分を採用してもらえるよう対応する。仕事で企画を出す。その前に本書を読んでおくと、ずいぶん好転するのではないか。

 そういえばオウムの「ああ言えば上裕」も瞬間的な反射ができる人だった。彼に応酬話法の本を書かせることができる編集者はいないものか。

「白桃」雑カン


<婆さまは鳥のような目をしている。暁夫はその話を、一緒に蛇をなぶり殺しにした遼一に話した>

 車谷さんの小説に登場する人物の目はたいてい不気味である。蛇もよく出てくる。

 最初から最後まですくいがない小説だ。「白桃」という題名にだまされてはいけない。「白桃」にも人間の悪意が描かれているからだ。

 1976年の『新潮』5月号に「魔道」と題して発表。車谷さん31歳。

 このあと転々と漂流しながら旅館の下足番や料理場の下働きをする。次の小説「萬藏の場合」を発表するまで5年余の歳月が流れる。

『科学革命の構造』とパラダイム

 パラダイムシフトという言葉をたまに聞く。その原点が本書の筆者トーマス・クーンで、定義を知らずに使ったら失笑を買う。こんな本が、と無知な私は驚くのである。1971年の第1刷から始まって今年2月に41刷を迎えていたことに。

『銃・病原菌・鉄』の科学史版とでも言うべきか。私は常々「タコを最初に食った人類はエラい」とか「毒キノコと知らずに食べて命を落とした人類の犠牲の積み重ねがこんにちのキノコの分類に役立っているはずだ」とか思ってきたので、ほんの少しだが科学のあり方やその進歩を感じることができた、か。パラダイムの定義をあてはめてみると、近藤誠の「がんと戦うな」はまだその過程に位置することになる、ような。

 訳者あとがきが味わい深い。著者クーンは訳者の旧師だったと明かす。最初の科学史専攻の学生だったであろう訳者に対して当時若い助教授だったクーンは風当たりが強く、訳者は徹底的に鍛えられたと述懐する。

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 彼の「近代科学発展ゼミ」で、二、三日徹夜して初めて発表したあとで、「非常に失望した」と講評された時は、足許の土地が崩れてゆくような思いがした。しかし(略)英語のノートが取れないで困っていたとき、講義用ノートを貸してくれたのも彼であった。
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 印象に残ったのはここである。

 クーンなんてカタカナを見たら子犬の鳴き声を想像してしまう私はわれながら阿呆と言うほかなく、この6月の課題図書を何とか読み終えたときオノレの阿呆ぶりに絶望して倒れそうになった。倒れんけど。

沖縄慰霊の日と『私の沖縄現代史』

 今日は沖縄慰霊の日である。本来は沖縄戦や1フィート運動にでも触れるべき日なのだろう。そこで1フィート運動つながりとして新崎盛暉先生の遺作(になるかな?)『私の沖縄現代史――米軍支配時代を沖縄で生きて』(岩波現代文庫)を書こう。東京生まれの新崎先生が米軍支配下の古里沖縄に関心を深めていく過程を縦糸に、沖縄や世界の動向を横糸に、紡いだ。

 沖縄戦研究の第一人者として大田昌秀先生がいて、日米安保と沖縄の最前線には世論をリードする新崎先生がいたのである。その新崎先生、若いころは新聞記者になろうかと思っていたそうだ。しかし沖縄には新崎先生が必要だった。新崎先生がいなければ反基地闘争は迷走した可能性が大きい。

 新聞記者の夢はご子息が叶えている。よほどうれしかったのだろう、2回目の移住をした2011(平成23)年ごろ沖縄大の学長室を訪ねた私に「息子が新聞記者なんだ」と破顔して教えてくれたことを思い出す。当時これといった肩書きを持っていなかった私に「沖縄大学地域研究所研究員の肩書き、使っていいよ」と言ってくださった。お言葉に甘えておくんだった。

 以前も書いたが、『週刊金曜日』で沖縄の特集を組むたびに新崎先生に巻頭論文をお願いした。精緻で力強い原稿を毎回いただいた。著者略歴に「東京生まれ」と私がいつも記していたのだが、あるとき新崎先生から「それ、外せない?」と笑いながら言われたことがあった。周囲は新崎先生を沖縄生まれだと思っているはずで、事情を聞かれるたびに説明するのが面倒だったのだろう。

 私のおじの都庁勤務時代、同僚だった新崎先生とお付き合いがあり、本書に登場している。巻末の人名索引にはカストロと加藤一郎、加藤周一に挟まれて名前が載っている。

 沖縄に静かに流れる通奏低音たる沖縄戦の上に流れる基地問題は不快音が大きくなる一方だ。沖縄世論を引っ張る強力なリーダーシップと明快緻密な理論を積み重ねた新崎先生にはもっともっと活躍していただきたかった。


  

『資本論』入門に『高校生からわかる「資本論」』

 マルクス『資本論』の難しさは文章の屈折ぶりと単語の抽象性にある。「要するにこれを具体的に言えばどういうこっちゃ」といちいち何か思い当たるものに置き換えて読み進めなければ合点がいかないので、手間がかかることかかること。

 そんな私に援軍が。池上彰さんが実際に高校生に語ったことを原稿化した本書である。かみ砕いた語りなので大変分かりやすい。本書を読んでから『資本論』に入ればすんなり読み進むことができる、かも。

 池上さんは確か慶應経済。大学時代にかじったことがあるようだが、この仕事のために初めて最初から最後まで読み通したらしい。この姿勢、見ならわなければ。

「白痴群」雑カン


 伯母と従姉への復讐である。どんな復讐かをここで書いてしまうと推理小説の犯人を書くのと同じになるので、小学生の復讐という程度で止めておく。

 実際小学1年のころの経験をもとに小説に昇華させたようだ。1975年の『新潮』5月号に「贋風土記」と題して載った。車谷さん30歳。

 登場人物に善人がひとりも出てこない。車谷小説に共通する重要な要素がすでに確立している。車谷さんは楽しむための読書や時間つぶしのための読書の対象になることを拒否していたのだろう。

「なんまんだあ絵」雑カン

 1972年に『新潮』3月号に掲載された車谷長吉さんのデビュー作である。当時車谷さんは27歳。運命の出会いというべきか編集者・前田速夫さんの目に留まって掲載された。

 亡くなった祖母への追悼の気持ちを書いたそうだが、登場人物の個性と隠し事が強烈な筆致で描かれている。不穏な空気が流れる。この不穏さはのちの作品群でますます大きくなってゆく。車谷さんの小説の通奏低音である。

 この小説は新潮新人賞候補作になったが、このあと3年近く没が続く。


『北村薫の創作表現講座』とイフ

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 カメラが私を狙っている。私の喜びの表情を撮りたいのである。それが分かったから私も喜びたかった。

 しかし、なかった。早稲田大学第一文学部の合格発表の掲示板。私の受験番号はなかった。今なら残念無念という表情を大げさにつくることくらい朝飯前だが、当時の私はそこまでの芸当をするにはまだ若すぎた。無表情で去るしかなかった。

 私は第一文学部が第一希望だった。一文に入って文芸科に行きたかった。一文より偏差値の高い法学部に引っかかったのでまぁいいかと自分を納得させた。まさか卒業に6年もかかるとは思いもしなかった。法律は面白いけれどデタラメな私には合わない。

 というわけで、未だに一文文芸科に未練がある。どういうわけか年齢が上がるにつれて未練が増してきた。そこで本書『北村薫の創作表現講座』(新潮選書)である。北村薫さんが文学部で授業をしたその録音を再構成した。

 法律は既存の法体系を理解の上で暗記するしかないのだが、文学は自由自在に生み出す行為なのである。私に向いているとあらためて思った。文学部に合格できていれば毎日大学の授業に出て勉強しただろうなぁ。本をもっと読んだだろうなぁ。本多勝一の本にかぶれずに済んだかもしれないなぁ。文学部の女の子と結婚していたかもしれないなぁ。4年で卒業できたかもしれないぞ。

 イフを想像するのは無意味と捉えるか文学行為と捉えるか。どっちでもいいんだが、文学は私に合う。

『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』

 <根拠のない健康情報があふれかえる日本のこの状況になんとか風穴を開けたい>という狙いで書かれたのが『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』(津川友介・東洋経済新報社)である。

 舌鋒は鋭い。『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』(ダイヤモンド社)は非科学的だと明快に否定し、厚生労働省と農林水産省が共同でまとめた指標「食事バランスガイド」に白米が推奨されていることに対して<白米は1日2〜3杯ですでに糖尿病のリスクが上がりはじめる可能性がある>と批判。自民党の農林水産部会が白米の生産を忖度したことも批判的に言及した。けっこう“好戦的”である。しかし、科学的な知見に基づく批判なので、どう見ても相手の分が悪い。

 著者は医療政策学者で医師の資格を持つ。ハーバード大で膨大な研究論文から科学的根拠を読み解く教育を受けた。

 統計学や疫学などを踏まえて高い科学的根拠を集め、体にいい食品を挙げた。その数わずか5つ。効果などについて丁寧な説明をしており、大変良心的な本だ。

 今後の私は1日に卵を2個食べる無暴は犯さない。ほとんど毎日食べている白米も減らそう。野菜・果物は1日400グラム食べよう。オリーブオイルも増やさんといかん。などと決意した。

 本書にも書いてあるように、医者や栄養士だからといって必ずしも正しい情報収集をしているとは言えない。私がよく知るアンチエイジングの医者は講演を頼まれ、一般向けの本を数冊読んでさも自分の見解であるかのように語っていたものだ。

 誰を信じるかで健康が左右されることがある。私は本書の筆者を信頼する。本書の内容と全く正反対のことを書いた本があることを知った上で。

バルザック『ジャーナリストの生理学』

 5月の課題図書がバルザックの『ジャーナリストの生理学』(講談社学術文庫)だった。

 <もし編集長が自分にとって欠かせぬはずの有能な人間に嫉妬するようになると、まずたいていの場合は、自分のまわりを、凡庸な部下たちで固めるようになる>(34ページ)はジャーナリズムに限らない話だが、本来ないほうがいいジャーナリズムにもしっかり巣食うシロアリのような人間の体質は防ぎようがない。何度も書いているが(ここには書いてなかったかも)社長に年始のあいさつに行く人が引き上げられる某社とか。

 記者を目指したはずの人たちが揉み手して上に行く光景もあれば、退職後に系列に籍を置くのを潔しとしない人もいて、どっちが良くてどっちが悪いという話ではなく、単に私ならこっちに共感するなぁと思いながら見ている。

 マキャベリの『君主論』だって当時の君主へのおべっか論文だったのだから、単なる勤め人であるジャーナリストだけが例外になることができるとは思えない。ましてや今の時代は期待するからがっかりするのだ。期待しなければがっかりすることもない。

 さて。翻訳した鹿島茂さんのあとがきが面白い。<傲岸不遜と非難される『朝日新聞』の記者の態度はいまに始まったことではなく>には笑ってしまった。そういえば私の福島時代、各社に友人ができたが、偶然か運命か朝日だけいない。NHKにも読売にも河北にも共同にも30年ほどお付き合いしてきた記者仲間がいるのに、朝日だけはできなかった。不思議で仕方がない。あのころの朝日の記者は朝日だけで固まっていた。よほど社内に関心があったのだろう。しかし30年以上年賀状を交わしてきた朝日記者が1人だけいる。私の沖縄時代に出会った人で、大酒飲みだが温厚でいつも笑顔の知識人である。お会いして話を聞くのが楽しかった。

 話がそれまくっている。

 バルザックがこんな本を書いていたとは知らなかった。斜に構えた書き方だが、そもそもジャーナリストに対する愛と思索がなければこんな膨大な本を書かなかっただろう。

【『大地の子』と私】から立ち上るもの

 圧倒され引きずり込まれて読んだ『大地の子』(山崎豊子・文春文庫)の著者解説編という位置づけか、副読本か。いずれにしても山崎豊子さんの著作の中でこのような副読本があるのはこれだけのはず。『大地の子』への傾倒が伝わってくる。

 長春を舞台にした理由を読んで、私は歴史を知らんなぁ。旧満州の首都であり、関東軍も日本人もいて、ソ連軍が入ってきて、蒋介石の国府軍が入ってきて、八路軍が解放した、そんな場所なのだった。

 それにしても見るからに温厚そうな胡耀邦が失脚しなければ中国は大きく変わっていたかもしれない。いい人はいい人ゆえに権力に固執しない。玉に瑕である。

伊藤和夫『ルールとパターンの英文解釈』

 駿台予備学校の黄金時代、講師陣はほれぼれする授業をしてみせた。私は浪人する機会がなく(その代わり2年も留年したが)、夏期講習や冬期講習などでお世話になり、藤田修一師や関谷浩師、伊藤和夫師、高橋善昭師、桑原岩雄師と名講義の泉に溺れた。

 中でも伊藤和夫師は、英語が文系にも理系にも必要なので生徒数が多く、影響を受けた人もまた多いだろう。その伊藤和夫師の新刊が『ルールとパターンの英文解釈』である。復活本のようだが、これは『英文解釈教室』に並ぶ名著である。

 もともと旺文社の大学受験ラジオ講座で伊藤和夫師が読み上げた原稿だから、そのまま活字にできたはずで、活字を読むと伊藤和夫師の声が聞こえてくる。教えるうまさが抜群なのは言うまでもなく、東大哲学らしいシニカルさも大きな魅力だった。

 駿台文庫から『ビジュアル英文解釈』が出ているけれど、どちらかとなるとこっちがいいんじゃないか。歴史に残る名著である。

『カオス―新しい科学をつくる』(ジェイムズ・グリック、新潮文庫)

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  4月の課題図書だった。これを読んでいるとき新郎父のあいさつをする機会がちょうどあったので、「まぁこいつらの出会いも単なるカオスですな」と言おうと企んだ。が、お嬢さんやそのご家族を思うとさすがにためらい、代わりにめでたい席の忌み言葉である「死ぬ」を連発してヒソカに遊んだ。

 さて。何とか食いついて本書を読み切った。溺れるかもしれないと途中何度か苦しんだ。もう一回読めば感動と自信が芽生えるだろう。

<科学者であろうとなかろうと、複雑なものに対する感覚がちゃんと練れていない者は皆、自分で自分を騙しがちなものだ。それでなくてもなぜ投資家たちは、金や銀の値段に周期があるなどと主張するのか。それは周期性が彼らの想像の及ぶ限り最も複雑な規則的ふるまいだからだ>=121〜122ページ

<心臓。細胞がつながり合って枝様の繊維を作り、カルシウムやカリウム、ナトリウムなどのイオンを運ぶ特殊な組織をもったこの器官に、カオスの法則がなぜ当てはまるのだろうか?>=489ページ

 この世はカオスでできている。私の脳みそも。

『おらおらでひとりいぐも』に共感できるワケ

 ああ、分かるな、これ。共感がある小説は一気に私のこころの中に飛び込んでくる。そこを反芻して繰り返し味わう。芥川賞を受賞した『おらおらでひとりいぐも』である。

 選考委員の宮本輝さんが<東北弁で読みにくいけれども心地よい柔らかさ>と評したとおりで、読みにくいからゆっくり読むと、どこかで聞いたような東北訛りの声が聞こえてきて、私が3年半聞いた福島弁とは違う、これはきっとステレオタイプの東北訛りに違いないが、あったかいのである。木訥さが自然とあったかさを生むのかもしれない。

 口の中に音がこもるので聞き取りにくいから一生懸命丹念に耳を澄ますのと同じように、一生懸命丹念に活字を追いかけた。この小説がいわゆる共通語で書かれていたら、サラッと読み流した可能性がある。芥川賞に選ばれなかったかもしれない。東北弁が持つ奥行きが効果を上げた。

 冒頭の話に戻すと、私が共感したところは私が人生の終盤を迎えているからこそ分かる。40代なら今ひとつピンと来なかっただろう。宮本輝さんが<このような深さは、やはりある程度の年齢を重ねてこなければ書けないもののようだ>と表していて、同じことが読み手にも言える。すなわちこの小説は<ある程度の年齢を重ねて>きた者同士が、似たような経験をお互いに見いだし、共感を触れ合うという核心を持つ。私も年を取ったんだなぁ。

『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』

 右のメディアに好かれている元朝日新聞記者の永栄潔さん。著書が新潮文庫に入ったので読んでみた。

 文庫の帯には「型破りな新聞記者」とあるけれど、それは違う。「徹底して行動の自由を守ろうとした新聞記者」が妥当である。「会長の家なんかに行ったら出入り禁止」と広報部次長に言われたためわざわざ三菱商事会長宅を訪ねてインターホンを押し、「もうお休みです」との返事に対して「よろしくお伝えください」と伝言した。3回も通ったという。そのあと商事で会長と面会することになり、名刺を差し出しながら「大豪邸ですね」などと言って、通ったことを敢えて伝える。会長は激怒し、「出ていけ」と怒鳴る――。この話が永栄さんの姿勢を最も物語るものだ。

 小田実の文章も頭もめちゃくちゃである話や石原慎太郎の傲岸不遜な話、ソニー盛田夫人が剣幕だった話、瀬島龍三の怪しげな動きの話だけなら朝日新聞社外の人間模様だが、社内の人間を同じようにばっさり斬る。しかしその斬り方があっさりしているのでイヤミがない。

 常務以上でないと会わないと言った朝日経済部長やリクルート事件を「ただの経済行為」と言った経済部長(のちに社長)、『週刊朝日』編集長宅に早朝電話してきて「首にしてやる」と叫んだ元香港特派員、社論に反する読者投稿に怒ってゲラから削除した局次長、あの船橋洋一さんの“人格”を明かした辺りは確信犯だな。のちに『週刊金曜日』の社長をやると紹介されなぜかその後一度も姿を見せなかった秦正流さんは朝日の役員時代、今で言えばパワハラか権力を笠に着て報復人事をしたとしか読めない。朝日新聞社内に言論の自由が保障されていないこともよーく分かった(笑い)。朝日新聞社の中国べったりの内実を垣間見せたのも本書の功績だろう。

 富山支局時代、救急隊員の服装をして素知らぬ顔で救急車に乗っていたり、警察の取調室のロッカーに身を潜めて容疑者の供述を聞いたり、やくざ数人相手に大立ち回りを演じて全員ノックアウトしたりしたという「後年、毎日新聞首脳として活躍するKさん」は誰だろう。

 時計を遡らせることはできないけれど、願わくば私が福島支局に行く1989(平成元)年春までに本書を読みたかった。そうすれば私の行動は多少は変わっただろうなぁ。ちょっと残念。こういう話を入社時の研修で披露すれば意義のある研修になるのに。

 
 

 

文鮮明の根拠たる朝鮮戦争を詳述した『朝鮮戦争』

 あの文鮮明が「日本の復興は朝鮮戦争の特需によるもので、韓国・朝鮮人の犠牲のうえに日本の繁栄が成り立っている。だから、教祖は日本から莫大な金額を持ち出すことも、そのために日本人会員が苦吟することも、良心の呵責を感じない」と断言していたという(樋田毅『記者襲撃』岩波書店)。そんな教祖の下で合同結婚した桜田淳子が今も否定されるのはやむを得ないとはいえ話が逸れるのでさておき、文鮮明が自己正当化した朝鮮戦争について詳述した本書が課題図書に指定されなければ私など手に取ることさえなかった。『朝鮮戦争』(神谷不二・中公文庫)である。

 当たり前だが私が知らない話ばかりで、それにしても外交の繊細さというのか柔軟さというのか、何かのきっかけでボールが思いがけない方向に転がり続け、当事者の意思通りにものごとが動かない外交の制御不可能な様子を最前列で見せてくれるのが本書である。あのスターリンでさえ朝鮮戦争に関して大きな誤算をしでかしてしまう外交は百鬼夜行と言うべきか。「民族自決」の言葉がぐんと重く迫ってきた。

 風が吹けば桶屋が儲かる、かどうかさえ分からないのが外交だとすれば、これほど恐ろしい営みはない。



 

 

 

『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』


『週刊金曜日』創刊早々、当時の社長兼編集長和多田進の提案で右翼の大物たちの原稿を載せた。電話で原稿を依頼した私は「キミは礼儀正しい!」と褒められたという話はどうでもよく、右翼に発言の場を差し出すことでこの雑誌の存在を認めてもらおうという計算だと私は受け止めた。和多田がそんなことを考えたのは1987年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局殺傷事件があったからだろうとも当時の私は思った。

 その朝日新聞阪神支局殺傷事件の犯人を社命で追いかけた記者の記録がこの『記者襲撃』(岩波書店)である。結論から言うと、結局容疑者の尻尾さえもつかむことができない。追跡すればするほど混迷を深め、雲をつかむような状況になってゆく。

 本書では右翼系と新興宗教に絞って追跡劇を描いた。多くが匿名で、後者については「α連合」や「α日報」「α教会」と記したが、誰が読んでもどの組織を指しているか分かるわけで、そこまで配慮せざるを得ない不気味さを感じる。私は大学時代に確か渋谷で声をかけられ最寄りのビデオセンターに行ってみたことがある。大学でも原理……おっとっと、α研に声をかけられていたし『朝日ジャーナル』をよく読んでいたので強い免疫があるからどうということはない。ビデオで男性が「絶対ということは絶対にありません」と主張していたことだけは未だに微苦笑とともに思い出す。

 α教祖が「日本の復興は朝鮮戦争の特需によるもので」と断言したという挿話に「おー」とうなったのは、つい先日読み終えた今月の課題図書『朝鮮戦争』とわずかだが交わったからだ。

 本書の特ダネが2つある。1つは朝日新聞社の編集局次長2人と広報担当役員1人の計3人が、α日報の社長と編集局長、論説委員長らと2回にわたって会食したという話、もう1つは5万〜10万円を定期的に受け取っていた朝日新聞編集委員がいたという話だ。本書で「N編集委員」と記しているのは1998(平成10)年に亡くなっていてもはや裏付け取材できないからである。誰だろう。例えば森藤研記者が「C記者」と記されているなど、本書でアルファベット表記された人は実際の名前と全く無関係に単なる記号として与えられたように見えるので、「N」で考えるのは無駄かもしれないが気になる。

 この事件はNHKスペシャル「未解決事件」で2話にわたって取り上げたが、α連合をほとんど取り上げなかった印象がある。忖度というより怖いのだろう。分かる。

 本書によると、2014(平成26)年5月3日、朝日新聞阪神支局の前で拡声器から「小尻知博は殺されて当然。ざまあみろ」という演説が流れていたという。暗澹たる気分に陥った。朝日新聞だから琉球新報だからと片付ける脳死状態の人が増えたのか昔から一定数いるのか。

 活字業界全体の地盤沈下が続くことは決していいことではない。回り回って自分たちの首を絞めることになり得るということが想像できない、そして聞く耳を持たない人たちにどう伝えればいいのか、気分は全く晴れない。
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