同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

ランニング

ランナーの挫折(涙)

 
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 別府大分毎日マラソンのリモート大会を2月中に皇居の周囲で完走するつもりがまとまった時間を取ることができず、やむなく14キロを3日に分けて走ることにした。

 2月23日に1時間41分で走り、25日は1時間36分で走った。ところが、iPhoneに入れたTATTAというソフトが25日の記録を取っていない。時間だけは記録されているのに距離やペースなどが記録されていない。

 25日に走っている最中にどうも気になってiPhoneの地図を見たら、全然違う場所を走っている。GPSがうまく受信できていないのか何なのか分からないが、すでに数キロ走っているので止まるわけにはいかず、不安を抱えながら14キロ走り終え、あらためてよく見たら時間しか記録されていない。予感的中。ガックシ。

 28日に14キロ走って合計42.195キロを“完走”する予定だったのに。この不測の事態で意気消沈し、ココロ折れ、“棄権””した。無念である。


 

ランニングのあとの楽しみ

 寒くなってきた。冬のランニングのあとの楽しみは、湯船にざぶーんと浸かるって「う”−」とうなることである。もともとカラスの行水なので数分だがお風呂を味わう。

 ランニングに出る前にお湯を湯船にため始める。44度に設定しておくと、30〜40分で帰宅したときちょうどいい湯加減になっている。

 8キロほど走って帰宅して、さぁ湯船に……と思ったら水風呂やがな。ガスを付け忘れたらしい。これで2回目だ。

 この失敗を水に流すとするか。という落ちもイマイチだなぁ。

走るぞ別府大分毎日マラソン、のリモート大会

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 年に1回はフルマラソン大会を走ってきたのにこの冬は新型コロナ騒動で大会が激減している。仕方がないので「ひとり皇居フルマラソン大会」をやるかなと思っていたところにこれを見つけた。

 別府大分毎日マラソンのリモート大会である。完走者の中から抽選で2022年の第70回別府大分毎日マラソン大会優先出場権や大分県特産品が当たるし、参加者全員に大会公式Tシャツや公式ナンバーカード(アルファベットの名前を入れることができる)がもらえるし。

 しかも参加料3000円。もちろん申し込んだ。この冬のフルマラソンはこれで決まり。

 

冒険の森へ3巻『背徳の仔ら』


 2巻は剣豪小説なので後回しにして3巻を読んだ。

 特に面白かったのが立原正秋『白い罌粟』と黒岩重吾『裸の背徳者』。

 後者は太平洋戦争末期のソ満国境を舞台に、バツ印をつけられた日本軍兵士たちの生々しい生態を描いた。湘南国際マラソンの35キロ以降をヘロヘロになって走っていたときに何度も思い出したのがこの小説で敗走する兵士たちだった。

 小説が描く全く救いのない人間模様は、私に「人間の本性は獣だな」と再確認させた。獣であることを隠すために、あるいは獣性を抑えるために安定した衣食住の環境が人間には必要なのだ。

 大藪春彦の『野獣死すべし(付・復讐篇)』は昔よく耳にした。ネットで検索してみたところ1980(昭和55)年に角川映画になっていた。道理で。主演は松田優作だ。私は当時高校生。映画も原作の小説も見ていない。それがこの本を買ったおかげで読む機会を得た。なるほどこういう内容なんだな。松田優作以外の主役はあり得ない。

[収録作]
【長編】
大藪春彦「野獣死すべし(付・復讐篇)」
黒岩重吾「裸の背徳者」

【短編】
松本清張「鬼畜」
西村京太郎「南神威島」
野坂昭如「骨餓身峠死人葛」
筒井康隆「問題外科」
立原正秋「白い罌粟」

【掌編】
久生十蘭「昆虫図」
川端康成「地」
小酒井不木「痴人の復讐」
皆川博子「夜のリフレーン」
赤川次郎「アパートの貴婦人」

湘南国際マラソン完走の感想

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 湘南国際マラソンは地元なので何かと便利だった。スタート地点とゴール地点に徒歩や自転車で行き来できるマラソン大会は本当に助かる。

 午前4時起床。この日のためにベルソムラ20ミリで睡眠を統制してきた。軽く朝飯を食べて、5時45分に自転車で家を出る。駐輪場が混雑すると大会要項に書いてあったからである。6時10分に着いた駐輪場はガラガラ。しまった、早く来すぎたか。早く来すぎたとガックリきたのは開場時間が6時45分だと知ったときである。寒い中、じっと並ぶ。

 この日の横浜の気温は14〜15度と予想されていた。湘南地方は1度くらい高いから、走っているうちに汗をかくだろうと考え、荷物を減らす意味もあり、薄着で来たのが失敗ではあった。足踏みしながら寒さに耐える。

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 9時スタート。大磯町から隣の平塚市に入る。5キロ辺りか。この辺から汗をかき始める。太陽が当たり、体温が上がる。寒さ対策で厚着をして走っているランナーはつらいだろう。脱ぐことができないもんね。半袖の大会シャツで走る私はほくそ笑む。このあと路上にたくさんの手袋が落ちているのを見る。捨てたのではなく落としてしまったのだろう。こうして日本経済は循環する。

 湘南大橋を超えて茅ヶ崎市に入る。ホテルパシフィックという名前のラブホテルを見つけて笑ってしまう。このホテルに入ったらサザンの「ホテルパシフィック」の振り付けを踊りたくなるのではないか。そういえばランナーの中にサザンの「ホテルパシフィック」でダンサーチームがまとう「オー! モーレツ!」の服装の人(性別不明)がいた。沿道から「オー! モーレツ!」の声がかかる。サザンの音楽を流している男性がいて、「江ノ島が見える」と桑田佳祐の歌声。茅ヶ崎らしくていい。湘南を走るのだからサザンの世界があって当然だ。

 衝撃的だったのは「欅坂46」と書かれたタオルを掲げて無言で応援している(のだろう)初老の男性だった。なぜに欅坂46?

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 江ノ島入り口付近で折り返す。快調である。1カ月前に皇居を30キロ余裕の裕次郎で走ったのだから、この調子で行けば十分だ。江ノ島を見たあと5時間切りも見えてきた。

 ところが復路は海岸の防砂林で太陽が遮られているせいか体が冷えてくる。そのせいかトイレに並ぶ人が多い。30キロ辺りだったか、トイレに並ぶ列がなかなか減らない。便座なので手間取るのだった。男性用小便器だけ分ければいいのに。

 再び茅ヶ崎市。応援者から「がーががががー」の声が飛ぶ。笑ってしまった。分かる人は笑うだろう。こいつもサザンオールスターズのファンなんだな。茅ヶ崎らしくていい。

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 復路の湘南大橋。箱根駅伝の中継ヘリから「湘南大橋が見えてきました」とアナウンサーが必ず絶叫する地点である。思えば箱根駅伝で走者がいろいろなものを背負って駆け抜く道を私たちも走っているのだ。箱根駅伝の走者は私のように自分のタイムと自分の完走だけ考えていればいいわけではない。どれだけ重く複雑なものを背負っていることか。ということも、自分が同じ道を走ることで初めて見えてくる。かつて早稲田の競走部で箱根駅伝を2年走った神能さんの精悍な顔が浮かぶ。

 大橋の上から富士山が見える。UFOのような雲が浮かんでいる。あしたは雨だな。

 再び平塚市に入る。もう走りたくなくなってきた。コースを外れてこの角を右に曲がれば自宅に10分で着くぞというユーワクにかられる。

 35キロでトイレに向かう。ところがこの地点のトイレは西湘バイパス本線と一般道を結ぶアプローチ道の下にあるではないか。アプローチを降りながら「これを今度は上がるのか」とがく然とする。きれいな洋式便座だったので脱糞する。座ると足の疲れが和らぎ、しばしうっとりしてしまった。洋式便座は臭くはなかったが曲者である。

 コースに戻る。笑ってしまったのが大会関係者の激励だ。「湘南国際マラソン大会ですよ。ウオーキング大会ではありません!」だって。実際歩いている人が多い。

 この辺りから「何で42キロも走らんといかんのよ」「今後はマラソン大会にはもう絶対に出ない」などの反省が聞こえてくる。ましてや100キロウルトラマラソンなんかぜーったい無理だ。100キロウルトラマラソンやトライアスロンを完走した人が身近に3人いるので、その顔と名前を思い浮かべて敬意を表する。

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 歩いてなるものか。よたよたしながらも最後まで走る。ゴール前の坂道、沿道からの拍手が飛んでくる。何回走ってもゴール直前、込み上げてくるものがある。35キロ辺りからヨレヨレになって(笑い)、それでも走ってきたからこその感動だろう。

 自宅に戻ってシャワーを浴びて2時間爆睡。5時間も体を揺らし続けたのだから胃腸がめまいを起こしていると想像し、日清チキンラーメンに生卵を落として汁まで飲み干して晩飯を軽く済ませた。21時すぎに寝た。

 次はどこのマラソン大会に出よう。

軽く30キロ皇居周辺をランニング

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 湘南国際マラソンの準備で30キロ走ってみた。2日(土曜)9時に走り出し、景色を楽しめる皇居を中心にぐーるぐる。

 あと2周して40キロ走ってみようかと思ったが、フルマラソンを完走する感動が減るし午後は神保町の古本祭りなどに行くことにしていたので、予定通り30キロでやめた。途中2回トイレに行って、3時間39分。

 マラソン大会のシャツを着ているランナーがちらほら。一番多く見かけたのが湘南国際。次がなんとかASAHI。別府大分を2人見た。那覇マラソンが1人いた。袖に糞エネオスの目立つ宣伝を張りつけた横浜マラソンはゼロ。東京マラソンはどんなシャツなのだろう、見たことがないので分からないのだが、少なくとも背中にそう記したシャツは見かけなかった。

 約500ミリリットルのスポーツドリンクを2回のトイレ休憩で飲み干し、30キロ走ったあと竹橋駅の自販機で買ったアクエリアスを飲み干し、そのあとスダチを搾った水200ミリリットルを2杯。

 翌3日は大腿部の筋肉痛で階段を降りるのにぎくしゃくしたけれど、4日朝起きたときにはほぼ解消していた。よし。

落ちてほっとした東京マラソン

 東京マラソンに今年も落ちた。しかし今回ばかりは落ちてほっとした。

 そういえば東京マラソンの当落の結果メールが来ていないなぁと気づいたのが10月1日の17時45分。まさかと思ってゴミ箱を検索したら、あった。9月20日に届いていたのに気づかず、ゴミ箱に捨ててしまったようだ。

 慌ててメールを見てみた。入金締切は10月1日17時までと記されている。もう過ぎている。げげげ。10年に1回くらいしか当選しないので、万一今回当選していたら泣くに泣けんがな。

 落ちてますように落ちてますようにと変なコトを祈る。

 結果は冒頭に書いたとおり、落ちていた。よかったなぁ。

湘南国際マラソン地元枠に応募し忘れ

 ああ何てこった。さっき原爆ドーム周辺をランニングしながら「そういえば湘南国際マラソンの募集、ぼちぼちちゃうか。ホテルに戻ったらパソコンで確認しよ」と思ったのに完全に忘れていた。

 いま(22時45分ごろ)思い出してパソコンで調べてみたところ、地元枠の申し込みは今日の20時から。先着順なので、もう締め切っていた。あっちゃぁー。20時に私はホテルの部屋で晩飯を食ってた。再び何てこった。せっかく思い出したのに。

 最近は三歩歩いたら忘れる鶏頭。6キロほど走ったらそりゃ忘れるわなと自虐で慰めるしかない。

 こうなったらあしたの地方優先枠や25日の一般枠を狙うしかない。

免許証を持ってランニング

 何か胸に微妙な差し込みがあるので悔しくなって10キロ走った。念のために免許証を持って。

 今までは身元を示すものを何も持たずにランニングしてきた。一人暮らしの私がランニング中に死んで帰宅しなくても、気づく人がいない(笑い)。

 死んだ私を前に警察官が腕組みしてつぶやく。

「こいつ誰やねん」(なぜか大阪弁)

「生ゴミの日にこっそり出しとくか」

 そうしてもらえると本望なのだが、現実はそうはいかない。というわけで免許証をポケットに入れることにしたのである。


 

 

3つのマラソン大会で思ったこと

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 徳島と那覇、横浜の各マラソン大会を走って見えたことを思いつくままに。

 今回意識して見たからだろう、ボランティアの存在の大きさが横浜マラソンで初めてよく分かった。早朝からの交通整理や誘導、給水所、沿道、トイレなどなどどこを見てもボランティアの姿があった。給水所付近の道路に散乱する紙コップの回収やそのほかのゴミ掃除もボランティアの皆さんがやってくれる。ボランティアの人たちが完璧にお膳立てしてくれた中を私は単に走ったに過ぎない。仕事とはいえ早朝からかり出された神奈川県警も含めて、感謝の言葉しかない。

 今回の横浜マラソンで初めて気づいたのだが、場所によってはトイレが男女別になっていた。男女共用は女性に大変つらい思いをさせるので、とってもいいことだ。今後男女別のトイレが常識になるだろう。

 横浜マラソンは給水所がたくさんあった。どの給水所にもアクエリアスと水が分けて置かれていたので、アクエリアスは飲み、水は頭からかぶる、というふうに使うことができた。徳島マラソンは大塚製薬のお膝元なのでポカリなどがどこの給水所でも飲み放題だった。これらに対して運営者が給水所のあり方を再考すべきなのが那覇マラソンだ。地元の人たちの善意に頼るあまり、給水所の大半が文字通り水しか用意していなかった。ランナーが熱中症で倒れる原因は給水所のしょぼさにある。

 横浜マラソンも那覇マラソンも給水所が道路の片側にしかない。徳島マラソンは両側に設置していた。位置をずらして両側に設置すれば道路が狭くなることはない。徳島マラソンを見ならうべし。

 最大の疑問は走る順番である。あらかじめ自己申告したタイムに応じて順番に並ぶ。走るのが早い人は先に出発し、遅い人はあとから出発する。横浜マラソンは3万人近くが走ったから、最初に出発した早い人と最後に出発する遅い人で、出発に30分ほどの差が生じる。そのうえ関門がある。走るのが遅い人があとから出発するのだから関門に引っかかる可能性は高くなる。本来走るのが遅い人こそ先に出発させていい。そうすれば関門に引っかかる人が少しは減るだろう。時間だからと関門でランナーの前に立ち塞がるのではなく、遅いランナーこそ応援して完走を支えるという考え方のほうが私は好きなんだけどな。

 横浜マラソン参加賞のシャツの袖にまたまたエネオスの巨大なシールが。着るたびにエネオスの宣伝を私に強いるわけだ。エネオスのイメージがどんどん悪くなる。そこまで目立ちたいのかエネオスよ。どうしようもない企業だな。エネオスでは給油しない。


横浜マラソン完走記

 台風の影響で中止になった去年のウラミを晴らすべく、横浜マラソンをヨタヨタと走り抜いた。

 
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 ようやくスタート地点が見えてきた。私のスタートまでに30分近くかかった。次回のマラソン大会では自己タイムを1時間くらい早めて書くしかないか。そういえばパンフレットに載っていた剛力彩芽さんが来ていなかったぞ。

 
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 左手に山下公園、右手にホテルニューグランド。この道路は2年前も走った。当時はフルマラソンを走る自信がなくて10キロの部に出た。簡単に完走したが、何の感動も達成感もなく、それがフルマラソン出場の動機になった。

 この辺りはランナーが多くて私のペースで走ることができない。前に出たいのに出ることができない。

 
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 首都高入口。電光掲示板に「首都高にようこそ」。

 
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 首都高の改札。いや違うか。何と呼ぶんだここは。

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 首都高を自分の足で走ることができるのが横浜マラソンの自慢。しかし、このルートはふだん交通量が少ないのだろうなぁ。景色が平凡で(苦笑い)。東京の首都高なら面白いのだが。

 大石先生から「首都高が一番つらい。沿道の応援はないし、はるか彼方に横浜のビルが見えて、あそこまで走るのかと」と聞いていたおかげで、淡々と走る。

 
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 ようやく戻ってきた。

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 ゴール。私の腕時計では5時間39分。3回目のフルマラソンだが、タイムは足踏み状態に終わった。

 1カ月以上前から少しずつ朝型にしていった。1週間前から朝飯を5時ごろ食べ、前日は昼飯を11時、晩飯を18時に食べて、マラソン大会用に調整した。

 ただ、1週間くらい前から食べ過ぎの感があった。横浜マラソンの15キロ辺りから便意を催し、まぁ大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、首都高ののどかな光景とランナーが走る足音が私の副交感神経を刺激した。これが私の“快足”を引っ張った。

 ゲストの谷川真理さんは「マラソンは30キロから」と呼びかけていたが、その意味の理解を便意が邪魔した。首都高を走っている間に「どこでウンコしよう」が頭を支配する。できればホテルニューグランドで脱糞したい。トイレがきれいだからね。ウオシュレットもあるし。しかし、走れど走れどホテルニューグランドは遙か彼方だ。仕方なく、待ち人が少なかった36キロ地点辺りのトイレに駆け込んだ。というわけで、15キロから36キロにかけての約21キロ、フルマラソンの半分ほどをウンコのことを考えながら走るというお粗末な内容だった。食べ過ぎ注意という反省が残った。

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 今年の完走メダルに加えて、中止になった去年の横浜マラソンのメダルも手に入れた。並べて見て気づいたのはカモメと海。港町ヨコハマの象徴なんだな。

 これで横浜マラソンはおしまい。あとは東京マラソンだ。なかなか当選しないけど。

 (写真はニコンのキーミッション170で撮った)

横浜マラソン予行走り20キロ

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 横浜マラソンが近づいてきたので、軽く20キロ走っておくことにしたのだが、朝から暑い。熱中症になりかけた那覇マラソンを思い出した。

 まだ朝の8時半だというのにもう空気は熱いし太陽光が体にがんがん射してくるという状況で、日陰を選び、スポーツ飲料をちびちび飲みながら、体温を上げないよう、皇居周辺をゆっくり走る。

 東京ハイキングとか称して10キロ歩く早稲田大学の学生らの集団に神楽坂ですれ違った際、「55歳のおじさんは20キロ走っているんだぞ。どや」とヒソカに胸を張った。若い者には負けるわけにはいかんと張り切るのはおっさんの特徴であるな。それまではヨレヨレフラフラと走っていたのにすれ違うときだけは胸を張って力走してみせたワシは阿呆やなぁ。

 ふだん夜走っているので、朝のランニングは体が重いし、頭もまだ寝ている。体をいたわりながらの20キロだったが、足の指の付け根が痛くなるわ、汗が目に入って痛いわで、20キロに2時間40分もかかった。まぁいいか。



 

3足目のランニングシューズ

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 5年目に入ったランニング、これから2年間をともに走るのはアシックスのGT2000ニューヨーク6に決めた。

『モノクロ』7月号が初心者向けとしてブルックスのラベンナ9を推薦していたので食指が動いた。しかし5年目で初心者向けってことはないだろう。というわけで、同誌が中級者向けとして挙げていたアシックスにした。2足目はニューヨーク4だったので、ニューヨーク6はその後継シューズだ。

 アマゾンのポイントが1万円以上たまっていたので、0円で買うことができた。

 ランニングを始めて5年目。この間かかった道具はほとんど靴だけだ。シャツやズボンは春夏秋用と冬用で入れ替えるせいか、長持ちしている。靴下に穴が開くのは3年くらいか。

 ランニングを始めて気づいたのは、この運動ほとんどお金がかからないことだ。いつでも、どこでも、一人でも、何十分でも何時間でも、自分の都合に合わせて調整できる、こんなありがたい運動種目がほかにあるだろうか。

今年こそ走るぞ横浜マラソン

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 今年の横浜マラソン出場が決まった。優先枠を使ったのだ。

 去年の横浜マラソンは台風の影響で前日になって中止と広報された。このために1カ月前から生活サイクルを早寝早起きにしてきたし、雨の中走ることになりそうだから体を冷やさないようにとミレーのメッシュの肌着を慌てて買ったし、などの涙ぐましい調整を積み重ねてきた。大会前夜睡眠改善薬ドリエルを飲んで効果が出てきたころに友人から中止を知らされたワタシはズッコけ、そのまま熟睡した。恐るべしドリエル。

 私のようなかわいそうな(←自分で言うな)ランナーのために優先枠が設けられ、申し込み即出場決定となった。

 今年はサロマの100キロマラソンを狙っていたのだが、前日東京で仕事があり、ほっとした、いや、違う、余人を持って代えがたい仕事があるので泣く泣く今年はあきらめた。

出しゃばりエネオスの愚

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 台風の影響で中止になった横浜マラソンのTシャツにまたもやエネオスの宣伝が。相変わらず迷惑な会社だ。

 那覇マラソンもとくしまマラソンも参加賞のTシャツに協賛企業のロゴなどは一切ない。横浜マラソンだってなくすことはできるだろう。

 エネオスもエネオスだ。謙虚を知らない。これでイメージが上がると思っているのだろうが、慎みを知らない単なる出しゃばり企業としか私には見えない。

 マラソン大会のあとまで何で私がエネオスの宣伝をしてやらにゃならんのか。せっかくのTシャツを台なしにするエネオスに呪いあれ。

 ここだけ切るかな。

 
 

とくしまマラソンで必死に顔を売る傲慢県知事を喜ばせる茶坊主県職員

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 不必要な場に政治家が出てきた途端に生臭くなる。そういう愚劣をいくつも見てきた。私はとりわけ政治家に距離を置く人間なので、見た瞬間に不快感を覚えた。とくしまマラソンの完走証に県知事の名前が載っているのだ。そういえばゴール近くで知事がランナーを応援していて、今から思うとあれも選挙運動だな。

 那覇マラソンも横浜マラソンも大会長に県知事は就いていない。飾ることが多いと思われる完走証に県知事が自分の名前を記す傲慢さに私は反吐が出る。

 傲慢県知事を喜ばせるためにお膳立てをする茶坊主県職員が出世する構造だから恥知らずはとどまるところを知らない。生臭い政治家はスポーツ大会長に似合わない。即刻大会長を降りろ。

 とくしまマラソンを完走したら県知事をランナーとして認めてやる。

木枯らし一番記念湘南臨時マラソン大会で優勝す

 横浜マラソンのきのうあれだけ雨が降ったのに今日は朝から青空が広がっている。台風一過とはよく言ったものだ。この天気がきのうだったらと思った人は3万人以上いるだろう。

 いい天気だが、木枯らし一番が吹いたそうな。そこで急遽「木枯らし一番記念湘南臨時マラソン大会」を開催することにした。主催者はワタシ。参加者もワタシ。

 いつものコース約8.5キロを最初から最後まで独走し、見事(と自分で言うのも何だが)優勝した。ヨロコビは……ない。

 今冬どこかのフルマラソンを完走しないと収まらないな。探そうっと。

幻の横浜マラソン参加賞Tシャツを見ながら思う

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 ランナーにとって雨だろうが台風だろうがどうということはない。去年の那覇マラソンで灼熱の太陽の下を軽い熱中症になって走るよりずっとましだ。

 ボランティアの人たちは雨や台風はつらいだろうから、せめてランナーだけ走らせてもよかったんじゃないか。

 いや待てよ。20キロくらいならどうということはないけれどフルマラソンなら給水ポイントでの補給はぜひ欲しい。雨で濡れた体を温めるものが欲しい。ということは、ボランティアの人たちがいなければ給水ポイントは運営できないわけで、ランナーだけでフルマラソンを走り抜くのはちと難しい。

 ここではたと気づいた。そうか、主役はランナーではないのだ。大勢のボランティアの人たちのおかげでランナーは走らせていただいているのだと。

 事前準備もせず、後片付けもせず、お膳立てされたコースを走るだけ。走り終わったら風呂に行って汗を流したり完走の祝杯をあげたりするだけで済むのがランナーである。

 誰かが欠けても運営に支障が出る。ランナーだけでは絶対に成り立たない。それがフルマラソンなのだった。

まさかの横浜マラソン中止(涙)

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 眠気に襲われながらあしたの横浜マラソンの準備をしていたところ、わが美女軍団の1人から電話がかかってきた。

「横浜マラソン中止ってニュースが流れてるよ。見た?」

 うそでしょー?! 横浜マラソンのサイトを見たところ、ほんまだった。ありゃまぁ。大会開催時間帯に台風の強風圏に入ることが確実になったと中止理由を掲げている。

 雨天のマラソン大会になるので昨夜ネットで下調べをして、低体温症対策にミレーのドライナミックメッシュをアマゾンで買ったのに。ワセリンとポンチョも買ったのに。会場に向かう電車の中で食べるためにバナナとチョコレート、ビスケットを買ったのに。

 あしたのために1カ月前から早寝早起きに移行し、1週間前からドリエルを毎晩飲んで強制的に早寝早起きをしてきたのに。数日前から炭水化物をたっぷり食べてきたのに。あしたは午前4時半起床と決めていたから21時前にはドリエルを飲んだのに。

 軽い熱中症にかかった那覇マラソンより雨の中の横浜マラソンがましなのに。雨の中走ることで人生と重ねてきっといろんなことを考えるはずで、走りながら何を思うかと期待していたのに。

 あした横浜マラソンがないのなら、もう少し起きて仕事をしたり新聞を読んだりしたいのに、ああ、眠気が。ドリエルは手ごわい。

 参加費、半分くらい返金されるかな。

 

横浜マラソン1週間前

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 横浜マラソン1週間前である。連日の雨のせいで走ることができないのは天気だから私の支配の外である。これは仕方ない。

 しかし早起きは私の支配内にある。早く寝れば早く目が覚めるのは当たり前。横浜マラソン9時スタート時には心身ともに目覚めておく必要がある。ということは5時には起きておく必要がある。

 そこで今回も睡眠改善薬ドリエルの力を借りる。これから毎日少しずつ早く寝て早く起きて、前々日辺りから5時に起きれば間に合う、はずである。

 晩飯を早く済ませる必要もあるなぁ。ということは昼飯も朝飯もどんどん早くなっていくわけだ。いや、そこまでしなくてもと思わないではないのだが(笑い)。

横浜マラソン準備完了

 
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 フルマラソンを走る気など全くなかったのに、サロマか秋田か100キロウルトラマラソンに挑戦することまで考えるようになっているのだから無謀ではある。

 横浜マラソンが近づいてきたので150分かけて21キロほど走っておいた。計測結果によると1キロ7分、VO2MAXはフルマラソン4時間25分と出た。

 横浜マラソンに備えて少しずつ早起きしている。当日は午前5時起床である。早寝すれば早起きできるので、どうということはない。問題は私のランニングはいつも夜間なのに、マラソン大会は午前中から午後にかけて実施されることだ。心臓への負担を避けるためにもマラソン大会は午後の開催がいいのに。

 

忘れ物

 間に合えばいいという話もあるが、できることなら忘れ物はしないほうがいい。私は仕事で使うビデオカメラを忘れたことに仕事先で気づいた。

 往復の時間を考え、何とか間に合うという結論を得て、駅に向かって走り出す。ふだんのランニングがこういうところで役に立つ。息を弾ませることなく電車に乗り込む。

 計算上は間に合うと分かっているものの電車が事故か何かで止まったらお陀仏だから気が気でなく、イライラし、往復にかかる時間をムダにしてしまう自分へのいまいましさに何度も舌打ちしてしまう。

 そういえば私の血を引く忘れん坊長男が小学生のころランドセルを玄関に置いたまま登校することがよくあり、そのたびに私は「お前何のために学校行っとんじゃ」と大笑いしたものだが、仕事での忘れ物は笑えない。

 思いがけない失敗はやむを得ないとあきらめがつく。しかし凡ミスは自分への怒りになって襲ってくる。

 猿でもできるという反省をしてみるしかない。


 

 

山中伸弥さんと私の共通点と相違点

 ノーベル賞受賞研究者の山中伸弥さんをNHKの「プロフェッショナル」で取り上げた。

 山中さんが米国に向かう機内で読んでいたのはNHKラジオ「実践ビジネス英語」テキストだったし、京都大の研究所の机の上には「実践ビジネス英語」講師の杉田敏先生の著書『成長したければ、自分より頭のいい人とつきあいなさい――グローバル人材になるための99のアドバイス』がちらりと見えた。

 テキストは私も毎月買っているし、その本は私も読んだ。山中さんと同じように私もランニングをしている。温和で謙虚なところも私と同じだ。共通点は多いノダ。

 私の謙虚さを演出するために相違点を挙げておく必要がある。まず英語に関して。私はふだん使う機会が全くないので、錆びついている。次はランニング。山中さんは毎日走っていて、週に計50キロ。私は週に2〜3日で、週にせいぜい15キロ〜23キロだ。私の小者ぶりが際立つわけだな。

 それにしても、である。山中さんほどの人が『成長したければ、自分より頭のいい人とつきあいなさい――グローバル人材になるための99のアドバイス』を読むとは。山中さんより頭のいい人は少ないだろうから、探すのが大変ではないか。それにひきかえ、私のような阿呆は「我以外皆我師」である。ここは吉川英治に感謝しておくとするか。先生のおかげで謙虚さを強調できますって。

横浜マラソン当選!

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 横浜マラソンの地元枠抽選に落ち、一般枠の抽選はもう終わっているのに結果連絡メールが来てないなぁと思って念のためにゴミ箱を漁ったところ、あった。見ずに捨ててしまったらしい。しかも当選しているではないか。危ない危ない。気づいてよかったなぁ。

 私が初めて参加したマラソン大会が横浜マラソン10キロの部だった。距離計測が不正確とかで幻の大会に終わったやつである。恐る恐る10キロの部に参加したものの簡単に走ることができたから悪戦苦闘も痛みものどの渇きも喜びも悲しみも疲労も何もなく、以来満足感を得られるフルマラソンに参加してきた。

 死なない程度の早さで完走しよう。  

 残るは札幌マラソンと東京マラソン、京都マラソン、大阪マラソン、ホノルルマラソン、そして100キロウルトラマラソンか。

 何かアテを用意しないと私は倦む。横浜マラソン参加が決まったので、しばらくは倦むことから離れることができそうだ。

おきなわマラソンで亡くなったランナー

 おきなわマラソンを走っていたランナーが救急車で運ばれ、意識不明のまま亡くなった。70歳だという。沖縄在住の私の仕事仲間から聞いた。

 そうかー。亡くなったか。同じランナーとしてお悔やみ申し上げるしかないのだが、案外いい死に方ではないか。

 準備期間があるという点では余命幾ばくもないがん宣告を受けるのが一番いいけれど、突然死ぬのも悪くない。私はランニングしながら「このまま心臓が止まってもいいな」と思うことがある。

 男の理想の死に場所は一般的に「腹上」だが、男に突然死なれた女性が虎馬に苦しみそうだから、そこは避けたい。

 となるとランニング中の心筋梗塞は理想ではないか。死ぬほどの激痛が走るようだが、死ぬのだからよしとするか。というわけで、突然死目指してランニングに没頭した結果、心肺機能も脚力も向上してしまうのが人間だったりする。

那覇マラソン完走の感想および備忘録兼弥縫録

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 完走記念にベトナム製の“琉球ガラス”のメダルをもらって、私の那覇マラソンは幕を閉じた。5時間38分。4月の徳島マラソンが6時間だったのでいちおう自己新である。

 亜熱帯地方のマラソン大会は私にとって意外が相次いだ。当日の那覇の最高気温は28度。以下思いつくままに。

・徳島マラソンは募集1万5000人。那覇マラソンは3万人

・徳島マラソンの記録(6時間で完走)を申告したので、那覇マラソンでは最後のグループに入れられた

・那覇マラソンはランナーが多すぎるうえ、最後のグループはゆっくり走る人が多く、ペースを上げることができない

・給水所が左側にしかないうえ、短いので、気づかず通り過ぎたり、気づいても遅かったことたびたび。徳島マラソンは給水所が長かったからこんなことはなかった

・本土言葉のランナーが「32回も開催しているのに、給水所が右側にないとは」と呆れている

・給水所には水しかない(涙)

・20キロ辺りまで快調

・11時ごろから日差しが強くなり、日焼けしていると感じる

・25キロ辺りから頭が鈍く重い感じ。あれ? 熱中症? まずいかも。慌てて帽子を脱いで頭に風を当てる

・給水所で水を含むと吐き出しそうになる。スポーツ飲料がほしい

・徳島マラソンは大塚工場のおかげで全ての給水所にポカリなどがあった。これが当たり前だと思っていた私は迂闊だった

・「自分が飲みたいときに飲めるようにしておくほうがいい」というアドバイスが耳に残り、エヌエヌ生命からもらったリストバンドに念のために小銭を1000円分入れておいたのが本当に役に立った。ひめゆりの塔の前の自販機でダイドーの冷たいスポーツ飲料を飲み、生き返る

・このアドバイスをしてくれたのは前日ビーンさんと訪ねた北谷町のフロントマンズカフェの平山さん。彼女のアドバイスに助けられた

・27キロ辺りで吐いているランナーがいた。脱水症状だ。顔をしかめて倒れているランナーなどもいた

・給水所で受け取ったコップはすべて頭からかぶって頭と体を冷やし続けた

・水だと思って頭からかぶったらスポーツ飲料。ああ、飲みたかった。目に入ってしみる。頭も顔もべたつく。以来、コップを取ったらひとくち飲んで確認することに

・30キロ辺りにあった日清のチキンラーメンスタンド。熱々のチキンラーメンと塩味の汁が最高にうまい。これで元気が出て最後までノンストップで走ることにつながったと感じる

・スポーツ飲料を再び自販機で買ったが、全く冷えていなかった。そのほうが体にはいいのかもしれない

・給水所のスポンジ。スポンジはあるのに水が足りなくなっているところがあり、参った

・アクエリアスを飲むことができたのは中間地点付近の琉球銀行応援ブースとどこかの子供が提供してくれたとき。感謝感激

・フロントマンズカフェの平山さんから「サーターアンダーギーやちんすこうをランナーに配る人がいるけど、唾液を一気に持って行かれる」とアドバイスをもらっていた。試してみたら実際そのとおりだった(笑い)

・沿道の応援は聞きしに勝るもので、ランナーと応援者に一体感がある

・ヤクルトを2回、ミカンの房を数回受け取った。ランナーにはヌチグスイ

・ゴール近くで女性ランナーから声をかけられた。「ずっと後ろをついて走りました。助かりました」だって。「ペースメーカーとしてお役に立てたのならうれしいです」と走りながら言葉を交わす。静岡から来たという

・エヌエヌ生命の「チャリティーランナー」として走ったのは誇りであった。完走したランナー1人につき1万円をエヌエヌ生命が沖縄県社会福祉協議会に寄付する仕組みだ。誰かの役に立つために走っているという矜持を持ちながら走ることができた。素晴らしい企業活動であることを繰り返し強調しておく

・主催者は熱中症対策をもっと重視するべきである。スポーツ飲料の用意は必須。スポンジの水が足りないのは笑えない

・顔と手足が日焼けした。日焼け止めは必要かもしれないが、沖縄の太陽相手に果たして役に立つかどうか

・大会前の体重は59キロ台。大会から1日後の体重は61.2キロ。なぜ太った?(苦笑い)

那覇マラソン案内届く

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 大人気の那覇マラソンを私が走ることができるのは、協賛枠を持っているエヌエヌ生命とその枠に申し込んでくれた広島の信治さんのおかげである。最初に謝意を伝えたい。

 このエヌエヌ生命は協賛枠で参加する私のようなランナーが完走したら1人につき1万円を沖縄県社会福祉協議会に寄付するという。ランナーがお金を出すのではない。エヌエヌ生命が出すのである。立派なことをする生命保険会社であることを顕彰しておく。

 その代わりというか、ランナーはエヌエヌ生命が提供するシャツを着て走ることになる。それで完走したらエヌエヌ生命が1万円寄付するのだから私は何枚でも着ていいぞ。

 私が今度生命保険に入るとしたらエヌエヌ生命だな。全く知らない保険会社だったが、今では最も親近感を抱いている。相変わらず現金なワタシではあることは大いに認めるが、人間そんなもんよ。恩には報いる。「律儀」と言われて38年。うーんマンダム。

20キロ2時間7分

 那覇マラソンの準備で20キロ走っておいた。2時間7分。まずまずか。

 とくしまマラソンで6時間もかかって完走したのは全ての給水ポイントで飲み食いしたせいもあるけれど、それにしてはかかりすぎた。

 その理由として考えられるのは、マラソン大会が午前9時スタートなのに、私の普段のランニングは夜、つまり12時間ほどズレている。夜走るリズムができているので、朝のスタート時点では体が十分には目覚めていないように感じた。

 というわけで、今回もゆっくり完走する予定である。

つま先走りをランニングに導入

 普段のランニングにスローランニングを加えた。42分で6キロ少々ふつうにランニングし、8分で1キロほどスローランニングする。

 着地と走り方が異なる。普通のランニングではかかとから着地する。スローランニングはつま先で走る。使う筋肉が違う。つま先で走ると、ふくらはぎを使っていると実感する。

 スローランニングを少し前から時々取り入れていたが、ふくらはぎを鍛えることで毛細血管が元気になって血流がよくなるし、血管の中に毎日できる血栓を流し落とすことにも役立つと知って以来ランニングの際には欠かさず取り入れている。

 健康が私の動機になっているわけだ。オタクの面目躍如だな(苦笑い)。

 

那覇マラソン出場決定

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 那覇マラソン協会事務局から封筒が届いた。なんだろなーと思って中の書類を読むと9月15日までに参加費を送れと書いてある。

 なんとなんとなーんと、那覇マラソンを走ることになった。協賛社の枠である。

 制限時間は6時間15分。全ての給水所で一服しながら走ったとくしまマラソンは約6時間だったから大丈夫だろう。沖縄まで行って制限時間に引っかかったらいくら私でも笑えない。

 というわけで、週に数日のランニングがあしたから那覇マラソン対策になる。うれしいなぁ。

 機会を与えてくださった広島の偉大なる信治さん、ありがとうございます!

涼しくなるランニング

 夏場のランニングは、水で濡らして水滴がしたたり落ちる帽子をかぶる。これでランニングをすると頭が涼しいと気づき、1年前に始めた。

 それなのになぜ気づかなかったのだろう、体が涼しくなる方法に。さっそくやってみたところこれは気持ちいい。

 ランニングウエアを水道水で濡らして軽く絞り、着て走る。汗で濡れた状態と違って、体から熱を奪ってくれるので涼しい。

 問題は15分も走れば乾いてしまって、代わりに汗で濡れ始めることだ。まぁ仕方ないのだろうけれど。

 この方法を広げていくと、短パンとパンツ、靴下に靴も濡らすことになるかもしれない。うーん。ちょっと気持ち悪いかも。

とくしまマラソン完走メダル

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 とくしまマラソン完走メダルが届いた。当初の話では送料着払いだったが、抗議が殺到したのか無料で届いた。

 漫画のメダル。うーん。何じゃこりゃ。ロリータか。ナボコフもびっくりだ。

 漫画は人によって好みの差が激しい。そういうものを完走メダルにするかなぁ。

 よく見ると、右上に「おへんろ。」だって。私が走ったのはマラソンであってお遍路ではない。お遍路は四国全体のもので、徳島の専売特許ではないし。何だかなぁ。センスなさすぎ。

 奇をてらう必要はない。万人に受ける普通のメダルがいい。

とくしまマラソン3日後・完走メダル編

 完走したのにメダルがもらえない。これにはワケがある。

 私がゴールインしたのは15時ごろ。飛行機の出発が16時50分なので、時間の余裕があまりない。というわけで、田宮のゴールイン会場から助任の実家まで歩いて帰り、シャワーを浴びて荷造りして徳島大学前からバスに乗って空港に行った。けっこうドタバタだった。

 完走メダルは藍場浜公園で渡されることになっていた。ゴールイン会場から藍場浜公園まで歩けば20分くらいか。クールダウンにはちょうどいいけれど、この日のうちに神奈川県の自宅に戻る私にはその時間がなかった。

 完走メダルなんかいらんもんねー。最初は強がっていたけれど、思い直した。首にぶら下げるつもりは全くないけれど、完走した証になるブツとして持っていたい。もらっとく。

 というわけで、とくしまマラソン実行委員会に電話をかけて聞いてみたところ、着払いでよければ送ると言うではないか。お願いした。届くのを楽しみに待ちながらいくつか思う。

 その1。ゴール会場付近の交通渋滞などで近隣からいろいろな苦情があり、実行委員会が苦慮していることは理解するけれど、完走メダルはゴール会場で渡すべきである。

 その2。着払いで完走メダルをもらえるという表記が大会パンフレットに記されていないのは不親切である。

 その3。希望者はゴール会場から完走メダルを渡す藍場浜公園までバスで送っていく。県外の人など地理に不案内な人は乗るのだろうけれど、バスに乗るための長蛇の列ができていた。人が滞留した原因は藍場浜公園で完走メダルを渡すからだろう。この藍場浜公園で夕方、知事らが登場する催しが予定されており、ひょっとしてそのために動員をかけたいのではないかと私は勘ぐった。未必の故意程度には関係者の頭にあったはずである。犯罪ではないけれど。

 
 

とくしまマラソン2日後

 起きたら大腿部の軽い筋肉痛が残っているだけで、あとは通常通りに回復していた。コツコツと走ってきた成果がこういうところで現れるのかもしれない。

 ただし食欲はあまりない。性欲もあまりない(聞いてない?)。

 マラソン完走後は体力を消耗して免疫力が落ちているそうなので大事を取る。と言っても、どうすれば「大事を取る」ことになるのか分からないので、とりあえず風呂にお湯を満たしてできるだけ長い時間体を温めた。烏の行水である私にすれば4分もお湯につかっていたのは驚異である。って自分に驚くなよ。

とくしまマラソン翌日

 朝の7時に起きた途端に「完走したなぁー」としみじみ。よほどうれしいらしい。

 8時過ぎのJR東海道線に乗り、今日は「座らないルール」を曲げてあっさり座った。大腿部が筋肉痛になっていたからである。泣く子と筋肉痛には勝てない。

 歩くとギクシャクする。一歩を踏み出す際に気合いが必要だ。JR品川駅の雑踏で障害者の困難に思い至る。

 それは夕方突然やってきた。

 膝を後ろから突くとカックンと力が抜けて倒れそうになる。これは「膝カックン」として私が子どものころ流行した。その「膝カックン」が腰に来た。「腰カックン」と名づけよう。

 腰カックンは、姿勢のバランスが少しズレると腰に痛みが走ると同時に力が抜けて、「あうあうあうあう」などとうめきながらその場に崩れ落ちる。腰が抜けるというか、ぎっくり腰はこんな感じなのだろうか。

 この症状に襲われたのは私が帰宅してから。外でこんなことになったら周囲の人に心配をかけてしまうし、「何だコイツは」と誰も助けてくれないかもしれない。いや、こんな時に駆け寄ってくれる美女と結ばれるかな。想像は膨らむが、痛みで気力はしぼむ。

 ろくに練習していない知人が東京マラソンに当たり、完走した。彼は「座ったら立ち上がれない。立っていたら今度は座れない。こんな状態が3日続きました」と言って私を笑わせてくれた。私はふだんランニングして鍛えているのでまさか3日も腰カックンが続くことはあるまい。

 夜、食欲が来ない。何だか少し疲れてきた。インターネットで検索すると、内臓疲労でそういうことがあるらしい。そんな時は食事をやめるか軽く済ませるほうがいいそうな。あちゃー、昨晩はたらふく食ってしまったぞ。

とくしまマラソン当日

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 5時半ごろ起床。母が作った朝飯を食べる。野菜、しじみの味噌汁、牛肉、卵かけご飯。

 食べ終えたら急に催し、いきなり下痢。ありゃ。食べ過ぎによる消化不良が原因だろう。炭水化物を蓄えるという名目で食ったもんなぁ。ということは、消化不良のやつを全部出せばマラソンに支障はないだろう。というわけで、トイレに数回行って全部出たはず。

 早起きしたのはいいけれど、集合時間まで2時間以上あるので、また寝床に入る。私はふだん夜の時間帯に走っている。昼間は走らないので、今回のマラソンで果たして体がついてくるかどうか。

 ランニングウエアに着替え、ランニングシューズを履いて、帽子をかぶり、念のために500円玉をズボンのポケットに入れて、8時前に実家を出て、歩いて県庁前に。スタート地点もゴール地点も実家から徒歩圏内というのは本当に便利だ。何が便利って、着替えが必要ないから手ぶら。

 「神奈川県」と記されたゼッゲンを見たのだろう、「頑張ってよ」と声をかけられる。マラソン中も「神奈川頑張れ」と何度か声をかけられた。ワシは神奈川代表と違うっちゅうに。助任本町出身というとありがたみが減りそうなので黙っておいた。

 普段のランニングは10キロなら約1時間、20キロなら約2時間である。ということはフルマラソンなら4時間少々か。給水所で道草を食っても4時間30分もあれば十分だろうと踏む。

 5キロくらい走った辺りで、両足の大腿部のつけ根付近に従来ない違和感を覚える。念のためにゆっくり走ることにする。

 阿波おどりの応援の中に入って踊るつもりだったが、走るペースを乱したくないので残念ながら踊れずじまい。折り返し地点を過ぎたところでお坊さんたちが読経しながら応援してくれていたのは驚いた。残念ながら写真なし。

 応援はうれしい。私も応援してみたい。いや、応援にかこつけて自分のパフォーマンスをしたいだけだ。でも、応援パフォーマンスをしたとしても、きっとすぐに「応援ではなく走る側に回る」となるだろう。同じ阿呆なら、なのである。

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 すべての給水所で立ち止まって大塚のスポーツ飲料を飲んだりイチゴを食べたりそうめんを食べたりして、食い意地の張り具合だけは一人前か。肌寒い日だったので汗はほとんどかいていないように思っていたが、給水所でスポーツ飲料がほしくなる。自覚がないだけで発汗していたのだろう。

 途中で何度か歩いた。計1キロも満たない程度だが。

 前ばかり見るのではなく、吉野川や眉山をはじめとする山々に目をやり、ふるさとの景色を味わう。父の転勤に伴い私の徳島暮らしは7〜8年程度しかないので、徳島のことをあまり知らない。今回は「「ふるさと発見」のマラソンでもあった。

 9キロ辺りで高橋尚子さんに追い抜かれた。スポーツカーのような力強い安定した走りでぐんぐん遠ざかる彼女の後ろ姿を見て「こりゃ人間じゃない」と驚嘆する。走り方が全然違うのだ。彼女はゴール地点で両手を広げて待っていて、そのあとまたコースを逆走して、ゴールに向かう人たちの中に入って「もう少しですよ!」などと声をかけながら走っていた。偉いなぁ。でも化け物だ。彼女にしてもいいな。

 記録は5時間53分。記録は追わないので別にいいけれど、思ったより悪いので、少しだけショックを受ける。

 18時50分発の飛行機で羽田空港に。

 晩飯はうどんを食べたいのだが、自分でつくるのは面倒だ。自宅近くのデニーズに行ってみたが、私が食べたいうどんがない。仕方なくハンバーグや牛肉がたっぷり載った料理を食べてしまった。

 横浜マラソン10キロを完走したときは何の感動もなかった。10キロなら普通に走れる。しかし、フルマラソンは違った。爆発的な感動はない。いや、普通の感動というものとも少し違う。「おー、完走したか。意外にやるな」と42.195キロを6時間近くかけて走った自分の肉体に自信がついた。フルマラソン完走の最大のご褒美は肉体への自信だ。しみじみとわき上がる自信。

 次は那覇マラソンかホノルルマラソンだな。私と一緒に走る独身女性募集中と書いておいたら高橋尚子さんが来るかな(←来るわけがない)。

とくしまマラソン1日前

 実家で朝飯を食べている私に81歳の父は「ワシは高校時代に10キロを37分で走っとった」と自慢していた。父の機敏さが子供たちに全くこれっぽっちもダイダラボッチも遺伝していないのはご愁傷様なことである。

 昨年末に発覚した“最大の親不孝事件”で両親から小言を食らうが、済んだことを今さら(笑い)。こころの中で「心配をかけとるけん長生きできとんでよ」と我田引水。

 高3の時の担任・伝さん宅にごあいさつに伺い、バーバー岡田で散髪し、徳島市立体育館で参加登録をし、「橋本」を名乗る店の1つで食べた肉うどんの甘さに吐き気を催し、友人数人に会い、ガストで夕方わざわざポテトを食べて炭水化物をためこみ、夜の9時過ぎには睡眠改善薬を飲み、10時過ぎに寝た。快調である。

とくしまマラソン2日前

 ふだんは炭水化物を積極的に取らないのだが、フルマラソン対策として積極的に取っている。出張先の広島で晩飯を食べる時は必ず「ご飯大盛り」にした。甘い物も積極的に食べた。どれだけ食べても42キロ走れば消化されるだろうというダイタンなコンタンである。

 取材先の甘味処で出されたどら焼きを昼間に食べ、お土産にもらったどらやきを広島から徳島に向かう高速バスの中で夜また食べた。基本的に甘い物が大好きなので、これなら毎週フルマラソンを走れば毎日甘い物を食えると阿呆な計算をしてしまう。

 きのう軽く走っておきたかったのだが、右足が何となく変な感じがするので大事を取ってやめておいた。だから今日は何としても走っておきたい。

 高速バスは22時過ぎに徳島駅前に着き、そこから歩いて22時半ごろ実家に着いた。さっそく運動着に着替えて、走り出す。

 どこに向かうか。候補がいくつが浮かぶ。すぐに浮かんだのは高校時代に好きだったり付き合ったりした女の子の実家である。しかし、1人は同じ町内なので走れば3分で着いてしまう。もう1人は津田だから遠すぎて片道1時間以上かかりそうだ。

 というわけで、徳島市立高校に向かうことにした。徳島市民病院前を通り、住吉を通り、『女の喜ばせ方』などというエッチな本(たしかゴマブックスだった)を真面目な本と一緒に高校1年の時に買った本屋の前を通り、母校の門に15分ほどで着いた。往復30分。4時間もバスに揺られた疲れが取れていった(と信じたい)。

 あしたは休憩である。

とくしまマラソン3日前

 楽しいことがある前夜は幼稚園児状態になり睡眠不足で苦しむことが多いので、薬局で睡眠改善薬を買った。

 これで3日続けて睡眠時間を確保する。フルマラソンを完走するための対策その1である。

 対策その2は寝る前のアクエリアスだ。

 寝ているときに足がつることがある。足を守るために、つらないようにする必要がある。薬剤師に相談してみた。

私「足がつらないサプリみたいなもの、ありますか」

薬剤師「水分や加齢などが原因で起きますから」

私「水なら毎晩寝る前に飲んでいます」

薬剤師「普通の水ではダメで、マグネシウムがいいです」

私「マグネシウム?」

薬剤師「スポーツ飲料がいいですよ」

 というわけで、アクエリアスを買い、毎晩ふたくち飲むことにした。

 万全の体調で走るために、細かいことに気を向けるようになっている。いいことであある、たぶん。

とくしまマラソン用靴下を買うの巻

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 とくしまマラソンが迫ってきたので新しい靴下を買った。ランニングのサイトを見て回った限りだが、これが最も評判がいいようなので、否定する材料を持ち合わせていない私はとりあえず信用することにする。いま使っているアディダスの靴下は、ごく一部に穴が開いたけれど、2年ほど頑張っている。これくらいの丈夫さを新しい靴下に求めたいのだが、さてどうだろう。

 メーカーとしては丈夫な靴下を作ってしまうとしばらく買ってもらえない不安があるだろう。かといってすぐに破れてしまう靴下ならインターネット上で批判されてさっぱり売れなくなる不安もあるだろう。

 さて、この靴下の丈夫さは? とくしまマラソンを完走するまで破れなければとりあえずよしとするか。
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