同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

ノンジャンル

電車内で本や新聞を読む人が増えてきたような気がする

 ごく最近感じたのだが、電車内で本や新聞を読む人が増えてきたような気がする。

 私自身電車の中でスマホを見る時間を減らした。読む価値がある投稿者は非常に限られているので、時間がある時にその人たちのタイムラインだけ追いかける。

 電車内ではスマホの代わりに本を読む。そうすることで本を読む時間が増えた(当たり前)。スマホがない時代は電車内はかっこうの読書室だった。その読書室を取り戻すのである。

 瀬戸内寂聴宇野千代野矢茂樹前田速夫茨木のり子高橋多佳子ヒラリハウエルテイラーマルケスイソップ橋本治高村薫夏目漱石に石牟礼道子。

 この調子で読み進むことができれば積ん読本は2年以内に解消できるのではないか。生きているうちに積ん読本を解消しておかないともったいない。


 
  
 

ゴーンさんから学ぶ「逃げるに如かず」

 ゴーンさんの日本脱出に対して、いろいろな意見が出ているのだが、私は学ぶべきだと思う。すなわち三十六計逃げるに如かず、と。

「へぇーほぉー」と呆れられるかもしれない。しかし、である。逃げていいのである。つらいとき、苦しいとき、もがいているとき、自分が壊れそうなとき、死にそうなとき、逃げていい。

 逃げるのは恥でも何でもない。生きるための第一歩だ。

 武士道だの騎士道だのの時代はとっくの昔に終わったし、私たちは武士でも騎士でもない。恥だの卑怯だのという罵倒に怯む必要はない。

 逃げて、逃げて、逃げていい。自分の魂のために。自分の愛する何かのために。学校からも、職場からも、地域からも、家庭からも、恋人からも、友人からも、他人からも、逃げていいのである。

 ワシはそう思うな、うん、いやほんま。

東京・日本橋の下で修行僧が

 東京・日本橋の下で修行僧(たぶん)をよく見かける。仏教の“メッカ”なのかもしれない。

 ある日も修行僧がいた。前を通ると「高野山を走り回り」という男の声が聞こえてきた。ほーそうかーと思って通り過ぎた。約1時間後、逆方向からその修行僧の前を通った。すると――。

「オーマイガー!」

 彼は小さな声で怒っていた。喜捨がないので頭に来たのかもしれない。

 修行が足らんな。

年賀状がワケワカメ

 舎弟を3人抱えていたころ、住所録が充実していた。紙の住所録(1人1枚)のほか、ソフトに年賀状のデータを入れて、送ったとか、相手からも来たとか、喪中なので今年は送らないとかとか、そういう分類をさせて、私は年賀状の文言を練るだけでよかった。

 舎弟3人みんなが家を出て、私ひとりで年賀状の準備をせざるを得なくなり、途端に大混乱に陥った。紙の住所録もソフトのデータも更新しておらず、去年誰に送って誰から来たかの把握が不十分で、今年もまた出張先の広島に年賀状の束を持って来ているのだが、そもそも不備だらけなので勘で出すしかない。勘?

 去年も同じ時期に「住所録のソフトを今度こそ整備しよう」と誓ったのに年賀状の季節が終わると完全に忘れてしまって今日に至る。今度こそは(ほんまかいな)。


 

駆けつけたのに(涙)

 横浜の献血ルームから電話がかかってきた。
「A型が足りないので、400娶シ譴僕茲討曚靴ぁ

 急いでいるというので数日後に駆けつけた。受付でいつもの手続きをして、薬の服用を問われた。
「昼は飲んでいませんが、今朝は飲みました」
「何という薬ですか」
「×××です」
「ちょっと調べますね」

 スタッフがパソコンで調べてこう言う。
「アレルギーの薬はセレスタミンなどを除けばOKなんですが、その薬は前日までの服用なんです」

 平塚横浜往復の電車賃と時間が何の役にも立たずに消えた。がっくり。

 サラ金ではないけれど、献血は計画的に。

マンション管理費詐欺が始まった

電話の主「管理会社ですが、管理費が2カ月間、7万円ほど未納です」

住人「そんなはずはない。いま通帳を確認してみます」

 これは私が住むマンションの住人にかかってきた詐欺電話である。マンション管理費詐欺と命名する。

 なぜ管理会社名を名乗ってピンポイントで電話できたか。

 実はゼンリンの住宅地図にはマンション名と部屋番号、住人の名前が載っている。これと電話帳を照らし合わせればピンポイントで電話できる。犯人はこの手口で対象を絞って電話をかけているのではないか。

 それにしても管理費の数カ月分の未納となると金額が小さい。そのぶん詐欺が成功しやすいのかもしれないが、いずれにしてもご用心を。 

スプリングボクスのトップファンになったぞぉ

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 フェイスブック上でスプリングボクスのトップファンに認定された。おおー。えへんえへんえっへぇぇぇぇぇぇんへんへん。変?

 要するにもっとコメントを書き込め、盛り上げろということだな。英語で書かなければならないのでちと敷居が高いけれど、復習を兼ねて書き込むことにしよう。

 ほかにもナショナルジオグラフィック日本版とニコンと琉球新報からもトップファンのバッジをもらった。こういうの、案外うれしい。

令和になって皇室が根づいた?

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 これも時代の流れか。天皇の代替わりを祝う一連の行事の過程で過激派によるゲリラが全くなかったではないか。拍子抜けしたというかガッカリしたというか「え? まじ?」というか。いや、期待していたわけではない。今回はどうかなと興味を持って見ていただけだ。

 即位の礼の早朝、皇居近くで黒煙が上がり、すかさず生中継したのはTBSだったかフジテレビだったか、私は「来た!」と思ったが、単なる交通事故だった。

 30年ほど前には数十件起きたのに今回はゼロ。警察の長年の取り締まりがあったのは間違いない(1990年ごろ、確か中核派のアジトのガサ入れをするからと福島県警が事前に電話をしてきて各社を現地に集めたのにも、広報官が「これ、東京の夕刊に載る?」と全国紙の報道をものすごーく気にして聞いてきたのにも笑ってしまった)が、過激派自体が“事業承継”できなかったのが最大の原因だろう。

 普通の労働組合さえ組織率が下がり続けている社会でゲリラをやったところで反感を買うのが落ちだと判断したのかもしれないし、適用障害を起こすほど皇室に抗った雅子ちゃんを見て、爆竹を車列に投げて驚かせる程度のことしかできない自分たちを恥ずかしく思ったのかもしれない。

 あるいはここは勝負する場所ではないとして体力を温存し、来年の東京オリンピックを狙っているのかもしれないな。
 

南アフリカ共和国からスプリングボクスのウェア届く

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 DHLで本当に届くんだなぁと感心した私は時代遅れではある。南アフリカ共和国からスプリングボクスのウェアが届いたのである。10月末日夜の注文で6日に届いたのだから1週間もかかっていない。

 スプリングボクスが勝ち進んでいるのか敗退したのかさえ全く知らず、いや、そもそも日本でラグビーの試合をしていることさえよく知らないまま注文したのは、映画『インビクタス』でチームとマンデラ大統領にのめり込んだからである。

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 スプリングボクスのサイトで商品を選び、サイズを選ぶ。背中に名前と願望を入れるのは別料金だが、迷うことなく「6」を入れると決めた。問題は名前だ。NISHINOと入れても意味がない。CAESARもちょっと違う。MANDELAは気恥ずかしい。

 何にするか。ふとLWTFが浮かんだ。おお。マンデラ大統領ならこれだ。分かる人なら握手を求めてくるだろう。それくら重要な頭文字だ。背中にこの4文字を入れる南アフリカの人は「こいつ、よっぽど好きなんだな」と呆れて笑ってくれるだろう。

 というわけで、ウェアの2つとも「6」と「LWTF」を入れた。

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 さて、買いたい人のために情報を共有しておきたい。輸入関税が700円、輸入内国消費税が700円、立替納税手数料が1100円余計にかかった。DHLから商品を受け取る際に計2500円を払った。

何も祝日にしなくてもよかったのに

 即位礼の日とかで祝日になっていたとは知らなかった。

 広島市内に滞在中で、てらにし珈琲で朝飯を食べて宿に戻る途中、いつもならごった返す中国電力本社前の歩道が閑散としているのが不思議だったのだが道理で。閑散としているのは私の頭の中だったのだな。

 即位礼とかいうものをやると知ったのは1週間ほど前。しかし祝日になると新聞やテレビで見聞きした覚えがない。私の手帳やカレンダーは平日のままだし。気づく機会がないまま当日を迎えてしもたがな。

 一体いつ決まったのか。1年前には決まっていたとか言われると困るのでこれ以上の追及は避けるけれど、まぁ冷静に考えると私の仕事は平日も休日もあまり関係ないので、まぁいいか。

タワーマンションの停電断水はひとごとではない

 大雨の影響で地下の配電盤が壊れて停電したタワーマンションが話題になった。しかし、マンション住人ならひとごとではない。

 私が住むマンションも地下に電気設備がある。防水対策をしてあるけれど、排水が間に合わないくらいの雨水の流入があれば被害が出るというか停電する。土嚢を買って積み上げれば雨水の流入を遅らせることができるのだろうが、根本的な解決策ではない。これはタワーマンションだけの問題ではないのである。

 屋上には給水タンクが普通置いてある。これからは電気設備も屋上に置くほうがいいのではないか。雷を呼ぶ可能性が高く危険というのであれば2階や3階辺りに設置するしかない。

 自然環境が変わってきたのだから、電気設備の設置場所も変えていかないと。

台風被害に思う変わってゆく大地

 台風19号で堤防が決壊したり水が出たりした。住民が「ここに50年住んでいるけれど、こんなの初めて」などと落胆している。国の支援を期待したい。

 ここにきて治水の重要性が言われ始めた。しかし、そもそも自然の猛威がもたらす大地の変形を人間ごときが治めることができるのだろうか。こう思うのはNHKの「ブラタモリ」を思い出すからだ。

 この番組で私が気づいたのは、数万年数十万年数百万年数千万年の長さで地形が変わってきたことだ。川が氾濫し、火山が噴火し、雨が降り、地震が起き、こうした地球環境の変化によって気の遠くなるような長い期間をかけて地形が変わってきたのだった。今の地形は途中経過であり、今後も地形は変わり続けてゆく。

 そういうことを前提に、治水も住む場所も見直すほうがいいのだろうなぁ。

安物買いの銭失い

 安いほうを買って失敗したことが何度もある。例えば靴(くるぶしに当たって痛いので30分で捨てた)。例えばネームホルダー(数回使っただけでバラバラになった)。例えば消しゴム(きれいに消えない)。例えば万年筆と鉛筆(書き味が最低なので投げ捨てた)。例えばスチールのラック(錆びないと言っていたのに錆びたドウシシャ製。この会社の商品を私は買わない)。例えばパソコン(スペックがすぐに古くなる)。例えば時計(1年で壊れた)。例えばひげそり(切れが悪い)。

 この辺にしておくけれど、安ければいいというものでは絶対にない。マンションの大規模修繕工事だって安ければ職人さんが手を抜くか安い材料でやられる。大きな買い物になればなるほど、取り返しの付かないことになる。

 もちろん適正価格はあるはずだから、鉛筆1本が1万円というのは利幅が大きすぎることになるし、消しゴムが5万円なら消費者を馬鹿にした価格設定だ。一般消費財なら妥当な価格が何となく分かるから、それと照らし合わせる。

 特に仕事で使うものは。


 

身銭を切る寄付こそ

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 京都大学iPS細胞研究所に畏友・神能さんが多額の寄付をした。山中伸弥教授の仕事の半分が募金活動と知ったのがきっかけだという。素晴らしい。

 私が長年引っかかってきた“仕事”がある。報道会社に多いのだが、例えば大災害のとき私たちはこう報道したといった類のやつである。立派とか立派でないとかいう話の前に、それ、あんたの仕事やんけ。それで金を稼いで生活しているのだから、やるのは当たり前やんけ。

 しかし、寄付は違う。しなくていい身銭を切るのである。

『ちくま』9月号に鹿島茂さんが書いた「吉本隆明2019」では《吉本によれば、知識人とは「非・大衆」の人、つまり自分の生活と「直接関係のないこと」、たとえば政治だとか文学だとか哲学だとかに思いを巡らす人ということになる》としていて、神能さんの寄付はこれに当てはまる。
 
 五木寛之さんは『他力』(講談社文庫)でこう書いた。

《資本主義を支えている精神的なバックボーンは、「多くを稼げ」「多くを蓄えよ」「多くを施せ」という三つの柱です。これが三位一体となっている。そして、質素に暮らし、勤勉に働き、多くを稼ぐ。強欲に商売することも、多くを施している限りは許される。どんどん社会還元している限りは、資本家がどんどん過酷なビジネスをやっても、そこには神の意思だと胸を張っていられるところがある。
 ところが、日本の資本主義はそうではありません。(略)堂々と儲けることは、この国では難しい》

 日本で堂々と儲けることが難しいのは、「多くを施せ」を実行する資本家が少ないからではないか。それでは後ろめたいのは当然だし、周囲だって「何だかなぁ」としか思わない。

 例えばマイクロソフト創業者のビルゲイツが財団を創って世界中に寄付をしているし、アマゾン創業者と離婚した女性は莫大な慰謝料の大半を寄付すると宣言した。日本ではドンキホーテやニトリが若者に奨学金を渡している。このような活動をする企業はもっと大きく報じられるべきだろう。私ならそういう企業で物を買うし、社長が身銭を切っていたらもっと素晴らしい。

 自己紹介で、あるいは名刺に、「私の寄付先はここです」と示すのが普通になれば、世の中はずいぶん変わる。日本人は「みんな寄付してますよ」に弱そうだし。

つまずかない方法を見つけた!

 ランナーなので足腰は弱くないはずなのに、なぜ自宅の床でつまずくのか。床に置いた本やかばんに数え切れないくらい足を引っかけ、「ととととー」と叫びながら体勢を崩して家具に突進してきた。そのうち大けがをする。

 危機を避けるのは無理だとあきらめていたのだが、ある日思い立って実行してみたらそれ以降全くつまずかなくなった。おお。やればできるじゃないか。

 というわけで、おすそ分け。

 床を見ながら歩く。

 以上。

 私は床を見ずに歩いていたのだった。そりゃ視野に入っていないものに足を引っかけるわな。視野は年齢と共に狭まるのだからなおさら。

「下を向いて歩こほほほ」と歌いながら歩くことにしている。貧乏人の自宅なので下を向いて歩いても1円も落ちていない。代わりにほこりやゴミが目につくようになった。掃除せんといかんなぁ。

「りんごちゃん」やめてくれぇ!

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 テレビを見ていてひっくり返りそうになった。小太りの男が「りんごちゃん」を名乗っているのである。ああ、何ということだ。

 私の十八番に「りんごちゃん」がある。知る人ぞ知る、高校1年のときの交際相手のあだ名である。それはそれはかわいい女の子で、河合奈保子のような愛くるしい笑顔に私はメロメロになって溶けたものだ。付き合って1カ月で「幻滅した」と言われたときは溶けてこの世から消えてしまったけれど、それはそれ、「高1のときに付き合ったりんごちゃんが」などと話すだけで今でも笑いを取ることができるのである。

 恐らく「りんごちゃん」のあだ名がほほ笑ましいのだろう。50を過ぎたおっさん(ワタシね)が「りんごちゃん」と言う違和感も笑いを誘うのかもしれない。

 この私の十八番とセイシュンの清い思い出がこの小太りの男によって壊されるのは由々しき事態である。そういえば、ガレッジセールのゴリもけしからん話で、ゴリさんと言えば『太陽にほえろ!』で竜雷太演じたゴリさんしかあってはならないのである。ゴリさんは永久欠番なのである。ガレッジセールのゴリが出てきたときも私は目を剥いたが、今回のりんごちゃんの登場に私は歯茎も剥きだしにして抗議する。

 とにかくやめてくれ。りんごちゃんは僕のものダ!

表現の不自由展の中止をどう見るか

「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の実行委員会が企画展「表現の不自由展・その後」を中止した。場外乱闘や内紛のような状況が続いていて、賛否両論あり、どちらも一理ある。

 感じたことをいくつか挙げておく。

 警察に警備してもらっても続けるべきだという主張を聞いたが、それは滑稽であると言わざるを得ない。国家に対する批判の芸術を主張しながら国家機関の1つである警察に守ってもらえばいいという性根と考え方が私にはよく分からない。

 津田大介さんの名前はよく聞くけれど何者なのか私は全く知らなかった。検索してみると、インターネットの分野に詳しい人なのだった。この難しい分野を任せたのがそもそも間違っていたのではないか。ネットに精通していれば愉快犯から嫌がらせが数多く寄せられることくらい想定の範囲内でなければなるまい。想定の範囲でなかったとしたら、そもそも津田さんが芸術監督をするのは力不足だった。

 河村たかし名古屋市長が「表現の自由は憲法21条に書いてあるが、なにをやってもいいという自由ではなく、一定の制約がある」と語っている。表面的に捉えればその通りで、表現の自由は私人間において一定の制約を受ける。小説のモデルになった人から訴えられた小説家が負けるのは、私人間には無制限の表現の自由はないという視座ゆえである。

 とはいえ、憲法は対国家規定である。憲法21条が定める表現の自由は国民が国家に対して批判を含めて自由に発言できるというのが本来の趣旨であり、河村市長の発言はズレている。

 これ、収拾がつく日は来るのだろうか。

パソコンのデータが一部消えた(涙)

「ユーザープロファイルを読み込めません」とエラーメッセージが出てパソコンを立ち上げることができない。

 幸いにもiPadがあるので検索して復旧法を調べることができた。パソコンしか持っていなかったら検索する術がないわけで、あらためて複数の端末を持っておく必要性を感じた。

 で、おずおずと順番に試し、レジストリをいじくって解決した……かに見えた。そうは問屋が卸さない。

 どこかのサイトが書いてあったとおり、デスクトップに置いてあった大事なデータが一部消えている。うっ。バックアップはとっていない。悶絶である。

 デフラグを3年くらいやっていなかったようなので、昼間やってみたところ12時間近くかかった。デフラグの前に比べるとサクサク動く。これならまだ数年は使えるかな。


 


玄倉川事故から20年で思う川の事故の共通点

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 神奈川県の玄倉川で増水した濁流に18人が流されていった。この光景を目撃した毎日新聞小田原支局長の澤さんが8月19日付の県版で回想している。それによると――。

 全員が流される瞬間の光景を澤さんはこう記す。

《その瞬間。抱き上げていた赤ちゃんを岸に向かって放り投げるのが見えた。東京からキャンプに来ていた高校生の親子が、立っているのも難しい濁流に入り、お互いの体を支え合うようにして、赤ちゃんを救い出した。私の横で川の中には行っていく親子に向かって「やめて、やめて、やめて」という女性の金切り声を今でも思い出すことができる。
 助け上げられたのは1歳の男の子だった》

 あの現場に勇敢な親子がいて、果敢な行動をして命を救ったことは知らなかった。立派な親子が世の中にはいるのだなぁ。こういう素晴らしい行動をした人を讃え続けていいのではないか。高速道路での幅寄せや嫌がらせの報道に暗澹としていただけに、何だか少しほっとする。

 流される直前に澤さんが撮った現場の写真は『スポーツニッポン』の1面すべてを使ってどかーんと掲載された。澤さんにとっても忘れがたい取材現場だろう。

 澤さんは私の福島時代の先輩である。1989(平成元)年8月に起きた大倉川氾濫事故をともに取材したのだが、河川の事故には共通点がある。澤さんは端的に挙げている。

《「急変する山の天気」と「増水した川の恐ろしさ」》

 あらためて広く知らしめたい。


 

ゴキブリが2夜続けて出てきたので

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 夜中に目が覚めた。何か私のすぐ近くでカサコソ音がする。よく調べてみたら、足元に無造作に置いてあった大きな大きなビニール袋の谷間から這い上がろうとしているゴキブリではないか。滑って這い上がれないのである。何でそんなところに落ちたんだよというツッコミより、私の間近にゴキブリが出ていることに驚愕した。

 翌日夜、壁を歩いてこっちに来るゴキブリを見つけた。「掃除しなくても死ぬことはない」を合言葉にしてきた私だが、ゴキブリ屋敷になりつつあるのではないか。

 蜘蛛やヤモリよりはずっとマシだし、徳島の実家で暮らしていた高校生のころは夜中に台所の電気をつけたら必ず1匹や2匹はいたもので、しかし、だからといって放置しておくのも何だし。もしかして、寝ている私の顔の上を歩いているのではないかと想像するとけたくそ悪い(けたくそって何だ?)。

 というわけで、近くのスギ薬局で買ってきた。わずか75平米の部屋だが、ブラックキャップは15個、ごきぶりホイホイは9個、あっちこっちに置いた。ゴキブリに負けるものか。

あの三朝庵が

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 カツ丼発祥の地と言われ、地元のランドマークでもあった三朝庵が閉店したのは1年前だったか。新聞記事によると後継者が再起を期すようなことを述べていたので、どうなることかと興味を持っていた。

 それが何とこうなった。

 数十メートルくらい離れたところにあったファミリーマートが移転してきたのである。

 この場所、確かにコンビニのほうが商売になる。私としてはスターバックスコーヒーや名古屋発のチェーン喫茶店(名前が出て来ない)でもよかったのだが。

 この界隈、歯医者も多いがコンビニも戦国時代だ。

 もはや「大隈家御用達」の看板は使えないなぁ。

いま大阪ではやっている吉本興業ネタ

 大阪から来た保険営業マンが教えてくれた。お客さんなどに会ったら、こう言うそうだ。

「テープとってないやろな」

 さっそく自家薬籠中の物にして笑いを取っているのだった。おもろいなぁ。

 大阪府内で2回計5年くらい暮らした私の体を流れる血の11分の1は大阪の血なのである。……って、えらい薄いな。

吉本興業社長の会見で大事なのはここでしょう

 大学4年のとき、就職先として浮かんだのは朝日新聞社と吉本興業だった。親に伝えたもんね。朝日受験の勉強に追われて吉本興業を受けるのをすっかり忘れてしまったが、思えば小学生のころから親近感を持っていた。入社していたらお笑い芸人のマネジメントをしているうちに「ワシも芸人になる。新喜劇に出たい」と芸人修行に走った可能性がある。

 さて、そんな吉本興業の社長の会見での最重要点は、宮迫さんらから実はお金を受け取っていたと白状されて「現場も含めて我々がパニックになった」という発言だろう。なぜパニックになったかということコンプライアンスに引っかかるからである。何か国の事業を引き受けているようだから、最悪それが打ち切られたり違約金を求められたり、銀行との取引停止になったりするのではないかと経営陣がパニックになった、と私は見る。

 よく言えば吉本興業の存亡に関わる事態であり、悪く言えば経営陣の保身である。しかしさすがに本音すぎたのか社長は会見でそこまでは明かせなかった、というのが私の解釈である。

 

闇営業問題の会見を見て思う2つのこと

 闇営業問題で涙の会見となった宮迫博之さんと田村亮さん。問題点を2つに分ける必要がある。

 まず、嘘の上塗りをしたこと。もう1つは吉本興業社長が記者会見を妨害したこと。この2つを分けて見なければ、滅茶苦茶になる。

 まず、宮迫さんらの嘘の上塗り(口裏合わせの指示なども含めて)はどれだけ泣いても残念ながら悪質と言わざるを得ない。不本意だろうが、吉本興業が解雇相当の処分を科したのは当然と言うほかない。仕方ない。

 テレビで見た限りだが、宮迫さんは自分がしたことの重大性を分かっていないのではないか。泣いて済む問題ではない。

 次の吉本興業社長の件は何か意図があったのかどうか本人の会見を待つことになる。

東京・品川でコケる

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 写真手前の排水口の蓋の上で靴が滑り、両手両肩に荷物を抱えていたため態勢を維持することができず、そのまま前につんのめって……。完全にコケた。

 周囲は初老の男が転んだと見ただろう。その通りではあるのだが、排水口の金属が雨で濡れていたので滑ったのだと声を大にして主張したい。しかし、起き上がったら、それまで私を見ていた人たちがすかさず目をそらすことよ。痛々しい光景だったのだろう。なーんも見てないからねーということだろう。気を使ってくれてありがとう。

 5年くらい前には有楽町駅近くで前に転び、15年くらい前には渋谷の地下街で滑って尻もちをつき、いや、もう、私の人生そのものだ。


 

ペイペイ初体験で思う現金の重要性

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 初体験はドキドキするものである。失敗して恥ずかしい思いをしたくない。できれば手取り足取り教えてほしい。リードしてほしい。うふん。

 というわけで、お世話になっている広島の株式会社ライブの皆さんにペイペイの使い方を教わって、広島中央郵便局の前のセブンイレブンでアイスコーヒーと沖縄のお菓子ちんすこうを無事に買うことができた。ペイペイ。う、かわゆい。しかも便利。

 偶然NHKラジオの『実践ビジネス英語』7月号テキストがキャッシュレス社会をビニエットにしていて、
・米国人の25パーセントが現金を全く持ち歩いていない
・飲食店のような店では、お金を数える時間が減り、盗難リスクも減り、現金輸送車の費用がなくなり、強盗の心配もない 
・しかしチップを現金で払う場合に困る
・現金ベースで非合法犯罪が行われているので将来はその対策にもなる
・特に紙幣は不潔。病原菌を感染させかねない
・スウェーデンはキャッシュレス社会がもっと普及している 
 というような内容だった。

 盗難や強盗の心配をするのは米国らしい。お金が汚いという話は、銀行員だった父が昔「お金は汚いけん、そんなに触るな」と言っていたのと合う。特に紙幣は病原菌などを広める媒介になるようだ。

 では日本では現金は不要か、となると、ちょっと違う。ペイペイなどを使いながら、現金はしっかり持っておくべきだろう。特に大震災や富士山噴火で被災しそうな地域の人は。

 電気が止まったらペイペイで買い物できない。クレジットカード決済も止まるだろう。そんなときに強いのは現金である。

 神奈川在住の次女に先日指示したのは「富士山が噴火したら、タクシーで北を目指せ。火砕流は新幹線並みの早さで来るし、火山灰が来たら交通麻痺。福島のパイナップルハウスならタクシー代程度なら貸してくれる。あるいは長男長女が住む北海道まで行ってお金を払ってもらってもいい。でも、できれば5万10万持っておけ。ワシは持ってないけど」だった。

 お金がある人は被災地を脱出することができる。そのときに役立つのは依然として現金なのである。被災する可能性が高い日本で現金は欠かせない。

平塚七夕祭りで思うあれこれ

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 30年ほど市民をやっているがしょせんはよそ者、七夕祭りに何の魅力も感じない。実際はテキヤ祭りで市民不在。戦後復興で始まった祭りの限界である。阿波踊りがどれほどありがたい行事であるかと毎年この七夕祭りを見るたびにしみじみ。

 大混雑する駅周辺を歩きながら京都や鎌倉の住民に思いを馳せる。平塚は年に数日の我慢で済むが、観光地はこれが毎日のべつ幕なし。観光客相手の商売をしているならまだしも、単なる住民は諦めか引っ越しかの選択肢の前でうろうろするしかなさそうで、お悔やみ申し上げる。

 今回目についたのが避難所への誘導看板である。大地震が来たとき平塚に不案内な人が駅前にとどまらないようにするのだろう。それはいい。しかし誘導先の公園の海抜はゼロメートルに近いのではないか。市が作った津波地図ではこの公園は被害に遭わないことになっているが、私は信じていない。津波が数十センチ来たら大勢が流されてゆく。あーれー。

 駅周辺は高さのあるビルがあるから本来はそこに逃げ込むべきである。


 

南海トラフ巨大地震の前に80歳の母は

 徳島にいる母と電話で話をした。

母「南海トラフ地震が来ると言われよるけんどな」

私「家、古いよなぁ」

母「屋根瓦、重いけんなぁ」

私「津波も心配じゃ」

母「避難先に指定されとる附属中学まで果たして行けるだろか」

私「マンションに引っ越す?」

母「いつどこで地震に遭うか分からんでえなぁ」

私「確かに」

母「大地震が来る前に死のうとお父ちゃんと言いよんよ」

私「南海トラフ巨大地震は2020年から2030年の間に来るって」

母「あらあら。死ぬの間に合わんな」

ジャニー喜多川というと村西とおる監督が

 ジャニー喜多川さんの報道に違和感があるのは、村西とおる監督のメルマガを読んでいるからだ。かないきわどい性癖をタレントの実名入りで何度も暴露してきた。さすがの私でもちょっとドン引きしたほどだし、例えば郷ひろみを見る目がすっかり変わってしまった。

 詳しくは監督のメルマガに譲るが、敢えて言えばそういう突出した“個性”はタレント発掘の才能と表裏一体だったとも言えるわけで、何が幸いするか分からない。

 そういうことを知っているのに全く触れないワイドショーは自ら限界をさらしたわけで、もともと何の期待もしていないけれど、まぁいいや。

 というわけでジャニー喜多川という名前を見聞きするたびに村西とおる監督が暴露した性癖が私の頭に浮かぶ。

 火を踏む村西とおる監督、私は大好き。

楽しいことは前倒し

 ジャニー喜多川87歳、石原裕次郎52歳、アドルフ・ヒトラー56歳。だからというわけではないが、最近私の頭の中にある惹句は「楽しいことは前倒し」。

 昔は「原稿より健康」が座右の銘だったが、そうは言っても現実味はなかった。若く元気だったから、原稿と健康が両立していたのである。

 しかし、50代の半ばくらいになると、「いずれ死ぬんだな」という実感がある。棺桶が見えてくるのである。寿命の手前に健康年齢という関門があるし。

 というわけで、楽しいことは前倒し。もちろん「楽しい」は人によって異なるので、自分の「楽しい」を追求すればいい。

嗚呼おっさん

 徳島の友人から「サザンのライブの写真送ってこい」と言われたので、ライブTシャツを着た雄姿を送ってやった。マイッタカという勢いで送ってやったのだが、返ってきた感想はひとこと、
「どこからどう見てもおっさんやなぁ」。

 う。痛いところを突いてくる小磯め。

 しかし、反論する気はない。反論できないのだ。

 私の頭の中に浮かんでいた私のさっそうとした顔かたちと、スマホで撮った私の顔かたちのギャップがありすぎて、なんじゃこりゃ。わしはこんな初老風のおっさんだったのか。

 男は自分の顔を鏡に映してしみじみ見ない生き物である。ある日突然自分の老いに驚く男が全国各地に生まれているかと思うとうしししし。

逃走者をかくまった男に侠気あり

 横浜地検が収容しようとして逃走した小林容疑者を自宅アパートかくまったとして逮捕された知人の男、私は好きだな。どういう理由でかくまったか知らないが、かくまうことで自分も罪に問われると分かった上でそうしたのなら、ますます好きになる。

 法律に反していいと言っているのではない。しかし、そういう気風(きっぷ)には拍手を贈る。

 私ならどうするだろう。友人が「かくまってくれ」と逃げ込んできたら、とりあえずかくまうわな。そのあとで自首を勧めるだろうが、本人が自首したくないと言えば次の場所に逃がす手伝いをするだろうなぁ。

 ただし、(1)年賀状のやり取りをしているくらい近い友人知人、(2)無期刑を科される犯罪ではない、くらいを条件にするかな。

 かくまったとして逮捕された男は沖縄の名字なので気になるけれど、その侠気やよし。

サザンオールスターズ40周年ライブで「くわたー!」と叫ぶまで

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 歌い手が豆粒くらいにしか見えないライブに行くよりDVDを見るほうがいいという長年の考えが覆ったのは数年前の桑田佳祐の徳島ライブである。いろいろなライブに行っている次女が徳島までくっついてきた理由がよく分かった。あの一体感や高揚感はDVDでは味わえない。

 サザンオールスターズのファンクラブに入会し、満を持して迎えた40周年ライブである。札幌は遠いので辞退したが、西武ドームと名古屋ドーム、東京ドームでのサザンオールスターズ40周年ライブに行き、ライブの楽しみ方を習得した。

 まず服装である。ツアーTシャツとオープンカラーシャツ、リストバンドを買って、外見でサザンのファンだぞ宣言をした。サザンのシャツを着ている人に目が行く。ビビビと通じ合うのである。服装は簡単だ。着ればいい。

 最も大事で難しかったのは「くわたー!」だった。徳島ライブで「くわたー!」という叫び声は聞いた。しかし自分が叫ぼうとは思わなかった。

 西武ドームのアリーナ席で2人隣の男が「けーすけー」と1回叫んだ。ふーんと思った。

 名古屋ドームはアリーナ席で、後ろのほうから「くわたー!」という男の声や「くわたさーん!」という女の声が時々聞こえた。拍手や手拍子をするだけではもの足りないと感じた。しかし、四捨五入したら60歳になる私が叫ぶのもなぁというためらいがあった。

 東京ドーム初日、1階席で1回だけ「くわたー!」と叫んでみた。ちょっと恥ずかしさがあった。しかし拍手や手拍子をするだけではやっぱりもの足りないのである。できるならステージで踊りたいがそんなの無理だし。阿波踊りの教訓であり私の人生訓である「同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」が頭をよぎる。

 東京ドーム2日目はライブ千秋楽である。もうあとがない。1曲歌い終わるたびに「くわたー!」と叫んだ。3回くらい叫ぶところまでは周囲から「やかましい」という苦情が来るのではないかとジェントルマンの私は気を使ったが、何のクレームも来ない。あとは慣れの問題だったが、3回叫んでいたのでもう慣れていた。

 それからは曲が終わるたびに「くわたー!」。原由子が歌ったときは「はらぼー!」。最高潮に達した『勝手にシンドバッド』のときは「くわたー! くわたー! くわたー!」と3回。

 2階の上のほうの席なのでステージに届くわけがない。そんなの最初から分かっている。要は自分がどうすれば参加感の手応えを得るかなのである。

 よしっ!

 私より7歳ほど年上の桑田佳祐を呼び捨てにするのもなぁと思いつつも、まぁ許してくれるだろって誰が?


 

 

 

個体差はDNAの仕業

 カメラなどの工業製品でさえ個体差があるのだから、生物である人間の個体差はいったいどれだけあることかと感じてきた。NHKスペシャル『人体供戮聾賃虜垢鮖覆襭庁裡舛力辰鮠綣蠅砲泙箸瓠個体差の原因を説明してみせた。

 たまたま養老孟司先生が6月9日付『毎日新聞』朝刊書評欄で『流れといのち 万物の進化を支配するコンストラクタル法則』(紀伊國屋書店)を取り上げて<生物学はワトソンとクリックによるDNA分子構造の決定以降、ほとんど遺伝子系に関する生物学になった。遺伝子系は情報系であって、神経系は遺伝子系が生み出す別な情報系である。つまり生物学は神経科学を含め、情報系の学問になった>などと書いていて、『人体供戮判鼎覆襪箸海蹐ある。

 40年ほど花粉症に苦しんできた私はビラノアのおかげで完全に抑えることができ、身近な人たちに勧めたところ、私と同じように完全に抑えることができた親子もいれば、全く効かない人もいて、これはきっとDNAレベルの反応なのだろうと薄々感じていた。

 DNAが完全に解明されて人間に応用できる日がいずれ来るのだろう。難病に苦しむ人に適用されて治療できれば安楽死希望者は激減するのではないか。身内や友人らに難病を抱えている人たちが数人いるので、祈るような気持ちになっている。

懐かしいダンゴムシ

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 50年ほど前だからもう半世紀か、当時住んでいた徳島市の家の庭でダンゴムシをつかまえて遊んだ記憶がある。そのダンゴムシである。いやぁ懐かしいなぁ。

 よーく見ていると、あちらこちらにダンゴムシがいる。アリもいるしムカデみたいな虫もいる。大賑わいの土である。造園業者が消毒液や殺虫剤を撒いてない賜物だな。

 マンションに花壇を新設した。理事長の率先垂範ということで花摘みや枯れ葉拾いを時々やるようになった。これが何とも楽しい。無心になって世話をするだけで手軽な気分転換になる。こころ洗われるとまでは言わないが、和むなぁ。

 何も考えない時間が自然に生まれるところが土いじりの魅力だとするとランニングに似ている。


  

性犯罪者は宮刑に処す

 強姦や準強姦、痴漢などを冒した男への手ぬるい刑をどうすればいいか考えていて、思いついた。そうだ宮刑にしよう(どこかで聞いたようなリズムだが)。

 実現不可能なのは承知の上。しかし、それくらいの刑を科していい。強姦は逮捕1回で、準強姦は逮捕2回、痴漢も逮捕2回で宮刑である。

 ある意味で死刑よりえぐい。だからいいのである。

 殺人1人も宮刑送りでいいのではないか。

 ウィキペディアによると、米国では一部の州で性犯罪者に対して本人の希望などで実施されているそうな。日本でも昔々ペニスを切断する刑があったとか。なんまんだぶなんまんだぶ。


阿波踊りはムズカシイ


 私は阿波踊りが大好きだが、自己流である。いわゆる有名連の踊りと私の踊りと何か違うように感じるのだが、何が違うのか分からない。というわけで40年近く自己流で踊ってきた。

 そこに救世主が現れた。上京してきた小磯である。職場の上司か何かが娯茶平連の踊り手で、折に触れて教わったという。「わしに今すぐ教えてくれ」とすがりつき、東京・品川の雑居ビルの1階フロアで即席講習をしてもらった。

 手の動きと足の運びに基本型があると知った。およそ二拍子ごとに小さな小さな“決め”を一瞬するのである。この基本を知らないので私の踊りはダラダラしたものに見えてしまうようだ。

 音楽に合わせなければならないのだが、ノークラッチの車に初めて乗るのに似た難しさがある。足の運びを意識してしまうとうつむき気味になって手の動きがちぐはぐになってしまい、手の動きを意識すると足の運びがメロメロ。それでも必死こいて踊っていると、小磯が時折「うまい」と言う。実際は私の踊りが「うまい」わけはなく、私の手と足が阿波踊りの基本型にたまたま重なったのだろう。つまり、そういうことなのである。手の動きの基本型があり、足の運びの基本型があるのだ。

 腰を落とすとけっこう苦しい。足がもつれてよろける。ランニングとは使う筋肉が違うのであるから仕方がないというのは言い訳だが、姿勢は苦しい。しかし楽しそうな顔にしなければならないと小磯の厳しい指導が続く。自分が基本型で踊ってみて初めて難しさがよく分かる。

 今から思うと人通りのあるあんな場所でよくまぁ1時間も練習してしもた。阿波踊り愛である。毎日でも踊りたい。

 こうなったら(どうなった?)姿見を買わなければ。

マンションの防犯カメラが役に立った

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 過失運転致死傷事件の裏取りで茅ヶ崎署員が道路添いの防犯カメラ映像をしらみつぶしに調べていた。私が住むマンションの防犯カメラに当該バイクが映っていたそうで、このような役に立つとは。

 警察官の仕事を間近に見るのは久しぶり。何とも地道な仕事をしていることに敬意を表せざるを得ない。貴い仕事だ。だから警察は繰り返しドラマになるのだろう。

 私は子供のころお巡りさんになりたかった。三つ子の魂百までだなぁと思う今日この頃である。

祝! スポニチ常務

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 人事は人がやることなので恣意が入ると三和総研のナンバー2がよく言っていた。恣意が入った人事でもうれしい人事が時々ある。

 私のフリー時代にお世話になった石井さんがスポニチの常務になった。ナンバー3である。社長は毎日新聞社から来るので、生え抜きとしてはナンバー2だ。

 石井さんから学んだことがいくつかあり、一番どうでもいい思い出を挙げておくと、私は生まれて初めて石井さんに指摘された。

「西野さん、気短いでしょ」

 打ち合わせをする直前のことだった。私ほど温厚で気の長い人間はあまりいないと当時は本気で思っていたので、実は大変驚いた。打ち合わせに来る人が遅れるという連絡が入り、早めにスポニチに来ていた私は「打ち合わせに何で遅れる?」と顔に出たのかも知れない。

 スポニチのデスクから電話がかかってきて不愉快な気持ちになったことがある。それを横で聞いていたのだろう、部長だった石井さんがすぐに電話をかけてきて「いやな思いをさせてすみません」とすくってくれたことを刻んでおきたい。

 こころからお祝い申し上げます。


 

今こそ第3第4第5の慶應ミスコンを立ち上げて

 三田の色魔慶應がミスコンで揉めている。それを見て私は思うわけだ。ミスコンなんぞなんぼでもやればええがな、と。

 例えば私が「ミス慶應グランプリ」とか「慶應プリンセス」とかでっち上げて主催するのはアリだろう。これをネタに慶應の女の子とお近づきになることができるのではないか。ふふふ。

 あるいはこう迫ってもええな。「きみは世界一かわいいね。僕が主催者だからきみを優勝させてあげる。就職のときの履歴書に書けるよ」。相手が興味を示したら「100万円ね。もちろん僕はバラさないから。きみが慶應プリンセスのチャンピオンだって死ぬまで自慢できることを考えたら安いでしょ」

 こうして20でも200でもミスコンをやればええのである。

 そういうもんに出ようが出まいがどうでもええけんど、出る女を私は門前払いする。なんて書いても、「なに寝ぼけたこと言ってるの?! その前にこっちがアンタを門前払いよ」と言われるのだろうなぁ。
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