同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

毎日とおさん

父の日禁止令

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 自分の子供たちには折に触れて伝えてきたが、1カ月ほど前にあらためて念を押した。「母の日に君たちの母親には各位プレゼントを。なお、何遍も言うてきとるように、父の日プレゼントは今後も絶対に無用。そんな金があるなら例えば国境なき医師団にでも寄付し」

 子供に「ありがとう」と言われたいか? 感謝されたいと思って子供を育てたか? 子供からプレゼントが欲しいか? 多くの父親は「まさか」と首を横に振るだろう。

 全国一律で子供に親への感謝を求める風潮への烈しい違和感もあるけれど、子供を手塩に掛けて育てて「はよ家から出て行け。戻って来るのは罷り成らん」と追い立てて自立したら「終わりッ」が父親だと私は確信している。


 

私は算数・数学がなぜできないか

私「ワシは中3のときの因数分解は100点やったんよ。東京数学研究会という組織の通信教育がよかったんかな」

次女「食塩水の濃度とか、10分後に時速100キロで追いかけてどこでおいつくかとか、そういう問題が苦手なんだったよね」

私「そうそう。小学4年の算数よ」

次女「どこで追いつくかというのは、追いついたところは距離が同じでしょ。そこから式を立てるんだけど」

私「なるほど。距離が同じか。追いついたんやけん、そりゃそうや。でも式が浮かばん」

次女「何でかなー」

私「因数分解は満点だったのに」

次女「ああそうか。あのね、数学には計算問題と考える問題があるのよ。で、お父さんは計算問題はできるんだ。公式を覚えて、あとは練習を積めば解けるのが計算問題。一方、考える問題ができないんだ」

私「なんで考える問題ができんのだろ」

次女「考えてないからでしょ」

私「……」

次女「……」

 ふたりそろって爆笑。

私「お前相変わらずワシに似て失礼やな。ワシの話、何も考えてないような内容か?」

次女「あまり真面目に聞いてないから分かんない」

私「……」

次女「……」

 ふたりそろって爆笑。

 しかし、的を射た指摘なのかもしれない。私が得意なのは英語や現代文、古文、社会などの暗記科目だ。これらの科目も考えることがないわけではない。しかし数学的な「考える」とは趣がちょっと異なる。

 引き続きこの問題をツイセキする。

小保方さんに似てきたムスメ

 1カ月ぶりに次女を見て。

私「お前、小保方さんに似てきたな」

娘「なんちゃら細胞はあります!」

私「細胞名を忘れたんか」

娘「でっち上げ細胞の名前を覚えておく価値はない」

私「性格も似てきたな」

娘「お父さんの名前も忘れたみたい」

私「まぁ確かに価値ないしな。おい!」

却下されたワシの素晴らしい提案

 深夜の電話。

ワシ「お前の披露宴の司会、ワシがやるっちゅうのどうよ」

舎弟その1「何でよ」

ワシ「絶対受けるし。たぶん前代未聞やで」

舎弟その1「却下」

ワシ「ほな、仲人どうよ」

舎弟その1「仲人いない」

ワシ「ほなけんワシがやるんよ。どや。前代未聞でオモロイで絶対」

舎弟その1「では仕事に戻るから。ガチャン」

ワシ「絶対ウケるんやけどなー。皆様、それでは新郎新婦の入場です。その前に皆様、ワタクシ、新郎の父でございます。はい。このたびはありがとうございます。最後にまたごあいさつもいたしますので、よろしくお願い申し上げます、ってな具合でペラペラしゃべってやるのになー。ウケてナンボっちゅうのが神奈川生まれ神奈川育ちの人間には分からんのやなぁ。ツマラんやっちゃなー。親の顔が見たいわ」

デニム姿の私にムスメは

 毒を吐く次女に私のデニム姿を初めて見せた。

ムスメ「お父さん、そんなに足スリムだったっけ?」

私「これまでデニムを履いたことがなかったけんな。どや?!」

ムスメ「いいかも」

私「ほれ。お尻の辺りもきれいだろ。どや?!」

ムスメ「うん、かっこいい」

私「わっはっはっはっはー」

ムスメ「あとは顔だね」

お嬢様は白金のマンションに住む



私「お前の学校、お嬢様おる?」

次女「いるよ」

私「親しいお嬢様は?」

次女「いない」

私「なんで?」

次女「そもそも住んでるところが違う。お嬢様は地方出身でも白金のマンションに住んでる」

私「ほお。ワシがお嬢様と親しくなりたいぞ」

次女「お父さん、白金に住んでないから無理」

毒を吐くムスメは父親の口封じを狙う

 手に持っていた新聞をいつの間にかどこかに置き忘れてしまった失敗談を次女に話したところ――。

次女「げ、やばっ。脳みそ死んでんじゃね?」

私「神奈川の言い方はきついな。ワシの古里徳島なら『え〜、ほれってやばいんちゃうん。脳みそ死んどるんちゃうん』と柔らいのに。しかし、それが父親に言う台詞かね。でもブログで使えるな。メモしとこ」

次女「そんなの発表しないほうがいいよ」

私「なんで?」

次女「かわいい娘から大切にされていない父親に何か原因があるんだろうってみんな思うよ」

私「ブログに書かさんようにという魂胆やな」

次女「バレたか」

結婚すると言われて

「生存確認の電話です」と長男が電話してきた。失礼なヤツだ。話すのはおよそ1年半ぶりか。

長男「結婚するから」

私「相手は? 男か女か?」

長男「そこ聞くか?!」

私「リベラルの神髄よ」

長男「女」

私「女か」

 私は25歳で結婚した。長男は27歳。いや、違うかな? よく分からんが私が結婚した年齢を超えているのは間違いない。7年程前に事実上自立しているし、私の“痴”を引く長男が女を追いかけないわけがない。

 というわけで、「結婚するから」報告が突然来るのは想定の範囲内だった。子供の結婚に対して親に拒否権などあり得ないし、私が結婚するのでもないから、まぁ、実はどうでもいい。

長男「今度会わせるから」

私「ふむ。性格のええ女だったらええんちゃうか。もう決めとるんやけん、それ以上のことは言わん。まぁ、結婚は簡単じゃ。続けるのが大変じゃ」

長男「経験者は語るってやつだな」

私「説得力あるだろ」

長男「そこ自慢するところか?」

私「徳島のおじいちゃんおばあちゃんに早く連絡してやってくれ。結婚披露宴までは生きるぞとエネルギーがわくはずやけん」

長男「そうするわ」

私「お前の結婚生活がどれくらい続くか分からんけど、とりあえずおめでとう」

ワシの話を聞け

 理系の次女に聞いてみた。

私「お前、数沓辰泙任笋辰燭鵑茲福」

次女「うん」

私「ほうか。お前は論理的な話ができるんやろな」

次女「どうだか」

私「ワシの話はどや? 論理的に話しとるか? 論理が飛ぶことないか?」

次女「うーん」

私「分からん?」

次女「ふだん聞いてないから」

佐藤優さんの考えをムスメに伝えたら

 灘高生に語った『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』(佐藤優・新潮社」で私が最も頷いたのがこの一文だ。

 <頭のいい人が書いたものを読むことです>

 具体例として浅田彰さんの『構造と力』や『逃走論』などを挙げている。

 次女に教えてやった。

次女「ふーん。お父さんは、頭のいい人の本を読んできたの? その浅田なんちゃらは読んだの?」

ワシ「確か筑紫哲也さんの『朝日ジャーナル』で新人類の旗手たちとして浅田なんちゃらさんが紹介されていた記憶があるけど、読んでない」

次女「あー。やっぱりね」

ワシ「どういう意味じゃ」

次女「ま、仕方ないよね。お父さん灘高出てないし」

 

阿鼻ーマイラブ

私「ワシは阿鼻に行くけん」

次女「あび?」

私「まさか知らんのか? 阿鼻ナントカという四文字熟語があるだろ」

次女「あび、あび、あびナンチャラコ?」

私「最後に『コ』はつかんぞ。理数ができても国語ができんお前は阿呆やな」

次女「お父様の愛娘だからね」

私「自分で言うな。阿鼻叫喚だろ」

次女「あっ、そうだっけ?」

私「お前、目ぇかんで死ね。そしたら楽しい楽しい阿鼻に行けるで。阿鼻ーマイラブじゃ」

次女「古いねそのドラマ。お父さん、昭和の人だから仕方ないか」

塾? 宗教団体?

 最近話題になっている幸福の科学と小学生英語について次女と話す。

私「小学生向けに英語の塾をしたら儲かるかな」

次女「うん。いけるいける。『幸福の国語』って塾にしたら」

私「国語?」

次女「だってお父さん、科学全然できないし。理数系全滅でしょ。だから国語でいいんじゃない?」

私「お前、ワシがもらったチョコレートをそんなに食うな」

次女「器が小さいな。幸福になれないよ」




親の顔

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 ムスメが玄関で脱いだ靴の片方がひっくり返っている。急いで撮る。がさつさの証拠写真である。

私「これはひどいな」

ムスメ「親の顔が見たいね」

『言ってはいけない』

 話題の本を読んでみた。で、次女に見せてみた。

私「努力より遺伝で決まるんだって」

次女「そりゃそうでしょ。遺伝あっての努力だよ」

 2浪して頑張ったけれど第3志望の大学に落ち着いた次女にしてみれば、遺伝子のせいだという思うのは仕方ない。

 しかし、本当にそうか。「努力あっての遺伝」ではないかと私は考え直す。

 例えば勉強の分野で見てみる。親に学歴がなくても子供が高学歴ということはよくある。野口英世を見よ。勉強遺伝子(と私が命名しておく)を開花させるための勉学の機会と意欲が親になかっただけで、勉強遺伝子を受け継いだ野口清作は努力をする機会と意欲があり花開いた、と見ていいのではないか。

 まず努力をしてみないと始まらない。もしかすると勉強遺伝子が埋もれているだけかもしれない。それを掘り起こす努力をするのが最初なのだ。教育の意味はここにある。

私「ところで美の遺伝子はどうかね」

次女「お父さん、責任取ってね」

私「お前の2組のじいさんばあさんたちにも責任あると思うで」

次女「どこまで遡ればいいの」

私「人類皆兄弟」

次女「答えられなくなるとすぐごまかす」

私「あじゃぱー」

次女「それ、うちらの世代、誰も知らないから」

 

どさくさムスメ

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次女「これ、半分に切ってあげるね」

私「おお、頼む。いや、ちょっと待て。そこに置いてあるのはワシのお菓子じゃ」

次女「だから半分に切ってあげるよ」

私「半分に切ってどうすんの」

次女「半分私が食べてあげる」

私「お前、その『してあげる』という表現でごまかすな」

次女「バレてた?」

私「阿呆め」

次女「お父さんの娘だから」



お尻洗浄機と子供

 私はお尻洗浄機が好きである。紙で拭くだけでは落ちるわけがないと思っていたので、お尻洗浄機の登場に熱い拍手を送った。しかし我が家にはお尻洗浄機がない。なぜか。

 お尻洗浄機の登場で、紙で拭く行為ではお尻が十分には清潔にならないことが明らかになった。しかし、である。お尻洗浄機がない便所ではウンコができない子供がいると新聞か何かで私は知った。生まれたときからお尻洗浄機が自宅などにあり、それで洗うのが当たり前の人にとって、紙で拭くのは不潔な感じがするので、ウンコができなくなるというわけだ。

 私の世代はちり紙でお尻を拭いてきた経験があるから、お尻洗浄機がなくても別にどうということはない。昔のように紙で拭けばいいと思っている。

 というわけで、紙で拭くのが当たり前という環境を私は子供たちに与えた。子供たちにまだ聞いていないが、どこででもウンコができるはずである。恵迪寮で暮らした長女は「どんな汚いところでも私は寝ることができる」と豪語していたから、お尻洗浄機がないところでウンコをすることなど平気の平左のはずである。

 子供たちはほぼ独立て出ていったので、私のやせ我慢はもういいだろう。

土門拳全集『ヒロシマ』

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 ここ数年毎月広島に通っている私が土門拳の作品の中で最も見たかったのが『ヒロシマ』である。絶版になって久しいけれど、アマゾンで古本が容易に手に入る。

 私がまだまだ知らない広島がそこにあった。いや、広島の人には常識なのかも知れない。被ばくした生存者の皮膚や顔や足や目がただれ、歪み、割れ、見慣れていない私は思わず顔をしかめてしまう。

 漫画や映画、活字では描ききれないこの現実は、何と表現すればいいのか。本を閉じ、椅子にもたれかかり、天井を仰ぎ見る。

 この古本を譲ってくれた京都府在住の人は、「原爆の記録総集編」という特集を組んだ『アサヒグラフ』1982(昭和57)年8月10日号を一緒に送ってくれた。こちらもまた何と言うか、ああ、そうだ、表現を放棄しよう。中途半端な表現をするくらいなら黙っているほうがいい。

 どう締めくくっていいのか分からない。いま思いついたことを書いておく。この写真集を私は自分の子供たちに見せよう。3人のうち2人は独立して離れたところに暮らしているのでなかなか見せる機会がないけれど、その機会ができたら必ず見せる。それくらいしかできない。すさまじい破壊兵器と被害の前に私はどうにもこうにも無力なのである。

手間暇かかるという価値

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東京・銀座のニコンサービスセンターで清掃と一部補修をしてもらい、ニューFM2を舎弟2号に長期貸し出しすることにした。

 このカメラを私は1989(平成元)年から仕事で使ってきた。福島第二原発3号機の炉の上を歩いた時も、安達太良山での取材のあとの山道で尻餅をついて泥だらけになった時も、記録したテーブルが毎回間違っていた高校野球の取材の時も、週刊金曜日を辞めた直後に西欧を1カ月ほど適当にフラフラ回った時も、いつもニューFM2が一緒だった。機械式カメラなので頑丈だし、暑くても寒くても電池がなくてもシャッターを切ることができるし、これほど頼もしいカメラはない。

 その一方でフィルムが空回りして何も撮影できていなかったり、多重露光させてしまったり。ふたを開けたり現像したりした際に「げげげ」と何度か絶句した。

 絞りもシャッター速度もすべて手動なので、失敗がある。しかし撮っているうちに感覚的にこれらの関係を体で覚えることができた。こんな名器なのにニューFM2をニコンはもう製造していない。修理部品さえもう置いていないという。

 FM10という後継機があるのはニコン社内で機械式カメラの技術を最低限承継するためで、さすがだと誇りに思うものの、安っぽすぎる。

 というわけで、ニューFM2をずっと保管してきた。

「全自動カメラは撮る面白みがない」と舎弟2号が言うので、飛びついてしまった。「ニューFM2を貸してやるぞ」

 絞りを考え、シャッター速度を考え、ピントを合わせるという大変忙しいカメラだが、手間暇かかるところが面白いのである。この過程が楽しいのである。

 それだけではない。フィルムの入れ方や取り出し方は熟知しておく必要がある。どこまでも手間がかかる。

 手間を省くことが技術の勝利であるかのように思われてきたし私も思ってきたけれど、しかし手間がかかることは価値があることかもしれないと見直す時期かもしれない。なぜなら手間をかけるのは人間ならではの行為であり、手間をかける時間はその対象物に向き合っている時間であるからだ。パソコンで打ったメールより万年筆や筆ペンで書いた手紙のほうがずしりと重いのに似ている。手間をかけることで人間を取り戻すのではないか。

 こんなカメラ女子が増えてくればニューFM2の再登場があるかもしれないと期待しつつ、手渡した。

哀しいムスメ

 ムスメがちょっとおしゃれな帽子をかぶっている。

私「ふーん。それをかぶって大学行くのか」

ムスメ「いや」

私「大学にはかぶっていかんの?」

ムスメ「うん」

私「何でよ。お前の大学はおしゃれな女の子が多いだろ」

ムスメ「だから私は隅っこで目立たないようにしてるの」

 不憫なムスメ(笑い)。私に似ているからあきらめるしかないな。

ファッションが分からないムスメ

 久しぶりにムスメに会った。

私「お前、ファッションセンスあるほうか?」

ムスメ「うん」

私「ちょっと見てもらいたいんやけど」

ムスメ「おじさんのファッションは分からない」

私「何でやねん!」

ドナルド・キーンさんは生粋の日本人だった?!

私「ドナルド・キーンさんがノーベル文学賞に推薦しようとしたのが谷崎潤一郎でね」

次女「ドナルド金さんって誰?」

私「ん?」

次女「ハイカラな名前だね。何の人?」

 金と違うがな。キーンやがな。このど阿呆め(涙)。

子供を歩かせない親の責任

 北千住の丸井だったか、1〜5歳くらいの子供を乳母車(今は何と言うんだ?)に乗せている母親の多さに驚いたことがある。

 母親が楽ちんになるために歩かせないのではないか。子供が自分の足で歩くと、わずかの距離でも時間がかかるし、あっちこっちにフラフラと歩いていくし、だから自分のペースで歩きたい母親は子供を乳母車に乗せていると私は見た。

 母親に我慢が足りないと私は敢えて言う。と同時に子供の虐待であると指摘しておきたい。

 私は医学者ではないので経験で判断するしかないのだが、子供は歩かせるほうがいい。

 例えば言語の習得がある。どこの国だったか忘れたが、オオカミに育てられた少女が9歳くらいで発見されて、そこから周囲は少女に言葉を教えようとしたが無理だった。言語の習得には年齢という壁があったのだ。言語習得の適齢期を過ぎると、途端に習得が難しく、いや、不可能になると聞く。

 言語の習得だけだろうか。身体能力も適齢期があるのではないか。中でも歩くという行為は人間にとって非常に重要な要素だ。幼少期から歩くことによって足腰の筋肉や骨格を発達させてゆくに違いない。この重要な発育を奪っているのが、自分の楽ちんを優先する親である。

 ここでひとつ恥をさらす。私の長男は「投げる」という身体活動が苦手である。少々特殊な大学に入って、ボールだか何だかを投げる訓練の際に発覚した。投げたものが足下に飛んだり後ろに落ちたりするのだ。実際にやってみせて、私は大爆笑し続けた。しかし、である。“現場”で敵に手榴弾を投げる状況を想定している訓練なので、実際にこんな投げ方をすると自爆する(笑い)。

 なぜ投げることができないか。答えは簡単、私が長男とキャッチボールをやってこなかったからである。私自身が好きではないので、キャッチボールを全くしなかった。その結果がこれである。

 かつて名著『慶應幼稚舎合格バイブル』を書いた際、麹町慶進会幼児教室の島村美輝先生から「投げる行為を経験してない子供は肩をすぼめて変な投げ方をする」と聞いて大笑いした。この話は確か名著に書いたはずだ。それと同じことを私がやってしまっていた。

 実はこの反省があるのでなおさら子供の身体活動を阻害する親に目が向いてしまう。

 子供を乳母車から降ろせ。歩かせろ。子供の成長のために。


  

 

カエサルはトマトを食べたか

 なんばグランド花月で大阪のお笑いを堪能してきた長男に久しぶりに神奈川で会い、トマトを一緒に食べた。

私「このトマト、熊本産やって。うまいぞ。子供のころはトマトがこんなにうまいもんとは知らんかった。ほれ、お前も食え」

長男(トマトにかぶりつく)

私「うまいだろ。このトマト、カエサルも食ったかなぁ。2000年前のイタリアにトマトはあったよなぁ」

長男「カエサルは食ってないやろ」

私「トマトなかったかな」

長男「熊本産のトマトは2000年前のイタリアにないやろ」

私「お前は大木こだまひびきかっちゅうの」


父を見抜いているムスメ

 私の弟は石橋を叩いて渡らない。

 私はどうか。

ムスメ「お父さんは石橋がないのに渡る」

 おお、うまいこと言う(苦笑い)。

 渡る途中で何度か流されて死にかけたので、オススメしない。

 ムスメは言う。「未来を切り開くために今“投資”しないと何も始まらない」

 おお、DNAは受け継がれた(苦笑い)。 

『ナショナルジオグラフィック』2016年4月号の写真に絶句

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 ふだんハンコー的なムスメが珍しく感心したように「今月の『ナショジオ』は面白かった」と言ってきた。『ナショナルジオグラフィック』を定期購読しているのだが、こんなことを言ってきたのは今回が初めてだ。

 どれどれ。

 ムスメがめくったページの写真を見て「うわー」と小さく叫んでしまった。こんな世界があるとは。

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 亡くなった家族と一緒に暮らすインドネシアの人たちの様子が写真で紹介されている。ミイラになっている家族もいる。家の中の椅子に座っている元人間もいる。

 日本人の中では沖縄の人が死の世界に近いところで暮らしていたように思うけれど、ここまではやっていない。

娘「いろいろな常識があるんだね」

私「珍しくええこと言うなぁ」

娘「地震が来るかもね。お父さん死なないでね」

私「ワシが死んだらこんなふうに家の中に置いといて」

娘「絶対ヤダ!」

底辺をさまようムスメ

私「お前の大学、一度ワシを案内せえよ」

次女「あのねお父さん、お父さんがダンディーじゃないと私は恥ずかしい」

私「お前はダンディーな父親から生まれた顔をしとるのか?」

次女「だから私は底辺をさまよってるの。縁の下の力持ち」

私「ワシの周囲には美人が大勢おるのに、何でお前はそうなんだろうね」

次女「お父さんがそういう美女と結婚できなかったからでしょ」

リスクを無視するムスメ

 離婚や死別で配偶者を失うと脳卒中になるリスクが約3割高まるという新聞記事を次女に見せた。

私「ワシもリスクが高まっとるで」

次女「(冷たく)さよーなら」

私が出張先で死んだら

 サザエさんのお父さん役をしていた声優・永井一郎さんが出張先の広島のホテルで亡くなったのは去年のことだ。出張先の宿で亡くなる事例は時々聞く。

 私も出張することがあり、私がそこで死んだ場合の指示を子供たちにメールで伝えておいた。こういうことをあらかじめ伝えておけば、子供は苦労せずに済む。私の場合簡単である。

・みんな忙しいだろうから、その時に最も手が空いているやつが1人来ること

・現地で焼くこと

・わざわざ自宅に運ぶ必要はない。費用がもったいない

・灰はその辺に適当にこっそりと(笑い)

・墓も戒名も位牌も一切不要

 私が死ねば生ゴミになる。生きている人の貴重な時間を奪いたくない。だから簡潔に要領よく始末するに限る。

英国製コンドーム?

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 長男が英国土産を持って久しぶりにやってきた。

長男「これ、コンドームに見えない?」

私「うん。見た瞬間にコンドームと思った」

長男「包装がきれいすぎるけどね」

次女「…………」

 ふだん毒を吐く次女が黙っている。こういう話はまだついていけないのだな。ガキだ。ザマぁカンカンかっぱの屁。だはは。

映画化できる小説を目指して

 衝撃的な事件の案が浮かんだ。自分で言うのも何だが思わず引き込まれる事件である。この事件から小説を書き出せば、どんな解決が待っているのかと読者は気になって本を手放せなくなるに違いない。本は増刷に次ぐ増刷で、映画化間違いなし。印税と原作料ガッポガッポ。

 ところが、である。この事件をどう解決すればいいのか浮かばない。前代未聞の事件の発生は書けても、肝心の最後の着地点が全く見えないのだ。

 何せ印税と原作料ガッポガッポがかかっているので、他人に相談できない。やむなく次女に意見を求めた。

私「事件の解決点が見えたら小説にして印税と原作料ガッポガッポじゃ。どう解決させればええかな。名案ないか?」

次女「私が考えた名案がうまくいったら、印税と原作料の50パーセントは私がもらえるの? 私を共著者にするという約束できる?」

私「何というゴーツクムスメじゃ」

次女「自分の非才を棚に上げて人のアイデアを盗もうとする人こそゴーツクオヤジでしょ」

 た、た、確かに。

小さいワシ(涙)

 和室の万年床の上に脱ぎっぱなしのワタシの寝間着の上にスリッパが載っている。次女だ。

私「お前のスリッパだろ」

次女「うん。そうみたい」

私「ワシの寝間着の上に載っとるがな」

次女「何かと思ったら、そんな小さいこと」

私「小さい? ワシはちいさいのかぁぁぁぁぁ」

次女「気づいてよかったね」

 

ムスメのパンツ

 取り込んだ洗濯物を無造作に投げ入れるものだから私の寝床にムスメのパンツが3枚も寄り添っている。うーん、コレ、ドウスレバイイノダロウ。指でつまみ上げて脇に動かしてイイノダロウカ。箸でつまむほうがイイノダロウカ。

私「お前ね、ちょっとは気を使いなさい」

次女「別に見ていいよ、見たければ」

 何かおちょくられているような。

「エルメスの女」になれない悲しいムスメ

私「琴奨菊の配偶者は『エルメスの女』だってよ」

次女「なんで?」

私「エルメスに勤めていたらしい。4カ国語話せるんやって」

次女「へぇー」

私「お前もいけるんちゃうか? エルメスの女。エルメスに勤めるか」

次女「うーん、私はせいぜいヘルペスの女だな」

罠にはまったムスメ

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 試験の中休みでヒマそうにしている次女に米ドラマ「24」を勧めてみた。私がアマゾンプライム会員なので見放題なのである。

 シーズン1の1話を見終えてひとこと。「面白い!」

 というわけで、そのまま続けて2話を見ている。彼女はあした休みなのであと数話見るかもしれない。こうしてまた中毒患者が生まれた(笑い)。

オンナの生態

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 こういうものを食卓に無造作にぽーんと投げ出しているのはワタシのムスメその2である。ムスメその1は北海道が大好きで札幌の大学にあっという間に飛んでいったから、こういう生態を見る機会がなかった。

 その2は不幸なことに自宅から通える大学に入ってしまった。したくてしているのではないが、ワタシは生態観察ができるわけである。

 で、これは化ける道具のようである。化けてオトコをだまくらかそうというコンタンに違いない。こんなムスメにだまくらかされるオトコがいるとしたらよほどの間抜けかお人好しか見る目がないトンチキである。

 そいつがワタシの目の前に現れたら、この写真を見せつけて「ご覧のとおりガサツですな。しかも化けてます。今なら引き返せまっせ」と耳元でささやこう。

社長令嬢

次女「お父さん、社長なの?」

私「う、うん、まぁな」

次女「ということは私は社長令嬢?」

私「理屈としてはそうなるかな」

次女「社長令嬢と感じたことないのよね。何でかな」

私「それはだな、社長令嬢ともなるとユーカイされる心配が出てくるからな。ナイショにしとけ」

次女「心配しなくていいよ。恥ずかしくて誰にも言えないから」

ぱ????

次女「お父さん、パフューム知ってる?」

私「パヒューム? うん。あれだろ、女の子のグループ」

次女「知ってるの? 意外」

私「わはは。ワシは何でも知っておる。アメリカに進出した女の子の2人組」

次女「2人組? 違うよ、3人だよ」

私「3人? キャンディーズか?」

次女「キャンデー? 何それ? 要するにパフュームを知らないワケね」

私「知っとるがな。だから2人組だろ」

次女「もしかしてパフィーと混同してない?」

私「……」

次女「ダメだこりゃ」

年賀状の訂正

 年賀状を印刷する前にいつも長女に読ませてきた。私に似て活字への親和性が高いので、年賀状のデスク兼校閲として役に立ってきた。今回は連絡が取れず、次女に読ませた。福島民報社の元役員氏から「面白かった」と元日に電話をいただいたいので、あるレベルには達していたのだろう。ところが……。

 札幌から来ている長女が年賀状を見て、ミスを2カ所指摘した。

 その1。<裕次郎です>のあとに「。」がない。

 その2。<ワタシに>と<し上げます>が一字分左にはみ出している。

 あっちゃ〜。年賀状は再送するわけにはいかないので完璧を期してきたのに。

 以上2点を謹んで訂正します。ってここに書いてもなぁ。来年の年賀状で訂正欄を設けるかな。

五郎丸さんごめんなさい(汗)

 札幌から帰省している長女に自慢した。

私「五郎丸はワシの後輩よ」

長女「五郎丸?」

私「え? まさか知らんのか?」

長女「船?」

クリスマスイブに食べるケーキの価値

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 クリスマスイブである。私はキリスト教徒ではないのでクリスマスと関係ないから一人楽しく過ごそうと思っていたら、私に気を遣ったのだろう、次女がショートケーキを買ってきた。

私「珍しいことがあるもんだ」

次女「あとで高くつくからね」

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