同じ阿呆なら泥と炎のニシノ説

軽挙妄動のワタシが世の中の出来事や身の回りの出来事に対する喜怒哀楽異論反論正論暴論をぐだぐだ語り続けて5000回超

素晴らしい喫茶店

姫路の喫茶店バークリーは車谷長吉さんの生家の近く

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 車谷長吉さんの生家に通うようになり、通うと言っても前を往復するだけの、どう見ても不審者なのだが、それほど遠くないところにある喫茶店がここバークリーである。

 4月に初めてマスターと言葉を交わし、車谷長吉さんの話をした。7月末、久しぶりに店を訪ねた(もちろんその前に車谷長吉さんの生家の前を往復済み)ところ、注文を取りに来たマスターが「えーっと、以前来てくださった……」と私を覚えていた。私はマスク姿なのに。

 広島の名喫茶店てらにし珈琲のマスターも客といつも注文するメニューを覚えているスゴ腕で、顔と名前を覚えるのが、というよりそもそも記憶力の悪い私はただただ感嘆するしかない。お客さんを覚えるのは商売の基本である。と私がエラそうなことを言う資格は全くない。

 バークリーに立ち寄るのは、車谷長吉さんの同級生に出会えるといいなぁというヨコシマな狙いがあるわけだが、今のところ実現していない。

 外観のおしゃれな、なかなかいい店である。滅多に来ない客の顔を覚えているマスターも立派である。


 

 

世田谷邪宗門と森茉莉さん

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 ふと思い立って東京・世田谷区の住宅街にある喫茶店・世田谷邪宗門に行ってみた。何の予備知識もなく、ただ有名な喫茶店というだけで訪ねたのがよかった。

 暑いのでアイスクコーヒーを頼むと決めていたのだが、メニューの「森茉莉ティー」に目が行く。なぜに森茉莉さんの名前がここに?

 店のママさん(?)がすぐに話しかけてきた。

「その窓際の席は森茉莉さんがいつも座っていたんです」

 え? 森茉莉さんが来ていたんですか!

 ママさんは店内にあるいろいろな本や資料をテーブルに持って来てくれて、説明をしてくれる。この喫茶店をまるで自分の応接室のように朝から晩まで四六時中使っていたらしい。

 森茉莉さんといえば新潮文庫『日本文学100年の名作』収録の『贅沢貧乏』を私はかろうじて読んでいた。お父さん大好き娘であり、お父さんと同じように気高い生き方を貫いた。とりわけ(1冊しか読んでいないのに「とりわけ」もないものだがw)『贅沢貧乏』は新型コロナウィルス感染騒動のあとの生き方暮らし方を示唆する小説でもある。

 森茉莉さんの逸話を思い出しながら、そうか、ここに座っていたか、と想像する。秘めた恋の現場でもあったらしい。

 ママさんに『下北沢文士町文化地図』をもらい、森茉莉さんが住んでいたアパートを見に行く。世田谷邪宗門から歩いて10分もかからなかった。「倉運荘」の名前に似た4階建てか5階建てのマンションの表札を見つけた。ここだな。はるか前に建てかえたようだ。

 私がひれ伏す車谷長吉さんは鷗外の文体を真似することを決意したと書いているので、私と森茉莉さんが全く何の関係もないとは言えない。いや、言えるか(笑い)。

 ほかの邪宗門も行きたいのだが、この世田谷邪宗門にはまた来なければ。

 

アイスコーヒーがお代わりできるブリッヂ

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 ホットコーヒーを1杯お代わりできる喫茶店はたまにあるが、アイスコーヒーのお代わりができる喫茶店は初めて見た。東京・西銀座デパート地下の喫茶店ブリッヂである。

 向田邦子さんが来ていた店として有名かどうか知らないが私はそれで時々ブリッヂに行く。メロンパンケーキが有名だそうだが、どう見ても血糖値が急上昇するから私は食べたことがない。

 で、アイスコーヒーである。店の若い男性が教えてくれた。

「ホットコーヒーのお代わりができるのだからアイスコーヒーもそうしようと」

 確かにそうだけど、アイスコーヒーは氷の費用がかかるのに。太っ腹。

 お言葉に甘えてアイスコーヒーを2杯飲んでみた。1杯でもけっこうな分量があるのに2杯飲むとは私は貧乏性いや貧乏人だな。客を思う気持ちがうれしいブリッヂであるが、ちと苦しかった。


 

 

 

 

浅草の銀座ブラジルはうまかった

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 新型コロナウイルスの感染不安で人出が減り始めたころ、東京・浅草を2週続けて散策した。神奈川に30年近く住んでいるけれど根が田舎者なので、トーキョーは未だに「花の都」の観光地に映る。

 下調べをして訪ねたのが銀座ブラジルだ。ここの元祖ロースカツサンドと元祖チキンフライバスケットを食べるために。元祖と名乗っているのだから食べてみたくなるではないか。

 私は食べ物についての表現力がない。「うまい」「おいしい」「まずい」「クソまずい」「舌に合う」「舌に合わない」くらいしか出てこない。情けない。

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 なので、この味をどうにも表現することができない。ただ、私が言えるとすると2週続けて食べに行ったということだ。

 店のおばちゃんたちに言わせると「いつもは1時間待ち」だそうで、それが今なら全く待たずに食べることができる。いや、「全く待たずに」と書いたが、注文してから肉を切るのがこの店の流儀である。できあがるのに時間がかかるのはそういうわけだ。20分だったか30分だったか。

 銀座ブラジルでコーヒーだけ飲む人はもったいないことをしている。



コーヒーの結論

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 東京・神田のコーヒーフェスティバル(だったかな?)でコーヒーを計10種類飲んできた。90ミリリットルずつ紙コップで飲むイベントに押すな押すなの大賑わい。

 スペシャルティーだったのだろうけれど、しみじみ思う。自分の舌と相性のいいコーヒーが一番だ、と。

「値段が高ければおいしいわけではない。高いのは手に入りにくいからであって、味は別」と教えてくれたのは広島市のニシナ屋珈琲の専務(当時)。ジャコウネコのコーヒーが高いのは、その糞から豆を採るからだった。

 これまでに私の舌が気に入った味は札幌市の森彦本店限定の「森の雫」と徳島市のアアルトコーヒーのブラジル、広島市宇品のカフェノートのブラジルくらいだ。

 札幌も徳島も広島も遠い。できれば東京か神奈川で手に入れたい。いや、東京や神奈川に私の舌に合うコーヒー豆がないわけがない。

 というわけで、相性抜群のコーヒー豆を探し歩く日々である。というのはウソだが、人間も女も仕事もコーヒー豆も趣味も得意科目も相性に落ち着く。

大推薦! 根津神社そばの「三間堂」

「以前いらっしゃったときは『陰翳礼賛』の話をしましたね」

 私と同じくらいの世代のマスターが静かに微笑む。もう半年以上前である。谷崎潤一郎の話などで話が弾み、何かを感じる店だったので深い関心を抱いた。その後何度も店の前を通っているのだが、開いていなかった。

「開くの11時なんです」

 道理で。私が通るのは朝の8時9時ごろだから開いているわけがない。根津神社の近くにあるコーヒーとワインの店「三間堂」である。

「最近『コルシア書店の仲間たち』を読みましてね」

 私の投げたボールをマスターはしっかり受け止める。

「冒頭にサバの詩が載っていますね。生きることが人生の疲れを癒やすというような。ミラノという詩で。たまたまですけど、ウンベルト・サバの詩集、ここに持って来てて」

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 谷崎の『陰翳礼賛』(1949年刊だったかな)とともにウンベルト・サバの詩集を見せてくれた。須賀敦子さんの翻訳である。

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 店内をあらためて見回し、マスターの世界観に浸る。谷崎だけではなく乱歩も垣間見える。

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「店の前に結界を張っているので今日はお客さんが少ない」と静かに笑うマスターと話して店を出たら2時間も経っていた。

 静かに過ごすこともできるし、マスターと話が合えば時間があっという間に過ぎる。マスターの何がすごいかって、出てくる言葉(つまり思考)が文学なのである。マスターの口から文学が転がり出るたびに私は何度も「あ」と小さく叫んでいた。すごい人がいる。

 根津神社と日本医大病院の間の道を上がって行くと左側にある。歩いて数分。金曜休み。

 ぜひ!


 





 

広島・十日市茶房のサービスに驚嘆

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 素晴らしい! 思わず声が出た。いろいろな喫茶店を回ってきたけれど、これは初めてだ。あっていいのに今まで一度も出会わなかった。なぜやらないのだろうと不思議だった。

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 寒い寒い朝、広島市中区の十日市茶房を訪ねた。コップが運ばれてきて、これがお湯なのだ。で、叫んだわけ。素晴らしい! トレビアン!(とは叫ばなかったが)。 

 寒いのに氷を入れた水しか出して来ない飲食店ばかりで、客のことを考えていないのがアリアリだった。しかし十日市茶房は違った。100以上の飲食店でコーヒーを飲んできて、お湯を出してきたのはこの十日市茶房が初めてだ。

 体を冷やすのはよくないのである(出た健康ヲタ!)。冬の朝に氷水なんか飲んだら体温が下がって体が凍る。心臓麻痺まっしぐらであるかどうかは知らないが、体は冷やさないほうがいいのである。ママさんらしい女性によると冷たい水を希望するお客さんもいるそうで、まぁそういう人の健康がどうなろうと私は知ったこっちゃない。

 私が総理大臣なら総理大臣表彰をお渡しするのだが、一般市民なのでニシノ賞をお渡ししたい。いらん?

根津神社近くの「三間堂」でコーヒーを飲む

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 影を上手に使った店内の様子に「谷崎潤一郎ふうの影ですね」と伝えたら、マスターが「陰翳礼賛ですね」と応じ、それならこれも返してくるだろうと期待して「この辺に車谷長吉さんが住んでいたそうですよ」と投げかけたら「数冊読みました」と答えてきた。おお。やるなぁ。

 カウンター席だけの小さな店である。奥に畳の間が見える。そこでは浴衣姿の20歳くらいの女性――黒髪で透き通るような白い肌、細面、身長は155センチくらいと小柄で華奢、切れ長の目、麗しい顔――が包丁で切り刻まれていて、その目は虚空を見つめている……などと想像の翼が広がる雰囲気の店なのである。

 店内の小物や美術品はマスターが趣味で集めてきたものばかり。脳内が展示されている。

 マスターは私に比べたらまだまだ若い。2回目の喫茶店経営。「喫茶店なんかやるもんじゃありませんよ」と黒く笑わせる。それではと私も黒い冗談をギリギリの角度で投げてみたら影のあるマスターのツボにはまったのか大笑い。

 万人受けする店ではない。しかしはまる人ははまる(当たり前か)。そのぶん経営的には楽ではないだろう。というわけで、頼まれてもいないが宣伝したい。

 車谷長吉さんが運ばれた日本医科大病院とよく散策した根津神社の間の道路を上がっていく途中にある。向丘2−13−15。

アイリッシュコーヒーで酔う

 気のせいか顔がポカポカしてきた。足取りが軽い。ただでさえ緩んだ顔がさらに緩んで「でへへへへ」と意味不明の笑い声が出る。

 酔ってる? 東京・駒込駅近くにいい喫茶店を見つけ、アイリッシュコーヒーを注文したのだが、そこに入っていたアルコールが私の限界を超えていたようだ。地下鉄で座っていると、別に何が楽しいわけでもないのに笑いがこみ上げてきて、ああ、ここで笑いを止めることができなかったら腹が痛くなっても笑い続けると予測できたので必死のパッチで踏ん張った。酔って泣いたり怒ったりするよりいいだろう。

 今までアイリッシュコーヒーで酔ったことなどなかったので油断した。従来アルコールに弱いし、飲みたいとも思わない。もう飲まない。でも笑いがこみ上げてきたときは楽しかったなぁ。


 

小机邸喫茶室安居で

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 あきる野市を訪ねた際、明治初期に建設された洋風建築で知られるここに来た。喫茶室でコーヒーを飲んだ後、あるじが声をかけてくれて、別の建物に招き入れられた。

 暖炉で火が燃え、吹き抜けの建物全体が暖かい。時間の流れを忘れるぜいたくな空間である。「木こり」だというあるじの話に聞き入った。

 雨が降ったら仕事は休みになるからここで考える。雪が降ってもここで考える。会社員は電車に乗って会社に行けば安定した収入になるからいいね。花粉が大量に降る場所だが、私はくしゃみひとつしない。自然から離れることで人間はかえって弱くなったのではないか――。

 自然の中での晴耕雨読。木こりというより学者然とした風貌のあるじに私は言う。「人間には精神の踊り場が必要です」。身を乗り出してきた。「ここにはそれがあるように感じます」

 資本主義に抗うつもりなど毛頭ないが、その社会の中で精神がまいったら廃人になるか死人になるかしかないではないか。踊り場は必要なのである。自然の中でたくましく力仕事をして生きるのは私のような虚弱体質人間には無理かもしれない。木こりのあるじが羨ましく見えた。


 

 

向田邦子さんと喫茶店ブリッヂ

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 向田邦子さんが原稿を書いていたことで知られる(のか?)東京・有楽町の喫茶店ブリッヂはメニュー豊富で、コーヒーもまずまずうまい。お金を払う段に奥の調理場を見たら日本人ではない人が2人いた。意外と思った私が時代遅れなのだろう。どこもかしこも国際的になっているのだなぁ。

 向田邦子さんが原稿を書いていたとはいえ、もう何十年も前のことだから、当時と同じメニューではないだろうし、コーヒーの味も店の内装も変わっているだろう。そもそも『向田邦子ふたたび』(文春文庫)には「ブリッジ」と記されているから、経営者が変わって店名が「ブリッヂ」に変わったのかもしれない。

 この店はパンケーキの種類が豊富で、分量があり、味もいいから、値段は安くないけれど満足できる。また来てもいいなと思わせる数少ない喫茶店の1つである。

 このあと向田邦子さんが住んでいたマンションを探しに南青山5丁目に行ってみた。マンションはすぐに分かった。ここ、打ち合わせで1回来たことがある。「聡明な女は何たらかんたら」とかいう趣旨の似たような本をたくさん書いている馬面、いや面長の男(どうしても名前が思い出せない)の事務所がここにあった。

 マンションは近々建て替えるようで、今の12階建てが20階建てになる。8階分の部屋を売って建設費に充てるのだろう。場所がいいからできる方法である。

 向田邦子さんが暮らした光景が変わるんだなぁ。

 

本屋には喫茶が似合う

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 東京・神保町を訪ねたら必ずこの路地を歩く。美女と一緒ならこのどちらか、あるいは手前のさぼうるか奥の伯剌西爾にお連れする。たいてい気に入ってもらえる。お酒を飲めない私はせめていい喫茶店を押さえておかなければ。

 ラドリオは喫煙可能なので私は苦手なのだが、一番奥の席の小さな明かりの下で本を読む青年がいたりするので、見ているだけで面白い。何であんな暗い場所で読書するのか(笑い)。一人来て暗い店内で本を読んでいるのはなじみ客だろう。カップルや複数の女性でガヤガヤやっているのは観光客か。

 コーヒーと本は合う。だからなのかもしれない。神保町に喫茶店が少なくないのは。私が訪ねた週末、東京堂は喫茶コーナーのほうが密度が高かった。売上の多くを喫茶が占めるのではないか。

 だとすれば、本屋の生き残り策がそこにある。例えばラドリオの指導を受けて同じ内装の喫茶コーナーを本屋に設けてみたらどうだろう。本の売り上げだけで本屋を運営していく時代はもう終わった。本屋に最も合う多角経営の1つは間違いなく喫茶である。

 

鳥取の澤井珈琲が東京・銀座に出店

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 札幌の森彦本店限定「森の雫」が私の一番のお気に入りである。2番以下は決まっていないが私の舌に合う味でないと困る。私に必要なのは本とコーヒーと女だけなので、コーヒーの味が合わないと人生の3分の1が砂漠と化す。

 というわけで東京・銀座に進出した澤井珈琲で豆を買った。愛想のいいスタッフによると、鳥取県に本社があり、鳥取県の企業で初めて東京・銀座に進出したそうな。知事だか市長だかが激励(?)に店に来たほどの注目度らしい。

 スタンプカードをもらった。提示すると20パーセント引きで買うことができる。20パーセントも?! かなりのお買い得だ。というわけで、計5袋買った。これで1カ月前後もつ。

 1年にコーヒーを何杯飲んでいるのだろうかとふと思うが、算数が苦手なので計算しない。





 

保温性満点のサーモスだが


 お気に入りのコーヒー豆「森の雫」(札幌市の森彦本店でしか売っていない)を自宅でギーコーギーコーと挽き、お湯を注いで3杯分をポットに入れて仕事先に持って行く。お酒を飲まない私のぜいたくである。こうすれば最高の喫茶店がいつでも自分の目の前に広がる。

 というわけで、サーモスのステンレス製携帯用魔法瓶FFM−500を買った。『モノクロ』が実験した結果、ホットコーヒーでもアイスコーヒーでも保温性が最も高いと太鼓判を押した商品だから信用した。2000円を切る価格もうれしい。

 まだ2回しか使っていない段階での感想を述べておこう。まず、保温性は満点だ。コーヒーを入れて6時間後でも十分温かい。ドトールコーヒーのホットのブレンドコーヒー並みの温かさがある。

 森の雫のコクを堪能できるのだが、足を引っ張るヤツがいる。コップだ。アクリル樹脂を塗ったスレンレス鋼とポリプロピレンでできていて、ニオイが足を引っ張る。『モノクロ』は保温性だけで評価したから、ニオイはどうでもよかったのだろうな。

 さらに残念なのは、どう傾けても注ぎ口から少し垂れる。キレが悪い。お前の小便と一緒だなとツッコミを入れないように。

圭ちゃんとのりこ

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 圭ちゃんへ アタシの広い広い青空でいてネ のりこ

 のりへ いつでもそばにいるよ あんちゃん

 1999(平成11)年10月1日の落書きである。この二人が当時20歳だとすると今37歳か。まだ若いな。

 東京・神保町の喫茶店さぼうるの地下フロアの奥の壁に残る落書きを見て、この男女は果たしてうまく行ったかと想像する。

 女がちょっとだけポエジーに甘えているのに、男は気の利いた言葉を残していない。せめて「まぶしく楽しく咲き誇れ 僕の向日葵」くらい書けなかったものか。男のセンスのなさに辟易して女が飽きたんじゃないかというのが私の推測であり期待である。

 あるいはこうだな。圭ちゃんは広い広い青空をさらに広げて、いろんな女の頭上にも青空を広げた。で、この女の頭上から滝のような大雨が落ちて溺れて瀕死の重体。

 この二人がしあわせになっていたらぜ〜んぜん面白くない。苦労してこそ、さぼうるのコーヒーのような深みや渋みが出るのであーる。

森彦本店限定森の雫を私の屍に

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 私の舌に合うコーヒーは渋めの味である。私に似ているのは仕方ない。東京神田神保町のさぼうると札幌円山公園の森彦本店限定森の雫が現時点までに辿り着いた私の好みである。

 私はパソコンのキーをガシガシ打ちながらコーヒーをガバガバ飲む、と言っても1日に4〜6杯以内と決めている。先日買い求めた5袋がなくなったので、また入手した。1袋200グラム入りだが、1杯で10グラムほど挽くから、5杯飲めば50グラム。1袋が4日で消える計算だ。5袋買っても20日で飲み終える。私は酒を一滴も飲まないので、これくらいは許されるだろう。嗜好品と言うより仕事の燃料なのだ。

 この森の雫を私の棺桶に入れてもらおう。花を入れられてもなぁと思っていたので、これは名案だぞ。コーヒーのいい香りが焼き場の周辺に漂ったら、それは私からのおすそ分け。

 棺に詰めるとなると50袋や100袋はほしいところだ。予約できればいいのだが、こればかりは。

カフェバッハで見たもの

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 有名な喫茶店カフェバッハを数年ぶりに訪ねた。初めて行ったのは4年くらい前か。沖縄のビーンさんと某美女が一緒だった。

 さて、椅子に座って店内を見回した私の目にあるものが飛び込んできた。

 うっそ。『週刊金曜日』がある。何でまた。と元編集部員がビツクリするのも何だが。

札幌の松田聖子からコーヒー豆が届く

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 森彦本店限定のコーヒー豆「森の雫」は私の舌に合う。買って送れと札幌駐在舎弟に命じたところ、松田聖子の名前で送ってきた。平成生まれにしては古い歌手を知っているのであった。

 どうせなら堀ちえみか河合奈保子の名前で送ってくれるほうが私はウレシイのだが。

 宅配便を依頼する場合に個人情報が漏れる可能性がある。そこを少しでも防ぐためにも匿名を使っていい。特に女性は。電話番号や住所だって親のやつを書いておけばいいのである。

 私はたまに夏目漱石やダグラス・ロスなどの名前を借りる。単なるおっさんに過ぎない私の個人情報など誰も興味を抱いてくれないので、ひとり遊びである。幼稚という説もあり、それは否定しない(きっぱり)。

森彦のコーヒー豆「森の雫」はうまい

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 私は気に入った。森彦本店限定の「森の雫」(モカブレンド、中深煎り)である。

 豆の色がつややかだ。見とれてしまう。いつものようにコーヒーミルに入れて挽いてみたところ、従来のコーヒー豆と違って手応えがほとんどない。軟らかいのだ。スリスリと静かに取っ手が回る。

 何だか期待が大きくなる。じっくりお湯を垂らしていくとふっくら膨らむ。よしよし。新鮮な証拠だ。抽出されたコーヒーをカップに注いでひとくち含む。私の好きな苦みが下の根っこに残る。おおー。素晴らしい。

 震度5が来たらぺしゃんこになりそうな小屋のような建物が森彦本店である。札幌市にあるので簡単に買いに行くことはできない。でもうまい。

 ネットショップをのぞいてみたが、これは扱っていない。札幌特派員から毎月送らせてもいいのだが、それもなぁ。いや、そうするか。


 

朝の7時60分って

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 メニューを見ていて、あれ? 営業時間が朝の7時60分と記されている。誤記か。

 いや、いくら何でもこんな間違いはしないだろう。算数阿呆の私でさえこんな間違いはしない。ということは確信犯に違いない。

 レジで聞いてみたらやっぱりそうだった。東京の喫茶店ベスト5に入ると言われる「珈琲道場 侍」である。店のスタッフは親しみやすいし、客との距離が近い。いい店と認定しよう。と私がエラソーに言うまでもなく、名店として知られる。

 1978(昭和53)年創業というからもうすぐ40年である。40年もの歴史を刻み、今も満席に近いのは顧客満足度が高い証拠である。「7時60分」という表記も満足度を上げている材料の1つなのだろうなぁ。確かに私は見入ってしまったもん。


 

インターネットの時代に

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 広島・福山市の喫茶店イチノクラで見つけた。メニューの表紙に張ってある。こんなの初めて見た。

 インターネットの時代、非常に正しい。

 飛び込みで喫茶店に入って、取材拒否をされることがごくまれにある。広島市南区のできたての喫茶店がそうだった。自分のサイトがあるからと言う。

 今の時代、ネット上に投稿する自由を妨げるのは不可能だから、店側がコントロールできる取材は喜んで受けるべきなのに。懇切丁寧に教えてあげるほどヒマではないので、私はさっさと退散する。

 話を戻す。これだけ積極的な店を私は初めて見た。ネット時代に応じた姿勢である。店のスタッフはフレンドリーで、ああ、自信があるんだなと感じた。胸を張って「さぁ、何でもどうぞ」という感じなのだ。

 どうせネット上に書かれるのである。だったら気持ちよく写真を撮らせて気持ちよく書かせるほうがいい。人間心理の基本である。イチノクラを私は高く買う。

手間がかかる楽しみ

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 手間がかかることを厭わなくなった。ひと手間ひと手間が楽しい。何でや?

 従来コーヒーはパナソニックの全自動を使ってミルから抽出までボタン1つで飲んでいた。自分でコーヒー豆をガリガリ挽く手間がもったいないと感じた。コーヒー用のドリップポットと濾過布を買ったけれど、数回使っただけで投げ出した。

 それが何という変わりようだろう。ミルのネジを真剣に微調整し、無心になってコーヒー豆をガリガリ挽き、ドリップポットからお湯を丁寧に落とし、盛り上がるコーヒー粉を愛でるようになった。

 せっかちな性格が変わるものではあるまい。変わったとしたら年齢と、加齢に伴う何か、なのだろう。

 手を動かす行為と時間が精神の安寧をもたらしてくれると言うと大げさか。

 コーヒーに限らない。レンジファインダーのライカMに魅了されたのは、撮るのにひと手間もふた手間もかかるからだ。シャカシャカと連写してその中から偶然写ったいい写真を選ぶより、失敗してもいいから1枚1枚丹精を尽くしてシャッターボタンを押す行為で得られる写真のほうがはるかに貴く価値があると感じる。

 人の手間がかかることへの敬意が52歳にしてようやく分かってきたということか。成長したなぁ(ほんまかいな)。

広島・てらにし珈琲店の人気のヒミツ

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 2泊3日で広島に行くたびに必ず3回は行く。てらにし珈琲店を私がここまで気に入ったのは、いったん好きになったら骨の髄まで惚れ込んでしまう私の性格が影響しているのは間違いない。

 しかし、行くたびに発見がある。てらにし珈琲店がなぜ人気があるのか、少しずつ見えてきた。

 マスターの寺西さんは客の顔を覚える特技がある。てらにし珈琲店に通いはじめた9月のこと。広島滞在2日目の朝、モーニングを食べ、そのあと丸坊主に近いくらいの散髪をして3日目朝行ったら何の問題もなく私だと認識した。ほかのスタッフが私を分かっていないので、「ほら、きのうも来てくださった」と説明していた。

 覚えるのは顔だけではない。11月に訪ねたときは私の顔を見るなり「モーニングですね」と言ってきた。私がモーニングを食べている様子を見て寺西さんは「コーヒーはブラックなんですね。すみません。覚えてなくて」と言う。言われてみれば私はコーヒーカップに添えられたミルクを全く入れていない。

 寺西さんは客の様子を実によく見ているのであった。自分にさえ無頓着で、他人に対してはさらに無頓着な私は逆立ちしても勝てないきめ細やかな観察である。

 翌朝訪ねてモーニングを注文したら、ミルクは消えていた。私の顔とともに注文を頭に刻んだのである。

 そういえばほかのお客さんに対して「トーストはシナモンですよね」などと言っていた。通常のモーニングは3種類のジャムなのだが、シナモン好きのお客さんがいて、それを覚えて対応しているのである。

 覚えてもらえると、お客さんは特別扱いされているような感覚になる。あるいはここは自分の行きつけの店だという思いを抱く。

 他人に無頓着な私が寺西さんを“観察”できるのはカウンターに座るからである。「広いほうにどうぞ」とテーブル席を勧められてもカウンターに座ってきた。カウンターに座るのはマスターへの好意の表れなのである。

てらにし珈琲(広島市中区宝町)の心地よさ

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毎月1回2年ほど広島に出張してきた。この間同じ店に2度行かないことにしていた。その禁を破らざるを得なくなった。てらにし珈琲が何とも心地いい。

 具体的に言うとこの3点の魅力である。

(1)あるじの寺西さんの雰囲気がいい

(2)あるじもスタッフもそろって接客がすさまじく繊細である

(3)キャベツ山盛りに厚切りトーストの素晴らしいザ・モーニング

 特筆すべきは2である。あるじもスタッフも客の気持ちの先を読んで声を掛けたり行動したりするのだ。こんな喫茶店を私は知らない。

 広島在住の仕事仲間もてらにし珈琲の完璧な接客ぶりを激しく評価し、「サービスや顧客満足の何たるかを知りたい人を連れて行ってます」。

 ふだんはローソンの低糖質パンしか食べない私が、てらにし珈琲でジャムが載った厚切りトーストを喜んで食べている。これはもう愛である。
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