同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

大学受験合格バイブル

早稲田大政経学部入試に数学が必須科目になった

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 落ちこぼれた算数・数学に対してフクザツな思いが私にはあるので、ここでまとめておこう。早稲田大の政治経済学部が入試科目に数学を必須科目にするそうな。このことを論評した3人の大学教授らは3人とも賛成していた=7月27日付『毎日新聞』朝刊(東京本社版)オピニオン面。

 当の政経学部学部長が必要性を主張するのは当たり前。数学が嫌いな私でも名前を存じ上げている岡部恒治・埼玉大名誉教授の<そもそも必修科目の数学1・Aなのに、入試にないからといって勉強してこないのがおかしい>はごもっとも。しかし<数学を避けて入学して経済学を学ぶなんて、絶対に無理だから>というなら、政経学部の政治学科と経済学科、国際政治経済学科のうち、政治学科は課さなくていいのではないか? どや!

 30年以上前から商学部は社会だったか国語だったかの代わりに数学で受験できる。数学で受験して入ったタテイシは「数学は簡単なので有利だった」と笑っていた。私立文系を受験する生徒は数学が苦手なのが多いはずで、だからこそ数学の試験問題は易しめなのかもしれない。と分かったとしても、私は数学で受験しなかったのは間違いない。なぜなら苦手意識がずーっとあったから。

 私はなぜ算数・数学が苦手なのだろう。そこが知りたくて、実は自分の子供で実験した。自分の子供なら失敗しても私の責任で済む。

 理数系ができるほうが絶対にいい。落ちこぼれたら私立文系に切り替えればいい。そう思ったので、子供3人を理系にけしかけてみたのである。その結果、3人とも理系に進んだ。1人(1浪)は数2・Bまで、残り2人(2浪)は数3・Cまでやった。

 これはどういうことなのか。やればできるのか? ということは私はやらなかったということなのか?

 私は高1の春から夏ごろにかけて本屋で数学の参考書を買い漁った。授業についていけなくなってきたので焦ったのである。寺田の『数学の鉄則』など片っ端から買って、最初の10ページくらいまで読んでは「何か違うなぁ」と別の参考書に手を伸ばした。こういう右往左往ではなく、何でもいいから1冊決めて、それをきっちり仕上げればよかったのか? 未だに分からない。

 以上、どうすれば数学ができるようになるのか分からないというお粗末な結論である。何のこっちゃだな。

 次は政経学部で数学必須になる影響を予言しておこう。

 これは簡単な話で、政経学部の受験者数が減る。受験料収入が減るので、大学経営には打撃だ。慶應大のようには寄付金が集まらない早稲田大は、そういうソロバンをはじくことができていないのではないか。算数・数学が苦手なのは当の政経学部なのかもしれない。

大学は入試問題の正解を公表せよ

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 高校時代から疑問だった。なぜ大学入試の正解を公表しないのか、と。

 何度か書いたように、駿台予備学校の夏期講習で現代文の藤田修一師が「學燈社の答えは選択肢の1、旺文社の答えは4、でも正解は3だね」のようなことをよく言っていた。難しい問題の場合、専門家が解いても正解が割れるのである。そこに藤田師が割って入って本当の正解を示すものだから、かっこいいのなんの。

 一方で不安がよぎる。大学側は藤田師のように正解を正しく導いたか、と。學燈社や旺文社のように正解を間違っている可能性があるのではないか、と。受験生には1点2点で天国と地獄を分ける世界である。大学の採点が正しい保証はない。正解を公表しないのは予備校から「それは間違いだ」と批判されるのが怖いからだろうと私は見てきた。

 ここに来て、正解を公表せよという新聞記事である。まったくその通り。数学などは解答に導く過程も評価するので正解を公表すれば済む話ではないと言い訳している大学があったが、採点の基準を公表すればいいではないか。

 国立大に限らず、各私大も公表すべきである。自信があるなら公表しても何も問題なかろう。

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 子供4人(男の子3人、女の子1人)が東大理靴帽膤覆垢襪里録匸錣任呂覆ぁJ貎討痢隼愼魁匹寮果と見る向きがあるけれど、うーん、そうかなぁ。

 男の子3人はそろって灘高から東大理靴任△襦3惺擦諒拔が非常によくできるのは間違いない。

 残念ながら私は見たことないし、知り合いにもいないけれど、ごくまれにいるようだ。「ノートを取ることもなく授業を聞いているだけで全部頭に入る人がいる」と従兄弟が言っていた。そういう人は本当に勉強しないから、「勉強しなくても大丈夫だよ」と言われて一緒に遊んだら大変なことになるそうな。長男は大学時代に「教科書を一回読んだら頭に入る連中が大勢いて、何回読んでも頭に入らない自分がイヤになる」と愚痴っていた。

 頭の出来は遺伝するという説があり、それでは夢も希望もないので私は認めないようにしている。しかし、この4人きょうだいは両親のDNAが非常にいい感じでタイミングよく結合を果たしたのだろう。高学力の頭を持って生まれてきたとしか思えない。

 こういう子供は親が何もしなくても伸びる。母親の“指導”のタマモノではない。したがって、この母親の本を真に受けないほうがいいな。

三田会恐るべしなのか?

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 私の大学時代「三田の色魔低能」という替え歌で茶化していたその慶應が「学閥の王者」だというので『週刊ダイヤモンド』5月28日号を買ってみた。

 見出しがすごい。

 最強の人脈 日本を動かす慶應勢

 最強の社員 出世する慶應卒

 最強の歴史 こうして王国は築かれた

 王国の源泉 幼稚舎から始まる社会

 王国の序列 強者のアキレス腱

 記事もすごい。不動産三田会の月例会を報じた記事には嘆息した。一糸乱れぬ行動が羨ましい。

 地方銀行のトップに慶應卒がどれだけついているかという記事を見ると、今の阿波銀行がそうなのだった。しかし少し前は早稲田だった。たまたま今慶應なんじゃないのと突っ込みたくなる。

 七大商社の役員の卒業大学を見ると、確かに慶應が大きく伸びている。三菱東京UFJ銀行の役員に占める早慶出身者数比較を見ると、慶應が圧倒的に多い。聞きしに勝るなこれは。

 慶應は組織力が強いし、なぜか愛校心が強い。同じ慶應というだけで強い絆を持つ理由が私には理解できない。理解できないけれど、見えないところで絆を活かしたビジネスが行われている。詳細は書けないが、例えば銀座の一角にできたビルを所有する企業の社長が幼稚舎から大学まで慶應の人で、そこに入居しようとした某法人のトップがその人と幼稚舎時代からの同級生で、「だから話がトントン拍子に進んでね」と聞いた時には「慶應いいなー」と思ってしまった。

 しかし、本当に本当に慶應の人脈はすべからく有効なのか。本当にみんなが助け合っているのか。慶應人脈はビジネスで本当に役に立つのか。そんなきれいごとが、桃源郷が、本当にあるのか。いくつものギモンが浮かぶ。慶應卒だって人間だもの。

『週刊ダイヤモンド』には暗黒の部分を取材してもらいたい。慶應卒同士がつぶし合い、血で血を洗う出世競争を繰り広げているってな感じの記事が読みたいぞ。この号の特集は何かきれいごと過ぎるんだよなぁ。


牧野剛さん死す

 
 藤田修一師から写真集が届いたその日の『毎日新聞』社会面に、牧野剛さんの訃報記事が載っていた。藤田師が駿台で現代文読解法を教授していたころ、牧野さんは河合塾で現代文を教えていた。嘘か誠か牧野さんは藤田師の読解法に批判的だったと当時聞いた。それで私は牧野さんの存在を意識した。

 その牧野さんが70歳で亡くなったのである。『現代文と格闘する』という名著を残して。格闘したのは現代文だけではなかった。記事にあるとおり、<名古屋五輪招致や愛知万博開催への反対運動に参加、参院選や愛知県知事選などに立候補したが、いずれも落選した>。格闘し続けた人生だったように見える。

 私が講義を受ける機会はなかったが、『現代文と格闘する』を次女は「すごくいい」と言っていた。

 合掌。

徳島の数学塾なら

 私のいとこのお嬢さんが地元徳島で数学の塾を探した結果たどり着いたのが湧源塾である。賢明な選択である。徳島市立高の同級生・四宮先生が熱血指導をしており、大勢の生徒を難関大に合格させてきた。面倒見のよさがピカイチなところも私がお勧めする理由である。

 実は私の長女と次女が神奈川からはるばる徳島まで行って四宮先生にお世話になり、それぞれ難関大に合格する原動力になった。

 徳島の数学・物理なら湧源塾なのである。

 大学受験の季節が一段落し、入れ替わりに新高3生が受験勉強を本格的に始める時期である。徳島で数学のいい塾はないかと探している人は、四の五の言わずに四宮先生に会いに行け。定員になったら締め切るので、早く行くこと。

恵迪寮雪上ジャンプ大会8日開催

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 恵迪寮の名物行事雪上ジャンプ大会に参加したいと思い、長女に相談したことがある。

私「ワシも飛びたい!」

長女「飛び降りるだけではないんだよ」

私「どういう意味?」

長女「飛び降りたあとその場で芸をするんだから」

私「ほぉ。例えば阿波踊りを披露するってのはどうじゃ?」

長女「そんなのダメ。ここのみんなは芸達者なんだから」

 いったいどんな芸を披露するのだ。ますます興味が増す。後日また長女に相談した。

私「で、ワシは参加できる?」

長女「寮生でないと参加できないんだって」

私「そんな……。寮生の親も認めろよ」

長女「しかも、部屋ごとに申し込むから、個人参加はできないの」

私「がちょーん」

 憧れの雪上ジャンプ大会が8日開かれるという連絡が6日夕方来た。参加できなくてもせめて見に行きたいと思っていたのだが、あれこれ予定が入っているので無理だ。嗚呼。

 先日のNHK「72時間」は恵迪寮が舞台だった。知れば知るほど志望大学を間違えた。私が求めていたものは早稲田にはなかった。やり直せるものなら(やり直せないけど)恵迪寮だなぁ。で、寮運営の委員長になって、留年しまくって(寮生は留年多数のウワサあり)、北の大地で寮歌「都ぞ弥生」を歌いストームに燃え、もみくちゃになって生きていたら(仮定法過去完了)。

私「来年こそ行くけん、それまでに親も飛び降りる権利を与えるよう寮の委員長に言っとけ」

長女「お父さんみたいな親が大勢来たら寮生が飛べなくなるから言わなーい」

河合塾の模試を解いてみた

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 二浪中の次女のリクエストで河合塾の2014年度センタートレーニングテスト国語の1問を解く羽目になった。問題文をざっと斜め読みして解いてみたところ、間違えた(汗)。

 今度は正解を知った上で、正解に至る道を考えることにした。難解怪物・小林秀雄の論評『近代絵画』について論じた文章だから、緩んだ脳みそが拒絶反応を示す。とはいえセンターが近づいてきたので本気で解法を伝授せざるを得ない。

 追い詰められた私は昼飯を食べながら問題文を読んで選択肢を見ていたら、「あ、簡単やんけ」。一気に解けた。

 選択肢方式の現代文読解の基本はヘリコプターに乗って上空から問題文全体をざっくり把握することと、キーワードをスキャンしてその場所を見定めてキーワード周辺を精緻に照らし合わせること、の2点に尽きる。

 河合塾の解説を見てみると、出題者は私と全然違う観点で正解を導いている。私の解法でいいのか。現代文であっても出題者より簡単に解くことがないわけではないのだが、正解を導く方法が出題者と異なると、私の解法の普遍性について疑問と不安が残らないわけではない。

 駿台・藤田修一師風に次女に解説して「どう? よく分かるか?」と聞いたら、「ガッテン」って、お前はNHKか。

大学受験生は宿の予約を

 センター試験の結果を見てから2次試験の受験校を決めるとしても、おおよその志望大は見えているはずだから今すぐ宿を予約するほうがいい。志望大が複数あるなら複数とりあえず宿を取るべきだ。

 地方都市の場合そもそも宿が少ないうえに、県内の受験生でも交通が不便な場合は前泊することがある。いきおい宿が足りなくなる。

 交通機関の乱れが絶対にないと断言できない以上、神奈川県内の人が東京都内の大学を受験する場合でも都内に宿を取って前泊するほうがいいのではないか。

 長女が一浪したときは徳島大でセンターを受験した。私の実家から徳島大まで歩いて行けるので「めちゃくちゃ楽ちんだった」と言っている。

 勉強好き(?)な二浪中の娘を含めて受験生のみなさんに笑顔の春が来ますように。

板野先生ごめんなさい! 毒を吐くムスメ

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 現代文読解が苦手なムスメのために、板野博之さんという有名な予備校講師が出しているDVD「センター国語2013年本試験セット」を買って渡して数カ月が経つ。

「あのDVDどう?」

「うーん。イマイチだから途中でやめた」

「もったいない。おカネをかけたんやけん最後までやれよ。いい解法を聞ける可能性あるだろ」

「お父さん。ひとくち食べて腐っていると分かったりんごを最後まで食べる?」

「むむむ。でも有名な講師なんだから聞いてみる価値はあるんちゃうか?」

「分かったよ。聞けばいいんでしょ。受験が終わったらね」

受験生の必読書『ドラゴン桜』

  私の名著『慶應幼稚舎合格バイブル』が小学校受験の必読書であるように、大学受験の必読書が『ドラゴン桜』全21巻である。まとめて買い、一気に読んで、試してみた私が言うのだから間違いない。

 英語の勉強法に関しては私が持っているノウハウを含みつつ、さらに幅広い。現代文読解に関して私は駿台の藤田修一師の記号読解を身につけて圧倒的な効果があったが、この漫画で示された選択肢の選択法を使って試しに解いてみることにした。

 駿台の霜栄さんの夏期講習の問題(出典は1980年の共通一次で出題された「鳥寄せ」)を解いてみたところ、15分程度で6問全部正解だった。おお。これは効果絶大だ。

 私は私立文系なのでこの漫画が示す数学や理科のノウハウについては全く立ち入ることができない(涙)。しかし、英語と現代文を見た限り実践で役立つ勉強法であることは間違いない。

 この漫画をもっと早く読んでいれば、私だって東大に合格できたかもしれない。ってことはないな。小学生時代の算数で落ちこぼれたもん。
 

「現代文はセンスで解く」のデタラメ

 大学入試の現代文をセンスで解くと言う人に限って肝心の「センス」を説明できない。解法が説明できない問題を学問の府である大学が出題するかね? そんな問題がまともな大学の中で通用するかね? 

 センター試験などの選択肢問題に対する解法を非常に簡潔に言うと、選択肢と本文を照らし合わせて、本文に合わない選択肢を落とし、残った選択肢を正解とする、に尽きる。正解の選択肢を一本釣りのように拾い上げるのではなく、間違いの選択肢を落としていって最後に残った選択肢を正解とするのだ。

 ひとくちで言えば非常に簡単なのだが、問題文という“森”の中から選択肢という“木”の正否を判断できる(呼応する)“木”を見つけなければならない。正解を得るためにはここが最大のキモである。

 などと浪人生に話していたのだが、いい参考書がないと嘆く。

「よし、ワシが解説しちゃる。分からん問題があったら持って来い。あー、でもー、えー、そのー、念のために正解も持って来るように」
  

 

英語は音読

 英語の基本は音読である。1に音読、2に音読、3、4がなくて、5に音読と言っていい。

 中学英語から大学受験英語まで音読である。これを続けることでセンター試験なら85%くらいは得点できるようになる。

 だからこそ思う。予備校の自習室で英語の勉強をすべきではないと。なぜなら音読できないからだ。

 英語に限らず、暗記科目も音読が効果を上げる。予備校の自習室から離れよう。

I don't have an apple ( ) an orange.

 I don't have an apple ( ) an orange.

 私はりんごもオレンジも持っていない。

 このカッコの中に入る単語は何か。

 英語スパルタ塾で学ぶ私はnorだと思っていた。国立大の2次試験を目前に控えた大学受験生はandだと言う。

 どうもよく分からない。そこで現役大学生に聞いてみた。食器を洗っていた彼はすぐには答えられない。意外に難問なのか?

 あーでもないこーでもないとすったもんだの挙げ句、大学生が正解を導いた。「orだ」と。

 私は別に間違ってもいい。心配なのは大学受験生である。受験前に結果が見えている(笑い)。

小林秀雄を読まない受験生なんて

 今年のセンター試験の国語が従来に比べて平均点が昨年より17点も落ちた。その理由として、小林秀雄の文章が使われたからだろうと言われている=今日付『毎日新聞』朝刊26面(東京本社版)。

 小林秀雄の文章には私も苦しめられた。難解に書けばいいってもんじゃねぇぞと悪態をついたものだ。その小林秀雄が帰ってきたとすれば、実は私の予測が当たったことになる。

 大学の入試問題の出題者の年齢は恐らく私の前後の世代である。私が作問担当になればどうするか。昔読んだ参考書や問題集を引っ張り出してくるだろう。従って、私の世代が使った参考書や問題集が役に立つ。こう予測してきた。小林秀雄が登場するのは当たり前なのである。

 来年以降の出題が楽しみだ。

高校英語の落とし穴

 中学英語にも高校英語にもそれぞれ落とし穴がある。大勢がこの穴に落ちてしまう。ということは、この穴を乗り越えると力がつく。

 事前に「ここが落とし穴だぞ」と生徒に警告しておくと効果が高い。

 高校英語の最大の落とし穴は仮定法と完了形である。ここに来て私も混乱している(汗)。

悶絶の英文解釈

 1900(明治33)年に米国で出版された新渡戸稲造の『Bushido』の英文和訳が英語スパルタ塾で課された。

 序文の和訳で悶絶している。3時間くらいかかって和訳しているのだが、明確に和訳できない英文がある。ううううう。これを半年も続けることができるのだろうか。

英作文を書いてみた

 英作文を書くのはたぶん31年ぶりになる。高校3年の時にやっていたZ会の英語で悪戦苦闘して英作文を書いたような気がする。しかし、大学受験に英作文は出題されなかったので(大量の英作文を均等に採点できないのだろう)、力を入れて勉強しなかった。

 そんな私が短い英作文を書いてみた。これが難しい。弟子に読ませたところ「日本語をそのまま英単語に置き換えたような英文もどき」や「英語は無生物主語を嫌うんですよねー」などとムズカシイことを言われてしまった。

 最近は日本語さえ出てこなくなってきているのに、英単語がすらすら出てくるわけがない。わずか4つの文を書くのに2日かかってしまった。

 駿台予備学校の英語科主任で英文読解の名手だった伊藤和夫師が同僚の英語講師から「なぜ英作文を指導しないのですか?」と聞かれて、「自分ではこれでいいと思う英作文でもネイティブから『そういう文はありえない』と言われたらおしまいだからだ」という趣旨の返事をしている。このような“神話”が英作文を取っつきにくくしてしまったのかもしれない。

数学の勉強法

 私は数学が苦手である。いや、苦手というより壊滅状態と言うべきである(自慢してどうする)。だからこそ、数学の勉強法に興味がある。

 数学が得意な人と苦手な人には「小さな差」の積み重ねがあるに違いないと思う理由は、私が受験英語が得意で、英語の得意な人と苦手な人の差が明確に見えるからだ。これを文字化できるから、私は大学受験指導ができるのだ。

 私が最近ようやく思い至ったのは、大学受験数学は司法試験の論文対策に似ているということだ。事実難関大に合格した大学生たちに聞いてみると、大学受験数学を解く際の頭の働かせ方は司法試験の論文対策に酷似していた。「数学はセンスだ」と一般的に言われているが、数学を得意とする人が無意識にやっている頭の働かせ方を真似することで、その溝はかなり埋まるのではないか。

 というわけで、私の方法論を高校生たちに伝授して“人体実験”している。

現代文読解と英文読解の違い

 大学受験における現代文読解と英文読解は、出題者が求めるレベルが異なる。したがって、勉強法が異なる。

 英文読解は一般的に英文を形(構文)に則って読めるかどうか試される。伊藤和夫師の参考書で勉強すれば、英文を形から読む方法を明確に学べる。大学受験の英文読解で問われる形には限度があるので、形を参考書で押さえればほかの英文でも応用が利くから読める。

 一方で現代文読解は違う。日本人なら日本語を読めないことはないだろう。一定の形を押さえておけば、論説文の場合は構造を把握できる。駿台の藤田修一師が考案した読解法は、現代文の構造を把握する方法に優れている。

 しかし、現代文の設問が意外に難しいのは、形を問う設問だけではないからだ。ある流れにおける言葉のセンスを問われるので、形だけでは通用しないことがある。例えばこんな場合だ。

 太郎君が花子ちゃんにメールを送った。「太郎君が私に好意を寄せている」と花子ちゃんが思うメールはどれだろう。

(1)「今度サークルのみんなと一緒に夜のドライブしよう。ロマンチックな場所を僕は知っているから」

(2)「今度僕と一緒に丸善の喫茶室で早矢仕カレーを食べよう」

(3)「今度ディズニーランドに行こうよ。ディズニーランドはデートの定番だからね。せっかくだからサークルの山田さんも誘おうかな」

(1)には「ロマンチック」、(3)には「デートの定番」と書いてある。形の上では「好意」に見えなくもない。しかし、一般的には好意を持った相手と2人きりになりたいものだから、「サークルのみんなと一緒」の(1)と「サークルの山田さんも誘おうかな」の(3)は「好意を寄せている」とまでは断言できない。そこで最もケチのつかない(2)が正解となる。

 このように、現代文の出題は形のみならず、ある流れにおける言葉の使い方をどう読み取るかまで問われる。繊細に注意深く読む能力(これをセンスと言う)が問われるのだ。

 というわけで、形だけ問われる英文読解より、形もセンスも問われる現代文読解のほうが難儀なのである。

 現代文の形から流れを押さえ、流れに沿って出てくる言葉を繊細に注意深く読むためには、いい参考書で訓練するしかない。英文読解より奥が深いのだから、手を抜いてはいけない。

数学はセンスなのか

 数学はセンスが必要だと言われる。本当だろうか。

 駿台の夏期講習で出会った藤田修一師の読解法に目から鱗が落ちた私は、それまで停滞沈滞していた現代文の得点が急上昇した経験がある。現代文読解に必要なのはセンスではなく、読解方法を知ることだった。

 数学にはセンスが必要だとして、そのセンスを形成する方法論があるのではないか。数学が得意な人が無意識に解いているその頭の働きを意識的に詳細に“因数分解”することで、センスと言われてきた曖昧模糊としたものが汎用性を持つ技術論になるのではないか。

 私は数学の落ちこぼれなのであくまでも想像だが、数学が得意で言語能力の高い人ならセンスの中身を解き明かしてくれるのではないかと期待してしまう。木を見て森を見ない勉強法ではなく、森を俯瞰しながら木を見て木の葉を一葉一葉整理していくような技術論の明確な言論化はできないものか。

受験勉強アドバイザー

 何を隠そう、私は受験勉強のアドバイスをしている(←隠してないやんけ)。得意である。なぜ得意かというと、受験勉強で悪戦苦闘してきたからだ。何の苦労もなく好成績を挙げる人と違って、参考書を取っ替え引っ替えするなど悪戦苦闘してきたから、いろいろなノウハウが身についた。

 おまけに最近の駿台の講師陣の講義内容にも詳しい。掘り出し物の教材も持っている。

 文系科目は私が、理数系科目は医大生が、生物は北大生が、それぞれ個別具体的にアドバイスしている。この総合力が私の魅力である(←自分で言うな)。

徳島で数学の夏期講習を受けるなら

 受験勉強で大事なことは、「何を」「いかに」学ぶかである。例えば、中学英語であれば、これを、毎日このようにして、最後はこれをこうする、という具合に具体的でなければ意味がない。

「何を」「いかに」を具体的に教えることができるかどうかという点で指導者がきわめて重要になる。駿台予備学校の伊藤和夫師や藤田修一師が受験生から絶対的な支持を得たのは、ここが明確だったからでもある。

 さて、算数や数学が必要な徳島の受験生には朗報がある。特に徳島で数学や算数の夏期講習をどうしようかと迷っている受験生には吉報がある。「徳島の数学・物理なら湧源塾」と私が言い続けている湧源塾に通えばいいだけだ。夏期講習をするかどうか知らないが、面倒見のいい四宮敬史師なら必ず引き受けてくれる。

 教育ジャーナリストの私が言うのだから間違いない。徳島で数学を学ぶ受験生が夏期講習に行く必要があるのなら、大阪の駿台などにわざわざ行かなくていい。徳島の受験生は恵まれている。

予備校の夏期講習の受け方

 いろいろな人から予備校の夏期講習の問い合わせを受けている。駿台の夏期講習のパンフレットを手に入れてながめてみる。初心者ならどれを選べばいいか分からないに違いない。

 端的に言うと、講座の名前(「高2数学総合」とか「高1医系数学」「高1東大数学」など)で選んではいけない。講師で選ばなければ意味がない。しかも高校教師に毛が生えた程度の授業しかできない講師を選んではいけない。お金と時間をどぶに捨てるようなものだ。

 私は駿台予備学校とは何の関係もないが、最近の駿台予備学校(関東)のいい講師とよくない講師の具体的な情報を持っている。

 夏期講習は徹底して講師で選ぶ。それが秋以降の飛躍につながる。
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