同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて3300回

広島

人の“距離”が近い広島

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 定宿の隣のセブンイレブンでコーヒーマシンにカップを入れようとしたら、隣のマシンでコーヒーを入れていた背広姿の男性が声をかけてきた。

「そっちの機械、壊れているみたいですよ」

「あ、そうなんですよ。ふたの接触が悪いそうで、きのう店員さんにふたの閉め方を教えてもらって、ほら、ご覧の通り」

「お、動くんですね」

「はい。でも、ありがとうございます、お声がけくださって」

 イオンモール広島祇園店の1階にあるコーヒーマシンにカップを置こうとしたら、隣のマシンでコーヒーをいれていたおばあさんが声をかけてきた

「コーヒー、選べるんですよ。そっちのは味が濃くて苦みがあるモカで、こっちはキリマンなのよ」

「あ、そうですか。ではせっかくなので私もキリマンにします」

 席に着いて飲んでいたら、そのおばあさんが寄ってきて言う。

「余計なことを言ったかもしれなくてごめんなさいね」

「いえいえ、おかげでおいしいキリマンをいただいてます。アドバイスありがとうございます」

 広島では見知らぬ人が自然に声をかけてくる。数年前にJR呉線のボックス席で私の前に座っていた女子高生が「いま何時ですか」と普通に聞いてきた驚きと感動を思い出す。

 私は田舎の人間なのでこの“距離”が心地よい。東京で凍り付いたこころが広島で解凍されて元に戻る感じ。

広島市平和宣言と長崎平和宣言を比べる

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 罰当たりかもしれないが、広島市平和宣言と長崎平和宣言を読み比べてみた。どちらも格調高い。内容も似てはいる。しかし長崎平和宣言が一頭地抜きん出る。読み手(聞き手)の魂に揺さぶりをかけてくる。批判が為政者の胸を突く。福島への目配せも忘れない。西暦を先に記す表記は世界に向けて発信する意思の表れだろう。

 長崎平和宣言に関わる中心に芥川賞作家がいるからこそと言えるだろう。芥川賞作家が練りに練り、理知の上に情念を燃やして書いたらこうなるのだ。しかし同じ芥川賞作家でも石原慎太郎さんには書けまいな。 



 広島市平和宣言

 73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。摂氏100万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。「熱いよう!痛いよう!」潰(つぶ)れた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子どもの声。「水を、水を下さい!」息絶え絶えの呻(うめ)き声、唸(うな)り声。人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。随所で降った黒い雨。脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身を蝕(むしば)み続け、今なお苦悩の根源となっています。

 世界にいまだ1万4千発を超える核兵器がある中、意図的であれ偶発的であれ、核兵器が炸裂(さくれつ)したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦難に陥れる可能性が高まっています。

 被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切るための警鐘です。年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層重要になっています。20歳だった被爆者は「核兵器が使われたなら、生あるもの全て死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核廃絶ができるような万物の霊長たる人間であってほしい。」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、為政者に対し「理性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうよう求めています。

 昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。その一方で、今世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど、各国間に東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。

 同じく20歳だった別の被爆者は訴えます。「あのような惨事が二度と世界に起こらないことを願う。過去の事だとして忘却や風化させてしまうことがあっては絶対にならない。人類の英知を傾けることで地球が平和に満ちた場所となることを切に願う。」人類は歴史を忘れ、あるいは直視することを止めたとき、再び重大な過ちを犯してしまいます。だからこそ私たちは「ヒロシマ」を「継続」して語り伝えなければなりません。核兵器の廃絶に向けた取組が、各国の為政者の「理性」に基づく行動によって「継続」するようにしなければなりません。

 核抑止や核の傘という考え方は、核兵器の破壊力を誇示し、相手国に恐怖を与えることによって世界の秩序を維持しようとするものであり、長期にわたる世界の安全を保障するには、極めて不安定で危険極まりないものです。為政者は、このことを心に刻んだ上で、NPT(核不拡散条約)に義務づけられた核軍縮を誠実に履行し、さらに、核兵器禁止条約を核兵器のない世界への一里塚とするための取組を進めていただきたい。

 私たち市民社会は、朝鮮半島の緊張緩和が今後も対話によって平和裏に進むことを心から希望しています。為政者が勇気を持って行動するために、市民社会は多様性を尊重しながら互いに信頼関係を醸成し、核兵器の廃絶を人類共通の価値観にしていかなければなりません。世界の7,600を超える都市で構成する平和首長会議は、そのための環境づくりに力を注ぎます。

 日本政府には、核兵器禁止条約の発効に向けた流れの中で、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現するためにも、国際社会が核兵器のない世界の実現に向けた対話と協調を進めるよう、その役割を果たしていただきたい。また、平均年齢が82歳を超えた被爆者をはじめ、放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

 本日、私たちは思いを新たに、原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げ、被爆地長崎、そして世界の人々と共に、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。



平成30年(2018年)8月6日

広島市長 松井 一實





長崎平和宣言

 73年前の今日、8月9日午前11時2分。真夏の空に炸裂(さくれつ)した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。

 原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。

 1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。

 昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証(あかし)です。

 しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。

 核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核不拡散条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。

 そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。

 日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。

 今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。

 長崎の核兵器廃絶運動を長年牽引(けんいん)してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」

 二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。

 平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりに出来ることはたくさんあります。

 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。

 長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。

 折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。

 東日本大震災の原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。

 被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2018年(平成30年)8月9日 長崎市長 田上富久


ラップ音に負けるものか

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 先々月と先月、広島市のビジネスホテルでのラップ音に背筋が凍り付き、しかし負けるものか。今月も同じビジネスホテルに泊まった。

 今回はドリエルを加えた。従来時々飲んでいたが、今回は3夜連続して飲むことにした。もちろん邪気除けに生まれ本尊も塩もバッチリ置いた。

 まず寝る数時間前に大塚製薬の「賢者の快眠」を飲み、寝る直前にドリエルを飲む。この効果か、初日は翌朝まで熟睡した。夜中に目を覚ますからラップ音が耳に入ってしまうわけで、「朝まで熟睡すれば聞こえない。聞こえなければ怖くない作戦」である。作戦名がちと長いな。

 2日目と3日目は夜中に目が覚めた。ベッドから立ち上がり、脳梗塞などの予防として水を飲み、トイレで排尿し、ベッドに戻る。イヤでも耳を澄ませてしまう。数分間は耳がレーダー状態。おお。今回はラップ音が聞こえない。安心して眠りに落ちた。

 霊感のある友人に解説してもらった。「あれだけ怖がったのに懲りずに来たから、霊がニシノさんを認めた可能性がある。敵ながらアッパレだ、と」

 おーし。ワシの勝利宣言をしたいところだが、調子こいてラップ音の機嫌を損ねるとまた恐怖の夜を強いられそうなので、小さな小さな声で「やったー!」。

広島の本屋にやっぱりあった世界文学全集の『苦界浄土』

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 アマゾンで入手不可能になった本は広島市内の本屋でたいてい手に入る。世界文学全集に収録された石牟礼道子さんの『苦界浄土』(河出書房新社)もそうだ。

 まだまだ在庫はあるだろうと買わずにいたら、石牟礼さんが亡くなって興味を持つ人が増えたのか、いつの間にか売り切れになっていて、定価4100円の本なのにアマゾンで「新品」や「古本」を買おうとすると6000円から1万円ほどする(涙)。

 こういうときこそ広島市内の本屋である。人口100万のこの都市に紀伊國屋書店と丸善、ジュンク堂がある。3つとも大型店舗だ。3つを回ってみたら3つとも『苦界浄土』が置いてあった。その中で本の状態が最もいいジュンク堂で買った。よっしゃ。

 問題は読む時間である。毎日本を読むほど優雅な生活をしているわけではないので、乗り物に乗っている時や電車の待ち時間に読むしかない。積ん読本が増える一方なのだが、読まなければ笑われるのだ。私の友人たちは仕事をこなした上で本をべらぼうに読んでいて、「仕事関係の本を読むのは当たり前や。しかしそれだけしか読んでない奴は単なる阿呆やんけ。お前はやっぱり阿呆や」と口をそろえて言い募る。親しき仲には礼儀なし。そこまで言うか、おい。

 言われるまでもなく私が阿呆であることは認めるが、あいつらは一体いつ本を読んでいるのか。激務をこなしながら本を読む時間をどう捻出しているのか。「お前とは集中力が違う」とか「お前が女のケツを追いかけている時間にワイは本を読むんや」などと笑われそうなので、『ウサギとカメ』の昔話を励みに読むしかないのであった。しかし、そんなことを言ったが最後「ワイはウサギみたいに昼寝せーへんで」と反撃されそう。

広島のビジネスホテルと霊

 私の定宿コンフォートホテル広島大手町でのラップ音体験を霊感の強い友人に話したところ、「人間と同じでいろいろな性格の霊がいる。真面目な霊もいれば悪戯好きの霊もいる。かまってちゃんの霊もいる。性格が悪い霊もいる。生前性格が悪いと霊になっても性格が悪い。死んでも治らない。数秒に1回ラップ音をさせたのなら、悪戯なのかかまってちゃんなのか、はたまた西野さんを気に入ったのか。いずれにしてもそのホテルにはもう泊まらないほうがいい。その場所にその霊が住んでいる可能性があるので、覚えられていたらまた“歓迎”される」。自分の存在に気づいて反応してくれていると霊が分かれば、「あ!」と喜ぶそうな。

 この友人は広島で霊体験がある。

 ダイワロイネットホテル広島のどこかが霊道になっている可能性がある。午前中、コインランドリーの電気をつけたところ、奥の壁側にこちらを向いて立っていた。白地に紺色の花柄で、薄地の長い丈の浴衣のようなものを着た小太りの60代後半くらいの女性。足もある。

 この世の人ではないと経験からすぐに分かった。洗濯機に向かって作業をして、エレベーターの前まで行くと、彼女はコインランドリーから出てきて廊下を通って行った。取り込むためにコインランドリーがある廊下を歩いていたら、後ろを左から右に何かが通った。友人の体を抜けていったのだ。風が抜けていく感じで、友人は過去も同じ経験がある。相手はこちらの存在を認識している。でも恨めしや〜という感じではない。

 広島市文化交流会館の地下1階が不気味だった。地下に降りてコインランドリーに体を向けた瞬間、ウエディングドレスの腰の辺りに女性の鎖骨から上がぼんやり浮かんでいた。30代くらいか。無表情。

 見えていないふりをしてコインランドリーに行き、帰りもそちらを見なかった。洗濯物を取りに行ったときはもうその顔はなかった。

 広島というと原爆で亡くなった人が大勢いるので、それと結びつけてしまいそうになるが、この友人によると「原爆で亡くなった人ではないと思う」とのこと。

大騒ぎのラップ音@広島市内の定宿で

 午前3時に目が覚めた。しんと静まりかえった部屋。私の耳はレーダーのようになる。

 みし。ぴん。かた。とん。

 「ごほごほ。どりゃー。くそったれ。ふざけんなてめぇ」

 自分の声で変な音を追いやろうとしたが、黙ったらまたまたぴん。かた。みし。とん。

 ううう。背筋がゾクゾクしてきたので、布団をはねのけて飛び起き、パソコンを立ち上げた。寝る前に書いたメルマガの一部の表現がよくないことに気づいたので書き直すのである。いや、これだけ大騒ぎをされたら恐怖のあまり体中が熱くなって寝付くことができないというのが正直なところだ。

 メルマガの修正を済ませて、さて今度こそ寝るぞ。午前4時。かた。ころ。たん。みし。

 今夜はやけに元気だラップ音。死ぬほど怖いのだが、負けるもんか。というか、平和運動に携わった私にそれはないんじゃないか。

 広島の別のビジネスホテルに泊まったことがある友人が先日「ああ、そういえば、出るね」と言って、言葉を飲み込んだ。私が極度の怖がりであることを知っているから、配慮して具体的な話を避けてくれたのだ。

 原爆で亡くなった人たちには衷心からお悔やみ申し上げるが、頼むから寝かせてくれ。睡眠不足はつらいんじゃ。

 というわけで、今夜は睡眠改善薬ドリエルの力を借りて夜中に目覚めないようにする。

 さっき部屋の片隅に向かって「出てくんなよ。迷惑じゃ。ワシは何もでけんし。分かったな」と叱りつけておいた。みし。ぴし。かた。たん。と返事が来たので、納得したのだろう。そういうことにしとく。

広島のモンベルにあった

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 アマゾンで手に入らない本が広島市内の本屋に置いてあるなど、広島は掘り出し物が多い。これは本に限らないのではないか。モンベルの3つポケット財布(写真の左)もそうだったからだ。東京の新宿や品川、京橋のモンベルには全くないのに、広島店にはいくつもある。

 ナイロン製のこの財布はカタログに載っていない。布が余れば作るそうで、気まぐれに店に並ぶ。それなりに人気があるので東京なら店頭に出たらすぐに売れるのに、広島店には残っている。これは本と同じだ。

 広島市の人口は100万人。そのぶん商品が多めに届く。しかし、その割に購買欲が低いので売れ残っている――ということではないか。

 東京やアマゾンになくても広島で手に入る可能性がある。このことはヒミツにしておこう。

いいことが続く日

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 運命や神様を全く信じていないが、流れのようなものを感じることがある。今日がそうだった。いいことが続いたのだ。

 空を見ると怪しげな雲が広がっている。電動自転車をこいで、雨宿りと仕事を兼ねてコメダ珈琲広島宇品西店に駆け込んだ直後に雨がざんざか降ってきた。

 雨が上がり、嘉村磯多の本はないよなぁと思いながらふとフタバ図書GAGA宇品店に入って、ふと音楽コーナーに行ったら桑田佳祐の「THE ROOTS 偉大なる歌謡曲に感謝」が「50%OFF」だって。広島には時々とんでもないお宝が残っている。即買い。

 今日はラッキーだったと思いながら大手町の宿に戻った直後またまた大雨。おおナイスタイミングだ。

 今日はツイてた。

 先日ツイてない日があった。パソコンの電源コードを忘れたのを皮切りに計3つくらいのポカがあり、「ロクなことがないなぁ。じっとしていよう」と思った。その埋め合わせが今日なのだろう。

 人生にはプラスもあればマイナスもあり、合計がゼロになるという説に私は立つ。徳島市立高校の校内誌『あしかび』の取材で訪ねた元市高教師(事務職員だったかも)が話してくれたのがこの「プラスマイナスゼロ」説だった。50年以上生きてくると、この説をますます否定できない。


敗戦記念日に広島で

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 オバマさんの折り鶴は広島平和記念資料館で公開されているのだが、なぜか一般ルートから外れた地下1階に置いてあり、人が回遊してこない(笑い)。8月15日だからか、観光客(たぶん)が大勢来ていた。資料館はリニューアル中で、映像技術を使って原爆投下の状況を説明するなど、以前に比べると分かりやすい。

 平和記念公園には観光客が大勢いたが、これはふだんと変わらないように感じた。19時半ごろランニングで走ったが、あまり人はいなかった。ここで思い至るわけだ。広島は8・15ではなく8・6なのだな、と。

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 沖縄の6・23を思い出す。平和祈念公園にある平和の礎には県民が三々五々やってくる。遺族の“一員”としてその日に訪ねたことがあり、今も頭に残っている。しかし沖縄でも8・15は盛り上がりがなかったように思う。

 つまり、沖縄にとって大事なのは6・23であり、広島は8・6なのだろう。8・15ではないのだ。

 広島には8・6に来ないといけないな。いけないということもないけど、8・6を見てようやく広島が少し見えてくるように感じる。

外国人とエレベーターで別れるとき

 広島市のビジネスホテル。初老の外国人女性がエレベーターを降りる際こちらを向いて「バイ」と言って出ていった。おお、そう来るか。私も「バイ」と返した。

 ふだん完全に緩んでいてとっさに返事ができない私が今回すぐに返事できたのは、「ハブ・ア・ナイス・トリップ」と言うかな、あるいは「エンジョイ・ヒロシマ」と言うかな、などと考えていたからだ。

 次にエレベーターで一緒になったのはたぶんドイツ人。やはり初老の女性である。この女性は「バイバイ」と言って降りた。

 エレベーターを降りる際にわざわざ声をかけるのは欧米人の基本マナーなのだろうなぁ。

 私好みの外国人女性なら「オイシイコーヒー、一緒ニ飲ミマセンカ」と声をかけるのだが。と書いて思い出すのがハワイ真珠湾での出来事である。

 向こうからテレビクルー3人組がやってきて、真ん中にいたすごくチャーミングな女性がすれ違う直前に私に「ハロー」などと言いながらニコッと笑顔を見せてくれた。ところが、ふだん緩んでいる上に時差ボケと慣れない運転で頭がさらにぼんやりしていたため、私は何の反応も返せなかった。

 あっと思ったが後の祭りである。あんなチャーミングな女性は心も美しいに違いないから、私に対して「イエロー・ジャップ」などとは思わなかっただろうけれど、私は惜しいことをしたという後悔の念を30年近く抱いている。あのとき私が「ハーイ!」などと爽やかに返していたら、「オウ! アイ・ラブ・ジャパニーズ・ウタマロ」ということになって、と下ネタに走り始めたのでこの辺で。

広島に咲く桜は格別で

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 桜の花は下を向いて咲くと今まで知らなかったのでさっそく広島・平和記念公園に行ってみた。

 広島・原爆ドームのそばを流れる元安川に沿って桜が開花し、その下で市民(たぶんね)や外国人が花見や宴会をしている。

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 原爆投下直後のこの辺りは一瞬であらゆる生命が絶え、静寂に包まれたのではないか。そのあと阿鼻叫喚の光景になっていったのではないか。

 亡くなった人たちが今の光景をどんな表情で見ているだろうかと想像してしまう。もちろんにこやかに見ているに違いないと思うのだが、これこそ平和の光景だなぁ。

 原爆投下前のこの辺りは公園ではなく、繁華街だった。よくぞこの一帯を公園にしたものだ。しかも親水公園だ。その元安川はおびただしい死体が流れた川だったのに、市民が親しむ川になった。よくできた都市計画と言っていいだろう。

 沖縄にはこういう中心的な物がない。南部に行けば平和の礎などがあるけれど、あれは最近できた物だ。原爆ドームのような分かりやすい戦争遺跡が沖縄にはない。それだけめちゃくちゃに破壊されたということでもあるのだろうが、広島の原爆ドームを中心とした平和記念公園を見るたびに羨ましくなる。

 川縁をぽっくりぽっくり歩きながら写真を撮っていて、あれと思った。原爆ドームの辺りには桜がない。対岸には桜が川に沿って並んでいるのに。対岸から原爆ドームを見やすくするために植えなかったのか? 

広島で映画『この世界の片隅に』を見た感想

 映画は「何をテーマにして」と「どう表現するか」で決まる。映画の感想を語る者は「そのテーマについての知識の幅や深さ」と「どこに評価基準を置くか」が感想を左右する。

 大雪の広島市で映画『この世界の片隅に』を見た。きのうも今日も満席である。呉市や広島市を舞台にしているので当然と言えば当然か。

 感想を正直に言うと、広島には『はだしのゲン』という金字塔がある。これを超える作品は今後もないだろう、ということだった。なぜ『はだしのゲン』が金字塔なのか。なぜ『この世界の片隅に』がそうでないのか。冒頭の話に戻る。

 この映画を大きく分類するとテーマは「戦争」だ。しかし、「戦争」をテーマにした優れた作品としてすでに『はだしのゲン』がある。広島に原爆が落とされ、地獄絵図と化した当時の様子や主人公一家の過酷な歩みを筆者の意経験に基づいて描いた。王道である。音楽で言えば主旋律であり、楽器で言えばリードギターである。

 この映画は広島市から呉市に嫁いだ女性の普段の生活を戦前から敗戦直後まで描いたので、音楽で言えば通奏低音であり、楽器で言えばベースである。地味になるのは仕方ない。

 もちろんこの映画を作る意義はあった。最近の日本の戦争映画はバタ臭い顔の俳優たちが軍人を演じ、本来なら醜悪嫌悪嘔吐極まる戦争をお涙ちょうだいの感動ものにしてしまう点で私は大きな違和感を抱いてきた。これに対するアンチテーゼとして、この映画の役割は小さくない。

 当時の町並みを細部まで再現したという努力も多とする。能年玲奈の声も別に悪くない。しかしこの映画で話題を呼んだのはこの2点でしかないことをわざわざ指摘しておく必要はあるだろう。敢えて言うと、この映画で描かれたことは当時の日本各地で起きていたことなのである。

 例えば私の古里徳島も大空襲を受けており、母や祖母は逃げ惑った。近所の人が「ここに来な」と誘ってくれた井戸だか防空壕だかに逃げ込まなかったおかげで母と祖母は死なずに済んだというような話を私は何度も聞いている。祖母などは「B29の操縦士と目が合った」と言っていた。祖母がびっくりして立ち上がって逃げ出したあと、近所に爆弾が落ちた。B29が爆弾を投下したときすでに祖母の家を通り過ぎていたのだった。

 海軍の拠点だった呉市が空襲に何度も見舞われたというこの映画の描写は見逃すべきではない。基地は狙われるのである。沖縄県民が基地に不安を抱く理由の1つがここにある。

 全体としては従来地味すぎて描かれることがほとんどなかった一般市民、特に女性を描いた、というところにこの映画の持ち味がある。私は過大評価しないけれど、こういう映画が高く評価されるのは悪いことではない。

 私は『はだしのゲン』のような作品が沖縄から生まれることを期待したい。福島を舞台にした深い深い作品が生まれることも期待したい。沖縄と福島には主旋律になる金字塔がまだ建てられていない。

座席を譲られた

 若くてかわいい女の子が席を立って「どうぞ」と言う。え? このワシに? 

「勇気をふるって立ってくれた気持ちを無駄にしてはいけない」「いや、しかし、ワシはまだ53歳やで」「そんなに老けて見えたのか?」「この女の子にはワシはじじいに見えるんか?」「座るほうがええのか?」「いや、いくら何でも」「この子に恥をかかせたくない」「でもワシは年寄りちゃうがな」「ショックやわぁ〜」――。ほんの数秒めまぐるしく頭が回り、丁寧に「ありがとう」とお礼を述べて、席に戻ってもらった。

 JR広島駅に向かう広島電鉄の中での話である。確かに私は背中にリュックを背負い、重いスーツケースをえっこらよっこらと持って乗り込み、息も絶え絶えだったかもしれない。老けて見えたのかもしれない。でもなー。

 座った女の子の横顔を見る。中学3年か高校1年くらいだろう。かわいくて、理知的な顔立ち。ワシとは40歳近く差があるだろう。結婚相手には無理があるなぁ(と真面目に考えている)。

 しかし、気を配ってさっと席を立つ優しいこの子と縁が切れるのは大変もったいない。かといって40歳の年の差で結婚したらこの子がかわいそうだ。

 あ、そうか。長男の配偶者にいいかもしれない。「お嬢さん、ワシの長男を紹介したいけん、連絡先教えて」と誘うか。私は足フェチではないが、これは谷崎潤一郎風の展開だな。

 などと考えているうちに彼女は立ち上がり、降りてゆく。「ありがとう」と再び声をかけたら「あ、え、あ」。

 純朴だなぁ。この子の配偶者になる男はしあわせ者である。

自分へのクリスマスプレゼント

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 クリスマスや正月の行事にとんと興味がない。しかし、かこつけることは忘れない。クリスマスイブを広島で3年連続過ごすことになった。今年は自分へのクリスマスプレゼントを思い立ち、広島駅前のジュンク堂書店で本と雑誌を計3冊買った。

 丸善広島店に移動し、店内のタリーズでコーヒーと甘い物を楽しみながら、買ったばかりの本をめくる愉悦よ。こういう楽しみを共有できる女性が理想かもなぁ。

広島の空き家管理サポート業者のお勧め

 広島県といえば中国地方の中心都市である。しかし、そんな広島県でも空き家の増加が問題になっている。

 空き家の所有者にとって、「どうすればいいか」「どこに相談すればいいか」「どの業者に任せればいいか」が最大の問題だろう。

 私は株式会社ライブさんをお勧めする。なぜいいかと言うと、島津社長をはじめとしたスタッフの皆さんの誠実なお人柄を私はよく知っているからだ。一戸建てからマンションまでリフォームや内装を長年手がけている専門家なので、単なる巡回見回りだけではなく、家の問題を見つけて解決することができるプロなのである。100パーセントお任せできる安心感は大きい。

 私のボスもここにお願いしている。仕事にめちゃくちゃ厳しいボスがライブさんに決めたということは、ライブさんの仕事に対する姿勢に大きな信頼を抱いているからだ。

 広島の県都・広島市をはじめ、呉市や江田島市、東広島市、大竹市、廿日市市、大野町、熊野町、海田町、坂町をカバーしている。

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広島市の本屋は穴場

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 あった。アマゾンでも手に入らない土門拳の本が3冊ジュンク堂広島駅前店の棚に澄ました顔で並んでいるのだ。すぐにレジに持って行く。広島市の本屋は穴場である。

 NHKの『100分で名著』のバックナンバーがズラリと並び、私が持っていないやつを30冊くらいだったか買ったのは丸善広島店など広島市内の本屋だった。土門拳が写真を撮った卒業アルバムの復刻版『写真集 土門拳の早稲田1937』も手に入らず、丸善広島店で見つけて小躍りした。

 広島市は人口が約100万人。だからだろう、大型書店の丸善とジュンク堂、紀伊國屋書店がある。100万の人口めがけて、けっこういい配本をしているのではないか。しかし、都会ほど読書人はいないから売れ残って棚に並ぶ。それを私が見つけて買うわけである。うっしっし。
 

 

 

 

 

ら抜き言葉

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 広島市内の飲み屋の張り紙に「ら抜き言葉」を見つけた。ら抜き言葉を使う人が初の多数派を占めるという新聞記事が出た9月22日の午後に見つけたのでタイミングがいい。

 私は話し言葉と書き言葉で変えている。前者の場合「見れる」と言う。後者の場合「見ることができる」と書く。話し言葉で「見ることができる」と声に出すと長すぎる。舌がもつれるキケンがある。文字なら読み手のペースで読めばいいから多少長くてもいい。

 こう考えてきた。今さっきまでは。しかし、「カープ中継見れます」の張り紙を見て考えを変えざるを得ない。一瞬で読み手に伝えるべき短文であるべき張り紙が「カープ中継見ることができます」では長すぎてお客さんは店の前を通り過ぎてしまう。ここは張り紙通り「カープ中継見れます」が単刀直入でいい。目に飛び込んでくるからお客さんへのアピール度は大きい。

 などとグダグダ書いているわけだが、米原万里さんに叱られそうだ。「言葉は使う人みんなの財産」や「みんなが使う言葉が、正しくなくても認められてゆく」という柔軟な考え方の人だからである。あんなにステキな女性に喝破されたら私は宗旨替えするしかなさそうだ。

広島の丸善で見つけた『写真集土門拳の「早稲田1937」』

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 おおー、あった! 広島市の丸善で『写真集土門拳の「早稲田1937」』(講談社)を見つけた瞬間、震えた。土門拳の誕生100年を記念した写真集で2009年に出版された。しかし入手が困難だった。

 広島の丸善は穴場である。NHKの「100分で名著」のバックナンバーが大量に並んでいて、20〜30冊ほどまとめて買ったのがここだった。というわけで『土門拳の「早稲田1937」』もひょっとしてと思って本棚を見たら、本当にあるのだ。カバーが少しくたびれ、帯の一部が破れ、数ページ折れているので実態は古本である。だらかだろう、ビニールを表紙に丁寧にかぶせてある。

 なお、念のためにJR広島駅前のジュンク堂を見たら、1冊あった。こっちのほうがきれいなので、ちょっとやられた感がないわけではないが、7年も前に出た本である。まぁどうでもいい。買ってアマゾンで高値で売るかなとも思ったが、荷物になるのでやめた。

 ジュンク堂にあったのが意外ではある。丸善がジュンク堂を合併吸収して店名だけ残してある関係なので、それまでの両者の在庫をそれぞれに分けて並べていたりして。

 アマゾンで手に入らない本は広島の丸善やジュンク堂を探せ。私にとってヒミツのコツである。

広島からの手紙

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 それは私の頭の中に全くない言葉だった。私が見た限りだが、数多くの報道でもこの言葉はなかった。「空疎」――。オバマ演説をこう言うのである。

 歴史上の出来事で具体的な人が思い浮かぶことはけっこう重要なことかもしれない。私の場合8月6日は2人浮かぶ。1人は取材でお目にかかった中沢啓治さん、もう1人は仕事で出会った元某銀行重役の被ばく者Fさんである。Fさんが配偶者にも家族にも語ったことがなかったという被ばく体験を私に話してくださって以来、お会いしたり手紙を交わしたりしている。

 そのFさんがオバマ演説をどう受け止めたか私は関心があった。Fさんの手紙は言う。謝罪と弔意を表すならトルーマンだ、オバマは71年前に生まれていなかった、と。

 あの日8時15分、Fさんのお姉さんは勤労奉仕先で消えた。

 戦後。

 Fさんの母親は玄関に人の気配がすると娘が帰ってきたと駆けてゆき、本通り商店街で女性の後ろ姿を見て娘がいると駆け寄り、違うと分かるたびに落胆した。

 そんな母親を支えてきたFさんが表現した「空疎」という無念の二文字に、私は静かに思いを重ねるしかない。そんな8月6日である。

土門拳全集『ヒロシマ』

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 ここ数年毎月広島に通っている私が土門拳の作品の中で最も見たかったのが『ヒロシマ』である。絶版になって久しいけれど、アマゾンで古本が容易に手に入る。

 私がまだまだ知らない広島がそこにあった。いや、広島の人には常識なのかも知れない。被ばくした生存者の皮膚や顔や足や目がただれ、歪み、割れ、見慣れていない私は思わず顔をしかめてしまう。

 漫画や映画、活字では描ききれないこの現実は、何と表現すればいいのか。本を閉じ、椅子にもたれかかり、天井を仰ぎ見る。

 この古本を譲ってくれた京都府在住の人は、「原爆の記録総集編」という特集を組んだ『アサヒグラフ』1982(昭和57)年8月10日号を一緒に送ってくれた。こちらもまた何と言うか、ああ、そうだ、表現を放棄しよう。中途半端な表現をするくらいなら黙っているほうがいい。

 どう締めくくっていいのか分からない。いま思いついたことを書いておく。この写真集を私は自分の子供たちに見せよう。3人のうち2人は独立して離れたところに暮らしているのでなかなか見せる機会がないけれど、その機会ができたら必ず見せる。それくらいしかできない。すさまじい破壊兵器と被害の前に私はどうにもこうにも無力なのである。

心霊写真ではアリマセン

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 きのうの夕方ランニングしていて気づいたので、昼間写真を撮ってみた。広島・平和記念公園の片隅にある木である。

 そういうふうに見ようと思えば見える。

 その部分だけの写真も撮った。

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 私の勘違いに違いない。そういうふうに見えると思うから見えるノダ。

1700円は高すぎないか?

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 広島の原爆ドームを見下ろせるビルが完成した。マツダの所有で、広島折り鶴タワーと言うらしい。

 その最上階(12階だか13階だか)が展望スペースになっていて、そこに行くためには大人1人が1700円かかる。せんななひゃくえん?!

 強気の価格設定をしたもんだ。観光客なら1700円払うと踏んだのだろうなぁ。旅の恥はかき捨て、みたいな価格提示だぞよ。旅行者を迎え入れる側が恥をかいてどうする。それにこの価格、地元の人はお呼びじゃない(植木等ふうに)?

 そこで提案しておく。年間パスポートを3000〜5000円くらいで発行しなさい。沖縄の美ら海水族館だって発行してるんだから。

 年間パスポートなら私は買う。

インターネットの時代に

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 広島・福山市の喫茶店イチノクラで見つけた。メニューの表紙に張ってある。こんなの初めて見た。

 インターネットの時代、非常に正しい。

 飛び込みで喫茶店に入って、取材拒否をされることがごくまれにある。広島市南区のできたての喫茶店がそうだった。自分のサイトがあるからと言う。

 今の時代、ネット上に投稿する自由を妨げるのは不可能だから、店側がコントロールできる取材は喜んで受けるべきなのに。懇切丁寧に教えてあげるほどヒマではないので、私はさっさと退散する。

 話を戻す。これだけ積極的な店を私は初めて見た。ネット時代に応じた姿勢である。店のスタッフはフレンドリーで、ああ、自信があるんだなと感じた。胸を張って「さぁ、何でもどうぞ」という感じなのだ。

 どうせネット上に書かれるのである。だったら気持ちよく写真を撮らせて気持ちよく書かせるほうがいい。人間心理の基本である。イチノクラを私は高く買う。

広島厳戒下の想像

 オバマ米大統領の訪問が決まった広島は厳戒……というほどではなかった。私が見た限りでは、だが。

 私は平和記念公園の周りをランニングすることが多い。今まで制服警官の姿を公園内で見た記憶がないのだが、今回はちらほら見かけた。原爆ドームの周辺には必ずいる。制服がいるのだから私服もいるだろう。案外大勢いるのかもしれないが、ものものしい雰囲気は感じられず、まだ日数があるからか。

 ランニングしながら想像した。私がテロリストなら、いや、これは物騒なので仮定を変えよう。私がサスペンス小説の作家として、大統領暗殺を企てる悪党一味をどう動かすか。

 まずは狙撃。公園に隣接するマンションから狙わせるか。しかし、木々が邪魔になりそうだ。ほかのマンションは遠すぎる。ではゴルゴ13を雇うか。いや、さいとうたかをさんの著作権に触れてしまう

 クローンを使って原爆ドーム上空からドーム内に起爆装置を落とし入れるか。うーん、クローンの音で警官に気づかれるなぁ。

 お、そうだ。警備の警官に狙撃させるか。祖父が被爆者という設定はどうだ。ちょっと極端だなぁ。それに広島県民を悪者にしてしまうのはよくないね。

 北朝鮮がオバマ大統領めがけて核搭載ミサイルを発射したというのは荒唐無稽だし。

 あーでもないこーでもないと想像しているうちにランニングを終えた。私に作家の才能がこれっぽっちもないことだけは再認識できた。

空き家問題

 空き家が問題になっていると知った。広島県内は自治体が積極的に取り組もうとしている。神奈川県という都会に住んでいる私には他人事のように一瞬思ったが、違う。徳島の実家はいずれ(両親がこの世を去ったら)空き家になる。

 カッコに入れたとはいえ、「両親がこの世を去ったら」だなんて罰当たりかもしれない。しかし、遠くない将来確実にそうなる。

 さて、どうするか。確実に来る日に備えて、せめて選択肢を挙げておくだけでもやっておく必要がありそうだ。

 広島で空き家管理をしている知人のサイトを見て、初めて空き家問題を自分の問題として受け止めた。いろんなことがあるなぁ。

 参考にしたサイトはこれ → 広島県内の空き家管理対策サポート

コーヒーの入れ方をプロが見せてくれた



 広島市のマウントコーヒー山本さんにコーヒーの入れ方を教わった。

 豆を挽き立てなので、膨らむこと膨らむこと。啄木の「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」のような、こころがふわっと舞い上がるような感覚を覚えた。至福のひととき。

 自分で入れないコーヒーは、しあわせを自ら捨てるに等しい。うーんマンダム

カリタ製クラシックミルでニシナ屋珈琲の豆を挽く

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 広島で最も古い歴史を誇るニシナ屋珈琲の豆を買い求め、ヨドバシカメラ横浜店でカリタ製クラシックミルを買い求め、シャリシャリと豆を挽く。へいへいほー。

 私は苦みが残る豆が好きなのだ。へいへいほー。

 あとはタイガーのコーヒーメーカーでお湯を注ぐだけ。これが予想以上にうまい。豆を挽いてその場ですぐに飲むからだろう。

 豆を挽いているとコーヒーの香りが立ち上るかと期待したが、期待外れに終わった。しかし、味は私の舌に合う。このミルは細引きから粗挽きまで調整できるので、いろいろ試してみよう。

 そのうちポットとドリッパーをそろえそうな気がする。

 コーヒーは本との相性がいい。コーヒーも読書も進みそうだ。


 

 

広島市の名店てらにし珈琲店の仕事

 私が愛してやまない広島市宝町のてらにし珈琲店はパンもコーヒーミルクもサラダドレッシングも手作りである。

 その理由をカウンター越しにマスター寺西さんが教えてくれた。

「ミルクによってコーヒーの味が変わってしまうんですよ。だから、うちのコーヒーに合うミルクを作るんです」

 優先順位だの、選択と集中だの、いかに手を抜くかだの、そういう一見かっこよさそうなことを「合理化」や「効率」と呼ぶ時代の流れに抗うかのような手間のかけ方ではないか。驚いている私の顔を見ながら寺西さんは笑いながらこう言う。

「これが仕事ですから」

 これが仕事ですから――。言うのはたやすい。しかし、細部にわたって徹底する人はどれほどいるだろうか。

 月にわずか2回だが、てらにし珈琲店で寺西さんが作ったモーニングを食べることができる私はしあわせである。 

徳島と東京と広島で

 赤坂真理さんがいいことを書いていた。

 都市って本来、京都や大阪くらいのサイズ感。純粋な移動時間というのが東京に住んでいるとあり、それを受け入れて暮らしているけど、なんでこんなに移動しないといけないのかと、はっとわれに返る瞬間があります=『AERAの1000冊』(朝日新聞出版)

 ここ2年ほど広島に毎月通っているので、身に染みて分かる。

 古里徳島市は人口が二十数万人。たいていの用事は市内で済む。社会人の大半を過ごす東京と神奈川は人口が多いけれど、移動距離が長い。神奈川と東京、埼玉の3都県を移動する日があるし、都内を行ったり来たりする日もある。市内では用事が済まない。

 私が好きな本屋の数は徳島市より南関東がはるかに多い。移動距離は長いけれど、本屋の数を考えると南関東がいい。

 ここで広島市が浮上する。100万人都市の広島市は大きな本屋が数店あるし、市内中心部の商店街には活気がある。京都市や仙台市も100万人都市だ。これくらいの人口がある自治体は元気があるように感じる。移動距離はそれほど長くない。自転車で回れる範囲でたいていの用事が済む。

 年をとったらどこで朽ちていこうかと考えるようになったのは、52歳という年齢のせいだ。スケルトンのエレベーターに乗って上がっていくにつれて視野が広がるように、年齢が上がると見える光景が増える。

 ぐちゃぐちゃ言いながら1カ所に腰を落ち着けようと思わないのは、小学校を3校、中学校を2校それぞれ転校した“後遺症”かもしれない。

 

広島ホームテレビの取材を受けたが

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 広島市の本通りを相変わらずボケーっと歩いていたら、広島ホームテレビの取材を受けた。かつて取材する側にいたし、今でも取材拒否されるとガックリ来るので、取材は受けると昔から決めている。

「電子マネー、使っていますか」

 たまたまズボンのポケットに入れてあるのでお見せする。

「不便なことはありますか」

「いま広電に乗ってきたけど、東京の電車で使えるのに、こっちでは使えない。全国どこでも使えるほうがいい」

「ありがとうございました」

 何で電子マネーの取材なんだろう。不思議に思いながら、神奈川に向かう新幹線の中で『読売新聞』の広島版(上の写真)を開いて納得した。もう少し早く新聞を読んでおけばもう少し気の利いたことを答えただろうに。

 かつてTBSの街頭取材に2回答えて放送されたことがある。取材時に番組名を言われたけれど、生まれつき阿呆なので頭に残らない。友人知人から電話やメールが来て、「そういう番組で放送されたのか」。

 私は温和な顔をしているらしいので、昔から声をかけられやすい。大学時代は統一協会に何度声をかけられたことか。

広島・てらにし珈琲店の人気のヒミツ

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 2泊3日で広島に行くたびに必ず3回は行く。てらにし珈琲店を私がここまで気に入ったのは、いったん好きになったら骨の髄まで惚れ込んでしまう私の性格が影響しているのは間違いない。

 しかし、行くたびに発見がある。てらにし珈琲店がなぜ人気があるのか、少しずつ見えてきた。

 マスターの寺西さんは客の顔を覚える特技がある。てらにし珈琲店に通いはじめた9月のこと。広島滞在2日目の朝、モーニングを食べ、そのあと丸坊主に近いくらいの散髪をして3日目朝行ったら何の問題もなく私だと認識した。ほかのスタッフが私を分かっていないので、「ほら、きのうも来てくださった」と説明していた。

 覚えるのは顔だけではない。11月に訪ねたときは私の顔を見るなり「モーニングですね」と言ってきた。私がモーニングを食べている様子を見て寺西さんは「コーヒーはブラックなんですね。すみません。覚えてなくて」と言う。言われてみれば私はコーヒーカップに添えられたミルクを全く入れていない。

 寺西さんは客の様子を実によく見ているのであった。自分にさえ無頓着で、他人に対してはさらに無頓着な私は逆立ちしても勝てないきめ細やかな観察である。

 翌朝訪ねてモーニングを注文したら、ミルクは消えていた。私の顔とともに注文を頭に刻んだのである。

 そういえばほかのお客さんに対して「トーストはシナモンですよね」などと言っていた。通常のモーニングは3種類のジャムなのだが、シナモン好きのお客さんがいて、それを覚えて対応しているのである。

 覚えてもらえると、お客さんは特別扱いされているような感覚になる。あるいはここは自分の行きつけの店だという思いを抱く。

 他人に無頓着な私が寺西さんを“観察”できるのはカウンターに座るからである。「広いほうにどうぞ」とテーブル席を勧められてもカウンターに座ってきた。カウンターに座るのはマスターへの好意の表れなのである。

身の毛のよだつ光景に心臓が止まるかと思った

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 夜中に目が覚めてトイレに行き、ベッドに戻ってもうひと眠りしようとする私の耳に「ガタ……ガタ……ガタ」と変な音が聞こえてきた。気持ち悪いので無視しようとしたが、「ガタガタガタガタガタ」と音が連続しはじめた。

 午前4時。広島市のダイワロイネットホテルである。

 まいったな。このままで恐怖で朝まで眠れない。勇気をふるってベッドを出て、音が出ている場所を探す。

 げ。

 私が見たのは、部屋のドア近くにあるカードキーボックスに差したカードが小刻みに震えている光景である。何で揺れてんの? 頭から一気に血の気が引き、目が覚めた。

 カードキーを叩いたが止まらない。えいやぁと抜いて、「いけね。15秒後に部屋が真っ暗になる」と焦って再びケースに差したところ、ようやく止まった(宿での私は室内の電気を全部付けっぱなしにして寝ている)。総毛立つ。

 ベッドに戻ったが、あれは一体何だったのかと思うと、眠るどころの話ではない。

 夜が明けてからフロントに電話で聞いた。

「この部屋で不慮の死亡事故、ありました?」

「このホテルではそういうことは一切起きていません。何かありましたか」

「かくかくしかじか」

「空気の流れの関係でそういうことが部屋と時間の区別なく起きておりまして、すぐにお部屋に伺って、改善します」

 スタッフがやってきて、カードキーボックスを開けてプチプチを入れた。これで解決するんかい! とんだお騒がせではないか。って騒いだのはワシか。

怪しさは顔で分かる、のか

 仕事のために広島・福山市内の店に入ってひとこと。

私「あの、アヤシい者ではありません」

店の女性「(笑いながら)顔を見たら分かる」

「のび太」だの「丸出だめ夫」だのと言われてきたワタシの顔だが、初対面の人に不信感を抱かれることはないようだ。親に感謝しなければならんなぁ。

 しかし、顔で分かるのだろうか。


 

『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』と広島

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 軍縮問題を扱う国連総会第1委員会は2日、日本が提出した核兵器廃絶決議を賛成多数で採択した。一方、オーストリアが提出した核兵器の禁止や廃絶に向けた法的枠組みへの努力を誓う決議は128カ国の賛成で採択されたが、被爆国であるにもかかわらず米国の「核の傘下」にある日本は棄権した。こんな日本は諸外国から理解されるだろうか。

 ちょうど『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか』(藤原章生・新潮社)を読み終わったところだっただけに、上記の報道と本書の主人公・森一久さんが重なった。森さんは広島で被爆し、家族を失った。湯川秀樹博士が広島に原爆が投下されることをあらかじめ知っていたのではないかとのちに森さんは疑問を抱き、調べ始める。その遺志を継いで丹念に調べ、刻んだのが著者の藤原さんである。

 読み進めると、著者と一緒になって事実を調べていくような感覚に包まれる。

 昨夏の広島で初対面の私に被ばく体験を淡々と話してくれた男性がいる。同席していた配偶者は「私も初めて聞く」と驚いていた。この男性はいくつもの疑問とかなしみを抱えていた。「たくさんの折り鶴を保存して意味があるのか」や「跡形もなく消えた私の姉に比べると、12歳で亡くなった佐々木禎子さんはまだいいのではないか」、「平和記念式典に首相が来る意味があるのか」……。

 被ばくして文字通り地獄を見た人たちの深淵をどう伝えていくのか。その答えの1つが本書である。
  

 

常連客を大事にする喫茶店

 無料で宣伝しますよと提案しても、「それは困る」と言う喫茶店のあるじがいる。福山市と広島市で出会った。大勢の一見さんに来られるより、常連さんを大事にしたいという点で共通している。

 福山市の喫茶店は開業して30年経つ。「長期入院するから、最後かもなぁ」と家族全員でやってきた公務員がいた。「娘が大好きなこの店のハンバーグを自宅に持って帰りたい」と母親がリクエストした。そのときは事情が分からないままハンバーグを作って渡した。どちらもがんで亡くなった。

「常連さんのおかげで30年やって来ることができたんです。常連さんは高齢化して、少しずつあの世に行っていますが、私も年を取ってきて動きが鈍くなってきたので、お客さんの人数は少なくていいんです」

 広島市の喫茶店は港が見える。今年で11年目だという。有名な俳優が来ても政治家が来ても色紙を求めることなどしない。「だってお客さんですから」

 大阪で長く暮らしたので阪神ファンだそうな。BGMとして六甲おろしを流すと、市役所に「広島の玄関口なのに」と苦情が行く。「いやなら来なければいい」。かつてはその筋の人だったかと思わせる渋い表情で断言する。

 店内で傍若無人に大声を上げる(騒ぐことで有名な)某平和団体や子供が騒ぐのにたしなめない親は「出ろ」と追い出す。お代はいただかない。「そんなお金より、ここで自分の時間を過ごしたい常連さんのほうが私には大事なんです」。赤ちゃんが泣くのは問題ない。「だって赤ちゃんは泣くのが仕事でしょ」。

 マスターがこんな調子だから、「常連さんは変な人ばかり」と笑う。

 1時間近く話し込んだか。帰りがけにコーヒー粉で作ったという乾燥・芳香剤を5つもプレゼントしてくれた。私も常連の仲間入りができるなら光栄である。

喫茶店の成否を決める1日の顧客数

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 広島・福山市内の喫茶店主が言う。「コーヒー1杯450円として、1日にコーヒーが100杯出る喫茶店は十分やっていける」

 1杯450円で計算すると、ざっと400円が粗利だ。毎日店を開けて毎日100杯売れると400円×30=120万円。ここからバイト代や光熱費、家賃などを引く。どう少なく見積もっても1カ月分の経常利益が50万円はある。家族経営だったり自宅を改造して喫茶店をやっていたりすれば経常利益はもっと増える。

 有名な喫茶店になるともっと強気の価格設定をしていたりモーニングやランチで700〜1000円程度の価格を設定していたりするから、もっともっと儲かるわけだ。

 コーヒーを味わいながら、「この店なら」と頭の中で計算してしまう(苦笑い)。

貸自転車でスイスイ広島

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 東京・品川で見た自転車と同じだ。乗ってみたいと思っていたので、広島市観光レンタサイクル「ぴーすくる」を使ってみた。

 中区の平和大通りを出発し、宇品港や宇品神田の辺りを走り回った。狭い道に楽々入っていけるのが便利だし、広電が走っていない地域まで楽々足を伸ばせるので行動半径が広がった。私は歩くのが好きだが、ある地域をしらみつぶしに歩くより、これに乗って回るほうが効率がいいし疲れが少ない。

 ずいぶん走ったあと、広島県民の信治さんに「電動アシストね」と言われて初めてそのボタンを押してみたらペダルが軽いの何の。さっきまでの自転車こぎは何だったんだというか、気づけよ電動アシストたってことくらい。

 1つだけ注文をつけるとすれば、登録する際に「1日1000円で乗り放題」か「30分100円」か決めておかなければならない。使う時に選べるほうがいい。

アマゾンで買える『職業としての小説家』

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 村上春樹さんの『職業としての小説家』を広島市の紀伊國屋書店で買った。紀伊國屋書店は初版10万冊のうち9割を出版社から買い取って、全国の店舗などで売っている。アマゾンへの対抗策だという。この売り方、マーケッターでもある村上さんが考えたのではないかと思ってしまう。

 私が書籍を買う場合、1割引で買える舎弟を通して買う。年額あるいは10年単位で積み上げれば軽視できない金額になるからだ。

 しかしこの本がアマゾンで買えないのなら仕方ない。そう思ってさっき紀伊國屋書店で買ったのに、いまアマゾンで見たら売っているではないか。1割引つまり200円安く買えたのに。

 紀伊國屋書店へのチップ代わりだ。釣りはいらねぇ。取っときな。200円はイタイなぁと思いつつ、ちょっと強がり。

イイタイコトはよく分かるけど

P1250148「広告塔」という言葉は例えば「歌手の桜田なんとかさんは統一協会の広告塔だ」などと使う。で、写真のこの「広告塔募集」である。福山市内のマンションの屋上にどーんとそびえる搭に記されている。

 文字通り素直に読めば「広告塔を募集してまっせー。誰か広告塔になりまへんかー」という意味しかない(なぜ大阪弁?)。

 忖度して書き手の意図を読めば「この塔に記したい広告を募集してまっせー」と言いたいのだろう。

 どんな人が広告塔になるのか、あるいはどんな広告が出るのか、それとも「塔」を塗りつぶすか、楽しみであーる。

 

 

安倍談話もいいけれど

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 戦後70年の安倍談話はさておき、原爆による筆舌に尽くしがたい苦しみを広島と長崎の人々に与えたことを米国に謝罪してもらおうではないか。

 米国人は「原爆投下が戦争を終わらせた」と思っているそうで、それはそれでいい。「米国が投下した原爆が戦争を早期に終わらせた」ことと「米国が投下した原爆が耐え難い苦しみを人間に与えた」ことは別である。オバマ大統領が謝罪を打診して外務省の誰かが時期尚早と断ったという話が先日新聞に出ていたが、ここは謝ってもらうほうがいい。

 安倍談話の手法を援用すれば、戦争に何ら関わらなかった米国人の子や孫、その先の世代の子供たちに原爆の謝罪を求めるわけにはいかないからである。

 それにしても安倍談話のこの部分(日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません)は、中国や韓国から「それをお前が言うな」とツッコまれても不思議ではない。本来相手が言うことを自分で言ってしまったおかしみを感じるのは私だけ、だったりして。
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